ガールズ&パンツァー 乱れ髪の乙女達   作:長串望

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ガルパン劇場版を見て、みほ杏の闇とかいう新境地に踏み込んでしまった結果がご覧の有様だよ。
お姉ちゃんがサイコパスな妹の恋愛事情にひたすら胃を痛める系の一人称独白。
土下座でも何でもするので許してくだち。


乱れ髪の乙女達(みほ杏)
打てど響かず守りを知らず恋する姿は乱れ髪


 自室のデスクで読書をしていると、つい最近になってようやく交流を再開した妹からメッセージが届いた。

 友達と遊びに行った店で見つけた可愛らしい小物の写真やら、戦車の上で猫が昼寝をしてしまって困ってしまったとかいう微笑ましい雑談やら、もう何度もメッセージを受け取っているというのに、通知画面に西住みほの名が表示される度に、未だに私は身構えてしまう。

 それはみほの気遣いなのか、狙ったように私が一人で寛いでいる時間に割り込んでくるからかもしれないし、私がみほに対して今も尚態度を決め兼ねているからかもしれない。

 深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ。

 呼吸を整えてから、改めて携帯電話を操作してメールの内容を確認する。

 一通りざらっと読み終えて、携帯をデスクに置き、温くなった珈琲を一口啜る。濃いめの珈琲が、乱れた気持ちを整えてくれる。苦味が気持ちを集中させてくれる。

 おかげでメールの内容を頭の中から残らず吐き出そうとする本能的な反射を理性で抑えることが出来た。

 再度携帯電話を開き、出来れば見なかったことにしてしまいたい、いっそ削除して本当に知らなかった振りさえしたい、妹からのメッセージを再確認する。

 文面はこれ以上ない程にシンプルだった。いっそ頭を捻る程に難解であればよかったのに。

「こっちの学校で恋人が出来ました」

 返事を求めるでもなく、ただ事実を報告しましたといった潔い程のシンプルさ。

 それで、それを報告してお前は姉に何を求めているのだ。嗚呼、わかっている、わかっているとも。みほ、お前は別に何も求めてはいないのだろう。家賃がどうの、家電が壊れたのでこれくらい使いましただの、そんな事務的な報告の一つとしてメッセージを寄越したのだろう。何の他意もない、それこそ私が賛成するだの反対するだのそんなこと微塵も考えていない、単なる報告。

 頭痛がしてきた。

 妹に、恋人。

 あの西住みほに、恋人。

 普通、姉というものは妹に恋人ができたと聞いたときどう反応すべきなのだろうか。私は正解を知らないし、規範にすべき参考例も身近にいない。なのでこれが正しい反応なのかどうなのかはわからないのだが、この時私は安堵と不安という相反する感情を同時に心中に抱いていた。

 この相反する、しかし一つの原因から派生する二つの感情に挟まれ、私はしばし悶絶した。どう処理してよいかわからなかった。

 それこそ、その問題からしてみれば、妹が通うのが女子高であり、当然その学校で出来た恋人は疑いようもなく同性であろうということさえ、後々になってからああそう言えばと気づいた程度の些事であった。

 安堵と不安。二つの感情が起因するのは、西住みほが些か以上に壊れた人間であるという認識であった。

 つまり、この時私の心中で争っていたのは、あの間違って人間の形で生まれてきた機械がようやく人間じみた振る舞いをするようになったかという安堵と、あの手放しで褒めたくなるほど人間の物真似がうまい人形とお付き合いをする相手は果たして無事で済むのかという不安、この二つであった。

 

 私が、実の妹が本当に血のつながった人間なのか、というより本当に血の通った人間なのかと疑い始めたのは何時の事だっただろうか。

 物心ついたときは、まだ普通の姉妹の心算(つもり)でいたように思う。私も幼い子供だったし、みほはもっと幼い子供だった。私にとってみほは父母の愛情を横取りしていく邪魔者であり、山分けする子分であり、纏わりつく足枷で、庇護すべき弱者だった。要するに子供心にも妹に対して嫉妬しながら、しかし妹分という存在に優越感を覚えてお姉さんぶっていたという、複雑なんだか単純なんだか如何にも子供らしい子供だったのだ、私は。

 一方でみほの方はどうだっただろうか。あれは昔から大人しい子供だった。大人しい子供に見えるように振る舞っていた。今こうして思い返してみると、あれは正しい対応の仕方がわからず、人の遣り方を見て覚えようとしていたのではないかとも思える。あれは今でもそういう所がある。集団の中で浮かびもせず沈みもしない、けれどないがしろにもされずかといって無駄に絡まれたりもしない、曖昧な位置取りで周囲を俯瞰している。そうしていつの間にか場を支配して、一等甘い蜜を吸える立ち位置に立つのだ。

 体も大きくなって、二人で連れ立って遠くへ遊びに行くようになると、みほの異常性がちらちらと見えてきたような気がする。あれは何処までも要領の良い子供だった。常にみほを連れて行くのは私で、何をするにしてもみほは私の後をついて、私がするからするのだという風を装っていた。その実、自分の遣りたい事を上手い事私を誘導してやらせているにすぎなかった。先に私がやり、みほはそれを参考にして行動するから失敗しない。何か危ない事や、いけない事をしたとしても、それはお姉ちゃんである私が率先してやり、妹にもやらせようとしたという形になるのだ。

 当時は何で自分ばかりという程度にしか思っていなかったが、要するに私は自分より幼い妹に、気付かない程たくみに操縦されていたのだった。

 私が本格的に妹を恐れるようになり始めたのは、ある程度物事の分別がついてきて、妹との会話が時折噛みあわなく感じられるようになった頃からだろうか。

 例えば小学校の夏休みの自由研究。朝顔の観察日記を適当に仕上げていた私を尻目に、みほは嬉々として近場の山で昆虫採集に励み、楽しげに昆虫標本を作り上げた。まだ男女が入り混じって遊び、区別が大してない頃のことだ、学校の先生は好奇心旺盛で元気があってよいことだと褒めていたが、私は知っている。提出する標本を仕上げるまでに、みほが構造を調べるために夥しい数の昆虫を丁寧に解体しては記録していたことを。学校から帰ってきた昆虫標本を、完全に興味を失った白けた顔で無造作にゴミ箱に突っ込んだことを。

 勿体ないと零した私に、みほは不思議そうに小首をかしげたものだ。もうわかったからいいの、と。その時は分からなかったが、要するにみほは中身が見たかったのだ。どういう仕組みで、どうやって動いているのか。知ることで、みほは昆虫を支配下に置いていたのだ。どうすれば容易く壊せ、どうすれば殺さずに生かせるのか。みほにとって知ること、調べることは支配することだった。

 翌年の夏、ゴミ箱に解体された小動物が無造作に放り込まれていた時、すわ事件かと騒ぎ出す大人たちを尻目に、私だけは犯人を知っていた。騒ぎ立てる大人たちを見て、ああ、次からは目立たないように捨てたほうがよさそうだというような冷めた目をした妹がそこにはいた。

 当時から飼っている犬に、私はみほを近づけないようにした。出来るだけそばにいてやり、目を離さないようにした。みほは暫く不思議そうにそんな私を眺めていたが、ある日やっとわかったというような朗らかな笑みで言ったものだ。家の中ではやらないよ、と。

 宣言通り、みほはうちの犬には手を出さなかったし、むしろ普通の子供の様に可愛がりもした。それはつまり一番身近な普通の子供の見本であった、私と全く同じ様にということだが。一切の愛情なく犬を愛でるという奇怪な光景に、しばしば私は混乱させられた。

 十分な体が出来てきて戦車道の教えを受けるようになってからも、みほは相変わらずだった。実に要領よく私の陰に隠れて物事を覚え、実に器用に少し劣る程度に模倣した。あれは或いは私以上の才能があっただろうに、求めているものは周囲から逸脱しない事だけだった。いつも私はそれが不思議でならなかった。その頃になると私はすっかり妹を同じ人間とは思えなくなっていた。どうしてこいつはわざわざ大変な思いをして人間の皮をかぶろうとしているのだろうと心底不思議だった。

 悩む私とは裏腹に、実際の所は至極簡単な物だった。私の真似をするということは、つまり、大人から褒められるという事だったのだ。自分で言うのもなんだが、私は良く出来た子だった。私は大人に認めてもらえるように頑張ったし、結果もそこそこに出せていたように思う。みほはそれに上手い事くっついて、褒めてもらおうとしていたのだ。遣ろうとすれば私よりもうまく遣れただろうに、あえてそうしなかったのは、私より優れていると、私から褒めてもらえなくなると思ったからだった。人は自分より優れたものを敵視する。嫉妬する。しかし自分より劣っているものは手放しで褒めてやれる。みほはそれがわかっていたから、私より少し劣る、しかしそれでも懸命についていこうとする健気な妹を演じていたのだ。勿論、上手く遣る場合何処まで遣っていいかわからなかったからというのもあっただろうが。

 思うに、あれも存在承認に飢えていたのだ。私が大人たちに認めて貰いたがったように、みほも人間に認めて貰いたかったのだろう。決定的に理解できない、致命的なまでに共感できない、同じような造りをした、でも根本的な所で違う生き物でも、まともに交渉できるのは人間だけだったのだから。

 

 勿論、そんなのは私が今までの人生でみほを見てきて思っただけの、みほと会話して受け取っただけの、根拠も何もない戯言に過ぎない。人見知りで、臆病で、気の優しい、そんな評価通りの普通の女の子なのかもしれない。

 けれど私は今でも、みほが転校して、家にも帰らなくなった時の、母の言葉が忘れられない。

「あれは何処から来たのかしら」

 母は本当に不思議そうにそう言ったのだった。

「いま遠くへ行こうとしているあれは、元々何処から来たのかしら。より強い戦車道を求めてきた西住の至る所があれなのだとしたら、あんなものなのだとしたら、西住は何かを掛け違えたのかしら」

 私よりも長い間、大人としての視線でみほを見続けた母は、疲れたようにそう呟いたたのだった。

 

 少し、思い出に浸り過ぎた。思い出というにはあまりにも飾り気のない、美しさもない、ただただ不気味な記憶だったが。

 私はとにもかくにも、事態を把握しなければならないと決意した。うまく行っているにしても、行っていないにしても、とにかく恋人関係がどういった形で納まっているのか、見てこなければならないと決断した。たとえ妹が人と物の区別がいまいちつき兼ねる様な生き物であっても、それでも、私はお姉ちゃんでみほは妹なのだから。

「ああ、エリカ。少し頼みがあるのだが」

 私は早速、付き合いのいい副官に連絡を取ることにした。

 

 逸見エリカの操るヘリで大洗女子高まで空の散歩を楽しみ、指定された着陸場所に降り立つ。急な来訪だったが、電話の一本で許可してくれ、出迎えにまで来てくれる寛大さであった。一応は戦車道のライバル校なのだが、スパイを気にしなくていいのだろうか。いや、寧ろ気にしているから、手の届く範囲で管理し監視しようというのだろうか。この学校の生徒会長はどうにも読みづらい。或いは我が校の校風が堅すぎて読みやすすぎるのかもしれないが。

 送ってもらって悪いが、エリカにはいったん帰って貰って、あとで迎えに来てもらうことにした。少し長居するかもしれないし、妹の様子を見に来ただけだから付き合わせるのも悪い、留守を任せられるのはお前しかいない、と色々理由をつけて帰したが、流石にちょっと悪い事をしたな。

 しかしエリカはみほに対して色々と根深いものがあるからな。みほが転校した件に関しても、自分がうまく庇ってやれなかったと負い目に感じてもいるし、同時に置いて行かれたという恨みもあるし、元は慕っていただけに非常に複雑な所なのだろう。もっと素直になればみほとの関係修復も容易いだろうに、妙なプライド持ってるからなあ。

 ともあれ。ヘリを見送って、出迎えに来てくれた妹と生徒会長に向き直る。

 みほはともかくとして、学園艦のトップともいえる生徒会長直々に出迎えてくれるというのは、これはどうなんだろうな。戦車道全国高校生大会決勝戦常連の黒森峰隊長に対しての相応の対応と見るべきなのか、暇だから顔を出しに来たのか、本当にこの健康優良成長不良児は判断しづらい。

 しかしなんだ。近くないか。二度にわたる学園廃校の危機を乗り越えて友情を育み、信頼関係を築いたというのはわかる。そういうのいい。憧れる。黒森峰は盤石すぎてそういうシチュエーションに欠けるからな。

 しかしそれにしても近くないか。肩と肩が触れ合う距離ってそれどうなんだ。お前たち生徒会長と戦車隊隊長で、学園的には生徒会長が上で戦車道的には隊長が上でとかいう面倒臭い上下関係だろう。更には二年生と三年生で学年的にもちょっと隔たりがある仲だろう。私なんか同じ三年生同士でもそんな距離感とってもらったことないぞ。戦車道関係なくクラスでもな。同級生に敬語使われる辛さがわかるか。

 というかなんだその手は。何で手をつないでるんだお前たちは。みほは何となく子供っぽい所があるし、角谷生徒会長に至っては中学生か下手すると小学生で行けそうな外見だから、一瞬微笑ましく感じたりもしたが、どう見ても指絡めてるじゃないか。どういうことだ。説明してくれエリカ。あ、帰したんだった。

 ふむ。

「…………先日振りだな、みほ」

 結局出てきた言葉は無難な物だった。混乱や動揺は敗北につながる。黒森峰は狼狽えない。例え内心がこれ以上なく荒波にもまれていようと、外面は分厚い装甲の様な鉄面皮でなければ。みほにペースを譲ると後が辛いしな。

「うん、ひさしぶり、お姉ちゃん」

「やーやー、この前はありがとね!」

 この前。大洗女子学園廃校の危機を前に、聖グロリアーナ女学院、サンダース大学付属高校、アンツィオ高校、プラウダ高校、黒森峰女学園、知波単学園、継続高校という錚々たるメンバーからなる連合戦車隊をもって戦車道大学選抜チームと繰り広げた一戦の事か。

 みほはあれでなかなか人を惹きつけるというか、個性的な人間ほど『引っ掛かり』を感じさせる人格をしているから、戦車隊の隊長なぞやっているような奇人変人集団に好かれるのは何となくわからないでもない。しかしそれにしてもまさか奇人変人が服着て歩いている様な継続高校の隊長とも知り合いなのかと思っていたら、あれは特に関係なくふらっと参戦してきただけだった。ムーミン谷の旅人は本当にフリーダムだな。

 さて。

 さてさてさて。

 まあ一呼吸の間に少しは落ち着いた。

 事情もどうやらわかってきた。

「みほ、その、メッセージで言っていたのは」

「そうなの、改めて紹介するね、お姉ちゃん」

 本性を知らなければ大層魅力的な、照れたような微笑みを浮かべて、みほは隣の小さな肩に手をかける。肩に置かれた手にピクリと小さく跳ねる角谷生徒会長の微笑みを疑う私を許してくれ。

「こちらが、大洗の生徒会長で、私の恋人の角谷杏さん」

「えーっと、このたび妹さんの恋人させてもらうことになった角谷でっす。改めて、宜しくねー」

 これと言って捻りもない、実に凡庸な紹介である。胃が痛くなるような奇天烈な紹介でなくてよかったと思うべきか、相変わらず当たり障りのない皮を被っていると嘆くべきなのか。

 まあいい。

「みほの姉の西住まほです。みほには至らぬところも多いと思いますが、宜しくお願いします」

 同い年で、外見は完全に年下の相手に、敬語を使って深々と頭を下げる姉がどんな心境かわかるだろうか。正解は、頼むからこの不良物件を不法投棄しないでくれ、逃げ出さないでくれ、である。まあこれがみほの安全圏構築のための偽装恋人だとか、会長という地位を利用するための政略恋人とか、そういう快楽主義者のみほ的に優先度の低い関係でない限り、早々逃がしてはもらえないだろうが。欲しいと思ったものは必ず手に入れてきたからなこの妹は。

 しかしまたなんでこの生徒会長なのだろう。

 この生徒会長もまたなんでみほとかいう対戦車地雷をチョイスしたのやら。いや、そもそもチョイスしたのか。一見仲が良さそうには見えるが、もしやみほの一方的な執着なのではなかろうか。寧ろそうでない理由がちょっとわからない。いや、みほは外面は異常にいいからもてるのはもてるかもしれないが、恋人という親密な関係になったら、いや多分それよりも以前の段階でみほの異常性に気づいていくと思うんだよなあ。気付かないような無能にみほが興味を持つかも疑問だし。

 あれか。

 弱みでも握られているのか。

 なお、一応注意しておくとこれは妹に恋人を紹介された姉の率直な感想である。余りに色気のない感想に悲しくなってきた。

「……みほ。良ければ角谷会長と二人で」

「え、なあに?」

「……っ」

 ちょっとみほのいない所で素直な所を聞いてみたいと思ったのだが、純度30パーセントくらいの殺意のこもった笑顔で牽制されてしまった。残りは独占欲とか嫉妬とか打算とかであって、姉への遠慮とか情愛とかそういうものはこれと言ってない。なおこの笑顔を受けた姉の反応は恐怖と、ああ、あのいずかたより来たりし殺戮マシーンにも、恋人に手を出されそうになって怒るような人間らしい感情がちゃんとあるんだなあ、という感動だった。ほんと悲しくなってきた。よそ様の姉妹事情が羨ましい。

「ああ、いいよいいよー」

「えっ」

「折角の姉妹の再会に水差すけど、私も西住ちゃんの子供の頃の話とか聞いてみたいしねー」

「うーん、会長さんがそう言うんでしたら。お姉ちゃん、あんまり変なこと話しちゃ嫌だよ?」

「ああ、わかった」

 わかったというか、お前に関わる「変なこと」は大抵が西住の名を地に貶めるから洩らすに洩らせないんだが。お姉ちゃん正直もう何についてなら話していいのかわからないくらいだよ。

 ともあれ、未練たらたらに何度も振り向いては去っていくみほを見送り、改めて角谷会長に向き直る。

 こうしてしっかりと向き合ってみると、本当に小さな娘だ。プラウダのカチューシャほどではないが、何かと体力を必要とする戦車道をやっていくのはなかなか大変そうだ。

 しかし目は強い。

 背筋はピンと伸び、立ち居振る舞いにも迷いがない。それは生徒会長として生徒たちに見せる演技なのかもしれないが、小さな体で気負う素振りもなくその重みを背負っている。だからこそ、危ういなとは思う。この少女は、きっと誰にも弱音を晒せないからだ。

 もしもみほが、この強くて脆い少女に突き刺さった小さな棘なのだとしたら、その罅はどこまで拡がる事か。

 その苦労を思って見つめていたら、子供っぽい顔に子供らしくない苦笑いを浮かべられた。

「もー、そんなロボットみたいな無表情で見つめられたら怖いじゃん西住姉」

「む。そんな顔をしていただろうか」

「してたしてた。でもその反応はちょっと西住ちゃんに似てたかな。どこか抜けてるとこ」

 フムン。ぺたりと頬に触れてみたが、いつもと変わりはなかった。確かに、表情もなかった。昔からあまり表情に出すのが得意ではなかった。すぐ近くで笑う妹の笑顔が、或いは悲劇に流す涙が、作り物めいてあまりにも出来過ぎていて恐ろしく感じた幼少期があるからだろうか。人間相手に不気味の谷を見出すことになるとは思わなかったな、まったく。

「まー、立ち話もなんだし、お茶でもしながら話そっか」

 角谷会長の案内で、私たちは場所を移すことにした。

 

 角谷会長が選んだのは、個人経営の喫茶店だった。内装は落ち着いていて、灯りも間接照明を用いた明るすぎないものだ。壁やテーブルに使われている木材はたっぷりと時間を吸い上げて深い飴色に染まった本物で、学園艦建造より以前から使われていたものを、そっくりそのまま移築したように思われた。

「西住ちゃんがここの珈琲好きでね。西住姉も珈琲好きなのかな?」

「そうだな。黒森峰は親独逸だから、珈琲嫌いはさぞかし住み難いだろう」

 食堂には必ずコーヒーサーバーが設置してあるし、自動販売機で最もラインナップが多いのも珈琲だ。それにビール。私もみほも珈琲にはかなり早いうちから親しんできたから、生活の一部といってもいいかもしれない。まあ、そんな私達の母は珈琲が苦手で随分苦労したとは聞く。苦いのが、駄目なのだそうだ。砂糖をたっぷり入れたり、牛乳をたっぷり注いだりしてようやく飲めるくらいで、現島田流当主には若い頃散々からかわれたそうだ。

 先の戦車戦についてぽつりぽつりと話しているうちに、角谷会長の注文した「いつもの」だという珈琲が届いた。

「……ほう」

 非常に濃い香りだ。サンダース付属の隊長のブレイクタイムに付き合った時に飲まされたアメリカン・コーヒーとは雲泥の差だ。字面どおり雲のように薄いか泥のように濃いかというほどに。

 火傷しそうに熱い珈琲を気をつけて口にすれば、口一杯に広がり、鼻腔にまで膨らんで行く芳醇な香り。酸味が少し強いが、濃い苦味と丁度よいバランスだ。みほが好むのも解る。何処か懐かしい、以前飲んだことのあるような。

「もしかして、ダルマイヤー?」

「そーそー、その達磨。わかるもんなんだねー。わたしゃさっぱりだよ」

 王室御用達で有名なダルマイヤー。しかも恐らく、ドリップじゃない。ちらっとカウンターの向こうの店主を見やれば、やはり。ペーパードリップは独逸で生まれたものだし、ドリップ珈琲が主力なのは事実だ。しかし美味しい珈琲が飲みたければ、むかし御婆ちゃんがやっていたようにしなさいというらしい。

 薬缶に細く細く挽いた珈琲を入れて、薬缶の半分まで熱湯を注ぐ。それを気をつけて混ぜてやると、やがて美しい金色の泡で覆われるようになってくる。そうしたら残りのお湯を入れてやって暫く抽出し、濾してやる。

 長らくペーパードリップに慣れた身には物珍しい手法なのだが、これがなるほど美味しいのだ。ぎゅっと濃くて、豊かな香りがたまらない。よもや大洗で飲めるとは思わなかった。

 良い珈琲を飲ませてもらった。

 私の中で角谷会長への好感度がぐっと上がった訳だが、それだけにナチュラルボーンキラーもといみほと付き合っているというのが大変哀れでならない。どうしてこんないい子があんなサイコパスと恋人関係にならなければならないのか。

「みほとは、何故?」

 上手く舌が回らず、簡潔すぎる形に纏まった拙い質問に、角谷会長は苦み走った笑みを浮かべた。

「可愛い妹がどこの馬の骨と、って感じじゃーないね。まあ、実の姉だもんね。私が、私なんかが気付ける事位、当たり前に知ってるか」

 細い身体を背凭れにくったりと預けて、角谷隊長は思い返すように天井を見上げた。

「西住ちゃんから聞いてるかも知んないけど、戦車道を止めてた西住ちゃんを無理やり引き込んだのは私。最初は西住流っていうからどれだけ手強いかと思ったら、おどおどして、お友達に助けて貰ってやっと抗議に来るような、そんなか弱い女の子だったからびっくりしたよ。

 その評価が更にひっくり返されたのは、実際に戦車に乗って貰った時かな。これならいけるかも、なんて言い出した時には、もう今で言う軍神西住みほの顔だったよ。戦車なんか触ったこともないようなド素人集団にてきぱきと戦車の乗り方を教えて、そんなド素人どもが手加減も戦法も分からず目眩滅法撃ってくるような初練習試合でも、ド素人のチームメンバーを上手いこと動かして返り討ちに全滅させて見せた。

 聖グロとの練習試合じゃあ、チームワークの欠片もない、戦車道やろうっていう意識なんて微塵もないへっぴり腰の素人どもに足を引っ張られて、おまけにテンパった河嶋のせいで作戦が盛大に失敗しても、その上であと一歩まで詰め将棋みたいに追い詰めちゃった。

 これはとんでもない拾い物だって思ったね。でも同時に、戦車に乗っているときのチェス・マシンみたいに冷静な西住みほと、友達に囲まれてふにゃふにゃ笑ってる西住ちゃんのギャップに混乱させられたよ」

 良く分かる話だった。私もみほが黒森峰にいた頃、良くそのギャップに悩まされたものだ。最初から本性を知っていた私は、まだ楽だったが。

「西住ちゃんがちょっと普通じゃないなって気付いたのは、うーん、何時だったかなあ。戦車に乗ってるときの方がリラックスしてるって気がついたときかな。砲撃の中でも身体を晒しているのを見たときかな。教えた覚えもないのに、誕生日に自然にプレゼント持ってきたときかな。休日にコンビニで一日楽しそうにしてたときかな。ボコボコにされている熊のぬいぐるみを、ボコボコにされてるのが可愛いからって理由で集めてるのを知ったときかな」

 みほらしい、というべきか。相変わらずその手の奇癖は変わっていないようだ。

「でも一番、あ、これやばいな、って思ったのは、目だよね」

「目?」

「満足そうな目だよ。練習試合でも、公式試合でも、試合が終わると西住ちゃんは、それまでの機械みたいな目が、一転してしあわせそうになるんだ。勝って嬉しいとか、いい試合だったとかじゃない。まさしく『すっきりした』って目。逆に聖グロに負けたときなんかそりゃ酷い目だったよ。誰にも文句なんか言わないし、当り散らしたりもしないし、相手にもちゃんと笑顔を作れる。でも目は言ってるんだ。次は潰すってね。プラウダのときもそう。負けても仕方がないって言ってたけどね、あれはダメージが少ないうちにって言う意味だったんだと思うよ。準備がたりなかったって自分のプライドに言い訳できる間にって。だから廃校の件を話して後に引けないとなったら、あれだけ嫌がってたあんこう踊りで士気を鼓舞してまで勝ちにいった。廃校が嫌だったんじゃない。負けるのが嫌だったんだね。散々足引っ張った知波単の西隊長のことなんか、表面上礼儀正しくはしてたけど、完全に心の中の要らないものリストに入ってたね。すっかり興味を失って、翌日には忘れてる感じの」

「良く見ているものだ」

「まーねー。西住ちゃんを無理やり引き込んだって言う負い目もあって、色々気にかけてたからね」

 色々、という言葉には、複雑な響きがあった。

「西住ちゃんがどういう経緯で戦車道を止めて、うちに転校してきたかって言うのは知ってたよ。知ってて、その上で大洗女子学園戦車道の旗印に掲げたんだ。人の傷口をナイフで抉りながら、脅迫で言うこと聞かせたようなもんだよねぇ。大義名分はあった。選択への支持もあった。でもやってることは人非人だ。ずっと謝るチャンスを探してたんだけどね、西住ちゃん自身が全然気にした素振りも見せないんだ。赦してもらいたくても、その罪を認めてもらえない。この年で胃痛に悩むとは思わなかったね」

 くるくると薄い腹を摩り、染み付いた苦笑いを浮かべる角谷会長。ここまで本音を曝け出すのは、私が大洗に関係のない部外者で、同時に当事者である西住みほの身内という立場にあるからだろう。そんな極めて狭い範囲の相手にしか、この小さな少女は思いの丈一つ吐き出せないのか。

「西住ちゃんが話しかけてくるたび、冷や汗モノだったよ。何せ大洗女子の存続をかけた戦車道の大黒柱だかんね。もし西住ちゃんがよくも脅迫紛いの事してくれたなって蒸し返してきたら生徒会は言い訳の仕様もない。もうやってられない、辞めると言われたら土下座してでも引き止めなきゃいけない立場だった」

「…………やはり、そういう弱みがあって付き合うことに?」

「やはりって!」

 噴出し、けたけたと可笑しそうに笑って、角谷隊長はぬるくなった珈琲を呷った。

「そういう弱み握りそうな妹だと思ってたわけだ」

「まあ、やりかねないなとは思っていた」

「姉妹とは思えない評価だ、こりゃ。でもね、そういうわけじゃないんだ」

 珈琲のお代わりを注文して、角谷隊長は少し考えるように唇を撫でた。

「告白してきたのは西住ちゃんだよ。でもオーケーしたのは私。その頃には……つまり告白を受けた、大学選抜チームとの試合が終わった直後かな。その頃には、私のほうが西住ちゃんにぞっこんだったんだよ」

「…………あんなのに?」

 私の間抜けな問いかけに、今度こそ角谷会長の笑いが爆発した。

 

「あんまり詳しい事は恥ずかしいから言わないけどさ、でもまあ、弱みを握られたってのもあながち間違いじゃないかな。惚れた弱みって奴」

 お代わりのコーヒーで唇を湿らせ、角谷会長は少し照れくさそうに鼻をかいた。

「最初こそ、それこそ胃潰瘍で死ぬんじゃないかってくらい緊張してたんだけどねー。二人で会話する機会も増えて、戦車道のことだけじゃない、西住ちゃんの素の変な所も知っていって、段々絆されていったっていうのかな。なまじ見た目は可愛いもんだから、人とずれた冷たい所とかに触れると、不気味の谷とかいうんだっけ、人間の真似してるロボットみたいで怖く感じてたんだけど、それを通り過ぎるとね、中身は凄い冷たい電子頭脳なんだけど、それがちきちきかたかた言いながら頑張って人間に溶け込もうとしてる感じで、ああ、この娘なりに努力してるんだなって、可愛く思えてきて」

 それはもうストックホルム症候群じみた病気なのでは、と私は思った。

「それはもうストックホルム症候群じみた病気なのでは」と口にもしていた。

「あはは、かもねー。あんまり怖いもんだから、心がそうやって誤魔化してるのかも知んない。でも経緯はどうあれ、段々西住ちゃんの事がほうっておけなくなって、告白された時は、西住ちゃんがどういう人間なのか知ってても、それでも嬉しくなっちゃってさ、後先考えず受けちゃったわけ」

 眉根を寄せて困ったように笑う顔は、その小さな身体に似合わない大人びたものに感じられた。

「きっとこれは西住ちゃんにとって遊びなんだなって、分かっててもね」

 濃く入れられたサンセバスチャンよりも苦い微笑だった。

「西住ちゃんはさあ、サディストって言うんじゃないんだろうけど、自分が優位にないと許せない性質なんだろうね。自分が優位にいると、凄く気持ちがいい性質なんだろうね。私が西住ちゃんに逆らえないから、いざとなれば一言辞めるっていうだけで土下座でもさせられるような相手だから、そんなだから選ばれたんだろうね。廃校を阻止せんと役人相手にも向かっていった生徒会長って言う、本来格上の、年上の、一筋縄じゃいかない角谷杏を、年下の、格下の、戦車隊隊長風情が指先一つ舌先一つで簡単に動かせる。そりゃ、最高の玩具だよ」

「……角谷会長、それは、」

「ああ、いいんだよ。いいんだ、それで。暇つぶしの玩具でも、そのうち飽きてぽいと捨てられるかも知んない道具でも、それでも今は、今のうちだけは、私は西住ちゃんの彼女なんだ。私は西住ちゃんに、美しいものを見たんだ。普通の人と比べたら、歪んでて、捩れてて、捻くれてて、壊れてて、どうしようもない程にどうしようもなくて、自分のことしか考えていないようなサイコパスでも、それでも、私は綺麗だなって思ったんだ。恋なんてそれでいいんだと思うよ。それだけでいいんだ。後になって馬鹿だったなって、笑えるくらい馬鹿らしいのがさ」

 ほんと馬鹿だよねえ、と唇を笑みの形に歪める彼女が、それでもなんだか、泣き出しそうな子供のように見えて、私はまごついた。こういうときどうしたらよいか、コミュニケーション能力に関して些か以上にとろくさい私は判断がつかなかった。まともでない妹と暮らした幼少期と、強い隊長を期待され続けたせいか、私は陳腐な慰め言葉さえ思いつかなかった。

 だから私に出来たのは、妹が、みほが、世間と余りにも噛み合わなくて、頗る機嫌を損ねて膨れていたときにしてやったように、ぐりぐりと頭を撫でてやることしかできなかった。

「ちょ、ちょっとちょっと!」

 妹が何が気に食わないのか、どういう気持ちを表現したいのか、全く分からないなりに、全然共感できないなりに、それでも慰めるときにはそうしてやるものだという固定観念から、私はいつだってみほにこうしてきた。それでみほの機嫌がすっかりよくなるということはまずなかったが、それでも妹は不器用な姉の精一杯の行動を、それなりに評価してくれたような気はする。

 撫でてやる掌の下に隠れて、ほろほろと零れ出したものに、私はただ黙って撫で続けてやることしかできなかった。それは些細なことで泣き出した私に、不器用だった母が怒ったような困ったような顔でしてくれたことであり、そして私に出来る精一杯の「お姉ちゃん」だったのだ。

 

 少しして落ち着いた角谷会長に、私は一応建前として会長が掲げた、みほの思い出話でもしてやることにした。といっても子供の頃のみほはまだ学習途中だったのもあって異常行動が目立つので、割合最近の、戦車道を止めた件についてだった。

「みほが決勝戦の試合中に、川に沈みかけた戦車の救助に向かったというのは、多分知っていると思う」

「うん、それは調べた。そりゃあ、十連覇目前で敗因になっちゃったら、周囲からの視線もきついし、本人も戦車辞めたがるよねえ」

「いや、別に周囲の視線とか気にしてなかった」

「え」

「みほが戦車を辞めたのは、単に褒めてもらえなかったからだ」

「え、はあ?」

 ぽかんとする角谷会長。

 口下手な私は、珈琲を啜りながらすこしずつ、いいたいことを纏めて、説明を試みた。

「みほは、褒められるのが好きなんだ。戦車やってる理由も、半分くらいは戦車で勝ってれば褒めてもらえるからだ」

 もう半分は圧倒的パワーを持った鉄の塊で相手を撃破するのが気持ちいいからだが。

「それで、あのシチュエーションはみほにとって絶好の機会だったんだ。仲間の危機を命がけで助けに行くんだ。英雄的だろう。人命がかかってるから、それはもう今までないほどに盛大に褒めてもらえると思ったんだそうだ。表彰物だとな」

 ところがどっこい、待っていたのは非難の嵐だ。

「勿論、助けてもらった娘達は感謝したし、救助自体は責められる筋合いなんてないんだが、その年が最後だった三年生達は優勝を逃してすっかり意気消沈したし、十連覇を期待していた学校側も祝宴の準備がすっかりパー。西住流の家元である母も面子があるし、人として素晴らしいことでも戦車道で敗北した以上手放しで褒めてやる事はできない。それでまあ、全然褒めてもらえない上にじわじわと真綿で絞められるように責められて、すっかり臍まげてな」

 懐かしい話だ。

 多分、あの事件の事を知っているものは大抵、おどおどした西住みほが、攻め立てられてすっかり意気消沈し、戦車にトラウマを作って引退したとかそういうストーリーを思い浮かべるのだが、実際はもっとふてぶてしかった。母に説教されたあと、みほは部屋に篭って不貞寝し、慰めにいった私に、頬を膨らませて拗ねに拗ねたみほは、ぬいぐるみをずたずたに引き裂きながら「私もう戦車辞める」と吐き捨てたのだった。

 あんなのでも実力は抜きん出ているみほが抜けると戦力的にもきついし、私も妹が離れるとぼっちになるし、兎に角不器用ながらに言葉を重ねて説得しようとしたのだが、「やだ。やだ。ぜーったいやだ。やーだー」と駄々をこねられ、終いには「みんなが、お母さんが謝るまで帰らないから」と転校手続きを勝手に進め、大洗に旅立ってしまったのだった。

「えー……それって親子喧嘩して家出したって事?」

「しかも家出先の居心地が良すぎてそのまま住み着いたわけだな。お前達は素人の集団でいくらでも見下せただろうし、黒森峰みたいに型に嵌った戦術押し付けないし、優越感この上ない中でいくらでも褒めてくれるしな。軍神とまで褒め称えられて有頂天だろう」

「あー…………それでトラウマ持ってるらしいのに、途中からしれっとした顔でえげつない作戦がんがんぶっこんできたんだ」

「うん。あと多分、大会でやる気出したのは、自分を褒めてくれなかった黒森峰を、黒森峰が、西住流が認めなかったえげつないやり口でぼろくそにしてやりたかったんだろうなあ」

「拗れてんねえ、西住ちゃん」

「ああ、歪んでるよ、みほは」

「でもいいこと聞いた。これからは西住ちゃんのこと褒め殺しにしよう。子供みたいな承認欲求持ちってちょろくていいわー」

「何かあったらとりあえず持ち上げておけば機嫌持ち直すしな、みほは」

 などとみほを肴に結構な時間お喋りに興じてしまった。口下手な私だったが、長く過ごした妹のこととなれば少しは舌も回るし、角谷会長はなかなかにお喋りが上手だ。久しぶりに充実した時間が過ごせたように思う。

 改めてみほをよろしく頼むと頭を下げて、会見は思いの外平和に終わったのだった。

 

 店を出る前に角谷会長は、私との話が終わったことと、今喫茶店を出るところだということをみほにメっセージで報せた。みほはあれでなかなか執着心が強いので、小まめに連絡を入れないと後で色々突っつかれるのだそうだ。

 店を出て、さて、どうしようかと尋ねれば、ここで少し待てばいいよと言われる。言われるままに数分待つと、示し合わせたようにみほが姿を現した。いくらなんでも早過ぎないだろうか。どこで待機していたんだお前は。

「多分近くの戦車ショップ。待ち構えてたんだろうねー」

 そっと囁く角谷会長。うわぁ。束縛厳しい系彼氏かお前は。

 みほも合流したことで、ぽつぽつと雑談を交わしながら校舎へと移動を開始したのだが、不意に角谷会長が声を上げた。

「あ、西住ちゃーん、合流したてで悪いんだけど、ちょっとお手洗い。先に行っててー」

「あ、はーい」

 小走りに去っていく角谷会長を見送ってから、みほが袖を引いてくる。

「お姉ちゃん、会長さんとどんな話したの?」

 窺うような目つきで聞いてくるみほに、ああ、角谷会長はみほが私に質問したがっていることに気付いたから離れてくれたのだなとようやく気付いたのだった。

 しかし面倒な奴だ。実の姉にまで警戒心剥き出しにするとは。

「変な話はしていないよ」

「だから、どんな話したの?」

「世間話。……あとどうして付き合うことにしたのか、とか」

「会長さん、なんて言ってた?」

 おおう、やたらと食いつきがいい。

「ええと…………お前から告白されたとか、そういうことくらいだ」

 余り詳しくは、流石に言わないほうがいいだろう。角谷会長にも秘めておきたいことくらいある。

 しかしみほは食いついて離れない。そんなに気になるものだろうか。角谷会長は惚れた弱みだとすっかりべた惚れの様子だったし、他にライバルもいなさそうだし、みほがそんなに気にする事はないと思うのだが。

「何か、悩みでもあるのか?」

 言ってから自分で噴出しそうになった。自分が恋愛相談など出来るガラかと。しかしみほは大真面目にこくりと頷いたのだった。

「あのね、お姉ちゃん。会長さん、その、私が辞めたら困るとかそういう話しなかった?」

「ん。ああ、そういう話は、した」

 なんと答えたらよいかわからず、とりあえず肯定だけした私に、みほは何かを読み取ったのか、がっくりと肩を落とした。

 それから、げんなりとした様子でぽつぽつと語り始める。

「あのね、お姉ちゃん。私、会長さんのことが好きなの」

「うん? だから付き合っているんだろう」

「それはそうなんだけど、なんていうか……最初は苛めるのが楽しかったの」

 本性を知っている実の姉相手だからといって、かなりショッキングなカミングアウトである。

「私が何かお願いしようとしたりするとね、会長さん、すっごい緊張するの。私を脅迫して無理やり戦車道に引き込んだこと、負い目に感じてるんだね。それが凄く可愛くて、何度もどうでもいいお願いしたりして、遊んでたの。そうしたら、ああ、赦して貰える機会さえくれないんだなって、隠れて辛そうな顔して、それがまた可愛くて!」

 駄目だこの妹。性根が曲がっている。

「それで、この人を好き勝手玩具にできたら楽しいだろうなって、ちょっとずつ距離を縮めて、外堀を埋めて、自由を奪って、選択肢を無くしてから告白したの。好きです、付き合ってくださいって」

 おっかしいなー。自分をアピールして好感度上げるって普通のことなんだろうに、どうしてみほの場合不穏な単語が散りばめられているのか。

「そしたら…………そしたら会長さん、真っ赤になって、涙ぐんで、『私なんかでいいのかな。私、私は、西住ちゃんのこと好きだよ』って。告白したの私の筈なのに、そのあと、私のことがどれくらい好きか、どこが好きか、謝りながら言われたんだ」

 普段なら困ったような表情を作っているだろうが、しかし本当に心底困っているらしく、全くの無表情のまま抑揚のない声で続けるみほ。

「なんだかそれを見てたら、凄く可愛くなってきて、嬉しくなってきて、好きって言ってもらえるのがこんなに嬉しいんだな、心地いいんだなって、それで、それで気付いたら、」

 暫く言葉を捜すように視線をめぐらせ、みほは結局汎用的な言葉を選んだ。

「私、会長さんのこと凄く好きになってたの」

 先程まで袖を引いていた手が、がっしりと私の腕をつかみ、みほは前のめりに私に無表情を突きつけてくる。随分余裕がないようだ。

「でも、会長さんは、私が弱みを握って甚振って楽しんでるって、きっと思ってる。それもあるけど、でもそれだけじゃないの。でも会長さんは私が会長さんのこと甚振れるから、玩具にできるから恋人になったと思ってて、私が好きだって言っても信じてくれないの。何時も辛そうに、私も好きだよ、嬉しいよって言うの。付き合ってるのに、恋人なのに、キスもしたのに、私の気持ちが全然伝わらなくて辛いの。ねえ、お姉ちゃん、どうしたらいいかな?」

 完全に自業自得なことをみほは全く反省していないようだが、それでもみほなりに現状を辛く思っていて、どうにかしたいと考えていて、そして角谷会長を思う気持ちはとりあえずの所、本物の恋じみたものではあるらしい。

 しかし、口下手で、コミュニケーションが苦手で、恋愛なんかさっぱり分からない上に、現状それどころではない私に言えるのはこれだけだった。

「う、腕の骨が折れる……!」

「人間には215本も骨があるんだよ! 可愛い妹の悩みを聞いてよ!」

 とりあえず爆発しろ拗れカップルが。

 

 幸いにも腕の骨を圧し折られる前に角谷会長が戻ってきてくれたことで助かったが、指のあとがくっきり残るほどの加減のなさだった。一応あとで皹が入っていないか見てもらったほうがいいかもしれない。

 折角だから妹さんと水入らずでゆっくりしていけばと提案してもらったが、これ以上長居すると腕の骨だけでは済みそうにないので、仕事があるからと逃げることにした。エリカに連絡を取り、急ぎで迎えに来てくれるよう頼む。

 エリカが来てくれるまでの時間を必死で世間話に徹し、角谷会長にはみほの言葉を信じてやることを、みほにはとにかく素直になることをアドバイスとして残し、私は無事大洗女子学園からの脱出に成功したのだった。

「あの……隊長? 何だか物凄く疲れていらっしゃるようですが……」

「いや、気にしないでくれ。ゆっくり安全運転で頼む」

「は、はあ……」

 何だか良く分からないという顔で、しかししっかりと仕事はしてくれる副官がこんなにありがたいとは。

 死ぬほど疲れている私に気を遣って、運転に専念してくれるエリカに感謝して、私はぐったりと座席に身を預けた。

 まさかメールの一本からあんなに面倒臭い戦場に誘い込まれるとは。次からみほのメールは警戒したほうがよさそうだ。まあ今までもしていたが。生まれつき少々螺子のずれた所があるとはいえ、気兼ねなく話せるたった一人の妹がああなってしまうと、もう私に残されたオアシスは忠実な副隊長逸見エリカだけだ。

 気は利くし仕事は出来るしまともな人格だし、全く、エリカを副隊長にして本当に良かった。みほに懐いたときはどうしようかと真剣に悩んだものだが、あの事件をきっかけにみほと離れ離れになってくれて本当に良かった。「今回の大会は残念だったわね」という、みほを慰めるために放った言葉をあえて曲解させて広め、みほ排斥の筆頭格として噂を流した甲斐があったというものだ。自分の不用意な発言でみほを追い詰めてしまったと悩むエリカを慰め、何も悪くないと支え、むしろ逃げ出したみほこそが責められるべきだと吹き込み、二人で皆を見返してやろうと煽り、私以外誰もお前を理解しない私だけがお前の辛い気持ちを分かってやれる私だけがお前の進むべき道を指し示してやれるお前こそが私の隣に立つに相応しいみほでも他の誰でもなくお前だけが私の副官だどうか私を助けておくれエリカ妹に見放され母親からも愛されず黒森峰の西住の名を復活させよという重責に私だけでは耐えられないお前が必要だエリカお前だけがと刷り込んで本当に本当に良かった。

 ああ、エリカ、お前だけが私の癒しだ。私の可愛いエリカ。

 全くみほも面倒な恋をしたものだ。

 恋人(いぬ)は愚直なほど忠実な物に限る。

 

 

 了


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