私がアナタを怖がる前に。
本当の貴方を教えてください。
私がアナタを拒む前に。
本当の私を知ってください。
アナタが、私の手を放す前に。
Frederica Bernkastel
夢を、視ています。
大きくて深い沼に沈んでいく夢。
どんなに動いてもその沼からは抜け出せないのです。
助けてと叫んでも見える人影は誰もボクの手を取ってくれません。
少しずつ。少しずつ沈んでいくボクが見たのは、多くの人影が嗤う姿。
古手梨花が目を覚ますとそこは見慣れた自室だった。
自分はこの時期に着る寝間着を着ていて、その下には寝汗でぐっしょりと濡れている。
「はにゅー。羽入……!」
「はいです、梨花」
梨花が辺りを見渡すと、そこには彼女の唯一の家族である羽入という少女を見つける。
薄紫に似た長い銀髪の梨花と同じ年くらいの何故かところどころ肌を露出させた巫女服を着ている少女。
だが一番に目につくのは頭の左右に付けられた人の身では在りえない角だろう。
羽入は梨花にしか見えず、その声も聞こえない。
既に両親が他界している古手梨花にとって彼女は友人であり、また幼い頃から色々なことを教えてくれる母のような存在だった。
「羽入、今回もやっぱりダメだったのですか……?」
「はい。今日は昭和58年の6月12日。綿流しの一週間前なのです。前の時間でも梨花は殺されてこの時間まで巻き戻りましたです」
哀しそうな表情をしながら答える羽入。それを梨花は沈痛な面持ちで視線を下げる。
古手梨花は今回で四度目の昭和58年の綿流しのお祭りを4度経験することになる。
どういうわけか古手梨花は綿流しのお祭りの数日後に死亡してしまう。それも誰かに殺されて。
覚えているのは誰かに口を塞がれて意識を奪われてしまったということだけ。
誰がそのような行為を行ったのかは記憶に全く残っていない。
一度目に殺されたときは梨花の遺体を発見した羽入がそのショックで自らの能力を使い、梨花の時間を巻き戻したという。
だから、羽入は梨花の命の恩人ということになるわけだが。どういうわけか2人揃って梨花の死亡に関する情報だけが時間を巻き戻しても受け継がれないのだ。
梨花は震えている体を抑え込むようにして羽入を抱きしめる。
だが、実体のない羽入に触れる感触はなく、彼女の体に合わせて腕を動かしているだけ。
それでも身近な存在がそこに居るだけで彼女の精神は徐々に落ち着いていった。
「羽入……ボクは、これからもこうなのでしょうか?綿流しが終わると誰かに殺されて……またこの時間に戻るのを繰り返してしまいますですか……?」
「大丈夫ですよ、梨花。きっと今回は大丈夫です。僕も、できる限り協力しますから、ね?」
触れることのできない梨花の頭を、羽入はずっと撫で続けた。
「よっしゃ、部活だぁ!!今日こそはトップを独走してお前らに罰ゲームを味あわせてやるゼェ」
授業が終わり、毎日の日課となった部活動が開始される。
威勢よく啖呵を切ったのはつい最近この雛見沢に引っ越してきた少年、前原圭一。
明るくノリが良い性格から学年が混合しているこの雛見沢分校で転入生とは思えない程に馴染んでいる少年である。
「くっくっくっ!圭ちゃんも最近勢いづいてきたし、そろそろ鼻っ柱を折っておこうかねぇ」
圭一の宣言に真っ先に反応したのは部長である園崎魅音だった。
この雛見沢分校の最高学年で委員長も務める彼女はやや空気が読めないという悪癖があるもののそれを補って余りある魅力的なリーダーだった。
部活で行うゲームは要望がない限りは彼女のその日の気分で決められることとなる。
「はう~。最近レナもちょっと危ないから本気でいこうかな?かな?」
語尾を2度付けるという独特の話し方をするのは圭一と同じ学年で部活でも良識派である竜宮レナだった。
昔はこの雛見沢に住んでいたが、両親の都合で小さい時に茨城に引っ越し、去年村に戻って来た少女。
「を~ほっほっほっ!今日も私のトラップで圭一さんを最下位に落として差し上げますわ!」
圭一に対して挑発的な態度を取るのが梨花と同い年で親友の北条沙都子。
去年、兄の失踪や多くの不幸に見舞われながらも少しずつ明るさを取り戻していった少女である。
「ボクも、今日はトップを狙ってっみますですよ!」
これが古手梨花の大切な仲間たち。
古手梨花が守りたい世界だった。
綿流しの演舞の練習のため、部活を早々に切り上げた梨花は、その練習も終え、帰りに切れていた幾つかの食材を買って帰路に戻っていた。
「デザートのシュークリームも買えましたですし、完璧なのです!」
そのシュークリームは梨花の、というより羽入に対するお土産という意識が強い。
羽入と梨花は感覚。特に味覚が強く共有しており、梨花が口にしたものの味は羽入にも伝わる。
羽入は甘いモノ。特にシュークリームを好むため、梨花の死に関する何らかの情報を得るために村を歩き回っている羽入に対する感謝の気持ちである。もっとも梨花の口を通してのため、結局梨花自身の為でもあるのだが。
そうして歩いていると、後ろから声をかけられた。
「梨花ちゃ~ん!」
振り返るとそこには自転車に乗っている前原圭一の姿があった。彼は梨花の横で自転車を止める。
「圭一……」
「梨花ちゃんも買い物か?」
「はいです。少し足りなくなった食材の買ったのですよ」
買い物袋を見せる梨花。見ると、圭一は自転車の篭に物が入っており、その中身はお徳用のカップ麺だった。
「これか?いやぁ、急遽明後日からうちの両親が東京に出張しなきゃいけなくなってさ。その間の食糧だ」
「カップ麺ばかりは体に悪いのですよ?」
梨花の指摘に圭一はぐっ、と言葉を詰まらせる。
「梨花ちゃん。今時の男子中学生が料理スキルを覚えてるなんて稀なことであってだな……」
「そのうち、部活でお弁当対決なんてことになったら、圭一は最下位決定でかわいそかわいそなのです」
「うぐっ!」
梨花の指摘に一瞬呻くも、すぐに表情を取り繕う。
「れ、レナはともかく、魅音は料理出来ないだろ。あの手のタイプはダークマターを作るタイプと見た!」
「魅ぃですか?魅ぃは本気を出したら満漢全席が作れるくらい、料理上手なのですよ。普段はあまりお料理をしませんが」
「な、なにぃ!?じゃ、じゃあ沙都子は!?アイツだって料理出来るってタイプじゃねぇだろ!?」
「沙都子は週に三回ボクに料理を教わってますですよ?ボクは沙都子の料理の先生なのです。にぱ~」
かわいらしく笑う梨花とは対照的に圭一はこれからのことに頭を抱えた。
梨花が言っているような料理対決の機会など本当にあるかはわからないが可能性はなくはない。
最近部活でようやく最下位を脱し始めた圭一にとって負け戦でしかない勝負は遠慮願いたかった。
そんな圭一をクスクスと笑いながらも梨花は少しだけ距離を取っていた。
正直に言えば古手梨花は前原圭一という少年を苦手としていた。
普段の圭一と話すのは楽しいし、一緒に部活をすると彼の言動は面白い。
だが、過去三度の世界で、彼は何かしらの惨劇を招いていた。
一度目と二度目の世界ではレナと魅音を誤解から殺害し、自らも喉を掻き毟って死亡する。
三度目の世界では帰宅した沙都子を虐める叔父、北条鉄平を闇討ちして殺害したが、仲間に対しても疑心暗鬼を募らせて距離を置くようになってしまった。
三度目の世界で彼がどうなったかは途中で死んでしまった梨花には分からないが、あの状態から良い方向へ転んだとは思えなかった。
もしかしたら彼は綿流しの後に惨劇をもたらす存在なのではないかと警戒心を抱いていた。
なんとかしたいという思いはあったが、梨花自身、綿流しのお祭りの後は自分のことで頭がいっぱいで圭一に関わっている余裕がなかった。でも―――――。
内心でそう思っている梨花に気付かずに頭を抱えて悩んでいた圭一が突如梨花の荷物を取って自転車のハンドルにかける。
「近くまで持つよ。こっちは自転車にかければいいから楽だしな」
「み、みぃ。ありがとうなのです……」
そう言って笑顔を振りまきながらも心の内に別のことを考える。
(何とかしてあげたいのです……)
原因はわかっていたが、それをどう対処すればいいのか、梨花にはわからなかった。
触れてくるのは、暗闇の世界
離れていくのは、眩い世界
変わらないのは、悲劇の世界
ひぐらしのなく頃に。酔醒まし編其の弐【提案】
あなたは、信じられますか?