悪魔の妖刀   作:背番号88

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23話

 道路に飛び出す寸前のところで、ベビーカーに届いた腕。

 けど、それを引き寄せるその時、道路の路側帯を走るバイクに気付く。咄嗟にベビーカーを抱くように引いて、だけど重心を全速からの慣性で体は泳いで…………利き腕を撥ね(ぶつけ)た。

 試合前の、出来事だった。

 

 

「くっ……」

 

 握力が、うまく入らない。

 力を入れると、痛みが走る。これでは、ボールキャッチでボロが出かねない。なので、攻撃は囮として参加し、専念する守備でもインターセプトのような真似は避けていた。

 それでも腕は動くし、脚は問題ない。

 アメリカンフットボールには、腕を折ったまま試合を続けるNFL(プロ)選手がいて、それと比べれば、大した怪我ではない。

 だがそれがバレてしまった今、見るだけで怖気が走る、斬りかかられんばかりの妖気を漂わせる『妖刀』の牽制には使えない。西部もそんな怪我(こと)で攻撃の手を緩めてくれる、情けをかけてくれるような甘い相手じゃない。

 

(ダメだ、西部を止められない……!)

 

 これ以上振り放されまいと必死に西部の喉笛にしがみついているが、それでも最強攻撃力は凄まじい。

 『入替ブリッツ』を決めるためのエサ撒きとしての無茶な特攻は控えて、堅実に守備ゾーンで西部の攻撃を抑えようとするが、鉄馬丈とキッドの絶対のホットラインが確立した『ショットガン』は『バンプ』などでは手が付けられない。

 せめて、退場するにしても、『神速の早撃ち』か、『人間重機関車』のどちらかを崩しておきたかった……!

 

(だけど、まだ勝ち目はあるはずだ……。ヒル魔先輩のあの目、あれは諦めなんて貧弱なもんじゃない)

 

 あの貪欲で非情な司令塔は、勝ち目が皆無な勝負はしない。

 王城戦で、長門村正(じぶん)の退場を皮切りに逆転してしまった時、見切りをつけたが、今は違う。

 両開きの扉が、目と鼻の先でゆっくりと閉じられていくような絶望、しかしそれがほんの隙間でも直前で堪えるように閉め切られていない……そんな風にその目はわずかに戦況を見据えていた。目の前の諦観を噛みしめるよう瞑ることはない。

 そう、あの眼は、僅かな可能性に食らいついて、待つことだけに賭けた眼だ。

 あの絶望の扉の向こう側から、阻まれようとする勝利への活路を開いてくれる、誰かを待った……

 

 

 ~~~

 

 

 泥門の攻撃――

 

「フゴオオッ!!」

 

 小結君が、十文字君たちのように殴り合い――『リップ』の連続アタック――で荒っぽい喧嘩ファイトな西部のラインを迎え撃つ。

 

「自分の失点は自分で獲り返ーす!!」

 

 モン太が、西部の三年生コーナバック・安藤ガルシアのマークを振り切って、ヒル魔さんからの弾丸(ブレット)パスをキャッチする。

 みんな、まだ諦めていない。

 

 そして、僕も。

 あの頼もしい、前を走って道を切り開いてくれた最強の長門君(リードブロック)がなくたって――!

 再び陸が、このゴールを狙う走路(ランフォース)の前に立ちふさがり、迫る。

 

(さっきは惜しかったんだ。『デビルバットゴースト』さえ出せれば、もしかしたら……)

 

 来る……この地面と平行に足を蹴り上げるステップは、『ロデオドライブ』!

 たとえ離れていても一気に120%の最高速以上のスピードで来るから気をつけないと。アッと思ったら次の瞬間には

 

「あ゛!!!」

 

 陸が、もう目前に。

 いつタックルに来るかもわからない! 『デビルバットゴースト』とかそういうレベルの問題じゃなくて、曲がることもできない……!!

 

(でも――!)

 

 ボールは、奪わせない。

 さっきみたいな失敗は絶対にしない……!!

 

 西部の最終防衛線(セーフティ)である甲斐谷陸は、アイシールド21の突破を許さない。

 ただし、今度はそのボールを奪えはしなかった……

 

 

 しかし、今の流れは西部にあり、泥門はこの攻撃権でゴールラインまで辿り着くことはかなわなかった。

 

 

 ~~~

 

 

 ……頼む!

 頑張れ……頑張れ、皆……!!

 

 意識して細く長く息を吐き、制止する意識に反して暴れたがる心臓を宥めすかし、冷静さを保つには相当の努力が必要であった。

 ただただ、見ているしかできない不甲斐なさがひたすらに腹立たしい。

 

 セナの走りは、セーフティの甲斐谷陸に押さえられる。

 パスもモン太と瀧しかレシーバがいないと向こうもわかっており、コーナバックの安藤ガルシアと菜山参太をそれぞれにマークを張りつけさせ、あとは特攻を仕掛けてくる。

 自分の代わりに入った山岡は一応ワイルドレシーバーのポジションを任されているが、バスケ部の彼にヒル魔先輩がパスを投じることはない。だから、身体を張っての盾役をこなす。しかし、いくら平均以上の運動能力にバスケのパワーフォワードとしてそう簡単に当たり負けしないだけの肉体があっても、これは球技であり格闘技のアメリカンフットボールで、相手は西部ワイルドガンマンズ。

 

「『バンプ』はテメェらだけの専売特許じゃねぇぞ泥門!」

 

「うわっ!!?」

 

 一撃目で動きを止め、そして、逆の手から繰り出す二撃目で仕留める……『二本の角』のバンプ。

 打てるのは腕、バンプはクォーターバックがフォワードパスを投げられるまで、それから中央線のスクリメージから5ヤード以内の範囲内のみ認められる。

 だから一発だけでなく、二度打ちも可能。

 “暴れ牛”は前衛のラインマンたちだけでなく、後衛にもいたのだ。

 バスケでは間違いなく反則の荒業に山岡は対応できずに打ち倒され、それを盾にしていたセナへと迫られる。それから泥門のレシーバー、モン太と瀧も『二本の角』のバンプを食らい、軸がガタガタにバランスが崩れる。

 これにヒル魔先輩はパスを投げられず、十文字を相手していたバッファロー中島が泥門ラインを突破し、サックを仕掛ける。咄嗟にパスを投げ捨てて回避したが……攻撃の勢いにブレーキがかかった。

 

 西部ワイルドガンマンズの勢いに圧され、泥門デビルバッツは四回目の攻撃で10ヤードを超えることができず、相手に攻撃権を渡してしまった。

 

 そして、泥門の攻撃を防いだ西武の士気はさらに勢いづき、それは攻撃陣にも伝播する。

 

 

『タッチダーウン! 更に突き放す西部ワイルドガンマンズ! 泥門デビルバッツ、ついにここ準決勝で力尽きてしまうのかー!?』

 

 

 6対28。

 前半だけで大差をつけられる。この20点差以上か、以下かが、分水嶺だ。後半に切り替えるにしても、精神的疲労は天と地ほど違う。

 この一本、オフェンスを決めて、差を20点以下に縮めなければ、決めれればまだ食い下がれる。

 だが、ここで突き放されたままではまず間違いなく致命傷。

 王手を取られた盤上、引っ繰り返すには、持ち駒を温存したままではダメだ。

 まるでゆっくりと弓を引いていくのに似た、力の加わる圧が眉間の辺りに集束していく。じりじりと胸を焦がすような焦燥がついに煙を上げる。

 自制はもう限界ギリギリのところまで張り詰められていた。

 

「溝六先生、出ます! 悪い流れを断ち切るには、ここで点を獲らないと……!」

 

「ダメよ長門君! 腕を怪我してるのに試合に出ちゃ!」

「そうだよ、姉崎さんの言う通り、無理しちゃダメだ!」

 

「そうだ、村正、耐えろ……耐えるんだ……!」

 

 ベンチから立ち上がるも、姉崎先輩と雪光先輩に肩を押さえられて、溝六先生に制される。

 だが、それらを跳ね除ける。これ以上、全員血塗れになりながら食い下がっているのを見るのは、我慢の、限界、だ。

 これまで自問自答して、賢く自分自身を上手く宥めすかして納得させようとしたが、もはやそんな誤魔化しでは抑えきれない。

 

「待て、村正!」

 

「いやです。俺は出る……!」

 

「まだ後半じゃない! それにこの試合は守備に専念させると決めていたはずだ! 今のまともにボールを掴めない村正の手で無茶をすれば後々まで影響が出る可能性が……」

 

「溝六先生、俺達は全国大会決勝(クリスマスボウル)を目指してるんですよね。なのに今尻込みしてたら、道半ばで終わってしまう。もし行かなかったら、俺は絶対後悔する。だって、俺、泥門が……好きなんだから」

 

 だから、ここで立ち止まってしまうわけにはいかない。

 大和猛との約束だけでなく、泥門デビルバッツと全国の頂点に立ちたい想いが長門村正の中に強くある。

 

「俺はこの泥門デビルバッツで、全国大会決勝で優勝する……! 絶対に!」

 

「村正……っ!」

 

 宣言して放つ気迫に酒奇溝六は、息を呑む。

 覚悟の決まった教え子の眼差しは力強く、声をかけるのも躊躇わせる。

 

「だから……ここは、見殺しにしてください」

 

 前半最後(ラスト)のワンプレイ。

 タッチダウンを決めるにはゴールラインまで45ヤードもある。キックという選択肢が泥門にはなく、ロングパスも『二本の角(デュアルホーン)バンプ』でレシーバが機能しない以上、成功率は限りなく低い。そして、ランもセナひとりでは阻まれている。

 だが、自分がリードブロックに入り、甲斐谷陸さえ抑え込めれば――

 

 

「――下がっていろ、長門」

 

 

 審判へ交代を願い出ようとしたとき、先輩たちと恩師でもない第三者の、けれど懐かしい武骨な気質の滲む声が、長門村正を止めた。

 

 

 ~~~

 

 

 怪我、か。

 あの後輩が、殴る(バンプ)で相手を仕留められなかったのは、それが原因か。

 それを理解し……去来した、胸を衝いた弱々しい感覚が重なった。

 

 ああ、そうだ。

 きっかけは、ガキでも容赦なく殺す勝手勢いの鉄拳を入れる糞親父が、ハエが止まったようなパンチしか打てなくなった時だ。

 

『男が人の為に血ぃ流してる時は見殺しにすんのが情けだ』

 

 現場でぶっ倒れた糞親父が安心して治療に専念できるためには、俺が跡を継いで糞親父の人脈を引き継ぎ武蔵工務店に仕事を持ってくる

 それしかない。

 それしかどうにもならない。

 

 だから、見捨てた。

 あいつらを……

 

 

「……厳、臭いがしねぇぞ。お前いつからタバコやめた」

 

 病室、ベットの上の糞親父がふと問う。

 歯を食い縛り“機”を待つあいつらを、歯を食い縛りながらテレビを見ていた視点を、無言でスライドしてそちらへ向ける。

 

 煙草は、高校を退学になる理由付けとして始めたもの。

 これといった理由のない、単にかっこつけだ。そのまま惰性で吸い続けただけのこと。気分次第でいつでもやめられた。

 

「アメフト嫌いになっただとか、チームに必要とされてねぇだとか、この大法螺吹き野郎が……!」

 

 罵りながら勝手にベットから立ち上がろうとする糞親父。

 それを醒めた目で、戯言は無視して、淡々と言い返す。

 

「……黙って寝てろ。死に損ないの老体のクセに……」

 

「誰が、死に損ないの老体だって? ――笑わせんなくそがき!!」

 

 ノロノロとしか動けない訛った体のはずの糞親父が、一気に来た。

 そして、ガツンと、こっちがぶっ倒れるような、鉄拳を見舞いされた。

 

「なめんじゃねぇ厳!! てめぇなんざより100倍はしぶといんだよ!」

 

 糞親父が、鉄拳を……!?

 痛みよりも、驚き、精神的な衝撃の方が大きい。

 

 だが、すぐに仕込み(タネ)に気付く。

 

「楽だから病院でサボってただけだ。今のパンチの通りピンピンよ。心配ねぇんだからさっさと行けくそがき!」

 

 糞親父の鉄拳から、血がつくほど握り締められた石ころ。

 一発ぶん殴っただけで汗を流し、荒く息を吐く糞親父がそこにどれだけ、衰え切った力を篭めたかわかる。

 でも、こんなのは所詮、強がり(インチキ)と変わらない。

 むしろこんな子供騙しに頼らなければ人を殴れないくらいに衰えたのだという事実を悟り、反動からの落胆の収支が大きい。

 それでも、糞親父は鼻を鳴らしてまくし立ててくる。

 

「いつまでテレビの前でくだ巻いてやがる。急ぎの仕事があんだろ!」

 

 ガリッと歯を噛む。だけど、胸の奥から噴出する慟哭はそんなのじゃ収まらなかった。

 

「簡単に、言うんじゃねぇよ」

 

 いい年こいて見栄を張る、なんもわかっちゃいない糞親父へ突き付けるように言葉を吐く。ぶつける。殴るように言葉の暴力(こぶし)でコイツを黙らせる!

 

「テメーは強がってりゃいいだろうが、玉八たちはどうなる。うちが何人喰わしてると思ってんだ糞親父」

 

 これは、自分たち家族の問題だけじゃない。武蔵工務店に関わる全員の生活が懸かっている死活問題だ。

 だから――!

 

「……俺ら三人の最後の大会なんだ。その火が今にも消えちまうって時によ……

 

 ややこしいこと無視して、

 

 テメーらなんざ後ろ足で泥かけて、

 

 フィールドに駆け付けちまおうって、この一年半、俺が何万回思ったか――」

 

 わかってたまるか!! ってその面に溜め込んだ文句を頭ごなしに言い放とうとした。

 

 

「泥くらい幾らでもかけろ」

 

 

 その声高にどやしつけるでもない、ごく普通に、何でもないように、こっちの目を見て吐いた文句は、さっきの鉄拳よりも不意打ちに(ひび)いた。

 

「うちの職人共なめんじゃねぇ。武蔵工務店ひとつくらい潰れたくらいで路頭に迷うような雑魚に育てた覚えはねぇよ」

 

 当たり前のことのように言う。

 棟梁の代役を務めてもう一年以上だが、糞親父はそれ以上に長く工務店を仕切ってきた。“何事にも基礎が大事”だと若い玉八らのケツを蹴って仕事から心意気まで叩き込み、いっぱしに仕上げてきて、玉八らもこの糞親父をもうひとりの父親のように慕っている。

 だから、何の問題もないと言い切れた。

 

「お前ら、なんで……?」

 

「失礼します、親父っさん」

 

 とその時、糞親父にも思わぬ乱入。

 病室に何とたった今話題に挙げた玉八ら従業員連中が入ってきた。

 

 

「私が呼んどいたのよ。こうなるんじゃないかと思ってね。女のカンよ」

 

 こうもタイミングのいい登場は彼女の差し金か。

 やせ細った蔓のように首の長い陰気な雰囲気を漂わせる女性。この都立城下町病院の岡婦長。看護師の中でもベテランの彼女には、子供のころからの付き合いだ。こちらの事情にも精通していらっしゃる。

 

「あと予知呪術」

 

 それから、趣味はオカルト。『ベッドの魔法陣型配置』やら『藁人形による手術』を提案するなど(熱)狂的である。

 どこか残念だけど……しかし、いい人だ。

 

「厳ちゃん、拾ってたんだこれ」

 

 そして、幼馴染の玉八が綺麗に折り畳んで差し出したのは、ヒル魔と栗田(あいつら)の元から離れた時に捨てた、学生の象徴……制服だ。

 あれから袖を通すことがなかったこれをまさか玉八は大事に取っておいたのか?

 

「いつかこんな時が来るって思ってさ」

 

 玉八だけじゃない。古参の連中も、剃刀を渡してからかい気に、

 

「そんなツラじゃ審判におめー高校生じゃねーべってツッコまれっぞ」

「少しはらしくしてけ」

「入院費なら心配すんな」

「あれから皆で金出し合って貯めてたんだ」

 

 そんな、知らなかったことを、恩着せることもなく。

 

「それに、厳ちゃんの後輩君には、俺達の大事な子供を助けてもらったんだ」

 

 なに……?

 そんな初耳の情報を問う目で先を促せば、一度視線を伏せた玉八は赤子を抱く嫁と一緒に話してくれた。

 試合前、工務店とも顔見知りの後輩……長門村正が道路に飛び出しかけたベビーカーを直前で引き止めてくれて……だけどそのせいで怪我をさせてしまったと。

 玉八と嫁さんは、病院で医者に診せるよう言ったのだが、それを頑固に断った。

 

「だけど、彼に言われたんだよ。『それに、俺は、先輩たちが揃うまで、勝ち続けるって約束してるんで』……」

 

 父親のことで大変だというのに、チーム(こっち)の心配をさせるわけにはいかない。

 だから、キッカーが居なくても、泥門デビルバッツを勝たせ続けることで、安心させる。いつでも帰って来れる居場所があるのだと。

 

「そして、『男が人の為に血を流している時は、見殺しにしてくれるのが情けです』、って」

 

 あの、馬鹿野郎……!

 歯がゆくて歯がゆくて、血の味を感じるほどに奥歯を噛みしめて、そこで玉八はもう一度、制服を前へ差し出し、

 

「俺は彼に借りがある。大事な我が子を救ってくれた恩人だ。それに、厳ちゃんにはずっと血を流してもらった。

 ――だから、今度は俺らが血ぃ流す番だ」

 

 しけた面をぶん殴ってくれた糞親父、

 笑って背中を押す玉八たち従業員、

 それから、戻ってくれることを待ち望む栗田、新しいキッカーを養成せず常に勝手にメンバー登録しているヒル魔、この三人の最後の大会の火を消さぬように無茶に奮戦する長門……

 

 そして――奇跡が起きれば、朝でも夜でも、いや試合の途中からだって、いつだって駆け付けたかった、あれからもずっと三人の『絶対全国大会決勝』という夢を忘れやしなかった自分がいる。

 

「……わかった」

 

 待ち望んだ奇跡は、起きてない。

 だが、眠っていたものは今ここに奮い起こされた。

 

 

「俺の仲間のために――――泣いてくれ!!」

 

 

 これまで涙を流した悔恨を呑み込み、これから流させる涙への感謝を胸に刻む。

 

 一旦、重責を下ろし、後ろ足で泥を蹴る。

 振り返らない、もう二の脚は踏むことはない。前を往く。今すぐに。あいつらの下へ――

 

 

 ~~~

 

 

「下がっていろ、長門。――ここは、俺の仕事だ」

 

「武、蔵先輩……!?」

 

 軽トラでフィールドに参入したその人は、最初、都合のいい幻想かと目を疑ったが、すぐにそれが本物だとわかった。

 長門村正を下がらせたその男の気配に、フィールドでいの一番に察知したヒル魔妖一は、まずは呆然と目を瞠り、それからすぐに時計を見ながら凶悪気な笑みを浮かべて囃し立てる。

 

「―――ケケケ、遅ぇぞ。あれから1万3千297時間と49分遅刻だ」

 

 髭は沿ってあるが、老け顔の――精悍な面構えをした泥門デビルバッツのキッカーは、この挨拶代わりの皮肉に一言。

 

 

「待たせたな」

 

 

 言い訳も、飾り気もない、一言に、全てを詰めた。

 

 

 これに他の人間も登場に気付く。泥門で武蔵厳を知る、酒奇溝六、同級生だった姉崎まもりが反応し、それから三人が揃う瞬間をずっと待望した栗田良寛は涙を溢れさせ、その名を口にする。

 

「ムサシ……!!!」

 

 同じ中学出身の後輩を横切って、まず真っ先に武蔵が向かったのは二人の下。栗田はこの光景に素直に感激を表す隣で、ヒル魔はそれを武蔵へ放る。

 

「テメーが最後に蹴る寸前だったキックティーだ」

 

 一年前の春大会一回戦、逆転を狙うキックゲームの寸前で父親が倒れた。それから、決別した。泥門デビルバッツ創設者たちの止まった時間の象徴である。

 

「こりゃ年代もんだぞ。土埃まであん時のままだ」

 

 それが今、再び武蔵の元に、いいや三人の元に帰ってきた。

 

「か……感激は後! 泣いてる場合じゃないよっ!」

 

 この時ばかりは感慨深げにキックティーの外観、感触を確かめていたのを、栗田が腕で涙を拭きながら急かす。

 

「この前半最後のキック! 決めなきゃ勝ち目ないんだから!」

 

 誰よりも泣きながら、フィールド上での再会を打ち切る……ではない、一秒でも早くまた一緒に試合がしたいと促している。

 

「ケケケ、さっきまで萎れてたくせにいきなりリーダーシップ出しやがって」

 

 笑いながら、ヒル魔もセットする。

 武蔵は、もう一度、キックティーの感触を確かめながら見据えた。

 

 

 ユニフォームに着替えるためのタイムアウト後。

 

「……キック?? っやー、珍しいねぇ、泥門はキッカーいなかった気が……」

 

 西部ワイルドガンマンズはこの突如現れた背番号11に訝しむ中、泥門デビルバッツは開始位置のポジションにつく。その陣形は――これまで泥門で見たことがない――キックゲームを意識したものだった。

 

「何の偶然だこりゃ、ポールまでの距離45ヤード――最後に俺らが中断したキックとジャスト一致じゃねぇか」

 

 ヒル魔がこの因果めいた状況に皮肉を飛ばし、栗田は声を弾ませて、

 

「なんか今、あの時の続きが始まったみたいだね……!」

 

 力だけが取り柄な巨体ラインマン、悪魔じみた計算高い司令塔、老けたツラした飛ばし屋キッカー――デビルバッツを創り上げた三人全員、笑っていた。もう、悲嘆にくれるような涙を流すことはなく、晴れやかに。

 

「一年半のブランクでなまっちゃいねぇだろうな糞ジジイ」

 

「笑わせんなバカ野郎」

 

 ベンチで見てて、長門村正は心底思う。

 

 ああ、悔しい。

 先輩たちがついに揃った復帰プレイ一発目に参加できないなんて……! と。

 

 アイシールド21・セナにモン太も絶対にブロックミスをしないと気合いを入れる。

 

 

「SET! ――HUT!」

 

 前半残り一秒。

 最後のタイムアウトも終了。

 そう……長い、気が遠くなるほど長いタイムアウトが明けて、ずっと止まっていた時間が今、動き出した……!

 

 

 ~~~

 

 

 栗田からスナップしたボールを、ヒル魔がプレースする。ほとんど同時のタイミングで武蔵が蹴る。

 一年半ぶりだけれど、その息に一部の乱れもなく。

 

『うおおおおおおっ!!!』

 

 『60ヤードマグナム』と嘯いたその脚は、凄まじい勢いでボールを蹴っ飛ばし、試合会場を震撼させた。

 45ヤードの長距離を突っ切ったボールはゴールポストを超える。

 前半最後、泥門デビルバッツ、キックゲームを決め、9対28。――そして、最後のメンバーがそろい、ついにチーム全員が集結した。

 

 

 ~~~

 

 

 ――ドゴン!

 

 アメリカンフットボールの先生である酒奇溝六へ頭を下げる武蔵先輩。栗田先輩が前々から(一年半前から)とっておいたケーキを取り出し、ヒル魔先輩の撃ち放った銃弾がそれを吹っ飛ばす。

 そんな確実にカビの生えてるケーキを弾いたが狙ったものではない。適当に、猟銃をクルクル手遊びで回しながらガンガン撃ってる。その手のタイプの銃は片手では装填できないはずだが実に手慣れている。

 まあ、物が凶悪過ぎるが、ペン回しと同じ。

 

(しかし、ヒル魔先輩のこの癖を見るのは、麻黄中以来だな)

 

 泥門に来てから、試合の最中は考え付くまで黙って頭の中で計算する。誰にも相談はせず、ひとりで。

 

(おそらく、武蔵先輩が去ってからそんな手遊びする余裕がなくなったんだろうな)

 

 栗田先輩とは違って素直に感情を表に出すタイプではないが……

 

 泥門高校で唯一注意できる姉崎先輩に危険なヒル魔先輩の猟銃(ペン)回しを阻んでもらっている間に、こちらも考えよう。

 

「後半どうすっかだなこりゃ」

「いくらキッカーが戻ってきたっつってもな……」

「残り半分で19点は生易しい点差じゃねぇぞ」

 

 黒木、戸叶、十文字らハアハア三兄弟の言う通り、状況は劣勢。完全に決着はつけられていないが、土俵際にまで追い詰められ徳俵で何とか堪えているといったところ。

 あと一押しで西部ワイルドガンマンズは勝てるところまで来ている。

 三人の会話に、セナ、モン太、それに小結や瀧らも入ってきて、一年連中が勢揃いする。

 

「19点差っつうことは、タッチダウンが6点だから……っと、4回か? 後半だけで4回も決めなきゃ勝てねーんだろ」

「――! 待って!! キッカーのムサシさんが戻ってきたんだから、タッチダウン後のボーナスでキック一点も取れちゃうから……えと、タッチダウンが7点になって――そう、3回で逆転できるようになってるよ!!」

 

『フゴッ(ッ)!?』

 

 とセナが重大なことに気付いたように、それに他の連中(結構常識人な十文字を除く)がハッとする。

 確かに、計算は間違っていない。泥門の唯一の弱点のキッカー不在は無くなった

 ブランクというか、元々、武蔵先輩のキックは荒れ球で、飛距離はあるが、精度に難ありといった具合でときたまボーナスキックを外すことがある不安要素はあるが、それでも3回中2回は決めてくれるだろう。三回のタッチダウンで逆転を視野に入れるのは考えられなくもない。

 のだが……

 

「いや、そりゃ誰でもわかってけどよ……」

「待て、十文字。お前の言いたいことはわかるが」

 

 うん、そうだった。泥門の弱点はキッカーがいないだけじゃなかった。

 

「うおマジだ!」

「スゲーよく気づいたな!」

「バカ大声で言うな。西部の連中に気付かれんだろ」

「アハーハー!」

 

 こんな算数ができれば誰でもわかることだが、一年生の大半はセナに言われるまで気づいていなかった模様。

 チームメイトの知能レベルにがっくりと肩を落とす十文字に手をやり、フルフル首を振る。

 今年の泥門高校は、校長先生をも顎で使う一生徒の意向でかなり敷居を下げて定員割れで受験者全員を合格にしているせいか、残念な学力の生徒が多かったりする。

 そんなうちの学校事情は置いておいてだ。

 

「問題は、セナのそれはあくまでもこの東京大会最強の火力を誇る西部ワイルドガンマンズの失点を0に抑えられたら、って話だ」

 

 キッド、鉄馬丈、甲斐谷陸とランもパスも破壊力のある面子が揃った相手チームを封じ込むなど並大抵のことではできまい。

 

「ケケケ、糞一年(ジャリ)共、いい考えでも浮かんだか?」

 

 と、ついに姉崎先輩に猟銃を没収されたヒル魔先輩がこちらに顔を出す。

 これは初めてだ。作戦を決める途中で、こちらに話を振ってくるなんて。

 

「んんん……キッカーのムサシさんがいるけど19点差をつけてる西部に追いかけるのはやっぱり残り時間のこともあるし……」

「あれだ! 一発狙いの超ロングパス連打! 一気に差ァ詰めんにはそれっきゃねー!」

 

「まぁ、間違いじゃねぇな」

 

「っしゃ! キャッチMAX! ここが漢の見せ処……」

「この糞ジジイが戻る前ならな」

 

 気合い入るモン太の梯子を外すヒル魔先輩だが、実際、さっきまではモン太の案くらいしかなかった。それでも、キッカーなしに西部と殴り合いするのはジリ貧になっただろう。

 

 さて……

 今、溝六先生に付き合ってもらって、入念にパスキャッチやウォームアップしている雪光先輩が後半から入る。

 泥門の攻撃力は更に増すだろう。王城ホワイトナイツのような決められた範囲(ゾーン)を守るのではなく、果敢に特攻を仕掛けてくる西部の守備姿勢からして、雪光先輩の空いたスペースに入り込む『速選ルート』は効果的だ。

 だから、この試合で自分がすべきことは――

 

「ヒル魔先輩、後半から俺をディフェンスに出してください」

 

「ほう、糞カタナ、ディフェンスに出せっつうことは」

 

 測るように目を細めるヒル魔先輩。

 軽く手指を握りしめたり開いたりしながら、

 

「ちゃんと冷静にコンディションを把握しました。正直、キャッチには不安がありますが、守備だけなら、全力をやれる」

 

「はっ! 全力でやっても前半みたいに鉄馬に歯が立たないようじゃいても意味がねーぞ」

 

 承知している。

 だが、ここで無駄骨を折るつもりはない。

 その意を込めて、ヒル魔先輩と睨み合う。そして、

 

「やるんなら、必ず()れ、糞カタナ。また一度でもヘマしやがったら今度こそテメェをベンチに引っ込ませる」

 

「はい、最後までやらせてもらいます……!」

 

 必殺を誓い、雪辱の機会は与えられた。

 

 

「それから、ヒル魔先輩、『バンプ』ともうひとつ、『ショットガン』対策で練習した“アレ”、やってみませんか?」


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