第三魔法の再現という、アインツベルンの二千年にも渡る奇跡への祈り。その重い鎖は衛宮士郎という、アインツベルンとはほとんど何も関係のない少年に託されてしまったのだ。
イリヤにとって、それは重い代償だった。魔法を求めるなんて、基本的にはろくでもないものだ。衛宮士郎という人物はどこにでもいるというと語弊があるが、本来平凡な魔術師未満の存在だ。それが聖杯戦争に巻き込まれてしまうという不幸と、養父からの悪縁によって、たまたま自身の完成形である英霊エミヤに出遭ってしまった。それゆえに、平凡から大きくかけ離れた魔術師になってしまったことが、最終的に彼の運の尽きなのだろう。
いくらアインツベルンと衛宮が一時的にとはいえ姻戚関係にあり、イリヤスフィールはその証だったとはいえ、士郎はアインツベルンとは本来全く関係のない少年に過ぎないのだから。二千年にも渡る、怨嗟のような願いを引き継ぐのは、酷というものだった。
それなのに。
「そんな顔するなって、イリヤ。俺はとっくに覚悟はできているから」
そんな笑顔で頭を撫でないでほしい。
「シロウは何もわかってない。第三魔法の再現なんて、いくらシロウが固有結界を持っていても、そんなのどだい無理なのよ。それこそ根源に到達するような奇跡でもないとだめなの」
「イリヤ。奇跡を願うのは俺のためでもあるんだ。誰もが幸せになれる世界、それにはきっと、奇跡が必要なんだと思う」
そう言った士郎の表情に、微妙な揺らぎがあったことを、イリヤは見逃さなかった。彼はきっと何かを隠している。確かに、彼の言う通り、奇跡を追い求めるのは自身のためでもあるのだろう。ユスティーツァが聖杯戦争にかけた祈りは、士郎のそれと酷似している。人の身でありながら、人の分際を超えた祈り。士郎がその祈りに自分の祈りを重ねるのは当然のことなのかもしれない。
だが、士郎が心に抱いているものは、それだけではなさそうだ。
「シロウ」
イリヤは士郎の手を取り、両手で包んだ。
「なんだ?」
「ありがとう、わたしのために」
今更何を言っても、過去は覆らない。士郎は自分の選択で、イリヤスフィールとアインツベルンのためにその身を捧げると誓ったのだ。今のイリヤにできることはそれを否定することではなくて、それに感謝を捧げることだった。
なんと無力なのだろう。自分の弟が道を踏み外そうとしているのに、それを止めることができないなんて。
「俺はイリヤの兄貴だからな、当然だ」
士郎は優しく微笑んだ。
ハイパーボリアという超古代の廃墟は静寂を保っていた。かつてどのような人たちが―人であるのかは分からないが―住んでいたのだろうとイリヤは考える。超古代の文明のことを記述した魔術書というのはあまり多くはない。だが、その多くは、彼らが高度な文明を持っていたことや、魔術、なかんずくクトゥルフ神話の造詣が深かったことを示している。
ゆえに、ハイパーボリアなどの超古代の文明に潜るという幸運に接したのであれば、
だが、今のイリヤにはそのようなことをする余裕はない。使い魔のうちの一羽がついに洞窟の続きを見つけたようで、そちらに向かう必要があるのだ。
そもそも、グレート・オールド・ワンがさまよっているようなところだ。ひとところに長居するのはあまり得策ではない。
「しかし、不気味なほど生命の気配がしませんね」
セイバーが歩きながらぽつりと呟く。
彼女の言う通り、この遺跡からは鼠一匹現れない。洞窟の中には人面鼠やら蛇人間やら、猟奇的な存在が湧くように出てきたというのに。
「多分、空間がちぐはぐにつながっているのだと思う。迷宮の神アイホートもハイパーボリアにいたなんてことは聞いたことないし。冬木とこの洞窟が不思議とつながっていたように、位置座標的には不連続なものが連続してるのよ」
要は何でもありの空間になってしまっているということだ。それこそ、いきなり宇宙に放り出されるということもあるかもしれない。
「しっかし、どんな人が住んでたんだろうな」
一方で、士郎は能天気な声を出していた。あるいは、わざとそのようにふるまっているのかもしれない。真面目なだけでは疲れてしまうのはその通りで、ガス抜きは必要である。
「ハイパーボリアに最後に住んでいたハイパーボリア人って人たちは魔術に優れていたそうよ」
「へぇ」
科学全盛の今の世の中では魔術はどうしても廃れてきてしまう。だが、ハイパーボリア人と呼ばれる人たちは、魔術のみならず、科学にも優れていたという。あるいは、神秘の隠匿に基づくいまの魔術とはまた異なる思想体系であったのかもしれない。
ネクロノミコンが無事手に入ったら、この廃墟を探索するのも面白いかもしれない、とイリヤは思った。きっと珍しいものが手に入ることだろう。
…しばらくして、ハイパーボリアの都市を抜けた。洞窟を奥へ、奥へと潜っていく。いくつかの分岐を超え、たどり着いた先は。
燦々と煌く太陽、美しく透き通った青い海。
まるで天国のような場所だった。