悪魔の妖刀   作:背番号88

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お久しぶりです。
待っていた方は、長らく待たせてごめんなさい。
ちょくちょくと書き溜めておいたのを投稿します。
大変な時期ですが、拙作が気休めになっていただければ幸いです。


閑話-1

 それは、熊袋リコが中学三年生の頃。

 

「はーい、今でまーす」

 

 もうそろそろ夕餉の支度が終わる頃合いに、来訪を知らせるチャイム。台所で格闘しているであろう母に代わって、リコが玄関に出るといたのは、お隣さん。

 

「ふぁ!?」

 

 思わず変な声が出てしまった。

 未だ成長期というのが驚きな高身長の少年は、村正君。通っている中学校は違うが、同い年で、偶然にも夢中になってる趣味(もの)が同じな、異性……周りにいる男子とは一線を画す雰囲気(オーラ)を醸してる、要チェックな(きになる)男の子である。

 家族とも仲が良く、留守になりがちな彼の両親に代わって世話をしたり、一緒にお夕飯を食べることもあるけど、今日はそんなお誘いはしていないし、そういう約束(アポ)もなしに押しかけてくるなんてことはこれまでになかった。

 

「わわわわわわ!?!?」

 

 それが家で気が抜けてるところに奇襲(ほうもん)してきたのだからビックリだ。一気に頭髪がテンパった。

 いや別に彼の来訪が嬉しくないわけでないし、ここで話もせずに追い返すなんてマネは絶対にしないけれども、こっちは完全に気の抜けた普段着で(向こうもトレーニングジャージ姿であるも)、会う予定があれば必ずそれなりのおしゃれは心掛けているのに(完全武装であってもそれなりにテンパってしまうのだが)!

 

「いきなり押しかけてきてすまないリコ! おじさんはいるか?」

 

 そんなこんがらがった頭髪(パーマ)の如く乱れる心中はさておき、少し申し訳なさそうにしながら村正君が訊いてくる。彼も訊ねるには失礼となるかもしれない時間帯であることを承知はしているようだ。それでも居てもたってもいられず、父に尋ねたいことがあった。

 

「え、と……父さんは、今日は出張に行ってて帰ってきませんけど……」

 

「何、本当か?」

 

「はい、本当です」

 

 がっくりと肩を落とす村正君。そんな落胆する彼に、ついリコは訊く。

 

「あの、どうしたんですか、村正君? 何か急ぎの要件があるなら、父さんに連絡しますけど」

 

「いや、ちょっと集めたい情報があったというか……」

 

 村正君が欲している情報――

 そろそろ縮れた髪質も落ち着き始めたところで、リコはピンときた。村正君が夢中なもの。父を頼りにしていたことからも明らか。そう、父は、月間アメフトの編集記者である。

 

「もしかして、アメフト関係のことですか?」

 

「ああ。実は……」

 

 促せば、村正君は事情を語る。

 曰く、先輩方からとあるチームとの試合の記録(DVD)を(高校の入学願書(きょうはくしょ)も添えて)送られてきて、その映像にあった一選手のプレイに、強く、惹きつけられた。

 そして、その先輩方を圧倒したプレイヤーは――

 

「――王城ホワイトナイツの進清十郎。あの男について知るには、一試合だけでは足りない」

 

 だから、父にこれまでの試合記録映像(データベース)や、アメフトに詳しい父の見解を聴きたかった。

 しかし、残念であるが、不在であるのなら仕方がない。プレイ研究はまた日を改めて……と帰ろうと背中を向ける寸前に、あ、とリコは呼び止めた。

 

「王城の進選手のデータなら、私、持ってますけど?」

「本当か! 是非、見せてほしい!」

 

 その一言は、飢えた獣に霜降り肉をちらつかせるようなもので、一気に食いつかれた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ふぁあああ!?!?

 ガバッと肩を掴まれ、視界ドアップに眼前に迫る村正君に、髪が再び縮れる。目がぐるぐるして、絶賛混乱中のところに、騒がしい玄関の様子を見に来た母に目撃。

 まあまあ、そんな夫の遺伝子を強く引き継ぐ娘のテンパる光景に微笑む母は、この家族ぐるみの一人息子が今夜は一人ということを知っていたそうで、折角だから、と夕食を一緒にし、風呂まで勧めた。最初こそ村正君もご厄介になるのは遠慮気味だったのだが、今日は夫がおらず家に女性しかいないのは不安である、という母の説得に折れる。

 母の主導であれよあれよという間に事が運んで、今、リコの部屋には風呂上がりの村正君がいて、

 

 

「リコ、見せてくれ」

 

 

 とリコ(の情報)に迫る。

 ダメである。なんかこのシチュエーションは否が応にもこちらに緊張を強いる。だって、初めて、この……異性を自分の部屋に招いて(それも夜中!)、二人っきりで、落ち着けるほど経験豊富ではないのだ。でも、彼は、なんかもう目をぎらつかせるくらいにそれ(進情報)に目がないようで、その辺の事情は頭から抜け落ちかけている。

 

「は、はい……! どうぞ……」

 

 強引に迫られて、これ以上変な方向に勘違いが働いてしまう前に、この腹ペコな肉食獣(オオカミ)へお望みの情報を見せて、気をそらすことにした。

 彼の前に開いたノートパソコンに保存されている進清十郎のプレイ集を再生する。

 

 同衾禁じる7歳を超えて、多感な時期にある中学生たちは、パソコンに保存されていたプレイ映像を研究することになる。徹夜で。

 ……一夜二人っきりになるのだが、男子は熱中していてそのことは全く気にせず、自室に招いた女子はそのことを気にしないようにするのが必死だった。

 そうして……

 

 

 ――相手のランニングバックを、一突きで確実に仕留める高校最強の守護神。

 

 

 これが、進清十郎か……!

 数試合の映像記録を続けてみていればわかる。一試合毎に、着実に、成長している。

 現状に満足せず、己を鍛えぬく。飽くなき向上心。

 これが、溝六先生が日本一と認める選手。先輩達を圧倒した本物の怪物。

 自然、長門のこぶしを握り込む力が強くなってくる。

 

(長門君……)

 

 それに気づくリコ。

 強い相手と戦いたい……その意志は彼のものだが、理由はそれだけでないはず。

 その理由を――原点を、知りたい。リコは画面を真っ直ぐに見続ける長門をちらちらと横目で伺いながら、訊ねる。

 

「長門君は、その、泥門に行くんですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

「前に話に聞いた先輩方が、いるからですか?」

 

「まあ、そうなるな」

 

 リコの質問を、認めていく長門。

 だからこそ、ますます気になる。

 

「……正直、長門君なら、王城や、あの神龍寺にだっていけると思うんです」

 

 全国大会決勝に行きたいのなら、常連の強豪チームに入るべきだ。

 彼にはそれだけの能力、才能がある。リコは知っている。

 だが、それでも彼は、アメフト部のない高校に行き、無名の先輩たちとプレイするという。

 

「確かに、そうするのが賢いやり方だろう。実際、最初は神龍寺に行くつもりだったんだが……」

 

 残念ながら、先輩の一人がねじ込んだはずの特待生枠から弾かれて、その計画(はなし)は流された。そのあたりの事情をぼやかして説明する長門。

 彼の口振りからあまり掘り下げることはしないリコだが、それでも、彼が強豪チームに所属するよりも、中学の先輩たちとアメフトをすることを優先していることはわかる。

 いったい何が彼をそこまで引き込ませたのだろうか?

 

 すごく、気になります……!

 

 プレイ映像に夢中になっていても、間近(となり)から横顔にビシビシと刺さる視線は、流石に長門も気づく。

 頬をかき、苦笑しつつ、長門は、仕方ない、と口を開く。

 ヒル魔先輩からは、高校デビューの為、中学ではあまり目立つな、と命じられているが、彼女にはとても世話になっている。

 学生記者を自称するリコだが、オフレコにしてくれと頼めば、口外したりしないだろうという信頼もある。

 長門は、進の情報を教えてもらった対価に、自分の中学時代――先輩達との出会いを話し出した。

 

 

 ~~~

 

 

 決定的に、才能(ちから)が足りない。

 

 やるからには何が何でも勝ちに行くとほざいたはいいが、いざ本格的に練習を始めてから、自分(テメェ)の身体能力のなさには糞程思い知らされた。

 頭の中なら0.1秒で思い描けようが、すぐ息切れして、思い通りに動かなくなる。投げてもボールは真っ直ぐに飛ばず、弾道もブレまくりやがる。

 防具を着込もうがタックルをぶちかまされれば、呆気なく息ができなくなっちまうヤワな肉体だ。これはもうどうしようもねぇ。選んだ道が致命的なまでに、才能と合わないことに自分で自分に呆れ果てた。

 天才の糞ドレッドとは比べるのも烏滸がましい、頭でっかちな凡才野郎。それが、自分だ。

 

 ――んなことは、始める前から分かり切っていた。

 

 ないものねだりしてるほど、自分には余裕はねぇ。

 詰んだとわかれば早々に見切りつけて投了しちまう、一山いくらの弱小棋士みたいな情けない真似をする気はさらさらない。

 『やるだけやった』や『頑張った』なんて自分への慰めなんざ口が裂けようがほざく気はない。

 だったら、あるもんで最強を目指す。

 俺に配られた手札は、この糞程の才能だけじゃない。

 敵から守護する(ライン)、一気に点をもぎ取れる長距離砲(キック)

 糞デブも糞ジジイもそれ以外のことはできないが、ただの凡才にはない武器を持っており、どちらとも勝つには欠かすことのできない必要な存在だ。そして、この凡才野郎の自分も才能がない分、時間を費やして鍛え込んでいけば、ちったぁマシな戦力として数えられるようになるはずだ。いや、そうする。絶対に。

 あの不器用極まる使い勝手の悪い連中を活かす作戦を実行するには、最低限度の力は必要だ。

 

 ……ああ、だが。

 このクォーターバックという花形のポジションを魅せるには、それだけでは決定的に足りない。

 クォーターバックは、フィールドで指揮する司令塔であり、オフェンスの要となる発射台だ。

 そう、クォーターバックは一人では開花しない。

 投げ手として成立させる、受け手(レシーバー)が、今の自分には欠けている。故に、現状、行き詰ることは見えていた。

 

 たたでさえ足りていない凡人の性能を、最大限発揮できるようにするための駒。

 それを、アメフト部を作ってから、最初となる入学式で見定める。今の二、三年共には練習試合の助っ人を要請することもあるが、奴らがほとんどキャッチできたことはない以上、新入生の中から発掘するしかない。

 

 こちらがボールを投げて、反応できなければ問題外。手から弾いてお手玉しても落とさなければまあまあ見込みあり。

 そして、捕れれば上出来、確保だ。

 残念ながら、入学するであろう麻黄中近辺(ここらへん)の糞一年の中にはアメフトもしくはタッチフットの経験者、即戦力を期待できる人材はいないが、そこは時間をかけてモノにすればいい。本番は、高校――全国大会決勝(クリスマスボウル)。麻黄中では、そのための土台を鍛え込んでいくための準備期間だ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ――ガシャアアン!!!!

 

 

 腹の底からこだまする、耳でもその当たりの重厚さが聞き取れるほどの、衝撃音。

 新入生の選別(テスト)の為のボールを取りに、部室に寄りに来たヒル魔妖一は、その部室の方から轟く快音に怪訝に眉をひそめる。

 誰が? などとは思わない。こんな早朝から相撲のぶつかり稽古よろしく練習に励むバカには心当たりがある。

 しかし、その第一容疑者の糞デブ(くりた)には、昨日のうちから、今日は朝練なしにして、何も知らずにのこのこやってくる新入生を捕ま(むか)えるための準備をしておけと言いつけてある。糞ジジイと一緒に、等身大のインパクトある入部勧誘(チラシ)(糞デブ自ら全身墨塗ってスタンプした)を全校中に張っておけと。舐められないように最初が肝心なのだ。

 糞デブとしても初めてになる後輩の歓待に、無駄に鼻息荒げにしてやる気十分だったようだからキツく言い聞かせてなかったが、まさか朝起きたら忘れて習慣となってる自主練をおっぱじめてんのか? だとしたら、きっちりとその単細胞な脳みそに百発くらいヤキを入れてやらなくてはならない。

 

 チッと舌打ちし、鞄の中からこの国では一般市民の所持を厳禁としている物騒な代物を取り出したヒル魔だったが……違った。

 音がしたのは、グラウンドの隅――アメフト部を創る前から練習場所にしていた1m四方の領域(エリア)

 しかし、そこにいたのは、栗田じゃなかった。

 

(あいつは、誰だ……?)

 

 栗田よりは低いが、ヒル魔や武蔵よりも背が高い。あれくらいタッパのあるヤツは在校生の中にはいない。

 そして、横にもぶくぶくデカい糞デブの栗田と違って、引き締まっている体型であるが、制服の盛り上がり具合から軟弱なイメージはない。明らかに何かのスポーツをしている、もっと言うなら、明確な目標があって鍛え込んでいるのがわかる。

 そんな初対面野郎が、栗田が愛用しているタックル用の練習器具と対峙していて――

 

 

 ――ガッシャアアンッッ!!!!

 

 

 ヒル魔は、目を瞠った。

 先程よりも強烈に響く音、それだけでなく目にも飛び込んできた鮮烈な情報量。

 強い、そして、動作が速い! その自身のパワーとスピードを掛け算させたその威力は、栗田のそれと同等。いや、その栗田でさえ吹っ飛ばされかねないくらいの破壊力だった。

 しかし、評価を下すには、まだ早い。

 

「違う……こう、じゃない……猛は、この程度じゃ倒せない……」

 

 何かぶつぶつと呟きながら、足踏みし、屈伸している。こちらのことには気づいていない。全身で、そして、全集中でぶつけてきているのだ。

 ヒル魔は、それを黙って立ち会う。やっていることは、すぐにピンときた。

 修正だ。踏み込みからその呼吸、力の入れ方や当たる角度まで微調整し、頭の中で絶えず試行錯誤をして、さらに強烈な一撃とするための。

 つまり、そいつは――自分には到底及ばないタックルを、反省している――欠片も満足しちゃいない。

 そして、三度目――

 

 

 ――ガッシャアアアア――ゴギン!!!!

 

 

 その練習器具は、糞デブ(くりた)が壊すたびに、糞アル中(どぶろく)が修理して、さらに糞ジジイが前以上に補強して、先月くらいでやっと糞デブのタックルにも壊れないようになった、市販のよりも頑丈なそれを、三度で、ぶち壊しやがった……!

 何たる才能。恵まれた身体能力に、天性の感性。そして、一瞬一瞬で尖らせていく斬れ味鋭い集中力には、タックルする瞬間にぶつかる相手を幻視するほど、引き込まれるほどの気迫があった。

 

 ヒル魔の口角が上がる。

 瞬間、再び、事前に情報収集した、運動神経のある目ぼしい新入生のピックアップから検索をかけたが、その顔はヒットしない。

 こちらの情報網に引っかからない未知の相手。

麻黄中(うち)の制服を着てやがるが、この辺の奴じゃあない。考えるとすれば、他所からここに引越し(やっ)てきたばかり。

 いいや、そんなのはどうでもいい。

 運動神経の良い一年坊、なんつう分類に間違っても入れていい奴じゃない。

 このぞくりと身震いさせられる、既視感。あの糞ドレッドを見たときに感じた気配とほぼ同じ。

 だが、一つ、確実に違うと己の嗅覚が訴える。

 その目にあるギラついた光は、天才野郎の糞ドレッドには持てない、飢えたモノだけが抱え込んでいるもの。上へ上へとにかく上へ這い上がろうとしている飽くなき向上心に他ならない。

 だったら、こんなもんじゃあないはずだ。

 

「ケケケ」

 

 ヒル魔は、仕置き用の銃を鞄に仕舞い、代わりにボールを取り出す。挨拶もなく(こえをかけず)、震え立つ感覚の赴くままに、後ろを向いている『あ、しまった。壊しちまった』と練習器具を見ておろおろしているそいつの後頭部にぶつけるつもりで、思いっきりボールを投げた。

 さあ! この不意打ちな洗礼(テスト)クリア(キャッチ)できんのか!

 

「―――」

 

 この情け容赦のない全力投球(あいさつ)を――そいつは全身の細胞で反応したかのように振り返って――片手で払う、ように掴み取った。そう、反射的に、余裕で、ほとんどボールを見もせず鷲掴みにしやがった!

 

 助っ人連中はもちろん、キックバカの糞ジジイや、最初にアメフトを始めたのにパワーバカの糞デブはパスキャッチができない。どっちも糞不器用で、どいつもこいつも、ヒル魔のパスをまともにキャッチできたのはいなかった。それが、ヒル魔のスランプ。自分一人じゃあどうしようにもならない問題だった。

 だから、パスキャッチできそうな連中を優先的に勧誘しよ(とろ)うと目論んで、事前に入学する新入生を調べ上げていたが、この瞬間、ヒル魔は頭の中のその役立たずなリストアップを秒で消去した。

 

「いきなりボールを投げてきて、あんたは誰だ……?」

 

「面白ぇ、ケケ、糞面白ぇ……!」

 

 そして、決めた。

 糞生意気な真似をしてくれた後輩を、何としてでも引き入れる。

 

 これが、ヒル魔妖一と長門村正の最初の顔合わせだった。

 

 

 ~~~

 

 

 幼馴染はアメリカへ行き、そして、自分はこの麻黄市に引っ越してきた。

 そして、何の変哲もない中学に進学した。

 麻黄中の入学式。その日はいつもよりも早く目覚め、それから早くに登校。予定の時刻よりもだいぶ早くに学校に着いたため、なんとなく校内を見学してたら、『おや?』とグラウンドの隅っこにアメフトで使う練習器具を発見。それで、ふと興味を持ってしまって……あいつと別れてからずっと燻っていたものをぶつけてしまったのが運の尽きだった。

 

『おやおやおや~? 何かと思えば、我が部の備品が壊れているな~? どうしたんだろうなァ?』

 

 いきなり不意打ちでボールを投げてきた下手人。だがしかし、彼の言い分は実に真っ当。

 勝手に部の備品を使い、あまつさえそれを壊してしまったのだ。非はこちらにある。

 長門はすぐ頭を下げて、その先輩に謝罪した。

 

『ごめんなさい! 貴方方の練習器具を壊してしまって……』

 

『そうかそうか、それは大変だねェー……君、怪我はしてないかい? 保健室へ案内しようか?』

 

『あ、はい、大丈夫です。体はどこも痛めてません』

 

『そうかそうか、それは良かった』

 

 最初、口角が吊り上がった笑みを浮かべていたように見えたのだが、それも一瞬の幻であったかのように、こちらを心配する先輩。しかし、どこかうさん臭さを覚える。

 直感的にだが、あんまり関わり合わない方が良さそうだと判断した長門。

 そんなこちらが距離を取ろうとする気配でも察知したかのように、ぐいっと一枚の用紙にペンも添えて差し出された。

 

『――とりあえず、“コイツ”に君の名前、クラス、それから電話番号と住所を書いてくれるかな?』

 

 どんなに怪しかろうが、壊した器具の弁償云々の責任を果たさなければならない。

 差し出された用紙とペンを受け取り、言われるがままに個人情報を記入しようとした長門は、一筆入れる寸前に気付く。

 

『あの、これは“入部届”ですが……』

 

『悪いねェ~。生憎と今、メモとなるものを持ち合わせてなくて、代わりに入部届(これ)に書いてくれ』

 

『いや、なんかもう入部先の部活名の欄に『アメリカンフットボール部』と思いっきり書いてあるんですが』

 

『気にせず、大丈夫だから。ね、書きなよ』

 

『しかし、これだと誤解されるんじゃ……』

『――ああ! 我が部の大事な部品がこんな粉々になっているとは! これではこの先の練習がままならないぞ! どうすればいいんだー!』

 

 こちらの負い目を、容赦なく突きまくってくるその弁舌。大袈裟に悲嘆にくれるポーズまで取ってこられては、長門も口をつぐむしかない。

 であるが、第一印象で覚ったこの先輩への警戒度は、長門の中でさらに固まっていく。

 

『えー、っと……それでは、自分のノートがありますので、そちらに書いておきます。ので、こちらは――《バチッ》――うおっ!?』

 

 と長門は渡された入部届を返そうとして、受け取るかのように出されたその手に、バチバチと電流弾けてるスタンガンが。

 

『ちっ! 避けたか』

 

 舌打ちする先輩。その顔にさっきまで猫被ってた親切な先輩面はなくなってる。

 

『何すんだアンタ!? それスタンガンだろ!』

 

『ここで大人しく入部届に書くか、無理やりに捕まるか選べ糞一年坊!』

 

 ヤバい。これは間違いなくヤバい相手だ。

 長門は即座に逃亡。反撃しても正当防衛だとは考えたものの、こちらに引け目があるのでやり難い。というかそれ以前に、護身用のスタンガンどころか、問答無用で銃まで持ち出してきた相手に徒手空拳で挑もうとはさらさら思わない。

 

 そうして、散々な目に遭いながらもヤバい先輩を撒いて自分の教室まで駆け込み、長門はどうにか間一髪で危機を脱した…………わけがない。

 

 

『えー、皆さん。

 我が麻黄中へようこそ。

 入学して早々、部の備品を壊して学校中を逃げ回るくらい元気な新入生を迎えられて、大変喜ばしく思います。

 その有り余るエネルギーを是非とも我がアメリカンフットボール部で発揮していただくことがよろしいでしょう。

 ですが、あまりにヤンチャが過ぎるのはよろしくはありません。

 きちんと、目上の先輩を敬い、逆らわない、従順さをまず身に着けることが人間関係において何よりも大事だと(わたくし)は思います』

 

 

 その後の入学式で、校長先生の挨拶を差し置いて、壇上に堂々と現れた危険人物を唖然と見上げたとき、『魔王からは逃れられない』というフレーズが脳裏によぎった。

 入学の挨拶など最初だけで、アメリカンフットボール部への勧誘と上下関係の徹底を呼び掛ける文句をてんこ盛りに盛った話をし終わってから、ニヤリとこちらに視線を振って邪悪に笑うその様に、なぜか悪魔の角やら尻尾が生えているのを幻視したことはきっと、長門だけの見間違いではないはずだ。

 

 賢明な連中であれば、入学初日で悟ったことだろう。

 “アレに逆らっちゃあダメだ。目をつけられたらおしまいだ”、と。

 どうやら麻黄中は治外法権で、あの一つ上の先輩――ヒル魔妖一が支配する領域(テリトリー)で、逃げ場などここにはないようだった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「強引な輩には幼馴染(あいつ)で慣れていたつもりだったが、上には上がいるものだなヒル魔妖一」

 

 長門は思い切り溜息を吐く。

 中学生活は、四六時中、ボールが飛んでくる毎日だった。

 朝の通学中で信号待ちのときにも、授業中にも、昼休みの食事中にも、体育の時間にも、そう、あの入学式の挨拶の最後にも、とにかくボールが投げ込まれた。

 おまけに、ボールには矢文のように『アメフト部に入部せよ! YA――HA――!』とメッセージ付き。なんて熱烈で、傍迷惑な行動力である。サブリミナル的な洗脳効果でも狙っているのかと疑わしい程、そこかしこに視界にちらつくアメフト部勧誘のおかげで、他の運動部の先輩方はまったく寄り付かない。一度声をかけられそうになったのだが、こちらの顔に気付いた途端、先輩に目を逸らされてしまった。まるで指名手配犯にでもなった気分である。

 で、この勝手な勧誘に対し、校長以下教員連中は何も言わない。授業中だろうとお構いなしにボールが飛んで来ようとも平常運転だ。軽く頬を引きつらせているが、言葉には出さない。徹底してスルーだ。

 まったくもって、学校全体に大いなる力が働いているように思えてならない。

 そして、そんな誰も逆らえないヤバい先輩に目をつけられてしまった長門に声をかけてくれるクラスメイトはおらず、盛大に中学デビューを失敗してしまった。

 とはいえ。

 引っ越してきたばかりで、知り合いのいない長門はまるっきり孤立無援というわけでもなかったりもする。

 

 

「ご、ごめんね長門君!」

 

「いえ、謝らないでください。元はこちらが部の備品を壊してしまったのが発端で……それに栗田先輩には何の非もありません」

 

 栗田良寛。中学の先輩であり、アメフト部員だ。横も縦も自分よりも大柄な体躯で、ラインマン。この先輩が愛用していた練習器具を長門は壊してしまったのだ。それ以前として、ヒル魔妖一とは真逆な性格で、温厚な人柄である栗田に、非難する真似などできない。

 しかし、だ。

 

「ですから、もう休み時間のたびにわざわざ謝罪しに来なくても結構ですよ」

 

「う、うん……で、でね! 長門君、よかったらなんだけど、放課後、アメフト部の部室に来ない? ゆっくりお話とかしたくて、えと、ケーキとかたっくさん用意してるから!」

 

 この栗田先輩も栗田先輩でまた、長門村正の勧誘には熱心である。彼も彼で毎日熱心に見学に誘ってくる。

 

「……すみませんが、俺にはやるべきことが―――!」

 

 栗田先輩との会話中でも関係なく、いきなり窓から空を裂いて飛来したボール――見逃せば、栗田先輩に当たるだろうコースを通っている弾丸パスを、反射的に動いた長門がキャッチする。

 錐揉み回転に擦る指先に力を籠め、ボールの勢いを確実に殺す。ケケケ、と哄笑だけを残し、当人は現れない。長門も追いかけない。慣れたくもないことに慣れてしまった、と愚痴を噛み殺した嘆息を吐く。

 そして、意識のピントをボールから優しい先輩へと戻すと……ものすっごく目を見開いて、驚いた顔をしていた。

 いきなりボールを当てられそうになったのだから吃驚もするかと思いきや、違った。

 

「すすすごい! すごいよ長門君! ヒル魔のパスをキャッチできるなんて! 話は聞いてたけど、こんな完璧に捕ってくれたのなんて初めてだよ!」

 

「そ、そうですか?」

 

 目をキラキラさせる栗田に圧されて、長門はわずかに引く。

 

「長門君! 僕達の仲間になってくれないかな!」

 

 メラメラと火が点いて、更に前のめりに勧誘してくる栗田先輩を見て、癖になりつつある溜息を零しつつ、長門はいい加減にケリをつけるべきかと心に決めた。

 

 

 ~~~

 

 

 帰りのHRの後、教室を出ると廊下で出待ちしていた栗田先輩と共に長門はすべての発端となった部室へ向かう。

 

「ガハハハ、ついに部室に来たな大物ルーキー。とうとう降参したか?」

 

「別に、部に入るつもりはありませんよ、酒奇先生」

 

 徳利を片手に出迎えたのは、このアメフト部の顧問教師である酒奇溝六。呑んだくれている姿しか見たことがないので、現役時代の面影を拾うのは難しいが、かつては名門の千石大で『二本刀』と謳われたアメリカンフットボールプレイヤーなのだそうだ。

 それからもうひとり、入念に脚のストレッチをしながらこちらに視線を向けるのは、三人目のアメフト部員(せんぱい)、武蔵厳。この先輩は、他二人と違って、勧誘等はしてこないが、厄介なのに目を付けられちまったなと苦笑させられたことがある。その際に、“もしもヒル魔がやり過ぎた対応してきたのなら言ってこい”と冷静なブレーキ役を担ってくれそうだったが、今日この日までボールの雨あられが止む気配が一向に訪れなかったので、それも怪しく長門は思ってしまう。……ただ、学内のうわさで『脅迫手帳』なるものをヒル魔妖一は持っていて、それで後ろめたいものがある連中を脅して支配しているそうだが、長門はその手段は向けられてはいない。

 

「随分と、疲れた顔してるな長門」

 

「ええ、こんな刺激的な毎日を送る中学デビューになるとは思っていなかったもので。俺としては普通の学園生活をしたかったところなんですが、誰か止めてくれる人はいませんか、武蔵先輩?」

 

「残念だが、そういうのはいないな」

 

 平和な中学生活は諦めるしかないようだ。せめて高校では、たとえ相手が魔王にだろうと果敢に立ち向かってくれる勇者がいることを長門は切に願った。

 

「どうしてもダメかな、長門君?」

 

「栗田先輩……あなたには悪いと思っていますが、俺はアメフト部に入るつもりはありません。今日、来たのはあなた方の勧誘を止めさせるためです。俺だけに迷惑がかかるのは…まあ、本当はよくないですけどいいですが、他の生徒にまで被害が及ぶまでにエスカレートはさせたくはない」

 

 相手の陣中でこんな発言をかますには多少の度胸がいるが、はっきりとそう告げる。だが、ここにいるのはそれではいそうですかと聞き分けの良い連中ではない。一番、押しが弱そうな栗田を含めて。

 

「うん。そうだよね。……でも、ヒル魔はね、長門君にすっごく入ってほしいんだよ。

 ヒル魔はパスを投げるポジション、クォーターバック。それで、武蔵が作った的当て(ライス)くんでいつも、すごく練習してるのに、誰もキャッチできないから、ずっと活かす機会がなくて……だから、長門君が、ヒル魔のパスを捕ってくれる仲間(レシーバー)になってくれたら、きっと今よりもずっと楽しくなる! 絶対にアメフトがもっと面白くなるよ!」

 

「………」

 

 心の底からそうなることを期待している栗田のセリフ。

 だが、長門もまた、そんな情で流されるほど、甘くはない。

 

「何を言おうが、俺には関係がない。あんたらの道楽に付き合う義理はない。俺を引き込む気でいるのなら――本当に、楽しめるか、確かめさせろ、ヒル魔妖一」

 

 長門はそう言いながら、振り返り部室の外に、鋭い視線を放つ。そこに立つ、既に防具を着込んで準備万端のヒル魔妖一を射抜くように。

 

 

 ~~~

 

 

「1球でも、俺がパスをキャッチ出来たら、少しは認めよう」

 

「ケケケ、生意気をほざくじゃねーか、糞一年坊」

 

「口達者な先輩には何を言ったところで、諦めが悪いのがよく分かったからな。実力で黙らせる他ない」

 

 行うのは、パス練習。

 ライン役の栗田からボールが渡されたのを合図に走り出す長門へ、スタートから3秒後にヒル魔がパスを投げる。

 パスルートの取り決めはなく、ただ真っ直ぐに走る。そこへヒル魔がボールを投げ込む。それを十回、行う。

 

「SET――」

 

 よし、とボールを掴む手に、つい力が入る。

 なにせ、これで、ヒル魔を見定められるのだ。一緒のチームで、仲間としてやっていけるかを。

 栗田は、知っている。

 自分も、武蔵も、練習してもまともにパスが捕れなくて、ヒル魔がいつも落胆していたことを。

 初めて自分の全力投球を捕った奴がいた、と報告し(いっ)てくれたときのヒル魔が、どれだけ嬉しかったことを。

 自分のことのように知っているのだ。

 栗田は、ヒル魔が投げるパスを、長門君ならばきっとキャッチしてくれると信じた。

 

「………」

 

 長門村正は、思う。

 ヒル魔妖一が投げるパス、まず落とすことはないだろう、と。

 

 

「――HUT!!」

 

 

 栗田がボールをスナップする。同時、長門始動。

 

 速い……!

 一気に駆け出した彼のスピードに、栗田は目を瞠った。

 自分と同じくらい体が大きいのに、動きが機敏だ。想像以上の速さ。しなやかな手足を野生動物のように瞬発させる走りは、肉体のバネが富んでいるからこそ成せるもので、栗田のようにパワーだけに留まらない天賦の才を感じさせた。

 そして、ヒル魔から投じられたボールがその背中を追うように空に伸びて――――長門村正は、立ち止まって、捕った。

 

「やったぁぁぁ!!!」

 

 なんと、一発で、ヒル魔のパスを捕ってくれた。

 部活結成時からずっと待ち望んでいた光景を目にし、栗田は喝采を上げる。そして、この瞬間を誰よりも待望していたであろうヒル魔の方へ振り返って、“あれ?”、と。

 ヒル魔は、笑っていなかった。喜んでなどいなかった。

 満足などしていないことが、栗田には一目でわかる。

 

 どういう、こと?

 見れば、武蔵も、栗田と事態こそ理解できないものの、この場にある空気から納得のいくものではなかったことを悟っているようで、そして、溝六先生は渋い表情を浮かべていた。

 え? 何か、ダメだったの?

 

「次、行くぞ、糞デブ」

 

「う、うん」

 

 ・

 ・

 ・

 

 そして、予定通り、パス練習は十回行われた。

 その十回全て、ヒル魔から投げられたボールを、長門は捕った。

 

「大体、わかった」

 

 だが。

 

 

「やはり俺はこのチームでは楽しめない」

 

 

 断言する長門。

 

「どうして!? 長門君、ヒル魔のパスをキャッチできてたのに!?」

 

「いいや、栗田先輩。俺は、1球も、パスをキャッチできていない」

 

 どういうこと???

 ヒル魔のパスを捕ってくれた。そのはずだ。長門君は一切手を抜かず、十回全部全力疾走でフィールドを駆け上がってくれて、余裕をもって、ヒル魔のパスをキャッチした。

 

「いや、長門の言う通りだ、栗田。ヒル魔は、一球も、パスを投げられちゃいねぇな……」

 

 動揺する栗田に、溝六先生が示す。

 ヒル魔から投げられたボールに、フィールドを走っていた長門は、すべて、途中で、減速、あるいは足を止めて捕っていた。

 十球全て、落とさなかった。ただし、それは、長門(レシーバー)の全速力に合わせられていなかったためだ。

 

「栗田先輩から、あんたの練習方法……あそこの的当て(ライズ)君の話を聞いて、ある程度は予想がついていた」

 

 ヒル魔は、練習には決して手を抜かなかった。

 練習相手(レシーバー)がいなくても、ずっとパスを投げ続けた。

 今、長門が示した“走ら(うごか)ない標的(ライズ)”に。

 

「それに、ヒル魔妖一、あんたは、俺が止まっている(うごいてない)ときにしかボールを投げてこなかった」

 

 朝の通学中で信号待ち、授業中、昼休みの食事中、体育の時間、入学式の最中……全部、長門は、立ち止まっていた。

 動かない的、だった。

 

 ヒル魔は、練習に手を抜いたことなんて、一度もない。

 しかし、動かない的に慣れるばかりで、全速疾走のレシーバーに合わせられるのか?

 いや、むしろ、慣れたばかりに、動かない相手にしか投げられなくなっていないか?

 

「そんなボール、パスなどと俺は思わない」

 

 そう、今やったのは、単なるキャッチボールだ。

 クォーターバックのパスは、キャッチボールとは違う。レシーバーの先、限界点にある目標に来るボールが、パスだ。全速疾走するレシーバーの、全力に応えられるものなのだ。

 だからこそ、手を抜かなければ置き去りにしてしまう、そんなところしか投げられない者を、クォーターバックなどとは認めることはできない。

 

「試合では、マークに着いた相手とギリギリの競り合いをしながらキャッチをしなければならない。途中で立ち止まってしまう、レシーバーを殺してしまうボールなんて、パスとして役に立たない」

 

 走るコースは。決められた通り。真っ直ぐだというのは事前にわかっている。

 だから、あとはスピードを目算して、その走りの先を予測し、パスを送る。

 

 しかし、頭で計算できようが、それを実践できるかというのは別問題。いくら計算が早く、即座に限界点を導け出せようが、実際にそれができなければ、机上の空論と成り果てる。

 

「そ、そんな……!」

 

 動揺する栗田は、思わずヒル魔を見る。だが、口での喧嘩で百戦錬磨であるはずのヒル魔がそれを屁理屈だと物言いしない。わかっているのだ。自分でも、パスを投げられなかったことが。

 

 

 ――ビュオッ!

 

 

 突如、フィールドに吹き込んだ一陣の風。春一番の突風は、グラウンドに置かれていた的当てを押し動かし――それを視界の端で捉えていた長門が、捕ったそのボールを投げる。

 誰かが反応するよりも早く、その動いた的当て(ライズ)へ、長門のパスは、強風を切り裂きながら真っ直ぐに枠内を通った。

 これが、パスだ、と。

 言葉でなく実技で示したその一投に、何も言えなくなる空気の中で、栗田はそれでもと声を張り上げた。

 

「でも! ヒル魔も練習すればきっと今みたいな、長門君に応えられるパスを投げられるよきっと!」

 

「確かに。これまでの話を聞いて、ぶっつけ本番で俺にパスを投げられるとは思っていない」

 

「じゃあ――」

 

「だが、それができるようになるのに、どれだけの時間がかかる?」

 

 刃のように鋭い弁舌で、残酷にも断ずる。

 

「経験が足りない。そして、致命的に才能(センス)も足りない。アメフトを初めて一年足らずだろうと、己の向き不向きくらいは実感できているはずだ、ヒル魔妖一」

 

 睨みつけるヒル魔に、長門は背を向ける。

 

「あんたらには、夢があるんだろう。だが、俺には、約束がある。寄り道してる余裕は、ない」

 

 

 ~~~

 

 

 屹然と言い放ち、フィールドを去っていく奴を、誰も追いかけることはできなかった。

 栗田はつい手を伸ばしたが、かける言葉が見つからず、結局は動けない。

 武蔵もここで引き止めるだけの文句など出せず、しかめっ面で見送る。

 そして、ヒル魔は、力不足と言い切られ、何も言い返せない。

 

「『反りが合わねェ』って、言葉があんだろ」

 

 溝六が徳利を置いて、語りだす。

 

「“反り”ってのは、刀の峰の反ってる部分を指すもんでな。この反りが、鞘の曲がり具合に合ってねーと、刀を鞘に収めることができねェんだ」

 

 これを人間関係に当てはめて、『反りが合わない』という言葉は、互いの考え方や性格が違うため、うまく付き合えないという意味として使われるようになった。

 

「つ、つまり、先生は、僕達と長門君はうまくやっていけないって言いたいんですか……?」

 

 授業の成績は残念でも、今、溝六がその言葉を使った意図くらい栗田にも察せられる。アメフトを教えてくれる恩師から突き付けられた厳しい文句に、栗田は改めるまでもないのに確認を乞うてしまう。

 

「いいや、そんなんじゃねェ」

 

 否定。

 それは栗田が望んだ解答のように思えたが、違う。

 溝六は重く、言い放つ。

 

「お前さんたちが仲間に引き入れたい長門村正は、たとえるのなら、あまりに切れ味が良すぎる刀だ。まだ粗削りなところはあるが、振るえば何もかもスパッと一刀両断としてしまえるほどの力がある。

 だからこそ、反りが合わない鞘なんざ、()()()()()()()()()

 

 敵だけでなく、仲間の有り様まで切り刻んでしまう程の切れ味(さいのう)――まさしく、『妖刀』。

 

 残念ながら、ヒル魔たちには身に余る相手だった、としか言いようがない。

 

 もし、ヒル魔が脅迫手帳でも駆使して強引な手段でチームに引き入れようとするならば、溝六はそれを止めるだろう。

 身の程に釣り合わねぇ天才に付き合っちまうと、自分(テメェ)のプレイを殺してしまうことになる。

 たとえ双子であろうとも、あまりに才能がかけ離れてしまえば、天才を引き立たせるための付属品に成り果てる。それほどに才能というのは残酷だ。

 身に合わぬ袈裟を着ても、無様になるだけだとあの3人……特にヒル魔はわかったはずだ。

 

「……んで、どうすんだ?」

 

 もう逃がした大物は見えないところまで行っちまった。これ以上停滞しても、未練がましさが募るだけ。

 空気を切り替えるべく、溝六は3人に問うた。

 ここで長門から手を引いても、溝六は何も言わない。

 

 

「――――ケケ」

 

 

 応じたのは、微かな哄笑。

 胸の内から湧き上がるその衝動は、閉口されようが声として漏れ出てきた。そして、一度でも堰が開けば、たちまち口角は吊り上がる。

 

「ケケケケケケケケケケ!!! 随分と遠慮なく、容赦なく言ってくれるじゃねーか、糞一年坊! いいや、糞カタナ!!」

 

「ひ、ヒル魔!?」

 

 レシーバー候補にフラれて、取り残されたフィールドに立つヒル魔妖一。派手に染め上げ逆立った金髪が、ゆらりと揺れた。炎のように。

 そう、より盛んに燃え上がる。

 目が、フル回転した頭脳から弾けるスパークでも映し出してるかのようにギラギラと輝きだす。

 さっきまでの沈黙は、力を溜めてたとばかりに哄笑を爆発させるヒル魔に、栗田は吃驚しており、武蔵はその強張った面を苦笑で崩す。

 

 ああ、そうだ。

 溝六も、笑う。

 こいつらは、このくらいで怖気づいちまうタマじゃあねぇ。

 全国大会優勝――最強のチームとなる為、果敢に苦難に挑まんとするバカどもだ。

 溝六は再度同じ問いかけを投げた。さっきとは違う調子で。

 

「それで、どうすんだ? 長門のことは諦めんのか?」

 

「逃がすわけがねーだろ、糞アル中」

 

「そ、そうだよね! 時間かかっちゃうかもしれないけど、きっと長門君にも僕達とのアメフトが楽しめるようになればきっと……!」

 

「甘っちょろいことほざいてんじゃねぇぞ、糞デブ! あの糞カタナは、屈服させる……! 実力で、な」

 

「また回りくどい真似をするな」

 

「テメーの時と一緒だ糞ジジイ。脅したところで靡く輩じゃあねぇ。ああも糞生意気な後輩は、認めさせなければモノにはならない」

 

 だから、テメェら! ブチ殺すつもりで引き込むぞ!

 ヒル魔の宣戦布告に、栗田も武蔵も笑って頷いた。

 


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