悪魔の妖刀   作:背番号88

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12話

 初めて檻の外に出た黒豹(パンサー)は、現実(リアル)の恐ろしさを知らなかった。

 

 パンサーが腕を使って相手を抜かそうとしたとき、ムラマサもまた腕を伸ばしていた。

 

「よっしゃ抜いたぜパンサー! そのままタッチダウンを決めて逆転だー!」

 

 交錯し、すり抜け、相手選手を置き去りにした。

 その一騎打ちを注目していた者のほとんどが、パンサーが勝利したと思った。

 しかし、パンサーは、途中で足を止めてしまう。そして、気づく。彼の手に、ボールがないことに。

 

 野生の世界では、獲物を狩っても、隙を突かれて奪われてしまうことがある。

 

 『無刀取り』。武器を持った相手の懐に入り、得物を持つ手を両手で挟み込んで相手の腕をねじり倒す古武術。

 それは、白羽取りのように待ち構えるのではなく、自ら相手の懐に素早く入る、間合いを極端に詰めに行くことで、相手が刀を振り被る前に相手の刀を持つ手を制する。

 今、長門村正が、すれ違ったその時にパンサーが相手に牽制を入れようと腕を伸ばして――そこで片手持ちとなってガードが空いたボールへ行使した技は、『ストリッピング』。ボールを持ってる人間の手元からボールを掻き出し、力尽くでファンブルを狙うテクニックだが、長門村正はそこに『無刀取り』の要素を取り入れていた。

 

「う、そ……」

 

 呆然とするパンサーを背に、長門村正は自ら走りだす。

 対峙して長門は思う。『黒豹(パンサー)』は、荒削りなダイヤの原石。原石としてなら逸材だが、職人の手で磨かれていなければ真に光り輝くことはない。

 スピードだけはトップレベルだが、走りの技術も何もなく、本能で最短のルートを単調に抜くだけ。

 

「俺の脚では追いつくことはできないだろうが、俺を抜くことはできん」

 

 腕を使って極限まで無駄なくすり抜ける軽い、『無重力の走り』

 しかし長門からすれば走りに無駄がなさすぎる。そして、“最も無駄のないルート”で必ず来るのだから、どんなに速かろうが走行ルートが事前にわかってしまう。

 そして、走りも軽い。一度捕まえれば、それで十分。止めるのはそう難しい事ではない。

 

 彼は、人間相手の実戦経験がほとんどない。

 檻から初めて出された黒豹は、狩人の恐ろしさを知らない。

 

(言ってしまえば、これは指導者の怠慢だ)

 

 その恐ろしさを教えて、そこから逃れる術を指導してやるべきだった。

 ユニフォームを貰えていないというのは、監督に指導されていないことを指した言葉。人の3倍練習しようとも独学では限界がある。1人ではダメ。誰か頂点までの道筋を導いてくれるものが必要なのだ。

 だから、長門村正は、脚の速さという資質では劣ると認めていても、今の自分よりもアメフト選手として完成されていないパンサーに負ける気がしなかった。

 

 

 ――そして、『妖刀』の鬼気放つ刀身が、鞘から抜き放たれる。

 

 

 パンサーがボールを奪われたことに気付いたエイリアンズが、長門村正を止めに入る。

 しかしこの思わぬ展開に動揺する彼らは対応が遅れていて、また、アイシールド21にランテクニックを指南している長門村正は実はアイシールド21よりも走行技術が高い。

 

「コイツ、ランニングバック並みの足捌きをしてる!?」

 

 細かく刻むクロスオーバーステップに、相手を躱すカットバック。

 

「動きが読めない!? おかしいぞ!?」

 

 速さというのは言い換えれば重心の移動速度。一番重たい部分を動かすのが一番エネルギーを使うし、速く動かそうとすれば尚更筋力・瞬発力が必要となる。

 ――長門村正は、それが異常。

 前に右足を踏み出した。そこに体重がかかっているはずなのに、その状態から相手ディフェンスを見極め、()()()()方向転換してしまう。そう、アイシールド21よりも曲がりの幅はない、わずか一歩分、でも速い。超速のバックカット。

 

 長門村正のランには、アメフトの走行技術だけでなく、古武術の身体運用が入っている。

 

 脇腹の日常生活において使われない箇所の筋肉、通称ガマク。そこの筋肉・体幹を使うことで、重心を後ろに置いたまま、前に出ることができる。

 これにより、前へ進むと見せかけて、後ろへ進むなんて芸当すら可能になる。もちろんそのまま前に進むことも。長門村正のカットバックはただのカットバックではない。

 時間と空間を捻じ曲げたかと思うほどのイレギュラーな、重心移動が極まった曲がり。まさしく、我流で編み出された『燕返し』の如き、前後切り返す(カットバックの)超速の一動作(ワンステップ)

 

「お゛お゛お゛お゛――!!」

 

 そして、この天性の迫力。凄み。犬歯を剥き出しにしながら吼える長門村正から迸ってくるのは、溢れんばかりの負けん気の強さ。滲み出る闘志を向き合う相手に少しも隠さずにぶつける。四六時中斬り殺さんばかりの、思わず本能的に怯んでしまう攻撃性をもった妖気を纏っているのだから、フェイントがフェイントに思えない。思いきり上半身を前に出しながらガマクで重心を保ち、その真逆にカットバックを入れてくる技術も凄まじいものがあるが、『妖刀』の迫力が実際の攻めと牽制の区別を非常につけづらくさせている。

 仮に飛びつけたのだとしても、それは目測よりも長門村正の長い脚一歩分の間合いが離れており、勢いが挫かれて泳ぐ相手の身体を太刀の如き長い腕をつっかえ棒のように制されて、流される。

 まさに、己が持てる手札を全開に使い切るような長門村正の走り。

 この力ある走破、『燕返しカット』にエイリアンズは次々と抜かれて、最後、ゴールライン3m前のところで、

 

「――ゴールには行かせない!」

 

 ボールを取られたパンサー。大きく出遅れてしまったが、曲がりやフェイントを入れる長門とは違って、最短距離で追いかけた彼は、このギリギリで間に合った……と思った。

 

「軽い」

 

 パンサーは、脚は速いが、獲物を倒す力は、そうでもない。

 パンサーがタックルしたのに、長門村正は進撃を辞めない。総重量500kgの改造自転車で通学する長門村正の馬力は、パンサーが抱き着いただけでは止め切ることはできなかった。

 

 

『タッチダーゥン!!』

 

 

 ~~~

 

 

 糞カタナは、進と同等の潜在能力を持っているが、性質は真逆。

 進は守備のラインバッカーをやっているが、寡黙でプロフェッショナルな攻撃向きの性格をしている。

 そして、アイツは、攻撃のタイトエンドだが、カンで獲物を捕らえる守備向きの性格をしている。

 そう、糞ジジイに影響されて今では落ち着いたように見える性格だが、本来のアイツは獣じみたヤツだ。実際、賊学との練習試合交渉でもそうだったが、こちらが制してもカッとなれば反射的に手が出てしまうその血の気の多さは抜け切っていない。それをあいつ自身も自覚している。

 糞アル中が、そんな暴力だけでも一流にはなれただろうが、それだけでは超一流の域には達しないとアメフトのテクニックをあれこれ叩き込んだのだが、しかし、それで力に頼らない技を覚えた弊害からか、ひとつだけ問題が出てきた。

 

『村正を強くしたかったら、アイツが遠慮しないくらいの仲間を集めろヒル魔』

 

 ただの仲良しこよしはチームプレーとは言わねぇ。

 周りが素人ばかりのチームだったから、あんな“優しいパス”を投げられるようになった。素人でもパスプレイができるように、糞カタナは自らの能力を鞘に入れるような真似をしたのだ。

 力を合わせることも、必要だ。

 だが、それは自分の力を100%発揮してこそ意味がある。

 そして、糞カタナは、周囲に合わせて自制してしまう傾向があった。それが圧倒的なパワーがあるのにあまり怪我人を出していない温厚な糞デブにも影響されたか、敵に対しても負傷しないよう手加減する癖までできてしまう始末。

 血の気の多さを自覚しているので、普段は鞘に収まったようにセーブしてしまった。

 

 しかし、やはり血の気が多い。有り余っていやがる。『黒豹』の存在にあてられて、『妖刀』本来の顔が出てきた。

 

「こうなったら、パンサーでも糞カタナは抜けねぇ」

 

 才能によるものだけでなく、修練を積んで得て、そして、今、解放した糞カタナの野生。五感が研ぎ澄まされたその感覚は、予測などよりもさらに速い反応を可能とし、己よりも速いパンサーを押さえてみせる。

 

 切り札のパンサーでも太刀打ちできない以上、泥門デビルバッツが、勝つ可能性が高い。

 ……このままいけば、だが。

 

 

 ~~~

 

 

 18-7……逆転できると思ったら、より点差をつけられた。

 

 強い! デーモンブレード……!

 パンサー自身のランが通用しない、そして、あの達人的なランをパンサーは止められない。鋭い走りのアイシールド21とはまた違う、黄金の脚を持たずとも、脚だけでなく全身を使って勝負してくる、心震えるほど力あるラン。

 ああ、そうだ。2年前、ノートルダム大とNASA中の試合で見た、“アイシールド21の熱い走り”とそっくりだ。あの時と同じように、アイシールド21の鋭い走りで火が点いていた『黒豹』の脚が疼き出す、速く走り出したいと。

 

「おい何笑ってやがるんだ、パンサー。やべぇぞこりゃ」

 

「ホーマー……」

 

 親友にヘルメットを小突かれたが、そこでパンサーは自分が笑っていたことに気付く。

 このままでは負けるかもしれないし、それだけでなく10点差以上つけないといけないのに、向こうに10点差以上つけられている。

 だけど、この動悸を抑えることがどうしてもできない。

 

「すごく楽しいんだ試合が」

 

「……ったく、おめぇは、負けたっつうのにちっともへこたれてねぇな」

 

 パンサーに呆れつつも鼻下をこするホーマーの口調もどこか楽しげだった。

 

「だったら、気が済むまで走ってこいよ。俺らが全力でサポートしてやるからよ」

 

 おう、とパンサーの肩を叩くいくつもの手があった。背中を叩くのもある。

 

「どの道、パンサーに頑張ってもらわないと僕たち厳しいからね」

「『デーモンブレード』を抜いてこい。お前ならできる」

 

 それはチームメイトたちだった。ハーフタイムで一緒に監督に土下座してくれて、監督に球拾いしかさせてもらえないパンサーのために、自分たちの練習後で疲れているのにパンサーの練習相手になってくれていた。

 この周囲の気づかいや優しさに頼ってしまう自身の甘さに遠慮を覚えるけれども、だけど、アメフトが楽しいのだ。今一番。だから、このわがままを許してくれるのなら、許してほしい。

 (わり)ぃ、と頭を下げるパンサー。

 

「自分勝手だと思うけど、俺、勝負がしたい」

 

 フィールドの司令塔であるホーマーが、メンバーたちが頷いてくる。そんなことは最初からわかっていたと言いたげに。

 ベンチにいる監督の方は、少し怖くて見られないけど。でも……!

 

「ありがとう、みんな」

 

 もう一度、頭を下げて、フィールドへ向かう。

 

 

 ボーナスキックは失敗して、デビルバッツのキックオフ。ヒル魔のキックをワットが捕り、それを素早くパンサーへとボールを回す。

 

「行かせん」

 

 そのパンサーの前に立ち塞がるは、ムラマサ。

 寄らば斬る。視界に入れただけで肌がちりつくほどの、鬼気迫る迫力に足を止めてしまったパンサーは、キックオフリターン叶わず、そこで捕まってしまう。

 それでも、パンサーは笑みを消さなかった。

 

 

 ~~~

 

 

「何をしているアイツらは……!」

 

 監督からの作戦を無視して、またも中央突破を敢行するエイリアンズ。

 あの危険なムラマサに、パンサーを走らせる。だが、抜こうとする直前で脚を止めてしまうパンサーはそれから横に曲がり、しかしムラマサが抜かせないため、そのままサイドラインを割られてしまう。ほとんど前に進めていない。

 無重力の走りで交錯すれば、またボールを奪られるかもしれない怖さがあるのだ。

 

 黒人の生まれついての走者をこうも抜かせないとは、あの黄色人種は突然変異か!

 

 そして、そいつと対峙するヤツの顔は……

 

「すごく楽しそうだ、パンサー」

 

 エイリアンズ・ディフェンスチームのラインバッカー、オットー・ゴンザレスがポツリと言う。

 そう、ヤツは笑っている。遠目からでもわかるほど心からの笑みをパンサーは顔に浮かべている。

 

『ついに出番が回ってきました! 『人の3倍練習する男』! レオナルド・アポローっ!!』

 

 ああ、そうだ。

 出れる――試合に出れる! NFLの選手と勝負ができる! それだけで、アポロも心が躍った。もちろん勝負には勝ちたかった。勝ちたくて誰よりも練習した。でも、それでもアメフトができるだけで楽しかったのだ。

 そう、あの頃、は……

 

(…………いつからだ。俺がアメフトを嫌いになったのは)

 

 エイリアンズを白人だけのチームにした。そして、しつこく部を離れなかった黒人(パンサー)を追い出さんと、こっ酷く扱った。

 なのに、なんで……なんで、ヤツはあんなにも笑っていられる。アメフトを楽しんでいるのだ。自分よりも。

 

 ベンチから見えるパンサーの姿を見て、眩しそうに目を細めるアポロ。

 その監督の様子を見て、オットー・ゴンザレスが口を開いた。

 

「監督。他の黒人連中は皆バスケ部に逃げちゃったのに、パンサー1人残った理由がわかります?」

 

 NASAエイリアンズの全員で、パンサーの扱いに対して、監督へ抗議しに行こうという事があった。

 おかしい。あれだけの才能があるパンサーをいつまでも試合に出さないどころか、球拾いしかさせないなんて。

 パンサーが監督アポロに文句を言わない、言えないのなら、エイリアンズ全員で抗議しよう。

 ……その訴えに行く前に、パンサー本人に話をつけた時、彼は言った。

 

『ちょ、待ってって! アポロ監督だって、ホラ。本気でうまけりゃ黒人でも使うかも。いつか実力で認めてもらいたいなって……』

 

 パンサーは、甘い。

 NFLが夢で、家も貧しいからどうしてもトップ選手になってお金を稼がないといけないのに、この不遇に甘んじる。

 それは、どうしてもエイリアンズで、レオナルド・アポロが監督するチームでプレイがしたかったから。

 

 パンサーは、知っていた。

 地元のNFLチーム・アルマジロズに栄光なき名選手がいることを。そう、『人の3倍練習するランナー』に、パトリック・スペンサーは誰よりも憧れていた。

 

「どんな仕打ちを受けても、パンサーにとってあなたは、尊敬する偉大な先輩だったんです」

 

 練習に参加させずに球拾いだけやらせても、

 自費で遠征させて荷物持ちを押し付けても、

 その想いは、決して揺らぐことがない。

 

「不愉快な男だ……つくづく……」

 

 

 ~~~

 

 

 エイリアンズ、三度目の中央突破。

 またも『デーモンブレード』ムラマサに1対1(サシ)で当たるよう、ブロックを割り当てて、パンサーを走らせる。

 

(なんて、プレッシャーだ)

 

 ムラマサの間合いに踏み入っただけで斬られてしまう。そんなイメージがパンサーにはできてしまう。

 でも、抜かないと進めない。横に逃げても、逃げ切れない。前を行くには、抜く。でも、パンサーには、腕を使って最小限の曲がりで走るやり方しか知らない――

 

 

「何をしている! 88番の前ではボールの確保に集中しろ! 不用意に腕を使わず、泥臭く体でねじ込んでいけ! 距離が出なくてもそれで十分だ!」

 

 

 交錯する間際に飛んできた声に、パンサーは反射的に、突き出しかけた腕を中断し、両腕でがっちりとボールを抱く。

 

『4ヤード前進!』

 

 身体でぶつかっても倒せず、『デーモンブレード』に長い腕で挟むように抱き着かれて、止められる。それでもさっきまでよりも、前に進めた。

 

(今の声――!)

 

 倒された体をバッと起こして立ち上がったパンサー。

 すぐエイリアンズのベンチを見た。そこには、監督、そして、憧れた偉大な選手アポロがベンチから立っていた。立って、自分の方へメガホンのように口元に手を添えて、叫んでいた。

 

「……っ、何を呆けているパンサー! とっととポジションにつけ! 10点差付けないとならないんだぞ!」

 

「っ、はい! アポロ監督! ご指示、ありがとうございます!」

 

「あまりにお粗末なプレーだったからつい口出ししてしまっただけだ。いいか、これ以上余りに無様を晒すようだったら、試合途中でも引っ込めるからな!」

 

「はい! 頑張ります!」

 

 今度こそ、紛れもなく、選手監督が一致団結したエイリアンズの逆転の号砲が放たれる。

 

 

 ~~~

 

 

『――タッチダーウゥン!!』

 

 エイリアンズはパス主体のチームではなくなった。前半はパス中心に守ればよかったが、『黒豹』パンサーが参戦する以上、そうするわけにはいかない。

 これに泥門の守備は集中ができなくなる。

 元よりパス対策の『電撃突撃(ブリッツ)』しか守備練習をしてこなかったのだから、パンサーのランを止められるのは、デビルバッツでひとり。

 長門村正だけ。しかし、『黒豹』を相手するために、『シャトルパス』に睨みを利かしていた『妖刀』は外れなければならない。

 管制塔(ワット)発射台(ホーマー)が自由になる。

 一発タッチダウンの超ロングパスが通るようになったのだ。

 

(ダメだ……あいつのがちょっと速ぇ!)

 

 ワットには、コーナバック・モン太がマークについていたが、40ヤード走4秒8の

ワットと5秒の壁を切れていないモン太は追いつけず、キャッチを許してしまう。

 

 しかし――

 

「ふんぬらば――っ!!」

「こっちがキックを決められない以上、そう簡単にキックを決めさせん!」

 

 高身長・高跳躍・パワーボディが揃ったキックの天敵・長門村正が、『マッスルバリヤー』ゴンザレスをセンター・栗田の後押しで抜いて、ボールを弾く。ボーナスキックを阻止した。

 これで、18-13……――それでも、今のエイリアンズの快進撃の勢いは止まらない。

 

 

「黄! 54!」

 

 監督アポロのノーハドルの指示。キックオフの瞬間、エイリアンズの選手たちが、右に大移動。

 

「上ァがれ――っ!!! 『オンサイドキック』だ!!」

 

 敵陣の奥深くへ、遠くに蹴り飛ばすべきキックオフをあえて近くに転がして、ボールを奪取する、キックプレイ。

 博打な手段に、エイリアンズは打ってでた。

 パンサーを先頭に、エイリアンズの選手たちが、普通のキックオフ体勢から一斉に移動して、片側に集まった――あそこへ、キックが向かう。

 

「え? え?」

 

 そのポイントへ最も近かったのは、陸上部の助っ人……アメフトの素人である石丸を狙ったキック。

 

「フッ。もらったな」

 

 泥門で『オンサイドキック』を知るのは、ヒル魔、栗田、長門のみ。石丸だけでなく、この3人以外の選手全員の対応が遅れる。

 これで、全員で一個のボールを争奪する大乱戦を勝ち抜けるわけがなかった。

 

「流石、オヴライエン先輩。ホーマーのノーコンパスよりも精確なキックだ」

 

 精密なキックを売りとするエイリアンズのキッカーが蹴ったのは、ゴロではなくフワッと山なりになるキック。

 監督の指示を受けているエイリアンズはボールがどこに落ちてくるか最初から把握していて一丸となって捕りに行っている。

 対し、泥門もキックボールに反応するが、全員動きがバラバラ。長門も追いかけようとするが、石丸とは逆サイドのポジションについていて――そして、エイリアンズのパンサーはこのフィールドの誰よりも速かった。

 

「今だ! ワット!」

 

 快速飛ばしたパンサーが石丸をブロックし、エイリアンズの中でパンサーに次いで足が速く、落下地点を正確に見極めていたワットがボールを確保。

 

 これで、泥門に攻撃権が移ることなく、エイリアンズのオフェンスが行われる。

 

 

 ~~~

 

 

「え? 何か言った?」

 

 デビルバッツVSエイリアンズの試合観戦。

 王城の皆でテレビを見ていた桜庭は思わず訊き返した。観戦しながらも行っていたトレーニングを辞めて、進が何か呟いたような気がしたのだ。しかも、聞き間違いでなければ、“似ている”と。

 

「この状況……。奴と対峙した時と似ている」

 

 奴って誰だろう? しかし、桜庭はすぐに答えを導き出した。進がこういう口調で“奴”という相手は決まっている。88番は、そのまま“長門村正”と呼ぶが、アイシールドの名称不明の彼は、“奴”という。代わりに、別の問いを投げかけてみる。

 

「似てるって、なにが?」

 

「奴は……目の前で、考えもしない動きをする」

 

 あの春大会二回戦、泥門との試合を思い返しながら、進は語る。

 

「実戦経験の少なさによるものか、天性のものなのかはわからない。だが、なまじ経験を積み、相手のルートを予測して動く習慣が身についているものにとって、あの唐突で不規則な動きはやりにくいことこの上ない」

 

 それに、と進が言葉を継ぐ。その声にどこか楽しげな響きが感じられたのは、桜庭の気のせいだろうか。

 

「少しずつ、速くなってきている」

 

「そう……なの?」

 

 桜庭は首を傾げる。きっとエイリアンズのパンサーのことなのだろう。しかし彼の足が速いのはわかっても、速くなっているのは桜庭にはわからない。でも進の人並外れた動体視力には一プレイ一プレイごとに“進化”していくのが目に見えるんだろう。

 

「おそらくパトリック・スペンサーは、実戦経験が極端に少ない。十分な技術と能力を備えているにもかかわらず、だ」

 

 だから、試合中でも急激な速度で成長している。

 長門村正との力の差を埋めに行っている。そう、泥門戦で進が幾度となく対峙したあのアイシールドと同じように。“ならば、その結末は――”とそこに思い至った桜庭は進の顔を見た。その表情はいつになく険しいものだった。

 

「現状、パトリック・スペンサーは、長門村正を抜けないだろう。だが、実戦経験の乏しい者が追い詰められた時に見せる力は、驚異的だ。そして長門村正のプレイで、士気を支えているのが、今の泥門の状況……」

 

 まるで、パンサーの成長が長門村正という壁を追い抜いたとき、試合が決するとでも言いたげな口調だった。

 

 

 ~~~

 

 

「さっきのタッチダウンで息の根を断つつもりだったが、こうも吹き返すとは……」

 

 テレビ観戦していた進の感想を、フィールドに立つ長門も抱いていた。いや、直面している長門の方がより強く思っているだろう。

 少しずつ、ほんの少しずつだが……速くなってきている。

 そして、脚の速さだけではない。今日試合に出たばかりパンサーだが、監督アポロの指示を受けながら、急激な速度で成長している。

 これが、大和猛が目の当たりにした原石――

 

「オイ糞カタナ、わかってんだろうな?」

 

「はい、パンサーは俺が止めます。だから、ヒル魔先輩たちは『シャトルパス』の方をお願いします。流石に体は二つに分身できないんで」

 

 パスとラン、どちらを守るべきかと戸惑っていた泥門ディフェンスだが、長門がパンサーのランを一手に引き受けることで、他が『電撃突撃(ブリッツ)』を仕掛けることができる。が……

 

(それでも危うい。筋肉の質の違うアメリカ人との張り合い。攻撃と守備の両面の選手がほとんど。それにブリッツで守備の時でも全力疾走をしているんだ……今、皆の体力は尽きかけている。前半ほどの勢いでブリッツを仕掛けられていないからそれも明白。エイリアンズもそれをわかっているだろう)

 

 ヒル魔先輩に注意されたが、長門は一度も負けられない。

 これまで『黒豹』を完封出来ているからこそ、疲労困憊ながらも泥門は練習通りのパス対策に集中できる。だが、その前提が崩れたら――一気に持っていかれる。

 

 

 ~~~

 

 

 『デーモンブレード』は、明らかに自分よりも強い。現時点では届かない相手だ。が、必死で脚を動かすことが少しも辛くならない。むしろ楽しい。あれだけ何度も捕まったのに、何度も負けているのに、それでも挑みたい。自分の走りで抜きたいと思う。

 

「パンサー、絶対にボールを奪られるな!」

 

 そう、指示し、師事してくれるアポロ監督の期待に応えたいから――!

 

(ボールをしっかり抱え込んだまま……)

 

 待ち受けるムラマサ。

 それをパンサーは直前で腕に抱えたボールを隠すよう背を向ける回転(スピン)。ユニフォームの背番号20を相手に押し付けるようにしながら身体を寄せて、抜き去る――

 

「っ!」

「ぐぶ」

 

 しかしムラマサの長い腕がそれを許さない。

 

「っしゃあ!」

 

「あーーっ、惜しい!」

 

 抜けない。これでもまだ抜けない。

 試合の最初から出場し、両面で相当な無酸素運動をしているというのに、そのパフォーマンスは落ちていない。むしろ後半になってから気迫を前面に出してくるから、尻上がりに上がっているようにも見える。

 なんて難関だ。初めての試合で、これほどのプレイヤーと対決できるなんて夢にも思わなかった。

 

『6ヤード前進! エイリアンズ、ファーストダウン!』

 

 そして、抜けなくても、前に進めている。

 一気に大量とはいかなくても、少しずつ、少しずつ、ランで獲得できる距離を伸ばしていく。

 それにこうしてじっくり進むことができるのは、エイリアンズには一発タッチダウンを狙える手段があるから――そう、『シャトルパス』が。

 

「よーし! 後半から『シャトルパス』の調子は絶好調だ! 落とす気がしねぇ!」

「着地点10ヤード先! ドンピシャだ!」

 

 泥門、ブリッツを仕掛けるが、倒れながらも強肩振るったホーマーの超長距離弾は、相手コーナーバックを振り切ったワットの手に無事着陸。

 タッチダウンを決める。

 その後のトライフォーポイントでは、ムラマサが素早く立ち塞がったラインバッカーのオットー・ゴンザレスを『スイム』で躱して、キックに飛びつく。

 しかしゴンザレス(弟)を相手した分だけ僅かに遅れてボールを弾くことは叶わず、その気迫で僅かに動揺するもキッカー・オヴライエンはポールに当てながらもキックを決めた。

 18-20。エイリアンズ、デビルバッツに逆転した。

 

 

「緑! 17!」

 

 そして、エイリアンズは連続『オンサイドキック』

 

「10点差つけないとアメリカに帰れないんだ! 攻撃権を渡さず、一気に突き放すぞ!」

 

 筋力差で、デビルバッツはもうほとんどがガス欠。唯一、動けている長門を警戒して、それが一番離れたポイントにボールをふんわりと蹴り送る。

 

「今度こそキャッチMAX!!」

「アメリカ連中入れんな! 壁作れ!」

 

 二度目の対応だったから先よりも早く動けたが、それでも遅い。気力はあっても体力の底が見えている。そして、今逆転を許してしまったことで、士気も落ちていた。

 

(キックゲーム……今の泥門にはない要素で、差が付けられている!)

 

 長門も全速で走るが、こんな乱戦となっては、味方までもが障害になる。それに対し、ボール確保に最短距離を行く無重力の走りは有利だ。

 

(ボールを捕らなくちゃ、また攻撃権が回ってこない!)

 

 アイシールド・セナが爆速ダッシュで迫るが、それよりも先に回り込んでいたパンサーのブロックに弾き飛ばされた。

 先ほどと同じ。パンサーがブロックに入り、ワットが捕る。エイリアンズ、二度目の『オンサイドキック』を成功させた。

 

 

 ~~~

 

 

 途中で寄った電化製品店の店前に置かれたテレビに、映し出されるナイターの試合。

 

 キッカーの差で、覆される。

 キッカーの天敵である長門が孤軍奮闘してトライフォーポイントを阻止しようとするも、キッカーの仕事はただゴールキックを決めるだけではない。

 ボーナス点を削ったところで、差が埋まるわけではないのだ。

 

(長門は肝の座り方が一年生ってレベルじゃないが、それでも限度がある。エイリアンズ相手に一人で試合をやらせるような酷使を続けていると潰れるぞ、ヒル魔、栗田)

 

 だから、いい加減新しいキッカーを育てろと忠告したのに……

 

「どうした? 行くぞ、厳ちゃん」

 

「……ああ」

 

 地面を蹴る。

 しかし、そこにボールはない。


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