プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第05話 初任務 その2

 アルビオン王国空軍基地からメイフェア校への帰り道。ドロシーが運転するプリンセスとプロフェッサーを乗せた車は、その途中にあるレークサイドホテルへと立ち寄った。

 

 ここは、少し寂しい立地ではあるがその名前の通り面している湖の景色が美しく、常連客も多い老舗のホテルだった。

 

 表向きにはプリンセスが皇太子の見送りに出て、学校への帰り道に一休みする為にこのホテルに立ち寄ったという事になっている。

 

 無論、実際は違う。

 

「見ろ、あれが偽札を管理しているベルンハルト伯の屋敷だ」

 

 プリンセスという最上級の賓客の為に急遽用意されたスイートルーム。その窓を開けると、ドロシーが湖を挟んで対岸に建てられている屋敷を指差した。古ぼけてはいるが、立派な構えの大邸宅である。

 

「あそこに、既に印刷された共和国紙幣が保管されているんですね」

 

「あぁ、これを」

 

 ドロシーが、バッグから取り出した見取り図をテーブルに広げる。

 

<この図面は?>

 

 コー、ホー……コー、ホー……

 

 車椅子から立ち上がったプロフェッサーが、図面を凝視しながら尋ねる。

 

 彼女は、闘病生活中のプリンセスの友人というカバー(役柄)で付いて来ていた。体や顔を覆う黒いローブやガスマスクは難病に伴う虚弱体質の為、あまり長時間直射日光に当たっていられず、粉塵の多い大気を吸い込む事が出来ないからという設定である。

 

「あの屋敷を作った設計士を買収して手に入れた設計図だ。ここを見てくれ」

 

 ドロシーが、指で図面の一点を突いた。テーブルをトントンと叩く乾いた音が鳴る。

 

 図面のそこには何に使うのか大きなスペースがあって、そして円形の大きな扉が据え付けられている。

 

「これは……金庫……ですか?」

 

「あぁ、ベルンハルト伯は元々芸術品の収集を趣味にしていて、集めた絵画や彫刻を安全に保管する為のスペースとして、屋敷に大金庫を造らせたんだ。金庫は物凄く頑丈で、外側からでは爆破不可能な代物らしい」

 

<……だから、偽札の保管場所としてノルマンディー公から白羽の矢が立ったという訳か……>

 

「そういう事。しかも、伯爵は用心深い性格なんだ。これを」

 

 言いながら、ドロシーが双眼鏡を差し出してきた。

 

 屋敷へ向けられた双眼鏡を覗きながらプリンセスが少し顔を動かす。これは何処を見れば良いのか、戸惑っている動きだ。

 

<二階のベランダです>

 

「!!」

 

 隣で腕組みしているプロフェッサーに指摘されて、プリンセスが視界を動かす。ドロシーは「へぇ」と驚いた顔になった。

 

「見えるんだ、双眼鏡も無しで」

 

 プロフェッサーは頷いて、ガスマスクの強化レンズを指先で突っついた。

 

<私の義眼にはズーム機能も付いているのでね>

 

 ヒョウ、っと女スパイが口笛を鳴らした。

 

「あれは……」

 

 お目当ての物を、プリンセスも見つけたようだ。

 

「あぁ、お花付きの2インチ機関砲だ」

 

 邸宅は古い屋敷なのであちこちの壁面にツタやコケが茂っていて、設置された機関砲にもツタが絡みついていた。

 

「他にも銃を持った見張りが10人以上……こいつは、ちょっとした城落としだぞ」

 

 口調こそ少しふざけてはいるが、神妙そのものという表情になったドロシーが話す。

 

「時間を掛けて準備を整えれば何とかなるだろうが……ぐずぐずしている暇は無いぞ」

 

 今頃は空中戦艦グロスターの内部で、アンジェが盗まれた原版の奪還作戦を進めているだろう。

 

 空中戦艦が墜ちるか、原版奪取の実行犯である少佐が奪還された事に気付いて連絡を入れるか、さもなくば少佐の死に気付いた戦艦の乗員が通報するか。過程はどうなるか分からないが、いずれにせよ結果は、山の水がどんな川に流れようと最後は海に行き着くように一つへと収斂する。

 

 即ちノルマンディー公に「共和国ポンドの原版が奪還された」と連絡が入るのだ。

 

 すると、その連絡を受けて次にノルマンディー公が取る行動など決まっている。

 

 ベルンハルト邸に保管されている偽のポンド紙幣をバラ撒いて、世界中に共和国ポンドの信用不安を発生させるのだ。

 

 どれほど時間が残されているかは不明だが……しかし、二日は決して掛らないだろう。

 

 つまり、決行は今夜。

 

「何か手を考えなくてはだが……道具はあるか?」

 

<急だったので多くは用意出来なかったけど……それなりには。研究成果の一部を持ってきているわ>

 

 プロフェッサーが、持ち込んだ金属製のアタッシュケースを開ける。

 

 ケースの中には、衝撃吸収用の緩衝材としてクローバーがみっちりと詰まっていて、更に透明なケースに入れられて数個の品物が入っていた。

 

「これは?」

 

 ドロシーが、何の変哲も無さそうな金属板を手に取った。どんな用途に使うものか測ろうと、様々な角度から見たり手触りを確認したりする。

 

<それは水素貯蔵合金。チタンと鉄の合金で、スポンジのように水素を吸収して……温めると水素を放出する>

 

「へえ……」

 

 ドロシーは感心した表情になった。クローバーの中に手を入れてまさぐり……そして指先に何か柔らかい感触が当たるのを感じ取って、それを取り出す。

 

 そしてクローバーの中から、蛇が顔を出した。

 

「うわわっ!?」

 

 驚いて腰を引き、その蛇を放り出すドロシー。

 

「きゃっ!?」

 

 思わず、プリンセスも身を引く。

 

<クッ、クッ、クッ……>

 

 そんな二人を見て肩を揺らすプロフェッサー。

 

 床に投げ出された蛇をひょいと掴む。

 

「……?」

 

 ドロシーは、この時点で少し違和感を感じていた。蛇は先ほどから、少しも動いていない。

 

<良く見て。作り物……オモチャよ>

 

 そう言って、ドロシーへと手渡してくる。ドロシーはおっかなびっくりという手付きで蛇を受け取った。

 

 良く見てみると、確かな質感や手触りは良く出来ているが皮膚のぬめりなどは無く、人工物であるのが分かる。

 

「こんな物もあるのか……」

 

<それと、これね>

 

 プロフェッサーは腰から柄だけの剣を手に取ると、スイッチを入れる。機械が唸り声を上げて、紅い光刃が起動した。

 

 以前、ベアトリスが誤って作動させてしまった光の剣である。

 

 何度か見慣れているプリンセスとは対照的に、ドロシーは思わず何歩か後ずさった。

 

「成る程……しかし、これだけあればどうにかなりそうだな。作戦を説明する、耳を貸してくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、ベルンハルト伯爵邸にプリンセスが来訪した。

 

 屋敷の主である伯爵が、慌てた様子で応対してくる。

 

「プリンセス、突然のお越し、恐縮であります」

 

「お気遣いは無用ですよ伯爵。ちょうど近くを通りかかったもので、ご挨拶に伺ったのです」

 

「そうですか。大したおもてなしも出来ませんが、食堂で紅茶でも……さぁ、どうぞ。ご学友の方もご一緒に」

 

 ドロシーと一緒に、プリンセスは廷内へと案内されていく。ドロシーは、ちらりと視線を上げた。

 

 そこには夜の闇に紛れて一見では分からないが、プロフェッサーがするりするりと壁を這い上っていく所が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 これが、今回の作戦だった。

 

 プリンセスが客人として屋敷を訪問して、注意をそちらに引きつける。ドロシーは運転手で、出来た隙を衝いて潜入するのはプロフェッサーの仕事だった。彼女は義手に内蔵された高濃度ケイバーライトと電気技術の併用によって磁場を発生させ、壁に貼り付く事が出来る。しかもCボールと同様の特性で自重をゼロにした状態でだ。こうした潜入工作にはうってつけだった。

 

 それにこの邸宅の外壁は、あちこちにツタが這い回っている。これらはロープとして使う事が出来た。そうして階段を上るに等しい調子で、プロフェッサーは壁面を移動していく。

 

 数分後、暗闇に両眼から漏れる紅い曳光を引きつつ、難無く屋根にまで上ったプロフェッサーは、頭に叩き込んでおいた図面を頼りに大金庫の真上にまで移動した。

 

 そこで電光の剣を起動。流れ出した紅い光が1メートルほどの刃へと収束する。

 

 岩であろうと難なく溶解して貫いてしまうエネルギーを有した電熱の刃である。屋根板などはひとたまりも無く白旗を揚げた。

 

 そうして開いた穴から天井裏に体を入れると、今度は足下にある金庫の外壁へと紅い刃を突き立てる。流石に鋼鉄製である金庫壁はそれなりの抵抗を示したが、それも長くは保たなかった。刃が触れた部分が赤熱化して、プロフェッサーはぐるりと円を描くように剣を動かす。

 

 やがて赤くどろどろになった円が完成した。プロフェッサーはそこへと手をかざし、義手に内蔵されたケイバーライトと電気ギミックを作動させる。彼女の全身が翠色の燐光に包まれて、焼き切られた部分が円形に浮揚した。

 

 電磁力を操るプロフェッサーは、金属を自在にコントロールする事が出来るのだ。

 

 くり抜いた部分を脇にどかせると、まだ熱を持っている切断面には触れないようにしながら穴へと体を入れる。

 

 非正規な手段で入った為に金庫内部に設置された照明は作動せずに真っ暗だったが、プロフェッサーには何の障害にもならない。周囲の光量の低下を検知した両目の義眼が暗視モードを作動させて、僅かな光量を増幅して解析した情報を映像化し、彼女の脳へと送り込む。

 

<なんと……>

 

 赤一色のコントラストで表示されたその光景はさしもの彼女をして、圧倒されるに十分なものがあった。

 

 そこは、金の部屋だった。

 

 うずたかく積まれた紙幣の部屋。

 

 部屋の三方、つまり大金庫の扉がある方向以外は、4メートルほどの高さがある部屋の床から天井まで、びっしりと隙間無く偽のポンド紙幣が敷き詰められている。

 

 ドロシーは、この金庫に保管されている偽札の推定額は5千万ポンド以上と言っていたが……共和国情報部の調査は、間違ってはいなかったらしい。

 

<……>

 

 プロフェッサーは試みに部屋の紙幣を一枚手に取ると、じっと見詰める。

 

 義眼に組み込まれた演算機能が作動し、同時に記録装置に焼き付けられた情報との照合を開始。

 

 数字とアルファベットの洪水が流れ、一秒と経たない間に解析処理が完了して「MATCH」の文字がプロフェッサーの視界に表示される。本物と特徴が合致。つまり彼女の義眼に組み込まれた電子脳は、この偽札を本物だと認識したという事だ。

 

 この偽札は恐ろしく精巧である。恐らくはプロの鑑定家であっても見分けは付かないだろう。

 

 これだけの量の偽札が市場に出回ったら、共和国のポンドの価値と信用は大暴落、経済市場は大混乱に陥るだろう。共和国側としては、何としても阻止せねばならない事態である。

 

<……>

 

 プロフェッサーは懐から水素貯蔵合金を取り出すと、偽札の山の上に置く。この金属板には事前に、たっぷりと水素を吸わせてある。後は、高熱に晒されればこの合金からは水素が放出される。問題はその熱をどのように用意するかだが……

 

 すうっと大きく息を吸うプロフェッサー。

 

 慣れた手つきでガスマスクを外して、素顔を露わにする。

 

 息を止めたまま、左手の指でぐっと左目を大きく見開かせて右手でそこに収められている義眼を摘まむ。

 

 きゅぽん、とワインの栓が抜けるような音がして、義眼が外れ落ちた。

 

 そうしてすぐにガスマスクを付け直す。この間、一分足らず。全ての作業は息を止めたまま行われた。

 

<……>

 

 掌中の義眼へと視線を落とすプロフェッサー。先ほどまで彼女の左眼窩に収まっていた人工眼球は、良く見ると上下に切れ込みが入っていた。そしてその境目に、とても小さな表記で目盛りが刻まれている。

 

 プロフェッサーは、左手で義眼の南半球を固定すると右手で北半球を90度時計回り、次に180度反時計回り、その次は45度時計回りに回転させる。

 

 ガチリ。

 

 歯車が噛み合ったような音がして、その次はチ、チ、チ……と時を刻む秒針のような音が聞こえてきた。プロフェッサーは、自分の持ち物の中で最も稀少かつ他者の手に渡ってはならない物は、自らの頭脳だと考えている。よってそれを防ぐ為、彼女の義眼にはいざという時に備えて自爆機能が搭載されていた。無論爆発はほんの小さなものだが、彼女の頭脳を破壊したり、水素貯蔵合金に熱を与える程度は十分な計算だ。

 

<……これで良し>

 

 義眼のこの機能を使うのは初めてだが、定期メンテも万全であったし問題無く作動する筈だ。

 

 水素貯蔵合金の上に、義眼を置く。

 

<天才である私が作った機械は、決してミスを犯さない……>

 

 自分に言い聞かせるように呟くと、隻眼となったプロフェッサーは再び全身に翠光を纏う。

 

 ケイバーライトの重力軽減によって大幅な減量を果たした彼女は、軽く膝を曲げただけでふわりと浮き上がって、天井の穴から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

「では、伯爵……急に伺ってしまって申し訳ありませんでした」

 

「いえいえ、このような所でよろしければいつでもお越し下さい。プリンセスに来ていただけるなど……光栄の至りであります」

 

 型通りの挨拶を済ませた後、プリンセスはベルンハルト伯と握手を交わし、そうしてドロシーの車に乗り込んだ。

 

 ドロシーの発車は、心なしか急であったように思える。

 

 屋敷から1キロばかり離れた所で、ドロシーは懐中時計を開いた。

 

「計画通りなら……そろそろ金庫の中身が爆破される筈だけど……」

 

 そう言った瞬間、

 

 ドォォン!!

 

 背後から爆音が聞こえてきて一拍遅れて衝撃波が襲ってくる。

 

「「!!」」

 

 ドロシーは咄嗟に車を路肩に止めると、後部座席のプリンセスと一緒に背後を振り返った。

 

 ほんの数分前まで自分達がいた豪邸から、今は炎が上がっていた。

 

 しかもその燃え方は、普通ではない。まるで爆発でもしたかのようだ。

 

「時間通りだな」

 

「プロフェッサーが、やったのね……」

 

 シュコーッ……シュコーッ……

 

 呼吸音が、聞こえてくる。

 

<……任務完了……先輩スパイとして、私の仕事をどう評価する?>

 

 横合いからくぐもった声が聞こえてきて、ダークゾーンから這い出してきたかのような黒いローブの人影が進み出てきた。勿論、プロフェッサーだ。ただし普段の彼女の姿とは少しだけ相違点がある。目だった。闇の中で妖しく光る義眼の紅い輝きは、今は右側だけに点っていた。

 

「手筈通り事が運び、時間もぴたり……コントロールがどう評価するかは分からないけど……私の採点では、満点だな」

 

「ご苦労様、プロフェッサー」

 

「さ、乗って。さっきアンジェからも連絡が入った。原版の奪還は、上手く行ったらしい。二人を迎えに行く」

 

<了解>

 

 プリンセスが体をドア側に寄せて、スペースを作る。プロフェッサーはそこへと乗り込んだ。

 

「シートベルトをお締め下さい」

 

 冗談めかしてそう言うと、ドロシーはアクセルを踏み締める。

 

 炎上する邸宅を背後に、湖畔の道路をスパイを乗せた車は走り去っていった。

 


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