ガールズ&パンツァー 乱れ髪の乙女達   作:長串望

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西ダジ編番外。アッサムとローズヒップ。
ルビで遊んでみよう回。


My Fairy Lady

 誤解しないでほしいのだけれど、私はジョークは好きだが、ジョークにされるのは好きではない。人の不幸は蜜の味だが自分の不幸は苦汁を舐める思いだし、人を見て笑うのは好きだが人に笑われるのは腹立たしい。殴り合うような野蛮な真似も、殴られるような痛い目に合うのも嫌だ。殴るなら一方的に殴らなければ気分が悪い。より良いのは殴り合う愚か者の無様な様を傍から眺めることだ。火事と喧嘩は江戸の花というから、自分は安全な場所から他人の様を見て笑うというのは、最低限その位は昔から人類の種族的な楽しみなのであって、私の性格が殊更に悪い訳ではない。

 誉れ高きアッサムの名を頂戴した私は、要は第三者でいることに安らぎを覚える人種なのだ。自らも同じ場に立っていながら、主人公でも語り部でもなく、ただただその後ろで黙して語らず、俯瞰の視点で悦に入る。そんな生き方が性に合っている。幸も不幸も、出会いも別れも、喜劇も悲劇も交々に、押し並べて等価値だ。

 だからこれは、この私が物語る小話は、本編に絡むこともない、幕間に挟まれることもない、無意味で、無関係で、無価値な零れ話に過ぎない。

 それは何でもない日曜日の昼下がりの事だった。

 その日、クラブハウスの中庭は静かな物だった。

 茶会の席に着いてすぐ、ダージリン様は方々から覗いて黄色い声で騒ぐ隊員たちから逃れて、西絹代とどこかへ出かけてしまわれた。情報学部第6課に連絡すればすぐに居場所など知れようが、あえて探す理由もなかった。全て終わって戻ってきたところでからかった方が興味深い反応が得られるだろう。全く西絹代はいい刺激になってくれた。彼女が思いの外に策を巡らせて生徒会長に接触してきた時、止めずにおいてよかった。私が既に裏を掴んでいることを早々に察して、手土産片手に黙っていてくれるよう頼み込んできた時、素直に了承して本当に良かった。暫くはダージリン様で遊べそうだ。

 オレンジペコは雑務の処理に出た。あの調子ではダージリン様が暫くは帰ってこないと判断したのだろう。彼女はまだ一年生だが本当に優秀だ。後はもう少し余裕が出てきて、諧謔を楽しめるようになって来れば、立派な隊長になれることだろう。それで仕事を放り投げられる副官を見つければ完璧だ。

 さて。ローズヒップ。彼女は中庭の片隅でぼんやりと佇んで、咲き誇る薔薇を眺めている。ように見える。実際はその焦点は薔薇には合わせられていないし、私にはその視線の先に何物をも見出すことはできない。ローズヒップは時折そうして、何もない所を見つめて呆けていることがあった。

 以前茶会中にそうなったとき、OSがスタンバイ中なのかしらとダージリン様は嘯き、まるで猫のようですねとオレンジペコは笑った。私は、ああ、フェレンゲルシュターデン現象ですねとジョークを言ったのだが、オレンジペコが小首を傾げる横で、ダージリン様はそういう名前がついていたのねとまるきり信じ込んでしまわれた。すっかり誤解させてしまったので、私は折角だからそのまま放置し、その次の日曜日に西絹代相手にひけらかすようにフェレンゲルシュターデン現象を語ったあたりで誠実にネタばらしをして差し上げた。ダージリン様が私に、酷い人ねと頬を膨らませたのはこれが初めての事で、いやまったく、西絹代はいい仕事をする。すっかり拗ねたダージリン様をちゃんとフォローしてくれる所までいい娘だ。私は面倒なので御免こうむる。

 いまもそうしてローズヒップは薔薇の花の上あたりを呆けたように眺めている。形の良い唇を僅かに開いて、何時も騒がしい表情筋は鳴りを潜め、両手をだらりと下ろしたまま、夢見るような半眼でただじっと見つめている。

 あの時はジョークを言って流してしまったが、彼女は何を見ているのだろうか。ダージリン様は彼女を妖精枠だと言って憚らない。オレンジペコもローズヒップさんは不思議な方ですねと折々に言う。或いは本当に妖精でも見ているのだろうか。

 私は紅茶で唇を湿らせ、ローズヒップの視線の先を伺った。目を凝らせば何か見えるかもしれないと、そう思った訳ではなかった。ただ、彼女が何を見ているのかが気になった。或いは何を見出しているのか。或いは私でも及ばない高度な計算が、今もあの脳内で巡っているのだろうか。

「見えませんわよ」

 不意に掛けられた声に、私は反応できなかった。

「なにも見えませんわよ」

 繰り返された言葉に、私はようやく、ローズヒップがこちらを振り向いていることに気づいた。視線ははっきりと私に焦点を合わせており、細い眉は生気をもってぴんと張り、口元には常の笑みがあった。

「……失礼、なんと仰ったのかしら?」

「見えませんわよ。妖精なんて」

 歌うようにローズヒップは繰り返し……妖精。妖精といったのか。私はそんなことは言っていない。それとも無意識の内に口に出していただろうか。じっと見つめる私の視線を気にも留めず、ローズヒップは踊るように向かいの椅子に座り、紅茶を呷った。彼女の振る舞いは淑女らしい淑やかさには欠ける。しかし野良猫に似た奇妙な気品があった。

「アッサム様はとても耳の良いお方。でも妖精は見えませんわ。妖精を見るには、妖精の目がなくては」

 くすくすと笑って、跳ねた紅茶の滴を舐めとるように、赤い舌先が唇を撫ぜた。私は思わず懐のタクティカル・ボールペンに指先を触れさせていた。私をちらとでも緊張させるのはここ最近では彼女位のものだ。何も考えていないようでいて、不意に此方の懐に触れる様な事を言う。その癖その中身までは丸きり理解していないのだ。面白いと言えば面白い。興味深いと言えば興味深い。だが一番ふさわしい言葉は、オレンジペコの言うとおり、不思議の一言に尽きるだろう。

「貴女には妖精の目があるのかしら、ローズヒップ」

「さあ。ダージリン様はそう仰いますわね。お母様もそう仰っていたかも。貴女は取り替え子なのかしらって。取り替え子って何かご存知です?」

 小首を傾げるローズヒップに、私は短くさあと答えたが、その単語には聞き覚えがあった。

 取り替え子。チェンジリング。妖精が人間の子を連れ去り、その代りに置き去りにされた妖精の子だという。多くは何らかの身体的・精神的疾患を持った子供を、妖精のせいだとしたとされる。イギリスにも多くの逸話が残っており、実際に取り替え子であるとして子供を虐待して死に至らせた事件がいくつも記録に残っていると聞く。

 私は改めて尋ねた。

「貴女には妖精が見えるのかしら?」

「妖精の目があれば、きっと見えますわ」

 わからない。話が噛み合っていないだけなのか、彼女の言葉遊びにも似た物言いに隠された真意があるのか。戦車に乗ってパンツァー・ハイになっている時の方がまだ話が分かる。前進してるか、後ろに前進しているかだから。

 角砂糖を一つ口に放り、歯ごたえを楽しむようにかきかきと奥歯で噛むローズヒップ。

 私はダージリン様が彼女を連れてきた時に、酷く楽しげに話した事を思い出していた。

「彼女には妖精が見えるの」

 そうだ。ダージリン様は確かにそう言ったのだった。

 ダージリン様がローズヒップを、まだその名を与えられていなかった無名の少女を見出したのは、整備課の片隅だった。

 エンジンの不調がどうしても直らないというマチルダが一両。ダージリン様はそれを確認しに行かれたそうだった。マチルダⅡは二台のエンジンを積んでいる。そして、その二台のエンジンは、おお、英国技術力の素晴らしき哉、完璧に同調していないと偏摩耗を起こしてすぐダメになるという整備屋泣かせだ。以前からその整備には悩まされていたが、試合に間に合うかどうか微妙な時期だったため、せっつきに行ったのだという。

 我が聖グロリアーナ女学院の整備課は、決して腕の悪い整備屋ではない。寧ろ、時速24kmでことこと走る鉄製の棺桶を、相性のあまり良くない黒森峰の高火力重防御の電撃戦相手にぶつけることを前提に、予算のかなりの部分をつぎ込んで改造を重ねる技術屋集団だ。

 しかし訪れたダージリン様に、整備課の生徒はまだだと苦虫を噛み潰したような顔で告げた。

「殆ど丸々解体して組み直した。細かい部品も丁寧に清掃して、ダブルチェックの上で組んでる。各部品ごとの動作は何も問題なかった。()()()()()()」と。

 偶にあるのだという。どれだけ丁寧に組み上げても、どれだけ完璧に整備しても、何故だかどうしてだか、さあ完成したと思ってエンジンをかけようとしてもかからない。開いてみてもどこが悪いかわからない。その癖、諦めて放置しておくと、いつの間にか動くようになっている。

「機嫌が悪い、としか言いようがないね」

「その機嫌は何時直るのかしら?」

「さあて。あたしら整備屋には機械の調子は分かっても、戦車の機嫌は分からんもんでね」

 それでは困る、とダージリン様は食い下がったらしい。餅は餅屋。整備の事で整備屋がわからないという以上、それはどうしようもないのかもしれない。しかしその時点で車両を変更するのは無理があった。

 何としてもとしつこいダージリン様に折れて、整備課の生徒が呼んだのが、オイルに頬を汚し、ぶかぶかのつなぎを着てバイクを整備していた少女だった。髪はぼさぼさで目は胡乱げで、口も微妙に半開きのどうにも信頼できそうな整備屋という風情ではない。何処までもぼんやりした少女である。

「おいポンコツ」

 と整備課の生徒は少女を呼んだ。事情を聴いて少女はぼんやり頷くや、のっそりと戦車のぐるりを巡り、手に持ったスパナでぞんざいにこんこんと叩いて回った。素人目には、それが音を聞いて何がしかを確かめているのか、それとも遊んでいるのか、ダージリン様には判断がつかなかった。そしてそれは整備課の生徒も同じようで、自分で指示したにもかかわらず胡散臭そうにそれを見ていたのだという。

 三週半したあたりで少女はこんこん叩くのを止め、一度引っ込んだかと思うと、缶と包みをもって戻ってきた。

 何かの工具だろうかと思いきや、それは自販機で買ってきた缶の紅茶と、売店で売っている様な安いクッキーだった。少女はかしゅりと缶を開け、クッキーの包みを開き、何度か小首を傾げながら戦車の上に並べ、整備課の生徒に「10分くらいかな」と眠たげに言った。整備課の生徒は「ああそう」と素っ気なく返して、引っ込んでしまった。

 少女ものそのそと引っ込んでしまおうとするもので、慌てて呼び止めると、少女は不思議そうに小首を傾げ、そしてたっぷり10秒は停止し、そのあと何もかもわかったというように頷いて、ダージリン様を奥へ連れ込んだという。

 何がしかの説明があるのだろうと期待したダージリン様を待っていたのは、自販機で紅茶を二本買い、その一本を渡して寄越す少女の姿だった。

「クッキーはさっきのでカンバン」

 それだけ言って、美味そうにでも不味そうにでもなくちびちびと紅茶を啜る少女に、ダージリン様はすっかり呆然となさって、飲まないの、と不思議そうに尋ねられて、ようやく缶を開けたそうだ。

 鉄と油のにおいに包まれて、安っぽい缶の紅茶を啜る10分間は、全く異世界にでも迷い込んだような不安と不可解さで胸が一杯だったとダージリン様は笑って仰った。

 そうして10分経って、連れだって出てみると、野良猫か烏でも来たものか、クッキーはなくなり、紅茶の缶は転げて地に落ちていた。

「おいポンコツ、どうだ」

「たぶん大丈夫」

 そんな短い会話があって、整備課の生徒が乗り込んでイグニッションキーを回すと、果たしてどるどどどと軽快にエンジンは回りだしたのだった。

「後は軽く調子を見てそちらに届けますんで」

 と告げる整備課の生徒に生返事をして、ダージリン様は少女に改めて何をやったのか尋ねたそうだ。

「紅茶とクッキーを置いた」

「そういうことではなくって……いえ、そうするとどうして動くのかしら?」

「三時のおやつ」

「は?」

「悪戯した後はお腹が空くわ。空いたお腹にお菓子を詰めたら眠くなる」

「…………誰が?」

「誰かが」

「グレムリンでもいたというのかしら?」

「さあ。妖精を見るには、妖精の目が必要だから」

 噛み合わない。

 整備課の生徒に聞いてみても、さっぱり要領を得ない。ただ、原因不明の不調があっても、この少女に任せると、何故かは分からないしどういう理屈かもわからないが、とにかく動くようにはなるという。

「そんな不確かな物に今まで乗せられていたのね」

「知らなけりゃ確かも不確かもありゃしませんよ」

「……それもそうね。そして私は彼女を知ったわ」

「は」

「貴女、ポンコツさん、妖精さん。うちにいらっしゃいな」

「…………エンジン弄っていい?」

「規定以内なら爆発するギリギリまでチューンしていいですわ」

そいつは素敵ね(Wouldn't It Be Loverly?)

 その日の内にダージリン様は必要な書類を整え、鉄とオイルの匂いを紅茶の園に持ち込んだのだった。

 彼女をうちの隊員に相応しく仕上げてちょうだいな、と頼れる副官に放り投げた優秀な隊長様である。そして放り投げられた頼れる副官が私だ。きついジョークだ。

 聖グロリアーナ女学院のイーストエンドと呼ばれる人口過密地域に住まう少女を風呂に放り込んで煤と油で汚れた爪の間まで磨き上げ、ぼさぼさの髪をふわっふわに仕上げ、アイロンのかかった制服を着せてサイズの合った靴を履かせ、淑女に相応しい振る舞いと物言いを叩き込んで、ようやくここまで仕上げた私の努力を理解してもらいたい。

 花売りイライザをレディに仕立て上げたヒギンズ教授もかくやという苦労だった。尤も、私は彼女を面白いとは思っても、我が美しき君(My Fair Lady)などと思ったことはないが。

 彼女が、ダージリン様の後押しがあったとはいえ、誉れ高きローズヒップの名を賜った時は、我知らず涙ぐんだものだ。ようやく解放されると。

 彼女の教育は全く骨が折れた。見かけはどうにでもなる。躾れば振る舞いも直せる。言葉遣いだって時間をかけて修正した。だがその中身は……その中身ばかりは私ではどうにもならない。彼女自身によってしか変化しないのだ。根気のいる仕事だった。

 オペラを観に行き、ミュージカルに連れて行き、映画を見せ、本を読み聞かせ、とにかく何でもやった。そうすることで彼女を人間の側に近づけようと努力した。だが今でも分からない。彼女が果たしてこちら側にきちんと馴染めているのか。そして私のいる側をこちら側だと定義するのならば、彼女のいる側はどちら側なのだろうかと。

 ぱきん、と角砂糖の割れる音がして、私は思考に沈んでいた意識を浮上させた。

 角砂糖を齧るローズヒップの横顔が見えた。

 人間と同じ顔をして、妖精の見える少女。言葉は通じるけれど、真意が通じているか不安な相手。

 もしかするとダージリン様がOSに例えたように、彼女と私とでは使用している基幹言語が違うのではないだろうか。そう思い立ち、不意に私はローズヒップの嘯いた、妖精を見るには妖精の目がいるという言葉を、理解したような気がした。

 異質なものを理解するには、その異質なものの視点がいるのだ。ローズヒップをこちらに近づけるのに、人間の視点をたっぷりと教えたように、私がローズヒップを理解するためには、彼女の世界の見方を知る必要がある。

 はたして私はローズヒップをその意味で理解しようとしたことがあっただろうか。自分の常識の範囲で判断しようとし、自分の手の届く範囲の文献に当てはめようとした。しかしそれは理解ではない。オレンジペコは不思議そうにしながら、時折の奇行に驚かされながら、それでも隣でローズヒップの行いをただ黙って見つめていた。あれはきっとそうなのだ。妖精の目を見ていたのだ。妖精を見つけるために。

 私が新たな心持で彼女を見つめていると、ローズヒップは自分に何か問題でもあっただろうかという風に自身を見下ろした。紅茶は跳ねているし、角砂糖はぽろぽろこぼしているし、人目がないから座り方も荒っぽい。だが気にした風もなく顔を上げて、両手をひらりと翳すや彼女はしれっと言ったものだ。

「『手も顔もちゃんと洗ってきたんだよ』」

 成程、それが彼女なりの私への理解か。妖精の目で見る私は、随分愉快なことになっているらしい。

「『私のスリッパはいったい、何処だい?』」

 くすくすと心底楽しそうに笑うローズヒップに、私は目を細めた。彼女の事はいまだにきちんとは理解できないが、そんな彼女の顔にも慣れてきたものだった(I've Grown Accustomed To Her Face.)

 

 

 


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