悪魔の妖刀   作:背番号88

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52話

「やはり、来たか」

 

 来るだろうとは思っていた。

 この状況を看過するような男ではない。

 高見が目論んだ『長門村正の破壊』はこれで机上の空論と成り果てたことだろう。

 

(まあいい。もとより半々の策だった)

 

 進と言えども、長門を破壊できるかは断定できない。

 両者ともに完璧超人。自分の持つ物差しでは到底測り切れない域にある。

 エースの渾身のタックルをまともに受けて無事であるはずがないという信頼が根底にあっても、あの泥門のエースが倒れる想像もし難い。故事成語の『矛盾』に登場する武器商人のように途方に暮れてしまいかねない難題だ。

 

「そんなことよりも、ヒル魔だ」

 

 息ひとつも吐かず、切り替える。

 無意味なことに費やす時間は1秒もない。

 そのような隙を晒していい相手ではない。

 ヒル魔妖一。長門村正が最大の強敵であるなら、奴は最悪の難敵だ。数値上の性能では読み取れない厄介さ。高見とっては同類であり、好敵手。

 ヒル魔妖一という変数が加わった泥門の戦術は、矛盾の衝突と同様に読み難い。

 

「どのような策を打ってこようが、こちらも勝つための最善手を尽くすのみだ」

 

 たとえそれが非道な手であったとしても。

 

 

 ~~~

 

 

     TE() T(黒木)G(戸叶)C(栗田)G(十文字)T(小結)     TE(長門)

   WR(モン太)

      RB(石丸)   RB(小早川)        QB(ヒル魔)

 

 

『こ、これは、白秋戦で見せた、『孤高の(ロンリー)センター』! ですが、ボールスナッパーはセンターの栗田君ではなく、長門君です!』

 

 

 驚愕する解説の発言通り。

 司令塔のヒル魔を背負うのは、最前線の要(センター)である栗田ではない。長門だ。

 

『これまで幾度となく奇策を講じてきた泥門ですが、狙いが読めません! これはどう見ますかリコちゃん』

『長門君は本来、タイトエンドです。それに泥門デビルバッツの中でも栗田選手に次ぐパワーの持ち主で、ラインマンとして起用しても、問題なく任せることができます。

 ただ、これではパス……ヒル魔選手と長門君のホットラインを活かすことができません』

 

 ヒル魔が加わり、代わりにレシーバーの雪光がベンチに下がった。

 レシーバーには、まだ泥門エースレシーバーのモン太がいるが、もう彼は見るからに限界だ。マークについている井口がこれ以上の活躍を許すとは到底思えない。

 そんな中で最有力であるパスターゲットを1枚減らして、壁役として増員させる。

 解説者の言う通り、確かに長門は盾としても役をこなせるだろうが、泥門最強火力である『妖刀』を鞘に入れてしまうような真似だ。

 

 その意図は一体?

 

 考察材料としてまず第一に挙げられるのは、ヒル魔の腕の怪我。

 一事戦線を離脱し、治療に専念してきたが、それでもこの試合はもうまともにパスは投げられないのだとしたら。

 発射台としての役割を果たせそうにないから、パスの人員を他へ振った。

 それでも、怪我の具合は傍目からはわかりようがない以上は、警戒は捨てられない。つまり、余程の失態を晒さない限りは、相手の注意を引く囮になれる。

 

 元より『孤高のセンター』は、それを目的のひとつとした陣形だ。

 最低限度の戦力を残したウィークサイドと戦力・人員を集中させたストロングサイド、極端に偏った陣形で、相手ディフェンスを混乱させるトリックプレイ。

 ここで守りが手薄である指揮官を潰そうと迂闊にその誘いに乗れば、反対側へボールは放られるだろう。

 そう、泥門デビルバッツで最もパワーのある栗田(センター)と最もスピードのあるアイシールド21(ランニングバック)を筆頭に戦力が集中しているストロングサイドへ、だ。

 だから、ここで警戒をするべきは、当然、ストロングサイド――

 

(いや、違う。わからない、けど、囮の方(ウィークサイド)は無視できない)

 

 角屋敷吉海は二つに別れた泥門の陣形を睨むが、眉間に皺が寄ってしまう。

 ヒル魔の術中に嵌まっていることを自覚しながらも、迷ってしまう。

 『だからこそ、やる』――相手の裏を突いてくるヒル魔妖一の戦術理論は、これまで泥門と対戦してきたチームなら知っている、当然、王城ホワイトナイツも何度となく思い知らされている。

 その上、壁役(ライン)とはいえ、『妖刀』……ヒル魔妖一の懐刀ともいえる泥門のエースも揃っているのだ。たった二人で何ができると思うだろうが、その二人の連携こそが泥門最凶なのだ。

 

 司令塔である高見さんも、守備を指揮する進さんも対応を決めあぐねている。

 ここで一手誤れば、タッチダウンを奪われる。再びリードが広がる。勝利が遠ざかる。『全国大会決勝(クリスマスボウル)』の夢が――

 

 

「ばーっはっは、そう来るか泥門!」

 

 

 焦りや迷いを晴らすかのような、大笑い。

 こんな場面で呵々大笑できる大馬鹿者は、ひとり。

 

「大田原……」

 

「高見よ。色々と考えてるようだが、バカの俺にはさっぱりわからん。だが、やることは決まってる。なら、迷う必要はないだろう」

 

 大田原誠は、バカだ。

 己をバカと自覚しているからこそ、全幅の信頼を委ねた賢人の軍師である高見伊知郎に知略戦の一切を任せている。余計な口出しはしないようにしている。

 それでも、彼はこの王城ホワイトナイツの主将であり、その責務を投げだしているわけでは決してない。

 

「アメリカンフットボールは算数じゃない。あれこれかんがえたところで答えが出ないようなら、体当たりでぶつかってみなけりゃわからん! それが罠だったとしても、それをブチ破ってやればいいだけのこと!」

 

 要するに、相手の策が何であれ、力ずくで破る。それができるだけの力が自分たちにはあるはずだ。

 

「うっす! そうっすね、大田原さん! ブチ破ってやりますよ!」

「まあ、これまでのヒル魔のやり口からして、明らかに何かあるだろうけどね。やるしかないんだ。勝つためには」

 

 大田原誠は、バカだ。

 だが、この男を馬鹿にするものは王城学園にはいない。

 誰もがこの王城ホワイトナイツの主将であることに異論を唱えることはない。

 そして、時にその単純明快な発言は軍師のそれを上回る。

 高見も皺のよった目元を緩めて、笑う。

 

「確かに、やるべきことは決まっている。ここで考えを巡らしたところで、確証のある答えは出ない以上、泥門の利にしかならない。リスクを承知で当たるべきだろうな」

 

「うむ。こういうのを、“おしりにいらずんば、しりをえず”、というのだろう」

 

「そういうなら、“虎穴に入らずんば、虎子を得ず”だ、大田原。……それで、誰をぶつけるつもりだ?」

 

 主将であり、ラインの要である大田原に意見を求めれば、ここで最も張り切っている男を呼ぶ。

 

「猪狩!」

「うっす!」

 

 呼ばれた猪狩は、ボルテージをさらに上げる。

 これが無理難題は百も承知。それでも任されたからには、やってやる。

 

 

「渡辺を支えてやれ。栗田の相手は一人では厳しいからな」

 

 

 と、それは早とちり。

 

「へ? それじゃあ、長門の相手は?」

「俺だ」

 

 大田原の剛腕は、ドンと自らの胸を叩く。

 

「春大会の借りを返さないといかん相手は、栗田だけではない」

 

 

 ~~~

 

 

「ばっはっは! 長門ォ! いい機会だし、ここらでいっちょう春大会にしてやられた借りを返させてもらうぞ!」

 

「春大会って、試合ではこっちが負けてるんだが。地区大会決勝の時の借りもまとめて清算しておきたかったところだ」

 

 孤立した長門に対峙するのは、大田原。

 一対一。

 栗田の方には、大田原に次ぐ重量級の渡辺と猪狩の二人がついている。

 

「しかし、関東大会決勝の晴れ舞台もいいが……ホントは、王城と泥門で全国大会決勝(クリスマスボウル)で決戦したかったとこだがな……!」

 

「……それもいいが、生憎と俺には先約がある」

 

 少し感傷に浸ると、大田原の面相が変わる。

 普段の緩んだ意識は一切ない。相手は一年生、しかし、そんなのは関係ない。

 目前にいるのは、己が全力を賭すのに値する敵だ。

 そして、この戦いで敗れれば夢はそこで潰えて、勝てば先へ進める。

 

「アイツを待たせているんだ。ここで止まるわけにはいかない。あなたを殺して、俺達はその先へ行く」

「はっ、威勢がいい。それでこそだ。リベンジのし甲斐がある」

 

 騎士団を背負う重装歩兵と妖刀を構える修羅が立ち会う。

 

 それを誰よりも間近に見ている悪魔は開始の号令を告げた。

 

 

「SET!」

 

 

 ラインとして、長門を扱うことに賛否両論はあるだろう。

 進と対決した時とは違う状況が一つある。

 

 クォータバックとして攻撃の起点となっていた時は、我が身よりも守護(まも)らなければならないボールを抱えていた。

 その“縛り”が、ない。

 全身凶器の両腕が自由(オールウェポンズフリー)となった『妖刀』。

 球技であり、格闘技であるアメリカンフットボールにおいて、果たしてこれがどんな意味を持つか。

 

「―――」

 

 また、集中に深みが増した。

 本来の指揮官(ヒル魔)が戻り、全体に意識を回す必要が薄れたからか、よりこの闘争に専念できている。

 

 臭い、音、色、と思考から余分なものを取り除いていく作業。

 闘争のために不必要な要素が、脳から削り落とされていく。一振りの刃と化し、その研ぎ澄まされた精神だけが相手を映す。

 水鏡の境地。

 会場全体を揺るがす歓声すら無にする、その類稀な集中力。

 

 悪魔は、笑う。

 出会った時もそうだった。

 タックルする相手が幻視できてしまうほどに没頭していた姿と重なる。

 

(この関東大会出場選手全員、一対一(タイマン)の肉弾戦で()り合ったら、勝つのは糞カタナだ)

 

 そこに、糞ドレッド(あごん)糞原始人(がおう)、そして、進を入れても接近戦(クロスレンジ)では長門には敵わない。

 

 

 ――全力でブチ殺せ、糞カタナ!

 

 

 ~~~

 

 

 瞬く間に、だった。

 

 

 守備側の大田原は、攻撃側のスタートを見てから後出しで動き出す。

 ましてや、長門は大田原以上のパワーとスピードを有する。栗田を相手にしてきた時とは違い、先手を取られる。間違いない。

 当然覚悟していた。

 これまで自分がしてきた全速(スピード)全力(パワー)を相乗させる破壊力を、この身で味わうことになるのだと。

 

 だが、長門村正は、ただぶつかっては来なかった。

 まず、最深部に到達した集中力で目標を洞察し、隙を狙った。

 そう、瞬きする瞬間を狙い澄ました。

 ほんの0.1秒の間隙を突いた。

 正しく“瞬く間”。それが長門がボールをスナップしてからの出来事。

 

「――くぉっ!」

 

 重装歩兵が、悶絶した。

 自分以上の身体性能を持った相手が、更にその破壊力を一点に抉り込むようにブチかましてきたのだ。それも真正面からの不意打ちという矛盾した無茶苦茶までしでかして。

 一歩も始動できずにまともに食らったその威力。あまりの強烈な衝撃に、手足がすべて根本から外れ落ちてしまったかのような錯覚に陥る。呼吸もできず、視界が白む。プロテクターがなければ肋骨の一本や二本は砕き折られていたかもしれない。

 

 完璧な先手必勝を決めた。あとは止めを刺すのみ――その間際に、目の光が戻った。

 

 

「ばっ――ハアアアアア!!」

 

 

 吼えた。胸に直撃を受けたばかりなのに、吼え猛る重装歩兵。

 スピード、パワー、それからテクニックまでも向こうが上。

 だが、メンタルまでも負けられない。

 痛烈な、一撃だった。主将でなければ意識を手放していたやもしれなかったが、俺は主将だ。死んでも負けるわけにはいかないのだ。

 このチームを背負う重責を力に変えたこの剛腕に、『護る為の殺意』が滾る。

 今度は、こちらの番だ。

 がぶりよつの競り合い。

 パワーは僅かに劣るが、それでも体重ではこちらが上。このまま粘り、体格差で制す――

 

「ふん!!」

 

 『妖刀』は、しかし、とどまらない。

 競り合った状態から、腕を振るわずして、二の太刀を見舞う。

 硬直した重装歩兵と密着状態のまま、腰と両足から“力”が搾り上げられる。地面を踏みしめた脚に、腰の回転、肩の捻りを相乗し、強烈かつ俊敏に躍動する全身の発条(バネ)を総動員して標的に接した掌へと集積させたのである。

 初撃で重心を崩した相手を確殺する『零距離マグナム』を炸裂させ――そこで、長門は目を瞠る。

 

 手応えは、あった。

 しかし、まだ、崩れない。

 

 目を血走らせながら、にんまりと笑う。

 重装歩兵の鍛え上げられた肉体は、これにも耐えたのだ。王城の土台を担う主将の、驚嘆に値する耐久力だった。

 

「ばっはあっ!」

 

 重装歩兵の喉から苦鳴があがる。

 凄まじい。この胴体に風穴を開けられた光景が脳裏に過ってしまうほどに、けれど、反応する。

 大田原誠の意思ではなく、戦場で鍛えられた闘争本能が、その四肢を衝き動かす。剛腕がついに『妖刀』を抑える。肉を切らせて、骨を断たせて、その身を食わせて成し得た白刃取り。

 

「借りを返すぞ、長門ォ!」

 

 そう、春の試合でこれを味わった。これに一杯(一敗)を食わされた。

 あの時よりもさらに練磨されていたが、来る、とはわかっていた。だから、耐えられた。

 

 

「身長、体重、剛腕(パワー)にそして、スピードに関してはあの峨王以上で後衛並。ラインマンという括りの中では神龍寺や巨深にもいなかったオンリーワンの大型重戦車……だが、長門はそのほぼ全ての要素で上回る新型だ。まともにぶつかれば、どちらが勝つかは明白。

 しかし、単純な性能の優劣で勝敗が決まるのなら、栗田が峨王に勝てていない」

「確かに、泥門の中で、栗田に次ぐパワー、そして、栗田にはないスピードとテクニック。ラインマンとしても長門は、この大会で確実に5本の指に入る実力がある。だが、それは大田原も同じ。壁漢(ラインマン)として積んできた6年間の経験値は伊達じゃねぇんだ」

 

 同じ3年。時には競い合ったことのある大田原の奮戦に、番場や鬼平は目を細める。

 

 

 しかし、それでももう死に体であることに違いない。

 大きく身を仰け反り、このまま押し合えば、青天(たお)されるだろう。ラインマンとして最大の屈辱。だが、たとえそうなったとしても今は粘る。

 1秒でも長く、食らいついて、この泥門のエースを抑えれれば――必ず、王城(うち)のチームメイトがやってくれる。

 

「さあ行けぇ!」

 

 力勝負で、勝ちたい欲求はあるが、それよりなにより欲するのはチームの勝利。

 そう、自分は土台なのだ。

 自分よりも活躍する逸材が、このチームに何人も入るのだ。だったら、それを支えるのは土台としての役目だろう。

 

 

『『電撃突撃』だーーっ!! 角屋敷選手が飛び出していたーーっ!』

「決めろ、吉海!」

 

 音少なく、密やかに迫る。

 親友の猫山のようにはいかないが、それでも教わった『無音走法(キャットラン)』。完全に気配を殺すなんて無理だとしても、1秒でも長く、相手に察知されるまでの猶予を稼ぐ。

 

『『孤高のセンター』で護衛は、長門選手ひとり! しかしそれも大田原選手に抑えられてがら空きです!』

 

(ヒル魔は、移動型のクォーターバック。でも、身体能力は並、逃がさない)

 

 小手先の巧みさはあっても、一対一なら勝てる。

 そう、角屋敷には自信があった。そして、もうそれを確信できるまでの間合いにまで達した。未完成の『トライデントタックル』でも、刺せる距離。これから逃れるには、ヒル魔の脚では無理。

 そして、アイシールド21の方には、進先輩がついている。――もう、パスしか選択肢はない。

 

(さあ、どうするヒル魔。その(パス)を伏せたまま、ここで俺に倒されるか、それともここで明かすか!)

 

 この強襲の目的の一つは、それが悪魔の巨像か、虚像であるかを推し量ること。

 この局面でヒル魔の出方を、その右腕が本当にパスを投げられるのかを見定める。

 

 

「YAーーッ! HAーーッ!」

 

 

 悪魔の右腕が、振るわれた。

 放たれるボールの回転はきれいで、軌道にブレがない。

 『デビルレーザー弾』……というには、スピードが足りないが、レシーバー――雷門太郎が駆けるパスコースへ通している。

 

 

「捕る! 捕ってやる!」

 

 

 今、泥門で一番勢いのあるモン太。

 身体はもう限界ぶっちぎっているが、憧れの人(ほんじょうさん)の前で無様は晒せない。何より、ヒル魔さんが怪我した腕で投じた、命がけのパスだ。

 

『糞オカルトババアの治療に、テーピングのドーピングで無理矢理この糞右腕を振ったとして――

 パスを投げられるのは、この1回限りだ。それで打ち止め。今度こそこの腕は使い物にならなくなる』

 

 だからこそ、即使う。

 『孤高のセンター』で、糞チビに守備の意識が集中してる。当然、守りが手薄なこっちも狙われる。だからこそ、糞サルがフリーになり易い。

 それを狙う。

 そして、パスが決まれば――今度は、ランが自由になれる。

 

 蝋燭の火が消える間際に燃え盛る一瞬のように、全力疾走を投じるキャッチの達人。

 

 

「死んでも捕る! キャッチMAーーXッ!!(「これ以上、やらせてたまるかよ!」)

 

 

 行かせない、跳ばせない、捕らせない。

 花形のインターセプトを成す真似はしない。余計な格好つけは必要ない。

 ただコイツに負けないくらい我武者羅に当たっていく。

 

 ああ、そうさ。認めてるさ。

 死にかけていても、このサル君はそんなハンデをものともしない。王城のエース、桜庭と同じだってことくらい。

 

 驕りを捨てた井口。

 ボールを奪うことではなく、モン太を抑えることに全てを費やす。

 

 

「「オオオオオオオオオ!!!」」

 

 

 接戦。

 激しさの増す乱闘の最中、我武者羅に伸ばした達人の右手は…………空を掴む。

 

 

『泥門、パス失敗!』

 

 

 ~~~

 

 

「よっしゃーーー!」

「よくやった、井口!」

「大田原さんもナイスガッツです!」

「角屋敷も惜しかったぞ、次はサックを食らわせてやれ!」

 

 

 歓喜に湧く王城サイド。

 今のプレイは大きい。ヒル魔という救世主が参上した直後のプレイが不発に終わる。持ち上げた分だけ落差がつくように、“やはり、ダメなのか”という印象を強くする。

 そして、今のでヒル魔の右腕の状態もおおよそは見当がついた。どうにかパスは投げられるが万全には程遠い。その程度のパスであれば、井口がモン太に競り勝てる。いや……

 

 

「畜生! 畜生! これが最後のチャンスだったっつうのに……!」

「お、おいバカ! そんなに騒ぐんじゃねぇ!?」

 

 

 あの、モン太の様子。

 地面を拳で叩いて悔しがる様から、もしやアレが最後の一発だったのか。いや、それも確定ではないが、これまでの経緯を見るにそうであっても不思議ではない。

 いずれにしても、相手の飛び道具はもう脅威ではない。

 あとは、アイシールド21のランだが、ヒル魔の誘いに乗らず、進が抑えていれば、『孤高のセンター』は機能せずに泥門は終わる。

 

 

 ――本当に、そうか?

 

 

 ~~~

 

 

「クッ……もう、ガタがきやがったこの糞右腕! だが、これでもまだ囮役くらいにはなれるはず……っ!」

「……“敵を騙すには、味方から”…………という“強がり(ハッタリ)”にするつもりか。やはり、ヒル魔先輩は性格が悪い」

「ケケケ、パスが決まればそれでよし。外れたとしても、それを布石にすりゃあいいんだよ、糞カタナ」

「転んでもただでは起きない先輩だよ、まったく」

 

 

 ~~~

 

 

「SET! HUT!」

 

 

 瞬間、重装歩兵の目前から、『妖刀』が消えた。

 

「は―――」

 

 

 ~~~

 

 

 これが、泥門(ヒル魔)本命(ねらい)か……!

 

 瞬間、高見は悟るや否や叫んだ。

 

「大田原、構わず突っ込んで、ヒル魔を潰せ!」

 

 大田原の前には、ヒル魔しかいない。

 長門はいなかった。

 狭まったヘルメットの死角に潜んでいるとかそういうのではなく、もう完全に背後に置き去りにされている。

 護衛(ライン)としての役目を放棄しているのだ。

 

「っ! しまった!」

 

 司令塔の指示に、重装歩兵は即応する。

 しかし、『妖刀』のブチかましに備えて受け身気味の意識から突貫に切り替えるのは、1秒、出遅れてしまう。悪魔はそれを致命的な失態と嘲笑う。

 

 

「は? パス?」

「だけど、そっちにはレシーバーは誰も……」

「オオオオオオオオオ!!」

 

 

 まずい。何だかよくわからないがまずい。そんな直感に衝き動かされる。

 吼え狂いながら迫って来る重装歩兵に対して、バックステップで距離を取りながらヒル魔妖一は勝利宣言をかます。

 

「キャッチが糞下手な糞デブとは違って、糞カタナはブロックもキャッチもこなすタイトエンドだ。気づくのが、一手、遅かったなァ、糞メガネ」

 

 『魔弾の射手』は、健在と示さんばかりにその右腕を掲げる。

 どんな状態であろうと外すことは許さないと己を(ちか)った魔弾(パス)の照準を定める。

 

 

 ~~~

 

 

 ――まずい……!

 

 長門が大田原を躱した瞬間、高見と同時に事態を理解した進。

 誰よりも迅速かつ最短で、守護神がその光速(4秒2)の脚で『妖刀』へ迫った。

 

 空中戦の(とぶ)前に抑えねば……!

 飛ばせない。飛ばれたら、自分では届か(かなわ)ない。

 だから、目指すは全速で長門に張り付き、全力で密着状態の競り合い。先程、井口がモン太にそうしたように。ボールの奪取より、キャッチの妨害を目的としたもの。

 

 

 ――『光速トライデントタック

 しかし、泥門最凶の二人組(タッグ)は、既に事を完了させており、最後の一歩を踏み止まった進は天高く跳ねた様を見上げる。

 それと同様に、大田原もヒル魔の眼前でその剛腕を急制止させていた。

 

 

「え、ヒル魔がパス!? それも長門君に……!?!?」

 

 成功するにせよしないにしても、最初のプレイで王城にパスの札を印象付けてから、ランを仕掛ける……そういう手筈だった。

 

 このプレイは、ヒル魔と長門の独断。

 栗田良寛が率いる本隊とは離れた、二人だけの独立分隊だからほとんど作戦なし(ノーハドル)で修正できる即興(アドリブ)プレイ。

 

(このプレイの肝はどれだけ相手の虚を突けるかだ。糞メガネと進の野郎が目を光らせてる中で、成功させるには、顔に出やすい連中(糞デブら)に伝えるにはわけにいかねぇ)

 

 無茶をする分だけ相手に要求するのはそれ相応の仕事量となるが、まあ、構わない。

 重装歩兵を抜いた『妖刀』を後追いするかのように、突っ込む重装歩兵の頭上を越えていく『魔弾(パス)』。

 レシーバーの補球体勢が整うのを1秒も待たないし、誰がマークに張り付こうがお構いなし、何ならこの『速選ルート』を見てもいない。

 視線を走らせたのは相手の守備陣形のみで。そこから瞬時に割り出した限界点を狙い撃つ……己が専心すべきは、この右腕が誰よりも知悉した軌道を通すことのみ。

 誰が相手だろうと勝つのだと(ちか)った以上は、これくらいの無茶はこなしてもらわねば格好がつかないだろうに。

 

 

「ケケケ、『孤高の(ロンリー)センター』にはこういうプレイもあるんだよ……!」

 

 

 基本的にラインマンは、クォーターバックからのパスをキャッチすることができない無資格レシーバーの扱いである。

 ただし、スナッパーが、ライン上の両端(エンド)についていれば、レシーバーとしての資格を得ることができる。

 そう、ヒル魔がパスしたのは、護衛についていたはずの長門だ。

 

「残念だが、一足、遅かったな、進清十郎」

 

 パスが投げ放たれたとほぼ同じタイミングで、ヒル魔と同調(シンクロ)していた長門は飛んでいた。

 ヒル魔がパスを投げ、長門はキャッチ体勢に入った以上、ここで当たってしまえば、ディフェンスの反則行為(パスインターフェア)を取られかねない。

 

 

(ジャンプのタイミングが速い。進に迫られたプレッシャーに焦ったんだ! あれでは長門でも、弾く……!)

 

 同じレシーバーとしての目線で桜庭は、一目でホットラインのズレを察知した。

 長門が頭上に掲げた両手(オーバーヘッドキャッチ)に届く前に、ボールは失速した。0.1秒でも遅れれば、それだけキャッチのポイントはズレる。更にボールの勢いに続き、掛けられた回転も弱まり、その姿勢がブレる。やはり腕が万全な状態の時と比較して、齟齬が生じているのだ。

 もっと球筋をよく見極めておくべきだったのだろうが、光速で接近する守護神にその余裕を奪われた。一度跳んでしまった以上はそこからの位置取りは修正は不能。

 そして、まぐれなのか意図したものかはさておいて、前回のようにモン太がフォローに入ることはない。

 つまりは、この空中分解しているパスは、失敗する――

 

 

(さて、奇襲するのはいいが、護衛を放棄させて、全くの無防備でパスを投げなければならない状況に自ら追い込むとか、普通はやらないんだがな。ワンテンポ遅れてだが、こっちに気付いた栗田先輩が蒼褪めてる)

 

 ましてや、怪我が再発した直後、その怪我した右腕でパスを投じることにどれほどのプレッシャーがかかるか。

 最初の作戦会議でモン太らに言ったことは、まったくのウソではない。この2回目のパスだが、相当無理をしての話。

 ヒル魔妖一の右腕は、もう限界だ。これ以上、この試合では使い物にならない。だから、このプレイで捨て札同然に使い潰した。

 それで“1回限り”という本音が、これで虚言(ハッタリ)になるのだから、騙されたと驚きこそすれ、安堵の方が大きいだろう。

 全てが計算通り。先の失敗も見事に有効活用して見せた。

 敵にも、味方にも都合のいいハッタリ(つよがり)をかます絵空事。

 

 限界を超えてキャッチせんとしたモン太や二度も命がけのパスを投じたヒル魔先輩――そんな味方の奮闘を無駄にはしないのが、(エース)の役目だろう。

 

 

「さっきは、弾いたが……別にアレが捕れないとは言ってはいない」

 

 

 ちらりと背後を伺って見えた、その腕を振りかぶった体勢からその軌道が読めている。多少のズレはこちらで修正すればいい。

 万全の時の『悪魔の魔弾(フライクーゲル)パス』と比較して、必中と呼べる精度ほどではないが、十二分にフォローできる範疇である。

 全力の垂直跳びで最速で最高点に達し、てから、姿勢を半転。失速し、平常の弾道予測から落ち始めたボール。そこへ肩を入れて腕を伸ばし切った手の指先が触れる。軽く、撫でるよう弾く。ミリ単位で狂いのない精密なタッチは、回転(スパイラル)乱れ(ブレ)たボールの姿勢を直す。まるで、刀身に滑らせる曲独楽を思わせる、極まった繊細さ。そのままこちらへ掬い寄せたボールを(しか)と掴む。

 

(鬼カバー力を見せつけてくれたな、長門の野郎……間違いなく、キャッチの才能がある。認めたくないけど、俺と同等くらいには……!)

 

 その神業ともいえる刹那(0.1秒)修正(カバー)を捉えられたのは、観客の中に何人いたことか。

 

 兎にも角にも、『妖刀』は、その『魔弾(パス)』を片手捕り(ワンハンドキャッチ)した、という光景がそこにはあった。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門デビルバッツ、パス成功! 『孤高のセンター』のトリックプレイからの長門選手のスーパープレイが炸裂! ゴールラインまで残り僅かのところまで迫ったぞ!』

 

 

 すごい、と小早川セナはつくづく感嘆する。

 ゴールラインに近づくほど、守備範囲は狭まり、その分だけ厚みが増す。攻撃側はその分だけ不利となるのだ。

 だけど、そうはならない。フィールドは変わっていく。こちらの有利となるように作り替えられた。

 モン太と長門(ふたり)の存在に、左右に広く守備が引っ張られている。前進する以上の、2発の“布石(パス)”の戦果だ。

 

「さ~て、楽しいクイズの時間だ。次は何すっと思う? 今度こそ(エサ)か、はたまた3連続で(パス)かどっちのカードを出そうっかなァ?」

 

 右側の二人だけの独立分隊(ウィークサイド)へ、守備の意識が割かれている。最初はこちらの攻撃本隊(ストロングサイド)に寄っていたのに、無視できない存在感を放っていた。無視すれば、痛い目を見るのだと実績を積まされたのだ。

 

「よし決めた。パスだ。腕の調子もいいし、一発タッチダウンを狙って」

 

 

 ――会話(あおり)の途中で、ボールが放られた。

   スナッパー(ながと)の真後ろに立つ、司令塔(ひるま)へではないが。

 

 

「長門が斜め後ろへ無理矢理投げて!?」

小早川セナ(アイシールド21)へダイレクトスナップ……!!」

 

 

 散々煽り立てておきながら、無視(スルー)された。

 

 

 

「な!?」

 

 甲斐谷陸は驚く。

 光速のランが炸裂す()る、と思った甲斐谷陸だったが、フィールドではその想定に反することが行われた。

 セナが走り出すことなく、脇に抱え込むはずのボールを掲げたのだ。

 

「まさか、セナがパスを投げるのか!?」

 

 ボールを右手を構えるそれは、パスを投じるためのものだ。

 これまでの泥門の試合でそのようなプレイは一度として見たことがない。そもそもあのセナにパスができるのか? あの幼馴染はあまりそう器用な方ではないし、肩も強くないはずだが。

 それに発射台であるセナが向いている右側にはパスターゲットのレシーバーはいない――

 

 

 

「! そうか、長門か! ヒル魔を守る必要がない以上は、ラインとして束縛される理由がない!」

 

 筧駿は、目を瞠った。小早川セナが向く方角にいるのは、泥門最強のエース。つい先ほども知らしめただけに印象が強いが、そのキャッチ力は関東四強レシーバーを上回るだろう攻撃の鬼がいる。

 そして、小早川セナへボールが渡ったということは、後ろのヒル魔はもうお役御免で、発射台としても囮としても機能しない、翻っては、守る必要がなく、自由に動けるのだ。

 右腕を怪我したヒル魔のブレ球(パス)対応(カバー)して見せた長門ならば、小早川セナのパスも王城の厳しい守備に遭いながらでも捕れるだろう。

 先程のように目前の大田原を躱し、長門が前へ飛び出す。小早川セナへボールが渡り、ランを強く意識した直後の王城の守備にとっては、騙し討ちにも等しい作戦(アサインメント)――

 

 

 

「これ以上好き勝手はさせんぞ、泥門!!」

 

 ディフェンスに走った動揺を鎮める主将の一喝。

 ボールをスナップするや飛び出した長門を、大田原誠の右腕が遮る。

 目前にいた相手を逃すような失態は二度としない。カットを切った長門だったが、大きく長い剛腕から逃れるには足りなかった。

 重装歩兵が振るうモーニングスターが『妖刀』に巻き付く。

 

「長門の相手は俺に任せろ!!」

 

 まだ片手だけ、片手間の拘束ならば強引にでも破ろうとした長門だったが、その五指は外れない。剥がれない。離さない。無理な捕縛に体勢を崩し、膝を地面に擦る。その巨漢を揺さぶるほどの馬力であっても、突破は許さない。

 そんな泥臭いやり方に、チームはどう応えるか。

 

「雷門は任せろ!」

 

 もう一人の要警戒対象(パスターゲット)は、井口が徹底マーク。

 主将の奮戦を見て、格好つけなんて余計な考えなど微塵も思い浮かばない。それにどんな状態であろうと油断できない強敵と認めた相手だ。

 

「ランだ! アイシールド21のランで来るぞ!」

 

 パスは、ない。

 ここに、守備の意思は統一された。

 二発の布石に幅を取らざるを得なかった守備範囲が、中央に密集する。やはり最後はランで来る。泥門デビルバッツが、この最後の詰めで頼りとしたのは、アイシールド21だ――

 

 

 

「ああ、そうだ。俺の相手はあなただ、大田原誠」

 

 自身も、パスターゲットとして揺さぶりをかけておきたかったが、それよりも果たすべき役目はこの漢の相手だ。

 “本命”は他にいる。

 

 

 ~~~

 

 

「ケケケケケ!」

 

 

 ~~~

 

 

 アイシールド21が見せた、パスのフェイント。

 しかし、パスターゲットは抑えられた。そのポーズは何の意味もない。折角の爆弾も火が点く心配がなければ恐れる必要がないのだ。

 

「パスターゲットに使えるのが、糞サルと糞カタナ――だけじゃねーだろ」

 

 とそんな『その札を出すはずがない』と思われた瞬間を何よりの好機とし、嬉々として不発弾に火を点ける男がここに一人。

 

 

「ヒル魔が上がってきてやがるぞ!?!?」

 

 

 セナが向いた先に、まったくのノーマーク、フリーとなったパスターゲットがいた。

 

 ヒル魔妖一。

 先程、ラインマンかと思いきやレシーバーだった長門のように、パスを投げるクォーターバックである彼が、レシーバーになっているのか。

 

 いや、違う。

 高見は、騙されない。これはハッタリ。ヒル魔をレシーバーとして起用するにはあまりにリスクが大きい。

 しかし、この土壇場でこれに揺さぶられずにいられるのか。

 ヒル魔は何をしでかすかわからない存在だと浸透し(しんじ)切っているからこそ、何もできなかったとしても囮になるのだ。

 

 

「ドフリーだ!(「無視しろ!) とっととパスをよこせ、糞チビ!!」(ヒル魔は囮だ! パスはない!」)

 

 

 ベンチから高見が叫ぶのとほぼ同時に被せるヒル魔のアピール。

 相手にとって都合の悪い手をすかさずに打てる、心理戦の悪魔。信頼度では当然高見が上であっても、実際に近くにいるのは同じフィールドに立つヒル魔の方だ。

 指揮官の言葉が完全に届かなかった王城の守備は、見逃してしまったパスターゲット(ひるまよういち)の独走を把握して、この状況下でパスが成功すれば、確実にタッチダウンを奪われることを直感してしまった。

 

 迷いが、生じた。

 小早川セナが、走り出す前に挟んだ、ほんの一動作、ボールを掲げて、右へ視線を振る、そのフェイントが効果を発揮し、鉄壁と謳われたディフェンスの意識に、亀裂が走った。

 

 ――ランか? パスか?

 ――ランだ!

 ――いや、パスか?

 ――やはり、ランしかない!

 ――まさか、パス!?

 

 プレイ前に両サイドを警戒し、左右に引っ張られて、張り詰めていた糸のような状況が、徹底的に揺さぶられた果てのこの不意打ちが止めとなり、プッツンと切れた。

 更にそのタイミングで、爆発。

 

 

「ふんぬらばァアア!!」

「ふぐっ!?」「んなっ!?」「ぐっ!?」

 

 

 長門村正がスナッパーとなる利点がもう一つ。

 泥門デビルバッツのセンター、栗田良寛が両拳を地面に着いた『4ポイントスタンス』が取れること。

 ボールを手離しているからこそできる、全体重を前にかけたブチ破り専門の構え。両腕に溜め込んだパワーを一気に爆発させる破壊力は、二人がかりで阻んでいた王城のライン、猪狩と渡辺をまとめて吹き飛ばした。

 腕一本で一人相手取っても尚も止まらぬ重戦士。二人が押される様にラインバッカーの薬丸が急ぎフォローに入って猪狩と渡辺の背中を支えたが、まったくものともしない。

 3人まとめて粉砕した栗田が大きく開けた活路。眩い走路(デイライト)がより一層光り輝いた瞬間、ついに時代最強走者(アイシールド21)が切り込んだ。

 

 

 ~~~

 

 

 すごい。

 本当にすごい。

 アメリカンフットボールは、作戦がパワーを爆発させる。

 難攻不落の城塞をもその手腕と皆の奮闘は、破壊してみせた。

 

 ――いける!

 

 試合終盤だが、ここまで温存してきた脚は、全速で駆け抜けられる。

 左右に揺さぶられ、大きく中央に風穴を開けられた今の王城の守備では、包囲網が完成し切れない。

 ――しかし、最終防衛線には絶対の守護神が待ち構える

 

 

 

「見定めさせてもらうよ、セナ君。“アイシールド21”を背負った選手(もの)ならば、同じ相手に負けっ放しなのは認められない」

 

 大和猛が見据えるのは、時代最強ランナー(アイシールド21)の疾走と、そこに唯一迫った高校最強のアメリカンフットボールプレイヤーとの対決。

 

 

 

 必ず来る、と思っていた。

 小早川セナ。彗星のように現れ、闘う度に進化してきた。

 この最大の好機に、全てを費やして己に挑んでくる強敵手に、これまでになく進清十郎は猛る。

 

 セナも覚る。

 温存してきたこちらとは違って、長門とぶつかってきた進の方が損耗が大きいはずなのに、全く衰えを感じさせない。むしろ、試合開始時以上にベストコンディション。

 闘争する相手に恵まれなかった怪物は、この試合の最中に己の力をさらに高めつつある。

 

 

「来い、アイシールド21!」

 

 

 ~~~

 

 

 プレイ前に長門君は、言う。

 

『……桜庭春人とのパスプレイを最後の仕上げとしたかったせいで隙があった高見伊知郎のことを言えないが、それなりにその“背番号(21)”にはこだわりがある。

 “大和猛(アイシールド21)に勝つ”ことを目標としてきた俺にとっては、それを背負うに足る選手でなければ、そのアイシールドを付けることさえ認め難いし――俺は俺自身を誰よりもその称号に相応しくないと自覚している』

 

 これまでの試合、何度も進さんに阻まれてきた。

 本物のアイシールド21……大和君の幼馴染で、ライバルの長門君にとっては偽物だと知ってはいても、そんな無様を見せられるのは不快だったのではないだろうか。

 不安に、なる。

 この今でも、進さんに勝つための活路を見出せないでいる僕は、ついには長門君に見限られてしまうのではないか。ここまで“温存”ということでほとんど攻撃時に走らされてこなかったけれど、本当は進さんには勝てないと見切りを付けられていたことが理由だったら、って。

 

 

『ここまで、セナの走りを最大限活かせるよう試合運びをしてきた。まあ、言わせたところもあるんだろうが、それでもアイシールド21を背負ったお前が、進清十郎に勝つと宣言をしたのならば、それを全力で支援するまでだ』

 

 

 そんなマイナス思考に陥りかけた僕の目を、アイシールド越しに見透かしながら長門君は、言う。

 

 

『そうしてきた理由はすべて、お前はもう“本物”だからだ。この世界(アメフト)へ来たばかりで先導してきた頃のルーキーじゃない。アイシールド21にはなれない俺の走りなんざ抜いて、進清十郎に勝ってこい。これが小早川セナ流のアイシールド21の走りだと、この会場のどこかにいる猛にも見せつけてこい』

 

 

 ~~~

 

 

 ――自ら困難に向かう脚が、熱い。

 

 進さんが、待っている。

 対等に戦うべき強敵手として。

 

 ――力強く押された背中が、熱い。

 

 長門君が、断言した。

 本物と認めたエースだと。

 

 ――心臓の中にある何かが、燃えている。

 

 この試合でやっとわかったことがある。

 アメフト選手は、フィールドに立ったら、“勝てるかも”、なんて口にしないんだ。

 自信なんてなくたって、胸を張って言わなくちゃいけない。

 そう、僕は21番の背番号をつけたユニフォームで、アイシールドをつけている……時代の最強ランナーだけが名乗る証――『アイシールド21』として、ここにいる以上は、ビビってなんかいられないんだ。

 

 ――だから、吼えろ!

 

 

 

 瀧鈴音は、見つめていた。

 普段は私にも遠慮がちな小心者が、最強の相手に挑みに行くのを。

 

 ダメ。

 盛り上げ隊長のクセに震えて、喉から声が思うように出ない。

 泥門デビルバッツのチアを任されてから、初めての敗戦は、地区大会決勝。

 そして、この関東大会決勝で、またも王城ホワイトナイツと対決する。皆はこれをリベンジするにうってつけだと言っていたけど、私は状況が重なってしまうことに嫌な予感を覚えてしまった。

 怖かったのだ。また、負けてしまうんじゃないかって。

 試合が始まってからも一進一退でずっとハラハラして、途中で妖兄も離脱しちゃって大変で、それでも皆は決して諦めないで闘い続けている。

 それを一番に励ましていかなくちゃいけないのに、どうしても過去のトラウマが過ってしまう。

 盛り上げ隊長なのに立っているのが精いっぱいで、震えるのが我慢できない。そんな、目を離しそうになる時だった。

 

 

 

「勝つのは、僕だ……!」

 

 

 

 セナが、吼えた……!?

 あのセナが。女子(わたし)にもオドオドと気を遣う小心者(ビビリ)のセナが、あんなにも猛々しく、感情を剝き出しにしている。

 普段の姿からは想像もできない勇ましさで、だからこそ、セナが魅せるその走りは何よりも勇気づける。

 こんなの贔屓目になってしまうんだろうけど、私の目には誰よりも格好よく映る。

 意気消沈してるなんて、やっぱりらしくない……!

 

 

 

「行っけえええええ セナーーーー!!」

 

 

 

 そして、チアリーダーは胸いっぱいに息を吸い込んで、ヒーローに負けじと大声でエールを送った。

 この日一番の鈴音の声援が響いたタイミングで、待ち望んだ舞台へ踏み込んだ。

 

 

 ~~~

 

 

「もう一度、止めてや――っ!?」

 

 多重に増えた(ブレた)幽霊(ゴースト)に、一気に迫れた。

 視界を埋め尽くすほどの、接近――を幻視した。

 

 

「二度とあんな油断(ミス)はしない! 誰が相手だろうと全力で抜く! 僕が、“本物のアイシールド21”だ……!!」

 

 

 どれもが“本物”に見えてしまう。

 包囲網が未完成ながらも、果敢にひとり前に立ちはだかった角屋敷は、棒立ちのまま抜かされた。

 『トライデントタックル』のグーステップを踏む直前で、硬直してしまったのだ。光速の走りにその隙は致命的で、最小限の、半歩分のカットでその指先が掠ることも敵わずに抜き去られた。

 

 その光景を目撃した進は目を瞠る。

 

 また、一段と成長した。

 体力や技術の話ではなく、精神面で。

 

 真っ向から迫って来る走りに、迸る圧を覚える。

 角屋敷の守備を止めた、怯ませた正体は、これまでの小早川セナにはなく、長門村正にあった、闘争本能だ。

 一種の気当たり。相手を怯ませるほどの凄みが足りなかった。それを必要とするまでもなく、光速の走りは他を寄せ付けなかったが、迫力が備わった今、そのフェイントはより実像に近くなり、キレ味が増している。

 “闘争”を内包した“逃走”。

 長門と比較すれば強度は劣るが、普段のギャップがある分、その迫力は同程度か。根幹にまで根付いた逃走本能と掛け合わせ、昇華させた小早川セナの『闘走本能』。

 

 

 しかし、進清十郎に揺さぶりは通用しない。

 透き通ったその視界には、目標の筋骨格の動きのみを捉える。精神性に変化があったところで、それを無視できる。

 

 

 それを直感的にセナも覚っている。

 何故なら、数多に枝分かれした光り輝く道筋が、その男を境に途絶える。全ての攻め手を突き穿つ守護神。

 眼前には、活路がない。

 

 ――だけど、道はある。

   たった一ヵ所。

   進さんにも止められないルートが――

 

 

 

『序盤、糞カタナの後ろについていって、プレーをよーく見ておけ。ヤツはランの手本にはちょうどいい』

 

 

 

 春の地区大会で、ヒル魔さんが指示した言葉。

 アメリカンフットボールの走りとして見本とした、僕の前を先導した長門君の走りは、今だって忘れていない。

 

 

 ~~~

 

 

 ――時間が、戻った。

 

 

 ~~~

 

 

 グーステップを踏み切る直前の、出来事。

 アイシールド21との間合いが、1秒前の地点にある。

 

 ――180度後方に下がる、カットバックだ。

 

 40ヤード走4秒2の光速で間合いを詰めてきた直後、姿勢を変えずに、一歩後退する。

 それも守備がタックルを仕掛けるその瞬間、光速で離れるのだ。間合いを違えさせられた相手に、光速のスピードは捉えられない。

 ――アイシールド21よりも速くない限り、はだが。

 

 

 

「ダメだ、セナ! そのルートでは通用しない……!」

 

 甲斐谷陸が叫んだ。

 それは、準決勝で陸が行った『ロデオドライブ・スタンピード』と同じ、ランの最高奥義。

 だけど、それは通用しない。進清十郎はその最高奥義を真っ向から打ち破っている。

 

 

 

「『トライデントタックル』は、光速を超える……!」

 

 セナが光速で後退しても、進清十郎は、光速を超える超加速で離れた間合いを詰めてくる。

 追いつく。進が相手でなければ、躱せたはずの走りだったが、逃げられない。己以上のスピードで圧倒されるセナ――の――姿が――ブレ、た。

 

 

 

 陸や長門君の(教わった)走りだけでは、躱せない。

 進さんのタックルは、40ヤード4秒2の光速を超えてくる。

 そんな進さんに真っ向勝負から勝つには、もっと疾く動くしかない……!

 

 右足が、左足より左に着地するや、今度は左足が右足より右に着地。

 ジグザクに脚を交差しながらも縺れることなく、精確かつ機敏に切り返し続ける。

 

 

 ――三叉槍が捉えるはずの目標が、左右に分裂し、三つとなる。

 

 

 もっともっと僕の武器を活かすんだ……!

 10年間、毎日走って、毎日人ごみ抜けて、ずっと鍛え続けてきたこの足捌きをやり通す……!

 

 

 ――別れた分身(ゴースト)は、更に揺らいで増殖する。

 

 

 刹那の世界の中で、進清十郎は目前の事態を看破していた。

 人間の限界40ヤード4秒2、光速のクロスオーバーステップ――これをバックしながら実行している。

 

(後退しながら、『デビルバットゴースト』を……!)

 

 まさに神業と驚嘆する他ない。

 光速を超えることを目指した進の走りに対し、小早川セナはより自在に光速のスピードを使いこなしている。進ではああも激しく小刻みにステップを踏む、ましてやあんな後ろに下がりながらなんて真似は到底できない。そう、この疾走は身軽であることを長所とした小早川セナに許された究極奥義だ。

 

 それでも、捉えて見せる……!

 三叉槍に左右へ逃げ道は、ない。あそこまで機敏にはなれないにしても、進清十郎の『光速トライデントタックル・廻』は()()()()()()()()()()()()()

 透き通った視界は、己の強敵手を決して見逃さなかった。相手の重心・筋骨格の動きから割り出した0.1秒先の行動予測地点に右手を――全身を伸ばす。

 

 

(捉えた! これで終わりだ、アイシールド21!)

 

 

 捩じり突き出した三叉槍が、分身に撹乱させたその本体に刺さった。

 確かな、感触。間違いなく、小早川セナの右肩を捉えた――

 

 

 ――勝つ。

 

 

 はず、なのに――

 

 

 ――勝つ!! “スピード”で……!!

 

 

 ぐるん、と廻る。

 回転扉を押したように、当たった感覚が抜ける。違う。紙一重で躱されている。120%の超加速のタックルが衝突する直前に為したのは、同じく120%に超加速した回転抜き。進の右手が掴んだのは、0.1秒前の過去を映した残像だった。

 

 

 ――進さんに全部ぶつけるんだ! 僕の10年と、この全力で走り抜けた半年も全部……!

 

 

 ステップばかりに注視してしまったが、小早川セナは後逸しながらも上半身を捩じっ(ちからをため)ていた。

 逃げながらも、全身の力を絞り込む、小早川セナの“闘走”。

 逆回転の捩じりを解放させたときの弾けた『デビルライトハリケーンA(アクセル)』の回転速度は、瞬間的に光速を超える。同じ超高速で間合いを外された以上、捉えることは敵わず。

 

 

『な、なんとっ! 光を時空を捩じる四次元の走り! が転じて更に竜巻となった――』

 

 

 

 ――『D(デビル)4(フォース)D(ディメンション)ハリケーン』!!

 

 

 

 時間を後方へ巻き戻す最中にも360度全て縦横無尽にゴースト分裂しながら、最後は超加速の回転抜き(スピン)

 抜き去った高校最速の守護神を置き去りとし、そのまま一気に駆け抜け――

 

 

『タッチダーーーゥン!!!』

 

 

 ~~~

 

 

『泥門デビルバッツ、ボーナスゲームで武蔵君のキックが決まり、30-20! 残り時間ももう残り僅か! これが決勝点となるのかーー!』

 

 走りで、負けた。

 一度目は、追いつけない速さに。そして、今回は追いすがれない疾さに。

 40ヤード走4秒2……そんな記録上の数値では計り知れないアイシールド21(小早川セナ)の“走り(スピード)”に、先を行かれた。

 長門にも、要所要所で上を行かれている。

 このまま試合が決すれば、“パーフェクトプレイヤー”、“高校最速のアメリカンフットボールプレイヤー”という称号は剥奪されるだろう。

 

 しかし、そんなのはどうでもいい。

 個人の成績に拘泥している場合ではないし、頭にない。

 重要なのはこの決戦を制することのみ。

 

 

「まだ、試合は終わっていない。残り2分で、10点差……だが、ここまで泥門は確実に消耗している。優勢で保っている士気が途切れれば脱落者が出るだろう。追いつけば必ず十分逆転できる」

 

 冷徹な指揮官は、試合を諦めていない。

 そう、厳格な指導者に徹底して鍛えられた王城の騎士団は試合を投げ出すような輩は一人もいない。

 

 

 ~~~

 

 

 序盤は本のように、中盤は奇術師のように、終盤は機械のように指す。

 

 盤上遊戯(チェス)の格言のひとつ。

 フィールドは、終盤で、詰み筋は、見えている。

 ただし、それは駒一つの犠牲(サクリファイス)を許容しなければならない、が……

 

 超攻撃的なチェスが持ち味で、プロを目指して日本から世界進出したはずのとある男は、本場との激しいレベル差に受け身一方のスタイルへと転換し、ほとんど勝利できないまま帰国して引退した。

 『俺はやるだけやった』と言いながら、何も為せなかった男のようにはならない。

 

 

「まだ、1%でも負ける確率がある以上、確実に、ここで勝ち目を摘みに行く」

 

 

 死んでも全国大会決勝に行く、と己に(ちか)ったからには。

 

 

 ~~~

 

 

 フォーメーションについた王城ホワイトナイツの攻撃陣の中核である高見伊知郎の、真正面に相対する泥門デビルバッツの守備戦術。

 

「『クォーターバック・スパイ』か……!!」

 

 そして、投手の一挙手一投足を見張るそのポジションについているのは、不敵に笑う悪魔。ヒル魔妖一。

 

 

「ンハッ! 面白れ!」

「ヒル魔VS高見――トリックスターと軍師の頭脳対決だ……!!」

 

 

 何が、狙いだ。

 ヒル魔は、右腕が使えない、はず。守備では役に立たない、はずだ

 ヒル魔の怪我については確定として扱うと高見さんが決めたのだ。

 だから、あんな揺さぶりを仕掛けたところで、何の効果はない……!

 

「ケケケ」

「!」

 

 悪魔の巨像(虚像)が、こちらに視線を向ける。こちらの手の内を見透かすように笑ってくる。

 それだけで、ぴくん、と猫山は反応してしまった。

 

「落ち着け、猫山。攻めるのは我々だ」

「高見さん……」

 

 動揺を消し切れない自分に対し歯軋りする猫山だったが、しかし、彼の前に立つ背中は漣ひとつも動じない。

 むしろ、こちらには都合が良い。守備が一人案山子も同然。泥門には進と同格の長門がいるが、ヒル魔という穴をフォローするのにその守備範囲が制限される。

 つまりは、ヒル魔のアレは、自らの首を絞める愚策であり、そして、こちらはそのような挑発に乗る理由はない。

 そもそも、王城は泥門が何をしてこようと一切の躊躇はしない。

 

 

「“ハートのキング”! ――」「――“千石サムライズ543”!」

 

 

 高見が『ノーハドル』で作戦指示を出すや否や、ヒル魔もまた何かを被せた。

 

 何を――と疑問を抱きかけたが、直感的に理解した。

 だが、それの理解は受け入れがたい。これは単なるヒル魔流の心理戦(ハッタリ)だと言い聞かせて、中断したコールを唱える。

 

「SET! HUTHUTHUT――」

 

 大田原からスナップされたボールを受け取った高見は即座に構え――

 

 

 ~~~

 

 

 ――『ツインタワー剛弓』が放たれた(妖刀の狙い澄ました一振りが斬った)

 

 

 ~~~

 

 

「“クローバーのエース”! ――」「――“柱谷ディアーズ781”!」

 

 

 ~~~

 

 

 ――進を囮に、猫山を逆サイドへ走らせた(回り込んでいたアイシールド21に捕まった)

 

 

 ~~~

 

 

『王城ホワイトナイツ、連続で攻撃失敗!? まるでプレイを読んでいるかのような泥門デビルバッツの守備ですが、これは偶然かそれとも意図したものなのかー!?』

 

 

 こちらが一手を打ってから、間髪入れずの早指し。

 『ノーハドル』で指示するのに対して、泥門も『ノーハドル』で指示して相殺している。正確には、王城の作戦暗号(コード)を、泥門の作戦暗号(コード)へと即座に翻訳して、チームに伝達しているといった方が正しい。

 

 陣形から相手の手の内を暴くことはできる。

 だが、それはクセを消していない3流のチーム相手に通用するものだ。

 この関東大会に出場している全チームに簡単に読まれるようなクセなどないが……

 

(だが、現実として読まれている。これを単なる偶然と片付けるには危険だ)

 

 作戦暗号(コード)が、解読されたのか?

 いいや、それはない。新生王城が『ノーハドル』で攻めたのは、この決勝戦が最初だ。それを断定するには、まだ判断材料(プレイ回数)が足りないはずだ。

 更に念を入れて、対処している。

 作戦暗号には、“作戦の種類”と、プレイスタートのタイミングを示し合わせる“スナップカウント”の情報が含まれているとされている。

 だが、高見が考案した作戦暗号が伝達するのは、“作戦の種類”のみ。

 だから、“HUTの掛け声が何度目にプレイ開始(スナップカウント)”の情報まで解析しようとすれば、ドツボに嵌まることになる。

 そう、“スナップカウント”について出しているのは、高見ではなく、ベンチサイドからで――

 

(どうする? 作戦暗号を変更するか? いや、ダメだ。そのような真似をすれば、答え合わせしているのも同然だ。ヒル魔に確定だと見なされる。それに、ここでタイムを使えば、助かるのは泥門の方だ。疲弊しているうちに一気に攻め立てなければ間に合わなくなる)

 

 作戦が読まれていることを前提に強引にでも攻めるか、それとも慎重を期して立て直しをするか。

 だが、今の状況で後者を選択できる余裕がない以上は、選択肢はひとつ――

 

 

 ~~~

 

 

 『クォーターバック・スパイ』のポジションについた目的は、王城を観察するため。

 無論、王城ホワイトナイツに簡単に見破れるようなクセなんてないが、ないわけでもない。

 高見や進といった連中は、ハッタリを吹っ掛けたところで漣ひとつとておくびに出さないが、経験の浅い一年生らは、大舞台で追い詰められた接戦で、消し切っているはずの癖も焦りにつれて顔を出してくる。

 

 それに加えて、相手の指揮官と思考や性格が似通っている点が大きい。

 

『狡くて諦めの悪いトコが俺とそっくりな奴だからなァ。糞メガネが王城のコマをどう扱ってくるのか、その打ち筋を80%くらいはトレースできる』

 

 ヒル魔妖一は、作戦暗号を完全に解読しているわけではないし、その必要がない。

 有体に言えば、 高見伊知郎がこの局面で場に出す札を、ヒル魔妖一も思い付くことができる。

 カードゲームで、どんなデッキを組んでいようと、実際に作戦(カード)を切るかの選択は指揮官(たかみ)に一任されている。

 作戦会議が0秒だろうと、戦術理論は変わらない。

 ベンチ裏に下がっていた時に試合映像を研究していたのは、その輪郭の解像度を99%にまで高めるための作業だ。

 

『ねぇ、ヒル魔君、“スナップカウント”だけど、ベンチサイドの若菜さんが抱えてるタオルの数がそうじゃないかしら?』

 

 ちなみに、“スナップカウント”のサインについては、同じく試合映像を見ていたマネージャーの姉崎まもりが発見した。

 同じマネージャーだからこその視点で、奇しくも、そのあたりも同じ発想だったことが幸運だった。

 

(タイムは取らねーようだが、どうする糞メガネ。このままじゃ、99%、詰むぞ)

 

 100%の再現ができないが、遊び球が投げられない配球となれば、ある程度方向性は定まっており、更に、直感的に敵全体の動きを察知し、こちらと思考をリンクできる長門を使い、攻め手を限定させていた。

 この状況であれば、ヒル魔は王城(たかみ)の作戦を即座に見破れる自信があるし、もうこの二度のプレイで十二分に“呪い”は植え付けられた。

 

 

 ~~~

 

 

(あの桜庭先輩の相棒、インテリMAXな高見先輩の作戦を続けてドンピシャで的中させてる……!)

(右腕が使えなくたって、ヒル魔さんには、ハッタリとペテンという武器がある……!)

(さっきは散々向こうのペースで振り回された王城の速攻を阻んでやがる……!)

 

 もはやここまでくれば、読みが外れても関係がない。

 高見の唱える『ノーハドル』にヒル魔が言霊を打ち込むだけで王城は動揺する。いやらしいことに、ヒル魔も『ノーハドル』の作戦暗号(コード)で伝達しているのだから、王城はこちらの動きが読めない。“読まれているのではないか”と不安を抱えれば、プレイに集中できずに精彩を欠くだろう。

 このままでいけば、勝てる、と沸々とした希望を持ち始めるチームメイトの雰囲気で、不意に思い返す。

 

 東西交流戦。

 勝てたはずの試合を取りこぼした逆転劇で、己は何を見せつけられた。

 全ての始まりで、全ての頂点たる帝黒学園を打ち破るに必要不可欠なものは一体何だったか。それは東京地区代表にはなかったもののはずだ。

 そこに考え至った長門は、無意識に呟く。

 

「……このままいけば、勝てなくなる」

 

 

 ~~~

 

 

「……“ダイヤの8”! ――」「――“NASAエイリアンズ835”!」

 

 小休止(タイム)を挟まず、果断に作戦を続行する。

 冷徹な指揮官の戦術を、悪魔の指揮官は即断で種明かしした。

 

 ――『射手座(サジタリウス)』。

   王城の二枚看板(エース)を集中させて突撃させるパスプレイ。

   持ちうる作戦(カード)の中で、最強の火力を誇る『射手座』による強行突破。

 

 だが、それもプレイ開始前からわかっていれば、止められないわけではない。必殺の『射手座』を切り落とした『妖刀』があるのだ。

 

 

「SET! HUT! HUT!」

 

 ――関係ない……!

 

 プレイ開始するや全力で飛び出す桜庭。マークについたモン太を一気に振り抜き、前に出る。それに進も続く。

 

 

「進の『巨大弓』に、桜庭の『ツインタワー剛弓』――王城最強の『射手座』だ!」

 

 

 一度は破られたが、二度はない。

 進とのタッグで、高見さんとのコンビプレイは、絶対。たとえ読まれていようが決めるからこそ必殺技だ。

 2回連続で攻撃失敗して泥門に傾いた試合の流れを、ここで一気に奪い返す。それこそが、エースの役目だ。

 

 

「は? 逆サイドに――あの鈍足の高見が自分でボールを持ってラン!?」

 

 

 え――

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔。

 俺とお前は同類だ。

 どれだけ努力してもあの進や桜庭のような花形(エース)にはなれない。

 だからこそ、どんな精緻な策を弄してきたし、少しでも勝ちに繋がるのならどんな非情な手段もこなしてみせよう。

 

 

『これは、高見君、自らボールを持って、『キューピードロー』だ――!』

 

 

 予想外の、事態だろう。

 敵だけでなく、味方さえも欺いたのだ。あの『ノーハドル』は間違いなく『射手座』を支持していたものだったが、高見は独断でプレイを切り替えた。

 桜庭と進の二枚看板を繰り出せば、それに呼応せざるを得ない泥門も戦力を集中させて守りを固める。

 そうして、手薄となった守備陣を独走する――

 

 

『! なんと、会場の全員の予想を裏切る高見君のプレイを読み切ったかのように、ヒル魔君が回り込んでいたー!』

 

 

 読んで、いた……!

 乾坤一擲の策に、ヒル魔妖一は反応していた。

 ヒル魔が読んでいたのは王城の作戦ではなく、高見の思考。であれば、この独断決行も想定内だった。

 

 

「ああ、信じていたよ。ヒル魔なら、俺の考え付いた策を見破ることを」

 

 

 高見は、逃げず。

 立ちはだかるヒル魔に、全速で向かっていく。

 

 

「マズい! 高見の狙いは、ヒル魔だ!」

 

 溝六は叫んだが、もう遅い。

 意表を突かなければ、スピードで劣る高見を捕まえることはできるだろうが、今のヒル魔の腕で、体当たりを受けきることはできるのか。

 否だ。

 読み合い(ハッタリ)も糞もない、指揮官同士の泥仕合でもって、悪魔の()像を再起不能にする。

 

 

脚の速さ(スピード)では負けるが、腕力ならばこちらが上だ」

 

 

 ヒル魔妖一、身長176cm、体重67kg、ベンチプレス75kg。

 対し、高見伊知郎、身長192cm、体重79kg、ベンチプレス85kg。

 力勝負となれば高見に軍配があがるだろう。右腕が使い物にならない以上は猶更で、だから、この土俵にヒル魔はあがってはならなかった。

 

 アメリカンフットボールは、球技であり、格闘技。

 敵を破壊することも作戦の一つとして認められる。

 それが怪我人だろうが、変わらない。

 反則によって負わせた怪我で、王城ホワイトナイツにとっても負い目のある負傷であっても、冷徹な指揮官は容赦なく、チームの勝利こそを最優先とする。

 その後、『怪我人を追い打ちした』などと後ろ指をさされることとなろうが、己の名誉が地に堕ちることとなろうが一顧だにせず――

 

「王城の勝利に、君は邪魔だ、ヒル魔! 力ずくでもここで排除させてもらう!」

 

 ヒル魔は、逃げない。

 逃げられないのだ。ここで高見を素通りさせてしまえば、それで右腕の負傷は確定となり、守備として決定的な穴とされることになるのだから。王城にかけた“呪い”が半減してしまうからこそ、挑むしかない。

 

 高見は、逃げない。

 ヒル魔を直接相手取ることこそを望んだ独走だ。そして、これは至極厄介な泥門の頭脳を破壊するための、非情な策。

 投石機(カタパルト)を彷彿とさせる長い右腕を振り上げて、ヒル魔の右腕を目掛けて振り下ろす――!

 

 

 ~~~

 

 

「ケケケ、だから、テメーの考えは読めてんだよ、糞メガネ」

 

 

 ~~~

 

 

 勝利のために、怪我人だろうと破壊する――上等だ。

 ここは戦場だ。フィールドに立っているのであれば、骨を折られようが文句など言えない。

 そして、指揮官というチームの頭脳を潰せば、チーム力は確実に下げられるのだから、それを狙うのは至極当然のことなのだ。

 

 

 ――だから、ヒル魔(こちら)高見(それ)を狙った。

 

 

「むしろ、甘ぇんだよ、糞メガネ。誰がやろうが関係ねえ、ブチ潰せればいいんだよ……!!」

 

 汚れ仕事は自分で請け負おうとするからこそ、こうして誘き出せる。

 もし、相手が糞睫毛(マルコ)だったら、峨王(しん)を差し向けていただろう。

 しかし、冷徹な指揮官は、身内には甘い。後輩たちに反則の上塗りをするような真似をさせるだけの非情さはなかった。

 それを読んでいたヒル魔は、何もできない自身をエサとし、敵指揮官を処刑場(ここ)に誘き寄せた。

 

 

「オオオオオオオオオ!!!」

 

 

 身体の芯から震えが走る、咆哮。

 他の一切を無視して猛然と迫る、重圧。

 すぐにその正体を悟り、続いてこの窮地に気付く。

 ここは、『妖刀』の間合いに入った――すなわち死地だと。

 

(どうして、長門がこちらに来て――)

 

 高見の思考をトレースできたからこそ、ヒル魔はこの独走を読んでいた。

 それと同様に、空間認識能力、洞察力、アメフトIQ、それらを高度に兼ね備えた長門は本能的に一から全を悟る。相手選手の“起こり”からチーム全体の作戦行動から敵味方の配置まで先読みしてしまう。

 だから、指揮官の指示がなくてもプレイを読めるからこそ、敵味方を騙す『ノーハドル』を無視して、唯一独断で動けて、この局面に追いつけた。

 そう、両チームの指揮官に割って入れる、“3人目の指揮官”なのだ。

 

 自らの急所(みぎうで)を狙われながらも悪魔は笑い、同じく相手の投手の急所(みぎうで)を視線で示す。

 

 

「俺ごとぶった斬れ、糞カタナ!」


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