プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第03話 外側から見たパーティー

 

「あぁ、シンディ。体の方は大丈夫なのかね?」

 

<お気遣いありがとうございます、おじさま。お陰様で……快調ですよ>

 

 市内のホール。今夜、ここではアルビオン王国外務卿主催の晩餐会が開かれていた。主催者が外交に携わる人物だけあって西側・共和国側からの来賓も多い。

 

 自動演奏装置が雅な音楽を奏で、昼より尚明るく夜を彩るシャンデリアの光、可能な限りの贅を凝らした料理、美しく着飾った人々。

 

 そうした華々しいダンスホールの喧噪から少し離れた一室では、

 

 シュコーッ……シュコーッ……コー、ホー……コー、ホー……

 

 僅かに届く音楽をかき消すように、耳障りな呼吸音が部屋に響いている。

 

 全身に真っ黒いローブを身に纏い、僅かに露出している顔の部分にはガスマスク、手には黒い手袋。まるで夜が形になったような存在が、タキシードを完璧に着こなした恰幅の良い紳士と握手を交わしていた。

 

 黒ローブはメイフェア校の幽霊こと、プロフェッサーだ。

 

<採掘場の方はいかがですか?>

 

「あぁ、採掘量も売り上げも前年度比を上回っている。良い調子だよ。お前は学費や研究費の事は、何も心配しなくて良い。不足があったらいつでも言ってくるようにな」

 

<……私の体がこんな為に、おじさまにご迷惑をお掛けして……申し訳ありません>

 

 すっと、プロフェッサーは頭を下げた。

 

 おじさまと彼女に呼ばれた紳士はそれを受けて「構わんよ」と肩を揺する。

 

「お前の父親には何度も世話になったからな。私の方こそ、こんな時でもなければ会いに来れない事を許してくれ。それに、お前の研究の有用性は、私も大いに認めている」

 

<天才である私の理論です。有用に決まっていますよ。それはそれとして、おじさまに私は感謝の念しか持っておりません>

 

 ちと不遜な物言いであるがおじさま、つまりプロフェッサーの後見人であるその紳士は気にした様子も見せなかった。

 

「だが……一つ、気を付ける事だ」

 

<は……>

 

「お前の研究は、今の世界を根底からひっくり返しうるものだ。下手に発表などしようものなら蒸気機関によって莫大な利益を得ている連中は、自分達の既得権益を守る為に躍起になるだろう。その為にはどんな手でも打ってくる。最悪、命を狙ってくるかも……」

 

<……承知しております>

 

「ならば良いが……慎重に、あくまで慎重にだ。良いな? 私としても、お前の後ろ盾になってくれる者を探してはいるが……下手にお前の研究の事を話す事も出来ないから、中々……ままならぬものだ……」

 

<いえ……おじさまには十分すぎるほどのものを既に受け取っております。これ以上は、望み過ぎというものでしょう>

 

「そう言ってくれると、私も気が楽になるよ」

 

 差し出された手を、プロフェッサーは握り返した。

 

「では、私はそろそろパーティーに戻らなくては……それではな、シンディ……また……」

 

 一礼して、プロフェッサーの叔父は部屋を退出する。

 

 プロフェッサーは入り口まで彼を送っていって、そうしてドアから離れようとした時だった。

 

 

 

「あら、グランベル侯……こんな所でお会いできるなんて……」

 

「おお、これはプリンセス……ご無沙汰しております」

 

 

 

<!>

 

 外から、話し声が聞こえてきた。

 

 こっそりと、ドアにほんの10センチばかり隙間を作って覗いてみる。右目の義眼がピントを合わせる為にキュイッ、と音を立てた。

 

 通路に居たのは勿論叔父と、その対面にパーティードレス姿のプリンセス。見ればプリンセスが着ている白のドレスは、胸元にワインだろうか? 赤いシミが広がってしまっていた。それに、プリンセスの背後にはこちらも可愛らしい黄色いドレス姿のベアトリス。それに後ろにもう二人、パーティードレス姿の少女が続いていた。学校の友人だろうか?

 

<……>

 

 別段おかしな所も無いので、それだけならプロフェッサーも何とも思わなかっただろうが……

 

<む?>

 

 プリンセスの背後、ブルーとブラックを基調としたドレスを着て、眼鏡を掛けている灰色の髪の少女に義眼のピントが合った瞬間、プロフェッサーは顔をこわばらせた。

 

 その少女の、骨格、輪郭、鼻の高さ、目の位置、口の大きさ、全体のバランス……他にも数限りない情報が義眼に搭載された演算装置によって洗い出され、処理されて、常人では全体の一割も読み取る事の出来ないだろう膨大なアルファベットと数字の羅列がプロフェッサーの脳に画像として送り込まれていく。

 

 プロフェッサーの視界に「MATCH」の文字が大写しで表示された。

 

 二秒の時間を要して解析が完了したデータは、既に義眼に登録されている”ある人物”のそれと、94パーセントの同一性を持っていた。

 

<……ふぅむ……>

 

 腕組みしたプロフェッサーは、唸り声を一つあげた。

 

 叔父とプリンセス達が挨拶を交わして別れたのを確かめると、扉から顔だけを出して廊下の様子を伺う。

 

 叔父はパーティー会場の方に歩いて行く背中が見えて、プリンセス達は隣の部屋に入っていく所だった。

 

<……>

 

 状況を整理してみる。

 

 プリンセスは、ドレスがワインで汚れていた。恐らくはパーティー会場で何か粗相があって、ドレスを着替える為に一時席を外したという所だろう。そのアクシデントの原因がプリンセスなら侍女のベアトリスは兎も角少女二人が付いてくる理由が弱いから、恐らくはあの二人の内どちらかがワインを引っかけるなどしてしまったのだろう。

 

 それだけなら、よくある事ではある。

 

 しかし、その一人が……彼女の顔が……

 

 偶然にしては、出来すぎている。

 

<……確かめる必要がある、か……>

 

 ドアにほんの僅かな隙間だけを開けて、息を潜めて廊下の様子を伺う。

 

 5分ほどの間を置いて、

 

「それでは、すぐに綺麗にしてきますから」

 

 そう、声が聞こえてきた。

 

 気付かれないよう最低限の隙間しか開けていないので良く見えなかったが、二つの足音が廊下を移動していくのは分かった。僅かに見えた服の色合いから、プリンセスに付いて来ていた二人の少女達だろう。

 

 彼女たちが角を曲がって完全に姿を消したのを確かめると、プロフェッサーはそっと部屋から体を出した。

 

 きらびやかな建物の中で顔も含めて全身黒ずくめの彼女は、雪原のカラス以上に浮き上がって見えていた。

 

<……>

 

 横断歩道を渡る時の要領で左右に視線を動かして、誰も居ない事を確認する。

 

 そうした所ですぐ隣の部屋の前に立つと、ドアをノックした。

 

「すいません、この部屋は今使用中で……!?」

 

 数秒して、そんな返事と共にベアトリスが顔を出して……そして、その顔を引きつらせた。

 

 コー、ホー……コー、ホー……

 

 そこに居たのは、一度見れば決して忘れられない強烈な外見をした怪人だったのだから。

 

<失礼いたします、プリンセス>

 

 ぬっと、ベアトリスを押し退け半ば割り込むようにして入室するプロフェッサー。

 

「あら……」

 

 穏やかな驚きの声を上げたのは、やはりプリンセスだった。

 

 今は下着姿で、椅子にちょこんと腰掛けている。

 

「驚いたわ、プロフェッサー。あなたがこのパーティーに来ているなんて」

 

<後見人である叔父に会いに来たのです。勿論、私はこの格好では表立って出歩けないので、こっそりと忍び込んだのですが>

 

「成る程……まぁ、お掛けになって」

 

「は……」

 

 勧められた席に腰掛けるプロフェッサー。ちょうど、プリンセスと正対する位置になる。

 

<プリンセス……失礼ですがその格好は……>

 

「あぁ……」

 

 プリンセスは困ったように苦笑いする。

 

「ちょっとドレスが汚れてしまって……」

 

「全く、困った人達です!! 姫様のドレスにワインを零すなんて!!」

 

 ぷんすかと肩をいからせて愚痴るベアトリスを、プリンセスは目で制する。

 

<あぁ……成る程……では、汚れたドレスの方は?>

 

 キョロキョロとプロフェッサーが視界を動かすが、室内に先ほどドアの隙間から見えた白いドレスは視界に入らない。

 

「アンジェ……あぁ、このパーティーに来ていた私のお友達だけど、彼女が綺麗にするって言ってくれたので預けたのよ」

 

「あんなにワインのシミが広がってしまったら、無理だと思うんですけどね……」

 

「まぁまぁベアト……アンジェには自信があるみたいだったし、ここは信じてみましょう」

 

<ふむ……?>

 

 プロフェッサーは、ガスマスクが邪魔で上手くは行かないが、顎に手をやって考える仕草を見せた。

 

 ただ単に、プリンセスのドレスが汚れただけならば何とも思わないが……

 

 しかし、そのドレスを汚して持っていったアンジェという少女が、プリンセスと顔の特徴が94パーセントまで一致。この数値は、一言で言って瓜二つ。親兄弟でもそうそう見分けが付かないレベルの一致度だ。

 

 ”たまたま”プリンセスにそっくりな学友が、”たまたま”このパーティーに出席していて、”たまたま”ワインでプリンセスのドレスを汚して、”たまたま”そのドレスを綺麗にする技術を持っていた?

 

<こんな偶然が……?>

 

 二つの偶然が重なる事は有り得ない。なのに、この時点で既に4つの”偶然”が折り重なって将棋倒しになっている。

 

<うーむ……まさか……?>

 

 思案していたプロフェッサーだが、案ずるより産むが易しという言葉もある。

 

 自分の考えの正しさを証明するには、行動あのるのみ。

 

 がたっと、椅子を蹴る勢いでプロフェッサーが立ち上がる。

 

「プロフェッサー……?」

 

<失礼します、プリンセス……少し気になる事があるので、一度席を外しますね>

 

 そう言って、勢い良く窓を開ける。涼しく心地良い夜の風が入ってきて、しかし下着姿のプリンセスは少し寒そうに体を震わせた。

 

<では、失礼>

 

 さっと軽やかに、開け放たれた窓から身を躍らせるプロフェッサー。

 

「!!」

 

 驚いたプリンセスが思わず口元に手をやる。

 

「3階ですよ、ここは……!!」

 

 同じぐらい驚いたベアトリスが窓から身を乗り出して下を見るが、そこから見える庭の何処にも、プロフェッサーの姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 プロフェッサーは、両手両足を屋敷の壁面に密着させて、守宮(ウォールリザード)のように壁から天井へと移動していた。

 

 彼女の右手は過去にケイバーライト採掘場採掘場で起こった爆発事故によって喪失しており、今は義手となっている。

 

 この義手は内部に仕込まれた高濃度ケイバーライトによってCボールと同じ重力制御を可能とする他に、プロフェッサーのオリジナル研究である電気テクノロジーと組み合わせる事によって電磁操作能力をも有する。そしてそれらの機能は、プロフェッサーの右腕接合部の筋肉の操作によって、自在に制御する事が可能であった。

 

 今のプロフェッサーは無重力化によって自分の体重をゼロにして、更に発生させた磁力を建物の建材に作用させて壁や天井に体をくっつけて移動していたのだ。

 

 するすると這うようにして建物の外周を移動し、ダンスホールの窓が見える位置へと移る。そのまま頭を下、足を上にして逆立ちしているような体勢のままで壁にへばり付き、窓の一番上の部分から顔だけを出して、中の様子を覗き込む。

 

<……!!>

 

 義眼へと入ってきた光景に、流石の彼女も動揺を隠せなかった。

 

 そこには、プリンセスが居たからだ。壮年の紳士とダンスを踊っている。

 

 だが有り得ない事だった。プリンセスは今さっきまで、控え室で汚れが落ちたドレスの到着を待っていた筈だ。それにたった今ホールで踊っている”プリンセス”が着ているのは、先ほどワインで汚れていた白いドレスだった。

 

 当然と言えば当然ながら、そのドレスには汚れなど少しも無かった。

 

<……>

 

 思考を回すプロフェッサー。

 

 プリンセスのダンスの相手は、プロフェッサーも知っていた。確か西側・アルビオン共和国のモーガン外務委員。

 

<……>

 

 今、モーガン委員と踊っているプリンセスは本人ではない。アンジェといったか、プリンセスとそっくりのご学友だ。それは間違いない。

 

 仮説を構築。

 

 アンジェは何らかの目的の為に、モーガン委員と接触する必要があった。しかし、一学生でしかない(少なくとも表向きは)彼女では確実には接触出来ない。護衛や取り巻きもわんさかと居るだろうし。

 

 そこで彼女はプリンセスの立場を借りる事にした。まさかプリンセスからのダンスの誘いに「ノー」とは言えまい。

 

 まず偶然を装ってワインをプリンセスのドレスにかける。そして上手く言いくるめて、ドレスを回収する。その後、ドレスに付着した汚れを漂白する(これはあらかじめ簡単に脱色出来たり、あるいは時間と共に色が消える塗料などを水に溶かしてワインに見せかけていたのかも知れない)。

 

 後はウィッグと胸パッドでもあれば、もう一人のプリンセスが完成する。

 

 つまりアンジェがプリンセスから借りたものはドレスではなく立場であった訳だ。

 

<……>

 

 証拠は何も無いし穴だらけの推理だが、一応全ての辻褄は合う。

 

 そこで、プロフェッサーの思考は更に先へと進む。

 

 何故、アンジェはそこまでの手間を掛けてリスクを冒してまでプリンセスに成り代わり、モーガン委員と接触する必要があったのか?

 

 まさか悪戯目的ではあるまい。それにしてはあまりにも手間が掛かりすぎているし、凝りすぎている。

 

<……何か、委員しか知らない情報を聞き出すか……あるいは品物を直に受け取るか渡すかする為?>

 

 だとすればアンジェの正体は只の学生などではなく……!!

 

<スパイか……!!>

 

 線は繋がった。

 

 すっと、プロフェッサーが窓から頭を引っ込めた。

 

 

 

 

 

 

 

「ん……?」

 

 踊っていた”プリンセス”が、ちらりと窓の一つに視線を動かした。

 

 しかしそこには、当然と言うべきか何もおかしなものは無い。

 

「? どうされましたか、プリンセス?」

 

「いえ……何でも……気のせいだったようですわ、議員」

 

 

 

 

 

 

 

 がちゃり。

 

 窓が外から開け放たれて、翼を広げた黒い怪鳥のようにプロフェッサーが部屋に飛び込んできた。

 

「ひっ!?」

 

 思わず、上擦った声を上げてベアトリスが体を竦ませる。プリンセスは泰然と椅子に腰掛けたままで視線を動かした。

 

「戻ってきたんですね、プロフェッサー」

 

 コ、ホ……コ、ホ……

 

 急いで来たのか、いつもよりプロフェッサーの呼吸音はペースが早い。

 

<……>

 

 プリンセスはまだ下着姿、ドレスも部屋の何処にも無い。

 

 どうやら、間に合ったようだ。

 

 コー、ホー……コー、ホー……

 

 呼吸を整えると、プロフェッサーはプリンセスに向き直った。

 

<プリンセス、落ち着いて……お聞き下さい>

 

「……? どうしたのかしら、プロフェッサー」

 

<あのアンジェという少女は、スパイです>

 

「え? 何を……」

 

「ベアト、静かに……プロフェッサー、続けて」

 

 慌てふためいたベアトリスを制すると、プリンセスがプロフェッサーに促してくる。

 

<プリンセスから預かったドレスを着て、プリンセスになりすましてパーティーに出席し、共和国のモーガン外務員と踊っていました。恐らくは何か情報を聞き出すなど目的があって、最初からその為にプリンセスに近付いたのでしょう>

 

「「……」」

 

 二人の少女は少しの間同じように沈黙していたが……先に動いたのは、ベアトリスだった。

 

「た、大変です姫様!! すぐに警備の者に伝えてあの二人を取り押さえるように……」

 

 自分が嘘を言っているとは考えないぐらいには信用されているのだと、少しだけプロフェッサーは胸がほっこりする気分になった。

 

「まぁまぁ、ベアト……これはチャンスと言えるかも知れないわよ?」

 

 意地悪そうに、プリンセスが笑った。

 

<……プリンセス?>

 

「……それにしてもプロフェッサー……良く、アンジェがスパイだと分かったわね?」

 

<……私の目は節穴ではありませんので>

 

 文字通り、節穴に義眼が入っているプロフェッサーは答えた。

 

<それよりプリンセス、チャンス、とは?>

 

「向こうは、こちらが彼女達がスパイと気付いた事に、まだ気付いていないわ。と、すれば……これは利用出来るかも知れないわよ?」

 

<……それはどういう……>

 

 プロフェッサーがそう言い掛けた瞬間だった、

 

 ドアがノックされて、その向こう側から声が聞こえてくる。

 

「プリンセス、よろしいですか? アンジェです。ドレスの漂白が終わりました」

 

「「<…………>」」

 

 室内の3人は、それぞれ顔を見合わせる。

 

 ドアの向こうには(恐らくは共和国側の)スパイが控えている。

 

 どうするか?

 

 アンジェともう一人、ドロシーというらしいが……彼女の素性を暴露するか? それとも今しばらくお芝居に付き合って、二人を利用するか?

 

 どちらの案にもメリットとデメリットがあり、プロフェッサーにもベアトリスにも決める事は出来ない。二人は決を求めて、プリンセスを見詰めた。

 

 そんな視線を感じ取った訳でもないだろうが……プリンセスが、絶妙のタイミングで口を開いた。

 

「二人とも、ここは私に任せてもらえないかしら?」

 

「……姫様が、そう仰られるのなら……」

 

<私に、拒む理由はありません……では、私はこれで失礼いたします>

 

 プロフェッサーはそう言い残すと、開けっ放しの窓から再び身を躍らせた。

 

「……? プリンセス? 居られないのですか?」

 

「ああ、アンジェ。開いてるわ。入って」

 

 

 

 

 

 

 

<……>

 

 壁に貼り付いたプロフェッサーはホールの様子を伺っていたが、どうやらほんの数分の間に、事態はかなり大きく動いたようだ。

 

 大使館へ戻ろうとしていたモーガン外務委員が狙撃され、ちょうど会場に到着したノルマンディー公がその場に居合わせた。委員は王立病院へと緊急搬送、ノルマンディー公が持つ内務卿権限で会場は封鎖され、現在はパーティーの出席者全員を対象としたボディーチェックが行われているらしい。

 

<……>

 

 再び、仮説を構築。

 

 ノルマンディー公が到着してすぐに、モーガン委員が狙撃された。あまりにもタイミングが良すぎる。

 

 ノルマンディー公が王国に所属するスパイの総元締めである事は、そのスジの人間からすれば常識。

 

 モーガン外務委員は、何かノルマンディー公と裏取引をしていた?

 

 仮にそうだとすれば亡命か、あるいは大金目当ての裏取引か……?

 

 しかし、ここへ来て何かの手違いがあったのかあるいは心変わりしたのかその取引を履行する事が出来なくなった。だからノルマンディー公はモーガン委員に死なない程度の怪我を負わせ、治外法権の大使館へと逃げ帰る事を出来なくした。

 

<そこで、ボディーチェックをするという事は……>

 

 プリンセスに扮したアンジェが委員と踊っていた時にも考えたが、モーガン委員はこのパーティーの席で、何か重要な情報か品物を王国の人間に話そうともしくは渡そうとしていた?

 

 共和国側としてはそれが為されては困るから、アンジェがプリンセスに変装してモーガン委員に接触して、先にそれを押さえに掛かった?

 

 そしてボディーチェック……

 

 もし委員が持つ重要なものが彼しか知らない情報なら、後から入院した委員に尋問でも拷問でもすれば良い。”狙撃”の実行犯はまず間違いなくノルマンディー公だからボディーチェックを行う必要は、形式上はあるかも知れないが絶対不可欠という訳では無い。

 

 では……何か機密文章か、金庫の鍵か、それとも国宝級の価値がある指輪か……そんな所か。恐らくはポケットに隠し持てるような、小さな物だろう。

 

 それがモーガン委員の体を調べても出てこない。ならば会場内の誰かが持っている筈。ノルマンディー公はそう考えてボディーチェックを行った?

 

<……>

 

 プロフェッサーはこちらの仮説の方が、真実に近いと思った。

 

 そしてもう一つ。

 

 会場内では今出席者のボディーチェックが行われているようだが、スパイが見付かったとか、そういった騒ぎになっている様子は無い。

 

 これだけ時間が経ってあの二人が共和国側のスパイだと告発されていないという事は、プリンセスにはそれをするつもりが無いという事だ。

 

 つまり……!!

 

<……プリンセスは、あの二人を通して共和国側と取引をする心算だという事か……>

 

 アンジェもドロシーも、所詮は現場に出る一実働員でしかない。実際的な力は乏しい筈だ。つまりプリンセスは彼女たちをパイプにする気なのだ。

 

<……ならば、私のするべき事は……>

 

 少しの間考えた後、プロフェッサーは義手に仕込まれたケイバーライトの機能を作動させると、電磁誘導と併用して夜の空へと飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

「もう少しで王立病院に到着します」

 

 ロンドン市内の道路。

 

 パーティーホールで”狙撃された”モーガン議員を乗せた救急車は、彼を病院の”特別治療室”へと搬送すべく出せるだけのスピードを出して夜のロンドン市内を駆けていた。

 

 この分なら、後5分もあれば病院に着く。

 

 そうすれば、後は薬でも器具でもどんな方法でも使って、吐かせられるだけの情報を吐かせれば良い。最終的に死んでも、場所が病院で運び込まれた原因が狙撃なら何も不自然は無い。

 

 運転手は、少しだけ今は意識不明で後ろの寝台で眠っているモーガン委員の未来を想像して同情した。当然ながら彼も、病院の医師や救急車に同乗している医療スタッフも全てノルマンディー公の息が掛かっている。

 

 しかし頭を振ってそんな考えはすぐに振り払うと、運転に意識を集中する。

 

 その時だった。

 

 ガクン、と車に振動が走る。

 

 石畳の出っ張りにでも乗り上げたかと思ったが、すぐに何かがおかしい事に気付く。

 

 車窓から見える、町の景色が動かない。流れていかない。

 

 車が、動いていないのだ。

 

「? おかしいな?」

 

 アクセルを強く踏んでみるが、エンジン音が大きくなるだけで車はびくとも動かなかった。

 

 エンストかとも思ったが、エンジンは今も規則正しい駆動音を響かせている。

 

 もし、運転手が車から出ていれば気付いただろう。

 

 今の救急車は全体が道路から5センチほど浮遊していて、タイヤは文字通り空回りしているだけなのだと。まるで見えない巨人が居て、救急車をひょいと掴んで持ち上げているようだった。

 

 運転手の、胸ポケットに入っていた金属製の万年筆が見えない力に引っ張られるようにしてひとりでに動いて空間を飛び、窓ガラスにぶつかった。

 

 コー、ホー……コー、ホー……

 

 呼吸音が、夜の町に木霊していく。

 

 路地裏の闇から、わだかまったその闇よりも尚黒いローブを纏い、両眼を紅く光らせた人影が姿を現した。

 

 プロフェッサーだ。

 

 救急車を掴んでいる見えない巨人の正体は、彼女が操る電磁力だった。

 

 義手に仕込まれた電気機構と高濃度ケイバーライトを併用して電気を操る彼女はその応用で磁場を作り出し、金属を自在にコントロール出来るのだ。

 

<……>

 

 左手でローブの裾をまくる。

 

 ベルトに付けられていた金属筒が、くるくる回りながら空中を動いてぱしっと右手に握られた。

 

 かちり。

 

 プロフェッサーの義手、その親指が筒の側面のスイッチを押す。

 

 独特の駆動音を立てて夜闇を裂くような紅い光が噴き出して収束し、刃へと形を成した。

 

<援護射撃……させていただきますよ、プリンセス……>

 


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