ガールズ&パンツァー 乱れ髪の乙女達   作:長串望

5 / 37
「バレンタインデーの由来となった聖ウァレンティヌスは、恋人達の為に頑張った結果、処刑されたそうですよ」
「へ、へえ、そうなんだ」
「長生きしたければ自分の事だけ見ていろ。永遠に生きたければ人の事を祝福しろ。どちらを選んでも心安らかには暮せそうにないですね」
「あの、それバレンタインデーに私に教えるのは何でかな?」
「えへへ」

バレンタインデー短編。


聖ウァレンティヌスも見ない振り

 疲れていた。とにかく疲れていた。

 生徒会執務室を出た時に確認した、確認してしまった時計が示していた時間は23時過ぎだった。労働基準法は、残念ながら機能していない。そもそも黙らせたのは横暴を特権とする生徒会会長たる自分だ。

 生徒の健全な学業と成長期の身体のためにも、超過労働は極力無くしていきたいところだが、大洗は今も予算かつかつ、資材からっけつだ。それを誤魔化すためには多少の残業は多めに見なくてはならないし、幾許かの皺寄せは生徒会長たる自分が背負わなければならない。

 だが事実を事実としても、自分が決めたことだとしても、疲れない訳ではないし、クソッタレと思わない訳でもない。

 だから人目のあるところでは干し芋を齧りながら飄々とした態度を崩さずにいたとしても、誰の目もないような自室付近まで来れば流石に目も死んでくるし、背も曲がるし、溜息も売る程にこぼれてくる。売れないだろうか。現役ロリ顔女子高生の溜息。リッターいくらで売れるだろうか。小山に計算させようか。

 現実逃避も程々にして、辿り着いた自室の扉に鍵を通す。

 疲れた。とにかく疲れた。今日はもう風呂は諦めて、明日の朝シャワーを浴びよう。そんなことを考えながら扉を開けると、暖かい部屋が迎えてくれる。

「…………あれ?」

 暖かい。

 それに明かりがついている。

 朝出た時に暖房と電灯をつけっぱなしだっただろうか。回らない頭では思い出せない。

 靴を脱ごうと視線を降ろすと、見慣れた、しかし本来ここにあるべきではない靴が一足。

「あー…………」

 色々と思う所はあるが、面倒臭い。とにかく疲れているのだ。

 のたのたと部屋に上がれば、予想通りの顔が出迎えてくれる。

「あ、会長さん、おかえりなさい。遅くまでお疲れ様です」

 大洗女子学園戦車隊隊長、西住みほの柔らかな微笑みが待っていた。

 我ながら本当に病気というか、ちょろいというか、先程まで全身を侵していた疲労が、少なくとも精神面に関してはすっと軽くなる。だが悪くはない。恋人の微笑みに気分がよくならない方がおかしいのだ。

 その誰もが心安らぐような穏やかな微笑みが、いまだに理解し難い精神構造が作り上げたもっとも人を油断させる為のものなのだとしてもだ。

 鞄を適当に放り投げ、西住ちゃんが暖めておいてくれたらしい炬燵に、対面になるように座って脚を突っ込む。ああ、暖かい。疲れた脚にじんわりと熱が伝わってくる。途端に、今までギリギリの所で堪えていた、プライドとか意地とかそういうもので支えられていた生徒会長という殻ががらがら崩れて行く。

 ぐったりと炬燵の天板に倒れ込み、冷たい天板に頬を押し付ける。

 素の自分は、同じ生徒会役員である小山や河嶋にもなかなか晒せるものではない。二人にはかなり多大な信頼を置いている。友人としても、多分最高の親友だ。けれどそれでも、だからこそ、身内だからこそ、私は背筋を伸ばして頼れる角谷杏を演じなければならない。

 その点、西住ちゃんにはそういう気遣いは要らない。恋人には格好つけなくちゃとか、可愛くして見せなければとか、そういうことを考えなくていい。西住ちゃんが気に入っているのは、そういう角谷杏じゃなくて、西住ちゃんの一挙手一投足にがたがた震える子ネズミの角谷杏なのだから。

 ずりずりと体を起こし、にこにこと何が楽しいのかこちらを眺めて微笑んでいる西住ちゃん。その、相変わらずどこまでも純粋な、カメラ・アイか昆虫の目みたいな綺麗な瞳を見つめ返しながら、ふと怖くなって気になったことを尋ねる。

「あのさ、西住ちゃん」

「なんですか、会長さん」

「どうやって入ったの?」

 先程自分で鍵を開けた記憶ははっきりしているし、ということは今朝、鍵は閉めたはずだ。その件を問いただすと、にっこり笑顔で合鍵を取り出された。

 ああ、そうか。合鍵か。学園の最高責任者として、自分に何かあった時の為にも、この部屋の合鍵は作ってある。それを使えば簡単に入れる。問題は、その合鍵は生徒会室のダイヤルキー付きの金庫の中にあって、それを開けられるのは役員の二人だけだという事実だが。

 でも深く突っ込むと怖いのでそれ以上聞くのは止めておいた。

 一番安全な所で、時間をかけてダイヤルキーの番号を突き止めた。次点で河嶋辺りを言いくるめて開けさせた。私から盗んで合鍵を作ったという一番ヤバ目で、一番ありそうな想像は、精神衛生上宜しくねないので頭を振るって振り払う。

「えっと……まあ、西住ちゃんだしさ、いつ来てもらってもいいけど、何か用でもあったかな? 今日みたいに遅くなる日もあるから、連絡してくれると嬉しいんだけど」

「えへへ、ちょっとサプライズしたくて」

 まったく、とろけそうな微笑みだ。私は西住ちゃんに随分惚れ込んでいるのだけれど、いまだにこの笑みを前にすると、ぞわぞわして腰が引けて逃げそうになる。多分、今までの人生で培った危機管理意識辺りが警告を鳴らしているのだろう。

 はいどうぞ、と西住ちゃんが手渡してきたのは、赤い包装紙で綺麗にラッピングされた箱だった。

「えーっと。開けても?」

「勿論」

 リボンに手をかけ、包装紙を丁寧に取り払い、やや手に余る大きさの紙箱を開ける。

「あー……これってさ」

「はい。バレンタインのチョコです」

 チョコというか、チョコケーキだね。4号サイズのホールケーキで、デコレーション用の色つきのシュガーパウダーなんかで、可愛らしく彩られている。大きく描かれたハートマークの真ん中には、「会長さんへ」という一言。どうやら手作りらしい。

 一度箱を閉めて、ついでに目もつぶって、ゆっくりと深呼吸。

 手作りか。

 万感の思いだ。

 ケーキの箱を持って、炬燵を出る。

「ありがとう、西住ちゃん。珈琲でも淹れるから、一緒に食べよっか」

「ありがとうございます」

 こちらの反応を心の底から楽しむとろけた様な微笑みを背に、私はキッチンに向かう。薬缶を火にかけ、西住ちゃん用に買った高めの珈琲を用意しながら、この非常にヤバいシチュエーションをどう乗り切るか、全力で頭を回転させ始めたのだった。

 

 そうだ。今日はバレンタインデーだった。

 忘れていた訳ではない。というか先程までしていた仕事も、購買部のバレンタインイベントや、食堂のバレンタイン特別メニュー、その他とにかくバレンタインデーにかこつけたイベントやらなんやらの後始末だったのだ。ここが稼ぎ所だと言わんばかりに積み上げられたバレンタインデー関連の書類を、会計やら施設やら複数部署を巻き込んで処理し終えたのがついさっきなのだ。

 だから今日がバレンタインデーだということはよくわかっている。一年で一番バレンタインデーが嫌いになる日だ。

 さて、手元にはかなり手の込んだチョコレートケーキ。切り分けて小皿に並べてみたが、中もフルーツやチョコクリームがふんだんに使われた念の入れよう。

 普段西住ちゃんは全然料理なんかしないし、放っておくとコンビニのパンとか弁当だけで済ませる様な人種。最近だと、ともすれば飯時を狙って顔を出して晩飯をたかるような有様だ。その西住ちゃんが、まあやれば大抵そつなくこなせてしまう人種であるにしても、ここまでがっつり気合の入ったケーキとは。

 一方で、私はと言えば、何も用意していない。というかそういうものだという認識がなかった。生徒会長をやり始めてからというもの、バレンタインデーなんて言うものは書類を処理する日であり、よくて売店で買った100円しないような駄菓子を友チョコだとかいって小山や河嶋と交換するくらいだ。だから恋人同士のイベントという発想がすっかり抜け落ちていた。

 というか、あの西住みほとそういったイベントという、このふたつが脳内でうまくかみ合わなかったのもある。西住ちゃんは大人しくしていれば可愛いし、ちゃんと女子高生だし、そりゃあバレンタインデーを楽しんだりもするだろう。普通なら。だが頬を染めてチョコを手渡すような心温まる光景は全く想像できなかった。先ほど心胆寒からしめるような笑みで渡されたが。

 さて、どうするか。

 こんな手の込んだものを頂戴しておきながら、ごめんね、なんにも用意していないんだではまずい。恋人相手にそんな対応余りにもひどいし、西住ちゃん相手にそのような謝罪が通じるとは思えない。

 しかし用意できないものは用意できない。菓子作りの材料など常備していないし、あった所で当人もすぐそこにいるのに今から作るなど無理だ。

 いや待て、バレンタインはチョコに限った日ではない。製菓業界に踊らされてはいけない。花をプレゼントしたり、そういうのもあるはずだ。問題は我が家には最低限の物しかないのでプレゼント用に見繕うものなど何一つない事だが。

 どうする。うちにある余剰品など西住ちゃん用に買ったこの珈琲しかないし、冷蔵庫にも常備菜くらいしかない。後はなんだ。干し芋か。貰ってうれしいか、バレンタインに、干し芋。

 そうこうするうちにケトルが時間切れを告げる様に鳴き始める。煩い。ロスタイムだ。カップとポットにお湯を注いで暖め、捨てる。フィルターをセットし、湯を注ぎ、蒸らす。

 大体なあ、こんな時間に待ち構えているというのがきつい。もっと早い時間であれば二人でディナーでも、なんて誤魔化しが利いただろうに、それをこんな遅い時間に…………いや待て。

 そもそも今日は忙しいから構ってあげられそうにないということは伝えていたはずだ。実際私は帰るなり寝ようと思っていたくらいだ。それをわざわざ合鍵まで使って侵入して待ちかまえ、こんな手の込んだケーキまで用意するとは。

 お湯を注いでコーヒーを抽出しながら、考える。

 これが普通の恋人なら、忙しいかもしれないけど、せめて自分からはチョコを手渡したかったとかなんとかそういう乙女な事情があったのかもしれないが、相手は西住家のモンスターチャイルド西住みほだ。そんな非合理的な理由だけで動くわけがない。

 これはもしかすると、あれか。連絡しなかったのも、遅くなるとわかって待ち構えたのも、何か立派なお返しをと考えざるを得ない手の込んだケーキも、あれか。負い目を作る、そのためだけか。これだけしたのに会長さんからは何もないんですかというそういうあれか。私の困った顔をたっぷり鑑賞した後、仕置きに移るという寸法か。

 抽出を終えた珈琲をカップに注ぎ、ケーキと一緒に炬燵へと運ぶ。

「改めて、ありがとうね、西住ちゃん」

「いえいえ、恋人同士なんですから。折角のバレンタインデーにこれくらいは」

 ほーら来た。恋人同士。これくらい。そんな言葉攻めで私は辛くなるとでも思ったか。その通りだよ。例え目の前の相手が仕掛けた罠の中とはいえ、バレンタインデーに恋人へのプレゼントを用意せずあまつさえさっさと寝ようとか考えていた自分に、きりきりと胃が痛くなる。

 西住ちゃんの微笑みに背筋を冷や汗が流れ、楽しげに見つめるガラス玉のような視線に吐き気がこみ上げてくる。

 きっと素直に謝れば、西住ちゃんは許してくれるだろう。慈悲深く、心優しく、そっと撫でながら許してくれるだろう。そうして更に私の罪悪感を強めて自分で自分を縛らせ、苦しませるのだ。西住ちゃんは私がそうして餌付きながら許しを請うのを見て、自分の絶対的支配下にあるのを見て、心の安寧と私への愛情を新たにするのだ。つまり、ペットに対する愛を。

「ごめんね西住ちゃん、私仕事で忙しくて、すっかり忘れちゃってて」

「…………いいんですよ、会長さんは忙しい方ですから。仕方ないですから」

 寂しそうな笑顔でそんなことを言う西住ちゃん。これだ。演技だとわかっていても、申し訳なさが勝手に引き出されていく。私の事などペット程度にしか思っていないだろうに、いや、ペット程度に思っているからか、幾らでも玩具にしていたぶってくる。

 だが私もいつまでも負けてばかりではない。西住姉との会話で、いくらか勇気はもらえたのだ。

「だからさ、チョコ以外を用意したんだ」

「えっ」

「チョコ以外」

 動揺する西住ちゃん。まさか私が、こんな時間になってから何か用意できるとは思ってもいなかったのだろう。西住姉から少し聞いただけだが、西住ちゃんは予定が狂うのが苦手なのだ。戦車道では臨機応変に動いているようだが、あれも西住ちゃんなりの戦術理論に従って動いているだけ。だからその理論で対応できる限界を迎えると、とたん脆くなる。入念に仕掛けられた罠を抜けるには、罠を食い破るしかない。

 私は先程までケーキの箱に結ばれていたリボンをくるくると広げ、自分の首に巻いた。きゅっとしめると、少し苦しい。けほ、と軽く咳き込むと、西住ちゃんはピクリと肩を揺らして、私を、私の首元を凝視した。微笑みは中途半端な仕上がりで固まり、目だけがじっとこちらを見つめている。

「西住ちゃんは結構オーソドックスなのが好きなんじゃないかと思ってね」

 どろりと濁った眼に、私は心から微笑んだ。

「プレゼントは私って奴…………明日は戦車道、お休みにしよっか」

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。