閃乱カグラ 少女達の記録 【Bondage dolls】 作:なまなま
喪失感と後悔に包まれる忍たちを、花田がコンテナ前へと導く。黒幕との対峙の時だ。
女がタブレットへ仕上げのタップをすると、プロジェクターがコンテナの側面に大画面映像を映し出す。現れたのは真っ白な背景と、真っ白なスーツを来た老人の口元。胸の下あたりからは机だろうか、同じく真っ白な四角形で隠されている。
白い白い人物の映像に戸惑う三人へと、老人がにこやかに話し始めた。
「諸君、このたびは誠によく働いてくれた。君たちの頑張りは、人々の豊かな生へと繋がっていくことだろう」
幾星霜を経た大樹のような口から発せられたのは、深い深い知性を感じさせる老君の声色。しかし言葉が意味する身勝手さを理解した春花たちは、老人の邪悪さに気づいていた。
「あなたは、命長の人間ね?」
「いかにも。そこにいる花田を雇った人間だ。便宜上『命長』と名乗っておこう」
春花は命長のことがとことん気に入らない。自身は危険から遠く離れた場所で、忍たちが命懸けで争っているのを眺めていただけなのだ。しかも自社の忍を作戦に動員することもなく。
花田に永命魂を回収させるだけ。それだけで勝者になれた。
・・・いや、そうではない。命長の策略はさらに老獪なものだったはずだ。傀儡使いは、黒幕に推測をぶつけにいく。ここまで虚仮にされて、黙っているわけにはいかない。
「花田を雇っただけではないでしょう。刺厳や保流のことも計算ずくだった。違うかしら?」
春花の反撃に、命長の笑みが深くなる。
「さすがに頭が切れる。君の推理を聞かせてくれたまえ」
少女の戦いが始まった。無表情な日影と負の感情で満たされてしまっている刺厳にも伝わるよう、ゆっくりと話し出す。
「飼珠に薬品を盗まれた命長は、すぐに彼女を殺さず永命魂が満たされる二十日間を待つことにした。飼珠の生命力を吸い尽くしてから殺すために」
刺厳が静かな怒りに打ち震える。死の運命を先延ばしにされ、要らぬ苦しみを味わわされた飼珠。しかし、彼女の不幸はそれだけではなかった。
春花も憤然たる想いで続ける。
「さらに命長は、飼珠の自己処理を嫌った。自社に恨みを持つ保流の始末を兼ねて、禁忌薬奪取の情報を漏らしたのでしょう?刺厳へ保流の暗殺計画を伝えたのも、あなたの指示では?」
「なん、だと・・・」
少女の推測に、刺厳が衝撃を受ける。一方の命長は笑みを湛えたままだったが、攻撃は緩めない。
「禁忌に関する情報だというのに外部、しかも個人である保流に漏洩していた。そして保流に伝わった後、刺厳へ情報が渡るなんて都合が良過ぎる。さらに言えば、二人が元命長の忍だったってことも偶然では片付けられない」
「確かに。保流への情報漏洩と刺厳への情報提供を、花田に指示したのは私だ」
肯定の言葉を聞いて、刺厳が憤怒の視線を花田へと向ける。紺の女は舌を出して応じた。
「貴様、あの時は金髪だったはず」
「ごめんね。だって保流戦で気づかれたら、キレちゃってたでしょ?」
「カフェにいたもう一人もグルかいな。気づくわけないわ、そんなん」
日影がカフェで花田と談笑していた金髪の女性店員を思い出す。保流に情報を流したのが命長なら、偽装商談の場に雇われの忍たちが居合わせていたのも、計画のうちだったのだろう。抜忍たちはあの時すでに、命長の監視下にあった。
「わたしたちは初めから刺厳と協力して、保流をギリギリで倒すように仕向けられていた。結果、花田は負傷した忍たちの隙を見て永命魂を取り戻し、わたしたち三人より優位に立った」
春花は説明しながら心底不愉快になる。自分と日影が選ばれたのは命長が推薦したせいでもあるのだ。他の仲間たちでは、保流をあっさり倒してしまいかねない。できる限り苦戦させ、花田に刃向かわせないための人選だった。実際に選んだのは保流だったが、完璧に誘導された上での選択だ。
自分たちは初めから今の今まで、命長の操り糸で動かされていたに過ぎない。
「よくもこんな屈辱的な計画に参加させてくれたわね」
「そんなに怒らないでくれ。焔紅蓮隊の力を買ったのだよ」
「嘘ばかり。弱小組織なら、万が一計画が狂っても封じ込めることができるからでしょう?本当に性根が腐ってるわね」
少女の罵倒に、命長が童女の遊びを見ているかのように軽く笑う。
「君を選んだのは、もっと重要な意味があるし、推理も浅い」
狡猾な弧を描く口から、真実が告げられていく。
「そもそも飼珠の窃盗自体が仕向けられたものだったのだ」
「なっ・・・!?」
春花と刺厳が驚愕に目を見開く。その様子を楽しむように、皺の刻まれた唇が言葉を紡いでいく。
「飼珠が人づてに獣静の病を知り、助ける方法を模索していると報告を受けたので、永命魂の開発に関わらせた。もっとも、飼珠に持ち出させたのは試作品の一つに過ぎなかったのだがな」
「貴様ッ!飼珠を禁忌に近づけさせたというのか!貴様のせいで飼珠はッ・・・!!」
激昂する刺厳に対し、命長は落ち着き払った調子で切り返す。
「永命魂を盗んだのは、あくまで飼珠の意志だ。私を責めるのは筋違いというもの。そして刺厳、君には私を責める資格があるのか?」
反論された刺厳が体を震わせて押し黙る。父である彼が娘を救えなかったのは事実だ。
春花の中では憎悪にも似た感情が渦巻いていた。確かに禁忌薬を持ち出したのは飼珠の意志だが、命長は完全な計算の上で永命魂に関わらせた。そんなものに近づかなければ、飼珠は獣静の死に悲しむことはあっても、仁義の忍として強く生き続けられたはずだ。
もはや戦場にいた全員が、命長の人形として踊らされていたことになっていた。
憎しみに心を燃え上がらせながら、一方で浮かんできた恐ろしい推測を声に出す。
「まさか・・・飼珠に盗ませたのは、試作品の性能テストだったとでも言うの?」
問いを聞いた老君は満足げに微笑む。
「薬使いなだけはある。よくわかっているな」
肯定された春花と、唾棄すべき事実を知った刺厳の怒りが膨れ上がる。飼珠の悲壮な仁義は、実験に利用されていたのだ。
「禁忌薬の試験には様々な制約があるのだ。実際に効能を試すまでに何年、何十年もの審査期間を必要とする。それを無視し、命を懸けて使ってくれる者がいるというのなら・・・ある意味とても喜ばしいことなのだよ」
「そんなことの、そんなことのために飼珠は命を懸けたのではないッ!貴様には人の心がないのかッ!!」
刺厳の激しい糾弾。しかし命長は小鳥のさえずりでも聞くかのように平然としている。
「君には悪いが、我々は一人の命で人類が大いなる進歩を遂げるのなら、喜んで差し出す。罪悪感や倫理などは全く問題にならない」
雨中に映し出された老人の中で、なにかが変わっていた。英知を蓄えた宣告者のごとき声が、忍たちへと響き渡る。
「保流は永命魂の吸収効果を劇的に短縮する術を見つけ出し、飼珠はたった二十日間でそれを証明してみせた。男は邪なる志のために打ち捨てられ、女は正しすぎる心のために散っていった」
それは大きな使命感に突き動かされる者の宣言。言葉は呪縛となり、忍たちに絡まっていく。
「しかし、二人の忍は偉大なる功績を我らに残してくれた!試作品は本体たる私の糧となり、人類は命の束縛からまた一歩解き放たれるであろう!」
命長が両腕を上へ伸ばし、天を仰ぐ。
「数々の時代で失われていった栄誉ある忍たちの死を見届け、私は葬列の先で彼らの生とともにどこまでも歩いて行こうではないか!我が身を永遠の地獄に投じようとも、一個の装置と成り果てようとも・・・人々の末永き幸福のためならば!」
映像の前で忍たちは気圧されていた。命長はただの事業家でもなければ策略家でもなかった。白い白い老君の放った言葉通りならば・・・
「あなたが本当の永命魂なら・・・どれだけの時間を生きているの・・・?」
春花が恐る恐る口に出す。天から戻ってきた命長の笑みは賢者のように思えた。この男はすでに人間の枠を超えている。
「もはや私自身には時が流れておらぬ。全てが静止した空間の中、死を渇望しながらも死を許さない。そんな地獄で、私は生きることへの変わらぬ使命感と喜びを糧に存在し続ける。ただ移り行くのは空の色のみ」
「な・・・ぜ、そんなことを・・・」
刺厳が雰囲気に飲まれまいとして必死に抵抗する。しかし怒りと憎しみは大きく削がれてしまっていた。人の心がないと糾弾した相手は、すでに人類の領域から逸脱しているのだ。
「我が未知の生は様々な発見と可能性を生み出す。この罪深き身から、人々の助けとなる薬品や忍具が生まれているのだ。一人が犠牲になり、人類の幸福に繋がるのなら、私は躊躇いなく全てを捧げよう」
永遠の生を与えられた命長は、飼珠の命がもたらした成果を糧に、実験体としてさらに生き続けるだろう。それを喜んで引き受けていることに、春花は飼珠に相対した時と似た恐怖を感じていた。彼らが命を捧げる崇高な動機に、理解が追いつかない。
恐れを抱く少女の心を見抜いたように、老君が言葉を投げかけてくる。
「春花よ。私が君を選んだのには、保流との相性以上の意味がある」
心を揺さぶるような賢者の声に、春花が無意識に一歩後退る。
「君は非常に賢く、優れた薬使いだ。長き時を生きてきた私が出会い失ってきた、類稀なる人々の列に並ぶ者だ。君が我々に力を貸してくれれば、君自身と人々に幸福を与える大きな大きな助けになるだろう」
「わた、しに・・・命長に来いと・・・?」
「優秀な君なら、素晴らしい成果を挙げ、相応しい報酬を手に入れられるに違いない。友人たちを養って余りある幸福を得られる。保流の提示した二千万など比較にならぬほどだ」
誘われた少女の心がわずかに揺れ動く。自分が命長に行けば、愛する人たちを幸せにできるのだ。今の窮状から救い出せるのだ。
その時、ようやく少しわかったような気がした。飼珠も命長も同じような心で動いたのではないかと。紅蓮隊のみんなを想う気持ちと、飼珠が獣静を想う気持ち、命長が人々に生を捧げる決意は似ているのだ。仁義と自己犠牲の覚悟が、彼らを地獄へと誘った。では命長に移籍する地獄は、自身にとって身を賭す価値のある試練だろうか。仲間への愛で飛び込んでいけるだろうか。
自分でも気づかないうちに悩み始めていた春花の左手を、誰かの冷たい右手が優しく握り込んだ。
ハッとして頭を左へ振ると、黄金色の蛇の瞳が迎える。無表情な日影は、揺れ動く自分を支えようとしてくれたのだ。
「好きにしたらええで、春花さん。わしは春花さんの望むようになってほしいって、思っとるから」
友の言葉を聞いた春花の心から、地獄よりの誘いが消え失せる。見失いそうになっていた。幸せは命長などにはない。
「・・・そうね、ありがとう。日影ちゃん」
少女が柔らかく握り返し、決意の瞳を老君へ戻す。命長の口は残念そうに引き結ばれていた。
「わたしはわたしのやりたいようにやる。苦しくても、紅蓮隊のみんなと一緒にいたい。近くで見守っていたい」
春花の言葉を聞いた日影の表情が少し明るくなる。
「わたしの幸せは、あなたの幸せとは違う」
決別された命長が長い息を吐く。預かっている命の分まで、感情を吐き出しているようだった。吐息とともに忍たちを縛っていた言葉の圧が消えていく。使命に生きる賢者から、老人へと戻った命長が口を開いた。
「非常に残念だ・・・だが、仕方あるまい。君の不幸は人々の不幸だ。時間は永遠にある。次の機会を待つとしよう」
にこやかな笑みに戻った老君が宣言する。
「此度の我が戦いは終幕だ。舞台を演じた忍たちに謝辞を送りたいところだが、君たちの戦いはまだ終わっていまい。最後の戦場へ向かい、現実を知りたまえ」
命長の言葉とともに映像が暗転し、老君との対決が終わった。
忍たちは疲れたように白い息を吐く。心身ともに限界だ。
「・・・と、いうわけで種明かしタイム終了!あたしはプロトタイプを命長に持って帰るよ。いいよね?刺厳」
三脚を片付ける花田に問われた刺厳が、取り出した飼珠の形見を見つめて返答する。
「かまわぬ。私には・・・不要なものだ」
剣士の失ったものは大きい。飼珠を陥れた命長は、立ち向かえるような敵ではなかった。残ったのは、悔恨と悲哀、そして・・・
「私にはまだやらねばならぬことがある」
「うん、まぁ頑張りなよ」
手早く片付けを終えた紺の忍が抜忍たちへと振り向く。
「あたし、もう二度とランチョには行かないけど、いいお店だから今後ともご贔屓に♪」
右手でウィンクを飛ばした花田は、颯爽と夜の闇へ消えていった。飄々とした無礼な忍だったが、戦場で唯一忍務を果たしたのは彼女だった。
「散々やったな」
「・・・ええ」
結局のところ、全員が命長の操り人形として動かされていた事件だった。
命長の目に止まった春花は保流撃破のために駆り出され、日影は巻き添えを食った。
保流は保流で飼珠の抹殺へと動かされ、予定通りに春花たちを苦しめて死んでいった。
暗殺計画を知らされた刺厳は、抜忍たちを弱らせた上で打倒保流を手伝わされた。
刺厳と保流を争わせるために派遣された花田も、命長の思惑通りに忍務を成功させた。
哀れな飼珠は禁忌へと導かれ、生命を忍具に蓄えさせられて、願い叶わず散っていった。
・・・いや、一人だけ命長の糸に触れられていない者がいる。
春花が目線を動かした先で、刺厳が歩み去ろうとしていた。
「刺厳!」
呼びかけられた刺厳は、左手に持っていた紙切れと鍵を掲げて行先を示す。
「わかっているわ。わたしたちも一緒に行く」
小雨の降る都会の裏道を、黒いセダンが郊外に向かって走っていく。刺厳が港の外に止めていた車だった。ハンドルを握る壮年の顔は手元の地図を確認しつつ、これから対峙する相手のことを考えて暗くなっていた。
後部座席では、私服に戻った春花と日影が互いに本格的な治療を施している。治療をしながらスマートフォンを確認すると、未来からの連絡がいくつか入っていた。最後の報告の後に突然命長への接続が途切れてしまい、情報収集が手詰まりになっていたらしい。
老獪な命長のことを考えると、未来がハッキングできたのは、あちらがセキュリティを意図的に甘くしていたからだったのだろう。理由は飼珠戦への助力と、刺厳との円滑な共闘を促すためか。
苦い顔になった春花が、振り切るように運転手に問う。
「刺厳、どうして初めに遭遇した時に、わたしたちと保流を殺そうとしなかったの?」
今や死闘と謀略に巻き込まれた者同士となった壮年は、申し訳なさそうに答えた。
「・・・本当は飼珠を守るために殺したかった。だが焔紅蓮隊は、再建の進む名門蛇女子学園や、伝説の忍たる半蔵様の学院との間に因縁を持っている。たかが個人にすぎない私が不用意に手を出せば、飼珠を救えたとしても、より悲惨な生き方を強いるだけになりかねなかったからな・・・限界まで様子をうかがうしかなかった」
「そういうこと・・・」
「保流に関しても似たようなものだ。忍務が始まるまでに排除したかったが、見つけられずに紅蓮隊と繋がってしまった。命長だけなら、私は内側にいた人間だ。逃げきる自信はあったのだが・・・」
焔紅蓮隊は一見すると新興の弱小勢力としか思えないが、後ろ盾を持たない忍たちにとっては関わり合いたくない存在であった。下手に恨みを買えば、蛇女や半蔵に目をつけられるかもしれない。実際、春花たちの教師であった鈴音や、正義感溢れる半蔵の忍たちは行動に移す可能性がある。
命長は春花と日影を、刺厳の束縛にも利用していたのだった。
紅蓮隊の見えざる圧力を知った春花は、続けて問うていく。
「元命長っていうのは本当だったのね」
剣士は険しい顔になりながらも、少女が求めていることを察して語り始める。
「私が命長に入ったのは、獣静と別れてすぐだった。先見性と成長が見込める優良企業の命長に就職したのだが・・・取り返しのつかない過ちに繋がってしまった」
刺厳が後悔の念を表情に出して過去を振り返っていく。
「専属忍として生きていたある日、指党組の財政難を知り、飼珠が生まれていたことも知った。命長の諜報部で指党組の情報を閲覧して、娘の顔を見た時の罪悪感は忘れもしない」
剣士は獣静が身篭っていること知りながら、彼女と指党組を捨てて逃げた。飼珠に正体を隠していたのは、後ろめたさからだったのだろう。
車を走らせながら述懐は続く。
「その飼珠が、獣静に反発して命長へとやって来た。憑りつかれたように彼女の過去を調べ、母親から聞き出して父親を追ってきたとわかったのは少ししてからだった。私は父であることを隠して、影から彼女を見守ることにした」
「打ち明けてあげられればよかったのに・・・」
「今になって、そう思う。私がついていれば、今回のようなことには絶対にさせなかった。・・・だが、できなかったのだ。どんな顔をして会えばいいのか、わからなかった」
飼珠が命長へ転職した理由は戦場から逃げるためだけではなく、父を追い求めてのことだった。不幸な連鎖が悲劇を引き起こしてしまった。
「薬品開発に携わった飼珠は、見る見るうちに明るく優しい娘になっていった。私は彼女の仕事が軌道に乗ったのを機に、自ら命長を離れたのだ。飼珠にはもう父などいなくとも、強く生きていける力が備わっていたから」
「そのあと戦場に戻された飼珠は、指党組の解散と獣静の状況を知ってしまったのね」
「・・・そうだ。またも私は誤ってしまっていた」
もし刺厳がいれば、永命魂を盗むには至らなかっただろう。しかし命長の企てに気づくのが不可能だった以上、父に禁忌への接近を止める術はなかった。飼珠の死は、あまりにも不運に決定されていたのだった。
飼珠と刺厳を哀れに思いながらも、春花は剣士の急所に踏み込んでいく。全てを知っておかなければならない。
「あなたはなぜ、獣静を捨てたの?」
「捨てた・・・とは思いたくない・・・いや、それは甘えなのだろうな」
バックミラーに移っている刺厳の顔は、忌まわしい過去を思い出して苦渋の表情となっていた。壮年の口から、元凶となった女との過去が語られていく。
「・・・私は指党組党首の長男だった。獣静は知識に秀でた薬使いで、優れた指揮能力と美貌を持った女だったが・・・その心で激しくうねっていた野心の炎に、若き日の私は気づけなかった」
党首の長男と美貌の薬使い。春花は続く展開を予想して、陰鬱な顔になった。
刺厳が続ける。
「いずれ党首となる忍として、その心得をこれでもかというほど刻まれていたというのに、獣静に言い寄られた私の心は、すっかり彼女のものになってしまった」
「・・・薬使いなら男を篭絡するのなんて容易い。まして仲間に謀られるだなんて、善忍には予想しにくいでしょうね」
「ああ・・・お前の言う通りだ。私は薬にやられ、気づかぬうちに彼女を孕ませてしまった」
獣静は卑劣な忍だった。組織内の地位獲得のために刺厳の子を身篭ったのだ。
「当時の私には指党組を離れ、獣静から逃げる以外の選択肢はなかった。あの女が産み落とす、望まれぬ子への罪悪感に堪えられなかった・・・。堪えるべき、だったのに・・・!」
刺厳を失った獣静は、躍起になって飼珠を教育しただろう。党首の力にあやかれなくなり、新鋭の刺厳を追いやってしまった以上、飼珠を優秀な忍に育て上げる以外に、信頼を取り戻して地位を向上させる方法はなかったのだ。
全ての悲劇は、獣静から始まっていた。
「そんな獣静を・・・飼珠は助けようとしていたの?」
死してなお、飼珠は春花の心に迷いを生じさせる。飼珠にとっての獣静が、自分にとっての仲間たちと同じような存在たりえることに、どうしても納得がいかないのだ。愚かな母と紅蓮隊のみんなを同列に考えることなんてできない。
飼珠曰く、理解できないことこそが悪であったようだが、まだ自分の心は悪に染まっているのだろうか。蛇女時代から、みんなの力になりたい、見守っていたいと常々思っていた。確かに悪忍だったが、良き仲間として上手くやっていたつもりだった。
・・・やはり、わからない。これから理解できるようになっていけるのだろうか。もしまた、同じようなことがあったら・・・
「着いたぞ」
刺厳の言葉で、春花が顔を上げる。目の前にはいつも通りの日影がいた。
「ありがとさん」
「・・・こっちこそ、ありがとう」
治療を完了した二人は、想いを振り切るように車の外に出る。曇り空は相変わらずだが、雨は止んでいた。
郊外の林の中に止められた車の前方、壮年が懐中電灯で照らし出したのは、枯れ木に囲まれて佇む老朽化した廃アパートであった。
「行こう」
闇の廃墟で、最後の相手が待ち受けている。
最終話へ続く