ガールズ&パンツァー 乱れ髪の乙女達   作:長串望

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乱れ髪シリーズ番外。バレンタインデーに引き続きホワイトデーのお返し。
角谷杏生徒会長がひたすら突っ込むだけの一人称突込み劇。


円周率は割り切れない

 3月14日。そう、ご存じアルベルト・アインシュタインの誕生日だ。数学の日でもいい。何なら円周率、つまりパイの日だっていい。

 勿論そんな言い逃れが通用しないことは知っている。先月は忙しくて構ってあげられないと通達しておいたにもかかわらず、手の込んだケーキまで手作りして待ちかまえていたものだから、ただでさえ小さい心臓が掌で転がせるくらいに縮こまってしまって、不調気味の肝までキンキンに冷えてしまった。

 バレンタインデーに関しては、自分にリボン巻いて私がプレゼントという荒業で何とかなったが、確実に翌日動けなくなるので安売りしたくはない。別にその、する、こと自体は嫌ではないが、寧ろあとに響かない程度なら、気持ちいいし、西住ちゃんのぬくもりを感じられるし、大歓迎なのだが、何しろ盛り上がった西住ちゃんは厄介だ。普段の倍以上ねちっこく丁寧に触られたし、耳から脳みそ溶かされるんじゃないかってくらい甘い声で好きとか愛してるとか杏さんとかいろいろ言ってくるし、それに、まさか残ったケーキをあんな使い方するとは思わなかった。頭がおかしいんじゃなかろうかと思って後で調べたら存外検索結果がぼろぼろ出てきて寧ろおかしいのはこの世界の方だった。

 いやぁ、世の中知らない事の方が多いもんだ。知らない方がよかったといってもいい。

 西住ちゃんが私がプレゼント的なオーソドックスな古典的シチュエーションに思いの外興奮することとか、出来れば知らないままでいたかった。

 あと私の喉にあんな声域が秘められていたこととか、私も知らない性感帯が私の体に存在していたこととか、私の味ってあんなのだったのかとか、知るべきではなかったことが盛りだくさんだった。あれ、なんとかなってなくないかこれ。

 まあそんなことはどうでもいい。大事なのはこれからのことだ。

 頼んだわけでもないバレンタインデーの贈り物のお返しを強要される日本発祥の悪習に立ち向かわなければならないのだ。

 恋人持ちの私にバレンタインデーをサービス残業で過ごさせたお詫びとして、河嶋と小山に今日一日休みを貰っている。理解があるのは嬉しいし、バレンタインデーほど忙しくはないから心配はしていないが、小山のわかってますよという顔が非常に腹立たしかった。あと河嶋、お前は会長が幸せならそれでいいんですとかいう悲壮な顔をやめろ。おなかいたくなる。

 いま私は生徒会長執務室に籠って、応接用のソファで寛いでいる。隣室では小山と河嶋がホワイトデー商戦の書類と格闘している頃だろう。時計を確認すれば約束の時間までもう少しだ。

 前回の敗因は、時と場所と都合を全て西住ちゃんに握られていたことだ。今回はそんな愚は犯さない。プレゼントは用意した。時間も場所も私が指定して西住ちゃんを呼び出した。まだ日も高い昼休み。すぐ隣の部屋には生徒会役員。さしもの西住ちゃんも不埒な真似は出来まい。

 健全にプレゼントを交換し、健全にストロベリって、週刊少年漫画雑誌に掲載できそうな程度の添え物程度のイチャラブを繰り広げて、そしてお開き。高校生は高校生らしく午後の授業へと戻る。これだ。

 二度目の告白劇を繰り広げてからこっち、どうも不純同性交遊が過ぎている。風紀委員長にもちくちく言われているし、私もこれ以上は溺れてしまいそうで危機感が酷いので、適切な距離感を引き直さなければならない。

 と、気を引き締めた所でノックの音。

 時計を見れば約束のきっちり五分前。彼女らしい。

 入室を許可すれば、ドアの向こうから現れるにこやかな西住ちゃん。何時見てもミリ単位で正確に構成された素敵な笑顔だ。ここまで来るともはや熟練の技と感心するレベル。最大多数に対して警戒心と緊張の緩和を促す匠の笑顔だ。

「お疲れ様です、会長さん」

「やあやあ西住ちゃん。まま、座って座って」

 大事なのは終始こちらのペースで進めることだ。

 西住姉によれば、そして西住ちゃん本人が語ってくれたところによれば、西住ちゃんは他人に対して共感するという機能がほとんど完全に死んでいる。人並みに痛みも感じれば喜びもするし悲しみもするけれど、他人の痛みを感じられないし、喜びも悲しみも分かち合えない。

 それでも西住ちゃんは一見する限り極めて正常にコミュニケーションを取り、それどころか隊員の機微を察し、それぞれの長所を伸ばす鍛え方をして見せる。敵の作戦を読み取り、裏をかく事さえして見せる。

 普通の人間が生まれつき持つ共感能力無しに、西住ちゃんは物心ついたときから積み重ねてきた人間観察の経験と、それに基づく論理的な推測のみで推し量っている。恐ろしく器用な真似だ。西住姉が西住ちゃんを指して、人間社会に潜むモンスター扱いするのもわかる話だ。

 西住ちゃんは他人の気持ちなど欠片もわからないが、他人の思いなど微塵もわからないが、他人のこころなど何一つとてわからないが、だからこそ誰よりも興味をそそられ、好奇心のままに学んだのだ。暴いたのだ。晒しあげたのだ。人間の心理というものを。

 西住みほは心がわからない。だが誰よりも心理を読むことに長けているのだ。

 その西住ちゃんにペースを取られれば命取りだ。

 …………フムン。おかしいな。私はホワイトデーを週刊少年漫画程度にストロベリる予定の筈なのだが。週刊少年漫画程度の異能バトル要素はいまいらなくないか。

 まあいい、私のペースで進めればいいのだ。

 西住ちゃんは私の勧めに従ってにこにことソファに、うん、ソファにね、腰掛けた。そうだね。私座ってって言ったもんね。でもね西住ちゃん。これね、応接セットなんだ。ソファがあってね。テーブルがあってね。その向かいにソファがあってね。うん。安物だけど結構座り心地よくて気にいってるんだ。でもね、そういうことじゃなくてね。

「近い。ちかーいよー、西住ちゃん」

「私は気にしませんけど」

「気にして。お願い気にして」

 なんで隣なんだよ。向かいのソファだよ座るのは。これから二人仲良く映画でも見ようってんじゃないんだからさ。そりゃね、恋人同士だしさ、横並びに座るのもいいと思うよ。会長そういうのは責めない。でもね、これね、このソファね、会長の座ってるソファね、一人掛けだから。なんで一人掛けの定員一杯のソファに平然と尻ねじ込んできてるの西住ちゃん。隣に座りたい気持ちはわかるけど、だったらもう一脚あるよねソファ。なんでこんなぎちぎちになってんの。

「……もしや、狭かったですか?」

「狭いよ。もしやじゃないよ。あからさまに狭いよ」

「会長さん小さいからいけるんじゃないかと」

「西住ちゃん人並みには頭いいんだからさ、人並みの常識も身に着けようよ」

「会長さんが私を狂わせるんです」

「狂ってるのは生まれつきでしょ」

「私が狂ってるなんて言う世界の方が狂ってるんですよ」

「くっそ純粋な目で」

 いけない。公衆の面前で無様なプロポーズかますという西住みほ史に残る醜態を晒したせいか、完全に開き直ってナチュラルボーンサイコレズだからという理屈で押し通そうとしてきている。自分は狂っているから仕方がないんですなんて言い訳する奴が許されてたまるか。大体西住ちゃん精神鑑定にも引っかからないタイプの健全な異常者じゃないか。

 もういい。あんまりこだわるとますます西住ちゃんのペースにはめられる。ついには「三次元的にはまだスペースが余ってますね」とか言いながら私をひょいと持ち上げて膝の上に載せ始めたが、もう突っ込まないぞ私は。なんだかんだ絶妙な抱かれ心地で悪くないし。抱きしめられている柔らかな感触と体温に心が安らいでいくと同時に、自分の腹の辺りに回されてゆるく拘束している腕に細やかな不安を感じる。どんだけ精神不安定なんだ私は。

 膝の上で抱かれたまま、おーい、と隣室の河嶋に珈琲を寄越すよう頼んでおく。西住ちゃんが隣に人がいることを忘れて暴走しちゃ困るからね。

 さて、ローテーブルに置いておいた箱を手に取る。今日の為に用意したプレゼントだ。ラッピングも頑張った。

「はい、西住ちゃん。ホワイトデーのお返し」

「ありがとうございます。開けても?」

「勿論」

 私の肩越しに箱を覗き込んで、楽しげな笑顔で丁寧に包装を解いていく西住ちゃん。箱を開けばそこにはふわりと柔らかなクリームに覆われたケーキの姿だ。

「まあ、流石に三倍って訳にはいかなかったけど、頑張って手作りしたんだ」

「会長さん……!」

「ふふん。これでも料理は得意だからね」

「そんなにケーキを使ったプレイが気に入ったんですね……!」

「ちょっとメートル下げよっか西住ちゃん」

 ダメだこの西住。開き直ったせいかポンコツ化が進んでる。やめろ。プレイとかいうの止めろ。私の体に盛り付ける為に作ったんじゃないんだよこの乙女の恋心の結晶は。結果的に西住ちゃんの口に入るにしろ過程が最悪だ。料理とかお菓子とかいうものは作った人間の気持ちが込められたものであって、それを用法用量を守らないで使用するのは、作ってた人間の気持ちを踏みにじる行為なんだよ西住ちゃん。例え最終的に私が「もっと」しか言えなくなってしまうとしてもそれは迸る青春のせいであって私のせいではないんだ。

 西住ちゃんは嬉しそうにケーキを眺めた後、一度ローテーブルに置きなおす。

「会長さん、私からもホワイトデーのお返しがあるんです」

「あー、うん。お手柔らかに頼むよ」

 入室時点で一見手ぶらだったから、いったいどんなプレゼントをかましてくるかとは警戒していた。問題は対処法は思いつかなかったということだ。例え受験勉強考える前に大学の方から招待が来ている私といえど、何をされるかわからないのでは対処の仕様がない。一応時間と場所を指定することで予防線は張ったが、さてどう来るか。

 西住ちゃんはもぞもぞとポケットから小さな箱を取り出して、私の前に掲げて見せた。本当に小さな箱だ。掌に載るくらいしかない。しかし箱自体は高級感漂うもので、私のケーキのような如何にも手作りでございというホームメイド感は全くない。

「えーと……これは?」

「喜んでもらえるか不安だったんですけど、まずは第一歩と思って」

 信じてもらうための第一歩。そういって西住ちゃんは箱をそっと開けた。

 小さな箱の中の、その更に小さなスペースに、そっと鎮座していたのは、指輪だった。

 美しく白く輝くリングに、きらりと照明を反射する赤い宝石。

「私はまだ、お金もないし、仕事もないし、何にもできない学生の身分ですけど、受け取ってもらえると嬉しいです」

「え、に、西住ちゃん、これって」

「エンゲージリングです。私がちゃんと、会長さんの事、お嫁さんにしたい位大好きだって、信じて貰いたくて」

「そんな……でも」

「受け取って、貰えますか?」

 思わず涙ぐみそうになった。高校生が婚約指輪だなんて、笑われるかもしれない。若気の至りだとか言われるかもしれない。でも、私はとても嬉しかった。きっとこれは、西住ちゃんが大真面目に考えた品なのだ。背中越しに、とくとくと少し早い鼓動が感じられる。全然共感できない人間たちの間で平然と作り笑いできるような器用な怪物が、どこまでも不器用に愛を囁く。それはとても健気で、気持ちの良い物だった。決して安いものではなかったろうに……うん?

「…………西住ちゃん、これ、何処で買ったの?」

 西住ちゃんが何でもないように答えた店名は、学園艦内部の物ではない。前回寄港した大洗町の、ガチな宝石店だ。少なくとも高校生がほいほい入れる店ではない。しかもなんだこれ。プラチナのリングに、宝石は多分私の誕生石のガーネットに、小粒のダイヤ。デザインもこれ既製品っぽくない。

「…………え。何これ……幾らしたの……?」

「私、意外と小金持ちなんですよ。今の世の中、顔が見えなくてもお金が稼げる副業ってネットに幾らでも転がってますから」

「金も仕事もない学生は何処行った」

「散歩に」

「かっるいなー」

「でも恋と愛はありますよ」

「他人の気持ちと比較できないのに?」

「言葉で定義することはできます」

「使用してる言語規格が違う子に言われてもなあ」

「身体が欲しがるのはみんな一緒でしょう」

「私って生理的欲求の対象なんだ」

「角谷杏分が足りてません」

「わぷ」

 ぎゅうと抱きしめられながら、きらきら光る指輪を眺める。どういうお金でどういう風に購入されたかはわからないが、少なくとも綺麗な指輪であることは確かだ。私が西住みほという人間をまるで理解できないながらに、その酷く純粋な様を美しいと思うように。

「ところで指輪のサイズ教えた覚えがないんだけど」

「会長さんの体の事で私が知らないことがあるわけないじゃないですか」

「わーお、嫌な説得力」

「私の愛は信じて貰えました?」

「あー、そうだね、怖い位には」

 多分この子は、私と買い物に行ったら、洋服店で私のサイズをそらで店員に伝えられることだろう。かなりストーカーじみた怖さを感じるが、しかしそれが西住ちゃんなりの愛なのだろう。知りたいと思ったらとめることが出来ない。徹底的に調べ上げることで、知りつくすことで、彼女は対象を支配し、それでようやく胸の内に収めることが出来るのだ。願わくは、かつて彼女が幼少期に小動物にそうしたように、私の事を解体して味を確かめようとしない事を祈ろう。どれだけ欲しがろうと、私の体を開いたところで、西住ちゃんの欲しがる私のこころなんてものは見つかりはしないのだから。

「んー、でも、嬉しいけど、戦車乗る時は指輪はめられないから、ネックレスみたいにしておくよ」

「そうですね。生徒会長自らアクセサリーするのも、怒られちゃうかもしれませんし」

 会長さんのサイズだったらこのくらいの長さですかね、とケーキのラッピングに使ったリボンで長さをはかる西住ちゃん。放課後にでも首にかけるチェーンを買いに行こうか。

 指輪をそっと箱から取り上げ、左手の小指にはめてみる。ちょっと気持ち悪くなる位ジャストフィットだ。にしずみあんず、と何となく呟いて、死にたくなる。

 所で西住ちゃん、ネックレスのサイズを考慮するにあたって私のシャツのボタンを外す意味が解らないんだけど。

「会長さんが指輪してにやつくので」

「ごめん、日本語でお願い」

「ムラムラしました。頂きます」

「ほんっと西住ちゃんのスイッチわからないんだけど」

 ためらいなく脱がせにかかる西住ちゃんの手を必死に抑えるが、さすが西住みほ。子供のころから戦車道やってただけあって見かけ以上に腕力があるし、子供のころからブレーキペダルをどっかに落っことしてきただけあって遠慮というものがない。

「か、かーしまー! 助けてかーしまー!」

「河嶋先輩は来ませんよ」

 楽しげな声が耳元でささやく。そういえば河嶋に珈琲を頼んでいたのに何時まで経っても来ない。どういうことだ。まさか。

「部屋に入る前に、河嶋先輩には生徒が探してたって吹き込んでおきました。生徒思いで真面目な先輩で助かります」

 河嶋ー! お前の仕事は私の身を守る事だぞ河嶋ー!

 いや待て、まだだ。まだ小山がいる。小山は河嶋ほど甘くはない。そうやすやすと口車には乗せられまい。

「こ、こやまー! はやくきてー!」

「小山先輩は賢いから来ませんよ」

「え」

「部屋に入る前に、戦車道での不満をちょっとぼやいてきました。会長は学園に身を捧げた人ですと言質は取ってきました」

 売られた!? 私売られたのか!? 信頼はしていなかったが信用はしていただけにショックだ。しかし小山の性格上、河嶋が見てないなら、私がどうなろうと利益につながる以上、放置するのは目に見えていた。しまった。いっそ河嶋を室内に置いておくべきだった。最後の良心ではあるが無能だというこの使い勝手の悪さ。

「最近胃薬も増えてますし、体重減ってるみたいですからチェックもかねて丁寧にいきましょうねー」

「だ、誰のせいだとッ!?」

 

 午後の授業は自主欠席した。

 

 

 


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