悪魔の妖刀   作:背番号88

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1話

「「うおおおおっ!」」

 

 勝つのは俺だ!

 必勝を胸に抱き、その信念と闘志だけでただ前へ――!

 肉体猛々しく。気力雄々しく。前へ。もっと前へ! 1mmでも、前へ……!!

 

「「お゛おおおおあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」」

 

 いいや、勝つのは俺だ!

 この初めてのライバルと認めた相手、本気で全身で力を振るっても壊れぬ、存分に鎬を削れる。

 恵まれた体格である故に、同年代にこの身の全力を振り絞るに値するものはいなかった。

 こいつを除いて。

 幼く、子供な彼、いや、彼らは、己の全力をぶつけられる好敵手の存在に飢えていた。だが、それもこの男に出会った時に満たされた。

 喜悦の滲む笑みを、犬歯を剥き出しにして浮かべ、己を押し倒して突破を試みようとする奴を体で当たって押し止める。

 これ以上は行かせん。行かせてやるものか! 1mmでも、前には進ません……!

 すべてをぶつけても負けるかもしれない相手、だからこそ、負けられない。

 

 『決して倒れない』――それが、ボールを持った男の子の信念。

 『必ず止める』――それが、チャージを阻む男の子の信条。

 

「長門おおおおっ!」

 

 倒れるものか。押し切ってやる!

 

「大和おおおおっ!」

 

 進ませるものか。押さえ込んでやる!

 

「「うおおおっ……」」

 

 矛盾の如き意地の張り合い。両者の勝負は拮抗し――やがて、止まる。

 勝敗の分水嶺と定めた1ヤードのライン……阻む男の子の踵がつくかどうかの土俵際いっぱいのところで――

 

「勝つのは……俺だ!」

 

 ボールを持った男の子が、最後の力を振り絞り、停止されかけた脚を更に一歩前に踏みしめた。

 

 

 初めて出会ったのは、ボーイスカウトで。それから同じスポーツクラブに入った。

 小中学生や女子でも遊べる防具なしのフットボールのタッチフット。タックルで倒す代わりにタッチすれば止めたことになるアメフトだ。

 まだ体の出来上がっていない小学生に推奨されるスポーツなのだが、この二人は本気でぶつかり合うのがこれで通算百度目である。

 

「この百戦目――俺の、勝ちだ。長門村正」

 

「……ああ。俺の敗北だ、大和猛」

 

 少年たちは、抱き合うように激しくぶつかりあった全身を互いに預ける。

 

「だが、これで、五十勝五十敗……まだ並んだに過ぎない」

 

 小学生で最後となる勝負の勝者だが、負けず嫌いの大和猛はこれまでの勝敗をきっちり覚えていた。当然、長門村正も頭の中に一つ増えてしまった黒星を憎々し気ながらも記憶している。

 

「でも、記念すべき百一戦目は、次の機会に預けておこう」

 

「アメフトの本場だからって、俺以外に倒されるんじゃないぞ」

 

「君こそね。――長門村正に勝つのはこの俺だ」

 

「はっ。それはこっちのセリフだ。――大和猛を沈めるのはこの俺だ」

 

 互いに指を突き付け、宣言する。

 自分たちらしい別れにどちらともなく笑ってしまう。

 

「そういえば、長門はどこに引っ越すんだっけ?」

 

「確か親の転勤先が関東で……それで、俺が春から通うのは麻黄中学ってところだったな」

 

 

 ~~~

 

 

 ――大和猛(ライバル)と別れてから、三年後。

 中学でアメフトを始めた俺に、新たな出会いがあった。

 心優しき巨漢ラインマン、

 悪魔の如き狡猾なクォーターバック、

 伝説を携えし侍キッカー、

 一緒にアメフトをやって、これからもやることになる三人の先輩たち。

 そして、持てる技術のすべてを教えてくれた師……

 

「溝六先生は、一年前に借金でアメリカに行ってしまって、その後は音信不通なんですけどね」

 

 ぼやく青年の体は長身で、腕から胴から脚まで、とにかく細いが、しかし華奢ではない。つくべきところにつくべきだけの筋肉がついているという印象だ。髪はぼさぼさの総髪で、全体的に、野性味あふれる雰囲気がある。

 

 そんな彼こと長門村正が高校入学前の春休みで何をやっているのかと言えば、自転車をこいでいた。

 

 北関東屈指の温泉地で、季節はずれているけれど、紅葉の名所『伊我保温泉』。

 この慰安旅行のイメージが先立つ石段街にある『北江屋旅館』は、主人が“世界に通用するアスリートを育てるのが夢”だそうで、経験値稼ぎにはここにお世話になるのが良い、肉体を苛め抜くのにうってつけの場所がある。そう師に勧められて、この春休みにお世話になっている。

 

「そうか、溝六のヤツはまったく……しかし、君のようなアメリカンフットボーラーを育て上げていたとはな」

 

「俺以外にもあと三人先輩がいますよ」

 

 伊我保観光ラインと書かれたボロボロの看板が北関東名物の空っ風にあおられる。一見、何の変哲もない有料道路なのだが、まったく車が通っていない。料金所の建物は老朽化が進んでいるし、行き先案内板に至っては文字が全く読めないほど傷んでいる。

 それもそのはず。ここは高度成長期に調子に乗って山越えルートの有料道路を造ってみたはいいものの、それとは別にこのすぐ近くに高速道路を通す国家計画があった。高速道路の真横に有料道路を造ったところで利用者がいるはずもない。その場のノリで立てられたこの道路は、全線開通する前に計画が頓挫してしまった。

 

 ただ本来とは違った需要をこの閉鎖道路に見出すものもいた。

 急な斜面に、キッチリ舗装された道路。閉鎖されているので人も車も通らない。やりたい放題という寸法だ。

 道路は国か地方自治体の所有地で、勝手に使うのはまずいのだが、先の温泉宿『北江屋旅館』の主人が町長を脅し……ではなく、話をつけて、主人の許可さえあればトレーニングの場所として利用できるようになっている。

 

「ふぅ、慣れてきたけど中々キツい……ふんぬらば、っと」

 

 自転車のペダルを踏みしめる足に力を入れる。

 今乗っているのは普通の自転車ではなく、観光地とかでよく見かける二人乗り用の自転車だ。一番重いギアで、普通のよりも前後に長い二人乗り用自転車は、それだけ風の抵抗を受けやすい。風速20mに達することもある向かい風もさることながら、強い横風は、横からどつかれるのと同じ。

 それだけでなく、前後に長いという事は車体を思い切り横に倒さないとカーブを曲がり切れない。カーブだらけの登り坂を進むには、重心移動ができていないと無理だ。

 

 しかも自転車の車体は今どき珍しい鉄製で、鉛の重りのオマケつき。総重量は500kgになるように調整されている。

 さらに今こいでいるのは青年のみ。後ろはこがずにただ乗っている重り役兼お守(コーチ)役である。つまり500kg+αで走破しているのだ。

 

「いやあ、武田さんには感謝です。もうすぐお孫さんが生まれるというのに付き合ってくれるなんて」

 

「何、家でジッとしてるなんて性に合わんしな。……それに、あの誰一人としてやり遂げた者のいないデス・マーチを半分とはいえ走破するなどという無茶をやるヤツを見過ごしてはおけんよ」

 

「あはは、春休みが一ヶ月あったら、1000kmとは言わず、2000kmやりたかったんですけどね」

 

 死の行軍(デス・マーチ)、それは、2000kmのウルトラトレーニング。その半分でも1000kmだ。

 入口から行き止まりまで片道およそ20km。この有料道路をちょうど往復で25周すれば達成できる。

 かつて師が挫折し、選手生命が断たれたそのデス・マーチで、コーチしてくれる師のチームメイトだった武田は脱落者のひとりで、その事を気に病んでいた。コーチをするのもその罪滅ぼしもある。

 そのため、将来有望な青年の選手生命を絶たないよう、いつでもストップをかける気構えでいたが……この溝六の愛弟子は、もうあと半周、この春休みの半月の間に980kmまで走破している。

 

「まさか本当にやり遂げちまうとはなあ……」

 

「これも皆さんのおかげですよ。場所を提供してくれた『北江屋旅館』の皆さん、門伝桝乃の婆さんのゴッドハンドには大変お世話になりました。それに武田さんが監督を務めるアメフトチームの皆さんには、ボールを使った練習に付き合ってもらいましたし」

 

「こっちも若ぇのが混ざって活気付いたもんよ」

 

 そして、話をしながらも自転車は進み……ついに、25往復1000km走破達成する。

 

「本当……千石大学の『二本刀』は、とんでもない名刀を鍛え上げやがったな」

 

「それはちょっと違いますね武田さん。――村正は、“妖刀”です」

 

 

 それから借りていた二人乗り自転車を『北江屋旅館』へ返却しがてら何気なく武田は訊ねた。

 

「それで、長門君はどこの高校へ行く気なんだい? 君なら神龍寺でも十分やっていけるだろうし、帝黒でもレギュラーを狙える。庄司が監督する王城は中高一貫制の学校だけど外部生で入れるぞ。今年のチームは黄金世代が抜けてしまったから、君のような即戦力は歓迎されるんじゃないか」

 

 身長190cm、体重90kgの恵まれた体格に、40m走4秒7でベンチプレス140kgの高い身体能力。そして、あの『二本刀』と称されたエースがその技術のすべてを叩き込んだ。

 同じ『二本刀』の司令塔が手塩にかけた高校最速にして日本史上最強のラインバッカーにも劣らぬ逸材だろう。

 今はまだ無名だがいずれ必ず国を代表する選手になるだろう長門村正の進学先を尋ねてみたのだが、当人は頬を掻きながら苦笑し、

 

「あはは、いやー、一年前からずっとオファーされてるところがあるんすよ。もし来なかったらぶっ殺しに行くと脅してくるくらい熱烈に」

 

「ほう、それはどこだい?」

 

「泥門デビルバッツ、まだメンバーが三人しかいない無名のチームです。()()()()ね」

 

 

 ~~~

 

 

 私立泥門高等学校。

 某H氏が入学した一年前から、その校風は、『寛容な精神で生徒の自治を重んじる』という自由なものに定められる。

 外見はごく普通の高校だが、某H氏による数々のトラップが至る所に存在する。

 そして、総生徒数700名を超え、教師を含めると800人近いこの学び舎は、10人に1人が某H氏の奴隷である。

 ……某H氏の影響力が大き過ぎる。

 

「いやあ、本当、目的のためなら容赦ないな、ヒル魔さん」

 

 ぽつり、とその名を呟いただけで、

 

「どどどどどどどどこ!? どこ? どこ? ヒル魔どこ?」

「イヤァアアアァアアアア!!」

「ヒィイィイ! 俺のラブレターをばら撒かないでくれェ!!」

 

 うわー……泥門高校では名前を呼んじゃいけないあの人になってる。

 

「麻黄中も同じ感じだったけどね」

 

 決して、中高一貫校のエレベーターで進学したわけではない、母校とは何の縁もない別の学校のはずだが、この阿鼻叫喚にはデジャビュを覚えてしまう。たった一年で、いや一月とかからず、己の色に染め上げてしまったに違いない。それだけあの先輩のひとりはカリスマ性があるんだろう。そういうことにしておこう。

 

 さて、今日が入学式。自分が配属されたクラスは、1年1組。

 教室に行くまでざっと見た感じだと自分以上に身長の高い生徒はおらず、背の順で並べば規定位置となった最後尾になるだろう。

 その逆にこのクラスの身長が低く先頭になるであろう生徒が前の席に座っている。

 

「フゴッ」

「おっす、今日から同じクラス、これからよろしくな」

「小結大吉!」

「俺は、長門村正。村正って言うと危険っぽい感じになるから長門って呼んでくれ」

「と……とも!」

「ああ、友達になろう。お互い、高校に入って初めての友達だな小結」

「フゴッ!」

「おう! 幸先のいいスタートだな!」

 

 と固い握手を交わす。なかなか力強い、パワフルな手だ。

 身長差が凸凹してるが、友達もできてクラスにも馴染めた。

 

「アメフト部の特集に紙面のスペースを占領されて、模型部と陸上部以外の宣伝は以下略にされてるぞ」

 

 そして、放課後、家の手伝いがあるとかで小結は早々に帰ってしまったが、新入生には部活見学のイベントが催されている。

 といっても、入るのは決まっているし、それ以外にふらつこうものなら、某H氏より銃弾をぶち込まれるに違いない。真っ直ぐにこのクラブ公告特集の過半数を占める大見出しでアピールしているアメリカンフットボール部へ急ごう。

 およそ一年ぶりとなる先輩たちとの再会だ。急かさずとも、自然、気が逸るというもの。あの()()とまた一緒にプレイができる――

 

 

「ひいいいい!! なんで結局――こーなるの~~!!?」

 

 

 教室の扉を開ける、その直後に駆け抜けた一陣の突風――否、この正体は風のように廊下を疾走する人間。

 

(はや)い――!)

 

 走りも速いが、動きも疾い。放課後人が多い廊下を全速力で行きながらも、誰一人としてぶつからない走り方(カット)。あれは稀に見る黄金の脚だ。こんな逸材が、スポーツ特待校でもない泥門高校にいたなんて……

 

(ランニングバックをやらせたら面白そうだな)

 

 しかし、廊下を走るのは校則違反である。風紀委員ではないが、間違っても事故にさせないよう止める。

 購買部から往復して戻って来た爆走少年。

 相変わらず素早いが、どこを走ってくるかは大体予想がつく。その激しい走り方(カット)は、曲がる際に当然ブレーキを掛ける。瞬間的にスピードがゼロになる。

 彼は人にぶつからないように必ず直前で曲がるから、そこを狙えば――

 

 

 ~~~

 

 

 高校初日。

 もう中学時代のように誰かのパシリにならない……そう、心に決めていたのに、同じクラスになった男子生徒三人から放課後早速校舎裏に呼び出されて、5分以内にパンを買いに行かされることになった。

 結局、購買部のパンは売り切れていたけど。

 その戻り道で、すごく大きな人が前に立ちはだかった。当然、僕はぶつからないように彼を避けようとした――でも、

 

「――ほい」

 

 ……!!?

 その長い腕が伸びて、僕の胸にそっと、でも力強く手が添えられた。

 陸に走り方を教えてもらってからこの爆速ダッシュは一度も止められたことがなかったのに、躱せずにあっさりと捕まってしまった。

 それも、掌で押さえられているだけなのに、ビクともしない……!?

 

「同じ新入生だけど、“危ないから廊下は走っちゃいけない”って言うのは、どの学校でも共通のルールだとは思わないか、少年」

 

 何事もなかったように注意する男子学生。

 そのことは、風紀委員をやっている一つ上の幼馴染のまもり姉ちゃんから聞かされている。常識的なことを説かれたけど、今はそれどころではない。速く、5分以内に戻らないと痛い目に……!

 

「あの、ごめんなさい。僕急いでるので! ……ん?」

 

 言って、彼を抜こうとしたけど、それより早く制服の襟元を掴まれ、猫のように持ち上げられてしまう。腕一本で軽々と。

 じたばたと手足をばたつかせるも、床に足がついてなきゃ走れない。

 

「……うん、なるほどなるほど。急ぎの用があったのか。よし、迷惑をかけてしまった詫びに俺も手伝おう。遅れた理由は俺にあるのだから、ちゃんと俺が説明しないといかんだろ」

 

「えええ!?」

 

「それで、場所はどこだ? 予想としては体育館裏あたりだと思うがどうだ?」

 

「はい。――いや、これは僕一人で!」

 

「ひとりでやるなんてそう寂しいことを言うな。同じ新入生だし、それにちょうど俺も体育館裏の方に用があるんだ」

 

「で、でも」

 

 巻き込ませたくない。とても体が大きくて、力が強い人だけど、むこうは金属バットを持ってるし、喧嘩になったらケガをしてしまう。それはダメだ。僕のせいで誰かがケガをするなんてことはあってはならない……でも、足がつかないと逃げようがないので。

 

「降ろして! 降ろしてください!」

 

「大丈夫だ、君を掲げるくらいわけない。俺は鍛えてるからな。ああ、それで俺は長門村正という。同じ泥門高校の新入生だ。君の名前は?」

 

「え、僕は、小早川セナと言います。――そうじゃなくて、降ろしてください! 本当、急がないとまずいんです!」

 

「ははは! 急がば回れだ、小早川。焦っているときほど、余裕をもってだな」

 

 結局、この長門村正君に荷物のように校舎裏まで運ばれて……

 

 

「誰だテメェは……」

 

 人目につかない校舎裏で屯っていた三人は、当然、この闖入者に不快に眉を顰める。ヤバい。チクられたと思われたに違いない。

 

「購買部のパンを買ってこいっつったのに、どうしてこんなデカブツを連れてきてんだ? あ゛ぁ?」

 

「ああ、それは俺が小早川を止めてしまったからだ。何分急いでいたようだが、廊下を走るのは校則に反しているからな。一生徒として制止させてもらったわけだ。それと、小早川が購買部を見てきたけど、パンの方はすでに売り切れだったようだぞ」

 

「ハ?」

「はァ!?」

「はあぁぁあぁあ!!?」

 

 ひいいい!?

 声揃えての恫喝に震え上がる僕。……けど、長門君はそれを面白そうに、プ、と噴き出し、

 

「仲が良いな君たち。三人揃って息ピッタリじゃないか。いやあ、先輩たちと似てるなあ」

 

「てめ」

「ガタイがいいからって舐めてんのか?」

「こりゃ、ちょっくら一発しばいてやらねーと、な!」

 

 挑発されたのだと思ったのだろう。青筋浮かべた三人は得物である金属バットを手にし、容赦なく長門君目掛けて振りかぶった。

 危ない! ……そう僕は声を出そうとして、怖くて何も言えず、長門君の身体に金属バットが叩きつけられた。

 

「あ……」

 

 僕はそれを後ろで見ているしかなくて……長門君は、ビクともしなかった。思いきりバットで殴られたのに。まるで、しっかりと地に根の張った大樹のようだ。

 これには殴った三人の方が狼狽えてしまう。

 

「な、なんだこいつ……」

 

「そう怖がらなくていい。俺は、手を出さない。ここはフィールドじゃない。フィールド上に立った選手以外は潰さないと、誓っているからな」

 

 その気迫。手は出さないと宣告しているのに、威圧される。頼もしい、けど、恐ろしい。振るわれずとも、その刃紋を見ただけで身の毛のよだつ妖刀を目の当たりにしているようだ。

 

「へ、へっ! だったら、存分にサンドバックにしてやる!」

 

「それとこれは忠告だが、この泥門高校であまり不良は勧められない。ここには」

 

 一旦は怯んだけれど、その震えを振り払うように再びバットを振り被って、長門君が何かを言いかけたその時だった。

 

 

「あーー!! 長門君!!」

 

 

 大声で、長門君の名前を呼んだのは、縦にも横にもすごく大きな人だった。

 

「栗田先輩、お久しぶりです。そして、これからまたよろしくお願いいたします」

 

「わああ! やったあ! 長門君が来てくれて、すっごく嬉しいよ! また一緒にアメフトをプレイできるんだね!」

 

 すぐ長門君が折り目正しく一礼する。

 向こうの栗田先輩? もすごく感激したご様子。それまで物騒な空気だったのに、まったく気づいていないようである。

 そして、無視された形になる三人は当然面白くはない。暴力現場にまた新たな乱入者だ。でも、先輩も長門君の周りにいる僕と三人に気付いて、

 

「それで、ここにいる君たちは……あ、長門君と一緒にいるからもしかして、アメフト部の入部希望者!!?」

 

 なんか誤解してしまった。

 

「ハ?」

「はぁ?」

「はぁああああ!?」

 

 おちょくられたのかと思われて、ますます三人のボルテージは上昇。

 

「寝ぼけんなよコラ。俺らはコイツに用があるんだ」

「回れ右だホレッ」

「じゃないと、タックルで吹っ飛ばすぞアメフト部!」

 

 三人のうち一人が、栗田先輩に勢い付けて体当たりをぶちかました。不意打ちのようにいきなり……でも、

 

「ふんッ!? ふんッ!!!」

 

「お、君はライン志望?」

 

 これまた全然ビクともしない。体格に体重差があるんだろうけど、それでも1mmも動かせない。押してる方が逆に押し切れなくて、足が滑っている。

 

「こォのデブ……」

 

 三人がかりで押し倒そうとするが、先輩はそれを全く苦にせず、むしろ嬉しそうに笑顔で三人丸ごと抱擁するように受け止める。

 

「ああ、ブロッカーを押す時はね。手の底で相手の脇を押し上げるように――こう!!!」

 

 くわっ! と瞳の奥に火がつき、

 

「ふんぬらば!!!」

 

 何と三人をいっぺんに投げ飛ばしてしまった。

 す、すごいパワーだ……。

 

「ひゃ、ひゃ~~~しまった! 大丈夫、君達!?」

 

 先輩は慌てて投げてしまった三人に駆け寄ろうとしたけど、三人は悲鳴を上げて逃げて行ってしまった。

 遠ざかる背中に、先輩はしょんぼりと項垂れ、しくしくと涙を。

 

「うう……折角、長門君が連れてきてくれた入部希望者だったのに……ごめんね、長門君」

 

「いや、そうじゃないんで結構です、栗田先輩」

 

「あ」

 

 そこで、先輩と僕は目が合った。

 

「一人残ってた~~!!」

 

 ち、違います!

 そう言おうとしたのだが、先輩はもう体育館裏にある部室へと走っていってしまう。

 

「ちょっと待ってね。部室ちょっと散らかっててすぐ片付けるから!」

 

 歓迎ムードに断りづらくて、つい長門君を見るも、長門君は、あはは、と苦笑しながら頬を掻いていて、

 

「わかってる。ちゃんと栗田先輩には小早川が入部希望者じゃないと伝える。けどまあ、せっかくだし、アメフト部の部室に寄っていかないか」

 

 この怒涛の展開に流されるように僕はただこくんと頷いた。

 

 

 ~~~

 

 

「栗田先輩、小早川は入部希望者じゃないですよ」

 

 招かれてからのこの第一声に、満面の笑みで部室に出迎えてくれた栗田先輩は、大口を開けて呆然自失。

 

「そ、そう、いや、良いんだよ別に……。ゆっくりしてって、お茶でもホラ」

 

 あちゃ~、メチャクチャガッカリしてる。

 三人の中で一番感情が表に出る感激屋なのは、一年前と変わってない。でも、その分、すぐにけろりと立ち直る。

 

「そんな気落ちしないでください栗田先輩。同じクラスで有望そうなヤツがいるんで、今度そいつを連れてきますよ」

 

「本当に!?」

 

 小早川を席に案内した時にはもう元に戻っていた。

 

「それで、砂糖は何十個?」

 

「い、いや、ひとつで……」

 

 うん、相変わらずの食生活だ。よく糖尿病にならないと不思議に思う。

 

「ああ、栗田先輩。俺がやりますよ。後輩として、先輩にばかり働かせるわけにはいきませんから」

 

「いいっていいって。今年最初の入部希望者なんだから先輩として歓迎させてよ。ヒル魔も長門君が泥門高校に来てくれるのをすっごく楽しみにしてたんだから!」

 

「あははー、そうですか。それは嬉しいですね」

 

 家のポストに数百通の勧誘チラシがねじ込まれていたから入学前、いや、一年前から

承知している。来なかったらぶっ殺す、というのは。

 

「あ、あの、お二人は知り合いなんですか?」

 

 そこで肩身狭そうに紅茶を啜っていた小早川が質問。

 

「ああ、俺と栗田先輩は同じ麻黄中学出身でアメフトをやっていたんだ」

 

「そうだよ。長門君はすっごくアメフトが強くって、何でもできるから、麻黄デビルバッツでエースだったんだよ。……でも、結局今年も部員3人かぁ……もうすぐ大会だってのに……」

 

「栗田先輩、数え間違えてますよ。俺を入れたら、4人じゃないですか」

 

「あ、うん……そうだね長門君は……」

 

 ? 励ますつもりで言ったのに、消沈してしまう。栗田先輩は、裏表のない人で、演技とか無理。だからこれは素の反応なのだが……何か気に病むことを言ってしまったか?

 気落ちした雰囲気に、どういうわけか小早川が不安に焦ってまた質問を投げかけた。

 

「そ、それでラグビーって、4人でもできるんですか?」

 

「いや4人じゃ……ていうか、ラグビーじゃなくてアメフトね」

 

「小早川、アメフトは最低11人必要なスポーツだ。だから、足りない分は調達……いや、お願いして人数合わせに他の部から来てもらう。……それで、まだ人数揃ってないし、小早川ならレギュラー確定だと思うが、どうだ? やってみないか?」

 

「無理無理無理! スポーツなんてドッヂボールとかしかやったことないし」

 

「…そうか、残念だ」

 

 あの黄金の脚を在野に放っておくのは惜しいが、こればっかりは本人の意思が重要だ。……もっとも有能そうなら有無を言わせずプレイヤーに仕立てそうな人間をひとり知っているが。あの先輩に知られたら、小早川はアメフト部に強制入部されるだろう。

 

「こんなんじゃ、クリスマスボウルのクの字も見えないよ」

 

「クリスマスボウル?」

 

「年に一度のクリスマスに行われるアメリカンフットボールの全国大会決勝だ。各地方地区大会を抜け、関東・関西大会で優勝した東西の最強チームが激突する天下分け目の決戦」

「そりゃもうすごいんだよ! 東京スタジアムのオーロラビジョンに、こう、リプレイとか映って……まさに戦争の最終決戦場! いつかみんなであのフィールドに立つぞっ! てね」

 

 それは、先輩たちが中学でアメフト部を創立してからの夢だ。

 そして、皆で目指すもののために文字通り敵にぶつかっていく、その瞬間が燃えるのだ!

 

「だから一回戦負けはわかってるけど、大会にはどうしても出たいんだ」

 

「一回戦負けになんてさせません。俺が絶対に。先輩たちをクリスマスボウルまで連れてってみせますよ」

 

 この後、しばらく歓談して、栗田先輩の熱意に感化されたのか、小早川がアメフト部の主務、管理職全般を受け持つチーム運営の裏方に立候補してくれた。……でもやっぱりプレイヤーとして出てほしいと思ってしまう。

 

 

「長門君、あのね……」

 

 時間となり小早川を帰らせてから、試合で使う防具合わせをする……という体で、栗田先輩がわざわざ自分ひとりを残した。

 これが某H氏ことヒル魔先輩であったなら二人きりの状況に身構えてしまうが、良心の塊である栗田先輩にその心配はない。

 でも、その大きな体を風船の空気を抜いたように萎ませて、言い難そうにする表情からあまりよろしくない話を聞かされるのだと察した。そして、先輩の口から語られたのはこれから先の前途多難な未来を示すものであった。

 

「今、ムサシはデビルバッツにはいないんだ」

 

 ボソボソと栗田先輩は武蔵先輩がチームにいない理由を語った。武蔵の親父さんが倒れ、それで武蔵先輩は、泥門高校を辞めて、実家の大工の跡を継いだそうだ。

 

「栗田先輩」

 

「で、でもね。ヒル魔が無理やり退学じゃなくて休学扱いにしたんだ。でもって、いつでも戻って来られるように選手登録もしてある。だから……」

 

 このことについて、長門村正が栗田先輩に言えることは、ない。さっき正式な部員は3人だと言っていたから、武蔵先輩が戻ってくるのは望みが薄い……それこそ奇跡のようなものなんだろう。そんなこと、誰よりもわかっているのは、先輩たちだ。今知ったばかりの後輩が口出しできる問題じゃない。

 だから、問い質したのはひとつだけ。

 

「……どうして、この一大事を俺に報せてくれなかったんですか、栗田先輩」

 

「それは……もしムサシがいないって、わかってたら泥門に来てくれないんじゃ」

「ふざけないでください!」

 

 ただでさえセンターライン、クォーターバック、キッカーしか正式な選手のいない、11人未満のアメフト部から1人欠けたのだから、戦力低下は相当大きい。これでクリスマスボウルに行ける確率は0.1%しかないほどに厳しい。

 だったら、“勝つために”泥門のような弱小校ではなく、他の強豪校へ行くのが賢い、いや当然の選択だ。

 だから、入学するまで情報を隠したのか――度し難いほど不愉快だ。

 

「俺は、そんな余計な心配をされていたのか!」

 

 怒鳴った。怒鳴らずにはいられなかった。

 ええい腹立たしい。後輩個人に徹底した情報封鎖は、栗田先輩にはできない芸当だから、ヒル魔先輩が噛んでいるに違いない。栗田先輩にも泥門デビルバッツに入部届けを出させるまでは話すなとか言い含めていたんだろう。

 わざわざそのような真似をせずとも、俺は先輩たちのいる泥門高校を選んだというのに。あの日の約束を果たすために。

 

「長門君……ごめんね」

 

「もう、いいですよ栗田先輩。ああ、だから、今日、ヒル魔先輩は部室に来やがらなかったんですね」

 

 居たら、一発ぶん殴っていたところだ。

 

「事情は、わかりました。でも、デビルバッツから抜けたりしないから安心してください栗田先輩」

 

「長門君! ありがとう!」

 

「それに……武蔵先輩が、戻ってくる可能性は0%じゃあない。だったら、その奇跡が叶うまで勝ち続ければいい。違いますか、先輩」

 

 ――それまで、この『妖刀』が頂までの道を切り開いてみせよう。


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