森のピアノと   作:さがせんせい

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トランペットパート

 ――香織さんたちのトランペットパートは、彼女を中心に回っていることがよくわかる。

 というより、崇拝者がいることによって、円滑に進められているというか。

「やっぱり変人ばっかりだ」

 昨日の低音パートから打って変わり、今日はトランペットパートの練習に参加している。

 あすかさんに、香織さん。

 どちらも、この吹奏楽部での影響力が強い人らしい。そうした人たちから先に会わせていくということは、なんらかの意味があるんだろう。

 というか、影響力の強い人の元には変人が集まりやすいのだろうか?

「リボンでかいなー」

 香織さんと楽しげに話す、同学年の女の子。

 相槌を打つたびに、頭のリボンが揺れるのだが、主張が強い。

「というわけで、もうみんな話したことがあるかもしれないけど、ピアノ奏者の一ノ瀬海くんです。仲良くしてあげてね」

 香織さん含む、7人のパート。とりわけ、パート内での比率で言えば2年生が多いみたいだが、仲は良さそうだ。

 人気の楽器だってジャンから聞いたことがあるけど、限りある枠なのにここにいるってことは、みんな上手なんだろうな。

「一ノ瀬はピアノ、うまいの?」

 リボンの子――吉川優子が聞いてくるが、これには困る。

 コンクール基準でいけば、俺のピアノは微妙な位置にいる。いわゆる、正確なピアノであり、模範的なピアノがうまいという枠であるのなら……。

「優等生ではない、かな」

「なにそれ」

 納得いく答えではなかったのか、優子の目つきがきつくなる。

「さっき、みぞれからとても上手だったって聞いてるのよ? あの子だってピアノ弾けるから、余計にわかるのかも」

「えー……コンクール目線でなら、優等生じゃないのは本当なんだけどな」

 さっき弾いていたのも、アレンジしすぎたものだし、この前のコンクールでも、途中で弦が切れたから、足りない音を補うために、演奏中に急遽アレンジして弾いた。

 少しのミスなんて気にもしない骨太な演奏だと評されたこともある。

「みぞれが人のこと誉めるのは珍しいのよ……滝先生が呼ぶだけのことはあるってことね」

「まあまあ、優子ちゃん。でも一ノ瀬くんのピアノは、みんな気にしてるからね。しつこいかもしれないけど、許してあげてね」

 胸の前で手を合わせる香織さん。

「怒っているわけじゃないですよ。気になるのも理解できますし、一人だけ聞いたことがある状況が良くないのもわかります」

 いまがコンクールの練習中でなければ、滝先生から時間を貰い、部活動中に弾くってのも有りなんだけど、さすがに練習時間を削らせてまでってのは気がひける。

「コンクールがどうとかは別として、滝先生がお呼びになったんですから、上手なんですよね?」

 それでも追求しようとしてくるのは、初めて話す1年生の子だ。

 艶のある長い黒髪と、滲み出る自信に溢れたクール系美少女。最初に自己紹介してもらったのだが、高坂麗奈と名乗っていた。1年生はもう一人、吉沢秋子という子がいる。

 ちなみに、今回のコンクール曲のソロを担当しているのも、麗奈だとか。早い話、トランペットパートで最も優れた奏者が彼女だ。

「下手だとは言わない。個人的な視点で見ていいのなら、俺にはピアノを弾くしかない、と思う程度にはってことしか、答えられないかな」

「ピアノしかないってことですか?」

「んー…………まあ、そんな感じかな。俺にとっても、小さい頃から森のピアノが全部だったし」

「森のピアノ?」

「そう、森のピアノ。俺がガキの頃に、家のすぐ側に捨てられていたピアノのことでさ」

 いい遊び場でもあり、俺のピアノに関わるすべてに通じているきっかけ。

 阿字野に会えたのも、いまこうして生きていられるのも、森のピアノのおかげだ。

「ああ、一ノ瀬くんのことが気になって聞いたら、あすかが少し教えてくれたよ」

「私も。梨子が楽しそうに話してくれたわ」

 二人を皮切りに、もう一人の3年生である沙菜さんに、2年生の友恵が自分たちも聞いたと教えてくれた。

 既に部内に広まっているとでも言うのか? 前にいたPクラでも噂が広まるのは早かったが、そういうところは学校でも変わらないというか、女子特有だな。

「え? なにそれ。俺知らないんだけど?」

「私も初知りです」

 トランペットパート唯一の男子である純一は聞かされていないらしい。1年生は……低音パート組が広めていないためだろう。

 麗奈も秋子も、いま知ったはずだ。

 低音パートにいる男子は卓也だけなので、彼も特に話していないのだろう。あまり多くを話すタイプじゃないみたいだしな。

「知らなくてもいいんじゃない? 滝野は一ノ瀬のことなんて興味ないって言ってたもんねー」

「ちょ、吉川! 本人の前で言うか普通!?」

「あはは、気にしないって」

 途端に慌てる純一に伝えるが、彼が答えるよりも早く、

「うわー人が良いねぇ、一ノ瀬くん」

 などと友恵に遮られてしまっていた。どんまい、純一。

「みんな仲良くね。優子ちゃんも、そんなこと言ったダメだよ?」

「はい、香織先輩!」

 場を仕切る香織さんに、とてもいい返事をする優子。それを呆れた様子で眺めているメンバーから、いつものことなんだとわかる。

「高坂さんと吉川さんが知らなかったのは、1年生の間じゃ広まってないからだと思うよ。私たちも、偶然知っただけだから。だからね、滝野くんも落ち込まないで」

「は、はい!」

 純一が背筋を伸ばして応えるが、話しかけられただけでこれとは。惚れていてもおかしくないな。

 そういえば、阿字野先生が「吹奏楽部では人間関係の構図も見えるかもしれないな」とか言ってたっけ。見ていて面白いかと問われれば、それなりに面白い。

 演奏以外で、これだけの人たちと接するのも珍しい。

「それじゃあ、練習始めようか。一ノ瀬くんに聞きたいことは、また部活の後でね。あ、でも無理強いしちゃダメだよ?」

 香織さんが指示を出すと、麗奈が真っ先に個人練に向かう。

 それに続き、教室からみんなが出て行く。

 最後に出る香織さんは、俺に向き直ってから、後の予定についても話してくれた。

「一ノ瀬くんも知ってると思うけど、今日はこの後、全体合奏もあるから時間になったら音楽室に戻ってね」

「わかりました」

「うん。じゃあ、みんなの練習、好きに見て行って。本人の許可が出たら、トランペットパート以外の人でもいいからね」

 ひとつ手を振り、歩き出す香織さん。

 昨日のあすかさんとは違い、他人のことを気にかけ、調和を重んじる人のようだ。仲の良し悪しに個性は関係ないとも聞くが、予想よりも違う人たちなんだな。

 あすかさんは他人とかどうでもいいみたいだし、自分の練習時間が削られなければ満足して吹いていそうなイメージがある。

 香織さんは積極的に人に教えていそうだし、全員で頑張りたいって人な気がしている。

 だからこそ、合うのかもしれないけど。

「さって、誰から覗きに行こうかなぁ。ソロの練習も聞いてみたいし、話しやすそうな人から見ていくってのも有りだし」

 とりあえず、迷ったら気の向くままに、だな。

 

 

 

 

 麗奈のソロと、香織さん、優子の個人練を見せてもらった後。コンクールには出ない組が一同に集まって合奏練習をしていたので、そこで見学をしてから。

 残り時間が少ないので適当に歩いていると、廊下の突き当たりに人影があった。

「あれって……」

 彼女とは、とことん縁があるみたいだな。

 とはいえ練習中のようなので、静かに佇み、奏でられる音に集中する。

 音が外れることはなく、完璧なまでに楽譜をなぞられる演奏。まるで、雨宮のような、正確で安心する音だ。

「でも、違うんだよなぁ」

 雨宮とは決定的に違う。

 誰かに聞かせるために音じゃない、楽しむための音でもなく。

 この音は――苦しいだけだ。

 この音には、なにもない。乗せるべき感情も、伝えるべき相手も、なにもない。技術があるだけの、苦しい音だ。

「俺がそう感じるだけならいいんだけど……」

 奏でる音は個人のもの。

 不用意に立ち入って、いまの完璧な演奏が崩れるのもまずい。けれど、彼女の感情の乗った音を聞きたいという欲も確かにある。

 まだ府大会には猶予があるけど、どうなんだろうな。

「って、時間かよ! ああ、もう……そのうち話してみるか!」

 とりあえず、今日のところはダメだな。

 この後全体合奏だし、邪魔できるわけがない。

 それに、最初にやらないといけないのは、会話の成立からだし、彼女と普通に話せるようにならないと。心を、開いてもらう必要がある。

「演奏よりも難しそうだよ、阿字野」

 自分を送り込んだ先生の顔を思い浮かべながら、音楽室に戻るために身を翻す。

「ピアノの人……」

 と、譜面台やら水筒を持っているオーボエの女の子がこちらに寄ってくる。

「えーと、みぞれだっけ?」

 あすかさんと優子が呼んでいた名前を思い出し、彼女に対して呼んでみると、小さく頷いてくれた。

 もしかして、会話が続かないだけで、話は聞いているタイプなんだろうか? だとしたら、思ったより話せそうだ。

「いろいろ持ってくの大変そうだな。それ持ってもいい?」

 楽器に、チューナーやリードケース、タオルにと上げていけば多くの物が出てくるが、とりわけ楽器と譜面台は大きい。

 会話のために立ち止まっていたのが幸いしたのか、一時的に置かれていた譜面台を持ち上げる。

「楽器店で演奏してたときのよりも軽い……最近のはそうなのか?」

「あの……」

「だいじょうぶ。落とさずに音楽室まで運ぶって」

「え? ……わかった」

 やはり会話といった会話はなく、音楽室への道を進む。

 ここは、こちらから聞いていくしかないか。

「オーボエ、吹いてて楽しい?」

「……わからない」

「わからない? でも、凄い正確に吹いていたじゃん。それだけやる気があるってことだろ?」

「……わからない。なんのために吹いているのか、わからない」

 なんのために、か。

 ただわからないわけじゃなく、なにか、あるいは誰かのために吹いていた過去がある言い方だった。

「あなたは、なんでピアノを弾いてるの?」

 そのまま沈黙するかと思ったが、予想外にも、彼女は質問を返してきた。

 少し考えたのち、答えは自然と溢れていく。

「そうすることが、俺の全部だからかなー」

「全部?」

「そう、全部。それが俺に与えられたすべてで、そうなることが、俺と俺の先生の目指すモノだから。なんて、抽象的なことしか言えなくてごめん」

「誰かの、ため……?」

 彼女の目に、不安の色がよぎる。

「それがないとは言えない。でも、俺は俺のためにも弾いていたい。世界中に、俺の音を響かせたい。いまはそう思ってる」

「そう……」

 俺の答えを聞いて以降、みぞれが声を発することはなかった。

 ただ、前を見据える瞳に浮かぶ表情に、いい色が見られることはない。

 そのまま、話だけは進み、距離感は変わらないまま、音楽室へとたどり着く。

「譜面台、ありがとう」

「ああ、うん。そうだ、今度オーボエの音、しっかり聞かせてくれない?」

 せっかくなのでお願いしてみると、案外簡単に頷いてくれた。

 そのまま、音楽室に入っていく彼女の後に続いて音楽室に入る。

「今日は滝先生はまだいないのか。しかたない、ピアノ椅子にでも座って待ってようかな」

 演奏中はどこにいればいいのか、滝先生が来たら聞くとしよう。

 




海は絶対に共感覚以上のなにかを持っている気がしますが、それを他人に伝染させるような手法も身につけてますよね。
それはそれとして、みなさん誓いのフィナーレは見に行きましたか? 作者も5回ほど行っていますが、リズ含めて感情どばどばで大変な状況です。

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