「娘さんを私に下さいっ」
「……うーん」
「……だ、ダメか?」
「駄目というか、何というか……私相手に練習ってどうなんだろうなあ、と」
大学生活も慣れてきたころ、まほさんの実家、つまりは西住流本家で、私はまほさんの極めて下らない練習に散々付き合わされていた。
いや、本人はいたって真面目なのだけれど、両親への挨拶の練習をよりにもよって貰おうとしてる娘相手にしているのはどうなのだろう。いや、両親から見た視点とか、両親の好みとかに一番詳しいわけだから適役といえば適役なのだろうけれど、下さい下さいと先程から言われ続けて流石に気恥しいものがある。そりゃあやるけど。あげるけど。差し上げるけど。
「まほ。あなたは気負い過ぎです。堂々として余裕をみせなさい」
「あと母親監修っていうのもどうなんだろうなあ、と」
先程からそばで見学してはあれこれと駄目だししていること人もこの人だ。一応家元の筈なのだがこの人私に対してフランクすぎじゃなかろうか。外堀を埋めよというけれどこの人に関しては埋めすぎて山になった感じがある。さすが娘より先に娘嫁の膝枕でおねんねしただけのことはある。普通は一般人に過ぎない私が家元に結婚の許しを請うパターンなんじゃなかろうか。
「……お母様はお見合いだったからこういう経験ないでしょう」
「確かにありません。しかし何事も堂々としていれば、」
「ではお手本を」
「は」
「家元直々のご指導ありがとうございます」
「……あのね、まほ、」
「私も見たいです」
「エリカさんぅ……っ!」
ぽんぽん痛い顔してらっしゃる。
そして菊代さんがまたも絶対に笑ってはいけない西住家やってる。この人本当に流派に対する敬意とかへったくれとか何一つないわね。
ともあれ、まほさんの人をイラつかせること以外特に役に立つことのない挑発にまんまと乗せられたしほさんは、こほんと軽く咳払いして、背筋を伸ばし、胸を張った。こうしてみると威厳のある流派家元なのだけれど、中身はキツネリス系チワワだものねえ。
「こほん」
「はい」
「む……娘さん、を、」
「はい、カット。人妻がしてはいけない表情ですアウト」
「どういうこと!?」
「そんな恋する乙女みたいな顔されましても」
「こいっ!?」
「一々そんな可愛い反応されましても」
「……お母様……っ」
「まほ……っ」
「そんな泥棒猫みたいなのされましても」
私はわざわざコント見にこんな辺鄙な土地にやってきたのだろうか。あと菊代さんがいい加減打ち上げられた鯖か何かの様に呼吸困難を起こしかけているのでそのまま死んでしまえばいいと思う。
「だ、だいたいエリカはどうなんだ」
「はぁ?」
「ひぃっ」
「ひぃっ」
「親子そろって人の目つき悪いのいい加減慣れて貰えませんかねえ」
しかし、まあ、どうなんだというのはつまり、人の事は言うけどお前にはできるのかとそういうことだろう。確かに言われてみれば私だってやったことはない。そもそもこういうのはそうそう経験するものでもないだろう。
「そうですね。やってみましょうか」
「ふむ。やってみるがいい。西住流に撤退はない」
いや、西住流とは関係ないと思うけれど。何やら無駄に胸を張る無駄なイケメン。鍍金豆腐の癖に顔だけはいい。
とはいえ、こういうのは実際どうやったらいいものか。馴れ初めでも語るものなのか。娘さんが自分にとってなくてはならない存在だと力説するのか。自分がお買い得だとセールストークするのか。うーん。今日日こういう風習自体が廃れつつあるのかあんまりドラマでも見かけないか、見かけてもギャグの一つになってしまっていて正しい作法というものが分からない。
などと深く考えていたらわくわくと期待を深める視線が痛い。まほさんはともかくしほさんまで。あと一人だけ別の意味で期待している菊代さんは本当に息絶えて欲しい。
ええい、まあ、深く考えても仕方がない。予行練習どころか余興みたいなものだ。お決まりの台詞を、声と顔を作って言えばいいだけの話だろう。
「お義母様」
「おかあさま……っ!」
「そこで感動されましても……まあいいですけど」
まほさんも大概だけれど、しほさんもハードルほんっと低いな。
「お義母様。娘さんを私に下さい」
「エリカ……!」
「だ、ダメよ……逸見まほになってしまったら誰が西住を継ぐの……!」
「だから早く貰っていただきたいんですけどねえ」
きゅんとしてメスの顔をしている暫定旦那候補と身もだえする義母候補に呆れながらぬる茶を啜り、今日もまた無駄に一日が過ぎるのだった。