プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第22話 プランAとプランB

 

 メイフェア校地下、忘れられた空間に存在するプロフェッサーのラボ。

 

 この研究室の主は、今は落ち着き無く室内を行ったり来たりうろうろと歩き回っていた。

 

 天才とは言っても彼女もまだ十代の少女には違いない。時には内心の焦りを隠し切れない事もあるのだろう。

 

<……拙いな。かなり拙い>

 

 それは彼女の中に既に確信としてあった。

 

 数日前にコントロールから新しいスパイ・ゼルダがプリンセスの護衛として派遣されてきた。

 

 ゼルダの言によればこれからチェンジリング作戦は要員を再編し、プリンセスを含め工作員は8名体制となり、新しい指揮官には彼女が就くという事だった。

 

 そしてその言葉を裏付けるように、ドロシーが学園から姿を消した。

 

 更に昨日、委員長が義眼を交換する為にグランベル家を訪れたのだが……

 

 提出された古い義眼に記録されていた映像には、無視出来ないシーンがあった。

 

 委員長も共和国側のスパイとして、コントロールに出頭する事はあるのだが……以前にLという初老の男が座っていた席に、今は共和国軍の軍服を着た恰幅の良い男が座っていた。身に付けている勲章から判断して……恐らくは将官クラス。

 

 Lは、着ている服が正装ではあったが私服であったから共和国政府情報委員会の人間であったのだろう。

 

 そのLの代わりに、軍からの出向者がコントロールのリーダーになった。

 

 これが意味する所は。

 

<……スパイ活動を主導するのが、政府から軍部になった>

 

 頭の中の相関図に、新しい関係性を書き足したり古い関係性を消したりしながら、ぶつぶつと室内を徘徊するプロフェッサー。

 

<……当然、方針も変わる>

 

 チェンジリング作戦には、プランAとプランBが存在している。

 

 プランAは当初予定されていた作戦パターンであり、アンジェが発案してコントロールに提出した案だ。

 

 これの概要は単純だ。一言で言えば成り代わり。

 

 つまり、瓜二つの外見であるアンジェがプリンセスを抹殺してその座に入れ替わってしまい、諜報活動を優位に進めようという物だ。

 

 ところがいざパーティーの場で入れ替わろうとした時に、プリンセスがどういう訳かAとD、つまりアンジェとドロシーの存在を把握していたが為にこの作戦を実行するのに待ったが掛かってしまった。

 

 代わりにプリンセスが持ち掛けて来たのがプランB。こちらは現在実行されているチェンジリング作戦である。

 

 自分が女王になるのに共和国が協力する代わりに、自分もスパイとして諜報活動に尽力するという交換条件。

 

 こちらは急遽・なし崩し的に可決されたプランであるが、しかし現在のチーム白鳩の活動実績は目覚ましいものがあり、半ばコントロールから黙認される形で今までやってこれたのだ。

 

 だが、コントロールのトップが代わって、それと前後する形でチェンジリング作戦の構成員も代わった。

 

<……と、いう事は……作戦のプランも変わる……?>

 

 どんな風に変わるのか?

 

 そんなのは考えるまでもない。

 

 チェンジリング作戦にはAとBの2プランしかないのだ。

 

 今まで遂行されてきたのがプランBだったのだから、ここから変わるとしたらプランAでしか有り得ない。

 

 プリンセスを利用して王国の情報を吸い出すプランから、プリンセスを抹殺して共和国側のスパイをその座にすげ替えるものへと。

 

<……どうするか……?>

 

 頭脳をフル回転させ、あらゆる情報を並列分析するプロフェッサー。その時だった。部屋のドアがノックされる。

 

<誰か?>

 

「私だ、プロフェッサー。扉を開けてもらいたい」

 

<あぁ、ちせか。どうぞ>

 

 ドアが開いて、ちせが入室してきた。しかし彼女の姿を見て、マスクの強化レンズ越しに見えるプロフェッサーの瞳がぴくりと動く。

 

 今のちせは、片手にどう見てもちょっとそこまで出掛けてくるというレベルではない大きさのバッグを持っている。

 

「プロフェッサー、実は私は転校する事になった。主命じゃ。短い間であったが貴殿にも世話になった。それで挨拶をと思ってな」

 

<……主命……>

 

 ちせはコントロールから派遣されてきた生粋のスパイではなく、日本の堀川公の意向で出向してきている立場である。情勢が変わって堀川公から別命令が出たのなら、ここを去るのは必然であった。

 

「プロフェッサー、貴殿からはまだ教わりたい事が多くあったが……残念じゃ。我が国には一宿一飯の恩義というものがある。何か困っている事は無いか?」

 

<……無いと言えば嘘になるが。残念ながらちせ、あなたでは力になれないだろう。気持ちだけ、いただいておく>

 

「そうか……」

 

 あっさりとそう言い切ったプロフェッサーだが、ちせは格段不快に思った様子も見せなかった。この二人はどちらも本分はスパイではない。プロフェッサーは科学者でちせは剣士。得手も不得手も全く違うのだ。そしてプロフェッサーは嘘や曖昧な事は言わない。そのプロフェッサーが無理と言うのだから、本当にちせには向いていないのだろう。

 

 逆にもし、ちせの力が必要な局面であったのならプロフェッサーは迷い無く彼女に助けを求めただろう。彼女はそういう女だ。

 

「では、プロフェッサー……達者でな」

 

<……貴女も>

 

 このやりとりを最後に、ラボのドアが閉じられて今度は備え付けの電話が鳴った。

 

<私だが>

 

『あ、ボス……フランキーです。ちょっとお耳に入れておきたい情報がありまして……』

 

 ぽっと出の成り上がりとは言え、今のフランキーはこのロンドンの裏社会を牛耳るボスである。欲しい情報は大抵入ってくる。そしてプロフェッサーはそのフランキーの上役だ。彼を通して、キャッチされた情報は素通しでプロフェッサーへと流れている。

 

<……何か?>

 

『実は、昨日の夜からロンドン市内に陸軍の一部部隊が集結しているみたいなのよ。軍の作戦にしては、何か様子がおかしいらしくて……』

 

<その行動を統括しているリーダーが誰かは分かる?>

 

『いえ、そこまでは。ただ、その部隊は海外植民地出身の兵士が中心になっているらしいわ』

 

<海外……植民地……>

 

 そのキーワードを耳にしたプロフェッサーの脳裏に、少し前に自宅を訪ねてきてシンディとして応対したイングウェイ少佐の顔がよぎった。

 

 彼も植民地出身者として現在の王国には不満を持っていて、同じ気持ちの部下や同僚を集めてクーデターを画策していたが……

 

<だが、少佐には性急に動くなと釘を刺している……問題は、無い筈……>

 

 そこで思考を打ち切ってしまう辺り、今はプロフェッサーも冷静ではなかった。普段の彼女であれば、もしかしたらイングウェイが心変わりした、あるいはその切っ掛けになる事件でもあったのではないかと、そうした事実の洗い出しを行っただろう。それをしなかったのは、明らかに彼女の思考の隙だった。

 

 すると再び、ラボのドアがノックされた。

 

<……どなた?>

 

「プロフェッサー、ベアトリスです。何か用ですか?」

 

<あぁ、もうそんな時間か。入って>

 

 彼女を呼び出していたのを思い出して、プロフェッサーはラボのドアを開いた。

 

 ベアトリスが、何度入ってもこの部屋には慣れないのかおっかなびっくりな様子で入室してくる。

 

 入ってきたベアトリスに掴み掛るように、プロフェッサーは詰め寄った。彼女も焦っているのだ。

 

<ベアトリス、聞きたい。ここ数日の、プリンセスのご予定の中で……アンジェと二人で外出するようなものはある?>

 

 前置きする時間も惜しいと、プロフェッサーは単刀直入に本題に入った。

 

 ベアトリスは決して声を荒げたりするような激しいものではないが、しかしプロフェッサーが醸し出す無言の迫力に圧されたように踵に体重を掛けながら応答する。

 

「そ、それでしたら……明日、姫様とアンジェさんが一緒に買い物に行かれます」

 

<明日……?>

 

 くぐもったマスク越しの声が、どこか上擦っていたのはベアトリスの気のせいではないだろう。

 

<……まさか、その予定……アンジェが自分で申し出たりしていないわよね……?>

 

「え、は、はい……それなら……本当は私がご一緒する筈だったんですが……アンジェさんが是非自分がって言われて。勿論、遠巻きの護衛は沢山付けられる事になりますけど……」

 

<……それだ>

 

「え? プロフェッサー……?」

 

 明後日の方向を向いて、何やら繰り言を呟き始めたプロフェッサーは、もうベアトリスの話を聞いていないようだった。

 

 そのままベアトリスは数分も突っ立っていて、やっとプロフェッサーがぎょろりと彼女を振り返った。

 

<ベアトリス……あなたは、事態が動くまで下手には動かないように。跳ね上がってはいけない……>

 

 プロフェッサーは、思い切りベアトリスの眼前に詰め寄ってどアップで凄んだ。

 

 これはお願いではなく命令だと、言外に彼女は語っていた。そしてそれはベアトリスにもしっかりと伝わっていたようだ。がくがくと、首を縦に振る。

 

<跳ね上がって池から出たら……干上がって……死ぬわよ>

 

 

 

 

 

 

 

「……プリンセス……」

 

 寮の自室で、アンジェは炸薬を信管に込めるなどして、ハンドメイド武器の準備を入念に行っていた。

 

 化学反応で爆発したり煙が出たりする物質は、雑貨屋や食品店などで安価で取り揃えられる。スパイであるアンジェ達は養成所時代に、即席で調達出来る品物で武器を自作するテクニックも訓練されている。この程度は彼女にとって難しい作業ではなかった。

 

 トップが代わったコントロールから、プリンセスを抹殺しろという命令が出た瞬間からこの展開は彼女の脳内で絵図面が引かれていた。

 

 自分達のセーフハウスは、カサブランカに白い家を用意してある。

 

 ベアトリスを説得して、ショッピングモールでプリンセスのアテンドは、自分が務めるよう変わってもらった。

 

 そしてゼルダにはプリンセスを抹殺する役目は、チェンジリング作戦の発案者として自分がやると言っている。

 

 ゼルダも、それは認めると言った。彼女やコントロールは自分の事を完全に信用している訳ではないだろうが……逆にこれは踏み絵だろう。プリンセスを抹殺するようなら、スパイとしてアンジェは信用出来る。逆に妙な真似をするようならプリンセス諸共……と、言う訳だ。

 

 いわばこれは任務を利用した実地でのテスト。

 

 ゼルダ、引いてはコントロールは自分を試すつもりでいる。

 

「……それが、隙となる……」

 

 逆に言うならこれは「プリンセスを殺す事に本腰を入れていない」という事でもある。明らかな手抜かり、隙。

 

 もしゼルダが「指揮官として抹殺役は自分がやる」と言い出したり、理由を付けてアンジェを遠距離からの護衛役に回したりしたら、アンジェは手も足も出なかっただろう。

 

 これは最後のチャンスでもある。

 

 アンジェは、パンフレットを開いて明日の飛行客船の運航スケジュールを確認した。その中の一つに、彼女の視線が集中する。

 

『……ショッピングモールで騒ぎを起こして護衛役を撒いて、プリンセスと一緒にカサブランカ行きの飛行客船グッドホープで逃げる……これしかない……!!』

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、プロフェッサーのラボ。

 

 この部屋の主は、専用の椅子に足組みして腰掛けつつ壁を睨んでいた。

 

 その手は閉じられた扇のように、電光剣の柄を弄んでいる。

 

<アンジェが動くとしたら、明日……ショッピングモールで騒ぎを起こして護衛を撒いて、プリンセスと一緒に飛行客船で国外へ逃亡する……>

 

 問題は、どの飛行客船に乗船するかだが……それは、アンジェがそう動くと知っていれば騒ぎを起こした時間から逆算出来る。

 

<……事態がここまで動いた以上、プリンセスをお救いする道は唯一つ……チェンジリング作戦に、乗る事……>

 

 チェンジリング作戦プランAは、プリンセスを抹殺してアンジェがそれに成り代わる事。プロフェッサーはそれを逆用する。

 

 そう、本来の作戦の逆を行く。

 

<アンジェを殺し……彼女の死体をプリンセスだと偽って共和国に差し出し……プリンセスを『プリンセスと入れ替わったアンジェ』にする……これしかない……!!>

 

 

 

 

 

 

 

 アンジェとプロフェッサー。二人が眠れぬ夜を過ごし。

 

 そして、夜が明ける。

 

 アルビオン王国の最も長い一日が、幕を開ける。

 


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