プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第26話 ロンドンの一番長い日 その4

 

「プリンセスが我々の決起に参画したとあれば、結束も強まります。本日は新王室寺院で戦勝祈願の式典が行われます。式典には主立った王族や諸侯の方々が参列されます。勿論女王もです。我々は恐れ多くも女王陛下を討つ所存であります。あなたに新しい女王になっていただきたいのです」

 

「……」

 

 何事も無ければ、プリンセスもまた式典に参加していた筈だった。その予定を、今朝ベアトリスから聞かされていた。まだほんの半日くらいしか経っていない筈だが、もう何年か前の出来事のように錯覚してしまう。それほど、濃密な時間が急激に流れている。

 

 アンジェを飛行客船の貨物室に閉じ込めて彼女と入れ替わったプリンセスは、ショッピングモールでゼルダ達に「アンジェ」として姿を見せた。

 

 ゼルダ達にはアンジェが起こしたスモークグレネード騒ぎは「プリンセス」に自分を信用させる為だと説明した。「プリンセス」は、二人きりになった時に始末したとも。

 

 そうしてそのまま、ゼルダに連れられてクーデターを画策するイングウェイ少佐の部隊に合流した。

 

「我々は式典の開始を待ち、寺院の天井を落とします。寺院建設に関わる労働者には我々の同志が大勢おります。植民地支配されこの国の労働力の大半を占めながら、最低限の権利しか認められていない。彼等の怒りは必然なのです」

 

 あるいは戦いが起こった時には常に最前線で危険の矢面に立たされるのに、とイングウェイは言い掛けて言葉を呑み込んだ。それは彼自身の私怨・私憤が多分に含まれるものだったからだ。

 

「そう、ですか……」

 

 プリンセスは驚く一方で、どこか納得している自分も居る事を自覚していた。それはあの十年前の革命で運命が変わる迄の間、彼女自身が嫌と言う程に味わってきたものであったからだ。

 

「プリンセス・シャーロット。革命は必ず成功します」

 

「移民、貧困、格差……それがあなた達の理由なのですね……」

 

 これは起こるべくして起こる流れだった。

 

 努力家であるプリンセスは、当然ながら歴史についても勉強している。国家の興亡の歴史は詰まる所、一つのループを繰り返していると言える。戦争、平和、革命。その三拍子がぐるぐると回っていつまでもいつまでも続いているのだ。

 

 まして今のアルビオン王国は、少佐の語ったような植民地支配や移民の問題は勿論の事、国内の貧富の差は広がるばかりで腐敗は臨界に達しつつあり社会の自浄作用が働かなくなっている。そろそろ、平和から革命に移り変わる時期なのだ。いや、この表現は正確ではないだろう。

 

 十年前、この国が割れてから今迄ずっと「革命」は続いているのだ。一度も終わっていない。

 

『でも……止めなくちゃ……クーデターなんて……』

 

 二十世紀を迎えようとしている今、いい加減にそんな不毛な連鎖は終わらせなければならない。

 

 世直しをする者は、別の世直しをしようとする者に討たれる。それもまた歴史の必然だ。

 

 仮にこのクーデターが成功して自分が王位に就いたとしても、それでは何も変わらない。それは所詮、ケージの中で車輪を回すハツカネズミのように既存の歴史のシステムの範疇で踊っているに過ぎないからだ。一歩とて前に進んでいない。

 

 それでは世界は変わらない。何一つも。

 

 この国を変えようと志し、その為の力を求めて多くを学ぶ中で、彼女は嫌でもその結論に辿り着く事となった。

 

 だからこそ、プリンセスは世界の在り方そのものをぶち壊すような力を求めていた。

 

 そして見付けた。

 

 この世界の構造そのものを一度壊して、然る後に次の階梯にまで再構築してしまうような才能と技術を。そしてそれを支え裏付ける執念と憎悪を。

 

 プロフェッサー、シンディ・グランベル。

 

 彼女こそが探していた鍵だった。未来への扉を、強引にこじ開ける為の。

 

 彼女に初めて会った時の、その困惑をどう表現したものだろうか。否、プリンセスにとってそれは困惑などではなく、感動だった。プリンセスは基本的に無神論者だ。世界を動かすのは神の慈悲でも気まぐれでもなく、人の意志と力だと思っている。しかしその時だけは、神の存在を信じて良いかもとさえ思った。

 

 他にも幾重にも準備を重ねてきた。再会したアンジェことシャーロットを通じて共和国にパイプを作ったのもその一環だ。

 

 今こそ、不毛な三拍子から王国も共和国も、いや世界そのものが脱却しなくてはならない時なのに。

 

「……」

 

 ちらりと、すぐ横の席に着いたゼルダを見る。

 

 アンジェより熟練であろうスパイは何も言わず、意味深な視線を向けてくるだけだ。

 

 まだ、アンジェと自分が入れ替わっている事には気付かれていないと思うが……しかし僅かな立ち振る舞いやクセの違いから、いつ看破されても不思議は無い。さながらタイムリミットがいつなのか分からない時限爆弾を懐に入れている気分だ。弾けるのは一分後か一時間後か。

 

 いずれにせよ、あまり時間を掛ける事は出来ない。

 

 入れ替わりがバレる危険の他にも、人があまり多くなってくれば動きが取れなくなる。

 

『……その前に、何とかしなくちゃ……』

 

 

 

 

 

 

 

 ロンドンの壁。

 

 その内部へと通じる通路に、一台の車が走り込んできた。

 

「おい、止まれ止まれ。ここは今日は通行禁止だ」

 

 封鎖されている通路の前に立っていた兵士が両手を広げて車を制止する。

 

 乗客を確かめようと近付いていくと……

 

「すみません。急いでいたものですから。式典に遅れてしまいそうなの。壁の通路を使わせていただけませんか?」

 

 後部座席から出てきたのは、この国の人間なら知らぬ者の居ない顔だった。

 

 プリンセス・シャーロット。

 

「おお、そういう事情でしたか。今門を……」

 

「いや待て。プリンセスは既に王室寺院にお入りになったと聞いています」

 

 後ろに控えていた兵士が、開門しようとしていた相棒を制止する。

 

「「「…………」」」

 

 ドロシー、ベアトリス、アンジェの眉や口角がぴくりと動いて、表情が強張った。

 

<…………>

 

 ガスマスクを装面しているプロフェッサーの表情は分からない。

 

 ピッ。

 

 彼女は無言で、懐から取り出したリモコンのスイッチを押す。

 

 プシューッ……!!

 

「な、何だ!? ゲホッ、ゴホッ……」

 

「し、染みる、目が……!!」

 

 車体の前部から白い煙が出て、兵士達に吹き付けられた。途端に門衛達は咳き込み、涙目になりながら右往左往し始める。催涙性のガスだ。

 

<突破して、ドロシー。しばらく、息は止めているように。アンジェとベアトは目を塞いでいて>

 

「よし!!」

 

 ドライバーとして風・粉塵避けのゴーグルを付けているドロシーは、目を瞑る必要は無かった。そのまま思い切りアクセルを踏み込む。

 

 抜群の加速力を発揮した車は閉じられた門をぶち破って、壁内へと滑り込んだ。

 

「侵入者だ!! ゲホッ、ゴホッ……」

 

「連絡だ、警備本部に……ノルマンディー公に……ハクション!!」

 

 

 

 

 

 

 

 王室寺院。

 

 アルビオン王国の重鎮として、当然ノルマンディー公も式典に参加する為にここに居た。

 

 そこに、秘書であるガゼルが緊張した面持ちでやって来る。

 

「侵入者だと?」

 

「はい、シャーロット殿下に変装していたと」

 

 報告を受けて、この国の諜報・防諜を司る男の決断は早かった。

 

「見付け次第処分しろ」

 

 

 

 

 

 

 

 壁内通路。

 

 ロンドンを東西に分かつこの壁が建造されていた時期には、この通路を使い列車にて物資の移送が行われていた。地面に敷かれているレールは、その時の名残だ。

 

 レール上を走っているので当然車は揺れるが、しかしついさっきまで地下鉄線路を走ってきたのでそれに比べればと、ベアトリスは自分の感覚が麻痺してきているのを自覚した。

 

「あっ!!」

 

 背後を振り返ると、ライトがこちらへと向かってきているのが見えた。

 

「追ってきました!!」

 

 軍用車両が数台と、それに装甲列車が走ってきている。

 

「撃て!!」

 

 車の後部座席や列車の荷台に鈴なりに乗った兵士達が一斉に発砲した。

 

 パン、パン!!

 

 狭い通路に銃声が反響する。

 

 何発かが車体に当たって、火花が散った。

 

 貫通しないのは、プロフェッサーが事前に車体のカウルを積層構造の防弾仕様に交換していた為だ。スパイが使う車だから、銃撃戦に巻き込まれる事態も彼女は想定していたのだ。

 

<流石は私>

 

 銃撃に晒されているとは思えない程に落ち着いた様子で、頬杖付きつつプロフェッサーがひとりごちた。

 

「頭を低くして」

 

 アンジェが、ベアトリスの頭を思い切り下げさせた。

 

「自画自賛している場合か!! 何とかしろ、プロフェッサー!! どうせあんたの事だ、まだこの車には私らに見せていないギミックの2つや3つは仕込んであるんだろ!!」

 

<……>

 

 プロフェッサーは、ぐるりと首を動かしてドロシーを見やった。

 

<ドロシー、あなたは私に言えばどんな逆境でも逆転出来る隠し玉がポンポン出てくると思っていないか?>

 

「……」

 

<どんなピンチになっても、まるで私が最初からその事態を想定していたかのようなご都合主義に「こんなこともあろうかと」と、あつらえたように状況を打開出来る奇想天外な新兵器を出してくると?>

 

「……」

 

<その通りだ。こんなこともあろうかと、な>

 

「プロフェッサー、テストは?」

 

<そんな暇あるか>

 

 ピッ。

 

 プロフェッサーがリモコンのスイッチを入れる。

 

 パカッ。じゃらららっ……

 

 車体の後部で蓋が開いたような音が鳴って、その後で小さな何かが沢山こぼれるような感触が走りそんな音が聞こえてきた。

 

「うわっ!?」

 

「タイヤが……!?」

 

 後方から悲鳴が聞こえてきて、追跡してきていた車両がスピンしてその後転倒し、横倒しになったりクラッシュした。兵士達の悲鳴が重なって聞こえてくる。

 

「プロフェッサー、今のは……」

 

<ちせから聞いた話から新しく組み込んだギミックだ。日本ではマキビシというらしいが……>

 

 今のギミックで、この車は後方にマキビシをバラ撒いて、追跡してくる車のタイヤを破裂させて追跡不能にしたのだ。

 

 これで自動車は撒けた。しかしまだ、装甲列車が残っている。列車には、マキビシも通用しない。

 

「ちっ!!」

 

 ドロシーは片手でハンドルを握りつつ、空いた手に拳銃を持って引き金を引いた。

 

 パン、パン、パン。

 

 銃声。

 

 しかし列車の装甲は自動車よりも分厚く、浅めの弾痕を穿つのが精々だった。

 

<……しつこい奴らだ>

 

 はぁ、とガスマスクから聞こえてくる呼吸音に溜息が混じった。

 

<仕方無い、奥の手を使おう>

 

「今度は何をする気だ?」

 

<連中をぶっ飛ばしてやるのさ>

 

 プロフェッサーはそう言って、胸の内ポケットから先程車のギミックを操っていたのとは別のリモコンを取り出した。

 

 ピッ。

 

 スイッチを押して……

 

「え? 何、これは……」

 

 戸惑った声を上げたのはベアトリスだった。

 

 彼女の喉の機械が、触ってもいないのにキリキリと音を立てて動き出したのだ。

 

<……ベアトリス。今から目一杯息を吸い込むんだ>

 

「え? ちょ、プロフェッサー!?」

 

<良いから、大きく息を吸って>

 

「な、何をいきなり……」

 

 中々決断しないベアトリスに、プロフェッサーは少し苛立ったようだった。次の言葉は語調が強くなった。

 

<吸えと言ってるんだ!! 大きく息を吸う!!>

 

「は、はい……!!」

 

 反射的に命令に従って、すうっと胸を仰け反らせて空気を肺腑に取り込むベアトリス。心なしか、彼女の胸が大きくなったようだった。

 

 この時点で、次に何が起こるか? アンジェもドロシーも、大体察しが付いたらしい。ドロシーは運転で文字通りハンドルから手が離せないが、アンジェは両手で耳を塞いで、ぱくっと口を開けた。

 

 プロフェッサーは、助手席から体を乗り出してドロシーの耳を塞いだ。

 

 準備は、これで完了した。

 

<では……ベアトリス。叫んで。思い切り>

 

「ふぇ?」

 

 吸い込んだ空気を漏らさないように、口を塞いだままベアトリスがくぐもった声を上げた。

 

<叫ぶの!! 思い切り!!>

 

「ふぁ、ふぁい!!」

 

 がくがくと首を縦に振ると、ベアトリスは胸に溜めていた空気を喉へと逆流させて……そして……

 

 壁内通路のあちこちに配置されていたランプや車のライトが、一斉に割れて砕け散った。

 

 装甲列車に乗っていた兵士達は、いきなり頭を揺さぶられたような衝撃を受けて悲鳴を上げながら耳を覆った。運転手にも同じ事が起こったのだろう。装甲列車が停車する。

 

 事前に「来る」と分かっていたアンジェ達は影響を比較的軽微に抑えられたが、それでも完全にシャットダウンする事はできなかった。棒で思い切り殴られたような頭痛に顔をしかめている。

 

 これらの現象を引き起こしたのは「音」だった。

 

 ただし、誰もそれが分からなかった。

 

 あまりの音量と衝撃で、人間の耳の可聴域では逆に聞こえている事に気が付かなかったのだ。

 

 それほどの大音響が、ベアトリスの喉から迸ったのだ。

 

「な、何で……?」

 

 ベアトリスは蒼い顔で喉へ手をやる。父親が自分に組み込んだ中には、こんな機能は備わっていなかった筈なのに。彼女自身に影響が無いのは、フグが自分の毒で死なないのと同じ理屈である。

 

<私があなたの喉をメンテしたのを忘れたの?>

 

 と、プロフェッサー。

 

「あ……」

 

 以前、藤堂十兵衛の襲撃があった時、ベアトリスは首を狙った斬撃を受けて危うく首と胴が泣き別れになる所だった。

 

 機械化した喉のお陰で命拾いはしたが、その時の衝撃で内部構造にはガタが来てしまっていた。以後は自分でだましだまし整備して保たせていたベアトリスだったが、しかしそれにも限界が来ていたのでプロフェッサーに本格的なメンテを依頼して、彼女はそれを快諾してくれたが……

 

「あの時か……」

 

<私が喉を改造したのよ>

 

「そんな事するんじゃない!!」

 

 怒り心頭のドロシーが抗議の声を上げる。

 

「……」

 

 アンジェは、Cボールを取り出してじっと見詰めた。

 

 そう言えばあの時、自分もCボールのメンテナンスをプロフェッサーに頼んでいた。当時は入念な分解清掃や部品を精度の高い厳選した物に交換したとプロフェッサーは言っていて、実際にアンジェは今まで使った事も無い程に重力を自由に制御出来た。あの時は流石は天才を自称するだけあって完璧以上に仕上げてくれたと尊敬の念を抱いていたものだが……ここへ来て急に不安になってきた。

 

 ドロシーの車、ベアトリスの喉……プロフェッサーが触った機械には、必ず独自のギミックが組み込まれていた。

 

 と、言う事は……!!

 

「ま、まさか……」

 

<……心配しなくても、アンジェ。あなたの命を守る為の機能を組み込みこそすれ、命を危険に晒すようなギミックを付けたりはしない。天才であり、科学者でもある私のプライドに懸けて、ね……>

 

「……」

 

 嘘ではないのだろう。プロフェッサーは自他共に認める天才だし、科学者としての自分に誇りを持っている事はこの車に乗っている全員が知っている。プロフェッサーとて人間である以上ミスを犯す事はあるが、彼女の機械はミスを犯さない。それも信用出来る。

 

 だが……それはそれとして「ギミックを組み込んでいない」とは言っていないので、アンジェは逆に不安が増した思いだった。

 

<……まぁ……あなた達からは不評らしいがそう捨てたものではないさ……>

 

「……と、言うと……?」

 

<今のベアトリスの大蛮声……ただ、追手を振り切る為だけのものではないという事よ>

 

 

 

 

 

 

 

「む……」

 

 パラパラと、天井から埃が舞い落ちてきたのをちせは目敏く見て取った。

 

「これは……」

 

 そう口で呟くのと、頭が結論を出すのとはほぼ同時だった。

 

 恐らくは起こるであろうと予測していた事態が、どうやら本当に起こったようだ。

 

 ちせは彼女の主人である堀川公の前に、進み出る。

 

「お願いが。火急の儀にてお側を離れるお許しを」

 

「役目を投げ打つか?」

 

 咎めるように言う堀川公だが、言葉程に顔や目、声に厳しさや剣呑さは無かった。

 

 これはあくまで確認だ。ちせが、自分の立場や役目を弁えているのかを、彼女に問うものだった。

 

 ちせは堀川公の供回りとしてこの寺院に来ている。剣達者である彼女はいざという時の護衛も兼ねて主の傍に控えており、それが離れるなど本来あってはならない事だ。

 

 まだ二十歳にもならないちせであるが、子供の年齢だからと言って、子供でいて良いとは限らない。当然、彼女はその事も務めの大事も、全て分かっている。

 

 それら一切全てを承知の上で、ちせは申し出ていた。

 

「何卒」

 


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