閃乱カグラ 少女達の記録 【Bondage dolls】   作:なまなま

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 大企業の命長製薬から依頼されたのは、薬品を盗み出した飼珠という忍の暗殺だった。商談に来た無能な小野に辟易していた春花だったが、報酬はなんと二千万円だという。
上手くいけば焔紅蓮隊を貧しい生活から救い出せるかもしれない。契約書にサインした春花は、日影を伴って忍務の準備に向かうのであった。


第二話 Preparation

 とある老朽化したアパートの狭い一室。外からの光を拒否するようにカーテンが閉め切られたその部屋には、玄関から埋め尽くすように新聞や雑誌、ゴミ袋に衣服などが雑然と散らばっていた。その価値のない物の中に時折、手垢で黒ずんだ古書や巻物、鞘に納まった小刀に各種防具が垣間見える。部屋の主は忍であった。

 灯り一つない奥の部屋はいっそう物で溢れ、中央に敷かれた布団の中で土気色の老女が横たわっている。皺で覆われた顔は苦しそうに歪み、固く閉じられた目の一方、弱々しく開かれた口が微かに息を漏らす。

 薄くなった真っ白な頭髪を、傍らに座る女性が骨ばった右手で優しく撫でる。左手は布団の中で老女の手を柔らかく包んでいた。

 

「二十日目の今夜、ようやく機が熟すわ。お母さん」

 

 疲労でかさついた女性の唇がかすれた声を出す。娘である彼女もまた、心身をすり減らしていた。

しかし衰弱を感じさせる体でも、橙色の瞳だけは力強い意志で輝いている。

 

「ごめんなさいね、お母さん。こんな日にまで仕事へ出かける私を許して・・・でも、善忍なら仁義を尽くさないとでしょ?今更取り返しがつくだなんて思っていないけど、命長のおかげで念願が叶うんだもの。せめて少しでも借りを返さないと・・・」

 

 届かぬ想いを吐露する、枯れ木のような女の目から涙がこぼれる。透明な心の雫は、布団に落ちて染みを作った。

 

「その代わり、時間が来るまでは一緒にいるから。私とお母さんが過ごせる、最後の大事な大事な時間の終わりが来るまでは」

 

 女がくずおれるように老女の隣に横たわる。涙で溢れる目が閉じられ、部屋から一切の光と声がなくなった。

ただ母親の呼吸音だけが、苦しげに生まれては、儚く消えていく。

 

 

 

「飼珠、21歳女性。165cm。五年前に命長の専属忍となる。当初は戦闘用薬品や治療薬などの開発が主な業務だったけど、実力を認められて二年ほど前から社外忍務にも参加してる。戦術は薬品を使ったもの・・・ってことは、わたしに似てるかしら」

「春花さんは傀儡も使えるけどな」

 

 小野との商談後、二人の忍少女は忍務内容の確認と周辺情報の整理のため、港の倉庫街にほど近い空き地へ移動し、並んでフェンスに寄りかかりながら作戦会議を開いていた。

いったん紅蓮隊のアジトに戻ることも考えたのだが、運賃もタダではないということで断念。二千万が手に入るとしても、お金は無限ではない。できるだけ節約を心がけねば。

 ただ、戻らない代わりにスマートフォンを通じて、アジトで留守番をしている二つ年下の未来に、飼珠や命長について調査をさせている。

「未来はハッキングもこなす情報のエキスパートだもの!頼りにしてるわ♪」とかなんとか煽てたら、一生懸命調べた情報を次々と送ってきてくれている。

 

「でも、そのへんの情報は書類にも書いてあったで」

「ノンノン♪未来の本領発揮はここからよ。なんと、命長のデータベースにハッキングして情報を引き出してくれました!」

「ほえー、そりゃすごいな」

 

 正直なところ、春花も未来がここまでやってのけるとは思っていなかった。妹のように思っていたあの子も、どんどん優秀な忍へと成長しているのだ。

小さな背と胸、長くて黒いぱっつんヘアー、トレードマークの左眼帯とゴスロリ服。子供扱いされて膨れる少女の姿を思い浮かべて、春花の口が綻ぶ。想像した未来はやっぱりちっちゃくて可愛い未来だった。

 

「送ってくれた情報によると、飼珠は元々、二年前に資金繰りに失敗して解散した『指党組』っていう小さな善忍組織に所属していたみたい」

 

 画面上の図解では『シトウグミ』とルビが振られた組織名にバツ印が重なっている。

忍組織の消滅は珍しいことではない。表社会の企業淘汰と同じで、能無しの集団には仕事が回ってこず、各組織は明確な「個」を持たなければ、敗北し消え去っていくだけだ。だから、どの組織も血統や術の継承で特色を伸ばすのに必死だったり、表裏問わず各界とのつながりを作るのに奔走している。指党組はそんな競争に負けた、数ある組織の一つだったのだろう。

 紅蓮隊もただ目の前の忍務に飛びついていくだけでは、使い捨てにされて、いつか見向きもされなくなる。二千万を手に入れたら、少し落ち着いて自分たちの方向性を探るべきかもしれない。

 

「飼珠さんは、なんで辞めたん?」

 

 考えていた春花は、右からの問いで情報へと意識を戻した。 

 

「えーっと・・・」

 

 スマートフォンの画面をなぞりつつまとめていく。

 

「なーんか軋轢があったみたいね。母親兼師匠の『ジュウジョウ』って忍と仲違いして飛び出してきた・・・しかもその母親との勝負に勝って命長に来たみたいね」

 

 春花が飼珠の母『獣静』の名前が書かれた文章を見つめる。

 

「仲悪ぅなったとはいえ、そこまでするもんなんか」

「・・・まぁ、ありえなくはないでしょう」

 

 春花の表情に陰が差したのを見て、日影は失言を悟った。

 仲違いとは違うが、春花の親子関係も幼いころから破綻したものだったのだ。

医者の父は汚職で富を築く一方、愛人のもとへ通い詰めて妻と春花を蔑ろにした。そして夫の裏切りから目を背けた母が自分の傷を覆うのに頼ったのは、可愛い可愛い人形のような春花の存在だった。

母が負った傷の深さ以上に、過剰で歪んだ愛情を注がれ続け、ついには溺れてしまった春花。愛でられるだけの人形であることを強いられ続けた彼女は、思い悩むことすらできずに火を放って全てを終わりにしようとした。

 その苦境から救い出したのが蛇女の女教師である鈴音であった。彼女の助けで傀儡術の才に目覚めた春花は、父に罪を告白させ、母の愛情を断ち切って、両親と決別する道を選んだ。

 有能で頼りがいのある彼女もまた、多くの悪忍がそうであるように苦渋の過去を背負ってきたのだった。

 

「すまん春花さん。わし、よう考えんと口走ってもうた」

「いいのよ。気づいてくれたのは、とっても嬉しいことだし」

 

 春花は優しく微笑んで見せると、過去を振り切るようにスマートフォンへ目を戻し、情報共有を再開する。

 

「ここ一か月くらいで、命長から行方の分からなくなった薬品は三点。未来が効能や有用性を精査したところによると、飼珠が盗み出したのはそのうちの一点ね。残り二つはありふれた品だし、わたしも未来と同じ意見よ」

「そんなら、その薬で間違いないやろな。春花さんのお墨付きほど安心できるもんはないで」

 

 感情のない日影に安心も何もないのだが、失敗を取り繕うように放った軽い煽てに、春花は「何も出ないわよ?」と笑ってみせてくる。どうやら心配なさそうだ。彼女はとうに過去を乗り越えている。

 不意に春花の笑みが少し狡猾なものになる。未来の情報が面白い事実を告げてきたのだ。

 

「飼珠が盗んだ薬品は、どうやら禁忌扱いみたい。さすがに効力までは明らかにできないみたいだけど、これは興味をそそるわ」

 

 日影に向かって掲げられたスマートフォンの画面には、「秘密関係各課および該当幹部以外の閲覧を禁ず」の文字。蛇目の少女が指で情報を送っていくと・・・

「善忍または悪忍、および両勢力における諸協定と要すり合わせ」

「該当関係者以外への情報漏洩の事実が発覚した場合は、その全てを速やかに抹消すること」

「当薬品・試薬品・使用した各器具・場所・時間等のあらゆる要素について、情報の複製・指定外の共有を固く禁じ、遵守しなければならない」

などなど、細かい規約や説明書きとともに、あまり穏やかではない言葉が次々と出てくる。

 

「あー・・・こらあかんわ」

「でしょ?」

 

 スマートフォンを手元に戻した春花が、嬉しそうに微笑む。新しい遊び道具を見つけた小悪魔のような顔だ。

 

「二千万っていう額も、下手すれば安いくらいかもしれないわよ」

「・・・もしかして、あわよくば自分のものにしたろう、とか考えとる?」

 

 日影の問いに、春花が何かを企んでいるような笑顔を返してくる。あかんて。

自分だけでは作り出せないであろう貴重な代物の登場に、春花の内心は期待と好奇心で満たされていた。薬使いの血が騒いでいる。

 そんな心の興奮を諫めるかのように、スマートフォンから電子のベル音。電話着信だ。

 

「いまどきベル音鳴らしてる18歳なんて、わたしたちくらいなんじゃない?」

「仕事用の共用スマホやし、しゃーないわ。文句は真面目な焔さんに言うて」

 

 春花が不服そうに画面を見ると、さらに不機嫌な顔になる。

 

「誰や?」

「スピーカーにするわ」

 

 嫌悪感丸出しの少女が答えを言わずに電話に出ると、聞き覚えのある男の声が解放される。

 

「あー、小野ですー!春花ちゃーん?」

 

 春花が無言で右手のスマートフォンを日影に突き出すと、蛇の少女はゆっくりと左手で押し戻した。

拒否された春花は大きくため息をつくと、音量を少し下げてから仕方なく応対する。

 

「えーっと、春花です・・・」

「あっ、春花ちゃん?今なんか吐息が聞こえてきたんで、ちょっとドキッとしちゃったよ!」

 

 なぜだかしらないが、カフェで会った時よりテンションが上がっている。ちゃん付けで呼ばれた春花の全身を鳥肌と悪寒が駆け巡る。ため息なんて吐かなければよかった。心底気持ち悪い。

 

「電話とかメールだと様子が変わる人おるよな」

 

 他人事な感想をつぶやいた日影にキッと視線を送りつつ、なんとか社交用の声を絞り出す。

 

「・・・ご用件は?」

「そうそう!支払いの件、通しておきましたよ!かなり怒られちゃいましたけどね!」

「それは、よかったですわ。ありがとうございます。それでは失礼しますー」

 

 無礼なのもお構いなしにいきなり切ろうとした春花を、中年男が引き止める。

 

「ああ!?もう一つ!もう一つあるんです!」

「・・・なんです?」

 

 ゲンナリした声色を混ぜながら、続く要件を促す。小野の方は変わらず興奮している。

 

「指党組っていうところのニンジャ?が一人、今回の件を嗅ぎまわってるらしいです!」

 

 報告を聞いた二人の表情が少し真剣になる。解散した古巣の忍が、いまさら何の用だというのか。

想定外の報告に春花が思わず問いかける。

 

「それはなんという名のニンジャですの?年齢や性別、戦術や人物背景などもわかれば・・・」

 

 小野のレベルに合わせて問うが、途中でハッと気づく。問われた側は予想を裏切らなかった。

 

「僕が知るわけないですって!この二点をご報告させていただくためだけに、お電話したんですから!」

 

 左拳を震わせ、今にも画面を叩き割ろうとする春花を見て、日影が無表情のまま両掌を向けて前後させる。小野は相変わらず何も知らされていないし、調べてもいなかった。指党組がすでに存在しないことすら把握していないだろう。

 通話相手が自分に殺意を抱いていることなど全く知らない中年は、さらに興奮した口調で告げてくる。

 

「あ、あと!焔紅蓮隊の宣伝動画、見つけちゃいました!もしかしてアイドルグループかなにかなの?会ったときは、春花ちゃんのがおっぱい大きくて好きだなって思ったんだけど、動画で水着姿のすっごくかわいい日影ちゃっ・・・」

 

 無駄な捜査力を発揮して見つけた動画を小野が熱心に語るなか、通話が突然切れる。スマートフォンの画面に乗せられた日影の指が、通話を終了させていた。

春花が青ざめた笑顔で日影を見つめる。

 

「・・・社交辞令もなしに切ったのは、気持ち悪くてたまらないって思ったから?」

 

 迎えた蛇の目に感情の波はなかったが、どことなく強張った表情をしているように見えた。

 

「・・・思うわけないやろ。わしには感情がないからな」

 

 画面から指を放すと、少し横移動して距離を取る。

 

「ただ・・・好き嫌いはあるで」

 

 言い訳っぽい言葉に苦笑した春花は、嫌悪感で震える指を動かしてスマートフォンを操作する。未来に嗅ぎまわっている指党組を探してもらおう。

メールを打ち終わると、思わず盛大なため息が出てしまう。報酬の話が通ったのに、小野の「好きだな」で気分がどん底まで落ち込んでしまっていた。

 

「春花さん、今日はため息が多いな。皺が増えるで」

「幸せが逃げる、でしょっ」

 

 年上に見られるのを気にしている春花が少し怒ったように返す。

 

「全部アイツのせいよ。もう二度とアレと会話したくない」

 

 春花の言に日影が小さく頷いて同意を示す。だが、口からこぼれたのは同情の言葉だった。

 

「でも、あのおっさんは忍務終わったら消されてまうんとちゃうかな」

 

 それは春花も予想していたことだ。昨日付で秘密課に配属され、紅蓮隊のことはおろか忍のこともろくに知らず、忍務内容さえ表面をなぞらされているだけの中年男。命長の秘密課は、使えない人材を体よく処分するために利用しているのではないか。

忍界に精通している人物を使うよりずっと御しやすく従順だし、困窮している若者ばかりの紅蓮隊相手なら難しい仕事でもない。使い終わった後、亡き者にしてしまえば何の憂慮もなくなる。選択肢としてはあり得るだろう。社員であるにもかかわらず、扱いは自分たちとあまり変わらなかった。

 そう思うと少し哀れだが、仕事上でちょっと知り合った程度の相手に入れ込むほど、二人は甘くない。

 

「最後にアイドル並の美少女二人に出会えたんだから、悔いはないでしょう」

「・・・わしら美少女なん?」

「日影ちゃんは美少女よ」

 

 日影の素朴な質問に微笑みながら返すと、未来からのメール着信。内容を確認した春花が日影へ伝える。

 

「指党組は解散時、徹底的に痕跡を抹消したのか、主だった情報ルートからは何も出てこなそうって」

「命長みたいにアクセスできる場所もないやろしなぁ」

「引き続き探してみるけど、あんまり期待はしないで・・・と、残念だけど仕方ないわね」

 

 残党が何を目的に動いているのかわからないが、飼珠と禁忌薬のどちらが目的にせよ、おそらく今夜の忍務で接触することになる。詳しいことは本人から直接聞きだせばいい。

 

「それと、ほら」

 

 春花はメールの末尾に書かれていた文章を日影に見せる。

 

『あたしは情報でサポートすることしかできないけど、二人をアジトから応援してるよ!でも無理はしないで。きっと無事に戻ってきてくれるって信じてる!帰ってくるころにはお風呂とごはん、どっちも選べるようにしておきます♥』

 

 読み終わった日影の表情は、心なしか和らいだように思えた。

 

「頑張らあかんな」

「ええ、絶対に二千万を持って帰りましょう!」

 

 決意を新たに、二人は装備を整え始める。

 赤みを含んだ遠くの空が、すぐそこに迫る夜の訪れを知らせていた。

 

 

 

 夕暮れの橙が高い天井の天窓から差し込み、白い室内を染め上げている。

 広い執務室には、中央奥の純白の机と椅子以外に家具が置かれておらず、殺風景かつ無機質。椅子に座す人物が、この部屋における唯一の生命だった。

しかしその人物も真っ白なスーツに身を包み、後頭部まで続く背もたれに寄りかかって、目を閉じたままピクリとも動かない。

 音もなく、時が止まったような空間で動いているのは、雲の影だけだ。

 その雲の影から、人影が生まれた。赤い部屋に現れた黒い人影が、座っている人物に何事か話しかけている。

言葉を受けた白いスーツの男が、目を閉じたまま口を動かす。短く何かを伝えられると、黒い影は夕暮れの部屋から姿を消した。

 冬の橙は早くも紺の闇に変わろうとしている。移り行く色を楽しむように、男が年老いた声色で言葉を紡ぐ。

 

「血の紅は命の色。仁義を秘めし黒の球。罪から逃れぬ銀の剣」

 

 老木のような口元が緩やかな笑みの弧を描く。

 

「乱れ惑うは桜色。灰が滴り、紺が奪う」

 

 誰にも聞かれない言葉は、部屋に舞って死んでいく。 

 

「人形たちに絡む糸。黄金の刃は切り剥せるか」

 

 老人の口が閉ざされ、静謐が戻った。

 部屋は夜の色に沈んでいく。

 

                                      第三話へ続く


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