ガールズ&パンツァー 乱れ髪の乙女達   作:長串望

22 / 37
みほ杏、みほサイド。
西住みほは角谷杏の夢を見るか。


大洗女子学園の場合 Side B

 夢を見た。

 私はいつもあまり夢を見たことがないので、それはそれは不思議な気分でした。みんなが見るという空を飛ぶ夢や摩訶不思議なファンタジーの世界、そういったものをそれまで羨ましいとも思っていました。

 けれど夢というものがこれなら、こんなのなら、私は夢があまり好きではありません。

 夢は何度かに分けて私の眠りを妨げました。

 最初に見た夢は、私が大洗に転校してからの事をなぞるようなものでした。私は黒森峰を出て、戦車道のない大洗女子学園に転校し、けれど結局戦車道をやらされることになり、みんなで苦労しながら大会を勝ち上がり、見事廃校を阻止するという、そんな夢。

 でも、現実とは違って、そこには会長さんがいませんでした。

 その夢の中では、角谷杏という生徒は学校にはいなくて、それまでにいたこともありませんでした。角谷杏はその世界では、生まれてきてすらいなかったのでした。

 生徒会長は小山先輩が勤めていて、河嶋先輩は相変わらず広報で、相変わらずあまりお仕事ができない人でした。

 みんなも現実と同じでした。

 優花里さんは以前から私の事を知っていたようで、隠すこともなくはっきりと好意と敬意を示してくれました。私はすぐに優花里さんの事が大好きになりました。優花里さんは変わった子ですが、とても良い子です。きっと私の為にもっともっと良い子になってくれるでしょう。

 華さんは華道の家元の娘さんです。びっくりするぐらい健啖で、見ているだけでお腹が一杯になりそうなくらい気持ちよくご飯を食べる人です。華道をやっているから、と本人は言うけれど、鼻がよくて気も利いて、鈍感な私は憧れちゃいます。匂いって、不思議です。見たり触ったりみたいにはっきりと表現できないのでもやもやします。

 麻子さんは呆れる位お寝坊さんで、いつも眠たそうにしていて、起きている時でも気だるげで、とてもマイペースです。でもマニュアルを軽く読んだだけで戦車の操縦が出来る程頭がよくて、でも人に説明するのは苦手みたいで、いつもなんでわからないのかって顔をしています。もしかしたら、麻子さんはもしかしたら、と思ったのですけれど、お婆さんが大変だとわかった時のあの慌て様や、沙織さんに見せる態度からすると、残念ながら違うようです。でも頭の回転が速くて、お話しているとたのしいです。

 沙織さんは、凄い人です。すごく凄い人です。すごく普通の人です。こんなに普通の人がいるんだって、びっくりしました。普通に怒って、普通に泣いて、普通に笑って、誰かの為に怒って、誰かの為に泣いて、誰かの為に笑うことが出来る人です。これといった見返りも求めず、先の展望もなく、ただそうすることが善いと思うから、好ましいと感じるからというだけで、少し距離を置いていた私に積極的に話しかけられる人です。未来に策を巡らせることも、過去から積み上げた確たる指針もなく、ただ、いまどう感じるか、どうしてあげたいと思うか、それだけで生きていける人です。沙織さん凄い。原理はよくわかりませんけど。

 カバさんチームの歴女の皆さん、アヒルさんチームのバレーボール部の皆さん、ウサギさんチームの一年生の皆、カモさんチームの風紀委員の皆さん、レオポンさんチームの自動車部の皆さん、アリクイさんチームのネトゲプレイヤーの皆さん、それにカメさんチームの生徒会の皆さん。みんな頼れる戦車隊です。

 でもそこには会長さんがいませんでした。

 聖グロリアーナ女学院との模擬戦では、予想通り河嶋さんのメンタルの為に作戦は破綻し、一年生チームも逃走。市街戦に持ち込んで削りましたが、やっぱり詰め切ることが出来ませんでした。さすがはダージリンさん。多少の変化はほとんど大勢に変化せず、現実とほぼほぼ同じ展開でした。奇策でも揺さぶりきれないタフさがあります。でもまあ、仕方がありません。駒が悪すぎました。私の指揮も聞いてくれないんだから勝てるわけがありませんよね。

 サンダース戦では無線傍受がわかるまで苦戦を強いられました。後から思い返すと、どうして、ともどかしくなるのですけれど、夢の中の私は何も知らない当時の私のままなので、はっきり証拠を見つけるまでわからなかったのです。でもそれさえわかってしまえばあとは勝ったも同然でした。情報の根拠がわからない指揮官、自分は絶対大丈夫と思い込んだ上での無線傍受、フラッグ車の無防備、全てが私に味方してくれました。

 アンツィオは厄介な相手でした。極めて単純に見えるアンツィオですが、時折発想が常識から外れて飛び出すので、予想が困難でした。なまじ指揮官が常識的に優秀な安斎さんなので、思わず唸るような作戦と、それを前提にしたこちらの対処をあざ笑うかのように作戦を忘れるアンツィオ生のフリーダムさに苛立たせられました。安斎さんは戦車と駒さえ良ければ驚異的なので、今後もチェック入れていきたいですね。

 プラウダ戦は、多分この夢で一番苦労した一戦でした。何せ会長さんがいませんでしたから。会長さんの代わりに登場した、えーと、多分三年生の子がそれなりに使える人だったので、何とか代役になりましたけれど、現実よりしょっぱい囮役でした。本当に囮役としてだけ活躍したみたいな、まあ私としてもそれ以上をしてのけた会長さんの方が予想外だったんですけれど。廃校の事実が伝えられ、後がないということでみんなを鼓舞しましたけれど、会長さんという恩を売る相手がいなかったので個人的なモチベーションはいまいち盛り上がらなかったというのが本音です。小山先輩は必要経費として受け入れそうですし、河嶋先輩は使えないですし、代役の子は興味ないですし。

 決勝戦では皆さん大分私の指揮を聞いてくれるようになっていましたが、このころになると私の方が皆さんのスタンドプレーを期待するようにもなっていました。その場その場で十分な対応ができるようにはなっていると思える程度には戦車道を教えてきたつもりです。しかしカメさんチームには参りました。このチームの頭脳であり決断力である会長さんが不在の為、普通以上の活躍が全く期待できませんでした。おかげでマウスの排除にはてこずりました。命を賭けさせるというにはなかなか難しいのです。自主的に自分の命をベットした会長さんは本当に素晴らしい働きでした。

 しかし決勝戦、黒森峰での一番の障碍は、やはりお姉ちゃんでした。私はお姉ちゃんがあまり得意ではありませんでした。勿論、私の事を良く知っていて、何でも話せる身内であるというのは確かです。しかし、私は子供の頃からお姉ちゃんに頭が上がりませんでした。何故ならお姉ちゃんは、人の考えていることが気持ち悪い位よくわかるからです。私には全然察することが出来ない事まで、お姉ちゃんは誰に言われるでもなく良く良く理解しているようでした。誰が何を望んでいて、何をすることが最適なのか、お姉ちゃんは私がじっくり考えこまなければならない事を、一目で見抜いてしまうのでした。私はそんなお姉ちゃんの真似をして、良い子であるように頑張りましたけれど、今でもお姉ちゃんにじっと見つめられると、何もかも見透かされているようで凄く居心地が悪くなります。

 私がいなくなった後の黒森峰で、私が苦労して植えつけて行った価値観や偏向を、取り除くのではなく利用した上で自分の支配下に置いてしまったお姉ちゃんは、物語の魔王みたいでした。折角うまく行きそうだったエリカさんもとられてしまったし、踏んだり蹴ったりです。まあ、尖った駒が少ないし、お姉ちゃんも堅実な人でしたから、戦いようはありましたけれど。お姉ちゃんと対峙するうえで私の唯一の利点は、お姉ちゃんが私のお姉ちゃんで、私がお姉ちゃんの妹だという事でした。

 お姉ちゃんは私の挑発をしっかりと察して、その上で一騎打ちを受けてくれました。何故ならば、お姉ちゃんは何時でも私のお姉ちゃんで、そして私は妹としてそれに甘えることが出来たからでした。私にはそういうものは良くわからないのですが、しかし、姉妹という関係性は、経験則から確立された、数少ない絶対の一つでした。

 賭けは好きではありません。負けるのは嫌いだから。でも、勝てた賭けは大好きです。気持ちがよいから。だから私は勝てる賭けしかしません。一騎打ちもそうでした。黒森峰を出て、西住流以外の戦車に触れて、わかったのです。黒森峰のよくよく訓練された隊員は、言ってしまえば取り替えの利く既製品の部品に過ぎないのです。でもあんこうチームは違う。こんなにピーキーな部品は初めてでした。使いづらくて、度し難くて、でも、一度マッチしたなら、負けはしない。私は私の理解の及ばない部品がこんなにも面白いものだと初めて思い知らされたのですから。

 私は勝ちました。大洗に勝利を運びました。みんなが喜び、世間が騒ぎ、私はようやく待ち望んでいた英雄という立ち位置に上ることが出来ました。

 しかし、そこに会長さんはいませんでした。

 私は何となくモチベーションの上がらない日々を送り、そして何ということはない面白みのない交通事故に巻き込まれて死んでしまいました。痛くて、苦しくて、でもそれだけでした。だってそこには会長さんはいないから。

 暗転し、そして次の夢が始まりました。

 次の大洗は、ちゃんと角谷杏が生徒会長をしている学園でした。沙織さんや華さん、他の皆もかけることなく勢揃いしている大洗でした。

 そのかわり、その大洗には廃校の危機がありませんでした。当然、戦車道復活もありませんでした。

 私は順調に沙織さんや華さんと友達になり、遠巻きにしていた優花里さんもうまく捕まえてお友達になり、マイペースな麻子さんも合流しました。そして、それまででした。

 思えば私の交友関係というものは、戦車道に端を発するものでした。そもそも仮宿として選んだだけの大洗でしたから、下調べはしても、そこまで影響を深めるつもりはなかったのです。そしてそうでなくても、戦車道の色濃い面子は、そもそも重なり合う接点を持っていなかったのです。

 歴女の皆さんは彼女たちで完結していて、バレーボール部の皆さんは廃部の憂き目に沈んでいて、一年生の皆は初めての高校生活を思うさま青春していて、風紀委員の皆さんは取締に精を出し、自動車部の皆さんは今日もピリオドの向こうをめざし、ネトゲプレイヤーの皆さんはそもそも姿が見えません。

 そして生徒会は、会長さんは、私に会う理由を持っていませんでした。私の方でも、生徒会という雲の高みの、その頂点に座す干し芋仙人に会う理由がありませんでした。私と会長さんを結んでいるものは、廃校の危機と戦車道、これだけだったのでした。

 黒森峰はお姉ちゃんの元、より強固に固められ、西住流も音沙汰なし。私のもくろみは外れ、私は何もない大洗で、何もない生活を送ることになりました。程々の生活。程々の賞賛。程々の苦労。程々の刺激。それは悪くない生活でした。少し手を伸ばせばすぐにも賞賛が手に入る程度の低い学園。穏やかな生活は存外心地よいものでした。

 でもそこには会長さんがいませんでした。私の知っている会長さんはいませんでした。遠くから眺めて、ふと目が合うことがあっても、風景でも眺めている様な無関心さしかない、そんな会長さんは会長さんではありませんでした。

 私はこの夢では、自由に動き、ちゃんと記憶もあるというカードがあったのに、他の全てのカードを持ち合わせていませんでした。会長さんに届かせるには何もかも足りませんでした。

 私は見切りをつけました。

 幸い、最初の夢でリセットの方法は分かりました。

 苦しみの少ない方法を覚えておいてよかったです。自分に施すのは初めてだったけど。

 次の夢では、私は大洗に転校していませんでした。あの雨の決勝戦の事故は結局起こらず、黒森峰女学園は前人未到の十連覇を成し遂げ、もはや大会自体が出来レースなのではと言われるほどでした。私はお姉ちゃんと一緒に黒森峰の双璧として、絶頂にありました。私達を悪くいう人なんて誰ひとりいなくて、みんなが私の事を褒めて湛えて崇拝してくれました。お母さんでさえ、言葉少なにではありましたけど、私の事を褒めてくれました。あのお母さんまで。お姉ちゃんも優しいし、エリカさんも私たち姉妹の忠実な駒として動いてくれますし、いまや黒森峰女学院は一つの大きな戦車でした。傷一つつけられることのない黒鋼の城でした。

 精密に作られた歯車が、良く良く油をさされて、かつてない程の熱量で回転し、回転し続け、黒森峰は誰にも止められない巨大な機械の嵐となって君臨しました。

 全国大会も、誰もが黒森峰の勝利を、優勝を確信していました。それは黒森峰自身だけでなく、世間がそう感じていたのでした。事実として私たちは、決して折れない不屈の槍、知波単学園を鋼鉄の雷撃戦で退け、継続高校の機動力に優れた、島田流を思わせる忍者じみた猛襲にも粘り強くこれに当たり、捻じ伏せることが出来ました。警戒していた聖グロリアーナ女学院は相変わらず内輪揉めで戦力強化がならなかったようで、自慢の浸透強襲も我が校の鉄壁の前には相性が悪いようでした。もはや大会は始まる前に終わっている。強い方が勝つ。そうしたシンプルさが私を喜ばせてくれました。しかしそれは底の浅い喜びでした。

 黒森峰の勝利をもはや常識として中身のない記事が盛り上げる中、それに対抗するように世間を騒がせたのは大洗女子学園でした。もうずっと前に戦車道を廃止したはずの学校が、復帰早々にサンダース大学付属を打ち破ったという驚きのニュースでした。黒森峰でも大洗の事はノーチェックで、映像記録は徹底的に調べられました。

 その結果、黒森峰の車長会議で出た結論は、まぐれとサンダースの油断、この二点でした。急造にしてはそれなりの練度でしたが、あくまでそれなり。数少ない戦車を散らせて方々で無駄に落とされ、たまたま隠れていたフラッグ車とかち合い、運よく打ち取った。それが車長達の意見でした。戦車道にまぐれはないと考えるお姉ちゃんはその判断を良しとはしませんでしたが、しかし連携の悪さや練度の低さ、戦車の特性などからも、負けることはないという点だけは頷いていました。私もほとんど同じ意見でしたが、けれど、私だけが気付いていたのだと思います。密かに通信傍受機が打ち上げられていたことを。そしてそれが、形式の違う二種類あったこと。それはつまり、あの結末は、両校の情報戦の結果だったのだと。自分以外の全てを囮として散開させ、疑問の浮かぶ前にフラッグ車だけを刈り取る。ぞくりとするほど悪意のこもった遣り様です。

 続くアンツィオ戦の泥沼試合は、黒森峰の車長達の評価を下げるだけでなく、世間からの評価も下げるものでした。確かに大洗は勝ちあがりましたが、遣り方は粗野にして卑であり、戦車道の品格を貶めるものとして散々な言われ様でした。口汚い挑発に引きずり出されあえなく打ち取られたアンツィオこそを、誇りの為に奔ったのだと褒め称える声ばかりでした。お姉ちゃんももはや相手にするまでもないとすっかり呆れたようですが、私は、私だけは、その悪意の物凄い熱量に目を奪われていました。何が何でも相手を引きずり倒し勝利するという執念が、私を焦がすようでした。

 昨年度の大会では我が校と接戦を演じたプラウダ高校との戦いでは、大洗は一時追い込まれて建物に逃げ込む事態に陥りましたが、最終的にはこれを打ち取りました。あれだけ悪評を述べていた車長達も、囮役として走ったチームの技倆には舌を巻きました。あれが我が黒森峰の懐に入って大暴れしたら、不測の事態に弱い我が戦車隊はいいようにかき乱される事でしょう。しかし全体と見れば遣り方は泥臭く、戦車道の掲げる理念をまるで省みない、徹底的に噛みついて引きずりおろそうという野蛮な戦術でした。私は期待を胸に、決勝戦に備えました。

 その頃になると世間はすっかり黒森峰女学園と大洗女子学園の決勝戦の事で大盛り上がりでした。西住流の権化、戦車道の模範にして完成系、十連覇を成し遂げた黒鋼の城。対するは何処の流派に属するでもなく、その場しのぎの姑息な戦術と低俗な煽りで勝利をもぎ取ってきた、伝統など欠片もない野良犬一匹。

 いざ向かい合って、私の期待は確信に変わりました。そうです。そこには彼女がいました。彼女がいたんです。角谷杏がそこにはいたんです。小さな肩に大洗女子学園の命運を乗せて、小さな背中に大洗女子学園の全てを背負って、小さな両手に抱えきれない程の荷物を抱えて、角谷杏がそこに立っていたんです。

 私の中からいろんなものが溢れてきて、堪えきれず自然と顔がほころぶのがわかりました。もう何年も何十年も彼女の事を待っていたように思います。私は意気揚々と彼女と向き合い、そして。

 そして、角谷杏は私を睨んだのでした。

 私はモチベーションがぐんぐんなくなって、気分が急降下し、しおしおとしぼんでしまうのを感じました。角谷杏は、熱量さえ感じる程の視線で私を睨みつけました。私を倒さんと、全身全霊を込めて私を睨みつけました。角谷杏は全てを背負ってそこに立っていました。私と会長さんと、二人で背負ったものの全てを、角谷杏はまとめて背負って私を睨んでいるのでした。

 角谷杏にとって私は倒すべき敵でした。廃校を阻止するべく、最後に打ち倒さなければならない最大の障碍でした。私がしてあげたこと全てを、私が守ってあげたもの全てを、自分一人で背負って守って、角谷杏は私無しで大洗を救おうとしているのでした。

 私の事を否定したのでした。あれだけ頑張ったのに、あれだけしてあげたのに、あれだけ守ってあげたのに、一つの重荷を二つに分けて、私が背負って支えてあげたのに、角谷杏は私の全てを否定して、自分一人で成し遂げるつもりなのでした。

 ああ、ああ、わかりました。

 結局、ここにも会長さんはいませんでした。

 こんなのは会長さんではありませんでした。

 私を必要としてくれるあのひとじゃあない。

 だって、会長さんは、私の会長さんなのに。

 私の砲弾は、狙い過つことなく、ただ一直線に小さな少女に、吸い込まれるように、

「……ううっ」

 呻き声に私は目覚めました。

 狭いベッドの中、私は中途半端な覚醒に混乱しました。窓を見遣ればまだ日も出ない内です。

 すぐ隣を見下ろせば、まだ眠りの中にある会長さんがそこにはいました。髪を解いた会長さんは少しだけ大人っぽく、いつもの皮肉気な笑みがない顔は何処かはかなげでした。私はほとんど日課に習慣通り、会長さんの顔の前に掌をやって呼吸を確かめ、手首を取って脈を確かめました。

 生きていました。会長さんは、今日もちゃんと私の隣で生きていてくれました。

 私はほうとため息をついて、少し落ち着きました。夢見が悪いというのは、初めての経験でした。

「………ああ……うぅ……」

 しかし、今日の会長さんは苦しそうでした。額に手をやりましたが、熱はなさそうです。でも呼吸は少し荒くて、寝汗も酷い。どうしたものかと暫く見下ろしていると、不意に会長さんがびくりと震えて、恐る恐ると言ったように目を覚ましました。

「会長さん?」

 声をかけると、会長さんの震える目が、夜の闇の中、僅かな明かりの中で私を捉えました。それは私を見ているようで、まだ夢の中にいるようでもあって、ちゃんと私を見てくれていないみたいで少しいらっとします。

「大丈夫ですか?」

 覗き込むようにして声をかけると、会長さんは震えるように細く長く息を吐いて、それから、むずかるようにごめん、ごめんなさいと繰り返しました。覚えのない謝罪でしたけれど、会長さんは時々何か悪夢を見て、こうして良くわからない状態に陥ることがありました。そういうとき、いつも会長さんはとても苦しそうで、辛そうで、でも私にはどうしてそうなっているのか、どうしてあげたらよいのかさっぱりわからなくて、何時も気持ちの悪い焦燥感に駆られるのでした。

 私はこの頃、会長さんが悪夢を見る度、頭を撫でてあげることにしていました。それはお姉ちゃんが私にしてくれたことでした。幼い頃、私が不機嫌になったり、思うようにいかず拗ねていたりすると、お姉ちゃんは決まって乱暴に頭を撫でてくるのでした。それは私を子ども扱いしているようですこしむっとしましたが、でも、私が困ったらお姉ちゃんは必ずそうして隣で頭を撫でてくれるのだと、そう思わせてくれるのでした。私が会長さんにとって、ちゃんと恋人としていられるのかはよくわかりませんでしたが、でも、困っている会長さんに、苦しんでいる会長さんに、私が出来ることと言えばこれくらいの物でした。

 加減もわからないままぐりぐりと撫でていると、会長さんはやがてほろほろと泣きはじめます。初めて見たときは、この人も泣くことがあるんだなと驚いた記憶があります。私が会長さんに初めて告白した時の事です。会長さんの涙はとてもきれいで、舐めたらきっと甘いのだろうなと思うのですが、舐めとるといつもしょっぱくて、不思議です。思えば、甘いと思って舐めた会長さんの体は、どこも少ししょっぱいか、苦いか、そのあたりです。

 会長さんが涙を見せるのは私の前だけです。それが私を必要としてくれているからなのかどうかは、よくわかりませんが、隊長さんの特別だと思うと、私は不思議と心が軽くなるのでした。

 いつもはそうして、朝になるまで会長さんを撫でているのですが、今日は何となく、うつらうつらとしながら、思いつくことをぽつりぽつりと伝えてみました。

「かいちょうさん」

「うん」

「でーとしましょう」

「え」

「わたしまかろんたべたいです」

「ああ、うん」

「あとえっちします」

「はやい。展開早い」

「かいちょうさんは、私にあんなめをしたらいけないんです」

「よくわかんない」

「かいちょうさんは、ちゃんとかいちょうさんですよね」

「たぶんそうだよ」

「すきですから、すきでいて」

「きっとそうするよ」

 夜明け前の微睡みの中で、私は確かに、デートの約束をしたように思う。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。