IS 鈴ちゃんなう!   作:キラ

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今回でこの章は終了です。「3」章の終わりが「34」話か……いえ、なんでもありません。


第34話 新たな火種

「ん~、んー、んむう~……」

 

 月明かりが照らす海の色は、何物をも飲み込んでしまいそうな深い青。それに引きずられて、というわけではないのだが、空中に映し出されたディスプレイを眺める篠ノ之束の心中は少しブルーの様相を呈していた。夜風を背に浴びつつ、彼女はめったに行うことのない『ため息をつく』という動作を実行に移していた。

 

「あんまりうまくいかなかったかなあ~。箒ちゃんと紅椿のワンオフ・アビリティーは発現しなかったし、白式は――」

 

「白式の第二形態移行が不服か?」

 

「不服って言い方は正しくないね。白式に限らず、私はあらゆるISの進化を歓迎する主義なんだよ、ちーちゃん」

 

「そうだろうな。子供の成長を喜ばない親はいない」

 

 背後の暗闇から突然現れ、束の独り言に割って入ってきた千冬に対して、彼女は一切驚いた様子を見せない。千冬が自分に会いに来るだろうということは予測できていたからだ。

 

「束さんはISの生みの親だからねえ。だから白式が次のステージへ進んだこともうれしいっちゃうれしんだけど……予想と違う方向に子供が成長しちゃったってーところかな」

 

「ほう、お前にしては珍しくあてが外れたというところか」

 

「ちーちゃんだって想定外だったんじゃないの~? ISが自身の持ち味を殺すような進化を遂げるなんてさ」

 

「……まあ、それはそうだな」

 

 うんうん、と千冬の返事に大きくうなずく束。自分の意見に親友が同意してくれたことが喜ばしいようだ。

 

「ところでちーちゃん。少し聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 

「何だ」

 

「あのツインテール、いっくんとアレな関係なの?」

 

「ツインテール……凰鈴音のことか」

 

「名前なんて知らないし興味もないよ。ほら、中国の第三世代型に乗ってたあいつのこと」

 

「ならやはり鈴音で正解だ。お前の言う『アレな関係』が何を指しているかは知らんが、あの2人の関係はいわゆる恋人同士というやつに当てはまるな」

 

「むう、やっぱりそうだったのかあ」

 

 後ろに立っている千冬には顔を向けないまま、束はがっくりと肩を落とす。落ち込むのも当然で、彼女は自らの妹と一夏がくっつくことを望んでいたのだ。

 

「白式の変化の方向性も、もしかするとそのあたりと何かしら関係があるのかもねえ。うーん、それにしても残念だなあ。箒ちゃんといっくん、絶対お似合いバカップルになれると思ったんだけど……思い通りにいかないことが多くて辛いです、しょぼーんだよ」

 

「だからといって、人の恋愛沙汰に首を突っ込むような真似はするなよ」

 

 釘を刺すような千冬の言葉。その口ぶりから、彼女が2人の交際を認めていることは容易に読み取れた。

 

「そうでさあねえ。ちーちゃんが賛成してるなら、私も今のところは放っておこうかな」

 

「永久に放っておけ。お前が関わると碌なことにならん」

 

「あはは、ひどいなあ」

 

 まるで疫病神であるかのような言われように、束はしばし楽しげに笑う。とりあえずは自分で言った通り、一夏と例のツインテールには干渉しないことを心の中で決定した。

 

「ま、それはそうとして」

 

 ひとしきり笑った後、束はちらりと背後に目を向け、いつもの凛とした表情で佇んでいる千冬の姿を視界に入れる。

 

「ちーちゃんも、私に聞きたいことがあってここに来たんだよね? それってなに?」

 

 軽い調子で、何気ない風に口に出した言葉はしかし、千冬の顔つきを厳しいものにさせる。それを見て、束は彼女が何を尋ねに来たのか、改めて確信を得ることができた。

 

「……今日、白式と紅椿を襲撃したサイレント・ゼフィルスの操縦者。あれは――」

 

「あれは何者なのか教えろ、だね。他ならぬちーちゃんからのお願いだから、もちろん教えてあげたいところなんだけど……知らないものは教えようがないんだよねえ」

 

 白式とサイレント・ゼフィルスの戦闘映像は持っているし、束なりにあのパイロットの正体を明らかにしようともした。だがその試みは失敗。うまい具合に捲かれてしまい、彼女がどこへ帰っていったのかもつかめずじまいだったのだ。

 

「束さんは天才だけど、何でも知ってるわけじゃないのだよ」

 

「……そうか」

 

 小さなため息が千冬の口から漏れる。頼みの綱が断たれて、どうすればいいのか困っているような、そんな表情。彼女にしてはとてもレアな感情表現だ。

 

「でもね、ちーちゃん」

 

 しかし、束の返答はまだ終わってはいない。今まで腰掛けていた岬の柵からひょいっと飛び降り、黒いスーツを身に着けている親友のもとへ歩み寄っていく。

 

「あの操縦者がなんなのか、今あるだけの情報で推測することはできるよ。そしてその推測の内容は、ちーちゃんが出した予想と一致している」

 

「……まるで私が何を考えているかわかっているような口ぶりだな」

 

「だってそうでしょ? 箒ちゃんやいっくんからあの子に関する話を聞いたんだと思うけど、そこからちーちゃんは『そういう』予測を立てた。だから、わざわざ私のところにやって来たんだよね?」

 

 ニコリと笑う束に対し、千冬はその通りだと首を縦に振った。その反応に、彼女はますます頬を緩めていく。

 

「私たち2人が同じ考えにたどり着いたってことは、きっとそれは真実なんだと束さんは信じているよ」

 

「およそ科学者らしくない考え方だな。根拠も何もあったものではない」

 

「ロジックだけに縛られてちゃつまんないよ~?」

 

 難しい顔をしている千冬に対し、笑みを崩さぬままに語りかける束。月の光に照らされるその表情は、無邪気な子供のそれととてもよく似ていた。

 

 

 

 

 

 

「あ?」

 

「………」

 

 全国各地に存在し、いまや日本人の生活とは切っても切り離せないものにまでなったコンビニエンスストア。そのコンビニのとある一店舗にて、マドカは見知った顔とばったり出くわしていた。

 

「なんでてめえがここにいるんだ、エム」

 

「缶コーヒーのまとめ買いに来ただけだ。私にだってそのくらいの自由はあるだろう? オータム」

 

「呼び捨てにすんじゃねえって何度言ったらわかるんだ」

 

「さてな」

 

「ちっ……相変わらずいけ好かない女だ」

 

 ぶつぶつ悪態をつきながらお菓子コーナーへ向かっていくオータム――マドカの仕事仲間にしてスコールの『彼女』である――を尻目に、マドカは飲み物が置かれている一角まで足を進める。そして手慣れた動作で棚にある缶コーヒーを10本ほど左手の籠に放り込み。

 

「………」

 

 そこで、籠の中のコーヒー缶に『砂糖たっぷり』と書かれていることに気づいた。彼女はいつもブラックを好んで飲んでおり、つまるところうっかり手に取る缶を間違えてしまったというわけだ。

 

「まったく……どうかしている」

 

 苦々しげに独り言をつぶやき、マドカは籠に入れた缶コーヒーを棚に戻し、今度こそお目当ての品をその手につかんだ。

 

「……やはり、確かめてみるしかないか」

 

 彼女が不注意な行動を行ってしまった原因は、今日の昼からずっと思考の片隅にあることが引っかかり続けており、時たまそのことを考えて上の空な状態になってしまっているからだ。

 何日か経てば多少は収まるだろうが、それでも根本的な問題を解決しなければ心の不安要素を取り除くことはできない。

 ならば、そのための行動を起こすしかない。

 

――篠ノ之箒が銀の福音にやられそうになっていた、あの瞬間。自分は、彼女を助けるために福音を撃った。誤射などでは断じてない。自らの意思で、狙い通りに引き金を引いたのだ。……なぜ、そのようなことをしたのか?

 

 答えを出すために、折り合いをつけるために、マドカは『動く』ことを決意した。

 

 

 

 

 

 

「で、本当に体はなんともないわけね?」

 

「大丈夫だって。ラウラの時みたいに熱が出たりすることもなかったし。見ての通りピンピンしてるぞ」

 

 銀の福音の暴走を止め、無事作戦終了を迎えたIS学園専用機持ち一同。夕食時にはほかの生徒たちに何があったのかしつこく聞かれたが、重要機密なので話すわけにもいかず、のらりくらりとかわしつつ戦闘で消費したカロリーの補給に精を出したのだった。

 そしてその後、鈴は一夏と千冬の部屋を訪問。千冬がたまたまいなかったので、今は一夏と部屋で2人きりである。手際よく出されたコーヒー入りのカップを手に取りつつ、彼女はテーブル越しに向かい合って座る少年の手元に目を向ける。

 

「相変わらず砂糖の量は多いのね」

 

「ん? ああ、苦いのはあんまり好みじゃないからな。そっちのコーヒーは要求通り砂糖少なめにしたけど、どうだ?」

 

「ちょうどいいわよ。あたしの味覚は大人だから」

 

「俺の舌が子供レベルだと遠まわしに言ってるのか」

 

「べっつにー。でも自分から言い出すってことは自覚があるんじゃないの」

 

「むっ……」

 

 口を尖らせて何やら反論したげな様子を見せる一夏だが、結局その気は失せたようで黙ってコーヒーを飲み始めた。しばしの間、お互いがコップを傾けるだけの静寂な時間が2人の間に流れていく。

 

「……アンタって、つくづく規格外よね。傷は治るわ、あたしの武器使って福音相手に大立ち回りを披露するわ」

 

 先に口を開いたのは鈴のほうだった。中身が残っているコップをテーブルに置き、一夏の顔を見つめながら、半ば呆れたような声で語りかける。

 

「俺っていうより白式が優秀なんだと思うけどな。怪我を治してくれたのもそうだし、異常に感覚が冴えてたのもなんかやってくれたんじゃないのか? 本当にいいやつだよ、こいつは」

 

 一夏の言葉を聞いて、鈴は改めてISの底の知れなさについて思いを馳せる。約10年前に突如として現れた、今までの兵器の常識を覆すパワードスーツ。いったいどれだけの可能性の広がりを持っているのか、彼女には見当もつかない。

 そして同時に、どうしてかわからないが鈴の胸にむかむかとした気持ちが湧き上がってきた。今の一夏の発言に、どこか無意識のうちに気に障るような箇所があったのだろうか。

 

「はあ……あれだけ無茶するなって言ったのに、結局めちゃくちゃなことやるんだから。あたしがやられそうなところを助けてくれたのは感謝してるけど、無理したことについてはまだちょっぴり怒ってるのよ」

 

「……ごめん」

 

 素直に頭を下げる一夏を見て、鈴はしまった、と感じる。彼は戦闘終了直後にもきちんと無茶したことについて謝罪を入れていたのだから、これ以上その話題で責める必要はなかったのだ。

 

「……もういいわよ。こっちこそ、掘り返しちゃってごめん」

 

「いや、それは全然問題ねえよ。それだけ鈴が俺のこと心配してくれてたってことだし」

 

「……ありがと」

 

 重い空気になるような話は終わりにしようと思い、何か他愛のない話題で一夏をからかってやろうと頭を切り替えようとした鈴だったが。

 

「でも、もしまた今日みたいな状況になったら、きっと俺は同じように無茶をすると思う」

 

「え……?」

 

 一夏の口から飛び出した言葉に、思わず動きが止まってしまう。

 

「鈴が危ないって思った時、頭の中の考えとかみんなに言われたこととか全部吹っ飛んじまって、気づいたら福音目がけて全速力で突っ込んでた。……だから、たとえ俺の体や白式に不安なところがあったとしても、大事な人がピンチになったらまた何も考えずに動くんじゃないかって」

 

「アンタ……」

 

「……俺、馬鹿だからな。学習できるか、正直怪しい」

 

 そう言って、ばつが悪そうに苦笑を浮かべる一夏。

 大切なものを守るために、恐れを抱かず戦えること。そして彼の大切なものの中に自らが含まれていること――本来なら、少しだけ喜んでしまう場面かもしれない。やっぱりコイツは芯が強い人間だと、少しだけ感心してもいい状況かもしれない。

 実際、そういうプラスの考えが浮かばなかったわけではない。

しかしそれと同時に、鈴は自分の心が嫌にざわついていることに気づいた。今の一夏の発言から、言い知れぬ不安と危うさを感じとったのだ。

 ……加えて、先ほど自身がなぜか苛立ちを覚えたことの原因もなんとなく悟ることができた。

 鈴は、あの戦いに関することを語る一夏の妙に軽い口ぶりから、今彼女が思い浮かべている疑念と同種のものを直感的に感じとっていたのだろう。

 

 ――一夏は、自分自身のことを軽視し過ぎているのではないか?

 

 今までずっと信頼し続けてきた少年に対して生まれたその感情は、彼女の心を戸惑わせる。

 けれどもそれは少しの間の出来事だった。直後に一夏のクラスメイトたちが数人わいわい騒ぎながら部屋に押しかけてきたことで、鈴の思考は遮られる形となったのだ。

 

「織斑先生がいないと聞いて飛んできたよー!」

 

「鬼の居ぬ間に人生ゲームやろうよ、織斑くん」

 

「凰さんも一緒にするよね?」

 

 昨日のビーチバレーで見た覚えのある面子が、鈴と一夏に催促をかける。

 

「せっかく誘われたんだし、喜んで参加させてもらうとするか」

 

「そうね」

 

 ……こうして、臨海学校最後の夜は過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

「ここにもいないか……」

 

 昼間の激しい戦闘が夢だったのではないかとさえ感じられるほどの、物静かで暗い夜。月の光を頼りに、箒は辺りを見回しながら海沿いの道を歩いていた。

 

「……やはり携帯電話に頼るべきだろうか」

 

 彼女の姉である篠ノ之束を探すために、夕食後に旅館を抜け出してから15分が経っている。福音との戦いを終えた後、『ちゃんと直接向き合って話をしよう』と意気込んだまではよかったものの、治療やら教師陣への報告やらを行っているうちに途中まで作戦室にいた束は姿を消してしまい、結果夜になってもまともな言葉を交わす機会が持てないでいた。

 なぜ最初から携帯を使わなかったのかというと、『電話で居場所を聞いたらそのついでに2,3言葉を交わして、それきりで満足して結局会うのをためらってしまうような気がしたから』という、なんとも臆病な考えが原因だったりする。

 しかし裏を返せば、それだけ箒にとって束と向き合うのは勇気のいる行動なのだ。……それでも、いつの間にか心の中で距離を置くようになってしまった姉に、もう一度近づいてみることを彼女は選択した。自分に専用機をくれたこと、おかげで強大な敵を相手にしてなんとか戦えたこと、それらに対する感謝とともに、何かを話すことができればいいなと、そう思っていた。

 

「――しかし、お前も懲りない奴だな」

 

 ふと耳に入ってきた女性の声に、箒はぴたりと足を止める。見れば、少し離れたところに人影が2つあり、今の声はその2人の片方が発したもののようだった。

 そして、箒はあの2人組が誰なのかを知っている。話し声が聞こえる距離なのだから、彼女たちの顔もそれなりにはっきりと認識することができていた。

 

「姉さんに、千冬さん……」

 

 こっそりと物陰に隠れ、2人の様子をうかがう。ようやく目的の人物を見つけたのだからこのまま近寄る、という選択肢もあるにはあったのだが、禁止されている夜間の外出を実行中の彼女としては、我らがクラス担任の前に堂々と出ていきたくはないのである。待機状態の紅椿は旅館を出た時から潜伏モードにしていたので、近くにいることを勘付かれる心配はないだろうと箒は考える。

 

「うん? 懲りないってどういうこと? 私は日々進歩し続けるデキる女だよ、ちーちゃん」

 

「同じような目的のために同じような手を2度も使う人間を、懲りない奴と評することに問題はないだろう」

 

 いつも通りのマイペースな口調の束と対照的に、千冬の声にはどこか刺が感じられる。いったい何の話をしているのかと、箒は自らの聴覚に意識を集中させる。

 

「1度目は10年前のことだ。自分の作り上げた作品を世界に認めさせるために、お前は12ヶ国の軍事コンピューターにハッキングをかけ、自作自演の大事件を起こした。世間一般ではこれを『白騎士事件』と呼んでいるが、中身はただの茶番にすぎない」

 

「!?」

 

 千冬が淡々と告げた言葉の内容に、箒は驚きのあまり声を上げてしまいそうになる。

 

「(白騎士事件が、自作自演だと……!?)」

 

 そんなことがあり得るのか。確かに束なら、技術的にもそれが可能なのかもしれない。だが、まさか――

 

「そして2度目は今日だ」

 

 箒が会話を盗み聞きしていることに気づいていない千冬は、さらに束に対して語りを続ける。

 ――今日。白騎士事件と同じような自作自演を、姉が行った。

 そこまで理解した箒は、自分が異常なまでの冷や汗をかいていることに気づく。

 ……予想できてしまったのだ。束が何をしたのか、そしてその目的はなんだったのか。

 

「自らの作り上げた最高機能を持つ機体を大切な妹に渡したお前は、彼女のデビューの舞台を用意するために、丁度良い障害として軍用ISを意図的に暴走させた」

 

「そうストレートに言われちゃうと、ごまかしようもないよねえ」

 

 ……そして今、彼女の予感が正しいことが証明されてしまった。

 

「ハア……ハア……」

 

 呼吸が荒くなる。心臓の動悸が、不自然なほどに速まる。

 

「なら、今日の出来事は、全部……」

 

 紅椿や皆とともに戦い、勝利を収めたことで、箒はほんの少しだけ自分に自信が持てるようになっていた。

 だが、そのきっかけとなった福音の暴走も、それによって一夏があんなひどい目に遭ったのも、すべて――

 

「私のために、姉さんがやったこと」

 

 残酷なまでにはっきりと突きつけられた事実。それを口にした瞬間、箒は姿が見られることも気にせずに走り出していた。……この場から、逃げ出したのだ。

 

 

 

 

 

 

「箒……!?」

 

 近くの茂みががさりと揺れたことに気づいた千冬が振り向くと、こちらの会話を聞いていたらしい箒が全速力で離れていく姿が視界に映った。

 

「まずいな……」

 

 彼女が身を潜めていることに気づかなかった自分の迂闊さを呪う千冬。逃げ出した様子を見るに、今の話の内容が筒抜けだったのは間違いない。

 

「ねえ、ちーちゃん」

 

 すぐに後を追いかけようと足に力を込めた瞬間、束が静かな調子でぽつりと言葉をこぼした。

 

「私は、いっくんの意思を尊重するつもりだよ」

 

 ……彼女がどういう意図でそれを言ったのか、千冬には完全に理解することはできなかった。発言内容だけを脳に記憶し、束のほうを見ずに箒が去って行った方向へ走り出す。

 

「………」

 

 しばらく進んだところで、千冬は木の側でうずくまっている箒を発見した。

 

「……箒」

 

 本人相手には久しく使っていなかったその呼び名で、彼女に声をかける。顔をひざにうずめているため、表情を読み取ることはできない。

 

「……知っていたんですか。全部、最初から」

 

 返ってきたのは、主語も目的語も欠けた疑問文。それでも今回は、彼女が震える声で何を言わんとしているのかが容易に理解できる。

 

「白騎士事件の真相を知ったのは、それが起きてから半月ほどたった後だ。だから私も、束の掌の上で踊らされていた人間のひとり……いや、見方によればもっとも愚かな人間だった。福音の暴走については、予想はついていたが確信はなかった。だからお前たちを戦場に向かわせるという判断をとらざるを得なかった。……本当に束が仕組んだことだったとしても、私が箒を出さないことを決めたところで、奴が福音を止めるという確証がなかったというのもある」

 

「……そう、ですか」

 

 それだけ言って、箒はしばらくの間黙り込む。千冬も彼女に従い、身じろぎひとつせずにその姿を見守る。

 

「……もう一度、仲良くなれると思ったんです」

 

 やがて、ゆっくりと顔を上げた箒がぽつぽつと心情を吐露し始めた。

 

「姉さんは、私のことを大切に思ってくれてる。だから、私の方から歩み寄ろうとすれば、また昔みたいにあの人の前で笑うことができるって……そう、思ってたんです」

 

「………」

 

「……だけど、わからなくなってしまいました。姉さんが、何を考えてるのか……あんな大規模な事件を起こしたり、一夏たちを危ない目に遭わせるようなことをしたり。……私には理解できないし、どう接すればいいのかも全然わからない……! 教えてください千冬さん。あの人は、いったい何を……」

 

 彼女の瞳から、一筋の涙が流れ落ちていく。突然信じられないような真実を知ってしまい、感情がコントロールできなくなっているのだろう。

 

「……私にも、あいつの心の内は読めない。ただ、何か大事を起こそうとしているのなら、止めさせるつもりではある。私は、世界を変える事件を起こした当事者のひとりだからな。その責任をとる義務がある」

 

「………」

 

 今度は、何も返事は返ってこない。黙りこくった彼女は、ずっと俯いたまま地面を見つめている。

 ――そうしてそのまま、5分ほど経ったとき。

 

「……無断外出をしてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 それだけ言い残して、箒はおぼつかない足取りで旅館に戻ろうとする。その様子を不安に思った千冬は、彼女の隣を歩きながら帰路についたのだった。

 

 

 

 

 

 

「箒……おい、箒っ」

 

「……ん。あ、ああ、一夏か。何か私に用か?」

 

 翌日。臨海学校最後の行事であるISおよび装備の片付けを生徒全員で行っていた間も、箒はずっと上の空だった。理由はもちろん、昨夜の出来事がいまだ尾を引いているため。

 ……新たな一歩を踏み出せるはずだったのに、終わってみれば今まで以上に姉のことが理解できなくなってしまった。そんな思いが心を支配して、移動用のバスに乗り込んだ後も座席でぼーっとしていたところ、一夏が彼女に声をかけたのだ。

 

「これから仲のいいメンバーで写真撮ろうと思ってるんだ。箒も来ないか?」

 

「いや、今は少し、そんな気分では……」

 

「いいから来いよ。早くしないとバスの出発時刻になっちまう」

 

「うわっ、待て一夏、私は……」

 

 腕を引っ張られ、少々強引にバスの外に連れ出される。

 

「おそーい! 箒を連れてくるのに何分かかってるのよ」

 

「悪い悪い」

 

 そのまま旅館の前まで行くと、鈴やセシリア、シャルロット、ラウラといったお馴染みのメンバーが2人の到着を待っていた。

 

「最後に写真を撮ろうなんて、一夏さんも粋な心がおありですのね」

 

「そうだね。きっといい想い出になるよ」

 

「小さいころから千冬姉にそういう教育されてきたからな。記念写真を撮る癖がついちまってるんだ」

 

 セシリアやシャルロットと談笑しつつ、一夏はカメラの設定を調整している。それをぼんやり眺めながらも、やはり箒の思考は自らの姉に関することへ向かってしまう。

 

「よーし、準備完了。あとは誰かにシャッター押してもらうだけ――」

 

「あ~。おりむーたちが記念写真撮ってる~」

 

「いいなー。ねえねえ、私たちも入っていい?」

 

 とここで、周りを歩いていた1組のクラスメイトたちがこちらに目をつけ、仲間に入れてほしいと頼んできた。

 

「ん? ああ、別にいいけど」

 

「やった!」

 

「あ、じゃあ私も入ります!」

 

「わたしも!」

 

「いっそ1組全員の集合写真にしようと提案してみる!」

 

「ちょっと! 2組の人間もいるんだけど!」

 

 あれよあれよという間にかなりの人数が集まり、本当に1年1組(+α)の集合写真が撮れそうな状況になってしまった。

 

「……ま、多い分には歓迎だよな。あ、織斑先生! ちょっとシャッター押してもらえませんか?」

 

 近くを通りがかった千冬を一夏が呼び止め、カメラの使い方を説明する。いいだろう、と小さく頷いた千冬は、生徒たち全員がフレームに収まるような位置を探し始めた。

 

「あ、山ちゃんちょうどいいところに!」

 

「ささ、入った入った!」

 

「え、ええっ!? わ、私もですか?」

 

 途中でさらにひとり増えたが、どうやら問題なく位置取りができたようだ。カメラを構えた千冬は、シャッターを切ろうと人差し指をボタンの上に置き――

 

「………」

 

 が、なぜかそこでいったん動きを止め、彼女はカメラを降ろしてしまった。続いてつかつかとこちらに歩み寄って来たかと思うと、箒の目の前で足を止めた。

 

「篠ノ之、表情が硬いぞ」

 

「あ、は、はい」

 

 昨夜のことを知る千冬は、箒が心ここに在らずな状態であることを見抜いたのだろう。名指しで柔らかい表情をしろと指令を飛ばしてきた。

 

「……それと」

 

 しかし、彼女の言葉はそれだけではなかった。箒の耳元に唇を近づけ、ささやくように語りかける。

 

「いろいろ考えることもあるだろうが……今は、笑っておけ」

 

 そう言って、千冬は他の生徒たちのほうへ目をやる。

 

「で、期末試験に向けての勉強ははかどってるの?」

 

「わー言わないで! それ言わないで! なんか織斑くんが最近勉強してるらしくて本格的にヤバいと感じ始めてるから!」

 

「おりむー、今日の夜は楽しみだね~」

 

「そうだな。つっても、俺たちはあくまでおもてなしする側だけどな」

 

「ねえねえ、夏休みの予定なんだけどさ、8月の頭ヒマ?」

 

「あー……暇だね、暇。なんにもないね。どっか遊びに行く?」

 

 ……皆が皆、楽しそうに会話を繰り広げている。その光景を見ていると、箒も少しだけ心の重荷が軽くなったような気がして。

 

「……ありがとうございます」

 

 自然な笑顔を、作ることができたのだった。

 

「よし。では改めて撮るぞ。全員カメラのほうに目を向けろ」

 

 カシャッ、という音とともに、カメラのフラッシュが明るく輝く。それを2,3度繰り返した後、全員バスに向かって急いで歩き始めたのだった。

 バスの出発予定時刻まで、あと7分。

 3日間に及んだ臨海学校も、もうすぐ終わりだ。

 




章の最終話はどうしても文字数が増えてしまいます。まあ増えるといってもこの作品における相対的な評価における話であって、他の作品と比べると全然多くないのですが。

以下、いつものように章終わりの反省タイムです。

第3章は亡国企業のキャラを出したり、箒にスポットを当てたりするなど、今までとは違う感じの展開になったと思います。その結果、自分でもどこか迷走しかけてる感じが否めないのですが、次回からまた日常回でペースを取り戻していくつもりです。
各キャラの扱いについて。

一夏について。撃墜されたり、なんか危なっかしい思考をしてたりと、今回はあんまりいいところがありませんでした。でも主人公なので最後の最後にはちゃんと活躍させる予定です。

鈴について。正直何もやってません……これについては、まあいろいろあるので割愛します。つ、次の章ではちゃんと出番多いはずだから……

箒について。いろいろ心を痛めるような出来事に苛まれていました。マドカにも気にかけられている様子の彼女の未来はどうなるのか。最後のシーンで彼女が笑えたのは「辛い時でもみんなが笑ってる時に笑っとけ笑っとけ」という千冬の理論をなんとなく理解したためです。

セシリア・シャルロット・ラウラについて。ほとんどモブ程度の出番しか与えられなかったことをこの場で謝罪させていただきます。それでもラウラはわりとセリフ多かったほうかな……?

千冬・束について。この2人は……なんとも言い難いですね。

マドカについて。もはや原作とは別人です(最初からでしたけど)。一夏に執着しているっぽいだけではなく、箒のことも考えています。この子はこれからも敵キャラとして出番があります。

時間がないのでいつもよりも簡易的な反省になりました。次章は夏休みの出来事が主な内容となります。ほぼオリジナルのストーリーの連続になるかな……

では、次回からもよろしくお願いします。

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