森のピアノと   作:さがせんせい

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ピアニスト来訪

 せわしなく動く人の群れの中を歩くのは、やっぱり得意じゃない。

 これが森のみんな――蛇やねずみ、鳥たちだったなら、どれだけ簡単に歩けただろう。

 せっかく時間が取れたというのに、俺――一ノ瀬カイの先生は、

「昔からの友人から話が来ていてね。息子の教えている吹奏楽部に来てみないか? って誘われてね。せっかくの機会だ。ピアノだけじゃなく、他の音と奏でられる音色の勉強をしてきなさい」

 だもんなぁ。

 もちろん、興味がないわけではない。条件次第では、ピアノと合わせてもらえるかも、とも言われている。

 俺と同じ、学生に混じっての演奏。

 まだ16歳の俺だけど、なんていうか、学生に混じっての演奏って不思議な気分だ。

「そっか……俺、年の近い人たちと演奏するのって、初めてなんだ」

 ここのところ、ずっと先生と二人でピアノを弾いてきた。いや、弾いていたのは俺一人だけど。

 でも、これから少しの間は、誰かと一緒に弾けるかもしれないんだ。

「ピアノ、早く弾きたいな」

 とは言っても、とりあえずのところは聞いているだけなんだろうと予想がつく。

「いつもみたいに、オケと合わせていきなり弾いてみよう、なんてことにはならないだろうし……あー、弾きたい! ピアノが弾きたい!」

 この辺は先生の知り合いもいないし、好き勝手にピアノを弾ける環境はないと聞かされている。

 唯一、いま向かっている高校だけが、ピアノを弾ける場所なのではないだろうか?

 つまり……。

「演奏に参加できない限りは、弾けないってこと?」

 先生、これはなんの罰なのだろう……それはないな。

 俺のために必死になって居場所を勝ち取ってくれた――いいや。いまも必死で勝ち取り続けている先生が、俺のためにならないことをするはずがない。

「やっぱり、学べることがあるんだよな」

 時間があるわけではない。俺と先生の目標のためにも、時間は惜しい。学べることは全部学んでおくべきだ。でも、まるでないわけでもない。阿字野先生が行けって言ったんだから、無駄な時間になるわけがない。

 だとしたら、きっと俺は、もっとうまくなれる!

 まあ、とりあえずは――。

「時間もあるし、どこかで昼食にでもするか」

 ちょうど、ピアノの音が聞こえて来る。うん、あのお店でいいかな。

 ためらうことなく、俺は店のドアを開いた。

 

 

 

 人混みを抜け、少し歩いてみれば、目当ての高校が見えてきた。

「ひゃー、思ったより遠かったな」

 ただ歩いてきたわけじゃなく、早足で来てこれだ。

 時間を確認すれば、約束していた時間に迫りつつあった。初日から遅刻ってのはあまりに格好つかないぞ!

 店のピアノで遊びすぎたか!?

「こんなんじゃ阿字野にどやされる!」

 早歩きだったのを、慌てて走りに変更する。そうでなければ、遅刻するのが確定するからだ。

 走る中、視界の端に、森のような場所を見つけた。

 深く、昔よくいた森に似た場所。

「こんな日じゃなければ、寄っていけるのに!」

 絶対に今度来よう。今日は――たぶん無理だけど。次は必ず寄っていくからな!

 誰にでもなく、そう伝えておく。

 小さい頃からの習慣のように、流れるように言葉が出て行く。

「って、やばい!」

 高校を目の前にして、時間はもう、聞いていた通りなら、最後の授業を終えただろう。このままだと、すぐに部活が始まってしまう。

 無情にも、授業終了の鐘が鳴り終えた頃。

 やっとの思いで駆けてきた俺は、北宇治高校と取り付けられたプレートを確認しつつ、多少の緊張感を持ちながら正門を抜けた。

 さて、とりあえず音楽室を探そうか。

「こんなことなら、阿字野から地図を貰ってくるんだった……」

 だいじょうぶ、なんとかなるよ。

 そんなことを言っていた自分を殴りたくなる。

 どう考えても、初めてくる土地だ。わかるわけがない。一体、なにを思っていたんだか。

「あとでなにか言われないよう、今日覚えて帰ればいいよな、きっと」

 とりあえず、帰る生徒に聞けばいいのだろうか? ああ、でも俺、今日私服で来てるから、そもそも怪しまれてるかも。

 楽器の音が聞こえ始めればわかるものなのかな。それまで待ってたら遅刻確定。

「下手に職員室に行くのも問題だよな。一応、顧問の先生なら話しているはずだけど、普通は職員室なんて行かずに音楽室に行くものだろうし」

 よし、校内回るか。

 通っている高校――といっても、ピアノの練習やバイトで休みがちだけど――と同じであれば、校舎内を回っていれば、いずれ音楽室も見つかるだろう。

 校舎が多いと大変なんだよなぁ。

 とりあえず、あっちから探そう。

 と思った矢先、楽器……だろうか? それらしきもののケースを持つ女の子が歩いていくのが見えた。

「話しかけるべきか、追うべきか」

 ここで見失う選択肢はあってはならない。

 よし、話しかけるか。

「あの、すいません!」

「…………」

 手を挙げながら駆け寄ってみると、ビクリと肩を震わせながら、女の子が振り向く。

「えっと……音楽室に行きたいんだけど、場所がわからなくて。どこか教えてもらえないかなって」

 青みがかった長髪に、ピンク色の瞳。

 なにを考えているのか読み取りづらい、無表情の顔。けれど、その印象と相まって、綺麗という言葉が似合いそうだ。少なくとも、俺の知っている女の子の中では、一番似合う。

「音楽室なら、こっち」

 外部の人間だというのに、特に警戒することなく歩き出す女の子。

 助かった……普通に案内してくれるっぽい。

「えっと、きみは吹奏楽部の人?」

「……」

 道中、話しかけてみるが反応はない。

 静かげな印象があったが、本当にそのものかもしれない。

 雨宮もたまに集中してて反応しないことはあったけど、それとは別物だな。

 友人のことを思い出しながら、前を歩く女の子を眺める。

「それ、なんて楽器が入ってるの?」

「……」

 もう一度話しけるが、やはり反応なし。これは手強いぞ。

 森の蛇が威嚇してこないように付き合うのより手強い。あいつらは怒れば怒ったで威嚇してくるし、噛み付いてもくるから。

「……オーボエ」

 なんて思っていると、小さな声が耳に届く。

「オーボエ?」

「そう、オーボエ」

 聞き返してみれば、今度は反応があった。

「聞いたことあるよ。ジャ――知り合いの人から、オケの話を聞かされてさ」

 気軽に出してはいけない名を言ってしまいそうになるのを誤魔化しながら、女の子との会話を続ける。

 もちろん、そこまで口数の多いわけではないのだが、なんだかんだ、話してみれば会話になるものだ。

「あそこ」

 指の向けられた方向は、廊下突き当たりの教室。

 どうやら、そこが音楽室らしい。

「うん、ありがとう。おかげで遅刻しないで済みそうだよ」

「遅刻?」

「そう、遅刻。今日からしばらく見学っていうか、演奏? う〜ん……とりあえず、お邪魔させてもらうんだけど、初日から迷って遅刻ってのは格好つかないだろ?」

 第一、阿字野先生が怒る未来がよく見える。

「昨日言ってた人、だったんだ」

「え? なに?」

 女の子の言葉がよく聞こえず、聞き返しても、今度は返事がなかった。

 代わりに、教室に入る前にこちらを振り返る。

「滝先生が、隣の準備室で待ってると思う」

 それだけ言い残し、彼女は教室へと入っていった。

「……準備室って、こっちか」

 どうにも、一人で入るのは慣れないというか、若干不安だ。だいたい、阿字野がノックしてくれてたからかな。

「仕方ない。いざ、行きますか」

 扉を二回ノック、っと。

『はい、どなたですか?』

「すいません、阿字野先生からの紹介で来ました、一ノ瀬カイです」

 部屋の中から聞こえて来る声に答えると、ゆっくりと扉が開く。

 中から顔を覗かせたのは、優しげな印象の、メガネをかけた男性だった。知的というか、育ちの良さそうな人だが、第一印象はと聞かれれば、顔のいい、優しそうな人、だろうか?

「ああ、キミが一ノ瀬くんですね。初めまして、滝昇です。今回は父の件もあったみたいですが、どうかよろしくお願いします」

「いえ。こちらこそ、いい経験ができそうで嬉しいです。多くの楽器が奏でる音には、僕も興味がありますから」

「いい機会になればいいんですが。いま、吹奏楽部は夏の大会に向けて練習を始めています。ですが、音のまとまりは正直、よくありません。そういった、マイナス面も含めて、よく勉強してください。一応、そちらの事情もわかっているつもりです」

 そっか。阿字野は俺たちのことも話しているのか。

 なんとなく、いまのやりとりでそれがわかった。

「ありがとうございます。それで、僕はなにをすれば?」

「まずは、みなさんに一ノ瀬くんの紹介をしましょう。そのあとは、各パート、もしくは気になるパートの練習を覗いてみてください。合奏のときは、思ったままの感想なんかも聞きたいところですね。ああ、それと」

 忘れてはいませんよ、と言いたいばかりに手を振り、こちらに差し出す。

「何度かピアノを弾いてもらう機会もあると思います。そのときはどうか、よろしくお願いしますね」

「はい!」

 こちらに差し出された手を、俺は迷うことなく握った。

 よかった、ピアノが弾ける!

「嬉しそうですね」

「あっ……すいません、ピアノが弾けると思ったら、つい」

「阿字野先生の話してくれた通りの子みたいですね、一ノ瀬くんは。でも、まずはみなさんの音に耳を傾けてみてください」

 ひとます準備室に入れてもらい、今後の話を進めていく。

 俺が来るのは、夏の大会が終わるまで。

 なんでも、今年は全国まで行くというのが目標らしく、この学校の吹奏楽部は、本気で取り組んでいるらしい。

 ちなみに、滝先生は隣の音楽室に今日の部活動の話をしに行ってしまった。ついでに、前日に話していたらしい、俺のことも話すと言っていた。

「コンクールか……」

 始めて出たときは、酷かったなぁ。

 でも、もうそうも言ってられないか。1年後には、俺もその舞台に立つんだ。もう少し待っててくれよ、ショパン。

 心の中で、また会うことを誓いつつ、滝先生の話が終わるのを待つ。

「一ノ瀬くん、話が終わりましたので、どうぞ中に入ってきてください」

 しばらくすると、準備室のドアが開き、滝先生が中に入ってくる。

「わかりました」

「はい。では、行きましょうか」

 手を軽く掲げ、向こう側へと振る滝先生。

 まるで、本番さながらのような言動に、思わず笑みが漏れる。

 本来、音楽室と準備室は繋がっているのだが、せっかくだから、ということで、一度廊下に出て、音楽室のドアから入ることになった。

「いやぁ。入る前に、ひとつ謝っておきますね」

 入室直前、軽い声音で話しかけられた。

「なにをですか?」

「それが、みなさんから今日から来る人はどんな人なんですか? と聞かれて、少々ハードルを上げてしまいました」

 笑顔で語られるそれは、思いもよらないものだった。

「初日からハードルを上げないでくださいよ……まあ、問題事とかは慣れてるので大丈夫ですけど」

「それはよかった。なら、みなさんの相手も頼んでいいですか?」

「音楽のことも聞いてみたいし、やってみます」

 その会話を最後に、音楽室のドアが開かれる。

「では、一ノ瀬カイくん。ようこそ、北宇治高校、吹奏楽部に」

 言われながら、一歩、音楽室に足を踏み入れる。

 すると、すぐに中の様子が視界に入ってきた。

 50人以上はいるな……俺が入ってきたせいか、みんな何事かをしきりに話している。あ、さっき案内してくれたオーボエの子もいるぞ。

「えー、みなさん。彼が、今日からコンクールが終わるまでの間に度々来てくれることになる、一ノ瀬カイくんになります。色々事情はありますが、彼はみなさんと同じ高校生で、現在は高校2年生です。これから数ヶ月間、多くの機会に関わると思いますが、たくさんのことを、彼から学び、また、教えてあげてください」

『はい!』

 教室中から、多くの感情を持った声が響く。

「では、一ノ瀬くん。自己紹介を」

「えっと、一ノ瀬カイです。諸々の事情で、しばらく滞在させてもらいます。みなさんから、色々なことを学べれば嬉しいです。まずは夏まで、よろしくお願いします」

 あいさつを済ませると、あちこちから、よろしくと声をかけられた。

 同時に、最前列にいる人たちの会話が聞こえてくるが、内容は、俺が男なのか女なのか、といった感じのものだ。滝先生が俺のことは「彼」と呼んでいることから察してほしいものだけど。

「一ノ瀬くんは、幼い頃からピアノを弾いていて、今回もピアノ関係の件でうちに来ることになっていました。コンクールまで、みなさんのパートを回り、また、合奏を聞いてもらい、感想も貰います。度々一緒に演奏をすることもあると思いますが、それまで楽しみにしていてください」

「先生! 一ノ瀬くんはどのパートから回るんですか?」

「決まってないなら、トロンボーンからどうでしょうか!」

 話がひと段落したのか、今度は質問の嵐だ。

「一ノ瀬くんは、なぜうちの吹奏楽部に来たんですか!?」

「もしかして有名な方だったり?」

 これは、ぜんぶ答えていかないと終わらない流れかな、なんて思ったのも束の間。

「みなさん、質問は一ノ瀬くんの都合のいいときに。あなたたちは全国を目指しているんですから、あまり遊んでばかりもいられませんよ。最初は低音パートから回していこうかと考えていたのですが、田中さん、よろしいですね?」

「はい、任せてください」

 メガネをかけた、黒髪の女の人に滝先生が話を振ると、まるで問題なさそうに快諾してくれた。

「では、一ノ瀬くんは彼女たちのところへ。今日のところは、低音パートの練習を見学してみてください」

「はい」

 どうやら質問タイムの空気ではなくなったようで、名残惜しそうではあるが、みんなが練習のために教室を出て行く。

 譜面台と楽器を持って教室を出ることから、パートごとに分かれて飽き教室などで練習するようだ。もっとも、俺はそんなことも教わらないと知らなかったわけだけど。

「よっし、じゃあ一ノ瀬くん、だっけ? キミはこっちだよー」

 銀色の楽器を持った人が、俺を連れて行こうと誘導を開始する。

 その後ろには、さらに6人ほどの生徒が続き、どこかもわからない飽き教室へと連行された。

「さて、ひとまず各楽器について説明しちゃいたいところだけど、まずは自己紹介からにしておくか。私は低音パートのパートリーダーにして、副部長の3年生、田中あすかだよん。気軽にあすか先輩って呼んでくれていいからね」

「はあ……」

 どうしよう。あまり先輩ってものと縁がなかったせいか、どうにも呼びづらい。むしろあすかさんって方がしっくり来るぐらいだ。

「あれー? 反応が微妙だなぁ。他校の生徒を先輩って呼ぶのは嫌だった?」

「あ、いえ。元から高校では先輩との付き合いもないですから。ただ、そもそも先輩って呼ぶのが慣れてないだけで。さん付けとかでもいいですか?」

「う〜ん……まあ、一ノ瀬くんは外部の人でもあるからね。それでもいっか」

 思ったより、簡単に了承をもらえた。

 副部長なだけあって、話せばわかってもらえる人なのかもしれない。部活っていうのは、正直よくわからないけれど。

「じゃあ、どんどん自己紹介していこっか」

 あすかさんの進行により、スムーズに話が進んで行く。

 とりあえずは、初日。

 ここでなにが学べるのか、それを探っていこう。

 


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