異世界人こと俺氏の憂鬱   作:魚乃眼

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翌日、十二月の十九日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日はどうやって家に帰ったのかも覚えていない。

起きたら自分の部屋だった。多分、ご飯も食べていないだろう。

母さんに「あんたのそんな顔、今まで見たことがない」と言われた気がする。

それが本当ならやはり、この世界の俺は、文芸オタクで暗かったのかも知れないが、強い男だったのだろう。

俺とは正反対さ。彼の居場所を奪う資格は俺にない。

いや、明智黎そのものが、虚構だった。

 

 

 

 

 

 

俺は"臆病者の隠れ家"を使って朝倉さんの部屋まで行く事が、怖くてできなかった。

もし、彼女の部屋に"入口"が無かったら。俺が彼女と関わっていなかったら。

それを知ってしまえば、朝倉さんがここに居ない事を認めてしまうような気がしたからだ。

そう、俺が"臆病者"なのは、最初から今まで何ら変わっていなかったんだ。

こうなっては、原作知識も、ちょっとした技術も意味が無い。

完全敗北の、その一歩手前、死の淵だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな俺は、昨日と同じくキョンと登校している。

 

 

「"深淵を覗く時、深淵もまた、こちらを覗いている"か」

 

「どういう意味だ?」

 

「オレがミイラ取りだったなら、オレはじきにミイラになる。それだけさ」

 

この世界での俺は、文化祭でこいつとニーチェについて語り合っていないだろう。

エキストラと編集補助をしていたらしい。超人なんて出鱈目もいいとこ。

相も変わらずにダウナーな俺を見て彼は。

 

 

「まあ、その、あれだ。最終手段だってある」

 

「それは――」

 

"あの名前"か、とは言えなかった。

あれは、俺なんかが口にしていい名前ではない。

鍵であるキョンが持つ。唯一にして最大の武器だからだ。

 

 

「――涼宮さんかい?」

 

「ああ。よく知っていると思うがハルヒは、それはそれは凄い、まるで神の如き力があるらしい」

 

「だけどそれで上手くいく保証はないさ。涼宮さんがオレの居た世界を知っていれば別だけど、可能性は無限なんだ。元の場所には戻れないよ」

 

「とにかく、諦めんな。俺はお前みたいなお前を見たくない」

 

「そうだ。オレはここの明智と違って、何も得ちゃいないんだから」

 

「いいかげんにしろ!」

 

キョンの一喝によって登校中の他の生徒がこちらに注目する。

俺も思わず彼を見る。

やがて他の生徒たちは気にせず歩行を再開した。

 

 

「……悪いな、怒鳴っちまってよ。だがな、自分と他人を比べる事に、意味なんかないぜ」

 

「ふふっ。キョンにしちゃいい台詞じゃないか。誰の言葉だ?」

 

「お前だよ」

 

「えっ」

 

キョンは頭をかきながら気怠そうに。

 

 

「ある日、お前が俺にそう言ったのさ。宇宙人、未来人、超能力者、そして神みたいな存在らしいハルヒ。SOS団の中で俺とお前だけが一般人だろ。ハルヒの迷惑にうんざりしてた俺に対して、お前はそう言ったんだ」

 

「この世界の、明智がか?」

 

「そうだ。前にも言ったと思うが、俺の知ってる明智はSOS団のゴタゴタにも何一つ迷惑そうにしていなかった。それがいい事かは別だが、少なくとも古泉と違って、あいつはハルヒと一緒に行動する理由がないだろ? 仕事でも監視でもなけりゃ、俺みたいに強制的にハルヒに引っ張られたわけじゃない。ただ、部室を乗っ取る時に巻き込まれただけだ。でもあいつは、ハルヒと一緒に楽しんでたんだ。この迷惑な日常を」

 

「……良い奴だな。この世界の明智は。オレは独善でしか動いてない」

 

「あいつは言ってたぜ。自分は楽しいからSOS団に居る。こんな取るに足らないちっぽけなオレに、学校へ行く楽しみが出来た。涼宮さんには、SOS団には本当に感謝したんだ。だから、社会的に涼宮さんが非難されようと、オレだけは彼女の味方でいたい。ってな」

 

「素晴らしい。ちょっとした作品の主人公に成れるね」

 

「いいや。誰でも主人公に成れる。それがきっと、あいつの信念なんだろうさ」

 

「そうか、一度会ってみたいよ」

 

「ああ、俺もまた会いたいさ。ダチだからな」

 

そうこうしている内に、校門へと辿り着いた。

キョン。元気づけるにしちゃ下手すぎるが、まあ、今日はこの程度でいいさ。

まだ、俺は生きているからな。しかし、それにも終わりが来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日から短縮授業と言う事で、昼ぐらいには授業が終わる。

しかしそんな事で俺の気分が少しでも晴れる訳もない、逆効果だ。

この日も、俺の後ろの座席は空白なままだ。朝倉さんはもちろん、阪中さんさえ居ない。

もう一人の明智にとっては、阪中さんについて知らないから都合がいいのだが。

 

 

「オレは今日は部活を休むよ」

 

「お前、大丈夫か。まるで――」

 

死に場所を探しているみたいだ。と俺を見たキョンは言った。

そうだったのかも知れない。だが、それでも一度朝倉さんが住んでいる505号室まで行きたかったのだ。

その先に確かな絶望があると、知っていても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、俺はこの世界のSOS団を信用できなかったのかも知れない。

彼らに落ち度はあるはずがない。これは俺氏サイドの問題でしかなかった。

昨日古泉は「また話し合いましょう」と言っていたが、その約束を果たせそうにない。

つまり、ただ時間が消えて行った。意味もなく。

そして見慣れた分譲マンションの前へ来たのだ。パスワードは俺の知っているもので侵入が成功した。

 

 

「まるでフられても尚、固執する男だ」

 

いや、この世に居るだけそいつの方がマシだろう。

仮に長門さんが朝倉涼子を再生したとしても、もう、俺の知る朝倉さんではないのだ。

 

 

「……わかってたさ」

 

505号室。ネームプレートさえない。

そしてインターフォンを押した所で、誰も返事が――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――パチパチパチパチ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、乾いた音だった。

思考能力の残りカスしかないような俺でもその音が拍手だと理解できる。

虚空を見つめていた俺が、音の主の方を向く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『予想した通りだ。君の思考パターンから、今日、学校が終わると、ここへ来ると思っていた。90%を超える確率でね。後の数字は不確定要素だ。気にしなくていい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理解が出来なかった。

緑のロングコートを羽織った人物が、そこに立っていた。

俺が"人物"とそれを形容したのには理由がある。

コートが厚手で、体系が不鮮明。

そして、顔には髑髏をあしらったバラクラバ――強盗などが被る奴だ――で覆われており、口元さえわからない。

眼には黒の濃いサングラス、瞳のあちら側が窺えない。

頭頂部にはバラクラバの上から緑のシルクハットを被っている。

手にはレザーの手袋、皮膚を一切露出させていない。

更にその人物の声は、何故か変声機を使ったかのような声で、正確な音がわからない。

 

 

つまり。

 

 

「誰だ、あんた……」

 

こんな変質者じみた奴を俺は知らない。

一度も見たことが無いからだ。まさか原作で出ているはずもない。

だが、奴は俺を知っている口ぶりだった……どういう事だ?

奴は俺の様子にどこか納得した様子で。

 

 

『おっと失礼。君とは初対面だったね。君は私に聞きたいことがあるかも知れないが、先ず、私が君に質問したいのだよ』

 

「何を言っている」

 

『君がどこまで覚えているかは不明だが、最初の助け舟は十二月十九日……。今回は、"彼女"ではなく私が代わりにその役目を果たしに来ただけだ』

 

助け舟?

何の話だ、意図が全く見えない。

すると奴は俺の傍に近づく。俺は思わず後ずさりする。

そして奴は505号室のドアノブに手をかけ。

 

 

『立ち話もなんだ。続きは中でしようじゃないか。何も無いと思うがね』

 

"ドアを開けた"

 

 

 

なっ、馬鹿な。

無人室と言えど鍵がかかっていなかった訳がない。

しかし、何事もなくそいつはドアを開く。

 

 

 

「お前! 一体何をした!?」

 

『いいから入りたまえ』

 

変声音にも関わらず、確かな威圧がその一言にあった。

 

 

『これは君にとってもチャンスなのだ』

 

「……何のだって?」

 

『それもやがてわかる事だ。とにかく、私の質問は一つだけだ――』

 

その台詞を聞いた瞬間、俺はこの謎の人物に戦慄した。

何故かは今でも不明だ。

 

 

 

 

 

『――真実を、知りたいかね?』

 

 

 

 

 

……ああ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

謎の人物が言った通り、かつて朝倉さんが住んでいた505号室には何も置かれていなかった。

朝倉涼子。彼女が居た。その痕跡、残照さえない。あるのは虚無だ。

俺は直ぐにでも窓から飛び降りてもよかった。いや、実際一人だったならばそうしていただろう。

だが。

 

 

「あんた、何者なんだ」

 

俺の目の前に居る。この骸骨コート。

そいつは俺の質問に対し、やや考えるようなポーズをしてから語りだした。

 

 

『実は私、色々な名前で呼ばれていてね。何故かは不明だが、とにかくそうなのだ。"ウリエル"、"ゴースト"、"ナイチンゲール"、"ストーカー"……一々と全部覚えてはいないがね』

 

「ふざけるな」

 

『ふざけてなどいない。事実だ。だが、私が自称するのはこの名前だけだ。私はJ、"エージェントJ"だ』

 

ますます俺は馬鹿にされていると思った。

エージェントJだと?

何だそれは、エイリアンでも退治してるエージェント連中か?

これでこいつが黒人俳優だったら俺が拍手してやるよ。

ニューラライザーはどこにある?

 

 

『何のエージェントかは気にしないでくれ。とにかく"ジェイ"と呼んでくれると、こちらはありがたい』

 

するとジェイと名乗る人物は床に座した。

この部屋には椅子さえ置かれていない。

不便だが、これしか問答の手段はないのだ。

仕方なく俺もそれに倣う。

 

 

「ジェイとやら、あんた、オレを知っているかのような口ぶりだ。それも、"ここ"とは違うオレを」

 

『すまないが、私も何から話せばいいのか……とにかく整理がつかない。では一つずつ私が答えて行こう。先ず、その質問はイエスだ』

 

「どういう事だ? この世界は改変された世界じゃないと聞いた。いや、万が一はあるかも知れないが、だとしても"こういう風に"する理由がない。オレはこの世界へ飛ばされた。じゃあ、あんたは何でここに居るんだ?」

 

『……一つずつ、と言っただろう。これ以上手間を増やさないでくれ』

 

ジェイはイライラしたような態度でそう言った。

いや、それは演技なのかも知れない。

 

 

『私自身について語れる事には限界がある。だからこうして、徹底して変装しているのだ』

 

「オレは今すぐあんたをボコボコにして、拷問してやってもいいんだぜ」

 

『それはよした方がいい。確かに私自身は非力だが、ボスが黙っちゃいない。何より君はチャンスを失う。永遠にだ』

 

「さっきから、真実だの、チャンスだの、抽象的だな」

 

『では私について語る前に、君にとって有益な情報を与えよう――』

 

ジェイはすくっとその場から立ち上がり、両手をいっぱいに広げてこう叫んだ。

まるで演劇俳優さながらのオーバーアクションで。

 

 

 

 

 

 

 

『――私は君を、元の世界に返す方法を知っている!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

 

その言葉が正確で信用に値するものならば、こいつは長門よりも、"恐ろしい"存在なんじゃないのか?

とにかく変装のせいもあって、底が知れなかった。

俺はまるで深淵そのものと相対しているようだ。

ジェイは再びしゃがむと。

 

 

『どうかね。少しは落ち着いただろう?』

 

「……少なくとも、あんたの話を聞こうとは思ったよ」

 

『それでいい』

 

そして、ジェイは語り始めた。

 

 

『既に察していると思うが、私は"ある組織"のエージェントでね。しかし、実働隊ではない。どちらかと言えば諜報的な部署なのだよ。だからこそ多くの情報を持っているのだが。とにかく表舞台に出たのは今回が初めてだ』

 

その組織が機関ではないことだけは確かなんだろう。

古泉が俺に隠し事をする理由もない。余計に胡散臭い連中だ。

しかし原作において、水面下で様々な組織が存在していることは示唆されていた。

こいつも、その中の一つなのだろうか?

 

 

『そもそも、今回の出来事は我々にとっても寝耳に水でね。君がそう思った通りにほとんど不意打ち同然なのだよ』

 

「待て、あんたについて聞きたいことは残っている。何故ここと違う世界の話を知っているんだ?」

 

ひょっとするとこいつらの組織は異世界人の集団なのかも知れない。

しかし、ジェイの言葉はそれを否定する内容だった。

 

 

『詳しい説明は出来ないのだが、私のボスは空間さえ超越した存在でね。唯一時間だけは未来人と同じく限界があるが、それでも、まあ、情報統合思念体と同じレベルなのだよ』

 

「だからお前は、オレについて知っていると? 無茶がありすぎる説明だな」

 

『君は何か勘違いしているようだな。"基本世界"はここではない、君が居た世界なのだ。涼宮ハルヒ、SOS団にとってはどちらも差がないだろうがね』

 

「じゃあ何だってわざわざオレの所に? 二人きりになるタイミングまで図ったようじゃないか」

 

『前提として、私は君の味方でも敵でもない。今の所はだが。今回、君の前に現れたのはその方が我々にとって都合がいいからだ』

 

「意味がわからないね」

 

『つまり、私は君に用がある訳だよ』

 

「どうしてオレなんだ。他の世界にもオレは居るんじゃないのか」

 

『君は特別なのだよ……。しかし、その話は最後で構わない。理由もいずれわかる』

 

それきりジェイは黙り込んだ。

どうやら俺の質問待ちらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直な所、俺はジェイと名乗る人物を信用する気は無かった。

明らかに異端だ。まるで、俺と同じ次元でこいつはイレギュラーだ。

だが、それとほぼ同時に今の俺に打つ手がないのも事実だった。

もしかしたら既に、このマンションに着いた時点で俺は正気を失っていて、このジェイも俺の幻覚かもしれない。

しかしジェイを信用こそ出来なかったが、俺はどうしてかこいつをどうにかしようとは思えなかった。

まるで、ジェイが俺の欠けた"何か"を知っている、あるいは持っている。そんな気がしたんだ。

だからこそ俺はこいつとの会話を続けようと思っている。

 

 

「オレがこの世界へ飛ばされた経緯について教えてくれないか?」

 

『残念だが、それはできない』

 

「何故だ?」

 

『君は事実だけ知ればいいからだ。経緯など、背景については知らなくていい。我々の都合でね。私がどうやって君の居場所をつきとめたのか、も』

 

「……じゃあ、その事実とやらを言ってくれ」

 

次の瞬間。

ジェイの口から発せられたのは思いもよらない一言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――敢えて犯人を挙げるとすれば、それはかつて君が助けたTFEI端末の一つ。朝倉涼子、その本人に他ならない』

 

 

俺の"敵"は、まだ姿を見せていない。

 

 

 

 

 

 


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