プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結) 作:ファルメール
世界中に植民地を持つアルビオン王国内には、各国の特徴をとらえた市街地が多く存在する。
現在、日本からの外交特使である堀川公が滞在している日本大使館の周囲にも日本風の庭園や建築物が多くあり、まるでその一角だけが日本という空間それ自体を切り取って持ってきたかのようである。
同じように、中国大使館の近くにはチャイナタウンが存在する。
その片隅にある茶屋の二階席では、ちせとプロフェッサーが向き合っていた。今は二人とも普段着姿だが、しかしスパイとしての任務中である。
とは言え今回、既にチーム白鳩の任務は八割方が完了している。
「後は、アンジェ達との合流を待つだけか……」
ちせが、すぐ傍らに置かれている風呂敷包みを叩いた。
今回の任務は、大使館からこの品物を回収する事が目的だった。これは中国にいるアルビオン王国の大使を通して、本国へと持ち込まれた物という事だった。
任務自体は至ってシンプルだった。
近くを通りかかったプリンセスが慰労に来たという名目で大使館を訪問し、職員や大使の目を引きつける。その隙を衝いてちせとプロフェッサーが大使館に潜入してこの品物を持ち出したのだ。プリンセスの立場を利用しての潜入工作、チーム白鳩の黄金パターンである。
後は、合流場所となっているこの茶屋でアンジェ達に小包を渡すだけだ。プリンセスは、今も中国大使館で歓待を受けているだろう。
「それにしても、これは一体何なのだ?」
布を暴いて中身を見てみたいという衝動にも駆られるが、スパイの鉄則はニードトゥノウ。余計な事を知る必要は無いし、知ってはならない。加えてちせの不手際は彼女自身だけで完結するものではなく、そのまま彼女の上司である堀川公の立場や日本の外交戦略にも影響する。出来る訳が無かった。
<何かは分かるがね>
と、対面の席に座ったプロフェッサーが言った。
空気清浄機など無いここでは当然彼女はトレードマークのマスクを付けたままで、テーブルに並べられている料理にも一切手を付けていない。
「ほう」
興味深そうなちせが、身を乗り出した。
「では、お聞かせ願いたいプロフェッサー。この小包の中身は?」
<伝国の玉璽だ>
「玉璽……と言うと、中国皇帝の証であるあれの事か?」
プロフェッサーが頷く。
<私の友人の探偵から仕入れた話だが……最近、中国のアルビオン王国大使が多額の金をはたいて、それを買い付けたらしい。勿論、裏取引でな>
「ふむ……」
ちせの目は興味津々で爛々と光っている。彼女は続けて、と目で合図してくる。
<玉璽は中国王朝の象徴。だから中国としては何としてでも取り戻したい。一方で共和国は、先に自分達が玉璽を確保して引き渡す事で中国に『貸し』を一つ作ろうという魂胆なのだ>
「成る程……だが、中国では歴代の皇帝は十数名居た筈。一つぐらい持ち出されても……」
<そうは行かないのだよ、ちせ>
プロフェッサーはガスマスクの吸気口にストローを挿すと、お茶を啜り始めた。
<一つでも許せば、二つ目三つ目と持ち出されてしまう。やがて中国の歴史的遺産は大英やルーブル、故宮にメトロポリタンなど……外国に行かなければ見られなくなってしまうだろう。あの国の最も価値のある宝は、四千年間も積み重ねられた歴史そのもの、その重み。それが他国に持ち出されれば、文化も国民性も二流化してしまう。そうなったら百年や二百年では取り戻せないだろう>
「むう……」
<今、アルビオンだけでなく諸外国の軍が北京に入っているのは聞いているな? それは中国全土を占領する為だ。それをさせない為に、中国としては常に毅然とした態度でいなければならない。自信も誇りも持たぬ者など、誰も尊敬してくれる筈が無いからな……>
「ううむ、それについては我が国も大いに学ぶ所があるな……」
<中国もそれを分かっている。だが玉璽を外国に持ち出されたなどと、表沙汰には出来る訳が無い。国の面目丸潰れだ。だから秘密裏に取り戻したいので、既に何人ものスパイがロンドンに入ってきているだろう。一方で共和国側は、もう中国の諜報機関とも渡りを付けている筈だ。そうして、私達が先んじて確保したこの玉璽を渡すつもりなのさ>
つまりプリンセス、ちせ、プロフェッサーのチームは潜入・奪取が目的で、アンジェ・ドロシー・ベアトリスのチームは中国側に品物を引き渡すのが目的だったのだ。
「成る程、流石はプロフェッサー……勉強になる。今後ともご指導ご鞭撻をよろしく頼みたい」
<こちらこそ。プリンセスと言いお前と言い……素晴らしい生徒に講義する事が出来て、光栄に思うよ>
乾杯の要領で、湯飲みを打ち合わせる二人。
と、その時だった。
「む……」
<……これは……>
先程までは人でごった返していた筈の茶屋の中が、いつの間にか二人を除いては誰も居なくなっていた。
顔を見合わせるちせとプロフェッサー。
おかしい。
不穏な空気が、急速に立ち込めてきた。
「アンジェ達との合流時刻は?」
<後5分だが……>
手にした懐中時計を閉じつつプロフェッサーが立ち上がって、窓から外の様子を伺う。
見れば、外にも人影が見当たらなかった。
と、その時!!
<む!!>
二階の屋根に立っていた男達が、手斧を振り下ろしてきた。
咄嗟に、プロフェッサーは窓を閉じて攻撃を防ぐ。
斧の刃が窓枠に食い込んで、ガラスが砕け散った。
「!!」
椅子を蹴飛ばす勢いで、ちせが立ち上がる。
「敵襲か!!」
乗っていた料理ごと投げ飛ばした机が男達に当たって、彼等は悲鳴を上げながら地面に向けて落ちていった。
「「「ぶっ殺せ!!」」」
<!!>
「プロフェッサー、見ろ!!」
外から掛け声が聞こえて、二人は階下を覗き見る。それを合図に店の入り口から黒い中国服に身を包んだ男達が、軽く50人は侵入してきた。どう見ても友好的な一団には見えない。全員が、手斧で武装している。
「王国側の追手か」
<玉璽が盗まれたのが、バレたようだな>
しかし王国側とて、まだおおっぴらに警察や軍を動かす訳には行かないのでこうして現地の華僑を雇ってきたのだろう。
「大勢来たぞ!!」
店の床が見えなくなる程の男達が、さほど広くも大きくもない階段を上って次々二階へと上がってくる。
プロフェッサーは、二階への昇り際に机を滑らせるように動かして数名の男達を壁とサンドイッチにすると、一人ずつ顔面にパンチを食らわせた。
「よし、私は下へ行く!!」
ちせは階下へと身を躍らせると、一階のテーブルの上に着地する。
そこから更に跳躍して男の顔面に着地、そのままジャンプ、別の男の顔面から更に別の男の顔面へ。まるで源平時代の義経八艘飛びの如く次々に顔を踏み台代わりにして飛び移っていく。
そのまま床に降り立つと、今度は手近な椅子を掴む。
「ふん!! ふん!!」
剣士であるちせだが、しかし真剣は竹刀や木刀のように軽くはない。
それを神速にて自在に操る剣士の腕は、手にしたあらゆる物を凶器に変える。彼女は両手に持った椅子を、掴んでいる脚を中心にくるくると回転させて、琉球古武術のトンファーの様に振り回して当たるを幸いの勢いで、次々に男達を打ち据えていく。
<……これでも食らえ>
「ぐわっ!!」
「ぎゃあっ!!」
二階では、プロフェッサーの指先から迸った青白い稲光が男達に襲い掛かって、人工の雷に打たれた者は全員が体をピーンと引き攣らせて、そのまま泡を吹いて失禁し、倒れてしまった。
それでも怯まずに次から次と襲い掛かってくるが、しかし彼等が手にしている手斧には金属が使われている。ならばそれは、電磁力を操るプロフェッサーにとっては格好の餌食。彼女がさっと手をかざしただけで、見えない巨人に掴まれたように凄い力で手斧が奪い取られて、プロフェッサーの右手にくっついた。
そうして武装解除した男達に、プロフェッサーは一人一人電気ショックをお見舞いしていく。
ひとまず周りの敵が居なくなったのを確認すると、彼女は手摺りから身を乗り出して階下の戦いの様子を見てみる。
数十人を相手にちせが孤軍奮闘して頑張っているが、流石に数の不利は如何ともしがたいものがあるようだ。徐々に後退して、追い詰められつつある。
<……>
何か周りに武器になる物は無いかと探して、プロフェッサーの高性能義眼は飾りに使われている身の丈程もある竹棒をロックオンした。
「……おっと!!」
間一髪の所で、ちせは振り下ろされた斧の一撃をかわした。
ひやっと、冷たい汗が背筋を伝う。父・藤堂十兵衛は先の戊辰戦争では単身巡洋艦に乗り込んで百人斬りをやってのけたという。一人ずつ、次々に倒していって最終的に百人を斬るのなら自分にも同じ事をやってのける自信はある。
しかし流石にこの大人数を一度に相手にするのでは、動きが完全には読み切れない。
今の所は上手くかわせているが、このままではいつか致命打を受けるだろう。
「むっ!!」
前から、3名の男が手斧を振りかぶって接近してきている。
しかしその時、視界の上から棒状の物が伸びてきて男達を薙ぎ払った。
「プロフェッサー、かたじけない!!」
二階の梁の上に立ったプロフェッサーが、竹棒を振り回していた。
<ちせ、掴まって>
「よし!!」
竹棒に掴まったちせは、木登りの要領でするすると棒を上ると梁まで上って、二人はそこで次々と襲ってくる男達を迎撃していく。
<む>
見れば、店の窓という窓から次々に斧を持った男達が侵入してきている。
既に敵は梯子を用意していて、それを屋根に立てかけて二階からも入ってきていた。
<ちせ、これを!!>
プロフェッサーが、竹棒をちせに投げ渡す。
「ようし!!」
ちせは腰を支点にして棒術の要領で竹棒を操ると、突き、払い、薙ぎ、それらを複合させた連続攻撃で次々男達を倒していく。
<ふん!!>
プロフェッサーが投げつけたどんぶり茶碗が、男の顔面にぶつかって気持ちの良い音を立てた。
<ちせ、ここはもう危ない。脱出しよう>
「あいわかった、プロフェッサー」
窓から入ろうとしてきていた男達を蹴散らすと、二人はそのまま屋根を蹴って跳躍、地面へと降り立つ。
下にも手斧を持った男達がぞろぞろと居た。今の二人はちょうど、敵の海原のど真ん中に降り立った形になる。
「よし、包囲の一角を切り崩すぞ」
<わかった>
ちせが振り回す竹棒と、プロフェッサーの電撃が次々男達を倒していって、とうとう包囲網が破られた。
すると、
「あっ!!」
「ちせ、プロフェッサー……これは一体……」
「何が起こっているんだ?」
ベアトリス、アンジェ、ドロシー。
この茶屋で合流する予定だった3名だった。全員、この状況は何が起こっているのか分かりかねているようだが……
しかし、説明している時間は無い。まだ何十人と居る敵が、手斧を振り回して襲ってくる。
<ドロシー、これを!!>
プロフェッサーが小包を投げる。ドロシーは見事にそれをキャッチした。
「私とプロフェッサーは、ここで敵を食い止める。後で落ち合おう!!」
ちせが、先端がささらになって凶悪な武器に姿を変えた竹棒を振るって、触れる敵を全てズタズタにしていく。背中合わせに立つプロフェッサーは、電磁力で周囲の金属という金属を次々引き寄せると、それをぶつけて敵を倒していく。何しろここは町中、彼女の武器になる金属はいくらでもあった。
「な、何かは分からないですけど……」
「とにかく、ここは逃げましょう」
猛戦する二人に背を向けると、3人は町中へと走り出した。
「しかしどうする? 逃げるにしても、この狭い路地では私の車は走れないぞ」
「でも、足で逃げてちゃいずれは追い付かれますよ」
「……良い物がある」
アンジェが指差した先には、止めっぱなしになっている自転車があった。