世の中には節分という行事がある。その起源やら細かい作法やらをくだくだしく述べていくとそれだけで時間を食ってしまうし、第一大体ざっくりとしたところは誰もが知っているだろうから省いてしまおう。最低限、二月の頭にある行事で、豆撒きして、最近だと恵方巻き食べたりする、その位の認識があれば話が早い。
投げる豆が大豆だったり落花生だったり、掛け声が鬼は外だったり鬼も内だったり、色々とバリエーションに富むようだけれど、それもやっぱり気にしなくていい。
何しろこれは民俗学のレポートじゃなくて、もっと厄介な西住案件だからね。
さて、さて。
二月というのは別に暇な時期じゃあない。
一月にセンター試験を終えて、ちょっと気の抜けた空気が流れてるのは間違いないけど、二年生はもう来年の受験を考えなきゃいけないし、三年生は進学先や就職先に頭を悩ませ、新居を探して不動産屋と交渉し、引継ぎを済ませて引越し屋を手配して、いやはやまったくてんてこまいだよ。まあ、真面目にやっていればすべては順当に終わる。だらだらと後に後に伸ばしていればどんどん首が閉まっていくだけの事。
大真面目にやっていたにもかかわらず常に死にそうな顔をしていた河嶋もなんとか進学が叶ったし、それを超心理学案件を目の当たりにしてしまったFBI捜査官みたいな顔で凝視してしまった小山も無事二人暮らしの新居をねじ込み、家庭教師をしてやった私も胸をなでおろしたものだ。色々と不穏なものを感じるが私は全力で見ない振りをする所存だ。強く生きろ、河嶋。
人のことを言っている私はどうなんだというと、別にどうということもない。西住ちゃんが進学したがっている、西住姉も進学するという大学を聞き出して、適当に重ねてあった大学とか研究所とかの招待状からその学校の物を探して抜き出してサインして送付して、ハイ終わり。戦車道のメッカであるドイツはミュンヘンで白ソーセージを楽しむのもありといえばありだったし、ボストンでクラムチャウダーに舌鼓を打つのも悪くはなかったけれど、別に外国に出てまでやりたい事なんてなかったし、知性の無駄遣い扱いされるほど優秀な顔も見せてこなかったので、大学生活は楽しく遊んで暮らすことにしたのだ。
その後の事は決めていないけれど、少なくとも大学にいる間は戦車道は続けて行こうと思うし、もしいいメンバーを見つけられて、卒業時にまだ飽きていなかったら、選手としての活動を考えてもいい。大学院に行ってもいいけれど、やっぱりやりたい事なんて特にない。
そんな大雑把なものだけれど、曲がりなりにも今後の計画を立てて準備をし始めている私は決して暇な人間ではない。しかし私がそうでなくても暇な人間はあちこちにいるし、そういう連中は碌でもない事しか考えないから未だに生徒会長の席を離れられない私は始末に追われる。そして暇でもない癖に碌でもない事しか考えない問題児が一人ここにいるのだった。
「…………一応聞いておくけどさ」
「なんでしょうか?」
「西住ちゃん、暇なの?」
「時間は作るものですよ」
能力のある問題児ほど手に負えないものはない。
節分イベントで盛り上がる花の金曜日。
その盛り上げの裏方で疲れた私が、恐らく退艦日ぎりぎりまで片付けることが無いだろうこたつに潜り込んでぐったりとしていると、さも当然のように西住ちゃんは鍵を開けてやってきた。いや、まあ、合鍵を持っているのは知っているけれど、そしてそれを渡した覚えがないのも知ってるけど、もっと言えば艦内の鍵屋で私の知らない内に合鍵を作った記録を発見しているけれど。もう突っ込む気にもなれない不法侵入者は、夜はまだまだ冷えますねえなどとまるで普通の人間みたいなコメントと共に炬燵の向かい側に陣取って、がさがさとコンビニの袋を置いた。
勿論この時すでに嫌な予感はしていたけれど、しかし疲れた体に炬燵の魔力からはい出る余力など残されていなかった。
西住ちゃんはコンビニで買ってきたらしい紙製の不細工な鬼のお面を取り出しては可愛いでしょうとご機嫌だし、回収がしやすいよう個包装にされた炒り豆を取り出してはパッケージの面を丁寧に揃えて並べている。この日の為にコンビニで予約していたらしい恵方巻きはコンビニという響きの割にえらく豪勢だ。
豆撒きはもう今日散々したよとぼやけば、じゃあとりあえず年の数だけ食べましょうとぺりぺりと包装を破って、小皿に十八粒の炒り豆が並べられる。六行三列にきっちりと並べられて見やすく数えやすいのだけれど、何だかこうして綺麗に整列しているのを見ると薬剤の管理みたいで甚だしく食欲がなくなる。西住ちゃん、結構ずぼらな所がある癖に、こういう細かい所で数学的美意識を持っていたりするのなんなんだろう。
まあしかし、用意してくれたものを要らないというのもなんだし、端から摘まんではポリポリとかじる。まあ、悪くない。飽きが来ないというか、別に殊更においしい訳ではないけれど、気付いたら手が伸びている感じ。暖かい炬燵に潜り込んで、背中を丸めてひんやりした天板に頬を当てて、ぽりぽりと単調な咀嚼音を聞いていると、途端に頭の回転が遅くなって知能指数が下がる気がする。
だからだろう。だからということにしたい。
イベントがある度に碌でもない事ばかり考える西住ちゃんに油断しまくっていたのは、私の知能指数が炒り豆によってデバフされていたからだと。
ことん、ことん、となにやら硬質な音が天板を叩くのだけれど、どうも炒り豆を並べるにしては音が重いなと思って顔を起こしてそれを見つけ、そして見なかったふりをして眠りにつこうとしたのだけれども、そうは問屋が卸さなかった。おのれ問屋、いくらもらった。
「会長さん」
「……うぇえ……なん、えぇ……なに……」
「マッサージ器です」
「真顔で」
「卒業して私がいない間、寂しいと思いまして」
「要らなすぎる気遣い」
西住ちゃんが炒り豆と同じ調子で炬燵の上に並べたのは、ポップなカラーにつるんと丸っこい可愛らしいフォルムをしたマッサージ器とやらだった。ウズラの卵みたいなカプセルからコードが伸びて、つまみの付いたリモコンに繋がっている。そうだねー。私最近肩凝るし背中も痛いし疲れ目気味だしマッサージ器とか嬉しいよねー。
「カプセル型バイブレーター、俗にいうピンクローターですね」
「逃れ得ぬ現実だー」
「ピンクとは言いますけれど、近頃の物はこういう風に色んな色合いがあるみたいですね。これなんか、デザインも可愛いと思いませんか?」
「ああ、うん、そうだね……」
まあ、言われてみればなるほど、いかにもと言った形の他に、おしゃれなデザインの物もある。部屋の小物入れに入ってたりしてもなんだかわからない所か、美容器具と一緒に置いてあったらまずそういう代物には見えない。他にも、外付け電子機器のようなシャープなデザインの物もあり、知らずに見かけたら格好いいと思ってしまいそうだ。
「ええ、と……で、なんだって? 卒業して西住ちゃんがいないからなんだっけ?」
「寂しいと思いまして」
「うん、いまのはね、本当に聞き取れなかったんじゃなくて、皮肉とか嫌味に類する物言いでね」
「知ってます」
「知ってたかーくっそー」
「調べてみたんですけど、防水じゃなかったり、コードが弱かったり、無線の物だと電池の消耗が早かったり、安物だと壊れやすいみたいですね。でも安心してください。これらはちゃんと防水仕様で頑丈なものを集めました」
「ああ、うん、随分調べたんだねー。何個あるのさこれ」
「それはもう、会長さんが使うものですから、安全じゃないと」
「気遣いが嬉しいと思うべきか気違いがと憂うべきか、どっちかな」
「ひとつずつ特徴が違うみたいですから、早速試してみましょうね」
「聞いてないし」
流石に不味いと思い炬燵から逃げ出そうとした私は、何かが絡まって抜け出せない足に、すでに手遅れであることを悟ったのだった。
「西住ちゃんどんどん手癖悪くなってない」
「会長さんが可愛いので」
「理由になってない」
炬燵の足とファー付きの手錠で繋がれた足首。丁寧な手つきでローターの電池を一つずつ挿入しては動作確認をする西住ちゃん。何の地獄だ。
「折角の節分ですし、年の数だけ入るか試してみましょう」
「鬼は外ー!」
「うちは鬼も内だったので。あ、恵方巻きもありますから、後ろも寂しくないですよ」
「だからそっちは出る方だって言ってるよね!?」
「ああ、会長さん後ろいじると声出ちゃいますもんね。無言で食べないといけないんでしたっけ」
「メートル下げよ、ね?」
「ちゃんと会長さんが声を我慢できるよう、上のお口は私の恵方巻きで」
「おっさんか!」
その日ほど自分の年齢を恨んだ日はなかった。それからこの日ほど自分の体の可能性に驚いた日もなかった。