墓地からの帰り道、イリヤはつらつらと考え事をしながら歩いていた。
そういえば、なぜ士郎はドイツまで行ってくれたのだろうか、とか。ドイツに行くのは新都まで行くのとはわけが違う。まず何よりもお金が必要なのだ。そのお金はどこから出たのだろうか。
お金を持っていそうな人がいないか、頭に色々な人を思い浮かべてみる。
まず、士郎その人。ダメだ。広いお屋敷はあってもそれしかない。切嗣が死んで以来真っ当な収入源がなさそうだ。
でも。もしかしたら切嗣が遺した遺産みたいなものがあるかもしれない。普段は手をつけないけどいざという時に使うための。しかし、アインツベルを追い出された後の切嗣が儲かりそうなことをやっているイメージがない。
次、セイバー。お話にならない。
続いて、凛。宝石に金を使っているから余裕はなさそうだ。しかし、お金を貸すくらいには応じてくれそうだ。
桜。彼女であれば間桐の財産をある程度自由に処分できそうだが、彼女自身は兄のことを気にしてあまりお金を使おうとするイメージがない。士郎もそのことがわかっているから、金銭のことを相談するのはするとしても最後にするだろう。
本命は大河だろう。彼女自身の財産ではなく、彼女の祖父の財産だ。簡単に用立てできるに違いない。
「そういえばシロウ。どうやってドイツに行ったの?そもそもなんでアインツベルンを訪ねようと思ったの?」
さて、答え合わせと洒落込もう。
「え、ああ、そういやまだ話してなかったか」
士郎はほんの少しだけ、声を潜めた。その態度にただならぬ気配を感じて、イリヤも思わず心構えをしてしまう。
「…英雄王だ」
「…ふぇ?」
「英雄王がな、アインツベルンに行けば解決策があるやもしれぬし行けって言ったのと、あと金塊を一つくれた」
「…」
ギルガメッシュといえば傲岸不遜、邪智暴虐、まさか人助けをするはずがない。いや、彼自身の利益になるようなことであればするのか。
それでは、英雄王の利益とはなんだろう。それを考えたら、すぐに見つかった。
英雄王ギルガメッシュはセイバーに懸想している。そうすると、潜在的な恋敵は士郎となる。つまり、士郎が他の人物、例えばイリヤとくっつけば。
彼としては恋路の最大の障壁がなくなるのだ。
イリヤ個人としては、あの金ピカサーヴァントは嫌いだ。天敵といってもいい。あの赤い瞳に睨まれれば、蛇に飲まれる蛙のような気持ちになってしまう。なんというか物理的にハートキャッチされてしまうような、そんな気持ちになる。
「そうそう、だからシャクだとは思うが、あいつに会ったら礼くらい言っておけ」
士郎の言う通り、この件に関しては恩人である。あるいは借りを一番作りたくない人物に借りを作ってしまったのかもしれない。
「わたし、あの金ピカ苦手よ」
「ははは、それは俺もだ」
士郎は不意に手を振る。律儀に待っていたセイバーを見つけたからだろう。セイバーも、イリヤと士郎に気づくと、歩み寄ってきた。
「士郎たちはこの後寺に行くのですよね」
「ああ、セイバーは墓参りするのか?」
「…ええ。あれでも、元マスターですから」
セイバーの心の中にどのような思いがあるのか、イリヤには分からない。第四次聖杯戦争の時には、イリヤはまだ何も分からない子どもで、切嗣と母親の帰還を素直に信じるあどけなき幼子だった。
当然、切嗣が魔術師殺しとして恐れられていたことも知らないし、彼がどれほどあくどいことをやっていたかも知らない。
彼の理想も。絶望も。何も知らなかった。
「…イリヤスフィール」
墓場に向かおうとして、セイバーは何か思い立ったかのように振り返る。
「何かしら」
「キリツグが聖杯に何を問われ、何を思い、その消滅を願ったのかはわかりません。ですが、彼の選択がアインツベルンを裏切り、ひいては当時彼に残された最後の家族である貴女を裏切ることにつながることは分かっていたでしょう。ですが」
セイバーは真摯な瞳でイリヤを見つめる。
「キリツグはきっと、最後まで貴女のことを愛していたと思います」
不和であったとはいえ、かつて最後まで共に戦ったマスター。セイバーと切嗣の絆は、やはり強固としてあるのだろう。
「知ってる」
無感動に、イリヤは返す。切嗣が自分を愛していようがいなかろうが、彼を赦せないという結論には変わりはない。
「…出過ぎたことを言いました」
ぺこりとお辞儀をすると、セイバーは再び墓場へと向かった。
「よく来たな、衛宮。それに衛宮の姉君。茶を淹れたからゆっくりしてくれ」
一成がにこにこしながら湯飲みに入れた緑茶をイリヤと士郎の横に置く。
通されたのはただ広い畳の部屋だった。そこの縁側に座って、お喋りをしようという魂胆らしい。
「悪いな」
士郎はそう言うと緑茶に口をつける。
うむ、と頷くと、一成は士郎の隣に腰をかけた。
「ところで、セイバーさんは?」
「セイバーは今墓参りしてる。なんでも、俺やイリヤの墓参りを邪魔しちゃ悪かったそうだ」
「父と子の三人にしてあげようというその心遣い、流石はセイバーさんだ」
感心したように一成は何度も頷く。
それからしばらく、とりとめのない話が続いた。イリヤの自己紹介や、士郎の学校のこと。お墓参りをしたということで、切嗣との思い出についても聞かれた。
世間話も尽きたところで、士郎が口を開いた。
「なぁ、一成。ところで今探し物をしてるんだ」
「探し物?」
「ああ、古い本なんだけどさ、心当たりないか?」
「古書の類いならたくさんあるぞ。経典やらかつての高僧の教えやら」
「あー、ちょっと違うかもなぁ。曰く付きの本なんだが…」
「ふうむ。しばし待て」
一成は立ち上がると、どこぞへと行ってしまった。きっと心当たりがないか、家人に聞きに行ってくれたのだろう。
「ちょっとシロウ、さすがに直接的すぎない?」
イリヤは文句を言う。探す対象があまりにも化物級だから、聞くにしてももっと自然に聞きたい。
「別にいいだろ。一成は信頼できるし」
「この寺にはキャスターもいること忘れたの。彼女に知られたらどうするの」
「あー、確かに」
キャスターは古代ギリシアの英霊だ。ゆえに、ネクロノミコンという魔術書の存在を知らないかもしれないが、用心に越したことはない。
十分ほどして、一成は戻ってきた。
「ちょっと聞いてみたが、曰く付きの本の封印だの滅殺だのは我が寺にはよくあることでいまいち分からない、というのが正確な話らしい。役に立てずすまぬな」
一成は眉根を下げて謝る。
「いいっていいって。いや突然訊いて悪いな」
「何か手伝えることがあれば訊いてくれ。年代が特定できれば古書を紐解くことも出来よう」
「ああ、その時は頼む」
士郎は頷いて、一成の厚意を受け入れた。
寺を辞し、境内を出たところで、ふと、セイバーは今どこで何をしてるのだろう、と疑問に思った。しかし、その疑問はものの数秒で氷解する。
きゃいきゃいと、荘厳な寺には似つかわしくない声がする。見れば、キャスターとセイバーが何やら話している、というよりもキャスターがセイバーに何やら詰め寄っているようだった。おおかた、なにがしかのコスチュームを着せたいとか、そんな話であろう。
「あ、シロウ」
セイバーはあからさまに安堵した表情を浮かべて、士郎の方に駆け寄る。
「あら、坊や。それにアインツベルンのお嬢ちゃんも」
「よ、キャスター。元気そうで何よりだ」
キャスターはほんの少しだけ微笑む。それは、どちらかというと何か企んでいる笑みだった。
「…お嬢ちゃんを助けたい?」
不意に、キャスターが尋ねる。
一陣の風が通り抜け、イリヤの髪がなぶられる。
「…なぜ、それを」
「この冬木で私に隠し事ができるとは思わないことね、と言いたいところだけど、これは金ピカサーヴァントからの情報」
「くそっ、あいつ…」
「あら、彼は良かれと思ってやっているみたいよ。英雄王は子供好きというのは本当みたいね。セイバーのマスターが来たら協力してやれ、との仰せよ。そして、貴方たちには運のいいことに、私は坊やの役に立ってもいいと思っている。なにせ、料理の先生ですからね」
くつくつとキャスターは笑う。
なるほど、英雄王は本気らしい。きっと、士郎が本国のアインツベルン城まで赴けば、彼に何が課せられるかということを見越していたのだ。つまり、士郎をアインツベルンにまで行かせれば、あとはイリヤの延命を現実のものにするだけ。それだけで、ギルガメッシュは自らの恋路の最大の障壁を突破することになる。
傲岸不遜な英雄王らしからぬ企みだが、そうと考えなければ納得ができない。
「…キャスター。わたしたちはネクロノミコンを探してるの。何か知ってる?」
イリヤは問いかけると同時に、覚悟を決める。もしこれで何か変な動きをして来たら殺す。バーサーカーをすぐに呼んで殺しちゃう。こと、ネクロノミコンに関しては、自分よりも実力が上の魔術師が近くにいるのはよろしくない。最後の最後で横取りされるかもしれないのだ。
「ネクロノミコン…?さすがにそれは知らないわね。大英博物館にでも行ったら?」
イリヤは臨戦態勢を解いた。知らないというのであれば知らないのだろう。
「そう…」
「でもね、お嬢ちゃん。この冬木の地に、そんな狂気が潜んでるとしたら、どこだと思う?」
キャスターは妖艶に微笑む。
「大聖杯の眠る、龍洞…」
「ええ。そうでしょうね。あそここそ魔法が存在するにふさわしい。この世の真理と宇宙の恐怖。冬木で最もふさわしいのはあの場所でしょう」
魔女は舌舐めずりするように、あるいは歌うように、とうとうと話す。
「お嬢ちゃん、万全を整え臨みなさい。さすがにそこまでは手伝ってあげられないけどね」
稀代の魔女はそういうと、本堂の方へ歩いて行った。
「龍洞…」
イリヤの呟きは、誰に聞こえることもなく、風の中に消えた。