森のピアノと   作:さがせんせい

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月光

 橋本先生と一ノ瀬さんは、気がつくと休憩時間に話していることが多く、橋本先生がドラムを叩く動作をすると、一ノ瀬さんは笑いながらピアノを弾く仕草をする。

 二人がとても楽しそうに話すものだから、周辺には人が集まる。

「えぇ? カイくん、森でピアノ弾いてたの? ロマンチックだな〜。あ、だからあんな月光弾けたの?」

「あはは、あれは先生の教えもあってこそですけどね。でも、森のピアノがなかったら、そもそもこうしてピアノを弾いてなんていなかったと思います」

「うんうん、きっかけは大事だよね。何事も、ちょっとしたことで変わるわけだし。なにより動機付けにもなる!」

 このように、初対面のはずなのに、長年の友人のように会話が続いているのだ。

 一ノ瀬さんって、やっぱりどこか変だよなぁ。

「久美子ちゃん、どうかしましたか?」

 ぼうっと二人の様子を眺めていると、緑ちゃんから声をかけられた。

「んー? とくに意味があるわけじゃないんだけどさぁ。一ノ瀬さん、どうしてああも簡単に人と話せるんだろうって」

「一ノ瀬さん、警戒心を抱かせないと言うか、話しやすいんじゃないですか?」

「そうかなぁ?」

「そうですよ! あんなに音楽が好きな人が、いい人じゃないわけないじゃないですか!」

 にこにこと、それはもう嬉しそうに話されると、毒気が抜かれる。

 緑ちゃんも、自分の世界観というか価値観があるからね。

「おや、もう仲が良くなったようですね」

「ふふっ、あの二人、ちょっと似てるせいかも」

 先生方はそれを予想していたのか、こちらも談笑していた。

「さて。みなさん、次の演奏で本日は終わりとしますので、最後の集中をしてください。一ノ瀬くん、橋本先生。仲がいいのは良いことですが、そろそろ始めますよ。続きは練習後にお願いします」

「「はーい!」」

 滝先生が呼びかけると、騒いでいたみんなが席に戻っていく。

 それは中心にいた二人も例外ではなく、声を揃えて返事をし、前へと歩く。

「いやー、滝くん怖いねぇ」

「たはは、思ったよりねちっこくて、蛇みたいですよね」

「お、確かに! いやー、さすがは滝くん」

「なにか言いましたか?」

「「なんでもないでーす!」」

 滝先生から抑揚のない声が聞こえたかと思えば、肩を組んで陽気な返事をする一ノ瀬さんと橋本先生。

 いやいやいや、仲良くなりすぎでしょ……。

 よく話しかけているところを見かける優子先輩や鎧塚先輩の様子をうかがってみれば「なにあれ……」と呟いて呆れていた。鎧塚先輩に限っては無反応である。

「一ノ瀬くんは人との壁とかないのかねぇ」

「あすか先輩……」

 休憩時間にも関わらず、外に一人、吹きに行っていたあすか先輩が帰ってくるなり、二人の光景を目にしたのだろう。

 普段と変わらぬ声だが、少しばかりの驚きと呆れが感じられた。

「ああいうタイプは調子狂わされそうだからねー。まあ、一ノ瀬くんにかき乱す気がないからいいんだけど」

 どこか冷静で、それでいて冷え切ったような声に転じたそれは、私の耳に残る。

「先輩、それどういう――」

「練習始まるよ、黄前ちゃん。ほーら、集中集中」

 頰をつままれ追求できぬまま、滝先生の話が始まってしまう。

 結局、あすか先輩の発言に対して質問することはなく、この日の練習は終わりを告げられた。

 

 

 

 

 夕食も食べ、お風呂にも入り。

 あとはもう寝るだけとなった時間の中。

「……ピアノ?」

 隣にいたみぞれから声が上がったのは、そのときだった。

「どうしたの?」

「誰かが、弾いてる」

「え? あ、ちょっと……みぞれ?」

「優子、行こう……」

 服の裾を掴まれたかと思えば、珍しくみぞれから行動を起こした。

「はあ……いこっか。こんな時間に楽器持ち出すような人はいないと思ったんだけど」

 そもそも、ピアノとは言ったが、あるとしたらキーボードだろう。

 キーボード……なんか、すっごく心当たりがある気がするのよねぇ。

 みぞれにつられるままに進んでいくと、どうしたことか。

「よりにもよって外で弾くって……」

 充電してあったのか、キーボードを持ち出し、音量こそ抑えているが、好き勝手に鍵盤を叩く一ノ瀬の姿がそこにはあった。

「月光……」

「え? みぞれ、わかるの?」

 隣で聞くみぞれに尋ねると、ひとつ首を縦に振り、

「ベートーベン。ピアノ・ソナタ第14番……嬰ハ短調作品27−2」

「うわっ、予想よりずっと詳しく出てきたわね……」

 その曲名は、月光――。

 月明かりはしっかり辺りを照らしているのに、一ノ瀬の付近だけに月明かりが集まっているように思える。

 最初の演奏のときから、ずっと耳に残る、一ノ瀬のピアノ。

「……っ」

 聞いていると、みぞれが息を飲んだのがわかった。

 ふと隣を見れば、胸の前で手を握り、目を瞑って聞き入っている様子のみぞれが視界に映る。

 いつも、誰の演奏にも反応を見せたりしないのに……珍しい。

「っていうか、なんなのよこれ…………」

 隣の光景も滅多に見ないものなのだが、それ以上に、どうしてもわからない点がある。

 キーボードを弾く一ノ瀬の周りに、リスや小鳥たちが集まってきているのはおかしいでしょ! なんであいつの肩にも小鳥がとまってるのよ!

 そう声に出して叫びたいところなんだけど、みぞれも聞き入っているし、なにより、あいつの演奏はそんなことを許さない。

 練習疲れもあり、積極的に演奏を聴きたいとは思わない私の耳も、このピアノの音は絶対に逃さない。

 鼓動が逸るのを感じる。

 どうしようもなく、切なくなる。

 音に疲れた私を、まるごと包んで、こんなにも心を締め付けて……こんなにも、愛おしい。

「――……きれい」

 いつしか、私は森にいた。

 背の高い木々に囲まれ、空から降る月の光のみが照らす、森の中に。

 やがて最後の一音を弾き終えると、一ノ瀬の周りにいた動物たちが散り散りに去っていく。

「ふぅー……あれ?」

 大きく伸びた一ノ瀬は、近くで聞いていた私とみぞれに、すぐに気がついた。

「優子にみぞれじゃんかー。どうかした?」

「音、聞こえたから」

 彼の問いに、みぞれが簡素に答える。

「ふーん? そっか。来たのは二人だけ?」

「たぶんね。他の子たち、もう寝ちゃってるか、もしくは女子会よろしくなってるからね」

「あー……うん、なんとなくわかる」

「いや、なんで男のあんたがわかるのよ」

 確かに、悔しいけど、女の私から見ても綺麗ではあるけど! 女装させたら様になるどころか、男と思わないくらいになるとは思うけど!

「そう睨むなって優子。威嚇してくる蛇じゃあるまいし」

「誰が蛇よ!」

 んもう、この無神経! わざとやってるわけじゃないのはわかるけど、これはこれでむかつく!

「優子は、人……?」

「んーまあ、人だろうな」

「あ、あんたたちねぇ……」

 みぞれが首をこてんと傾けながら、なぜか疑問系で聞いてくる。

 たまにノリがいいというか、空気を読まないというか。こういうときのみぞれは結構掻き乱してくるわけね。

「私が人かどうかの話をしたいわけじゃなくてね」

「優子、人じゃない?」

「みぞれー? 私は人だからね? いいわね!」

「……わかった」

 ひとまずは良しとして、一ノ瀬に向き直る。

「他に人がいないからいいけど、弾くならせめて中で弾きなさいよ。どうして外なわけ?」

「悪いかなーとは思ったんだけど、月が綺麗だったから、ちょっと月明かりの中、森を感じながら弾きたくなったんだよ。ほら、ここってちょうど机も椅子もあったわけで」

「はあ……あんたねぇ。滝先生には許可取ったんでしょうね?」

「……弾く許可は取ったよ」

「場所は?」

「…………すいませんでした」

 呆れた。

 あれだけのピアノが弾けるのに、こうしたところは自由人なのね。

 いや、自由人だからこそ? ほんと、よくわからない奴。

「ピアノ、もっと聞きたい」

 こっちが一人呆れてるところに、一ノ瀬の服を掴んだみぞれが彼に話しかける。

 他人に対して積極的なみぞれを見るのは、これで二度目だと思う。

 かつて、私たちの中心にいて、いまは、私たちを振り回している一人の女の子。

 彼女以外に、みぞれが自分から話しかけに行くなんてね。

「私も、もう少し聞きたいかな」

「なんだよ、さっきまでは文句言ってたくせに」

 嫌味を口にする一ノ瀬だが、その顔には笑顔を浮かべていて。

「だめ?」

「いや、いいよ。でも、今日は俺のステージ。演目は、ショパンだけでな」

 言うが早いか、一ノ瀬は再びキーボードの前に座り込んだ。

 私たちも、机を挟んで反対側の椅子に腰かける。

「なんでショパンオンリーなわけ?」

「俺と、俺の先生のためかな。結局は自分事だけど、ショパンを弾くのは、コンクールのため。そこで、俺の音を世界に届けるため」

 私たちが全国出場のために全力で当たる中、一ノ瀬は世界を相手にしようとしている。

 こいつの口から漏れる言葉から、いくつかそれらしいコンクールは見つけている。

 世界……。もっと、うまくならなきゃ。

 こんな間近に、もっと上を目指して努力している人がいるんだもの。もっと、もっと。

「うまくなりたい」

 呟いた言葉は、演奏に掻き消え、誰に聞かれることもなかった。

 けれど、確実に。

 私の中で、練習に対する気持ちが変化した瞬間でもあった。

 同時に、みぞれにも変化が起きていたことを、私は次の日の合奏で、知ることになる――。


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