Erlösung   作:まるあ

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ep3

「…さて、今後の方針について考えよう」

 士郎がいつになく真剣な顔で口を開く。

 食卓を囲む面々の前には先ほど桜が淹れた、湯気がたつ湯呑があった。

「ネクロノミコンの探索にはここにいる面々が参加するんでいいな?」

「ここにはいないけど私のアーチャーも参加するわ。本人の了承済みで、すでに動いてもらってるわ」

「あ、わたしのバーサーカーも。霊体化してここにいるけど」

 凛とイリヤが軽く手を挙げて発言する。

「アーチャーが動いてる?何をしてるんだ?」

「図書館で文献調査」

 ぶふぉっと士郎が噴出した。

 確かに、あのアーチャーが図書館でおとなしく本を読んでいる姿は想像できない。

「あー、分かった。確かに図書館は盲点だったな。郷土史のコーナーとかに手掛かりがあるかもしれないし」

 ふぅ、と士郎は息を吐くと、再びまじめな表情を浮かべる。

「さて、まずは事態を整理しよう。手掛かりとして考えられるのは遠坂家の蔵書、図書館の郷土史、他に何かあるか?」

「教会や柳洞寺はどうでしょうか。何かヒントがあるかもしれません」

 ライダーの提案は現実的だ。教会が禁書指定されているネクロノミコンの行方に重大な関心を払っていることは間違いないだろうし、そうだとすれば、なにがしかの手掛かりを持っている可能性がある。また、柳洞寺はこの冬木の地で最大の霊脈に位置する。遠坂家が冬木の裏向きの管理人であるとすれば、柳洞寺は表向きの宗教的な冬木の管理者だ。重要な情報が眠っていてもおかしくはない。

「正直、ネクロノミコンレベルの問題なら必ず遠坂のどこかに情報はあると思うけど、このルートだと時間がかかりそうだし、他を当ってみるのもいいと思うわ」

 凜が人差し指を立てて言う。

「桜はどう思う?」

 凜に促されて、桜はおずおずと口を開いた。

「…ちょっと思いついたんですけど、ギルガメッシュさんに聞いてみたらどうでしょうか。あの人何でも持ってますよね。冬木のネクロノミコンを手に入れなくても、ネクロノミコンが手に入るような」

「それはたぶん意味がないわ」

「どうしてですか、イリヤさん」

「ネクロノミコンはね、ウマイヤ朝時代に成立した文献なの。ギルガメッシュが生きた時代よりもずっと後。それに、書物は原型がどうのっていうものでもないでしょ?だから、彼はネクロノミコンを持っていない」

「なるほど」

 正確に言うと、ネクロノミコンの原型となった蟲の聲(アル=アジフ)がウマイヤ朝時代に成立したわけであるが、そこまで詳しいことは今大切ではない。

「セイバーは?なんか心当たりあるか?」

 士郎が自身のサーヴァントに尋ねる。

「心当たり、というほどではありませんが、第四次聖杯戦争の時のキャスターなら何か知っていたかもしれないな、と」

「へぇ、どうしてそう思うんだ?」

「彼は螺湮城教本…ルルイエ異本を持っていましたから」

「ルルイエ異本!?」

 思わずイリヤは声を上げた。

「知っているのかイリヤ」

「知ってるわよお兄ちゃん。人類以前この地球を支配していた旧支配者、グレート・オールド・ワンの一柱について書かれた魔導書よ。いーなー、欲しいなー」

「私はいらないわ、そんな薄気味悪いもの…」

 ぼそっと凜がつぶやいた。

「そりゃ、リンには扱えないものね。そんな特A級の魔導書なんて」

「うっさいわね。あんたとは違うのよ」

「そうね、リンはわたしとは違う。リンには無限の未来があるのにわたしはあなたたちにすがらないとお先真っ暗どころが先がない」

 よよよ、と泣き崩れたフリをするイリヤを見て、凛は何か言いたそうに口を開閉させていたが、何を言っても仕方がないと観念したのか、ため息をついた。

「さて、ここで確認しておきたいことがあるわ。ネクロノミコンが見つかった際の管理権よ。冬木の管理人たる遠坂家としては、ネクロノミコンを我が家門が管理するべきだと思うのだけど」

「異議あり!そもそも情報を持ってきたのはわたしのお爺様だわ。したがって、アインツベルンにも管理権が存在するわよ」

 イリヤはきっと凛をにらむ。まったく油断も隙も無い。しれっとネクロノミコンを私有しようとしてくる。

 大体、万年貧乏人の凛に預けたら最終的には借金のカタに競売にでもかけられかねない。

「いえ、サクラも探索に参加する以上サクラの家にも管理権が存在するはずです。そうでしょう、サクラ?」

「えっ、あ、まぁライダーの言う通り、かな?」

 魔術師としての常識には欠けている桜は、ネクロノミコンの管理権などと言われてもあまりしっくりこないのだろう。その知識を独占できることが魔術師としてどれだけ幸運なことかも。

「ん?その理論だと俺にも管理権があるのか?」

 士郎が苦笑いしながら口をはさむ。彼はネクロノミコンのことを、イリヤの身体を良くするためのアーティファクトくらいの気持ちでしか考えていないのだろう。

「あら、シロウは別に管理権を主張しなくてもいいのよ?いずれエミヤとアインツベルンは一つになるのだから、その程度の誤差はどうでもいいでしょう?」

 ふふふ、と笑いながらイリヤは言う。

「は?ちょっとイリヤ、それどういうことよ」

「んー?べつにぃ?いいのよ、リン、エミヤに管理権を与えなくても。その際に均衡を保つためにアインツベルンがどのような動きをするのか気にしないのならね」

「…この悪魔っ娘め」

「うふ」

 なるほど、アハト翁がアインツベルン、遠坂、マキリだけではなくそれに衛宮を加えた四家で管理するべきだと主張するわけだ。現在間桐の家は事実上桜の支配下にある。そして、桜は遠坂家からの養子だ。つまり、内実としては遠坂の分家のようにふるまうだろう。少なくとも、間桐は遠坂寄りの動きをする。そのような中でたった三家だけで管理することは危険だ。本拠地が遠い異国にあることも相まって、アインツベルンの発言力は低いものになってしまう。それを緩和する一つの手段が衛宮という新しい、遠坂や間桐が反対できないような家門を追加することだ。

「…いいわよ。ネクロノミコンを発見した暁には遠坂、間桐、衛宮、アインツベルンの四家の共同管理。各家の当主及び当主代行が閲覧できることにしましょうか」

 凛がため息をつきながら言った。

「ええ。それでいいでしょう。アインツベルンは反対しません」

 イリヤは頷く。

「…あんたの生命がかかわっている話なのに、呑気ね」

「別にネクロノミコンが見つからなくても最終手段は用意してあるしね」

 身体を移し替えるなんて、あまり気乗りのしない解決方法だが、それはそれで一つの手段である。

「…ふん、まぁいいわ。それじゃ、明日の予定を立てましょう。私は先祖が残したこの紙束の解読ね」

 凛は自分が持ってきた書物の束を一瞥した。

「私は教会を当った後、姉さんに合流します。ライダーもそれでいいよね?」

 桜の問いかけに、ライダーはうなずいた。

 この面々の中で、最も教会に遺恨がないのは桜とライダーの主従だろう。士郎やセイバーは前任の神父に対して良い思いは抱いていないだろうし、凛に至っては前任の神父に父親を殺されている。

 イリヤとしても、あの空間はあまり好きではない。

「じゃあわたしは柳洞寺に行こうかしら。シロウ、着いてきてくれない?」

「は?行くなら一人で行きなさいよ」

 士郎が答える前に、凛が口をはさむ。見れば、桜もぎゅっとこぶしを握っているところからして、凛と同意見だろう。

「あら、簡単よ。柳洞寺がある円蔵山って冬木の中でいちばんネクロノミコンがありそうじゃない。その痕跡をかぎ分けられるとしたらわたしくらいしかいないわ。一方で、わたしだけだと柳洞寺の人たちからは話を聞けないわ。そこでシロウが必要なわけ。わかる?」

「…抜け駆けは許さないわよ?」

「抜け駆けもなにも、シロウはわたしのものよ」

 イリヤと凜はしばらくにらみ合ったが、やがてどちらからというわけでもなく、視線をそらした。

「…結局、俺はイリヤと柳洞寺に行けばいいんだな」

「ええ、そうね。ついでにセイバーも護衛で行ってちょうだい」

「もちろんです、凛。シロウを守るのはサーヴァントたる私の役目です」

 もちろん、セイバーがついてくることも織り込んでいる。何も、士郎と二人きりになりたかったわけではない。

 士郎とセイバーと三人で柳洞寺に行くのであれば、行ってみたいところがあったのだ。自分が第五次聖杯戦争以前と比べて、どれくらい変わったのかを測るために。

「あ、そうだ、最後に」

 イリヤは立ち上がると、自分のスカートの両端を軽く摘み上げて、優雅にお辞儀をする。

「この度はわたしのために力を貸してくださり、感謝いたします。このイリヤスフィール・フォン・アインツベルン、このご恩は決して忘れません。願わくば、我が家と貴家の友好が千載に渡りますよう」

 それは紛れもない、彼女の本心であった。


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