「最近思ったんだけどさ、アイドルを辞めたら合法的にプロデューサーさんと付き合えるんじゃない?」
「よっしゃ、そのまま縁切りさよならバイバイだな」
「酷くない!? それに冗談だからサラッと流してよ!」
「流したじゃねーか、俺とお前の別れって形で」
「そういうのは嫌なのっ」
喚く加蓮と表情を変えずに淡々と言葉を返すプロデューサーはいつものレトロな喫茶店で、今日も休憩である。
二人共体力がない為、休憩はこまめに取る。
無理はしない、無茶はしない。身体が資本である仕事なのだ、倒れてしまっては元も子もない。
「やっぱり雑じゃない、私の扱い」
「雑じゃねぇよ。雑だったらこの空き時間でレッスンさせるっての。
熱血プロデューサーならいい笑顔でレッスンに連れて行くと思うぞ」
サボっているアイドルを見て、本来ならレッスンに連れて行くのだろうが、プロデューサーはそんなことはしない。
普段のレッスンをしっかりと受けている以上、そこに追加でレッスンさせる気はなかった。
これで某働きたくないが口癖の双葉杏のように常日頃からサボタージュを決行しているならまだしも、だ。
彼女とは気が合うし、働きたくない同盟を組んだ仲だが、他のアイドルに彼女を見習えとは流石に言えない。
あれはオンリーワンだ、真似しようにもできるものではない。
「……それは、嫌かな」
「普段、それなりにしてるならだらけてもいい。俺の方針は危ない橋は渡らないだからな。
北条、無茶も無理も今はするべきじゃない。体力っていう札は使い所を間違えたら手痛い損をするぞ」
「精力的に働いた結果、精神を壊しかけた人が言うと説得力があるね」
「だろう? とはいっても、俺も仕事に関しては最低限は終わらせてるからな。
後、やってるふりは超得意だ、もう迷わないぞ、俺は」
「普通に屑極まりない発言だけど、いいの?」
「いいんだよ、身体と心を壊して働けなくなるよりは」
ちなみに、加蓮は口では愚痴を言いながらもレッスンをこなしている。
最初のほうこそ、筆舌に尽くし難い酷さだったが、今ではレッスンの時は真面目だ。
決められた時間内ではしっかりとやる、その大切さを理解したのだろう。
元々、才能があった少女だ。レッスンをしたら頭角を現すのはわかりきっていた。
トレーナーに課されたノルマを果たしている以上、プロデューサーとして文句はない。
そして、プロデューサーも適当極まりない発言だが、最低限の仕事はしっかりと終わらせている。
無論、急ぎの用件でなかったり、他の事務員やプロデューサーに回せそうなものは全部放り投げているけれど。
「そんな状態でこの先大丈夫かなぁ。まあ、プロデューサーさんが路頭に迷ったら私が養うんだけどね。
トップアイドルになったらそれぐらいできるでしょ」
「俺がクビになる事を前提にするな。それと、お前に養われるというのは大変魅力的な提案だが、そりゃ無理だろ」
「なんでさ。世間体が気になるとか?」
「いいや、全く。養われるなら喜んで受け入れるし、働かないで済むなら全然オッケーだ」
ナチュラル屑発言であるが、これはプロデューサーの本心である。
自ら進んで働きたがるなんてどうかしている。
正直、このプロデューサーという職業も忙しさという観点から見て、あんまり望ましくないものだ。
現状、転職が面倒だったりとか、せっかく仕事を大体は覚えたからもったいないなぁとか。
その他諸々、俗な理由があるからまだ続けているだけだ。
「……トップアイドルになったって言っても、一生遊んで暮らせる訳じゃねーんだぞ?
どっかで資金は尽きるんだ、そうなった時のことを考えると怖くてな。
だから、俺もクビにはならない程度に働いているんだよ」
「世知辛いなあ」
「そういうもんだって。結局は現状維持で無様に足掻くしかねーのよ、お先真っ暗で嫌になるわ」
「プロデューサーさん、幼気な女の子の前でそんなドス黒い事を喋るのはよくないよ?」
「幼気な女の子は毎日ホテルに誘ってこないからな。尻軽過ぎてびっくりだわ、他のアイドルを見習えよ」
「はぁ!? 尻軽じゃないから! 前にも言ったけど、プロデューサーさんにだけだよ!」
「それはそれでヤバいけどな。好きな男に対してとはいえ、積極性ありすぎて怖いわ」
ほんの少しは、目の前で笑う少女の行く末を見たいといったプロデューサーらしい思考もある。
一応、プロデューサーとしてある程度は面倒を見るべきなのだが、正直もう見なくてもいいのではないか。
「アイドルとしての自覚ねーだろ、お前。ファンが聞いたら泣くぞ」
「いや、あるから。第一、外面はちゃんとしてるし。ファンに対しては誠意いっぱいだから。
アイドル活動、真面目にやってるのはプロデューサーさんも知ってるでしょ?」
「確かに。最初と比べると月とスッポンだ」
「それに、プロデューサーさんとの関係も絶対にバレないように入念に計画するから、ね?」
「んな可愛く言っても駄目だから。小娘の浅知恵が通用すると思うな。
そもそも、告白お断りだから」
「日が変わっても?」
「一日足らずで変わるかよ。ワンチャンもないからな」
もっとも、そんなことをしたらこの性悪少女が何をしでかすかわからないのでその行動は取れなかった。
口元をへの字に歪めて、恨めしそうな目でこちらをじっと見つめる姿は大変様になっているが、騙されてはいけない。
外見こそ完成されているが、中身はドロドロだ。隙あらば既成事実、堪ったものではない。
彼女の前ではできる限り弱みは見せない。それが鉄則だ。
そうでないと、何処までも沈んでいく底なし沼のように、脚が絡め取られてしまう。
「毎日、プロデューサーさんにいつ襲われてもいいように準備してるんだけど」
「いらん準備だな。その時間は睡眠に当てろよ、捗るぞ」
「私達の関係の進展が捗ってほしいんだけどなぁ」
「はっはっはっ」
「うわあ、わざとらしい笑い声。腹が立つぅ」
今日の加蓮は髪を一つ縛り――ポニーテールにして活発的なスタイルだ。
服装もフォトプリントのティーシャツにミニスカートであり、とても病弱不健康娘とは思えない。
アイドルだけあって、シンプルなコーディネートでも見栄えがいいのはプロデューサーとして贔屓の目が入っているのだろうか。
「あっ、今日の下着は上下黒なんだけど」
「その報告に意味は?」
「興奮するかなぁって」
「…………」
「その冷めた目はやめてよっ」
しかし、抜群の容姿はその口から放たれる残念発言によって打ち消される。
アイドルとしてどうなのか考えたくなる残念発言といい、プロデュースの仕方を間違えたとしか思えない。
無理やり熱血系プロデューサーに押し付けるべきだったのか。
もっとも、加蓮が駄々をこねながら拒否をするだろうから、そんな逃げ道は存在しないけれど。
「……こんなにも積極的にアピールしてるのに、全く動じないなんておかしくない?」
「おかしくねぇよ。むしろ、それで動く方がプロデューサーとしてどうかと思う」
「えー、それじゃあ他のアイドルとか事務員さんとかお目当ての人がにじり寄って来ても同じことが言える訳?」
「職場内恋愛はしたくない、絶対めんどくさい」
「枯れてるなあ。和久井さんとかすごい美人だし、惹かれてるんじゃないかなぁって警戒してるんだけど」
ここで話題に出てきた和久井留美という女性は職場の同僚兼アイドルである。
当然、アイドルをするだけあって美人だし、事務仕事などもできるハイパー有能ウーマン。
プロデューサーも仕事を何度かしたこともあるが、全くの苦にしていないその姿勢に戦慄したものだ。
眼前のポンコツアイドルと同じクール系で売っているらしいが、まさしく彼女を表す言葉にぴったりである。
もう少し、加蓮も彼女を見習って落ち着いてほしいが、それは無理な注文だろう。
なにせ、自分と比べても、彼女は圧倒的に向こうの方が有能である。
弱点なんてないのではないかとさえ思う留美に対抗できる女性は数少ない。
「あの人有能すぎて、俺からすると高嶺の花だぞ。というか、認識すらされてないわ、きっと」
「それは卑屈になりすぎじゃない?」
「事実だからな。お前はともかく、俺は窓際一直線ルートのプロデューサーだぞ?」
すごく、疑われている。しかし、事実だ。
プロデューサーは嘘は言ってない。訝しむ目で見られても、返答はこれしかない。
自分がアイドルから好かれているのはありえない。
加蓮でさえこうして言葉に出されなきゃ信じられないのだ、他のアイドルがこれで告白でもしてきたらショックで倒れてしまう。
「この朴念仁っ! プロデューサーさんを狙うライバルは意外といるんだからね」
「えぇ……引くわ……男の趣味悪すぎない……? どうしちまったんだよ、アイドル……」
「そんなガチの落ち込みを見せなくてもいいじゃん!」
「いやだって、知らない間に狙われてるとか怖いだろ……罠とか警戒しちゃうだろ」
「アイドルのことを何だと思っているのさ」
「ハニートラップ」
「ひっど。もっと信じようよ」
胃痛の種になることは全力で御免こうむる。
プロデューサーという職業柄、頭を悩ませる物事は多いのだから、これ以上増やされたら救急病院行きだ。
実際、猫被り時代は相当に追い詰められ、その一歩手前までいったので全く笑えない。
今のぬるま湯のような日常がずっと続けばいい。
ラブもコメディも必要ない。物語の主人公になりたいバイタリティはとっくに消えてしまった。
「普通は疑うだろ。器量良しの女の子が迫ってくるなんてハニトラだぞ。
死の覚悟するっつーの。躱しても、また来るんだろ? ドライ対応しても駄目なんだろ」
「そこまで嫌って何かトラウマでもあるの?」
「ないけどさぁ。美味しい話には裏がある、そこら辺を考え過ぎる性質なんだよ。
だから、ぶっ壊れかけたんだよ。もっと馬鹿になれたらよかったんだがな」
そんな凡人が、おこがましいのだ。
何かを願うなら、代価を払わなくてはならない。
信頼とか、実績とか。手持ちのものを払って、痛みを伴う道を進める程、プロデューサーは強くない。
「でもでも、私はハニトラじゃないんだよねー。そんなご安心な担当アイドルが告白してきましたっ。
もうこれは付き合うしかないでしょ、たはーっ、ついに私も彼氏持ちっ」
「確かに、お前は絶対にハニトラじゃないよな。そうじゃなきゃ、最初の舐め腐った態度はできないもんな。
お前、本当に俺じゃなかったら一発でレッドカードの退場だったからな。当時の猫被りで熱意ゲージが高かった俺と出会えた奇跡に五百億回感謝しろよ。
それと、ごめんなさい無理です担当アイドルと付き合うプロデューサーとか厄ネタすぎるわ」
「……もう、文脈無視のお断りになっちゃったよ」
そして、それは加蓮にも同じことが言える。
好きという気持ちだけで一生を共に過ごせたらどれだけよかったことか。
彼女の本気を疑っているわけではないが、今の自分達が付き合っても、破綻が待っている可能性が高い。
だからこそ、その告白を受け入れることはできない。
わざわざ辛い道を歩ませるのは本意ではないし、彼女の視野が狭い今、それを自分が掠め取るのはどうも納得がいかない。
(先延ばし――逃げだってわかってるんだがな)
お互いの納得を妥協の境界線に乗せるのはなんと難しいことか。
溜息をつきながら、プロデューサーは今日も笑う。
そのへにゃりとした乾いた笑みの中に、ウエットな感情なんてお首にも出さずに。
【双葉杏】
働きたくない系アイドル。プロデューサーとの出会いは男子トイレ、何かがおかしい。
プロデューサーとは働きたくない同盟を組んでいる為、仲がいい。
プロデューサーの担当アイドルになりたいが、なれない運命にある悲しき少女。
【和久井留美】
有能の二文字が似合うプロデューサーの同僚兼アイドル。
困った時は大抵、彼女に頼ればいいという不文律ができあがっている。
ちなみに、プロデューサーは認識すらされてないと言うが、実際には認識されている。
そもそも、彼女は同僚の顔と名前をしっかりと覚えるタイプなので当然であった。