悪魔の妖刀   作:背番号88

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45話

 王城の基本的な守備戦術は、『ゾーンディフェンス』だ。

 特定の選手を1対1でマークする『マン・ツー・マンディフェンス』。

 『ゾーンディフェンス』は、特定の選手ではなく、特定の範囲をそれぞれに割り当てられており、そこに侵入してきた選手をカバーする。

 特定の選手だけをマークしないため、敵のフォーメーションや動きに釣られにくく、守備範囲が定められているため、味方同士の間隔などのバランスが保ちやすい。

 それにより、たとえひとりが抜かれても他の味方がフォローに入り易く、またカバーされていない穴ができ難いなどといった利点がある。

 更に、守備陣の連携が上手く取れていれば、個々の能力で劣っていても、格上の敵に複数人で当たり、これを抑えることができるだろう。

 王城ホワイトナイツの『ゾーンディフェンス』は、完璧に役割分担され、完璧な連携を取っている。

 

 それでも、王城は十二分に思い知った。

 

 『巨大弓』は抑えられたが、抑え切れてはいない。

 ディフェンスラインを突き破り、ディフェンスゾーンまで切り開かれたのだ。そう、5ヤードにも満たないが、前進はされている。

 進清十郎という絶対的な守護神がいなければ、タッチダウンを奪われていたかもしれない。

 どうしたって、意識せざるを得ない。長門村正という脅威を。

 白秋ダイナソーズと同じだ。

 峨王力也という原始時代の恐竜の如き暴力装置は、本能的に警戒し、守備陣形さえも変容させてしまう。

 『妖刀』もそれと同じ類のもの。

 

 今、王城の守備は、最初の布陣よりも中央に寄っていた。

 外側を手薄にしてでも、中央を厚くしなければ、マズいと。

 そう、たとえ高校最強のラインバッカーでも、高校最強のリードブロッカーと高校最速のランニングバックのタッグをまとめて相手取ることになれば。やられてしまうかもしれない、という危機感が王城陣営に漂ってしまっている。

 両陣営のパーフェクトプレイヤー同士の衝突で矛盾は相殺され、40ヤード4秒2の独走を許してしまうことは、想定した中で最も危惧していたことなのだ。

 その状況に追いやられないようにするためにも、どちらかは確実に抑えておかなければならない。

 

(しかし、それだとヒル魔の術中に嵌まりかねない。ヤツは勝つためならば、『妖刀(ながと)』を躊躇なく見せ札(おとり)にできる)

 

 長門村正という存在はただいるだけでその影響力は無視できない。

 警戒してしかるべき相手だが、意識し過ぎるあまりにペースを崩されては問題だ。そして、乱されたリズムの隙を狙い撃ってくる狡猾さが、ヒル魔妖一にはある。同類であるからこそ、重々に理解している。

 ベンチから俯瞰していた高見は客観的に敵の狙いを分析し、その旨をディフェンス陣、その中核を担う絶対的なエースへ伝えようとして……できなかった。

 

 進……口に出しかけていた声が詰まる。

 ドーム天井に届かんばかりの、体外に溢れて立ち昇る気を感じ取って。

 

「冷静な進が、あんなに闘志をむき出しにしてる……」

 

「ああ……奴は強敵と向き合うことで力を爆発させる男。そう、強敵(ライバル)との戦いを何よりも望んでいる……!」

 

 軍平監督は、フィールドを見たまま、指示は出さない。

 高見もまた監督の意図を理解する。

 相手だけでない、自陣の絶対的なエースの意思もまた、チームを動かす要因。

 エースレシーバーの雷門太郎を倒し、エースランニングバックの小早川セナ(アイシールド21)を倒し、そして、泥門デビルバッツの最強のカード(ジョーカー)たる長門村正をここで倒さんとする王城ホワイトナイツの大エース・進清十郎の意思に応じようとしているのだ。

 

 このプレイの如何で、序盤の流れが一気に傾く。そんな予感さえも覚える場面。

 ならば、彼らの士気に水を差してでも冷静に立ち直らせるべきか。

 春大会までならば、そうしただろう。

 

 だが、今は違う。

 

 王城は変わった。

 桜庭に『エレベストパス』、進が加わった『巨大弓』をオフェンスの主力とした王城は、既に守備だけのチームではない。

 攻撃に力を割いたが、無敵の守備力は落ちるどころか増していると自負がある。得点が期待できるようになった分だけ、リスクを背負った強気な守備姿勢が可能となり、新生王城として変革を果たしたのだ。

 受け身に回らず、相手を攻めて圧倒する守備こそ今の王城の在り方である。

 

「ああ、行け、進。お前が最強(No.1)だと証明してこい」

 

 ・

 ・

 ・

 

 ……と、高見伊知郎は自陣から視点を外し、敵陣を伺う。

 泥門は、進に向けられる闘志に委縮するどころか、こちらも負けじと燃え上がっていた。燃え上がり過ぎていた。

 

 

(デ、『Δ(デルタ)ダイナマイト』……!)

(進にブチかましてやんぜ! 『不良殺法』……!)

(『夏彦(プリンス)ジェントルハリケーン』!)

 

 

 端的に一言で表せば、大炎上。

 向こうの大半が、進を意識してしまっている。

 『わ……分かりやすすぎる。泥門の奴ら進のいる中央に思いっきり突っ込む気満々だ……!』と観客席から筧がそう突っ込んでしまうくらいにあからさまだ。

 

 バ、バレバレじゃないか……

 当然、高見も気づく。

 アレと比較すれば、自分たち王城は大分意識してるのを隠せているように思える。

 『巨大弓』による中央突破を仕掛けてくる気満々だ。

 もうここは自爆特攻とばかりに全員参加で突っ込んでくるかもしれないと思わせてくる。

 

 

「SET! HUT! HUT! ――HUT!」

 

 

 だからこそ、やる。

 ここで、意表を突くことに躊躇がないのがヒル魔妖一だった。

 

 

 ~~~

 

 

「向こうに付き合って正々堂々と勝負になんて付き合う理由がねぇ」

 

 アイシールド21が中央、ラインが正面衝突する激戦区へ駆け込む。

 だが、すれ違いざまにボールは渡されていなかった。

 十八番の、『渡したフリ(ハンドオフフェイク)』。

 進に対抗するチームメイトを隠れ蓑にしての、『キューピードロー』だ。

 スタコラと進のいる中央から離れて、大外へヒル魔は走る――

 

 

「オォラァアアアア――!!! 逃がすかよ、卑怯モンがァ――!!」

 

 

 狂犬が、迫る。

 ディフェンスラインで外側(サイド)を守る猪狩が、怒り露わな咆哮轟かせながら、ヒル魔を狙う。

 ベンチプレス130kg、40ヤード走5秒0の猪狩。

 ベンチプレス75kg、40ヤード走5秒1のヒル魔。

 パワーも、スピードも身体能力は猪狩がヒル魔に勝る。アメフトの経験では劣っているが、『プリズンチェーン』として喧嘩をしてきた実戦経験が豊富。真っ向からぶつかれば、確実に仕留める自信が猪狩にはあった。

 

「ケケケ、逃げる気はねぇよ。ここで真っ向からテメェを鮮やかに抜き去ってやるよ糞狂犬。本邦初公開の必殺ランでなァ!」

 

 

 ――『デビルライトハリケーンB』!!

 

 

 卑怯者(ひるま)が不敵な笑みのまま宣告してくる。

 猪狩の脳裏を巡るのは、その必殺技名に類似した、アイシールド21の走り。

 まるで闘牛士のように、タックルしてきた相手をスピンで躱して抜き去ったあのプレイ。もし本当にやるならば、ここで我武者羅に突っ込んではイイカモとならないか。

 

(はっ! そうはいくかよ! 進先輩にディフェンスの極意を教わってんだよ!)

 

 ランナーの脚や頭の動きに釣られるな。

 身体の中心線だけに集中しろ。

 

(そんで、自分よりもノロい相手ならこっちは先に動かず、極限まで引き付けてから、かかれ!)

 

 この一対一は、もはやチェーンデスマッチも同然。

 逃げられはしない。だから、冷静に、相手の出方を観察して、仕留める。そのふざけた笑みを大人しくしてやる。

 

 ――来た!

 

 猪狩の前でヒル魔がスピンムーブを決めにかかり――――こちらへ回った背中が向いたとき、抱えていたボールを後ろへ放った。

 

 

「は?」

 

 

 何だコイツ。

 誰もいないところへボールを投げやがった。

 こっちを散々おちょくっておきながら、ビビってボールを捨てたのか――

 

 

「違う、猪狩! ヒル魔じゃない!」

 

 

 高見の声。

 狂犬の中の本能の指針(センサー)がようやく振れる。

 

 

 猫の如く、足音をたてず、それは来た。

 

 

「長門だ! 長門を止めろ、猪狩!」

 

 

 ヒル魔のバックパス(Back pass)を、『無音走法(キャットラン)』で気配を殺して追走していた長門が拾う。

 

「プレイ中によくもまあ口が回る。毎度のことながらどこからそのハッタリは湧いてくるんだ、ヒル魔先輩」

 

「ハッタリじゃねぇよ、“俺が抜く”とは一言も言ってねぇからな。――テメェがぶち抜いてビビらせろ、糞カタナ!」

 

 ボールと一緒に無茶ぶりまで押しつけて、まったく後輩使いが荒い先輩だ。

 だがまあ、やれない命令(オーダー)ではない。中学時代、麻黄デビルバッツにされた『この試合、糞カタナはタッチフットのルールだ』という無茶苦茶な制限よりずっとマシだ。

 

 ヒル魔の挑発に引っ掛かり、猪狩は対応が遅れている。

 それは、『妖刀』に対しては、十分過ぎるほど致命的(すき)だった。

 

「!!?」

 

 猪狩が身構えた、時には既に、音もなく、目前にまで迫られていた。

 ドンッ!! と足元が震える。『無音走法』を直前で切り替えての、強い踏み込み。これは、来る。思いっきり、ぶつかって来る!

 

 この長門(やろう)は、アイシールド21とは違って、パワーラン(ブチかまし)を仕掛けてくるヤツだ。

 

 本能のままに、咄嗟に、我武者羅に、腕を振るう。逃げるか。逃げてたまるかと対抗心をむき出しにして――――空振り。

 するり、とすり抜けられた。

 

 

「――」

 

 反応すら、できなかった。

 ほとんど直線で進むから、すり抜けたように見えてしまうそれは、最小限の曲がり(カット)で最短コースを突き抜ける、『無重力の走り(パンサーラン)』だ。

 オリジナル(パンサー)のような圧倒する速さなどない代わりに、意識の間隙を突くことで補ったもの。

 あえて威圧するほど大きな足音を立てて、それを猫騙しのように0.1秒の空白を生じさせる、一種の技だ。

 『無音走法』からの、震脚、そして、『無重力の走り』の合わせ技ーー『猫騙し』。

 

「待てゴラ――」

 

 すぐ追おうとした猪狩は、ヒル魔にブロックに入られた。振り返りもしないその背中へ虚しく手を伸ばすしかなく。

 長門村正は、障害(いかり)を捌く手間を最小限に済まして、更に大外へ。

 

「やはり、来るか」

 

 しかし。

 ほとんどタイムロスがなくても、あの男は高校最速。

 迅速にフォローできる範囲が、広く、速い。長門の脚ではまず追いつかれる。

 

 

 ~~~

 

 

『来たーー!! 再び、長門VS進! 泥門最強の攻撃VS王城最強の守備、その象徴的なエースの真っ向勝負……!!』

 

 

 観客達が幻視()たのは、大太刀と三又槍。

 進清十郎は己よりもリーチのある長門村正の『格闘(グラップラー)アーム』を、

 長門村正は己よりも速い進清十郎の『光速トライデントタックル』を

 互いが互いの得物を警戒し、迂闊に間合いに入らず、入らせない。

 さながら強力な同極の磁力に反発する二つの磁石のように、両雄の制空圏は交わらず。

 だが、それも1秒の逡巡。

 片方の磁石が裏返れば瞬く間にくっつくのと同じ。どちらかが動けば、勝負は一瞬で、決まる。

 

 

 ダイヤの原石だが、まだ荒削りな面のあるアイシールド21よりも、完成されている。

 ほとんどがルーキーの泥門の中で、春大会の時点ですでに、アメリカンフットボールプレイヤーとして全てにおいて高い能力値(スペック)を有している相手だ。

 もはや答え合わせなどする必要もない。あの男が、一年前、ヒル魔妖一が予告した、進清十郎(おのれ)を倒す泥門最強の切り札。

 そして、激闘を経る度に、強敵を打ち倒してくる度に、よりその完成度は高まっている。昨年、自身と互角に渡り合った天才、金剛阿含を圧倒するほどに実力をつけてきた。

 

 だが、無論この俺の力も停滞などしていない。

 

「長門村正は、ここで俺が倒す……!」

 

 長門村正についての、戦力面における分析――開幕からのプレイを含めて、最新版へ更新(アップデート)をかけてある。

 長門村正のランは、アイシールド21とは性質が違う。

 その光速ランと切れ味鋭いカットでフィールドを捻じ伏せてくるスタイルに対し、長門村正のランは、相手のリズムやモーションを見極めて、いなしてくる対人戦を得意とするカウンターラン。

 それも自分よりも速い相手(アイシールド21)を想定しているせいか、対超速タイプに特化しているとも言える。ハンドテクニックもある。リーチもパワーも向こうが上だ。『トライデントタックル』も会得するほどにその技の呼吸は把握されている(ぬすまれている)だろう。距離を取られてはこちらが不利。

 だが、スピードの極端な緩急と片腕だけを強引に捩じり伸ばすことで、瞬時に間合いを詰めれば、その不利は覆せる。

 高校最強のパワーを誇る峨王と真っ向から伍した相手だが、超加速(120%)のスピードで、激突時のパワーを3倍以上に炸裂させる……!

 

 そう、これから放つは必中にして、必殺の槍。

 如何なる相手だろうと逃れられず、耐えられず。

 この一瞬に凝縮された集中力が、一段と深く、そして、透き通った世界を映し出す。

 

 その骨肉の動きを、感じる。

 その肉体の動きが、わかる。

 

 ここから起点とする変化を、瞬時に計算する。

 過小評価も、過大評価もしない正確無比のシミュレーションを完遂する。

 

 

 だが、その時、長門村正の未来(かい)が変わった。

 

 

 ――止まっ、た……!?

 

 

 進清十郎に刺激さ(みら)れ、化学反応を起こしたように。

 もう一人の怪物もまた、強敵に呼応するように進化する。

 

 

 ~~~

 

 

 ――途中のコマが抜け落ちたかのように、狙いを外された。

 

 激しく刻むカットステップとクロスオーバーステップのステップの最中に、膝の力を抜き、横に倒す。

 足で地面を蹴らず(カットを切らず)に、方向転換(まがる)

 それは、まったく起こりのない――大きな筋肉運動が発生しない、左右(よこ)の『縮地』。

 素早く曲がるのではなく、いつ曲がったのか覚らせない。最高速でステップを踏みいきなりの減速・停止、と錯覚させて、狙いをつけられた槍の照準を外す。

 ほんの半歩程度だが、長門は進に先手(リード)を取った。

 

 

 ~~~

 

 

 ――三つ又の矛(トライデント)に、左右への逃げ場はない……!!

 

 

 半歩の有利。だが、それを一瞬で覆す。

 この槍は一度外されようが当たるまで追尾する。

 減速どころか加速するカット。出遅れながらも、追いつかれるスピード。

 

 

「ああ、まったく。深く観られてる。1対1では抜けるイメージがないな」

 

 

 これは、捕まる。逃げられない。

 進との対決に、長門は負けを認める。この男は、今の自分よりも上の領域(ステージ)にいることを理解する。

 

 

 ――だが、泥門デビルバッツは、まだ負けてはいない。

 

 

「だから、俺は深くではなく、広く観ることとした」

 

 

 ~~~

 

 

 ――光速が、弾けた。

 

 

 ~~~

 

 

 進が『トライデントタックル』を発動し、超加速する直前、先んじて超加速して槍の懐に潜り込もうとするものがいた。

 

 小早川セナ(アイシールド21)だ。

 

 

 僕には陸や長門君や進さんみたく、『ロデオドライブ』で急加速みたいなテクニックはできない。

 

 だから、足を溜めて。

 

 限界まで溜めて……!

 

 練習量にあかせた『チェンジ・オブ・ペース』で、一気に行く!!

 

 

「まさか、進に体当たり……!?」

 

 

 それを観た者たちは、彼の正気を疑った。

 性能差を考えれば、一蹴される結末は誰もが見えていた。

 槍に刺さりに行くも同然の行為に志願する在り様は、愚者か。それほどに自棄になっているのか。

 だが、その真っすぐを見つめる目には、アイシールド越しにも隠せぬ、覚悟の光がある。

 

 

「進にセナがパワー勝負を仕掛けたっ!!」

 

 

 スピードが、同じ。

 だから、抜けきれず、そして、僕は、力がない。

 進さんを倒せる腕力なんてない。

 進さんのベンチプレス140kgに対し、僕は40kgが精いっぱいで、体重も進さんは71kgで、僕は48kgと軽い。

 力勝負となれば、負ける。

 

 

 無論、力勝負で勝ちに行くつもりはない。

 

 

 重要なのは、懐に潜り込むこと。

 それだけならば、タイミングと加速力の勝負だ。

 

 そう、スピードは、同じ。

 だから、あとは機をうかがうだけ。

 

(長門君のフェイントに、一瞬、進さんの気が取られた)

 

 直感的にだけど、あの時、全方位に見抜かれるような感覚が薄れたとセナは覚えた。

 そのタイミングが、好機だと脚を走らせた。

 この0.1秒の間隙にセナは気づき、入り込むにはセナしか間に合わなかった。

 そして、セナは認められている。

 

 

「――」

 

 

 アイシールド越しでも、透けてわかる顔に、一瞬思考が停止した。

 

 最初、受け身で逃げるだけの脚だった臆病者が浮かべているのは、果敢に立ち向かうことを選ぶ戦士(オス)の貌。

 恐怖に只管震えていたころとは違う。

 この男が成長した何よりの証左。

 肉体よりも、精神面の変化。

 それが些細な変化まで読み取ってしまうほどに、注目してしまった。

 

 最弱だろうと、この存在は無視できない。

 進清十郎にとっての強敵手であるのだから。

 

 

「おおおおおおおお!!」

 

 

 ブロックに入ってきたセナを片腕(やり)で払い飛ばす。

 

 

「セナ!!」

「やーー! 飛んだ今!!」

 

 

 軽々と吹っ飛ばされるセナの姿。それは誰もが予測できていたことで、ベンチからも幼馴染の姉崎まもりとチアの瀧鈴音の悲鳴が同時に上がった。

 そして、当人(セナ)もこの結果は百も承知だった。

 

 

 あの進さんでも一度に相手できる絶対数は決まっている。だから、有限である集中力を割り振らなければいけない。

 この一瞬、進さんは長門君を強く警戒していて、壁が分厚いけど、その分だけ他に避ける余力が少ない。

 

 だから、その弱い人が予想を超える動きで、その警戒網を突破できれば、天秤を傾ける助けとなる一石になれる。

 弱い力だけど、それでもこの状況を打破しうるきっかけになる。そして、勝利への活路が開けるはずだ。

 

 

「驚いたか、進清十郎。俺も驚いている」

 

 

 高校最速のアイシールド21である小早川セナは、新人(ルーキー)でもある。

 0.1秒後に化けている可能性すらある。

 この進化の兆しに気づく者は、数少ないだろうが。

 臆病者の勇気に後押しを受けた、長門村正は笑う。

 勝機を見出して。

 

 

 出鼻を挫かれる形となった、三又の矛先。

 0.2秒の遅滞(ロス)。一瞬でも出遅れて先手を取れなかったこの好機。それをいなすようにその体躯は廻る。

 

 

 ~~~

 

 

『なななんと! これは、『デビルバットハリケーン』! 長門村正、進清十郎を抜き去ったーー!!』

 

 

 無駄だ。

 進清十郎と長門村正の両方と戦った阿含には結果が見える。

 

 進にマークされて逃げられる相手はいねぇよ。

 

 自分もそうだった。

 去年の関東大会、『ドラゴンフライ』で王城を翻弄しながらも、1対1では進に勝てなかった。抜けたとしても、捕まった。

 長門の脚は40ヤード4秒5。ならば、40ヤード4秒4の自分よりも遅い長門が同じ結末をたどるのは、自明の理だ。

 

 スピードでは劣る長門はたとえ一撃目を躱せたところで、即座に迫る二撃目に追いつかれる。多少の前進はされるが進ならば、攻撃権獲得を取られる前に潰すだろう。

 百年に一人の天才の思考が弾きだした結論は、進化する怪物たちにも共有されるものだった。

 

 進にも、そして、長門にも。

 

 

 ~~~

 

 

 進清十郎に、スピードでは負けている

 だが、アメリカンフットボールは、スピードだけではない。スピード、パワー、タクティクスを爆発させる、それこそが長門村正が見た、原初の光景だ。

 

 進清十郎は、たとえ抜かれても、この間合いならば、確実に捕まえられる、と判断した。

 長門村正は、たとえ抜いても、この間合いからでは、絶対に逃げ切れない、と判断し、

 

 

「だが、選択肢はひとつ(ラン)だけじゃあない」

 

 

 だからこそ、『デビルバットハリケーン』――そのスピンムーブは、進を抜くためだけのものではない。

 

 ――この動きは、ラン……じゃない? まさか――!!

 

 進は、気づく。

 発射体制に、入っていることに。

 スピンムーブを投球モーションに組み込んでいる。回避と同時に捻りの溜めを作って、放つ。

 大きく体を捻った、そこからの反発力を加算させて一気に投げようとしている――!!

 

 

 ~~~

 

 

 王城は長門村正の中央突破を想定していた。

 仮想敵として進清十郎を当てるくらいに脅威とみなしていた。

 だが、その進清十郎がやらない手段が長門村正にはある。

 

 

(来る! ()()()()()()()()()()()()()()()、長門の全力MAX投球が!!)

 

 

 それを誰よりも察知したのは、雷門太郎。

 王城戦までの一週間、長門との特練でそれを目の当たりにしてきたモン太は、誰よりも早く動いていた。

 

「!」

 

 続いて、モン太をマークしていた桜庭も反応する。

 戦うべき相手から目を逸らしたりはしない。だが、それでも進と長門との闘争に意識を割かれており、出遅れた。

 そう、全身の発条を全集結させた右腕の一振りは、予測を超えた速さだった。

 

 

「――『デビルレーザー強装弾(マグナム)』!!」

 

 

 空を切り裂く強装弾(パス)が、王城の陣営(フィールド)を切り裂く。

 

(このパスは……!! 速……――)

 

 あの大きなアメフトのボールが、プロ野球選手のレーザービームのように、この長距離を地面とほぼ平行にまっすぐ進み、重力を無視して飛来する。

 全身から捻出した力を過不足なく乗せたボールは、縫い目が消えていた。桜庭からは縫い目が見えないほどに高速回転していたそれは、見ただけで反射的に身が竦むほどの球威(インパクト)を有していた。

 

 それを、目を逸らさずに追う者が一人。

 瞬き厳禁。血走るほど大きく開眼し、剛速球の軌道を読み、飛びつく。

 

 

「らあああああ!!」

 

 

 着弾し(うけ)た手袋から、弾ける音。重く、鋭い音は観客席にまで(とど)いていた。誤って触れれば、手の骨が砕けてしまいそう、と心配になるほどの、生存本能を激しく訴える威力に場は戦慄し、静寂に包まれる。

 

 

「キャッチMA――Xッ!!!」

 

 

 しかし、その痺れる掌をギュッと握り締めて、一本指を天へ突き立てるポーズを決める雷門太郎の姿に、その静寂はすぐ、大歓声へ塗り替えられた。

 

 

 ~~~

 

 

「やーーー! モン太―――!」

「ぬおおおお何だ今の球!? しかもそれをキャッチしやがった――っ!!」

『泥門デビルバッツ、パス成功! 連続攻撃権(ファーストダウン)獲得! なんて、凄まじいパスでしょう!』

『ははははい! 大学の選手でも球速80kmの壁を超えるものは中々いませんが、長門君のパスは、明らかにその壁を超えていました! NFL(プロ)級の球速、まさに高校最速のパスです!!』

『高校最速のパス!! それを怯まず見事にキャッチしたモン太君も凄い!』

 

 

 興奮気味な解説の言う通り、大学の選手でも、球速80kmの壁は中々超えられない。

 NFL(プロ)の平均は、80~90kmで、最速は99.2km。

 村正のパスは、比較対象とするならば、蹴られた瞬間のキックボール(85~95km)とほぼ同速だった。

 

(村正の全力が見れるとはね)

 

 空気が沸騰するほどに湧く観客席の中、大和猛は感嘆の溜め息を吐きながらも目を細める。

 

 村正が誰でも捕り易いパスを投げるようになったのは、村正の本気のパスを誰も捕れないからだ。

 まだ小学生の頃の話ではあるが、村正の全力で投じたパスは、自分でさえも確実にはキャッチできなかった。

 

 その最強のライバルが自らに課していた縛り(セーブ)をやめて、放った全力投球。

 

 あのプレイは、アメリカNo.1クォーターバック、『五芒星(ペンタグラム)』の一角、クリフォード・D・ルイスのパスにも劣らぬスピードだった。

 米国の王子程の走力のない村正は、自身の極まったボディバランスを活かした。体の回転及び捻りによって引き伸ばされた筋肉の反発作用により、球速を増強させたのだろう。

 アメリカでも有名な、偉大なメジャーリーガーのトルネード投法を彷彿とさせる『デビルレーザー強装弾(マグナム)』。

 通常の弾薬よりも火薬を増量することで、より発射速度を高めているマグナム弾と同じく、それは高校生の投げるレベルからは逸脱した球速があった。

 

(確捕するには、帝黒(うち)でも鷹くらいしかいないだろうそれをキャッチして見せたモン太君。この前のオールスターゲームには出場はしていなかったけど、キャッチ力のあるレシーバーのようだ)

 

 全力投球ができたのは、全力投球をパスとして成立させ得るレシーバーがいるからだ。

 自分にはできなかったことを成し得ていることに少しの嫉妬を覚えるものの、大和猛は歓迎する。

 己が是非にと望むのは、最強の強敵手との全てを出し尽くす決戦であるために。

 

 

 ~~~

 

 

「セナ、ちょっといいか?」

 

「長門君?」

 

 起死回生のビックプレイを成功させたモン太を中心にチームメイトが騒ぐ中、長門は倒れていたセナを助け起こしながら、言う。

 

「たった今、進清十郎と競って得られた情報を、お前にも共有しておこうと思ってな」

 

「! う、うん!」

 

 目を見開くセナ。

 ダメージが残る身体だろうに、飛び起きるセナに長門は苦笑を漏らすも、表情を切り替えて、

 

「進清十郎は、目が冴えている。元々『目付け』、『観の目』……所謂見る能力もまた鍛えられていたとは思うが、この試合でそれが蓋を外している感があるな」

 

 相手の動きや状態を一目で看破し、その弱点を射貫く『目付け』。

 進清十郎のそれは相手の呼吸・筋肉の収縮をすべて逃さず見透かしてくるほどの精度であり、こちらの行動は先を読まれる。

 

「初見でセナの『デビルライトハリケーンD』を仕留めて見せたのも、セナの走りから観られた癖、兆候を気取られてのことだろう」

 

「……でも、長門君は、進さんを一瞬躱せたように思えたけど」

 

「それは俺も同じように進清十郎を見ていたからな。こちらの動きを読んで反応した動きを見て、それで意表を突いた、ってところだな。次からは同じ手には引っ掛かりそうにないが。

 ――進清十郎を抜くには、速さだけでなく、相手を見る力も必要だ」

 

「見る力……」

 

 スピードが並ばれて、パワーでは遥かに劣り、そして、見る力……

 自分は、長門君のようにそんな駆け引きができるほどに、目が良いとはとても思えない。

 

「何を勝手にまた落ち込みかけている。セナ、お前はそれを無意識ながらもしてきていることだぞ」

 

「え?」

 

 狭まりかける視界に、会話の最中に不意打ち気味に指でアイシールドの面を突こうとするのが見えて――咄嗟に避けるセナ。

 

「な、長門君!?」

 

「ほれ。意は隠したつもりだが、機敏に反応して見せたじゃないか。これまで意識してこなかっただけで、セナも“見る力”は優れている」

 

「ええええ、僕が!?」

 

「驚くことでもない。これは人間の生存本能に密接に関わるものだからな。そういった防衛本能は実際危機に瀕するほどに磨かれていくものだ。ちょっとしたことでもそんな防衛本能が過敏に働いてしまう臆病者(ビビリ)なセナは、直感的に身の危険を察知する能力が長けているとも言えるだろうな」

 

 それはあんまり嬉しくないような認められ方だ、と肩を落とすセナ。

 

「大阪地区代表――帝黒学園のクォーターバック、小泉花梨は、境遇や性格的にセナと似ていて、それでいて、見る能力がずば抜けていた選手だった。猛が言うには、これまでの試合で一度として、相手選手に触れられたことがない。動体視力が人並み以上に優れているのもあるだろうが、それだけでなく、相手の動きを予測するその感受性が高められているんだろう」

 

 セナも思い起こす。

 女性の身でありながら、最強のチームの一軍(レギュラー)に所属した彼女が、襲い掛かった葉柱ルイの『カメレオンの舌(ハント)』を鮮やかに躱してみた様を。

 あの時、小泉花梨は、確かに相手の動きを見ていた、相手の動きが見えていた。

 

「セナ、お前は臆病者ではあるが、恐怖に怖気づくようなことはない。でなければ、あの時、進清十郎に逃げず、自ら当たりに行くような真似はできないからだ。

 恐怖を克服できる勇気を持ち得ている。

 だが、ここで、俺はあえて言おう。臆病に素直になれ。恐怖と改めて向き合い、そのセナが思う臆病(よわ)さを研いで、尖らせろ」

 

 

 武道を習得する段階を三つに分けた言葉に『守・破・離』がある。

 教えられたことを忠実に守り訓練する『守』

 それを洗練させ型を破っていく『破』

 そして、新境地を切り開き何ものにも囚われない『離』

 

 小早川セナは、アメリカンフットボールプレイヤーとして、『離』の段階にまで来ていると長門は見ていた。

 “アイシールド21”を倒すために鍛錬を重ねてきた己が、奇しくも“アイシールド21”を導くなんて、高校に入学したあの日までは思いもしなかった。

 だが、もうこれが節目、先達者として教えられることはこれが最後だろう。

 

 

「それで何かきっかけを得られるかどうかは、断言はできない。でも、それが一縷の望みだとしても、俺は期待する。それが、過大評価する悪癖の元となってもやめられない。臆病者(ビビリ)が、英雄(ヒーロー)になる様は何度もセナに見せられたことだからな」

 

 

 ~~~

 

 

 今のビッグプレイは起爆剤となりうるだけの破壊力があった。

 泥門デビルバッツは、勢いに乗るチームだ。

 調子づかせるほどに手強くなる。早急に抑えなければならない。

 

「長門村正と雷門太郎の『デビルレーザーマグナム』、これまでに見なかった泥門の武器です」

 

 王城の主力となった、誰にも捕らせない最高の弾道、『エベレストパス』

 これに並ぶよう、誰にも捕らせない最速の弾速、『デビルレーザーマグナム』を放ってきた泥門。

 長門村正の投手能力は、これまでの試合でも見られており、当然、それを研究してきたが、計り知れない。

 それでも、欠点はある。

 アレを捕れるレシーバーは限られているということだ。

 

「ですが、あのパスを捕れるレシーバーは、泥門には雷門太郎のみ。――桜庭」

 

「わかってる。二度も同じ手を通じさせはしない。高校最速のパスだろうとそう簡単に決めさせない」

 

 超ハイスピードのロングショット。あれのパスカットは、まず狙えない。追いつけず、反応すら至難。

 それでも、ボールへの嗅覚の優れた――関東四強レシーバーの一角たる桜庭ならば、手を伸ばせるはず。

 

「『デビルレーザーマグナム』……泥門がこの決勝戦で用意した王城への切り札だというのなら、何としてでも止めてやる」

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ――『デビルレーザーマグナム』なんざ、カードの一枚に過ぎない。

 

 

 攻撃権獲得後の第一プレイ。泥門の攻撃は、『巨大矢』による中央突破。

 しかし、ランニングバック(アイシールド21)は、ボールを運んでいない。

 クォーターバックは、ボールを渡してなかった。

 この時、優秀なディフェンス陣は、パスを警戒。主なパスターゲットであるワイドレシーバー(もんた)タイトエンド(たき)への意識を強める。特に『デビルレーザーマグナム』の印象が強く、今一番に勢いづいているワイドレシーバーには桜庭がより張り付いていた。

 

 王城ディフェンスは、鉄壁だ。

 地区代表クラスの選手、およびそれに並び得る選手が揃っており、それぞれがゾーンを担当していることで、意識が薄い“穴”なんてものは存在しないし、狙えない。

 

 だが、そんな王城にもチームの意識から外れている場所がある。

 それは絶大な信頼感を持つ守護神(エース)がいるからこその欠落(すき)。無意識のうちにそこへ攻め込まれても問題ないと安心してしまっている部分、すなわち相手の最もディフェンスが堅い、守護神が陣取るゾーンだ。

 

 

 ――最強の進の領域(エリア)で真っ向勝負を仕掛けてくるわけねぇ。

 

 

 今、守護神の目前には、囮の中央突破でラインをぶち抜いてきた『妖刀』がある。

 ボールは、持っていない。だから、周囲は他を警戒、それぞれが担当する区域の警戒に務める。

 だが、この状況がどれほど致命的(チャンス)なのか、全然理解していない。

 

 

 ――糞カタナが相手だろうが、1対1なら進が勝つ、っつう考えで成り立ってんだろうが。

 

 

 これまでのプレイ。

 泥門のエースは個人戦では、王城のエースに勝てちゃいない。

 だが、それは向こうが得意の土俵での話だ。高校最速のラインバッカー相手に走り(ランプレイ)は、絶対に不利。勝算は少ないが、それでも勝負が成り立っているだけで上等だ。

 逆に、こちらに有利な戦いだったなら――――泥門のエースの領域に王城のエースは踏み入ることすらできない。

 

 

 ――一年前、予告し(いっ)といただろ? 泥門のエースが進をぶっ潰すってな……!

 

 

 ~~~

 

 

 これまでのプレイで、王城のディフェンスの陣営は把握した。

 その守備が最も強い区画も当然把握している。

 普通であるのなら、そこは絶対に避ける不可侵領域とするべきなのだろう。事実、この関東大会、進がいる中央へパスを投げ込んだことは一度としてない。

 

 

「――だからこそ、行く。そんなカードは出すわけねぇ、って思い込んでいる時点で、手遅れなんだよ」

 

 

 ~~~

 

 

 ヒル魔妖一から、パスが投じられる――その数瞬前のこと。

 進清十郎の目前、大田原と栗田の均衡を後押しして破り、長門村正がラインを突破してきた

 そして、跳躍するかのように膝を屈める。

 

「――!?」

 

 まだ、ヒル魔妖一は、パスを投げていない。

 今、跳んだところで、ボールが飛んできていない、どこへ来るかもわからない。

 事前にどこへ投げ込むかは作戦で決めてあったのだとしても、常にパスの軌道には微妙なズレが生じる。それを補正するためにもレシーバーは、パスが投げられてから、キャッチ体勢へ移行する。

 

 何を、やっている……!? ……まさか――

 

 

 ~~~

 

 

「Ya――Ha――!!」

 

 

 ヒル魔が腕を振りかぶったのとほぼ同時に(シンクロして)長門も跳躍していた。

 

 ――高い! ――そして、速い!!

 

 合わせていた視点が一瞬で置き去りにされた。

 最高到達点もさるものながら、その到達までの時間が速い。

 

 強固であり発条のようにしなやかに伸縮する脚。

 それが生み出す全力を、下肢と股関節から体幹を通り上肢へと、一切の力のロスなく連動。股関節、膝、足関節、さらには両腕の振りまで離陸速度の増加に乗せている。

 この全身に漲る常人離れした力を120%に爆発させる垂直跳びは、誰よりも速く、誰よりも高い位置へ到達した。

 

 その刹那、時間が止まったかのよう、長い滞空から軸がぶれることがなく、それを周囲も反応できずにただ見上げるしかなく。

 ――そこへ、届く。

 

「な……!?」

 

 特別高くも、特別速くもない。

 ただ、針の穴を通す精度の、パスは、背後を見ることなく伸ばされた長門の両手にすっぽりと入った。

 完璧な、位置・タイミングで投擲された弾道。

 その瞬間を目撃した四強レシーバー達は、こう直感した。

 

 あのパスは、一点物――長門村正にしか、捕れない、と。

 

 刹那のズレも許容しない、信じられない正確さもさるものながら、それを信じられないことに長門村正の全力跳躍する前に狙って見せた。

 そう、目隠しした状態で、動く的に的中させたかのような離れ業だ。

 

 ギャンブル(ブラックジャック)を100%成功させ得るほどの並外れた思考能力(IQ)と己が描く理想に近づけるために積んできた反復練習。

 相手にも、己にも極限までの要求を強いるスパルタ。

 

 だから、ヒル魔にはわかっていた。

 長門村正の能力値(スペック)だけでなく、癖や性格も分析し尽くしており、更にはその成長予測まで計算済みである。

 どこが最高到達点であるかなど、実際に見るまでもない。どのタイミングで到達してくるかなどさえわざわざ測るまでもない。この頭脳にしかと刻み込まれている。

 誰よりも知悉する相手だ。

 だから、あとは自分が理想(そこ)へ投げ込めるだけの鍛錬を積み重ねればよかっただけのこと。

 才能なんてないが、誰よりも長門村正へパスを投げてきたクォーターバック。

 3年も費やしてしまったが、ヒル魔妖一が思い描き続けてきた絵空事、偶然ではない偶然がここに成就した。

 

 

「――『悪魔の魔弾(フライクーゲル)パス』!!」

 

 

 『魔弾の射手』が放つは、百発百中の弾丸(パス)

 如何なる警戒網もすり抜けて決まり――そして、『妖刀』はその切れ味をもってして、蹂躙する。

 

 ボールが指先から離れた瞬間から、決まった、と確信できた。

 意識をしていない、つまりは、100%の意表を突いた狙いのため、相手は出遅れ、こちらは先手を取った。

 そして、糞カタナの潜在能力(ポテンシャル)を限界まで引き出せれば、必ず、勝つ。

 誰が相手だろうとも、だ。

 

 

 ~~~

 

 

 本当の意味で完璧なパスは、偶然というほど稀有である。

 ナイスパスと呼ばれるパスもそのほとんどは、速度(スピード)軌道(コース)・タイミング等……どこかにズレはあり、それをキャッチするレシーバーがそれを補正することで完成する。

 だが、真に完璧なパスならば、ズレを補正する必要がなくなる。

 自分のプレイに100%の神経を注ぐことができる。

 

 長門の最大稼働(フルスロットル)に乗った状態の先に投げ込んでいる。

 ラン・アフター・キャッチがし易い、パスキャッチしてからのランが滑らかに移行され、

 更に――――入った。

 

 プレイ前に出された指示は簡潔。

 

 ――捕りたきゃ、限界突き破って跳びやがれ、糞カタナ。

 

 ああ、なんて、後輩(カタナ)使いの荒い先輩だ。

 だけど、何よりも己に厳しいことを、知っている。

 だから、欠片も容赦なく、全力で飛躍し――挑戦的なパスを受けて、そこに込められた熱量が伝わる。

 

 この最強の守護神に真っ向からぶつけていく無茶ぶりにしても、他の誰もが不可能だと考えていようがあの先輩が実現できると計算して組んだ戦術。勝算が零でない限り、1%未満だろうと実行する。決して口には出さないだろうが、そこには確かなソレがある。

 

 文句などつけようがない、完璧なパス(もの)を、貰った。

 

 そして、任された仕事は、客観的な不可能を覆すこと。

 

 

 ――観える。

 

 

 カチリ、と。

 脳裏に、集中のギアが切り替わる音が聴こえた。

 

 一週間、この決勝戦まで覆面マスクを嵌めていた。というか、脱げなかった。

 外せない呪いでもかけられているのではないかと疑わしいほど、不自由さを強いられたが、おかげで鍛えられた。

 ずぶ濡れで呼吸がしづらくなるものだったが、それ以外に覆面は視界を制限される。

 有限の視野から、無限に想像を働かせる見方が否が応にも身に付いた。

 『デビルバックファイア』を可能とするモン太の『背中(バック)の目』のように、実際の視野とは別次元のものを観る。

 

 空を飛ぶ鳥が地上を俯瞰するように、フィールド全体を捉えられる。

 

 切り抜けるべき最適なルートを試算し終えた。

 ならば、あとは迅速に斬り刻むのみ。

 

 『妖刀』が、鞘から抜刀させる幻像を、進清十郎は視た。一目で、予感した。

 たった今、長門村正もまた、己が踏み入れた領域に達したことを。

 

 止めねば――

 三又の槍は、着地の瞬間を狙い定めた。

 完全に先手を取られ、あの高みは、自分の手では届かない。だから、着地後に狙い澄ます。

 解き放たれれば、被害は甚大になると直感したため、全力でその身を穿つ――

 

「『トライデントタック――」

 

 その槍の切っ先を、また、弱者の短剣が遮る。

 

 アイシールド21(小早川セナ)……っ!

 

 中央突破したのは、長門と、その長門にリードされてきたセナ。

 進が、着地の瞬間を狙うと察知したセナがブロックに入った。

 

「かっ……!!」

 

 一瞬弾くのが、精いっぱいな、0.2秒もてばいい頼りのない盾。

 だけど、このわずかな余裕があれば、切り抜けられる。そう、期待し、断言ができる。

 

 

「長門君!」

「ああ、助かった。――あとは、任せろ!」

 

 

 ~~~

 

 

 そうはさせるか……っ!

 王城は進だけのチームではない。活路は塞ぎ、確実に包囲する。一糸乱れのない守備連携。それでも、長門村正の強靭な脚は、全力跳躍後の全力疾走を可能とした。

 

 

「『勝つのは、俺だ』」

 

 

 着地後の隙を狙っていたはずの角屋敷は、動けなかった。ただ無我夢中に腕を前に、空に伸ばしたまま、こけるように倒れた。いつ抜かれたのかさえ判然としない。

 

 こっちが反応した瞬間に切り返し……!? やべぇっ……――

 ラインバッカーの薬丸恭平、セーフティの釣目忠士、中脇爽太も置き去りとされた。すれ違いざまに切り捨てられたように倒れていく。

 

 やはり、観えている。

 角屋敷達が抜き去られるのを見て、進清十郎は己の予感が間違いでないことを確信する。

 カットステップとクロスステップと基本的なステップワークは、僅かな油断があれば見過ごす程に凄まじく滑らか。スピードこそ劣るが、あの大和猛を彷彿とさせる、恐ろしい質の高さが流麗さとして表れた足運び。そこに織り交ぜられるのは長門村正独特の切り返し。タックルを仕掛けに脚に重心が乗ったタイミングで、後出しで方向転換(カット)。角屋敷達はこれに目測を誤り、ついていけずに倒れる。腕は牽制に振るうだけで実際には触れもせず、相手の呼吸を読んでそこからわずかに外すだけで、まるで空気投げを決めるように体を崩していく。

 

 相手と、そして、自分自身がどんな状態にあるのかを完全に把握していなければ成せない動きだ。

 空から俯瞰して自分を見る目を持っているかのように、そして、自分の中のイメージと、実際の動きを一致させている。

 普通、人はそこまで客観視はできない。

 頭の中に思い描いた動きをやってみようとしても、撮影された映像では、思っていた動きと全然ズレている。

 今の長門村正には、それがない。自身の身体の寸法や筋肉の一つ一つの形を案外把握できていないが為に生じてしまう無駄な動き(ロス)がない。

 これまでとプレイへの集中が格段に違う。己と同じ、領域に至っている。

 

 

「止めろっ!」

「止めろォオーーー!!」

 

 

 だが、それでも、逃さない。逃しはしない。

 光速のアイシールド21に打ち勝つには、己も光速の世界に入るしか道はなかった。

 長門村正もまた、観える結果は同じなはず――

 

 

「進清十郎、俺より速いのは確かな事実だ。認める。――それでも、俺は、勝つ……っ!」

 

 

 接近を背中で察知しながら、その走りは揺るがず、雄々しく前進する。

 

 

 ~~~

 

 

 抜刀され(かくせいし)た『妖刀』に、王城の鉄壁は、悉く斬り刻まれた。

 

 

『泥門デビルバッツ! 何と王城から連続で連続攻撃権獲得です!!』

 

 

 相手の現在地がどこか常時把握されているかのように、最適解を突き進む『妖刀』を王城のディフェンスは止められなかった。

 最終的に追いついてきた進が長門を止めたが、それでも倒し切れず。結果、大量ヤードを前進された。

 桜庭でなければ競り合いにもならない高さに加え、進でさえも完全には抑えきれない力強い走り(パワーラン)

 だがその何よりも酒寄溝六が評価したいのは、その潜在能力を引き出した連携(パス)だった。

 

「ついに……ついに、村正に最高のパスを出したな、ヒル魔のヤツ」

 

「ええ……ヒル魔と長門、アイツらよりボールを交わしてきた奴らを俺は知りません」

 

 照明が目に入ったわけでもないのに、視界が滲みだす。

 そんな師の言葉に、武蔵は同じ光景を思い起こしながら、同意する。

 

『もっと速くパスを投げてください、ヒル魔先輩。俺の全力はもっと先だ』

 

 

『ちゃんと捕りやがれ、糞カタナ! なに、お手玉しやがってんだ!』

 

 

『どこへ投げてんだ! 汗で指が滑ったとかつまらない言い訳は聴く気はないぞ!』

 

 

 麻黄中学時代、長門が入部してから毎日、ヒル魔は日が暮れようが(中学の校長を脅しつけて、グラウンドに照明を設置させた)パスを投げ続け、長門はそれを捕り続けた。

 

 

『はっ! 今のはコントロールミスじゃねぇぞ、糞カタナ。テメェなら、あそこまで届いたはずだろうが。なんだ、205球ぽっちでへばりやがったのか』

『…………っ、ああ、そうだな。二度と腑抜けたプレイはせん。――もっと厳しいところへ投げてこい、ヒル魔先輩。今のミスを挽回してやる!』

『上等だ、糞カタナ! 落としやがったら、鉛玉百発ぶち込んでやる!』

 

 

 あの二人は、他の誰よりも相方へ厳しく、そして、その相方よりも自分に厳しかった。

 ボールと一緒に交わす、本気のぶつかり合い。

 それにいつも先にリタイアしたのは、ヒル魔の方だったが、いつもヒル魔がぶっ倒れるまで練習は行われ、長門も息を切らしていた。

 彼らの師として、溝六はそれを見守り続けてきた。

 

「不釣り合いな相手だと百も承知でありながら、口説き落とし、その右腕を振るい続けてきた。それが報われるかもわからない凡才の身だと常々痛感しながらも、止めなかった。泣き言なんざ、一度も聞いたことがありゃしねぇ。

 ……今こそ言える。

 ヒル魔、村正、お前らこそ最強だ」


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