プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結) 作:ファルメール
黒いローブに身を包み、顔にはガスマスクを装面。手には赤い光刃を持った怪人。
明かりが消えてしまった室内では、怪人の持つ光剣の照り返しだけが光源となっている。部屋が紅く染まって、暗さと相まって火事かさもなければ血を一面にぶちまけたような印象を抱く者も居た。
そんな異様極まりない状況下で誰もが言葉を失う中で、流石にゼルダとイングウェイはいち早く我に返った。
「少佐!!」
「はっ!!」
目の前に立つこの男? あるいは女かも知れないが、ともかく友好的な相手にはとても見えない。
顔どころか全身に外気が触れている部分が1センチ四方も無いので生物感が希薄で、まるで王宮の通路に飾られている飾り物の鎧を連想するが……しかし、この怪人はそんな案山子とは全く違うという事が直感的に理解出来る。それは全身からじわじわと漏れ出すような殺気。この人物は明確に自分達を殺傷する目的でこの場にやって来ているのだと、何の説明も必要とはせずに正確に理解出来る。
手にした紅い光はこの場に居る人間でプリンセス以外は初めて見るものであったが、だがその用途など一目瞭然だった。松明やライトの代用品などでは有り得ない。熱は感じないが、固い岩盤であろうが容易く貫通し、鉄板であろうが融断してしまうだろう。勿論、人間を斬殺する事など訳もない。
怪人、プロフェッサーが動き出すよりも僅かに、イングウェイの指示が早かった。
「怯むな撃てっ!! プリンセスをお守りしろ!!」
指揮官の命を受けた兵士達が、一斉に拳銃をドロウする。
「待って……!!」
プリンセスの制止の声は、銃声に掻き消された。
十数発の発砲音は、長い一発のように聞こえた。
拳銃とは言えそれだけの一斉射撃は人間一人を殺害・無力化するには十分な火力と言える。
だがプロフェッサーは止まらなかった。
紳士のステッキのように赤い光刃をくるくると回し、悠然と前進を始める。
銃弾が、飛来する軌道に配置された光刃に触れ、バチッと火花を散らして嫌な匂いを立てた。
乱射される弾丸の中を、プロフェッサーは何の恐怖も脅威も感じてはいないかのように、散歩するような歩調で進んでくる。
一発の弾丸も彼女に命中しないのには、当然ながら理由がある。
人間の視力では、当然ながら飛んでくる銃弾を視認する事は不可能。よしんば見えたとして飛んでくる銃弾をかわす事も人間の動きでは不可能。
だからプロフェッサーは、それらを見てはいなかった。彼女の義眼が捉えているのは、銃口だった。その角度。
銃口の向いている先に銃弾が飛んでいくのは道理。それで銃弾の軌道を完璧に把握して、まず自分に命中しない軌道のものは無視。
命中する軌道のものだけ、その銃弾が辿るであろう予測軌道に電光の刃を置いて、防ぐ。数が多く防ぎ切れないようなら、右の義手に仕込まれた電磁気操作能力によって発生させた磁気フィールドによって飛来するコースを逸らす。
だがこうしたトリックなど、対峙している兵士達には分からない。彼等にしてみれば、何十発も放たれる銃弾が一発も当たらないようにしか映らない。実際にそうなのだが、弾丸の方がプロフェッサーを避けているようにさえ見えていた。
プロフェッサーが前進する速度は速くも遅くもならず、一定のままだ。しかし彼女とて、ただ攻撃を防いでいるだけではなかった。
ばっと、プロフェッサーが義手をかざす。
「うっ……ぐっ………?」
最もプロフェッサーに近い位置に居た数名が、異常に気付いた。
彼等は銃を手から取り落としてしまって、代わりに頭に手をやる。正確には頭に被った金属製のヘルメットへと。
銃弾が当たる事も想定して頑丈な造りのヘルメットは、今はベコリベコリと、誰の手も触れていないのに凹み始めている。
「い、痛っ、いだああっ……!!」
圧迫感を受けた彼等はヘルメットを脱ぎ捨てようとするが、しかしそれも叶わなかった。ベルトで固定されている訳でもないのに、ヘルメットはまるで彼等の頭から固定されたように動かなかった。
べきっ……ごきっ……
頭蓋骨が粉砕される嫌な音が鳴って、一本の棒のようになったヘルメットの隙間から鮮血が絞り出された。
王国軍の赤い制服が更に真っ赤に染まって、兵士達の両手がだらりと脱力し下に落ちて、体が操り糸を切られた木偶のように倒れた。
次にプロフェッサーが別の者を指差すと、磁力が彼が身に付けている金属類に作用して体が空中に浮遊した。
「なっ……あっ……」
身動きが取れない空中でジタバタと足掻くその兵士の腰に、赤い刃が走った。
上半身と下半身が両断されると同時にプロフェッサーは磁力を切って、切り離されて二つになった体が床に転がった。彼は、プリンセスにスコーンを差し出した少年兵だった。
「……!!」
この光景を、プリンセスは目を皿のように見開いて、瞬きもせずに見ていた。
次にプロフェッサーの近くに居た兵士は、首に懸けていた認識票のチェーンが首吊りロープのように絞まって、窒息を待たずして首の骨がへし折られた。
既にイングウェイとゼルダ以外の兵士の内、半数は戦意を喪失して逃げ腰になっていた。
まだ戦意を維持していたもう半数がリロードを終えた銃を構えるが、プロフェッサーの方が早かった。
再び手をかざすと、発生した磁力の見えない蔓が彼等の手にした銃に接続され、プロフェッサーはそれを巻き取った。
不可視の巨人がそこに居るかのように凄い力でもぎ取られて、彼等の手から銃が離れる。そうして丸腰となった所にプロフェッサーが近付いてきて、振り回される光刃が彼等の体を薙ぎ払い、焼き切って、出血は無かったが肉が焼け焦げる悪臭が立ち込めた。
逃げ出そうとした者達は、プロフェッサーが磁力を作用させて落下させたシャンデリアの下敷きになった。
ほんの一分足らずの間に、この部屋に居るのはプロフェッサーを除いてイングウェイ、ゼルダ、プリンセスの3名だけとなった。
「ゼルダ殿、プリンセスを安全な所へ……」
イングウェイがそう言って自身も銃を手にした瞬間だった。
「プリンセス!!」
プロフェッサーが入ってきたのとは別の扉が蹴破られて、アンジェとちせが駆け込んできた。
「「!!」」
それぞれバラバラに動く人間が3人入ってきて、一瞬だが誰を標的にするかの迷いでゼルダとイングウェイに隙が生じた。
一方で、アンジェ達は目的がはっきりとしている。
アンジェとちせはプリンセスを助ける為。
プロフェッサーの狙いは、プリンセスの救出は二人に任せてイングウェイを殺害する事だった。彼女にしてみれば自分つまりシンディ・グランベルがクーデター派と繋がっている事は誰にも、特にプリンセスには知られてはならない。彼の口を封じねばならなかった。
ゼルダの銃撃。しかしアンジェはCボールの重量軽減を利用した高く速い跳躍でかわす。そのまま反撃の銃撃。ゼルダも後方に跳んで回避しつつ、ちせに牽制の銃撃。ちせは刀で銃弾を弾く。
接近したちせが足を払おうとするが、しかしゼルダも明らかに鍛錬によって到達する域を遙かに超えた跳躍を見せてこれを回避した。
「これは……」
アンジェと同じCボールの重力制御。ゼルダも装備していたのだ。
一方で、プロフェッサーは真っ直ぐにイングウェイに向かっていく。
パン、パン、パン、パン
イングウェイは正確に頭部と腹部を狙って二発ずつ銃弾を発射したが、プロフェッサーには一発も当たらなかった。彼女は淀みなく光刃を動かして、全ての弾丸を蒸発させてしまう。
そして5発目の引き金を引く前に、プロフェッサーが振るった刃がイングウェイの手首に走って、銃を持ったままの手を切り落とした。
傷口が一瞬で焼却され出血は無い。
だが、イングウェイが痛みに声を上げたり顔を歪めたりする事は無かった。
体が感じた痛みが伝わって、頭がそれを痛いと思う前に。
プロフェッサーは逃げられないように彼の胸ぐらを掴んで体を固定すると、突き出された赤い刃が正確に彼の心臓を刺し貫いた。
「かふっ……」
空気が漏れるような音を立て、息が吐き出される。
飛び出す程に目を見開いて、力を失った体がプロフェッサーに預けられた。プロフェッサーは、彼の体を抱き留める。
<……少佐……どうして、私を待ってくれなかったの……>
誰にも気付かれないようにそう呟くと、プロフェッサーはイングウェイの遺体を静かに床に横たえる。これは袂を分かったとは言え、かつての同志へのせめてもの情けであったかも知れなかった。
だが、僅かな感傷に浸っていたのはここまでだった。
すぐ傍ではアンジェとちせが、まだ戦っているのだ。
ちせが前衛、アンジェはプリンセスを庇うような位置取りで銃撃し、ちせを援護する。
「そろそろ……潮時か」
ゼルダもアンジェと同等かそれ以上の技量を持った凄腕のスパイであるが、2対1。いやプロフェッサーを合わせれば3対1になるという数的不利。更に、スパイは勿論格闘術や射撃の心得はあるがその本分はあくまで諜報活動であり、戦う事よりも確実に逃げる事やそもそも戦わずに済ませる事にこそ重点を置いて訓練されている。寧ろ戦うような展開は下の下とも言えるだろう。
そこへ行くと今は、戦う事こそ本分である純粋な戦闘員であるちせが居る。この一点を鑑みても、かなり状況は自分に不利であるとゼルダは断じた。
クーデター部隊が全滅した今、ここでこれ以上戦闘を続ける意味は無い。
後方へ大きく跳ぶと、そのままガラスを突き破って空中へと離脱。空間に浮遊したまま、銃を照準する。
「!!」
「うっ!!」
<!!>
アンジェ、ちせ、プロフェッサーはほぼ同時に、ゼルダの狙いに気が付いた。自分達の誰か一人を負傷させて、他の者を救助に動かせる事で隙を作り、自分の撤退をより確実にするつもりだ。
プロフェッサーが磁力を作用させて銃弾を止めようとするが、出来なかった。
ゼルダ自身は既に磁力が作用する射程の外。銃を取り上げる事は出来ない。そしてゼルダが発射した銃弾は、金属ではなかった。
ドロシーの報告から、プロフェッサーが磁場を作り出して金属を操る事を共和国側は知っている。その為、ゼルダにはプロフェッサーと対決する事態も想定して、彼女が操れない非金属製の銃弾が渡されていたのだ。
だが、銃弾それ自体を操れなくとも、プロフェッサーは義眼で銃口の角度を読み切って、光刃を使って弾丸を防ぐ事が可能である。
ちせも、こちらは純粋な武の技量によって、気を張って面と向かい合った状況下なら銃弾を弾く事が出来る。
だからこの二人には撃っても無駄弾になる。
つまり、ゼルダの狙いは撃っても無駄弾にならない者……そしてアンジェは、ピンピンと動き回っているから一発では当たらないだろう。ならば、狙いは……
先程、ゼルダに引き倒されたダメージがまだ抜けておらず動きの鈍いプリンセスだ。
「いかん……!!」
<……!!>
咄嗟に、ちせもプロフェッサーも走り出すが、指が引き金を絞る動きに先んじる事は出来なかった。
パン!!
「……っ!!」
銃声。襲ってくる痛みを覚悟して、プリンセスは目を瞑って体を硬くする。
「……?」
だが、熱さも痛みも、いつまで経ってもやってこなかった。
代わりに、
どさり。
何かが倒れるような音が聞こえてきた。
プリンセスが顔を上げると……
「……アンジェ!!」
アンジェが、ちょうどプリンセスのすぐ前に倒れていた。
ゼルダが銃を弾く寸前、最もプリンセスに近い位置に居た彼女が、咄嗟に自分の体を盾として、射線を遮ったのだ。
<アンジェ……!!>
プロフェッサーがゼルダが飛び出していった窓を警戒しつつ、じりじりと後退りするようにプリンセスとアンジェの傍へと移動していく。
「おのれっ!!」
ちせが窓から身を乗り出して見ると、ちょうどゼルダが夜の闇に消える所だった。敵ながら見事な引き際と言える。もう、追っても無駄だろう。
しばらく窓から見える闇を睨んでいたちせは、背後からの声にはっと振り返った。
プリンセスが、倒れたアンジェを抱き起こしていた。撃たれたアンジェは、ぐったりとして動かない。
「アンジェ、しっかりして……アンジェ!!」