森のピアノと 作:さがせんせい
滝先生主導のもと行われた、北宇治高校吹奏楽部との初演奏。
1度目は、俺の解釈で、シミュレーションのまま弾いた結果、演奏はほぼ壊滅した。
それならと、2度目はもとから出来上がっている北宇治の音に合わせ、寄り添うイメージで弾き切った。
「どうでしたか、彼らの演奏は」
疲れているのか、座り込んで動かないみんなを放り、滝先生が話しかけてくる。
「京都府大会で聞いたときも思いましたけど、ダイナミックで、力強い。トランペットのソロは伸びやかで、甘く切ない響きを、静かに穏やかに表現するんだなって」
「一ノ瀬くんの弾く三日月の舞は、三日月よりも月明かりといった感じでしたね」
「そうですね。森の中、唯一照らしてくれる一筋の月光」
「確固としたイメージですね。素晴らしい表現力でした。それで――最初の演奏と、いまの演奏。一ノ瀬くんがいま話してくれた表現は、どちらのことですか?」
この人、笑顔はいい人そうに見えるのに、結構腹黒いのか?
自分が受け持っている部員の前で、それを言わせるか。ジャンもそうだったけど、指揮者ってバッサリ切っていくタイプの人ばかりなんじゃないだろうな。
けど、ここにいるみんなは俺と同じ。
コンクールで最高の結果を出そうとしている、自分の持てる全部を出し切ろうとしている人たちだ。ウソをついても、どうにもならない。
「自分の思った通りに弾いたのは、最初の演奏です」
「いまの演奏は、オーケストラに合わせたピアノでしたね。決して間違いではなく、演奏としてはこれでも正解でした。優等生としてなら、満点に近いのかもしれない」
ジャンも、似たようなことを言っていた。M響での初合わせのときと、同じ状況だ。
「前にも、似たようなことがありました」
「……そうでしたか。そのときは、なにを言われたか覚えていますか?」
「えっと、優等生の演奏をするつもりなら僕を選ぶべきではなかった、信じて思いっきりぶつかって来なさい。ということを言われました。それから、オケの全員にですけど、最大なる集中を、と」
「いいことを教わっていますね。みなさん、一ノ瀬くんの話を聞いていましたか? 彼の演奏は、ピアノではありますが、私たちの演奏ではぶつかり合えないのが現状です。彼のピアノに対する姿勢や、表現力をできる限り学んでください。いいですね?」
滝先生が、部員全員に伝える。
思えば、M響での練習中はもっとお互いに声をかけていた気がする。ぶつかりあって、やっといい音にしているのが日常だった。
「俺とじゃなくて、みんなでぶつかってみるのも、音の表現の確立やイメージの共有にいいかも」
「ええ、私もそう思います。難しいことではありますけどね」
誰も彼も、遠慮なく言い合えるわけじゃない。
そうした人たちといられることが、どれだけ幸福なことだろう。少なくとも、この場所は、それができる場所だと感じる。そのはずなのに、互いが互いに遠慮しているような違和感が拭えない。
「さて……思ったより時間を使ってしまいましたね。今日はここまでとします。明日はパート練習のあと、また全体での練習をします。一ノ瀬くん、明日は演奏を聞いて、どう思ったかを教えてください。みなさん、いいですね?」
全員から、疲れた声ではあるが、しっかりと返事が返ってくる。
部活動はそのまま終わったが、今日は昨日以上に人がやって来る……。
あのピアノはなんだだの、最初の演奏はどうなっているんだ、とも。逆に、2回目の演奏は良かった、ピアノなのにあそこまで噛み合うとは思ってもいなかった、なんて言葉もあった。
ピアノがメインに出張る曲じゃないし、そちらの演奏も、俺がシミュレーションしたアレンジだからなぁ。
「やっぱり、上手なんですね」
周りから人が引いていくタイミングで話かけてきたのは、トランペットパートの麗奈だった。
「それは、ありがとう。そう言ってもらえて良かったよ」
「どうやったら、あそこまでの表現力を得られるんですか?」
「気になる?」
「気になります」
聞き返すと、間髪入れずに答えが返ってくる。
その顔は真剣で、本気で聞いてきているのがこっちにまで伝わって来るほどだ。
「……自分を、信じることかな。『どうせ』とか『俺なんか』って塞ぎ込まないで、伸び伸びと。自分のできることはすべてやって、毎日続ける。毎日、毎日積み重ねていけば、おのずと結果が出るよ。それが必ず、自身になる。自分を信じることができるようになれば、あとは簡単さ」
「それは、自信をつけるための話じゃないですか?」
「ん? それもそうか……」
2度の合わせ、そして京都府大会の演奏。3回ぶんの音を思い出しながら、阿字野の教えも交えて口を開く。
「八方破れの演奏で、色々な方向にエネルギーが飛び出していた。エネルギーを外に出さず、自分の中に……エネルギーを感じて、感じて、掴み取る。そうしながら、音をイメージしていくんだ。どこかで、必ず熱くなるところや、落ち着くところがあるから」
「それ、どうやったらわかりますか?」
「俺は色々なところにいったり、色々な遊びをしたよ。虫眼鏡と太陽光で紙を焼いて楽譜を書いたり、山にいったり、海に潜ったり。飛び出すエネルギーをひとつひとつ、内なるエネルギーに変えていって、更なるエネルギーとして、音楽に表すんだ。って言っても、わかりづらいかもしれないけど」
「いえ、少しわかったような気がします。ありがとうございました」
そう応えた麗奈は、ひとつ礼をすると、楽器を片付けに行ってしまった。
自分のやってきたことは、森のピアノが根底にあったからこその練習にも思えるが、それでも他の誰かがつかめるものがあるのなら。
「ねえ、一ノ瀬。ちょっといい?」
「お、次は優子かー。いいよ、なに?」
気になることは聞きに来る性質なのか、自分の意見をしっかり持っているからなのか。トランペットパートの子たちは主張が激しい。
「パート練のとき、聞いたわよね」
「俺のピアノの話?」
「そう、それ。初めてであれだけ弾けるんだったら、コンクールでもいいところまで行けるんじゃないの? なのにどうして、優等生じゃないなんて言うのよ」
これは、怒りだろうか。
「事実だから、かな。前にも、指揮してくれた人が他の人に言っていたよ。優等生のピアノを選ぶなら、俺を選ぶべきじゃなかったってな。現に、俺も、俺の先生も同じ意見だったし。コンクールの裁定にもよるけど、やっぱり向いてはないよ」
「うそ! だって、だってあんたのピアノは……」
「2回目の演奏は、優等生だったと思うよ。でも、俺はそれじゃダメなんだ」
阿字野が望んでいるのは、俺が世界に響かせたい音は、俺の――一ノ瀬海のピアノだ。
雨宮のような、正確で正しいピアノはかっこいいし、憧れる。でも、俺にはそれができるわけでも、向いているわけでもない。
小学生の頃から、そうしたピアノがかっこいいとは思っている。
でも、俺はもう、俺の音を見つけたんだ。一ノ瀬海のピアノを、世界に。
「あれだけ正確なピアノが弾けるなら、それで――」
「俺のピアノじゃないよ」
「――え?」
言葉を遮って発言したせいか、優子から間抜けな声が漏れた。
「あくまで、俺のできる優等生のピアノだっただけ。俺が弾きたいのは、表現したいのは1度目だった。でも、ぶつかり合うのに失敗したんだと思う。俺には俺の音があって、ピアノがある。だからごめん。パート練のときの言葉に、ウソはないよ」
「そう……」
「そうそう。コンクールも、過去に2回出たきりだしね」
「結果は?」
「1度目は……予選落ち。2度目はソリスト賞、かな。最優秀には程遠いって感じだな」
予選落ち……と、正面で小さな声が溢れる。
優子はコンクールに対しても強い思いがあるのか、その結果に納得がいかない様子だ。
「それだけうまいのに、どうして」
「コンクールだから、かな。1度目のコンクールは置いておいて、2度目のコンクールは途中で弦が切れちゃってさ。で、仕方ないからアレンジしたんだ。もちろん、コンクールなら『不運だった』で落とされるよ」
このときは、例外としてソリスト賞があり、M響が目をかけてくれたから良かっただけ。
なにも動かなければ、そのまま落ちていただろう。
「そんなの!」
「でも、今度はそうはさせない」
阿字野との、言葉にはしないけど約束がある。
俺にも、個人的な目的がある。まだ果たせていないけど、俺には夢見ている光景がある。もう、自分の中では決めたこと。
「今度は、俺の未来がかかっているからね、ピアニスト・一ノ瀬海の今後がさ」
「あはは、なによそれ」
少しおチャラけた感じで言うと、優子もつられて笑みを浮かべた。
これで、出来上がりつつあった嫌な雰囲気も霧散するだろう。
「まあいっか。それと、もうひとつ質問。みぞれが聞いた曲って、どんな曲だったの?」
「んー……アレンジ盛りのわりとかっこいい感じの曲?」
なんてぼかして伝えたら、横から曲名が飛んできた。
「たんたんタヌキ」
「あ、みぞれ。たんたんタヌキがどうしたの?」
「曲……弾いてた」
意味を理解したのか、優子が俺に目線を移す。より正しく言うのなら、俺の手と、ピアノにだ。
考え込んだ彼女は、次に滝先生へと話しかける。
「滝先生。一ノ瀬くんにピアノを弾いてもらいたいんですけど、いいですか?」
「ええ、構いませんよ。一ノ瀬くん、予定が空いているのなら、みなさんが帰るまではピアノを好きに使ってもらって構いません」
「ありがとうございます。さあ、そういうわけだから!」
もちろん弾くわよね? と、声に出さなくても言いたいことがわかった。
「弾いていいなら、せっかくだしな」
「たんたんタヌキ」
みぞれがまた横で曲名をつぶやく。
「もしかして、気に入った?」
「……わからない。でも、あなたのピアノ、なんだか不思議」
俺はキミのことが不思議なんだけど。
とりあえず、北宇治のみんなに聞いてもらう、楽しいピアノ。
少しばかりの俺のステージを、目一杯、楽しんでもらおう。