Erlösung   作:まるあ

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ep15

 なぜ遠坂家の先代があのような冒瀆的な形になってこの場所にいるのか、ということを考えるのはとりあえず後回しにしなければならない。今必要なのは、どうすればこの死者を倒し、その奥に眠るであろうネクロノミコンを手にできるか、ということだった。

 サーヴァントがいればきっと簡単だっただろう。どういう原理で時臣の魂がここにいるにせよ、しょせんはただの魔術師だ。当然、英霊に、しかもギリシャ神話最大の英雄と偉大な騎士王にかなうわけがない。

 だが、今彼らはここにいない。イリヤと士郎の二人で対処しなければならないのだ。

 イリヤは髪を四本抜いて、四羽の小鳥を召還した。士郎はその手に干将・莫耶の宝剣を持っている。

 ぎぎぎ、と軋む音がして、時臣は杖を構える。極大のルビーから、炎が現れ、時臣の盾となる。

 それが魔術戦の合図だった。

 四羽の小鳥が時臣に向けて魔術の光線を撃ち放つ。だが、それらは時臣の盾を突き破ることはできない。

 士郎が切りかかろうと肉薄する。だが、時臣は炎の球を士郎に向けて放った。

 かろうじて、士郎はそれをよけた。ほとんど紙一重の差だった。

投影、開始(トレース・オン)!」

 士郎は剣を五本、投影してそれを時臣に向けて放った。

 時臣は胡乱げに杖をくるりと回す。二枚目の炎の盾が形作られ、士郎の剣を迎撃せんと放たれる。

 灼熱の炎は、剣をどろどろに溶かしていく。

「なっ…」

 錬鉄の魔術師は言葉を失った。時臣の前には、どのような剣も無駄なのではないか。

「さすがはトオサカトキオミ。死してなおその力は健在ということ…!」

 とはいえ、イリヤは願えば叶う聖杯の器。戦闘向きの魔術はあまり勝手を知らないとはいえ、これでも大魔導士(ユスティーツァ)の後継なのだ。

「冬の魔術師の力、見せてあげる。Schneestrum!]

 短く鋭くイリヤは叫んだ。

 ちらちらと、白いものが洞窟の天井から降ってくる。その量と密度は段々と大きくなり、やがてすさまじい風を伴い始めた。

「錬金術というのはね、物質の転換をテーマとする魔術形態なの。わたしくらいになると、大気の状態を転換させることくらい容易いのよ」

 敵味方容赦なく吹雪が吹き荒れる。涼しい顔をして立っているのはイリヤくらいなもので、味方であるはずの士郎も目を開けることすらできずにいた。

 アインツベルンが修める錬金術をもとに、聖杯の器としての力を足しただけでの簡単な魔術である。大気というのは不安定なもので、吹雪を生み出し固定化するというような天候操作の魔術は、普通の錬金術と比べると多大な魔力を消費する。

 正直、非効率なのだ。攻撃で使うには使う魔力量が無駄すぎる。一方で、例えば農作物を育てるために使うとなると、直接的に農作物に働きかける魔術を使うなど、もっと効率のいい方法がある。

 ゆえに、天候操作の魔術はほとんど使われない。

 それを、易々と使い続けるイリヤの持つ魔力量が尋常ではないということだ。

 とはいえ、この吹雪で時臣をしとめられると思うほど、イリヤは甘くはなかった。そもそも、それだけの膨大な力を叩きつけてしまっては、士郎もただではすまない。

 必要なのは相手を消耗させること。

 この程度で一度様子を見るか。イリヤは魔術の行使をやめた。

 徐々に視界が晴れていく。急速に下がった気温が元に戻っていく。

 イリヤは思わず目を瞠った。時臣は、自らの身体に炎をまとっていた。あの酷寒の中、そうすることにより彼はほぼ無傷で、吹雪をやり過ごしたのだ。

「イリヤ、ああいうことをやるんなら先に言ってくれ…」

 士郎はいまだに震えながら文句を言う。その文句も尤もだと思うが、そんな余裕はなかった。

 時臣が、お返しとばかりに火球を放った。四羽の小鳥が合わさって一つの大きな壁となり、その球を防ぐ。

「イリヤ!俺が固有結界を作る。その間耐えられるか?」

「任せて」

 士郎が詠唱を始める。あの詠唱には多分一分か二分ほどかかるはずだ。

 イリヤはさらに髪を四本抜いた。

「女の髪をこれだけ消費させてるんだからね。ただじゃ済まさないわよ」

 四本の髪は四本の剣となる。それは一斉に時臣を目指して撃ち放たれる。

 時臣は迎撃のための火球を放った。火の玉と銀色の剣はぶつかり合い、二つとも雲散霧消する。

「まだよ」

 イリヤは銀色の盾を再び四羽の小鳥に戻した。それらは糸を引き始め、時臣の周りを周回する。

 ぐるぐると時臣が縛り上げられる。彼は炎でその糸を焼き切ろうとするが、イリヤは魔力を供給することで、それを防いだ。

「"unlimited blade works"」

 …詠唱が間に合った。

 炎が走る。炎は外界と内界を隔離する。そして。

 後に現れたのは漠々たる荒野。そして無限に剣のささる丘だった。

 

 …本来の士郎の魔力量であれば固有結界を呼び出すことは不可能に近い。これが可能になっているのは、きっとアーチャーのおかげであろう。

 アーチャーが、士郎がドイツへ旅立つ前に施した魔術回路のチューニング。それが、ここで初めて活かされたのだ。

「…シロウの内面世界、初めて見たけど」

 イリヤはアーチャーの固有結界も見たことがないため、無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)を見るのは初めてだった。

 剣以外何もない寂しい大地。これが士郎の心象風景だと言うのか。

 士郎は何も答えず、手近にあった剣を抜く。剣は士郎を使用者と認めたかのように、簡単に抜けた。

「さて、遠坂と桜の親父さん。二人に成り代わって、俺があの世にきちんと送ってやる」

 周囲にある剣が次々と抜けた。それは数にして数千。その膨大な数がただ一人、遠坂時臣に向けられる。

 軋んだ音をたてて、時臣は杖を構える。巨大な灼熱の炎の壁を展開した。

 宙に浮かび上がった無数の剣が一斉に時臣を目掛けて振り刺さる。溶かしても溶かしても溶かしきれない量の剣が時臣を襲う。

 これでは彼の遺骸は骨一片も残るまい。いや、彼の身体は既に墓地で眠っているのか。

 しばらくは数の暴力に耐えていた時臣の炎の壁は、やがて最初の一本を通してしまう。それは、彼の脚に突き刺さった。

 それが最初だった。やがて降り注ぐ無数の剣は時臣の身体を串刺しにする。串刺しにされてなお、降り注ぐ剣の雨は、時臣の身体を際限なく分割していった。

 ぐちゃぐちゃの、どろどろ。もう固形を保てず、血液なのか肉片なのか、骨片なのか、まるで判断がつかない。

 士郎の表情は痛切だった。あそらくアンデットの類とはいえ、知り合いの父親をここまで殺しつくさなければならないことは、彼にはつらかろう。だが、アンデットとしての機能を失わせるためには、これくらい殺しつくさなければ安心できない。

「…残酷ね」

 イリヤはたった一言、その最期に手向けた。


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