集中治療室
そう書かれた扉の向こうににミツネはいる。
その扉の外にあるベンチに彼女の父はいた。俺も隣へ座る。
「あの娘と、約束したことがあるんだ。」
突然、父はそう話始めた。
「約束…ですか?」
「そう。約束。…あの娘は君の本名を知らないんだ。"アル"とは呼んでいるけれど。」
「教えていませんから。俺もミツネの本名を知らないので。二人のジンクスみたいなものです。」
「そのことなんだよ。約束とは。君とあの娘が出会った頃かな、あの娘から、「もしアルに会っても、私の名前を教えちゃダメだよ!いつか、私の口から教えてあげるんだ!」そう言われてね。青春だなぁなんて言いながら、約束したんだ。妻も一緒にね。」
「それで、"あの娘"と呼んでいたんですか」
「その通りだ。」
「なぜ今それを教えてくれたんですか?」
「あの娘が君に名前を告げずに逝ってしまったら悔しいだろう。」
「まだ逝くとは決まっていませんよ。それに、ミツネが元気な時に聞きます。モンハンでもやりながら。」
「強いね、君は」
今日やけ一日が長い。ずっとミツネの事を考えているが、ミツネはどんどん俺から離れて行く。
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外はもう夜だ。蛍光灯の下で二人、時を待つ。
そして、シミや傷の位置を全て覚えてしまう程見続けた集中治療室の扉が開いた。
「お父さんですね、こちらへお願いします。」
医者が父へ声を掛け、父はゆっくりと立ち上がった。
「アル君。君も来なさい。」
驚き、ゆっくりと彼女の父を見る。
一つの感情もない、座った眼でこちらを見ている。
「わかりました」
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レントゲン写真や、健康週間のポスター。よくある医者の部屋。
「手は尽くしました」
「ですが、今の技術では…」
医者がいろいろ言っているが、何も頭に入ってこない。隣で拳を握る彼女の父が、聞いた。
「それで、あの娘はどうなんですか」
医者は変わらない口調で言う。
「保って、後2日でしょう。」
それだけは、はっきりと理解できた。
そして、感情が溢れ出し、涙となって流れ落ちた。
「あああああああああ!!!!!」
突然、彼女の父が大声を上げた。
「終わりだ!!!全部終わり!!!クソッタレ!!!」
医者も俺も驚いてしまって、一瞬動けなかったが、何とか話かける。
「ミツネはまだ生きています!お父さん!まだ生きています!」
そう言うが、聞こうとしない。そして、俺を見るなり
「君は誰だ!?なぜここにいる?ミツネ?誰だ?ミツネとは誰だ?………そうだ、家に妻がいるんだ。愛する妻が。僕はなぜこんなところにいるんだ!?」
理解が追いつかない。
彼女の父が発狂していると気づいた時には、父は部屋から飛び出していた。
追いかけようと思ったが、隣にいた看護師に止められた。
何もできない。無力。
そう思って、看護師に聞いた。
「どうしたらいいですか?」
看護師は一度目を瞑り、言った。
「彼女に会いますか?」
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わけのわからない機器が取り付けられ、ミツネはそこにいた。やつれている。
「ミツネ…」
呼んでみるが、返事は無い。ただ、人口呼吸器の音だけが響く。
なぜこうなったのか。
良くなると言っていたではないか。
父が戻ってこない。どこへ行ったのか。
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朝だった。
椅子で寝てしまった俺に、毛布がかけてある。病院の人に迷惑を掛けてしまったな、そう思い、畳んで椅子へ置いた。
「おはよう。アル。」
後ろから、そう聞こえた。
細く、細く、消えそうな声だが、忘れる事の無い声だった。
ミツネの声だ。
薄く目を開け、顔をこちらへ向けて、悲しさを含んだ笑顔のミツネがいる。
「ミツネ、起きたのか。おはようさん」
できる限り、今、俺ができる限り、いつもの様に話しかけた。
「ごめんね。アル。」
ミツネの近くへ行き、床に座り、彼女の顔を見る。
「ほんとにごめんね…。アル。」
呼吸機の音の隙間から、彼女の声を聞く。
「謝るなよ。悲しくなる。」
「えへへ、いつもの、アル、だぁ。」
「おう。」
いつもの俺。そのつもり。
「パパ、行っちゃっ、たね。」
昨日の事だ。発狂した彼女の父の事。
「聞こえてたのか。」
「うん。全部、知ってる。ママの事も、私の、残ってる時間、の、ことも。」
「……」
「ねぇ、アル。」
「ん?どうした?」
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ねぇ、アル。聞いて。
私、考えたの。
なんでこうなったんだろうって。
そしたらね、わかったの。
全部…
最初からぜーんぶ…
私の所為なの。
だから、
きっと治らないから。終わりにする。
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2日後、俺とミツネは、死ぬ。