吉良吉影はくじけない   作:暗殺 中毒

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今回は一万文字越えなので長文注意です。
「瀑声に咲く戦華」を聴きながら書いたんですが、いいBGMですよね。


瀑声に堕つ

鋭い(くちばし)に長く太い爪、全身に生えそろった小さな鱗。首の後ろとその棍棒の様な太い尾からは鋭く硬いトゲが生え、トゲトゲしい亀の外見をより一層攻撃的な物へと変えている。

 

さながらヒーロー物の怪人といったところか、まるで亀をそのまま人型にしたかの様な外見をしている。これも妖怪ってヤツなのか? にしては、小傘とは随分とかけ離れているが。

 

「貴様、何者だ?」

 

青い顔で戦闘態勢に入った藍を無視し、亀は白く(にご)った目で池を見る。そして私達には興味などないかの様に……いや、聞こえていないのか? どちらにせよ池に近づき、手を水で濡らした。そしてをこちらを向き、水の(したた)る手を払う。水滴が地面に吸い込まれ、染みを残し、私の隣を水のカッターが(かす)めて行った。

 

私はとっさに耳を塞ぐ。衝撃波と轟音が大気を揺らし、ガラスを割り、あまりの音に鼓膜が悲鳴を上げている。クソ、耳が痛み何も聞こえん! 酷い耳鳴りを(こら)え、私は現状を把握しようとする。

 

今、何が起こった? 地面の染みから水のカッターが現れたところまでは見ていた。そして、恐る恐る足元を見た私は戦慄する。裂けていた。まるで鋭利な刃物で裂いたかの様に、地面に直線の裂け目が作られている。裂け目の先を見てみれば、そこには真っ二つに切断された屋敷。冗談じゃあないぞ!? こんな物を食らった瞬間にあの世行きだ!

 

同じ様に耳を押さえ苦しむ藍を横目に、私は亀の次の出方を伺う。もし本気で殺すつもりなら、先程の一撃で藍諸共死んでいる。必死に打開策を考える中、亀は手の水滴を直径30センチはある水の球へ変貌(へんぼう)させた。ほんの小さな水滴を巨大化させるなど、まるでスタンド能力だぞ!

 

飲水(いんすい)思源(しげん)、命の母……水を忘れる命はない」

 

亀は水球にできる波紋を(なが)めながら、静かに呟く。飲水思源……物事の基本を忘れるなという警句だったか。しかしどうする? 私のキラークイーンであの攻撃を防ぐのは無謀だ、仗助の血のカッターよりも何倍も大きいんだぞ! 防げるわけがない!

 

私が頭を悩ませていると、復活した藍が怒りの形相を浮かべる。だが亀はそんなことなど興味がないと、水球の波紋を眺め続ける。

 

「貴様、紫様の屋敷を……!」

「たかが住居で激昂するな、同性愛者(レズビアン)かお前は」

「紫様の屋敷をたかが「やかましいッ! まずはこの状況を切り抜けることを考えろ!」

 

水球から目を離さず片手間で返事をした亀に更に噛み付こうとした藍を強引に黙らせ、亀の様子を伺う。まだ本格的に戦闘態勢に入っていないからいいものの、亀を刺激してこれ以上事態を複雑にするんじゃあない女狐が! クソ、なぜ最近の私はこうもついていないのだ! とにかく、亀が本格的に戦闘態勢に入る前にどうにかしなければ。あの一撃は威嚇射撃、まだ会話をするチャンスはあるはずだ。

 

私に怒鳴りつけられた藍は舌打ちをするが、今は大目に見てやろう。まずは亀をどうにかすることが先決。そこで私は考える。まず敵の目的を明確に知っておけば、交渉に繋げられるかもしれないと。

 

「何が目的だ?」

「お前たちを伯爵の元へ連れ帰る」

「なぜだ?」

「語る必要なし」

 

私の質問に亀は即答する。最も厄介な答え方で。クソ、これでは何の手がかりにもならん!

 

「どうやって紫様の結界を破った」

「水中に火を求むるな」

 

水中に火を求む、水の中で火が欲しいと思う程に無駄なことの例え。つまり、教えないから聞くだけ無駄、というわけか。

 

「拒んで苦しむか、受け入れるか。答えは2択、枝道はない」

「答えはこれだ」

 

亀が手元の水球を眺める中、藍は左右に緑と黄色の大きな一対の弾を撃ち出すと同時に、その両弾が亀目がけゆっくりと飛んで行く。その弾から随時撃ち出される小さな弾の嵐は、形容するなら正に弾幕が相応しい。なるほど、まさかこんな隠し玉があったとは……キラークイーンで防ごうとするの無謀だろう。そう思える程の弾幕。しかし、亀は私の予想とは裏腹に身動き1つせず呟いた。

 

積水(せきすい)成淵(せいえん)……そんな物、以水救水と知れ!」

 

亀が高らかに叫び水球を両手で圧縮する。すると……私は、夢を見ているのか? 水球から大量の水が溢れ出し、その勢いは洪水の様に全ての弾を飲み込み、かき消し、圧倒的な運動エネルギーを秘めたまま私と藍に直撃、飲み込みそのまま何メートルも流し飛ばした。私の視界が青く染まり上下が反転する。

 

い、痛い、身体中が痛い……まさか水の直撃がこんなにも痛い物だとは……鋭い痛みとは違う、鈍くジワジワと体を(むしば)む痛み。例えるならばボクシングのボディブロー、瞬間的な苦痛よりも長引く痛みで相手を参らせる類いか……藍は既に立ち上がっている辺り、さすが式神といったところか。先程よりも顔が青くなっているがな。

 

「貴様……」

「私の名は藍だ、3度も言わせるな」

「勝算はあるのか?」

 

私の言葉に振り向いた藍は困惑した表情を浮かべながら、私を見つめる。

 

「おい、いや待て、そんなまさか……」

「貴方はスタンド使いだろう?」

「ふざけるんじゃあないぞ! 自分から喧嘩を売っておいて、勝てませんでしたごめんなさいで済むとでも思っているのか!」

「その能力を使って倒してくればいいだけだ!」

「貴様、頭脳がマヌケか!? 私のスタンドは射程距離1〜2メートルの近距離型だと言った筈だ!」

 

藍と言い争いをしながら、亀が放った水滴を避ける。同時に、着弾した水滴から優に20メートルを超える水柱が発生した。(みず)飛沫(しぶき)によって視界が一時的に悪化し、前が見えない。この女狐、相手の力量すら分からん内に攻撃を仕掛けるなど……! その上他人に頼るんじゃあないッ! 貴様の自業自得だろう!

 

「待て! 私に戦う意思はない! こいつなら差し出そう!」

「川尻浩作貴様!」

「水の低きに()くが如し。どちらも(のが)さん!」

 

私への死刑宣告と共に水球を高く掲げた次の瞬間、それから発射された高圧の水が地面を抉り、裂き、割る。しかし斜めに放たれていた水は私達を通り過ぎていく。なぜそんなことをしたのかと疑問に思ったのも束の間、水が横薙ぎになった。亀から離れた水は離れる程に高さが低くなり、私達の位置では脚の高さにまで下がっている。

 

「しまった、それが狙いか!?」

「跳べ、川尻浩作!」

 

藍に言われるがまま、私はキラークイーンで地面を蹴り高く跳ぶ。数拍後に真下を通過して行った水は私の腰辺りを薙ぎ払い、もしキラークイーンを使っていなければ死んでいた。これは、命を救われた形になるな。気に食わんが。

 

地面に着地し、斜めに戻っていく水を見ながら私は亀の次の攻撃を予測する。だが、それは無意味なことだった。私が考えるよりも早く、直前の水が地面に残した跡から水が噴出する。

 

「こ、これは!?」

 

今理解した、私達が跳んで回避した水、あれはこれのための準備にしか過ぎなかったのだ! 地面から噴き出し続ける水は障壁の様に外とこの場所を隔絶し、さながら三角形の水の闘技場! 見上げようとも障壁の頂点は見えず、亀と私達しかこの空間には存在しない、亀がそれ以外を許さない。

 

ポケットからペンを取り出し、それを障壁へと突き入れた瞬間。ペンは障壁の立ち上る勢いに(さら)われ粉砕される。もしここに私自身が入ってしまったのなら……そんなことを考え、私は背筋が冷えるのを感じた。私の横で、ペンが粉々になるのを見た藍が障壁に伸ばした手を引っ込める。

 

「クソッ脱出は不可能か」

「恐らく逃がさないという意思表示だろう、川尻浩作」

「チッ……改めて聞くぞ。勝算はあるのか?」

「貴方のスタンドでできることを教えてくれればあるいは」

 

あくまで私のスタンド能力に頼るつもりか……だが今は目の前の亀を倒すことが最優先事項。藍はシアーハートアタックでどうとでもなるが、水を操る亀の体温が高いとは考えにくい。今すぐ爆破してやりたいが、平穏のためと割り切るしかないらしい。

 

「私のスタンドは人型、パンチやキックだけでなく人間が行う動作ほぼ全てが可能だ。だが消滅させる能力は直接指先で触れなければ発動しない。パワーは東方仗助のクレイジーダイヤモンドと同程度」

「なるほど、よく分かった」

「勝算は?」

「勝てるかどうかじゃない、勝つしかないんだ」

「分かりきったことを」

 

満足げに障壁を見上げていた亀が、水球に視線を戻す。

 

「千日の旱魃(かんばつ)に一日の洪水……至言だな、この言葉は」

 

千日の日照りと一日の洪水の被害は同じという、水害の恐ろしさを言い表した(ことわざ)か。水に関連した諺や熟語を好んで使う辺り、この亀は相当水が好きらしいな。

 

「五手だ」

「なに?」

「お前たちは、五手で詰む」

 

亀は鱗に覆われた手を突き出し、5を示す。囲碁や将棋に例えたのだろうが……たった5手で詰むなど、この吉良吉影が甘く見られた物だ。隣の藍を見れば、その慢心とも言える自信に顔を引きつらせている。ま、当然の反応ではあるな。

 

そんな私達の様子を見もせず、亀は片手に持った水球に息を吹きかける。次の瞬間、私の左足を水が貫いていた。痛みはなかった。ただ、地面に倒れゆく中、左側の地面に空いた穴から水が撃ち出されたのだと、冷静に判断していた。だが、痛みは時間差で襲ってくる。

 

「うぐおぉぉ……ッ!」

「バカな、地面の下から!?」

「まず一手。川尻浩作の機動力を奪った。これが二手目だ」

 

水球に指を入れ横に一線を描いた刹那(せつな)、私の腕から飛び出した血液が藍の腕を貫通、糸の様に縫合(ほうごう)し私と藍の体が密着した。血はまるでロープの様に形が固定され、皮膚に食い込む。血液すらも自由自在だと!? ファンタジーやメルヘンじゃあないんだぞッ!

 

「八雲藍、これでお前の機動力も奪った。全ての生物の体は7割程度を水が占める。故に水とは命であり生物、全ての命の源流」

「つ、強い……単純だが、強い!」

「おい貴様、早く離れろ!」

「それは私のセリフだ川尻浩作!」

 

私と藍は互いに離れようと距離をとる。しかし血液の糸はゴムの様に私達を引き戻してしまう。キラークイーンの手刀で切断を試みようと、液体の性質を保っているのかただ血液の糸を通り抜けるだけ。そんな中、亀が再び水球を圧縮した。

 

「川尻浩作! 早くスタンドでなんとかしろ!」

「やかましい! スタンドは願いを叶える魔法の力じゃあないッ! 妖怪の力でどうにかしてみろ!」

「これで三手!」

 

水球から水が溢れ出し、氾濫(はんらん)した川の濁流の様に、その水はうねりながら私達を水の障壁へと押し流す。私はとっさにキラークイーンの腕を地面に突き刺し、藍は私にしがみつく。

 

こ、このままでは……このままでは水の障壁に押し込まれ殺されてしまう! 地面に突き刺した腕は既に押され始めている、もう長くはもたん! その上、い、息が、呼吸ができん……

 

解決策を求め藍を見れば、間近に迫った水の障壁に触れぬよう懸命に私の体にしがみつく姿が見える。チッ人の小指を折っておきながら役に立たんとは! どうする、ここでこいつを振り払い私だけ助かるか!?

 

不意に藍がこちらを向き、地面を指差しながら何か口を動かす。なんだ? 何が言いたい? と、べ……()べだと? そんなことで……いや、思い出せ吉良吉影! いつだってそうだった、重要なのは、細やかな気配りと大胆な行動力なのだ!

 

私は藍が示すままに、キラークイーンの足で地面を蹴り飛ばす。水の中から突き出た私達は、足りない高さは藍の飛行能力で補いそのまま亀へと一直線に飛んで行く。このままヤツの顔面を殴り抜けてくれる!

 

「なにぃ!?」

 

私達の予想外の行動に驚いた亀は水球を取り落とし、地面に落ちるのも気にせず逃げ水の障壁へ突っ込んだ。だが水の障壁は亀を粉砕せず、それどころか亀は水の障壁を泳ぐ様に滑りながら反対へと移動。私達はそのまま着地し、立ち位置が逆転する。

 

「心が通じたな」

「気に食わんがな」

 

軽口を叩きながら、私達はどうすべきか考え始める。先程までいたのは三角形の底辺部分だが今は頂角部分。亀は反対に頂角から底辺部分へ移動した。だが亀は焦らず降ってきた水滴を巨大化させ、また水球を作り出す。どうやら、亀の力は位置関係に縛られる物ではないらしい。

 

「驚きはしたが、所詮(しょせん)水母(くらげ)の風向かい」

 

もう焦りを感じさせない口調に戻った亀は水球を見ながら語る。こいつ、相当自分の力に自信があるらしい。いや、待て……こいつは何を見て驚いた? 視線は常に水球に向かっていた。こいつは、1度たりとも私達を見てはいない。

 

大きな謎に到達した瞬間、私の右足を地面からの水が貫く。そのまま水は藍の足すら貫き、私の体を激痛が駆け巡る。足から流れ出す血は白いズボンを赤黒く染め上げ、あまりの痛みに足から力が抜け膝から崩れ落ちた。

 

「う……ぐおぉぉぉッ!」

「な、またか!?」

「四手目だ。次で終わる」

 

亀から発された死刑宣告。マズイ、このままでは、この吉良吉影が負けてしまう……! シアーハートアタックを使うか!? いや、亀はずぶ濡れだ、藍の方が体温が高い。考えろ、考えるのだ吉良吉影。こんな時にこそ、こんな最悪な時にこそチャンスは訪れるのだ!

 

「川尻浩作、地下からの水の謎は解けた」

 

私が頭をフル回転させる中、藍の妙に落ち着いた声が聞こえた。

 

「なに?」

 

私が声に反応し振り向くと、藍は池を指差す。池……地下……水……分かったぞ、攻撃の仕組みが。

 

「なるほどな。こちらも、なぜあの亀が水球しか見ないのか、その謎が解けた」

 

私がそう話すのと、亀が水球を構え圧縮するのは同時だった。水球から水の弾丸が無数に発射され、水の障壁が波打つ。恐らく水の障壁からも水弾を放ち全方位攻撃か。だが、この勝負……もらった。

 

『GRUAH!』

 

キラークイーンに地面を殴らせ、充分な広さの穴を一撃で作り上げる。だがまだだ。そのまま殴り続け地下へと掘り進み、左へそれる。直後、私の眼前を水が通過した。

 

「まだ左だ」

 

藍の指示に合わせ私はキラークイーンの拳を振るい続ける。指示されるがまま途中で進路を変更し右へ。そして直進。背後で水が穴の壁を破壊する音が聞こえるが、既に目的地には到達した。上を殴り地上へと穴を空ければ、そこにいたのは驚愕し後ずさる亀。私はそのままキラークイーンの拳で亀の顎を下から殴り抜ける。

 

キラークイーンのパワーによって顎を砕かれ、鱗を砕かれた亀はそのまま拳がめり込み空高く吹き飛んだ。水球が地面に落ちると同時に水の障壁が姿を消し、血液のロープも形を失い私と藍が解放される。一拍遅れ、亀が地面に激突した。ふん、少々手こずったが……結局は私に敗れる運命だったというわけだな。

 

「五手とは、貴様が倒されるまでの時間だったな」

 

顎が粉砕された亀は最早(もはや)起き上がることもできず、しかし痙攣する手が土を(えぐ)りまだ闘志があることを教える。だが無惨にも、もう水を操るだけの力は残っていない。

 

「池に流れ込む水脈すら支配下に置くとは、まったく恐ろしい敵だ」

「な、なぜ……分かった?」

「地下からの水が撃ち出されるのは決まった方向からだったからさ。初めは左、次は右。そして池を見て気がついた、この池の水脈を利用しているんじゃないかとな」

 

藍の解説を聞いた亀は自嘲(じちょう)気味に笑い、白く濁った目で空を見上げた。どこまでも澄み切った、美しい青空だった。

 

「もし貴様に視力と聴力があったのなら、結果は違ったのかもしれんがな」

「なに?」

「気づいて、いたか……川尻浩作」

「目が白く濁るのは典型的な白内障の症状だ。それに加え、貴様はプロガノケリスだろう。甲羅がありながら首と尾にトゲがあるのは、プロガノケリスの大きな特徴だ。聴力が弱いのもな」

 

プロガノケリス、別名三畳紀亀。約2億1万年前にインドなどに生息していた亀の一種。耳の形成が不完全であるが故に聴力が弱かった。そして白く濁った目。これ程までに症状が進行しては、もう物の輪郭すら分からん筈だ。藍の反応からして、こいつは気づいていなかったようだが。

 

「人間の間では、そう呼ぶらしい」

「なら貴方はどうやって私達の居場所や声を聞いていた?」

「話そう、お前たちには聞く権利がある。俺は水の声を聞く。水の動きで水の位置を知る。あの水球は、攻撃手段であり生命探知機。水のない地下に潜行されては、お手上げだ」

 

視力と聴力を補うための物なのだとは思っていたが、まさか生命探知機とはな。つくづく、水に関しては何でもありのヤツだ。

 

「貴方の他にどんな敵がいる?」

「ふ……やはりお前たちに安心などないか。伯爵の言った通り、お前たちとあの“柱の鬼たち”は出会う宿命にある」

「柱の鬼、だと?」

「私は伯爵から鬼の力を分け与えられ、この姿となった。だが、あの鬼は生きている、柱と一体化しながら! だが、もうすぐ目覚めるだろう。いつか出会う! 柱の鬼たちと、神が定めた運命の様に! それがお前たちに課された宿命なのだ!」

 

最後の力を振り絞り、亀は半身を起こし私達に宣告する。柱の鬼たち……だと? それが宿命だと? こいつは何を言っているのだ!?

 

「柱の鬼とはなんだ!?」

「これ以上は語らぬ。お前たちは俺を破った。強者が敗者を下した。たったそれだけが揺るぎない事実よ。お前たちと出会い戦ったことは、俺の生涯で至上の幸福だったぞ!」

 

その言葉を最後に、亀は自身の頭部を切断し、命を絶った。口封じ、といったところか。そこまでして上司の秘密を守るなど、理解はできんが、敵ながら天晴(あっぱ)れなヤツだ。

 

「柱の鬼、か。事態は悪くなる一方だな」

「貴方の事態も悪くなる一方ね、藍」

「ゆ、紫様!?」

 

いつからそこにいたのか、縁起の悪い笑顔を浮かべた少女がそこに立っていた。確か、こいつの主人だったか。

 

「藍、私は勝手に戦うなとあれほど教えたでしょ? 言いつけを守らない式神にはお仕置きが必要ね」

「で、ですが紫様、ここで戦わなければ川尻浩作は……」

「貴方はいつから主人に口答えできるくらい偉くなったのかしら?」

 

傘で叩かれる藍を放置し、私はその場を立ち去る。ふと目に留まった花を見て、空を見ても、この心は一向に晴れる気配はない。私の心に平穏など訪れるのだろうか? 紫の声と藍の泣き声を耳にしながら、私は消えない苛立ちを抑え、紫の背中を静かに(にら)んだ。

 

【プロガノケリスーー死亡】

 

 

 

走る、走る、走る。出口など、ここが今どこかなどもう忘れてしまった。息が乱れ、蒸し暑さと疲労で流れた汗で髪が彼女の顔に張り付き邪魔をする。全力疾走を続けるなど何日ぶりだろうか? それとも何週間ぶりだろうか? もう思い出せないくらい昔の様に、彼女には感じられる。

 

横目で隣を見れば、慧音と目が合った。しかし慧音はすぐに前を向き、彼女もただ走り続ける。彼女達は走り続けるしかない。そうすることでしか、生き残れない。

 

突如、彼女達の目の前に黒い何かが降り立つ。黒い体、肩から生えたマント、辺りを飛び回るコウモリ達。コウモリ伯爵。たった1人で、彼女達を追い詰めた妖怪。

 

「運命を受け入れろ」

 

伯爵はただ悠然と距離を詰める。自分は負けないという、確固たる自信。自分が圧倒的に勝っているという、事実。彼女達の攻撃は全て無駄だという確信。伯爵にとって、彼女達は無様に逃げ回るネズミでしかない。

 

まるで警戒する様子を見せず、構えもとらず歩み寄る伯爵は完全に無防備。彼女達とて、無策で逃げ回っていた訳ではない。全ては、この一撃のため。伯爵にこの一撃を食らわせるための逃走。後ろ手に握り締めたミニ八卦炉を持つ手に自然と力が入り、心臓の鼓動が高鳴る。

 

彼女がミニ八卦炉を構えたのと、伯爵が駆け出そうとしたのはほぼ同時。そこで初めて伯爵の異形の顔に焦りが浮かんだ。ミニ八卦炉へと集中していく魔力の波は収束し、絶大な破壊力となって伯爵に放たれた。

 

最終手段であるファイナルスパークを撃ち終わった時、そこには伯爵の姿はなく、ただ荒涼(こうりょう)な景色が広がっているだけ。彼女の正面には木の一本すら生えず、太陽が暖かい光で森を照らす。

 

「や、やったのか……?」

「ここだ」

 

暗がりから声がした。それは彼女にとって、絶対に信じたくない現実。

 

「この地球上で、1秒間にどれだけの命が死に、生まれているのか。我々は我々以外の生命を忘れてしまう様にできている。だがふと思い出す。虫や草、土壌の微生物。命は傷つけ合い、奪い合い、蹴落としあい生きている。それはこの社会と、この幻想郷のあり方と何が違うのか。弱き者は倒れ、強き者が君臨する。それがこの世界のあるべき姿だ。上っ面の仲良しこよしの遊戯(ゆうぎ)など、刹那(せつな)の夢にすぎん。世界の有り様は始めから決定されているのだ。嘘を取り払い、真実と向き合うことの何が不満だ」

 

伯爵の声は、慧音が弾幕を浴びせようと聞こえ続ける。強き者が弱き者を踏みつける、それがこの世界の法則だと言うのなら。今ここで踏みつけられるのは彼女達なのだろう。

 

弾幕の合間を縫い、紫色の線が彼女達の足を貫通した。土煙の向こうから現れた伯爵は傷1つないまま、激痛に身悶える彼女達に近づく。慧音は伯爵を見ながら絶望という言葉の意味を知った。絶望とは、暗い迷路の中、どこが出口なのかも分からないままあがき続け、疲労と共に暗闇に沈むことなのだと。

 

恐怖はなかった。痛みも既になかった。自分はここで死ぬのだと、ただ冷静に自分を見つめているだけだった。その時、森の静寂を騒音がかき消す。

 

「MMOOHH! テメエの臓物ぶちまけやがれ博麗(はくれい)の巫女さんよォー!」

 

木々を薙ぎ倒しながら現れたのは白を基調とした巨大な鉄の箱。それは外の世界で救急車と呼ばれる物だった。備え付けられた太い車輪は地面を抉りながら回転し、(いのしし)の様に突進する。それに乗る腐った人間が睨む先にいたのは、博麗の巫女、博麗霊夢。

 

「アッ!? よ、避けてください伯爵ゥー!」

 

乗り物の先にいた者。意外、それは伯爵。しかし伯爵はゆっくりとした動作で手を動かし、力も込めず乗り物を殴り飛ばした。乗り物のフロントには無惨にも穴が空き、腐った人間の顔面には柔らかい布が叩きつけられる。

 

宙を舞った乗り物が落下した音を聞き、彼女達は我に帰った。

 

「霊夢、なんでここに!?」

「早く逃げるんだ、殺されるぞ!」

「殺される? この幻想郷で何言ってんのよ」

 

腐った人間はもう行動不能と判断した霊夢は地面に降り、彼女達に近寄る。しかしその目は佇む伯爵に向けられ、手には妖怪退治用のお札を(たずさ)え警戒は怠らない。

 

「博麗霊夢……天賦(てんぷ)の才を持った、()()()人間」

「私のことを知ってるなら、早く逃げた方がいいわよ。退治されたくないならね」

「退治? そう、退治……」

 

次の瞬間、森に笑い声が反響した。声の主は顔を押さえ、腹を押さえ、心底おかしいと背筋を丸める。笑いが過ぎて過呼吸になったのか咳き込む声が聞こえ、しかしそれでも笑いが収まる気配はない。彼女達には、何が面白いのかまるで理解ができない。

 

「ククク……やはり、幻想郷に住む眷属(けんぞく)は退化したのかもしれんな」

「何が面白いのかわからないんだけど」

「いや無礼を働いた。謝罪しよう。私を妖怪だと認識していることが面白かったのでね」

 

伯爵は未だ肩を震わせながら謝罪をする。上っ面の謝罪を。

 

「自分は妖怪じゃないって思ってるみたいだけど、それはどうかしら」

「確かめてみるがいい」

 

その言葉を合図に、霊夢はお札を投げ伯爵に命中させる。そのお札は自然と伯爵の体に貼り付き微かな光を放った後、沈黙する。続け様に中程度の光球を発生させると共に、その光球の弾幕が伯爵を襲う。妖怪が最も嫌い、最も恐れる神の威光を体現した光球。それは弱い妖怪ならば触れるだけで封印可能の凶器。伯爵はそれを、指で(はじ)いた。

 

弾かれた光球が別の光球にぶつかり、それによって軌道を変化させられた光球がまた別の光球に衝突する。極めて単純な連鎖反応。たった指1本。光球は全て伯爵を避けて地面に着弾、動くことすらせず回避してしまう。たったそれだけで、彼女の技は敗れ去った。

 

へし折れ黒焦げた指が治っていく様を見ながら、伯爵は体に貼り付いたお札をただの紙クズ同然に破り捨てる。

 

「れ、霊夢……」

「…………魔理沙、慧音、逃げるわよ!」

 

弾幕を置き土産に、霊夢は彼女達を連れ立ち空を飛んで逃げ去る。もし伯爵がお札を、光球を嫌がる素振りを見せたなら、霊夢は勝っていただろう。しかし真実はこうだ。伯爵は関心すら示さず、効果すら発揮されていない。これは伯爵が妖怪などではない、何よりの証明。

 

伯爵は飛び去って行った彼女達を追わず、太陽を忌々しげに睨みつけた。

 

 

 

蝉の鳴く、暑い夏の日のことだった。多くの者にとって変わらない日常が流れて行く。ふと、彼女達は空から幻想郷を見下ろした。そこにあったのはいつもと変わらない景色。いつも通りの、何年も前から姿を変えない幻想郷。一陣の風が吹いた。身も心も凍りつく様な、生暖かい風だった。

 

何が起ころうとしているのか、少女達にはそれを知る術は無い。ただ、何かが変わった。変わってしまった。果たしてどれだけの者が変化に気づいたのか、気づいたのは少女達だけなのか。多くの者にとって、今日もまた変わらない日常が流れて行く。

 

石仮面は、静かに時を待つ




「プロガノケリス」
パワーC スピードD 持続力B 射程距離なし 精密動作性C 成長性E
2億年以上生きた亀の妖怪。聴力が弱く白内障を患っている。水を操る程度の能力を持つが、水のない場所に逃げ込まれると位置を把握できない。柱の鬼の力によって強化されているらしい。その後死体はキラークイーンの能力で消滅した。


弾幕の威力については花京院のエメラルドスプラッシュを基準にしています。柱の鬼については2部リスペクトの一環で、闇の一族ではありません。読みにくかったりしたらご意見ください。

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