Erlösung   作:まるあ

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interlude1

 衛宮士郎はその存在を見てしまった。この世のものとは思えない醜悪な存在。原始的な恐怖を呼び起こしてくるような奇怪な存在。

 若干の吐き気を覚えたが、それは我慢できる程度のことだった。

「イリヤ…イリヤ?」

 隣の少女がかたかたと震えていることに気づいた。彼女はその存在をしっかりと見つめているが、しかし、震えているばかりで何もできないようだった。

 イリヤは何やらぶつぶつとつぶやいているようだった。小声で、しかも早口だから何を言っているのか聞き取れない。ありていに言えば錯乱しているようだった。

 あの恐ろしい存在を見て、身がすくんでしまったのだろう。それも仕方ないと思う。

「俺が守らなくちゃな」

 士郎は小さく決意を口にして、一歩前に出る。

 その時だった。

『汝我が下僕となれ。ならぬのであれば死ね』

 脳に反響するような重苦しい声。きっと目の前にいる存在から発せられているのだろう。

「お断りだ」

 士郎ははっきりと口にして返す。イリヤをここまで怯えさせている相手の言うことを聞くことなんてできない。

 途端、怪物がものすごい勢いで突進してくる。士郎たちを守るように、それを押しとどめたのはバーサーカーだった。

 バーサーカーは低い唸り声をあげる。さしもの巨漢も、それ以上の巨体の突進を防ぐのに、無傷というわけにはいかなかったのだろう。その表情は若干苦悶に歪んでいるようだった。

「シロウ!あなたは下がって!アレの攻撃を受けたら貴方ではひとたまりもありません!」

 セイバーは言うなり剣を構え怪物に飛び掛かる。彼女はその巨体を易々と切り裂くことに成功したように見えた。

「!?」

 セイバーは唖然としている。

 怪物の身体は弾力に富んでいた。セイバーの剣は怪物の身体を傷つけることなく跳ね返される。

 物理攻撃が効かないのか…?士郎はぞっとした。セイバーも、バーサーカーも、魔術師としての衛宮士郎も、皆物理的な攻撃が得意な面々だ。唯一魔術師らしい魔術師であるイリヤが錯乱している以上、希望はセイバーの約束された勝利の剣(エクスカリバー)以外にない。

 士郎は舌打ちをすると、偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)と弓を投影する。明鏡止水の心持でそれを構え、放つ。

 弓道場の的に当てるよりも簡単だ。相手は巨体で、決して外すことなどない。きっと弓道部の新入生でも百発百中だろう。

 確かにあたった。怪物の無数にある目の一つに刺さった。しかし、数秒ののち、放たれた剣は地に落ちて、怪物は委託も痒くもなさそうに、そして嘲笑うように士郎を見る。

 ああ、やはりこいつには物理攻撃は効かないのだ。士郎はそう確信した。

「セイバー」

 士郎の呼びかけに、セイバーは頷く。かつて、第四次聖杯戦争の折に大海魔をも一撃で打ち破ったとされるセイバーの宝具。あれをぶつけるしかないだろう。

 セイバーは無言で頷いた。彼女もやるべきことが分かっているようだった。

 あれを使うのは本当は最終手段だ。魔力の消費が激しいのだ。だが、出し惜しみして死んでしまったらどうしようもない。

 セイバーの持つ剣の刀身が徐々に顕わになる。彼女がそれを振り上げようとした、その時だった。

「Cthulhu mglw'nafh」

 地の底から聞こえてきたかのような不気味な声がしたかと思うと、漆黒の触手のようなものが無数に闇から生えて、怪物に襲い掛かる。触手は怪物の全身を巻き取ると、闇に引きずり込もうとした。怪物は抵抗しつつもずるずると闇の中に引っ張られていき、やがて見えなくなった。

「…あれは」

 バーサーカーを含め、三人がぽかんとしているところへ、かつかつと、人の歩く音が近づいてきた。

 再び戦闘の構えをしたところで、足音の正体が姿を現した。

「貴様は…」

 セイバーが呆然とする。

「可愛い深きもの(ディープ・ワン)かと思いましたか?しかし残念。第四次聖杯戦争のキャスター、ジル・ド・レェでございます」

 ぎょろりとした眼、魚のように平たい顔を持った、奇妙な男がニィと笑って、そこには立っていた。


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