IS 鈴ちゃんなう! 作:キラ
「………」
織斑一夏と真正面から向き合ったまま、ラウラは攻撃を仕掛けるべきタイミングを探す。詳しい理屈はわからないが、シュヴァルツェア・レーゲンは彼女の願った通り元の姿を取り戻した。だが、蓄積されたダメージのためか、あるいはVTシステムの弊害によるものか、機体は万全の状態からは程遠い。レールカノンとAICは使用不可、シールドエネルギーも残りわずかとなってしまっている。
それを踏まえ、冷静に状況を分析したうえで、ラウラは己の全力を出し切るための戦闘の道筋を頭の中で構築する。
……すでに、自分自身に対する絶対的なプライドは崩れてしまっている。軍人としての誇りも、一時の激情に呑まれてしまった自分にはもう背負う資格はない。……ゆえに、最後に残ったのは『このまま終わりたくない』という意地だけ。恨みも羨望も関係ない、ただ目の前の相手と戦いたいという純粋な思い。それだけが、今のラウラ・ボーデヴィッヒを奮い立たせるものだった。
「行くぞ!」
先に動いたのは一夏だった。唯一の武器である刀を構え、いつでも敵を斬れる体勢のままこちらに突っ込んでくる。だが決して最高速度ではない。攻撃を回避できるように、おそらくは急な方向転換ができるだけの余力を残している。
「やはりな」
ラウラがAICを使えないということを一夏は知らない。ならば必然的にそれを警戒したうえでの行動をとるはずだ。まして一撃食らえば終わりの状況、余計に慎重になってもおかしくはない。
……そして。そのスピードなら、AICがなくとも捉えられる。
「はあっ!」
6つのワイヤーブレードを同時に発射する。そのうち4つが白式の移動できる場所を制限する最適の位置を狙ったものであり、残りの2つで刀を持った右腕を封じるためのものだ。これが決まれば、あとは瞬時加速で対処する時間を与えないまま近づき、プラズマ手刀でとどめを刺すだけ――それは、ラウラが考え得る限りでの最高の戦術だった。
だが。
「………っ!」
白式の姿が、一瞬消えたように見えた。だがそれは錯覚――『瞬時加速』を行ったのだ。
「うおおおおお!!」
驚く暇は残されていない。叫び声を上げながら、標的は彼女のすぐ近くにまで迫っている。だから、プラズマ手刀を、迎撃のために、振って、速く――
「……ここまでか」
ラウラが目にしたのは、届かなかった自分の刃と、彼女のISに最後の一撃を与えた刀。ゼロになったシールドエネルギーは、彼女の敗北を意味していた。
「……なぜ、私の攻撃が読めた?」
目の前に立つ一夏に、素直な疑問を投げかける。彼は今、瞬時加速を行うことでラウラのワイヤーブレードが狙う位置から離脱した。しかし、あのタイミングで加速を行うには彼女の動きを予測していなければ不可能なはずだ。事実、ラウラはワイヤーブレードが発射されたのを見てからでは対応が間に合わない距離で攻撃を仕掛けていた。
そんなラウラの言葉に、一夏はバツが悪そうに小さく笑って、こう答えた。
「いや、別にお前が何をするかわかってたわけじゃない。ただ、突っ込んでる途中で思ったんだよ。こいつは強いんだから、下手に小細工したところで敵いっこない。やるなら全速力の一発勝負しかねえって」
……要は、彼はラウラの動きなど読めてはおらず、ただ何も考えずにあの行動をとっただけらしい。少し拍子抜けするとともに、なぜだか笑いがこみあげてくる。
「ふ、ふふ、なんだそれは……つくづく予想外な男だ、お前は。まったく……だが」
そこで言葉を切って、一夏の顔をじっと見つめる。そして何かに納得したかのように、ラウラは静かな声でゆっくりと、彼の名を呼んだ。
「お前の勝ちだ。織斑一夏」
*
「………?」
ラウラが目を覚ますと、そこは保健室のベッドの上だった。……いったいどういう経緯で自分がここにいるのかさっぱり思い出せない。確か、織斑一夏との勝負に負けて、その後――
「気がついたか」
「っ!? きょ、教官……?」
「織斑先生だ。いい加減呼び方くらいは直せ」
ぼーっとしていたせいで、ベッドのそばに置かれた椅子に座っている千冬に気づいていなかったラウラは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。そんな彼女の反応に対して、千冬はややあきれ顔である。
「……きょ、織斑先生。それで、私はどうしてこんなところにいるのでしょうか」
「覚えていないのか。……まあいい、今日の試合でお前に起きた出来事を、最初から順を追って話す」
千冬の説明は淡々としたものだった。シュヴァルツェア・レーゲンにVTシステムが隠されていたこと。発動条件はさまざまあったが、何より操縦者の願望がトリガーになっていたこと。一度発動すればISの展開を解除するまで元には戻らないはずのVTシステムが、どういうわけか途中で効力を失ったこと。試合終了後、疲れがたまっていたのか、一夏と二、三言葉を交わした直後にラウラが突然眠り込んでしまったこと。
「……ご迷惑を、おかけしました」
すべての事情を把握したラウラは、千冬に向かって頭を下げる。今日の試合のことだけではない。先日の一夏との模擬戦をはじめとして、彼や他の生徒たちに対する行き過ぎた態度。今となっては、それが子供のわがままに過ぎなかったことが痛いほどわかってしまう。
「まったくだ。だが、私もお前に謝らなくてはならないことがある」
「え……?」
「お前が私に、そして『力』に固執していたことはわかっていたことだ。本来なら、
そう言って、千冬はラウラの頭にぽん、と手を置き。
「すまなかったな、ラウラ」
申し訳なさそうに、優しげな微笑を浮かべた。その表情は、ラウラの思い描いていた『強い教官』のものではなく、千冬がドイツにいた時一度だけ見せた『弟のことを語る姉』のそれに近い気がした。
「そんなっ……教官に落ち度はありません! すべて私の責任です。教官の指導は完璧で、そのおかげで私は底辺から這い上がることができて……」
「だから織斑先生だと……いや、私もファーストネームで呼んでしまっていたか」
ラウラの言葉を制するように口を開いた千冬は、そのまま静かな口調で語りかける。
「この際だからはっきり言っておくが、私はお前が思っているような強い人間じゃない。ただ弱いところを隠して、精一杯強がっているだけにすぎない」
ラウラの目が見開かれる。今度こそ、彼女が一度も見たことがないような表情を、織斑千冬は見せていた。
「間違いを犯すこともある。自分のしでかした失敗に心が折れそうになる時もある。だから、あまり私を持ち上げすぎるのはやめておけ」
千冬の顔に浮かぶ、儚げな微笑。ラウラにはそれが、彼女が昔何か大きな後悔を味わったことを示しているように思えた。
「教官……」
「少し話しすぎたな。そろそろ後処理をしている先生方のところに戻るとしよう。おとなしく体を休ませておけよ、ボーデヴィッヒ」
椅子から立ち上がり、扉の方へ歩いていく千冬。その表情に、先ほどまでの弱々しさを感じさせるものは微塵もなかった。いつも通りの、謹厳実直な女性教師の姿だ。
「……ああ、ひとつ言い忘れていた」
そのまま部屋を出ていくかと思われたが、ドアノブに手をかけたところで千冬は再びラウラの方へ向き直った。
「なんでしょうか」
「今の話、くれぐれも他の者には内密に頼む。特に織斑には口が裂けても言うな」
「はい、それはもちろんそうしますが……なぜ、と聞いてもよろしいでしょうか」
「なに、ただの姉のつまらん意地さ。あの馬鹿弟が一人前に自立するまでは、せめてあいつの前だけでは『世界最強の姉』としてい続けたい。それだけだ」
少し照れの混じった笑みを浮かべ、千冬は保健室から出て行った。残されたラウラはしばし呆然とした後、自分の顔が変に緩んでいることに気づいた。
「弱いと判断した男が私に勝ち、絶対的な強さを持つと確信していた教官は弱さを隠しているだけ、か。……はは、これではまるで意味がわからんな」
自らがこれまでの人生で築き上げた価値観が、音を立てて粉々に崩れ落ちていく感覚。……ただ、不思議と悪い気はしなかった。
「仕方ない。また一からやり直すしかないか」
*
「頭が痛え……」
「熱が38度もあるんだから当然よ。今日はゆっくり休むことね」
試合終了後、当然のことながら俺たちは先生たちによる事情聴取を受けることとなった。特に人の話を聞かずにラウラと戦っていた俺は大目玉をくらったのだが、まあ全面的にこちらが悪いので仕方がない。で、教師陣に怒られたり状況を説明したりしているうちにだんだん体の調子がおかしくなってきて、解放された後に保健室に寄ってみればこのザマだ。とりあえず薬と冷えピタをもらって、今は自分の部屋のベッドの上で安静にしている。
「ま、熱くなったツケが回ってきたってことでしょ」
「だな。……ちょっとはしゃぎすぎた」
隣でりんごの皮を剥いている鈴と話しながら、数時間前の試合を振り返る。……一応、今の俺の全力をラウラに見せることはできたと思う。急に眠り込む前までは笑ってくれていたし、少しは俺に対する態度も軟化してくれればいいんだけど。
試合といえば、結局この騒動によってトーナメントは中止になってしまったらしい。ただし、個人の戦闘データを採るために1回戦だけは行うとのこと。俺たちの試合が1年生の1回戦最終試合だったので、実質今後戦うのは上級生だけということになる。
「……よし、我ながらきれいに剥けたわ。あとは切るだけね」
で、なぜか俺の部屋で熱心にりんごを用意している鈴。本人いわく『いっぺん病人にりんごを食べさせてみたかった』らしい。よくわからん。
しかしまあ手際はそこそこよかった。この前食べた酢豚で十分わかっていたことだが、中学時代と比べると涙が出るほど料理スキルがアップしている。昔は本当にひどかったのだ。今でもはっきりと思い出せる、口の中に広がる鉄の味――
「一夏、どうかした? なんかものすごく苦しそうな顔してるけど」
「いや、なんでもない。……お、もうりんご切れてるじゃないか。なら早速いただこうかな」
半身を起こし、りんごの乗った皿を受け取る体勢をとる。が、なぜか鈴は俺にそれを渡そうとはせず。
「……ほ、ほら、あーん」
「……は?」
りんご一切れが刺さったフォークが俺の口元に向けられる。……あの、鈴さん? さすがにそれはちょっと恥ずかしいというか、ハードルが高いというか。
「な、なによ。中学の頃は普通にやってたじゃない」
「いや、そりゃそうだったかもしれんが、昔と比べて俺もいろいろ考えるようになってるというか」
思い返してみると、たまに鈴が照れくさそうに『あーん』をしてきたことがあった気がする。だけどその時は鈴のことをただの友達としてしか意識してなかったわけで、すでに告白されている今とは状況が違いすぎるだろう。
「い、いいから! はい、あーん!」
「おまっ、そんな強引に……ええい、こうなりゃやけだ!」
突き出されたフォークの先端ごとりんごを口に入れる。そのままりんごだけ引き抜き、もぐもぐと咀嚼する……うまい。うまいが、目の前で鈴が頬を赤らめて俺の顔をじっと見つめているせいで食べる方に集中できない……!
「あーん」
続いて二切れ目。ほぼ同じ動作でぱくりとりんごをいただく。今は極力雑念は捨てろ、俺はただのりんごを食べる機械にすぎないと思え。
「あ、あーん……」
三切れ目。……気のせいだろうか、心なしか鈴の声が尻すぼみになっているような。
「……あ、あー」
四切れ目に入ろうというところで、ついに『あーん』が途中で止まってしまった。
「ね、ねえ……恥ずかしくなってきたから、あとは自分で食べてくれない?」
「……ああ。俺もそうしたいと思ってたところだ」
正直こっちも限界だったし、向こうから妥協点を出してくれたのはありがたい。……『あーん』自体はうれしいものだったことは間違いないのだが。
皿とフォークを受け取り、自分で残りのりんごを頬張っていく。さっきはあやふやだった味の方も、今度ははっきりと感じられた。
「このりんごうまいな。どこで買ってきたんだ?」
「ルームメイトからのもらい物だから詳しくは知らないけど、結構値が張るものだって言ってたわよ」
「なるほど。どうりで上品な味がするわけだ」
確か鈴のルームメイトはアメリカ出身の人だった気がするが、お金持ちだったりするんだろうか。
……とまあ、なんだかんだで妙な雰囲気も消え去り、りんごをしゃりしゃりと食べながら他愛のない会話を繰り広げる。その中で、俺は今日の試合のある場面を心の中で思い出していた。
ラウラがVTシステムを発動させてしまう直前、俺は自分でも信じられないほどの高度な動きをやってのけていた。あの一撃がなければ、白式のシールドエネルギーはゼロにされ、何もできずに負けてしまっていただろう。
気になっているのは、なぜあんな動きが咄嗟にイメージできたのか。そして、あの瞬間に脳裏に浮かんだ白いISの映像はなんだったのかということだ。最初、俺はあれは白式の姿だと思っていたのだが、よく考えるとどこか外観が違っていたような気がする。見えたのが一瞬だったうえに、映像自体も若干ぼやけていたので、確認しようにも今さら何もできないというのが現状である。
「……なんなんだろうな」
開発者の束さんですら理解しきれていないISの全容。まして俺のような素人にとってはなおさら謎だらけに感じられた。
*
ラウラとの会話を終え、保健室を出た千冬。そんな彼女を待ち構えていたかのように、目の前にひとりの女子生徒が立っている。
「更識、何か私に用でもあるのか?」
更識楯無。IS学園の生徒会長にして、日本の対暗殺用暗殺組織『更識家』の当主。今はISにおけるロシア代表にも就任している重要人物。当然各所へのコネクションも多数保持しているのは間違いない。
「いえいえ、そういうわけではありません。私はたまたまここを通りがかっただけです。織斑先生はボーデヴィッヒさんのお見舞いですか?」
「見舞いと呼ぶのは間違っているような気もするが、まあそんなところだ」
にこにこと愛想のよい笑顔で語りかけてくる楯無。だが、彼女がこういう態度をとるのは大抵何か大事な目的がある時だということを千冬はこれまでの経験で知っている。
「それにしても、今日の試合はすごかったですね。織斑くん、すごくいい動きしてたじゃないですか」
「……まだまだ動きにムラが多い。及第点を与えられるレベルではあるが、な」
「相変わらず厳しいですねえ。私なんてあんまり上手に戦うものだから素直に感服しちゃってました。特に、VTシステムが発動する直前と、その後の刀捌きとか。……織斑くんって、何か特別なことでもやってたんですか?」
楯無の声のトーンがほんの少しだけ下がる。……やはり『それ』を尋ねに来たか、と、千冬はある程度予想していた結果に小さく息をつく。
一言ではっきりと言ってしまえば、一夏の戦いぶりは異常なのだ。今まではまだ『筋がいい』で済ますことができていたのだが、さすがに今日の試合での模倣は真に近づきすぎていた。ISに触れて3ヶ月の人間が、見えないAICの線に刀だけを当てたり、暮桜を模倣したVTシステムと互角に打ち合えていたという事実が、楯無の目には信じられないものとして映ったのだろう。
だからこうして千冬のもとにやって来た。生徒会長として、更識の頭として、できる限りの情報を集めるために。
「……さあな。小さいころに剣道をやっていたが、それくらいだ。ただ、昔から意外性だけはある奴だったな」
「意外性……ですか」
わずかに眉をひそめる楯無。千冬の用意した答えが、彼女にとって納得できるものではなかったからだろう。
「では、私はこれで失礼するぞ」
返答はした。それで十分だとばかりに、千冬は楯無の横を通り過ぎ、職員室への道を歩き始める。
「……はい」
これ以上追及するのは無駄だと感じたのか、楯無も会話を諦め、千冬と反対方向へ足を動かす。
その後ろ姿が見えなくなったところで、千冬は大きなため息をついた。
「苦しいごまかし方だな」
もう少しうまい言い訳を考えられないものかと、自分の口下手な部分を恨めしく感じる千冬。……一夏の模倣の完成度の高さには、ある心当たりがあるのだ。
――白式、いや、白騎士が、彼に力を貸しているのではないか?
裏をとったわけではないが、おそらく白式のコアはかつて千冬が使用していたIS『白騎士』のコアと同じものだと考えられる。
そして、一夏は千冬の戦い方を模倣した動きをしようとしている。その意思に反応して、コアが何らかの干渉を行っている。すべて推測にすぎないが、彼女の直感はおそらくそれが正しいということを告げていた。
……もちろん、今の一夏の実力は彼自身の努力あってこそのものであることも間違いないとは思っているが。
「………」
千冬の表情は険しい。それが何を意味しているのかは、他ならぬ彼女自身にしか知りえないことだ。
*
「あ、そうだ。一夏、言い忘れてたことがあるんだけど」
「ん、なんだ?」
りんごを食べ終わった俺は、再び横になって睡眠の準備に入る。鈴もそれにともない部屋を出ようとしていたのだが、まだ何か話すことが残っていたらしい。
「……今日の試合のアンタ。無茶してたけど、かっこよかったわよ」
「……ああ、サンキュー」
「じゃ、ちゃんと寝て早く元気になりなさいよね」
そう言って邪気のない笑みを浮かべ、鈴は俺の部屋をあとにした。……かっこよかった、ねえ。よくわからないが、なんとなくうれしい。
「さて、じゃあしっかり寝るとしますか」
食べて寝るのが熱を下げる一番の薬だというのは古今東西不変の事実だろう。偉大な先人たちに倣い、俺も睡眠をとることにしよう。
「……一夏、起きてる?」
そんな時、ドアのノックとともに俺を呼ぶ声が聞こえてきた。この透き通った声は……
「シャルロットか? 入ってきてかまわないぞ」
「ありがとう」
上体を起こして、部屋に入ってきたシャルロットと視線を合わせる。……少し、元気がなさそうだ。
「ごめんね、熱が出てる時に来ちゃって。でも、どうしても一夏に伝えたいことがあったんだ」
俺に伝えたいこと。それはもしかして、タッグマッチの相方にラウラを選んだ理由にも関係のあることなんだろうか。シャルロットの真剣な表情から考えて、とにかく大事な話であることは間違いないと思う。
「わかった。話してくれ」
脳みそを真面目モードに切り替えて、話を聞く体勢を整える。
「……うん。じゃあ、話すね」
そして、シャルロットはゆっくりと語り始めた。彼女の生まれ、境遇、学園に来た目的。そしてラウラと組んだ理由。部外者の俺にはおよそ話すべきでないことを、しかしはっきりと言葉にして伝えてきた。
「……だからね、僕は一夏を利用するために近づいたんだ。あとでそんなことはできないと思い直したにせよ、そこだけは変わらない。だからけじめとして、君にだけは全部話して、謝らなくちゃいけないと思ったんだ。……ごめんなさい」
深々と頭を下げるシャルロット。その姿を、俺は視線をそらすことなくじっと見つめる。
「シャルロット……」
「……長話につき合わせちゃったね。じゃあ、僕はこれで――」
「待てよ」
立ち上がり、部屋から出て行こうとしていたシャルロットを、強い調子の声で呼びとめる。一方的に話をされただけで逃げられても、こっちとしては困るんだ。
「りんご、切ってくれないか。さっき鈴が1個置いていったんだ」
「……え?」
「あ、ひょっとして包丁使うの苦手か? なら……」
「い、いや、そんなことはないよ。うん、りんごの皮を剥くくらいならできるから……」
「そっか。んじゃ頼む」
「う、うん……」
俺の言葉に押され、シャルロットは台所に置かれたりんごと包丁を手に取り、おもむろに皮を剥き始める。手際はかなり良く、あれよあれよという間に皮がなくなり、ちょうど良いサイズに切られたりんごたちが誕生していた。
「はい、できたよ」
「ああ、ありがとう」
シャルロットから皿とフォークを受け取り、一切れ目を口にする。
「うん、うまい」
さっきも丸1個食べたばかりだが、これだけうまければ2個目も余裕で平らげられそうだ。
「シャルロットも食べていいぞ」
「え、いいの?」
「もちろん。このりんごめちゃくちゃうまいから、友達にも味わってもらいたいんだよ」
「………!?」
シャルロットが固まる。おそらく俺が口にした単語に反応して驚いたのだろう。
「……僕のこと、まだ友達だと思ってくれてるの?」
「やっぱりそういうこと考えてたんだな。本当のこと全部伝えたら、俺がお前のことを嫌うようになるって」
こくりとうなずくシャルロット。なら、その認識が間違いだってことを、はっきり言っておかないとな。
「嫌いになんてならない。お前は結局白式のデータを盗まなかった。そして俺はシャルロットがいいやつだってことを知ってるつもりだ。今だって、文句のひとつも言わずにりんごを切ってくれたしな」
「一夏……」
「だからさ、シャルロットさえよければ、これからも俺の友達でいてくれないか」
俺の言葉を聞いたシャルロットは、しばし黙り込んだ後、満面の笑顔になって。
「……うん。こちらこそ、僕の友達でいてくれるととてもうれしいです」
少し目尻に涙を浮かべながら、そう答えてくれた。……うん、これで一件落着――
「いや、ちょっと待ってくれ。友達になる条件として、1個教えてほしいことがあるんだけど」
「え、なにかな?」
実はシャルロットが転校してきてからずっと気になってることがある。本人が聞くなと言っていたからあえて触れなかったが、この際だ、思い切って聞いてしまおう。
「その言葉づかい。どうして男みたいな話し方になっちまったんだ?」
「……ああ、そのこと? うーん、あんまり言いたくないことなんだけど……僕に日本語を教えた人が『今日本ではこういう話し方をする女性がモテる』という間違った知識を持ってて、その……」
……なんだか、予想していたよりもしょっぱい理由だった。
*
翌日の朝。
「一夏さん、本当に体調は大丈夫ですの?」
「ああ、一晩寝たら熱もすっかりひいた。だから問題ないぞ」
今日の朝食は俺、鈴、箒、セシリア、シャルロットの4人でとっている。シャルロットも問題なくみんなと会話できているみたいだし、とりあえずは一安心といったところか。
「篠ノ之さん、その魚おいしそうだね。僕も今度は和食にチャレンジしてみようかな」
「それはいいことだ。せっかく日本に来たのだから和食という文化に触れなければな」
「中華もお勧めするわ。特に酢豚なんてどう?」
うんうん、仲良きことは美しきかな。これで俺が気にかけるべき問題はあいつのことくらいか。
「織斑一夏」
「む」
噂をすれば影、とはよく言ったもので、なんとも絶妙のタイミングで、ラウラ・ボーデヴィッヒがこちらに近づいてきた。2週間前、そして昨日の騒動を知っている周りの生徒たちは、彼女の接近にざわつき始める。それは鈴や箒たちも同じで、明らかにラウラを警戒しているのが顔でわかる。
……ただ、昨日のあいつの笑顔を間近でみた俺は、ラウラが喧嘩を売りに来たわけではないことがわかっていた。
「お前に謝罪と礼を言いに来た」
「謝罪と礼?」
「お前という存在を勝手に否定し、侮辱したことをすまなく思っている。そして、私に新しい生き方を見つけるきっかけを与えてくれたことに感謝している」
ラウラの言葉はあっさりとしたものだったが、その端々に俺に対する親しみのようなものが感じられる。……どうやら、こっちの問題も解決したようだ。
「そうか。なら、これからは仲良くしよう――」
ぜ、と言い切る前に、口が動かなくなった。何事かと思えば、ラウラの唇が俺の唇にいつの間にか覆いかぶさっている。なるほど、これじゃ声が出ないのも当然だな………え?
『えええええええええっ!!!』
俺の驚きを代弁するかのように、食堂中が叫び声で満たされる。そりゃそうだ、朝っぱらから予想だにしなかったキスシーンなんて見せられたら大声を出したくもなる。
「礼は形にしなければならないと部下に言われてな。その通り、形にさせてもらった」
「な、な、な……」
唇を離したラウラは、臆面もなく言葉を紡いでいく。
「これからは、お前をひとりの男として見ていくことにしよう」
「な、お前、それは……」
「どういう意味よそれえええ!!」
あ、俺がまともに話す前に鈴がラウラにものすごい勢いで食いかかった。
「なに!? アンタいつの間に一夏に惚れたの!」
「本当にいつなんだ!」
「まったく予想がつきませんわ!」
鈴に続いて、箒とセシリアも恐ろしい剣幕でラウラを問いただそうとする。流れに乗れないシャルロットは苦笑いをしているが、俺もあははと笑っていればいいんだろうか。
「あはは」
「なに笑ってんのよ!!」
鈴に怒鳴られた。だってしょうがないだろ、本当にどういう反応したらいいかわからないんだから。
「お前たち、先ほどから何を騒いでいるのだ?」
ラウラが心底不思議そうな表情で尋ねてくる。自分が原因だということには気づいていないのだろうか。
「いえ、ですからあなたがいつの間に一夏さんに恋慕の情を寄せるようになっていたのかという話を――」
「恋慕の情? そんなものは寄せていないぞ」
『……は?』
再び食堂のみんなの声が重なる。俺も同感だ。それなら、いったいどうしてキスなんてしたんだ……?
「私はただ、部下に『男はキスをすれば喜ぶ』と言われたからそれを実行しただけなのだが……いやしかし、唇を重ねあうというのは存外恥ずかしいものだな」
オイ、何を吹き込んでるんだこいつの部下は。会うことがあったら30分間説教かましてやりたいくらいだ。
「じゃ、じゃあ、一夏をひとりの男として見ると言っていたのはなんなのだ……?」
「何かおかしいところがあるか? 教官の弟としてではなく、織斑一夏というひとりの人間として奴を見ていこうという意味なのだが」
……えーと、つまり。まとめると、ラウラは別に俺のことを好きになったとかそういうことは全然なくて、妙な勘違いでキスをしてしまっただけ?
「ま、紛らわしい……まさかこんな形でセカンドキスが奪われるなんて」
……ほっとしたのもあって、俺の口からは心の中で思ったことがそのままこぼれ出ていた。
『………え?』
そして、その言葉の中に言ってはならないワードが混じっていたことに1秒たった後で気づいた。
「一夏。セカンドキスとはどういうことだ」
「つまり、ファーストキスはすでにどなたかと済ませておいででしたの……?」
『どうなの、織斑くん!』
「あ、ああいや、それはだな……」
箒、セシリア、そしてその他大勢の女生徒からの視線が突き刺さる。横目でこっそりと『どなたか』の様子をうかがったところ、冷や汗をだらだら流しながらゆっくりと食堂から離脱しようとしている。ちなみに冷や汗をかいているのは俺も同じだったりする。
「む? どこに行くのだ、凰鈴音」
「ひっ」
事態をまったく理解していないラウラに呼び止められ、思わず悲鳴をあげてしまう鈴。ついでに言っておくと、地面から軽く数センチは飛び上がっていた。
「鈴さん……?」
全員の視線が俺から鈴へ移る。さらに挙動不審になる我がセカンド幼馴染。あれはもうごまかしきれる状態じゃないな……
「あ、あははは! あ、あたし急用を思い出しちゃった! じゃ、じゃあみなさんごゆっくり!!」
「待て、逃げるな!」
「完全にクロですわ!」
「凰鈴音を捕まえろ!」
「教室にいる生徒にも連絡とって!」
「包囲網形成よ!」
全速力で逃げ出した鈴を追い、捕獲部隊が動き始めた。……かわいそうだが、この前のクラス対抗戦の時は俺だけがみんなに問い詰められる憂き目にあったのだ。今回はあいつにその苦しみを味わってもらうとしよう。
「……あの、一夏? 一夏も、あんまりのんびりできる状況じゃないみたいだけど……」
「わかってるさシャルロット。この世界はそう都合よくできていないことくらい、俺だってよくわかってる」
顔を上げれば、そこには捕獲部隊とは別でここに残った大勢の生徒たちが俺を囲んでいるのがよく見える。先頭にいるのは、もちろん新聞部副部長・黛薫子先輩だ。
「……あの、今回も記事にしたいのでしょうか」
「物わかりがよくて助かるね! さ、織斑くんと凰さんのキスの真実を、どうぞ!」
「あ、あははは……」
人間、本当に困ったときは笑うしかなくなるらしい。だとすれば、今がまさにそのときなんだろうなあなどと思いながら、俺はシャルロットとラウラが結構楽しそうに会話しているのを見て現実逃避を試みるのであった。
シャルとラウラにはフラグは立たず。まあこれ以上フラグを増やしても処理しきれないので妥当な判断だと思っています。あくまで鈴がメインヒロインですので。
さて、今回で原作2巻の内容が終了となります。ラウラあたりの補完はこの後の番外編でちょろっと行うのですが、ひとまずは終わりです。
でまあ、振り返ってみると……案の定鈴の出番が少なめになってしまいました。シャルとラウラの2人のストーリーを同時進行しなければならなかったとはいえ、これはちょっと痛かったです。次からは修正していきたいポイントのひとつですね。
シャルロットについて。最初から女の子として登場させましたが、彼女の軸は「ISにどうして乗るのか」という点でした。実はここに関して最新話では触れていないのですが、これは後のストーリーでまた掘り下げる機会があるためです。シャルメインのエピソードはまだ終わってなかったりします。
ラウラについて。なんでVT発動させてからまた元に戻したのかについてですが、単純に「模倣対決をやりたい。だけど最後はラウラVS一夏にしたい」という2つの願いを両方取り入れた結果です。勝負自体は一夏が勝ちましたが、本来ならまだまだラウラの方が上だということがうまく表現できていればうれしいです。
千冬について。結局何もやっていないのですが、一夏やラウラ、楯無との会話でちょいちょいおかしな様子を見せています。これは今後の展開に関係しているので詳しい内容は伏せておきます。
箒とセシリアについて。後半出番がほとんどなくて申し訳なく思ってます。出ていない間何をやっていたのかというのは次の番外編で多少補完する予定です
鈴について。随所で一夏といちゃいちゃして、あとはタッグマッチの時に解説役をやっていたくらいでした。ただまあ、ストーリーライン的に一夏と仲良くしているシーンを最低限描いておくのが一番の目的だったので、そこは守れてほっとしています。
一夏について。「細かいことは考えずまっすぐ突き進む」というのを軸にして描いたつもりです。結局彼はラウラの抱えていた問題に対して何の解答も与えていません。ただ自分のわがままのために戦っただけです。しかし、それでもラウラに大きな影響を与えたという感じにしたのですが、いかがだったでしょうか。
自分で振り返った感想としてはこんな感じです。反省点を活かしていきたいと思います。
さて、次回からは番外編をはさみ、そして3巻の内容に入っていくことになります。以前も言ったように、2巻の内容が終了してメインキャラが大体揃ったので、これからは日常回が増えてきます。よってストーリー進行が遅くなりますが、ご了承ください。一応日常回にまったく意味がないということはないので。
では、今後もよろしくお願いします。