【凍結中】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ(旧版)   作:矢柄

32 / 45
032

 

 

「あ、リィン君、引いてますよ」

 

「おっ、これは…大物かな?」

 

 

爽やかな天候の下、深い青色のアゼリア湾の海上、私たちはちょっとした大きさの導力クルーザーの上で釣り糸を垂らしていた。強烈な引きでしなる釣竿を力いっぱい掴んで、リィン君がリールを巻く。

 

どうやら思った以上に大物らしく、ちょっとした大勝負の後、メイドのシニさんが大きな網を持って目前まで引き寄せた大魚をすくいあげた。

 

 

「うわっ、これは…、こんな魚、初めてだ」

 

「おおっ、すごいじゃないか。立派なブルマリーナだ」

 

「すごいですねっ、3.5アージュはありますよ!」

 

 

お父さんが快活に笑いながらリィン君の肩を叩くとリィン君は少し気恥かしそうに頬をかく。

 

ブルマリーナは最大で4アージュ近い大きさになる大魚で、《青き貴族》とも呼ばれるほどに美しい色合いの身体を持つカジキマグロのような姿の魚だ。

 

 

「む、大きいわね。私も負けてられないかも」

 

「ふふ、頑張ってください、エリッサお嬢様」

 

「私、さっきからシーラルしかかかりません……」

 

 

霧降山脈の奥地から帰って来たリィン君とユン先生、それに家族皆と一緒に今日は海釣りに出ている。

 

こんな立派な船を手配できたのは軍が手をまわしたせいで、一時は向こうが気をまわし過ぎて軍艦でという話になりかけたが、なんとかクルーザーに情報部と陸軍の護衛をいくらか同伴させる程度に落ち着いた。

 

まあ、遠方に巡洋艦が浮かんでいたり、遠く上空に2隻ほどの軍用飛行艇が飛翔しているのはちょっとしたおまけであるが。

 

 

「しかし、よく軍が許したな、エステル」

 

「別にそこまで行動を制限されてるわけじゃないので。リシャール大佐曰く、この程度こなせなければ要人護衛なんて満足にできやしないのだとか。日時はあちらの都合に合わせましたしね」

 

 

要人を守るために私生活を制限してしまえば、それは軟禁となんら変わらない。

 

そもそもある程度の自由な私生活の中で安全を保障できなければ、例えば王族が海外で活動する際に支障をきたすだろう。

 

巡洋艦を動かすのは少しオーバーな気もするが、威圧という意味もあるのかもしれない。

 

 

「おっ」

 

「ん、ヨシュア、釣れましたか?」

 

「ダメだ。小魚だよ。あ、エステルのも引いてるよ」

 

「お、これは…、中々の大物…!」

 

 

リールを巻く。なかなかの重量。少しの格闘のあと、海面に現れたのは、

 

 

「タコ…、ですか」

 

「まだまだじゃの」

 

「くっ、まだまだです!」

 

 

ユン先生に冷やかされて、私は意地になって海面を睨みつける。まあ、そんな事をしても魚には関係のない話なのだが。

 

そんなやり取りをしながらも、入院中は釣りには行けなかったので、久しぶりの釣りを思いっきり楽しむ。タコが釣れようが、そういうのもまた楽しいものなのだ。

 

 

「いや、でも本当にびっくりしましたよ。ドラゴンと話すことになるなんて」

 

「ふっ、こやつが紹介する者が普通であるはずがなかろう」

 

「まあ、私も初めてレグナートに会った時は驚きましたけどね」

 

 

霧降山脈で目当ての相手と出逢い、どことなくすっきりとした表情になったリィン君は語る。

 

どうやらあの竜はリィン君のあの変身について何か知っていたらしい。古代ゼムリア文明期から生きていると称するだけのことはあるようだ。

 

 

「いえ、それも十分驚きましたけど。なんで、彼の巣穴にラジオがあるんですか?」

 

「たしか、リベール通信が主催した詩作の大会の準優勝の商品だったと思いますよ?」

 

「……もういいです」

 

 

少しばかり疲れた表情をして水平線を眺めるリィン君。何か変な事を言っただろうか?

 

ちなみに最近は作曲や歌唱まで手掛けだしたらしいのだが、レグナートのリズム感というか音楽的な感覚は人類には少しばかり理解し難いものだった。

 

ぶっちゃければ、音痴なのである。リアルじゃいあんリサイタル。

 

まあ、本人が楽しんでいるのであれば、文句を言うようなこともないのだけれど。

 

 

「それで、何か分かりましたか?」

 

「結局は盟約がどうのとかではぐらかされたのじゃがな」

 

「いえ、それでも貴重な話を聞くことが出来ました」

 

「そうですか。盟約…。なんとも面倒そうな話ですね」

 

「知ってるんですか?」

 

「あー、ただの推察なんですけどね。レグナートについては王家が所有する古文書とかにも記載されていて、古代ゼムリア文明崩壊の頃から生きているっていうのは眉唾じゃないんです。で、まあ、それに加えて古の盟約なんて大仰な話になると…」

 

 

盟約ということは、つまりレグナートと何者かが結んだ事になる。

 

ここで、その何者かというのが問題になるのだが、人類という枠を大きく超えたドラゴンなんていう生物を盟約で縛るというのだから、それに類するような存在が見え隠れするわけで。

 

 

「となると、まあ、下手につつくとろくでもないモノが出てきそうなんですよね。おそらくは、ゼムリア文明の崩壊に関わったようなものなんでしょう。まあ、単純に考えれば《空の女神》様。常識的に考えれば馬鹿みたいに強力なアーティファクト関連の話じゃないのかなぁと」

 

「女神エイドスに馬鹿みたいに強力な…、思いつくモノといえば、七耀教会の伝承にある《七の至宝》とかですかね?」

 

「ふふ、さあどうでしょうね。で、結局、どうするつもりなんですか? その力と向き合っていくのですか?」

 

「いつになるか分からないが、近い将来、試練が課せられるだろうと。その試練を乗り越えた先に、何らかの答えを導き出すことになると、レグナートは言っていました」

 

「ご愁傷様です。ドラゴンクエストなんて当事者からすればろくなもんじゃねぇですよ」

 

 

竜が語る試練が生温いものであるはずがない。おそらくは命を賭すような厄介ごとに彼は放り込まれるのだろう。

 

そうして得るモノが何なのか、強力な力か、財か、名声か。欲しくないモノを与えられる機会を無理やり与えられて、それを得るための試練に無理やり参加させられるのだからたまったものではないのだ。

 

まあ、人生そのものがそういう性質であると言ってしまえば身もふたもない話なのだけれど。

 

 

「何故、俺にこんな力が宿っているのかは結局分かりませんでしたが、逃げても良い結果が出ないのならば、向き合うしかないんだと思います」

 

「ふふ、では、後悔のないように」

 

「はい。色々とありがとうございます」

 

 

まあ、逃げるという選択肢も時には必要なのだし、常に前を向いて走り続けることが最善の未来を引き寄せるわけではない。諦める事、見切りをつける事だって人生には必要だ。

 

未来なんて誰にも分らないのだし、逃げた先で、立ち止まった場所で、その人の人生を思わぬ方向に転換するような、そんな素晴らしい出会いが待っているなんて事もある。

 

それでも、どちらを選んでも何かを失うとして、その先に後悔するような事が待ち構えていても、立ち向かって後悔するよりも、逃げた先で後悔する方が少しシャクなのである。

 

まあ、それはヒトにもよるのだろうけど。

 

 

「七耀教会に頼るなら、歴史のある大きな聖堂に行くといいと思いますよ」

 

「大きな…ですか?」

 

「重要な聖堂には教会の、アーティファクトの管理に関連する人員が常駐していることが多いのです。彼らは教会の保有する門外不出の知識を継承しているらしいので、もしかしたら貴方の力についても何か知っているかもしれません。それに、歴史のある大きな聖堂は意外に権力との癒着が少なかったりするのです」

 

 

七耀教会というのは、Xのいた世界の凡百の宗教組織とは違って恐ろしく腐敗が少ない組織だったりする。免罪符をばら撒いて金策するようなどこぞの生臭い連中とは一線を画する。

 

あれだけの影響力を持ちながら、そういった性質が少ないのは驚くべきことだ。

 

Xの世界においては多くの力を持った宗教が最終的には国をも蝕んで、結果として民を苦しめる要因となるにもかかわらずである。

 

500年にもわたって権力を維持しながらも、腐敗を最小限に抑えているその組織運用…、その秘訣はぜひ教えてもらいたいものだ。

 

 

「それで、リィン君はいつ帝国に?」

 

「そうですね。週末にはと」

 

「そうですか。ユン先生にはもう少し付き合ってもらいたかったのですが」

 

「リベールにはアネラスがおるから、また来ることもあろうて」

 

 

ユン先生の孫娘であるアネラスさんは、やはり八葉一刀流の剣士らしく、私にとっては姉弟子ということになっている。剣に関して型は一通り伝授しているらしいが、皆伝には至っていないのだとか。

 

この一月の間、本当に色々あったけれども、まあ周りの人間に酷い後遺症が残るような怪我はなかったし、ユン先生にも久しぶりに会えて、結果オーライといったところか。

 

と、

 

 

「ひゃわっ!? 来たよエステル!! すごい大物の予感!!」

 

「え、あ、エリッサ!? ものすごく竿がしなってますよ!?」

 

「うわっ、すごっ!? でも負けない! 私が№1なんだからぁ!!」

 

 

エリッサの釣竿が尋常じゃない程にしなる。ヨシュアがエリッサが海に引きずりこまれないか冷や冷やしながら見守っている。そうして船の上の人間の注目を一身に浴びて格闘が続き、

 

 

「来たぁ!! って、なんじゃこりゃぁぁぁぁ!?」

 

「ギ、ギガンゴラー!?」

 

 

海から勢いよく引きづりあげられた深海魚。3アージュ近いグロテスクな、アンコウを思わせる巨大魚が宙を舞い、そしてそれがエリッサに直撃する。

 

平べったい奇怪な巨大魚に押し倒されるエリッサ、それを指さして笑うお父さん。

 

 

「キャー!? 何これ!? 重い、気持ち悪い、ヌルヌルするぅ!?」

 

 

まあ、そんな休日の話。ギガンゴラー鍋、おいしゅうございました。

 

 

 

 

 

 

「はわっ、エステルお姉ちゃん、私、飛んでるよ!」

 

「上手いですよティータ。最初は中々難しいんですけどね」

 

 

ティータが工房内の空間で1アージュほどの高さで浮遊する。ティータはその背中に妖精の羽根を思わせるフィンを持つ機械を背負っており、それが彼女を浮遊させる種である。

 

工房都市ツァイスの旧市街に立地するラッセル邸、私たちは新しい玩具を手にティータと戯れていた。玩具は中央工房において試作されていたもので、軍からも研究資金が出ているものだ。

 

 

「個人用導力飛翔機か。一昔前では実現など遥かに先と思っておったが」

 

「日々技術革新というやつです」

 

「これが一般化したら、世界が変わるね」

 

「最初は軍事・救難用、次に業務用と言った感じでしょうか。個人が所有するにはちょっと高い買い物ですからね」

 

 

この個人用導力飛翔機、その価格は現在の所自家用導力車10台分という高価な精密機械だったりする。メンテナンスも複雑で一般の市民が買うには少しばかり高嶺の花。

 

とはいえ、成人男性3人を運んで飛翔するだけの出力は確保しており、特に災害救助の場面や土木・建築工事などでは素晴らしい活躍を期待できる。

 

遭難者を空から自由な高度で探し回れるだけではなく、救助するのに導力飛行船と違って広い足場を要することはない。火事などで建物に取り残されてしまったヒトなども容易に救うことが出来るだろう。

 

また高層建築物や巨大な橋などの建設やメンテナンス、補修などにも活躍するはずだ。足場を組んだりする必要はなくなり、高所での安全性を確保し、作業の効率化も可能になる。

 

 

「エステル、私も飛んでみたい」

 

「いいですよ。ティータ、いいですか?」

 

「うん!」

 

 

部屋の中をすいーっと飛んでいたティータが床に降りて、導力飛翔機を背中から降ろす。反重力発生装置により重量をあまり感じさせないが、実際には50㎏ほどの重量がある。

 

そして今度はエリッサが装置を背負って、ふわりと浮かんだ。基本的な操作は戦術オーブメントと同様に思考制御を採用しているが、緊急用にコントローラーによる手動操作も可能となっている。

 

 

「ちょっ、あれっ、止まってぇぇっ」

 

「勢いがつくと、中々止まらなくなるので気を付けてください」

 

 

重力を打ち消すことは出来ても、慣性力を打ち消すまでには至っていない。そのため勢いがつくと『流される』ので操作には注意が必要だ。

 

現在のモデルでは最大で時速500セルジュでの飛翔が可能であり、連続8時間運用を実現している。既に軍は制式装備とする準備に入っている。

 

これは歩兵強化プランの1つに数えられており、将来的にはパワードスーツの基本構成要素とすることを見据えている。

 

実現すれば歩兵は二次元的な運用から解放され、また地雷原や有刺鉄線などの障害を意味のないものに変えてしまうだろう。

 

また体重の数倍の重量物を負荷なく運搬できるようになり、歩兵に十分な装甲を施し、また戦車を問題なく撃破する火力を与えることも可能になる。戦場が大きく変わるかもしれない。

 

 

「本当に色々と使えそうだね」

 

「免許とか作った方がいいんでしょうけどね」

 

「そうか、事故に気を付けないといけないのか」

 

「ヨシュアは飛んでみないんですか?」

 

「僕は遠慮しておくよ。あの二人、楽しそうだからね」

 

「時には息抜きした方がいいんじゃないですか? 最近、頑張ってるじゃないですか」

 

「まだまだだよ。父さんには全然届かない」

 

 

ユン先生とリィン君がリベール王国から去り、破壊された我が家が再建されて、ようやく日常が戻って来た。相も変わらず警備は厳しいものの、元通りになることは良い事だ。

 

でも少しだけ変化があった。ヨシュアが本格的にお父さんに師事を始めたのだ。以前は、訓練については私やエリッサに付き合う程度のものだったけれども、積極的にお父さんから技術を学び始めている。

 

あの夜の一件が彼をそうさせているのは疑いようがなく、お父さんもそれにちゃんと付き合っている。

 

 

「あのヒトに届いたら、それはそれで大事件だと思うんですけどね」

 

「確かに。エステルなら、もう少しで届きそうだけど?」

 

「全然です。お父さんのすごい所は、単純な腕力じゃないですから。実際に刃を交える前に、勝負がついてるんですよ」

 

 

父に勝とうというのならば、最後まで敵対している事すらも匂わしてはいけない。細心の注意を払って、あらゆる可能性を潰し、そして彼が何の対処もできない様な速度で事態を推移させる必要がある。

 

 

「まあ、そんな事ができる人間がこの大陸にどの程度いるかっていう話なんですけど」

 

「背中は遠いってことかな…」

 

「それはそうと、ヨシュアは将来何になりたいんですか?」

 

「将来?」

 

 

ヨシュアはまるでそんなこと考えたこともないと言わんばかりの、きょとんとした表情で見返してくる。それはちょっと、お姉さん的に心配になるリアクションだ。

 

 

「エリッサは私の護衛兼秘書的な立場になるとかで、士官学校を目指しています。私は、まあ、進路なんてそんな地点は通り過ぎてしまってます。ティータは研究者でしょうね。ティオは農場を継ぐらしいです。でも、ヨシュアからはそういう話を聞きませんでしたから」

 

「将来…か」

 

「お父さんに付き合ってもらって、強くなりたいという気持ちは伝わってきます。でも、その先、ヨシュアは何を見ているんですか?」

 

 

ヨシュアは頭も良いし、戦闘についてはエリッサ以上だ。彼ならば、彼が望むどのような存在にでもなれるはずだ。

 

だけれども、彼の出自や幼少の経験からか、どこか自分の未来に対して期待、夢を持っていない様な、そんな気がする。

 

 

「そうだね。僕もいつか大人になって、仕事をすることになる」

 

「今のリベールは働き口なんていくらでもありますからねぇ。私達はまだ13歳ですけど、来年になればジェニス王立学園の入試を受けることも出来ますし、16歳になれば就職もできます。実力があればエリッサみたいに15歳で士官学校にだって入ろうなんてこともできますしね」

 

 

エリッサは飛び級などを使って再来年に士官学校に入学しようと頑張っている。学力が伴えば大学にだって入れるし、何なら留学というのも選択肢にあるだろう。とはいえ、

 

 

「軍は…、僕は素性がね…」

 

「…そうでしたね」

 

 

ヨシュアはブライト家の一員とはいえ、父を暗殺しようとした経歴の持ち主だ。そんな彼を士官学校が快く受け入れるかどうかといえば、否だろう。

 

口利きをすれば不可能ではないだろうが、悪しき前例になる可能性があり、出来るなら避けたい。そういう意味では厳密な身辺調査がされるような職業には就きにくいという事になる。

 

 

「それなら、お父さんみたいに遊撃士というのも有りかもしれませんね」

 

「遊撃士…、そうか、遊撃士か…。いいかもしれないね」

 

「結構シビアな判断を要求されますし、経歴についてもあまり問わないみたいですからね。ヨシュアなら実力も十分かもしれません。でも、怪我とかで引退する人も少なくないんですよね」

 

 

事実上、日雇いの仕事と変わらないし危険も多い。とはいえ、保険の適用など保証はそれなりにされているし、公共交通機関の使用についてはリベール王国内ではフリーパスになっている。

 

実力があれば一流企業や高級官僚並の給与を手にすることだって不可能ではない。それに、多くの人間に関わる事になるため、広い人脈を築くことも出来る。

 

やりがいのある仕事といえば、間違いなくそうなのだろう。

 

 

「まあ、ゆっくり考えればいいと思いますよ」

 

「そうだね」

 

 

ヨシュアはそんな風に返事をしたけれども、後に分かった事だが、彼が自分の将来を決めたのはこの時だったのだとか。

 

こんな何気ない日常を積み重ねて、私たちは少しずつ大人に近づいていく。そして、この時はまだ、私たちに大きな試練がほんの数年後に待ち構えていることなど知る由もなかったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

鬱蒼と茂る密林、統一された東方風の武道着に身を包んだ集団が木々をかき分けて、ぬかるみや木の根で足場の悪い中を驚くべき速度で走り抜けていた。

 

彼らの顔には一様に焦りと疲労が見え隠れしている。過酷な修練を積み、大型の魔獣すらも一撃のもとに打ち倒すほどの力を得た彼らが追い詰められていた。

 

彼らの多くは怪我を負い、布で止血するなどの簡単な応急処置を行っているのが遠目でもわかる。また何人かは背に重傷を負った者を背負っており、彼らが何かに追われ、敗走していることも見て分かるだろう。

 

彼らは時に互いを励まし合い、叱咤しながらも進んでいく。

 

この密林を抜ければ大きな街道にでる事が出来、しばらく行けば街に辿りつくことが出来る。そこには彼らの協力者たちもおり、怪我人の治療もできるだろう。

 

そうしてもうすぐ街道に出る。そんな希望が見え、気が緩んだ次の瞬間、

 

 

「避けろぉぉ!!」

 

 

一人の巨漢の男が叫ぶと同時に、それ以外の者たちの腕が、足が、頭が、あるいは半身が抉られるように吹き飛んだ。

 

何が起こったのか理解できず、失われた自分の右半身を呆けるように見た後、ある男は恐怖と苦悶が入り混じった悲鳴をあげた。

 

足を失ってバランスを崩し、背負っていた女ごと倒れ伏した男は、その激痛に悶え、泣き喚いた。

 

むせ返るほどに濃密な血と臓腑の臭い、僅かに香る硝煙と鉄の臭い。周りを見れば肉体を欠損して呻き声をあげてのたうち回る者たち。

 

いち早く危機を察知した巨漢の男はその凄惨な状況に、唐突に襲った理不尽に数秒ほど唖然と口を開けて立ちすくんだが、次には仲間たちを生かすための介抱を急ぎ始める。

 

 

「くっ、大丈夫か!?」

 

「逃げろ、俺たちはもう駄目だ」

 

「馬鹿を言うな。お前を置いていけるか!」

 

「馬鹿を言っているのはお前だ。お前はこの国の希望なんだぞ!」

 

 

そんな言い争いをしながらも巨漢の男は生き残った仲間の一人に手を当てる。すると柔らかな光が男の手から発せられ、痛み故に苦悶の表情を見せていた仲間の男の表情が和らぐ。

 

そうして巨漢の男は仲間の男の欠損した部位を布で縛り、次の仲間たちの治療へと移るが、その途中で地面に落ちている無数の金属製の小さな玉を見た。

 

 

「これは…」

 

「指向性の対人地雷だよ」

 

 

咄嗟に振り向けば木々の陰から武装した男たちが現れる。迷彩服とボディーアーマーに身を包み、大型の軽機関銃を手にした集団。それが音もなく、こんな近くまで気配を察知させずに、姿を現した。

 

先頭にいるのは顔を奇怪なガスマスクで覆った痩せ男。巨漢の武道家は怒りをかみ殺すような表情で15アージュほどの距離を取って痩せ男と向かい合う。

 

 

「見事なものだ、ただ鍛え上げた肉体のみでこれに耐えきるとは…」

 

「これが貴様らのやり方か!?」

 

「いただけないな。君らは口を開けばいつも同じような事を吠える。君の事は高く評価しているのだから、もう少し気の利いた言葉を口にしてはどうかね?」

 

「死神どもが…」

 

「結構。我々は戦場の死神だ。だが、君も中々のものじゃないか? 指向性対人地雷の直撃を受けてかすり傷一つ無しとは。東方の神秘という奴かね? 実に素晴らしい。そして惜しい。君らが最初から我々に協力的であったなら、我々もこのように物資を消費せずに済んだ」

 

「ふざけろ。我らの大義を貴様ら金の臭いに群がる死神どもに売るはずがなかろう!」

 

 

巨漢の男は牙をむいて吠える。大義があった。仲間がいた。だが目の前の猟兵、金次第で民間人すら虐殺する死神どもの奸計に嵌り、今この場でまともに動けるのは彼ぐらいだろう。

 

早朝の襲撃を受けた彼らは巧妙な誘導によってこの死地に、地形や集団心理を計算しつくして配置された罠、地雷原に誘い込まれた。

 

狙いすまされて放たれた導力波の信号に従い、1㎏の火薬は炸裂し、700もの鋼の小球が扇状に吐き出される。そんな罠が無数に隠蔽されて仕掛けられていた。

 

普段の彼ならば、あるいはごく僅かな自然の改変、残されたほんのわずかな痕跡に気づいて、この罠を看破したかもしれないが、昨夜から続いた激しい戦闘は彼の注意力を奪っていた。

 

そして結果がここにある。

 

ごく小さな無数の鋼の球は哀れな彼らの肉に食い込み、ずたずたに引き裂いて、腕を、足を、あるいは半身を損壊した。

 

そしてただ一人、とっさに氣を練ることで肉体の硬度を高めたこの男だけが助かった。あの刹那の間にこれだけの氣を練るだけの功夫を積んでいたのは彼だけだった。

 

 

「いやいや、君らの大義とやらにはとんと興味が湧かなくてね。我々は我々の仕事をこなすだけ、クライアントの要望に応えるだけだ。そう、君だよ。この暴動の首魁とやらは既にご同行頂いているが、君もまた重要なターゲットでね。殺さないで確保するように言われている。もう勝ち目はないと分かっているだろう? 大人しく投降してくれないかね?」

 

「我らの義挙を暴動と片付けるか俗物どもめ! 確かにもはや俺に目はないだろう。だが、だがな、仲間を殺されて大人しくしていられるほど俺は諦めがいいわけではない。少なくとも、貴様の首は貰っていく!!」

 

 

巨漢の男の肉体が躍動する。研ぎ澄まされた氣により爆発的な突進力を生み出し、ガスマスクの痩せ男に拳を叩き込まんとする。

 

東方の武術の流れをくみ、現地の特異な格闘術や神秘を取り込んだ戦闘技術。この小国において政府軍の主力を翻弄し、撃破するに至った武人の頂点。

 

その拳は戦車の装甲をも破壊し、蹴りは大地を揺るがし、肉体は銃弾をも弾いた。であるならば、この距離において彼の拳を避けることなど能わず、故に彼の宣言は刹那の後に実現する。そうなるはずだった。

 

 

「なっ!?」

 

 

だが、その一撃は届かない。巨漢の男の右足首を唐突に、何者かの手が掴んだのだ。そして次の瞬間、男は想像外の膂力により地中に引きずり込まれる。

 

 

「おおおっ!?」

 

 

彼の足首を掴みとった手はあろうことか地中から生え、そして地獄の亡者の如く男を引きずり込む。そして胸まで地中に飲み込まれると、背後から一人の男が地中より這い出た。

 

筋肉質ではあるが長身であるため、むしろ細長くさえ見える、くすんだ金髪の目つきの悪い若い男。右手に金属製のスコップを持ち、巨漢の男を睥睨する。そしてスコップをおもむろに両手で掲げた。

 

 

「貴様は…!?」

 

「……」

 

 

スコップが振り下ろされた。

 

 

 

 

「相変わらず見事な腕前だな、エドワード」

 

「……」

 

「いやいや、私など君と戦えば数秒と持たないだろうさ。知識も経験も技術も共有しているのなら、個々の肉体のポテンシャルがモノを言うのが我々だ」

 

「……」

 

「嬉しい事を言ってくれるじゃないか。まあ、雑談は後にしよう。これで我々は《氣》の運用ノウハウを《喰える》のだからな。さあお前たち、撤収だ!」

 

 

地中に引きずりこまれた巨漢の男は無数の打撲によって白目を剥いて気絶している。そんな男を迷彩服の男たちは引きずり出し、特殊な全身麻酔を注射した後、死体袋に入れて運び出す。

 

また他の者たちは呻いていた武道家の集団に拳銃でとどめを刺すと、手慣れた手つきで地雷を撤去し、ニヤニヤ笑いながらエドワードと呼ばれた男の肩を叩くと、共に何の遺留品を残さずに密林から去って行った。

 

 

それはゼムリア大陸南部の小国で起きた一連の事件の、報道されることのなかった一コマ。

 

外国の新聞に「東方武術の流れをくんだ武装集団を中核とした農民反乱が鎮圧された」という、ほんの小さな記事で語られるだけの、

 

次の日には大抵の人間たちから忘れさられる程度のささいな出来事。

 

 

 

 






お久しぶりです

32話です。まだ原作に追いつきません。

閃の軌跡Ⅱが発売されるまでには原作に追いつきたいなーと、希望的観測を。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。