森のピアノと   作:さがせんせい

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なにやら昨日からランキングにのっていたようで。
ハーメルンではマイナー作品になるであろう「ピアノの森」のクロスオーバーが思ったよりも読まれているようで嬉しいです。
もっと増えても、いいんですよ。


悲しげな音は

 演奏の最中、突然音が変わることは、ありえないことではない。

 小学生の頃に出たコンクールでも、ピアノが変わった人を見てきた。だから、たとえピアノじゃなくても、それがないとは言い切れない。

 音は生きているから、変化もする。

「昨日、なにかあったのかな?」

 最初は、正確すぎる音だけだった。感じるものはない、完成した無機質な音。

 でも、いまは。

「いろいろ、ごちゃごちゃしてる……」

 いい変化なのかはわからないけど、感情のなかった音に、一気に感情が戻ってきた。

 それなのに、音は良くはならなくて。

 感じる音は、悲しげで、不安で、とても綺麗なのに寂しい。

 昨日ピアノを聞いていたときは、普段となにも変わらないように見えた。優子もなにも言わなかったし、おそらくあの時点じゃまだ普通だったんだろう。

 となれば、あの後か。

 ピアノを弾いて、別れた後。

「はあ……やっと感情が出てきたのに、前途多難だなぁ」

 だからこそ、本気で聞きたいと思える。

 いまだ表情は変わらないのに、感情が漏れ出し始めた、みぞれのオーボエを。

 この音は、特別になれる。ジャンや阿字野が聞いたなら、きっと楽しみだと言うに違いない。

 みぞれがオーボエの声を聞いてくれたなら。

 俺にはわからない、彼女の中にあるなにかが変わりさえすれば――。

 そうしている間に、何度目かの合奏が終わった。

「どう思う? なんか小声で呟いてたけど」

 隣で聞いていた橋本先生――昨日話でノリが合うのか、『はしもっちゃん』と呼ぶことになったけど――が耳打ちしてくる。

「いやー……オーボエがですね」

「ああ、あのうまい子ね。滝くんはあれでいいみたいだけど、やっぱり気になるよねぇ。特に、今日は不安定っていうか」

「はしもっちゃんもそう思います? 昨日と同じように音は正確なんですけど、無機質な色に少しだけ色がついたというか……」

「そう、それそれ。でも、色が多すぎるね。しかも、寒色や無彩色というか、どうにも不安や寂しさを誘うんだよねぇ。まあ、無理に突っ込んで崩れるのはまずいとは思うけど」

 阿字野も、人には崩れやすい人がいるって言ってたな。

 繊細そうに見えるから、心配ではあるけど。優子も、それがわかっているから気遣っている節がある。

「寂しさはありますけど、綺麗ですよ。月みたい――あっ……」

「なになに、どうしたわけ?」

「いや、もしかしたらなんですけど、昨日の夜にキーボードいじってたんですけど、そのときにみぞれと優子が聞いてて」

「お、青春の話〜? 僕そういうのも好きだよー」

「ではなくてですね」

「えぇ……カイくん絶対モテるでしょ〜」

 はしもっちゃんの話は置いておいて、みぞれの演奏に生じた僅かな変化。

 月光。

 湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう。

 遥か、彼方からの魂の悲しげな声。

 過去、そのように表現されることもあった一曲だ。

 ベートーベンのエピソードとしては、叶わぬ恋があり、その切なさも表現されていると評されることもあれば、身近にいた人の喪失という面も持っているらしい。

 みぞれはピアノに関して知識があるのはわかっている。だから、もしかしたら昨日月光を聞いたせいで、それらの感情と自らのなんらかの環境や想いがリンクしてしまった可能性はゼロじゃない。

 けど、同時にこの曲は変化し、展開していく曲でもある。

 もしも。

 もしも、この状況からみぞれの音が更に変わることがあるのなら。

 深い悩みや後悔の中、それでも顔を上げて、悩みから逃げずに、己の心を出し切ることができたなら。

「そうしたら、みぞれの音はきっと変わる。いまよりもずっと、もっとずっと良くなる」

 いまはまだ、この小さな変化に気づいた人は少ないだろう。

 周りはなにも変容を見せず。

 恐らく気づいただろう滝先生と新山先生は沈黙を守る。

「学生だからか?」

「正解。まだ学生だからね。カイくんの先生がどうかはわからないけど、普通は、まだ高校生だから。それで終わるもんだよ。でも、もったいないよね、こういうの」

「そうですね。あのオーボエは、もっと遠くまで響くことができるのに。このまま籠の中にいても、なにも変わらない。もっと大空に、世界に響くことができる音になると思います」

「だね。よし、ここはこの橋本大先生に任せなさい」

 そう言うと、はしもっちゃんが一歩前に出る。

 振り返り、俺に笑いかけた後、

「こういうのはね、大人の役目なのさ。導くのも、ちょっと嫌われるのもね」

 やけに大きな背中を見せつけながら、滝先生の隣へと歩みを進める。

「滝くん、ちょっといいかな?」

「はい、なんでしょう?」

「うん、いまの演奏について、思ったことを言いたくてさ」

「……そうですか。では、お願いします」

 確認を取ったはしもっちゃんは、咳払いをひとつすると、みんなに話しかける。

 それは、全体の演奏面、パーカスに対する細かい指摘。

 最後に――。

「ねえ、滝くん。オーボエのソロ、あれでいいの?」

 これまで特に指摘のなかったオーボエに対しての指摘に、みんなが息を呑んだのがわかった。

 そんな空気はものともせず、はしもっちゃんはみぞれに向き直る。

「音も綺麗だし、ピッチも安定してる……昨日までの演奏なら、ぶっちゃけつまらなかった。けど、今日の演奏は感情が出ていた。けど、キミはそれでいいわけ? 正直、今日の演奏は悲しすぎる。ずっと悲鳴を聞かされているみたいだったよ」

 ストレートに言ってのけるなぁ。

「昨日はロボット。今日は泣き叫ぶこども。1日でここまで演奏が変わる奏者も珍しいけど、逆に不安定すぎる。鎧塚さん、キミはこのソロをどう吹きたいと思っている? なにを感じながら演奏してる?」

「……月明かりと、森……あと、湖?」

「それでかぁ……このソロはそんな悲壮感でちゃ困る。世界で一番うまい私の音を聴いて! くらいじゃないと! ほら、カイくんやトランペットのソロの子みたいに!」

 ああ、麗奈は確かに自信満々に吹くよな。

 府大会のときも、この会場で一番のトランペット奏者は自分だ! と言わんばかりの演奏だったし。

 麗奈は主張するタイプなんだろうな。

 みぞれも、主張がないわけじゃなく、むしろ音の主張は強い部類だ。けれど、その届く音がここまでつらいのは、俺の演奏だよなぁ。

 月明かりに、森と湖。

 そんなつもりはなかったけど、夜に弾いた月光の側面を演奏に重ねてしまっている。

「表現力はある! あとはその方向性だ! キミたちの演奏はどんどんうまくなってる。でも、些細な食い違いや、方向性の違いで届けるべき表現がてんでバラバラになってるんだよ。この表現が1方向にまとまりさえすれば。そこが強豪校との決定的な差だ」

 これ以上突っ込むつもりはないのか、みぞれへの指摘をやめ、全体への指摘に変える。

「おや。橋本先生も、たまには良いことを言いますね」

「たまには余計だろ? 僕は歩く名言集だよ」

 悪い方向に行きかけた雰囲気まで修正してみせ、あたりには笑顔が戻る。

 厳しくも優しい指導者か。

 俺も過去、阿字野のピアノをなぞって弾いたことがある。自分の音じゃなく、阿字野の真似をして、耳に残る鮮烈な音を再現してしまったことが。

 それじゃダメなんだ。

「自分の音を響かせないと……」

 各々に課題を残し、2日目の練習は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 夜は花火やら出し物をやって盛り上がり、男子連中で楽しんだ。

「さて、みんな寝る時間だよなぁ」

 充電しておいたキーボードを持ち出し、寝泊りしている部屋から離れた場所まで来る。

 ここまで来れば、寝ている人たちに迷惑はかけないだろう。

「やっぱりあんたか……」

 などと思っていたら、優子が待ち構えていた。

 ついでと言わんばかりに、後ろに久美子までいるんだけど。

 にしても。

「優子って、リボンないと認識しづらいよな」

「あんたケンカ売ってるわけ!?」

「いやいや。それで、どうしてわかったんだー? 誰にも見られずにキーボード持ち出したんだけど?」

「さっき黄前と話しているときにね。キーボードがないのに気づいたのよ。まさか、今日も弾くつもり?」

「え? 昨日も弾いてたんですか?」

 優子に聞いてみれば、久美子に昨日のことがばれた。

 隠す必要はないけどな。

「弾くよ、もちろん。朝も弾いてたしな」

「あんた、呆れる程の体力ね」

「まあね。体力つけないと、やっていけないからさ。肉体も精神もタフでないとピアノは弾けないよ。コンサート1回2時間……ヘタすれば3時間。体力も精神も強くなければ、集中力をもって演奏することはできない! これ、俺の先生の受け売りだけどね」

 俺が言われたことを伝えると、優子は真剣な顔になった。

 久美子も、どこか真面目に聞いているように感じる。

「ねえ、一ノ瀬。みぞれの演奏のことだけど」

「あー、うん。たぶん、俺が弾いた月光のせいだと思う」

「そう、だよね……あの子、いろいろあってさ――――……一ノ瀬、今日も弾くんだよね? みぞれ、連れてきてもいい?」

 ここで俺を怒らないのも、みぞれを気遣うのも、優子の優しさなんだろう。

 誰が聞いていても、聞いていなくても。弾くことは変わらない。

「わかった。みぞれを連れてくるまで待ってるよ」

「ありがとう。黄前、あんたは戻って、ちゃんと寝るのよ!」

「え? あっ……あの、私も麗奈を連れてきたいんですけど、いいですか?」

「…………はあ、どうなの、一ノ瀬」

 久美子が素直に従うと思っていたのか、しばしの沈黙の後、優子がこちらに聞いてくる。

「俺は構わないよ。二人とも待ってるから、早く連れてきたら?」

 遠のいていくふたつの足音を聞きながら、夜空を見上げる。

 星々が輝く空の下。

 綺麗なはずなのに、どこか悲しげなその空は、今日の北宇治の演奏とよく似ていた。

 俺がいま響かせるべき音は、この夜空を明るく照らす音なのかもしれない。


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