悪魔の妖刀   作:背番号88

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33話

「……そういえば、公式戦で武蔵先輩のキックに参加できるのは久しぶりですね」

 

「ん? ああ、そうだったか」

 

「そうっすよ。西部戦は後半守備だけで王城戦も参加できませんでしたから、フィールドで見る『60ヤードマグナム』を見るのは感慨深くって。さっきのボーナスキックは外しそうで冷や冷やしましたが。相変わらずの荒れ球キックです」

 

 まったく、この後輩は口も気も良く回る。こういう積極性とか目上相手に物怖じしない度胸はきっとヒル魔の影響だ。

 こうやって話しかけて緊張を解そうと来たんだろうが、余計なお世話だ。栗田たちも重圧を撥ね退けてフィールドに立っている。

 俺も、もうコイツに“キックゲームがない分だけの負担”をかけさせるような真似はさせるつもりはない。

 だから、存分に、闘ってこい――

 

 武蔵厳はそんな想いをわざわざ言葉にはしない。頑固親父に仕込まれた、背中で語る職人気質が抜け切らないのか。中学からの付き合いのある先輩は行動で示す。

 

「位置についてろ。これは俺の仕事だ」

 

 

 ~~~

 

 

「お……鬼でけえええええ!!」

「なんちゅう……」

 

 雲を突き破らんばかりに蹴りあげられたボール。

 泥門デビルバッツのキッカー・武蔵の雷名、『60ヤードマグナム』は、このキック力の凄まじさからきている。

 

 

「ふ

 ん

 ぬ

 ら

 ばーーーっ!!」

「プギィ~!? 何っっつうパワーだこの……」

 

 キックの滞空時間が長い分だけ、両軍の間合いは詰められる。

 重戦士・栗田良寛の猛烈なラッシュに、神龍寺ナーガのタックル、背番号58の八浄戒が吹っ飛ばされる。

 

「ったー! 馬鹿ちんハッカイ! ビデオで見たろ。栗田とまともに押し合ってどうする。スピードがない奴は動きをコントロールすんだ。狙いを澄まして、瞬間の打撃に力を集中すれば――破!!」

 

 『粉砕ヒット』が、相手タックルを撥ね飛ばした直後で、曝け出された栗田の胴体、鳩尾に叩き込まれる。

 心臓バンプのように急所に抉り込まれた強烈な“弾き”は、栗田の呼吸を止めた。

 

 

「――倒れるな、栗田! お前はそのでけぇ背中に仲間(チーム)背負(しょ)ってんだろ!」

 

 

 ――押されようが、倒されっ放しは許されない。

 観客席の山本鬼兵の発破が、栗田の両眼に火を点ける。

 スピードがない――それは逆に返せば、その分だけ重心が据わっている。仰け反らされた栗田だったが、達磨の如く起き上がる。

 たとえ弾かれようが、即座に体勢を立て直して何度でも喰らいつく――すなわち、絶対に倒れない。

 これこそが真のラインマンの志――壁漢(ライン)魂だ……!

 

「栗田さん……!!」

 

 後続の道を切り開かんとする山伏に粘り腰で食らいつく栗田。

 それは川の激流の最中にあって左右に分ける大きな岩石のよう。神龍寺の勢いを阻む重しとなる。

 

「チッ、デブが」

 

 ボールキャリアーの阿含は中央に築かれた壁、ラインマン同士の競り合っている密集エリアを避けるため、大外へコースを変える。

 そこに待ち構える『妖刀』の断頭台。

 

「……っ!」

 

 ほんの一瞬、0.01秒の油断が、致命傷になり得る相手。

 長門村正(コイツ)が、進と同じように片腕(スピア)タックルを仕掛けてくることは知っている。そして、そいつがその進よりもパワーの勝る超力の腕だということも。

 

 手刀で捌くか。いいや、それも難しい。進の“槍”も真正面(まとも)に受ければ、阿含でも吹っ飛ばされる。だから、槍の側面を弾くよう、伸びてくる腕を横からブッタ斬るしかない。進のよりもスピードで劣っているんだから、見切るのなんて余裕だ。さっきの仕返しにぶちのめして――

 

 相対して見据えられている長門の双眸が、眇められる。

 

――間合いに迂闊に踏み入れば、斬られる。

 

 

『おーっと、阿含君、大きく距離を取ったぞ! やはり長門君との勝負は避けたいか?』

 

 

 な……っ!

 阿含が長門から距離を取ったことに誰よりも驚いたのは、他ならぬ阿含自身だった。

 反応というより反射。熱いものに触れたら手を引っ込めるような、無意識の行動。長門のほんの僅かな挙動に、身体が勝手に、暴力的な衝動に反して大袈裟に、離れた。

 接近するのは危険――刻み込まれた一撃が、本能を刺激した。天才の理性を無視するほどに。

 ……それは、傍から見れば、観客から見れば、目の前の相手(ながとむらまさ)から()()()とも思えるような光景。

 ――それを阿含は、瞬時に、理解する。脳裏に今のを俯瞰的に思い描いて、その無様さを思い知る。そして、微かにあった冷静な思慮が蒸発する。

 

 だが、そんなことは許されない。断じて。

 俺が、臆するなど、ありえない――!!

 

 金剛阿含は、暴虐に狂った獣の皮を被っているが、洗練された戦士だ。闘ってはならぬ土俵というのを心得ている。

 だが、金剛阿含は知らなかった。

 敗北を。

 完膚なきまでの負けを体感したことがなかった。

 受け入れがたい事実を消化し切れていない天才は、客観的に考えられれば危険地帯に踏み込む。

 

 ――瞬間、“槍”の穂先が眼前に来た。

 

 平行四辺形を崩すよう0秒で迫る瞬歩。反応すべき“起こり”のない急接近から繰り出されるワンハンドタックル。

 刃先に触れれば断つ蜻蛉切の一突きに、超反応の手刀はその柄を叩くことに成功する。

 捌いた……!

 手刀を叩き込んでも腕一本分くらいしか軌道をズラせなかったが、それでも開けた。この刹那の機を逃さず、『神速のインパルス』は動き出し――もうひとつの腕に気付いた。

 

 これは片手突きではなく、諸手突き。両手を同時に突き出す双手突き。

 通常は、骨盤に対して水平に腰を捻って突き出すものが主流。この横に体軸を回す動作をすれば、自然、もう片方の腕は後ろへ振り下がる。しかし、仙骨を前転させ腰筋を効かせて姿勢を前傾。その時、背筋を収縮させて身を起こせば、体軸は前へせり出す。この縦回転の力からならば、腰の入った突きを、両腕から繰り出せるのだ。

 

 『山突き』と呼ばれる、空手の中でもスポーツ化した中で使われなくなった型のひとつ。

 ひとつの腕の突きに意識を集中させてしまえば、もうひとつの腕は死角に入ってしまう。

 『神速のインパルス』は察知したが、阿含のもう片手はボールを抱えているため防ぎようがない。それに、もう間に合わな(おそ)い。

 

「がっ……!?」

 

 阿含の行動を遮った長門の左腕がラリアットを決めるように脇を抉り込む。そして、真っ直ぐに突き出されていた右腕が曲がる。両腕でがっちりと抱く形になる。

 進清十郎の『スピアタックル』というより、ライバルである大和猛の『帝王の突撃(シーザーズ・チャージ)』の如き制圧。

 長門村正に確捕された金剛阿含は、自身を上回るパワーの前に抗いようがなく、再び地面に叩きつけられた。

 

 

 ~~~

 

 

『どうした雲水? お兄ちゃんのくせに』

 

 最初、自分は自転車にまともに乗ることができなかった。

 

『阿含は一発で自転車に乗れるようになったぞ!』

 

 一方で、弟は初挑戦でいきなり、歩道のレールの上に後車輪を乗せて走らせる普通じゃできない芸当をしてみせた。

 他にも体育祭のリレーでも、何にも練習や鍛錬もしていないぶっつけ本番で、運動部連中をぶっちぎりに突き放す活躍を見せ、気まぐれに大会に出れば必ず一番の賞を獲ってくる。

 思い返せば、いつも、“最強”だった。

 自然、この神に愛された弟に、皆が夢中になる。

 そして、己は天賦の才能の差を思い知るのはそう遅いことではなかった。

 

 何千回思っただろう。

 どうして阿含(おとうと)なんだ?

 どうして雲水(おれ)じゃないんだ?

 ずっとずっと。

 弟の光り輝く、常にスポットライトが当てられる活躍を魅せるたびに、その影で地べたを這いずる兄は弟に才能を奪われた絞り粕(カス)に過ぎない存在なのかと劣等感を抱き続けた。

 きっと、弟はこんな惨めな思いなど味わうことなどないのだろう……そう、思っていた。

 

 

 ~~~

 

 

『泥門7対神龍寺0。掟破りの『デビルドラゴンフライ』で先制点を取られた神龍寺もやはり繰り出すか『ドラゴンフライ』!!』

 

 阿含と雲水、双子の兄弟二人を司令塔に据える神龍寺ナーガの最強の陣形――『ドラゴンフライ』

 昔、無敵だった日本大学が使っていた超スペシャルフォーメーションで、『ドラゴンフライの金剛兄弟』はこれまでの関東大会、彼の黄金時代の王城ホワイトナイツですら止められなかった。

 

 

「……つーわけで、糞チビ! ここからがテメーの仕事(ばん)だ」

 

 オフェンスでは()()されている最速の札(エース)が切られる。

 

 

 ~~~

 

 

「うおお速ぇ! 一瞬で阿含の心臓サイドに潜り込んだ!」

 

 阿含へとスナップされたボールに追いつかんばかりの光速疾走を見せるのは、アイシールド装備した背番号21・小早川セナ。

 

『阿含ひとりに全神経張り詰めろ。全脚力を注ぎ込め。1%でもヤツの余裕を削れ、糞チビ』

 

 交流戦で、同じく投手二人体制(ドラゴンフライ)敷い(しかけ)てきた東京地区に、大阪代表が取った対処法と同じ。

 アイシールド21が、超高速で、投手の一人である金剛阿含に『電撃突撃(ブリッツ)』する。

 ボールを持っていようが持ってなかろうが関係なく、とにかく突っ込んで自由に動けなくして、金剛兄弟のホットラインを邪魔する。

 見てから反応できる『神速のインパルス』に、奇策の類は通用しない。

 だから、直球勝負を仕掛ける。

 

(――行くんだ! 限界の超高速ブリッツ!!)

 

 小早川セナ自身、最高速4秒2を出し続けることなどできないとわかっている。

 でも、この守備にだけ脚力を注げるのなら、試合終了まで走り切れるはず……!

 

 

(よし! 腕を狙って……――)

 

 

 レシーバーなら西部戦で学んだ、レシーバー潰しのバンプ。

 そして、NASA戦で学んだ、クォーターバック潰しの腕狙い。

 発射台となる肩に飛びつけばセナの腕力だってパスを阻止することができる――

 

 

「何してんだお前?」

 

 

 超高速アタックに超反応した手刀が、セナの矮躯を大雑把に払い除けた。

 

「ぎっ……!!!」

「テメーらカスが、俺の眼中に入ってきてんじゃねぇ」

 

 今のセナの脚の速さ(スピード)は並の投手ならば投げる前に潰せる。けして無視できるものじゃない。だが、金剛阿含の反応の迅さ(スピード)に不意はつけない。そして、たとえ回し受けで腕を盾にして(デビルスタンガンで)もパワー差は踏ん張り切れるものじゃない。

 突っ込め(いけ)ば、必ずやられる――そう、長門君は言っていた。

 

 

『おおお阿含君!! アイシールド21の光速チャージを超反応で弾き飛ばし、そのまま流れるようにパス体勢に――』

 

 

 ぞくり、と悪寒が走る。

 発生源は、倒されたセナの後方――阿含(こちら)を真正面から睨みつけてマークしている『妖刀』が、仲間が倒された瞬間に鬼気を漏れ出させたのだ。

 見てから理解する早さが群を抜いている天才は瞬時に把握する。

 ここから投げられるパスコースの狭さを。

 

 

 ~~~

 

 

「あれは、イヤだねぇ本当……下手なところに投げられない」

 

 同じ経験をした西部ワイルドガンマンズのキッドはぼやく。

 あれは今思い出すだけでも苦い思い出だ。

 長門村正の『クォーターバック・スパイ』。

 あの三次元に広範囲な守備力をもった『人間ドーム』に、視界の真正面を塞がれる。

 睨みを利かす『妖刀』に、安全地帯が大きく削り取られてしまう中で、パスターゲットを見つけだすのがいかに難しいことか。

 それは、“天才”と言えど、同じだろう。

 

 

 ~~~

 

 

 小早川セナの『電撃突撃(ブリッツ)』に、長門村正の『クォーターバック・スパイ』

 泥門デビルバッツはこれで、『ドラゴンフライ』の軸となる金剛阿含の時間とパスを投げる場所に制限をかけにきた。

 

 その間合いが離れていようが、この試合中、阿含は長門のことを無視できない。それどころかプレイの度に存在感が増していく。実質、1対2の状況を強いられている。

 

「セナー!!」

 

 やる前は、怖かった。ひたすら脚が震えてた。実際、腰も引けてたと思う。

 だけど、モン太や長門君、皆が戦っているのを見たら、止まってなんかいられない。

 そう、泥門デビルバッツ全員で、全国大会決勝(クリスマスボウル)に行くんだ――!

 

 長門村正の鬼気に反応した金剛阿含の、0.1秒の硬直。この秒を刻むような刹那に、鈴音の声援(チア)に起きた小早川セナは再び挑みかかった。

 

 考えてなどいない。元より考えることは苦手だったりする。

 後先のことなど棚に上げ、今に全集中を注ぎ、全神経を張り詰めさせ、全脚力を爆発させる。

 今の小早川セナに雑念はなく、アイシールド越しに映る風景には、阿含ひとり。

 

「―――」

 

 これを察知した阿含はセナのタックルを回避しながらパスを投じた。

 だが、短い。レシーバーも上がり切っておらず、完全にマンマークを振り切らせるためにはもっと余裕を持たせたかった。そして、反応せざるを得なかったセナのスピードへの対処に神経を割いたせいか、パスコースの精度も甘い。

 

 ――手を伸ばせ長門村正! その長身長腕は、師が届かなかったものにも届き得る才能だろうが!

 阿含のパスに瞬時に反応した長門が全力で跳躍し、精一杯に伸ばした腕――その指先が、掠らせた。

 

 回転するボール表面に摩擦する異音。乱れる軌道。この着地点を目指しながら睨み合っていた一休とモン太の二人は本能でそれに勘付き、修正を図る。

 

 

「捕るんだ! セナと長門が作ったチャンスを、俺がもぎ捕るんだ!!」

「やらせるか! キャッチのNo.1は俺だ!!」

「だったら、この試合で、一休先輩を超えるっス!」

 

 

 ほぼ同時にボールに飛びついた両者が、空中戦でもつれあいながら、地面に身を擦る。

 

 

『パス成功! 神龍寺ナーガ、4ヤード前進!!』

 

 

 ~~~

 

 

 腕の中にボールを抱え込んだのは、神龍寺ナーガの一休。

 

「キッショ……防げなかった……!」

 

 インターセプトが叶わず、悔しそうに地面を叩くモン太。セナと長門、二人の健闘空しく、折角のチャンスを無駄にしてしまった。

 

「!!?」

 

 そんなモン太の、四つん這いになってるケツを蹴っ飛ばすヒル魔。

 わかりづらいが、これは泥門的にはヒル魔は今のプレイを称賛しているのだ。

 

「いけてるよーモン太君! 一休君へのパス、たったの4ヤードに抑えたんだよ!」

「これでテメーと競り合いになれば一休だってヤベーってことが連中にもわかってきただろ。ケケケ、これでますますパスが縮こまってくぞ……!」

 

 パスターゲット第一候補である細川一休が厳しいとなれば、その分だけまた余裕が削れる。

 

「セナも二度も挑むとはナイスガッツだ。金剛阿含のパスターゲットを探す猶予時間が三割減といったところだな」

「そ、そうかな。でも、長門君が後ろからプレッシャーをかけてきたからその分集中し切れなかったんだと思うし」

「実際に挑みに行ったのはセナだ。『ドラゴンフライ』を阻むにはやはり金剛阿含に追い迫るセナのスピードがなければ、始まらない」

 

 攻撃阻止失敗。

 しかし、試合の流れは依然、泥門デビルバッツにあった。

 

「あいつらに頼ってばっかもいれらんねぇ。俺らもバシバシプレッシャーかけてくぞ!」

「ウーーース!」

「フゴッ!」

 

 十文字たちも声をあげて、士気を高めていく。

 

 

 ~~~

 

 

 選手一人にブリッツとマークの二人をつかせた分、生じる隙は大きなものになるが、泥門デビルバッツの基本方針は、勝気に大博打(ギャンブル)一発。5回失敗しようが1回の大勝ちで挽回できると踏んで果敢に勝負を仕掛ける。殴り合い上等とばかりに守備であろうが攻めの姿勢を貫く。

 この手のチームは流れに乗れば強い。一気に試合展開を持っていくこともあり得る。

 

 そして、神龍寺ナーガの雰囲気は深刻化しつつあった。

 

 勢いはあるが粗のある泥門の守備。ショートパスを繋いで、10ヤードまで稼ぎ、連続攻撃権を得る。少しずつだが、前進している。

 だが、プレイの度に余裕がなくなっていく。

 チリチリと張り詰め過ぎて切れそうになっていく細糸のイメージが、全員の頭の中に過っていることだろう。

 

 神龍寺ナーガは、堅実な試合運びをするチームだ。泥門のように思い切った博打(プレイ)などしない。確実に勝つところを狙う。一度も失敗せずに積み重ねて、百戦錬磨のチームとなってきた。

 だから、ミスできない。

 それはチームの中核の絶対的エースがさらに拍車をかけている。

 

 金剛阿含は、細川一休を除き、神龍寺ナーガをチームメイトと認めていない。

 見下している。腑抜けた真似(プレイ)で足を引っ張れば殺す。去年の帝黒学園との全国大会決勝での前科がある。きっと金剛阿含は自分たちを制裁することに躊躇しないだろう。そうなれば。終わりだ。

 この冷や汗を垂らす緊張感が蔓延する中でのプレイは、選手たちの疲労度を倍のものにする。

 だが、阿含はそんなチームが委縮することなど意に介さない。道端のムシケラに過ぎない連中のことなど、誰が気にするものか。気に入らなければ踏み潰すだけのこと。

 ……しかし、それは阿含もまた、対峙する相手以外のことに思考を割く余裕がなくなっているのもあるかもしれない。

 

「アイシールド21と長門村正、あの二人を相手にすることは、金剛阿含と言えども容易ではない」

 

 進清十郎とて春季大会でぶつかった時は、圧されていた。あのタッグが春以上に練度と実力を高めてきているのだから、金剛阿含でもままならないだろう。

 阿含の張り詰めさせていく沈黙は、チーム内の空気を悪化させる一途にある。

 

「両チームのエースの気質の差が出ているな」

 

 金剛阿含は逆らうものがいない絶対強者。

 常に先頭にあり、後続を振り返る真似などしない。それはチームに怠慢を許さない緊張を施してくれるが過ぎれば動きを固くしてしまうもの。

 

 長門村正もまた名実ともに大黒柱と認められるエースだ。だが、性質は金剛阿含とは逆だ。チームメイトが思い切りプレイできるよう後ろでフォローし、プレイの質を底上げさせる。その時その時の状況によってチームの最善となるように動いているのだ。

 

「泥門も神龍寺も、エースの影響力が大きい。二人の勝負次第では、一気に試合が決するだろうね」

 

 

 ~~~

 

 

「そう甘くはないぞ、泥門。『ドラゴンフライ』は変幻自在だ」

 

 神龍寺の指揮官は阿含だけではない。

 雲水は、この状況を改善せんと策を立てる。

 それは、阿含にボールを介さずに大量ヤードを稼ぐという作戦。

 決して口にはしないだろうが苦しい状況にある阿含の負担を軽減させることもできるし、チームも少しは緊張が軽減してプレイができるだろう、と。

 

「おおおおお!! 阿含でも雲水でもねぇ! ランニングバック・サンゾーの中央突破だー!!」

 

 まず背番号20・ハーフバックの釜田玄奘(サンゾー)へボールを渡す。

 

「ずりゃあァァア!!」

 

 八浄戒(ハッカイ)と背番号54の河籐三平(サゴジョー)が押し上げているラインのところから中央突破を仕掛ける。

 

(ほほほほほほ、それすらも幻術の内、それが『ドラゴンフライ』……)

 

 釜田玄奘が泥門の注意を引き付けたところでバックパスして、雲水に戻す。そして、レシーバーとして駆け上がっている背番号5のタイトエンド・斉天正行(ゴクウ)へロングパスを決めて大量ヤードを得る――

 

 それが、雲水が企てる作戦。

 中央を陣取る長門村正が脅威だが、向こうも阿含を無視できまい。

 そして、『妖刀』を除けば、泥門の守備は大したことがない。脚の速いアイシールド21も『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けているため、後ろにさえ抜けれれば小さい体ですばしっこく動き回る斉天正行を捕まえる選手はいない。タッチダウンも狙える。

 

 

(神龍寺だか、百年に一人の天才だか知らねーが、こっちもカスカス言われて黙ってられる腰抜けじゃねぇぞ!)

 

 金剛阿含に、長門村正は太刀打ちできている。

 中央エリアを、長門がしっかり護ってくれる。この信頼があるからこそ、皆それぞれ自分にできる範囲の仕事に専念できる。

 ――だから、果敢に行け!

 

「ハッ!」

「プギィー! 袖掴んで、引っ張られて……」

 

 マッチアップした八浄戒を十文字は、『不良殺法(ブル&シャーク)』で縦に、いや、斜めにいなす。横へ体勢を傾けさせられた八浄戒の大きな体躯は隣にいた河籐三平へ倒れ込む。河籐三平の動きが抑えられ、マッチアップしていた戸叶が自由になった。

 

「ハァッ!」

「やばっ! 抜けられ……」

 

 戸叶が空いた穴を抜ける。動き出し(スタート)が早い。十文字が突破口を作るとわかっていた動き、いや、端からそういうつもりだったのだ。

 交流戦の試合映像を見て、練習した自分たちの連携プレイ。

 

 ――『十文字(クロス)スタンツ』!

 

 『不良殺法』からの『クロス・スタンツ』。

 現代ラインマンで連携が最も重視されるという。だったら、ずっと顔を突き合わせてきた俺達三人の武器にできないわけがない。

 

「ひぃっ!?」

 

 バックパスしようと振り返ろうとした釜田玄奘だったが、ちょうどその時にラインを破ってきた戸叶のタックルを食らい、ボールをこぼす。

 

「はあああああっ!」

 

 そのこぼれたボールが他に拾われる前に、誰よりも早く飛び出していた黒木が捕まえた。

 

 

『捕ったァーーー!! 十文字君、戸叶君、黒木君の連携プレイが炸裂! 泥門デビルバッツ、神龍寺ナーガからボールを奪取(ゲット)!』

 

 

 ~~~

 

 

『阿含(くん)に、ここ、殺され(ちゃう)……!!!!!』

 

 まんまといなされた八浄、相手を逃した河籐、そしてボールを落とした釜田。

 するべきではない失態をしてしまった三人が三人、顔を蒼褪めさせて震え上がる。

 

『南無ゥウウウウウ――!!!!!』

 

 ガクブルと味方であるはずの阿含を怖れ泣き震える。

 

「………」

 

 しかし。

 意外なことに、阿含は無反応だった。

 釜田たちを見てすらいない。阿含はただただ見据えている。長門村正を。

 

(阿含……!!)

 

 この様子を誰よりも内情を察したのは、兄の雲水。

 認めたのか。長門村正を。トッププレイヤーの世界を突き進んでいる超人だと。

 そして――

 

 その頬に、僅かに滲む汗の痕。

 雲水はこれ以上見入るのをやめた。

 

 

 ~~~

 

 

『おおーっと! 阿含君、長門君へ『電撃突撃(ブリッツ)』だぁぁ!!』

 

 もはやカス共に雀の涙ほどの期待もかけるのはやめだ。

 足を引っ張る連中など無視して、自分で仕留める。

 

 半ば暴走気味に飛び出した金剛阿含の動きは、神龍寺ナーガの指揮通りではなかった。

 だがしかし、この殺意を滾らせる鬼神に意見する者も阻める者もいない。

 

「なあ、あんたは最強の選手ってどんな選手だと思う?」

 

「あ゛?」

 

 迫る阿含と相対する、長門は揺るがない。

 

「きっとチームを頂点に導く選手だと思う。俺は、それになる。――全国大会決勝(クリスマスボウル)の夢、微塵も譲るつもりはない」

 

 真っ向から睨み返してくる真っ直ぐな眼差し――逆に、阿含は圧される。

 喉元に刃先を突き付けてくるような、鋭い気迫。これが本能をざわめかせる。思い返させる。自分を蹴散らした圧倒的な暴力を。

 潰す! ――踏み込むのはマズい。――やるんだよ! ――やられる。――俺が、臆するだと! ――コイツの前に立つな!

 反応が、鈍る。神速の神経伝達も相反する命令が錯綜すれば混乱する。

 

 アメフトは、ビビった方が負け。

 先の一発の印象が回復し(ぬぐい)切れていない阿含は、反応、できなかった。

 

 ――パス……!

 

 長門が選んだのは、抜く、倒すでもない第三の選択肢。

 阿含がパスカットに飛びつこうが届かない、山なりに高く弧を描くループパス。

 

 

「アハーハー! このボクを輝かせるナイスなパスだよ、村正!」

 

 

 ボールが跳び上がったようなそのパスは、『ノミのダンス』――ビーチフットチーム『TOO TA TTOO』が得意としたパス回しだった。

 長身の瀧が、自分の真上に落ちてくるパスを、垂直に飛び上がって高い地点でキャッチを決めた。

 

 

 ~~~

 

 

 本場アメリカへのスポーツ留学。

 まさかこれに選ばれるなんて思っていなかった。

 だけど、これもずっと己を磨いてきた、自分にできることをやってきたおかげなのだと信じた。

 ……そんなのは、束の間の夢に過ぎなかった。

 

 ――そうか、雲水君っていうのは君の方か。

 ――ほら、双子だから……わからなかったよ。この顔写真に金剛って苗字でしょ?

 ――でもね。うちが奨学金を出したつもりだったのは、()()()の方なんだ

 

 中学時代、アメリカンフットボールをやっていたのは、雲水(おれ)だ。

 阿含(おとうと)は、どこの運動部にも所属していない。気ままに戯れるだけで、何の活躍もしていなかったはずだった。

 だが、それでも、兄よりも弟だった。

 これは、一生ついて回るのだろう。自分はずっと出来の良い弟と比較されるのだろう。俺はずっと、笑い者にされるのだろう……!

 

『……才能のない者を振り返るな。実力の世界で同情は誰も救わない』

 

 その夜、俺は、その留学の件を断ってきた弟に言った。

 

『凡人を踏み潰して進め』

 

 その日から、弟は才なき者の努力を嘲笑って捻り潰すようになった。

 

『暴力的なまでの自分の才能だけを信じろ』

 

 その日から、弟は他人を見下し、己こそが絶対のものだと主張するようになった。

 

『そうしてこそ、(おれ)が報われる』

 

『……言われねぇでも、そのつもりだよ』

 

 その日から、俺自身を諦めた俺の野心は、天才の弟が最強になることになった。

 その為ならば、弟の素行の後始末は全て自分が被ろう。

 その道は、茨の道だと仙洞田監督に諭されたが、覚悟の上だ。

 

 ――これで、いい。

 凡人の俺はトップに立てなくていい。凡人が身の程知らずにみっともない真似はするべきじゃない。俺は間違ってなんかいない。

 そうだ。努力では決して頂点は獲れない。

 だから、俺は、天才の弟が最強になれれば満足なのだ――

 

 

 ~~~

 

 

『――泥門デビルバッツ、連続攻撃権獲得!』

 

「しゃああああ!!」

 

 泥門デビルバッツは、勢いに乗った。押せ押せだ。全員が全員、のびのびと己が得意とするプレイを成功させて楽しそうだ。

 そして、神龍寺ナーガは、通夜のように沈んでいく。

 原因は、やはり金剛阿含の沈黙。

 長門村正を前にした途端、0.11秒の反応速度が硬直する。抜いてくるか、倒してくるか、投げてくるか――この三択が迷いを生じさせ、判断を鈍らせる。阿含の持ち味を殺す形になっている。

 チームの絶対強者のこの無様に、チームの中でも不協和音が出てきている。雰囲気が悪い。仙洞田監督も泥門の攻撃を封殺するための陣形を指示出してくれるが、向こうのヒル魔がそれを読み解き、攻略してくる。このままでは、負ける。確実に――

 状況を打開するには……

 

「……監督、俺を出してください」

 

「雲水?」

 

 雲水は、クォーターバックで、オフェンスチームだ。しかし、守備力はディフェンスチームのレギュラー陣と遜色ない。

 だからといって、両面に参加させていたずらに体力を浪費させることは悪手だろう。

 リスクに見合う以上の、リターンがなければ……

 

「チームが勝つには、阿含が勝たなければならない。――ならば、俺が阿含を最強にします」

 

 弟だけでは、勝てない。

 だが、弟と連携を合わせられるのは、あの中では、一休のみ。その一休は雷門との競り合いに集中している。そもそも他の面子では、プライドの高い弟にダブルチームを組もうなどと意見することもできないだろう。確実に委縮する。

 

 ――だが、自分ならば……自分ならば、できる。

 

「……よかろう、雲水。それがお主の意思ならば」

 

 

 ~~~

 

 

「あ゛あ゛ん、なんで雲子ちゃんが守備にまで出張ってきてんだ?」

 

「――俺と組むぞ阿含。ダブルチームだ」

 

 瞬間、雲水は阿含に胸倉を掴まれた。

 

「ウーンーコー! なにふざけたことほざいてんだ? 凡人の手なんざ必要ねぇよ。それともテメェ――まさか俺ひとりじゃ長門(ヤツ)に敵わねぇとでも言いてぇのか?」

 

 発言を誤れば、阿含はたとえ兄でも叩きのめすだろう。

 弟にそうであれと望んだのは、他ならぬ雲水だ。

 

「お、おい……」

 

 止めようとした山伏先輩、それに一休へ雲水は手を向けて、制する。そして、阿含を見つめたまま、言う。

 

「最強は、阿含だ」

 

「あぁ゛~~?」

 

「だから、お前は俺を使え。お前が最強であるためならば、俺は喜んで踏み台になろう」

 

 しばらく睨みあった後、フンと鼻を鳴らして阿含は雲水から手を離した。

 

「勝手にしろ。だが、足を引っ張りやがったらその時はぶち殺す。二度とアメフトが出来ねぇくらいにな」

 

「ああ、そうしろ」

 

 

 ~~~

 

 

 金剛雲水の守備参加、か……。

 神龍寺ナーガの背番号12・金剛雲水。視野が広く、技能も巧み。ベンチプレス95kgで、40ヤード走5秒1。

 天才の弟・金剛阿含のプレイに合わせられるだけ、金剛雲水は一流の選手の域にある。

 

(それにおそらく、金剛阿含のプレイは、兄の雲水を手本(もと)にしているだろう)

 

 神龍寺の攻撃回で触れたが、阿含のパスは綺麗な回転質だった。兄のモノと同じ。だからこそ、あの双子はあそこまでプレイを同調できる。力の差が隔絶していようとも、元が己自身のそれである弟の動きを補佐できるのだ。

 ――だから、長門村正は、金剛雲水を決して侮らない。

 

 

「SET! ――HUT!!」

 

 ボールが長門へスナップされる。

 そして、前には阿含が迫っていた。

 

「――ブチ殺す!」

 

 阿含が、『電撃突撃(ブリッツ)』だと……?

 雲水とこちらを囲んでくるダブルチームではないのか?

 阿含が全速で動けば、雲水はついていけないだろう。ヘルプに回ろうとも、突出したスタンドプレイに走る阿含との協調は無理だろう。

 

 真正面で来るのなら、それを叩き潰すのみ――!

 『(スラッシュ)』と『(ドロウ)』、この二つを使い分けることで相手を圧倒する、それが『妖刀』の走法。

 超速の後退に見せかけた、超加速で炸裂させるパワーラン――これで、『百年に一人の天才』を仕留める。

 

「―――」

 

 だが、長門が踏み込むよりも速く、阿含が真横へカットを切った。避けた。

 

 なに……?

 阿含が、意図的にあのような逃げる真似を……? 相手の力を捌くために敵の真正面を避けることはするが、ああも完全に回避行動を取るのは意外だった。

 

 だが、それならば、この120%の疾走で抜き去るのみ。阿含の方が速いが、しかし勢いがついた自身の方が速い――

 

 

 来い、『妖刀』……!!!

 

 

 走路が、遮られる。雲水が、いた。阿含の咄嗟回避行動に合わせるよう、一気に前に出てきた雲水は、長門の前を阻む。

 迅い……!?

 阿含のほぼ真後ろについていっていた雲水に、こちらの動きは捉えられなかったはずだ。

 だが、雲水の動きは、長門の動きについていっていたようだった。

 

(あの野郎は、糞カタナを見ていなかった。――糞ドレッドのことだけを見て、糞カタナの動きに超反応しやがった!)

 

 超反応といっても、弟のそれとは違う。

 敵には使えない。誰よりも見てきて、兄の理想像となった弟にのみ、金剛雲水は誰よりも迅速に捕捉し、補足し得た。

 

 金剛阿含を、“最強”とするために最善最速を尽くす――金剛雲水だけの、疑似的な『神速のインパルス』……!!

 

「おぉおお――!!」

 

 阿含にブチかますつもりだった長門の『卍デビルバットソード』を、雲水が壁となって受けとめる。

 吹き飛ばされる雲水。

 しかし、文字通り身体を張った阻止は、長門の疾走を確かに殺した。衝突し、反動から動きが鈍る。脚が、0.1秒、止まった。

 ――当然、『神速のインパルス』はこの絶好の、隙を捉えた。

 

 

 躊躇をするな!

 俺のことなど振り返るな!

 やれ――阿含!! 最強はお前だ!!

 

 

「言われねぇでも、そのつもりだ!!」

 

 神龍寺ナーガの光と影が成す超速の連携。

 どんな強靭な選手でも、横からどつけば脆い。

 真横に回避した天才から全力で振り抜かれた魔手は、死神の鎌(デスサイズ)の如く、この死に太刀となった妖刀を叩き斬った。


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