プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第11話 世界の変革が始まる日 その3

「お、お前は一体……!?」

 

 義手の中年男は、プロフェッサーの異様な風体を目の当たりにして(当たり前の事だが)かなり警戒している。何歩か後ずさって、しかもにへっぴり腰になっていた。いつプロフェッサーが飛びかかってきてもすぐに逃げ出せるような構えだ。

 

<……心配要らない。怪しい者ではない……と、いうのは通じないか>

 

 プロフェッサーはやれやれと首を振った。

 

 真っ黒いローブに全身を包み、顔にはガスマスク。これが不審者でなければ誰が不審者だという出で立ちである。怪し過ぎる。

 

<では、こう言い替えよう。あなたに迷惑は掛けない>

 

 プロフェッサーはそう言うと懐に手を入れて、厚い封筒を取り出した。

 

「おっ」

 

 男の目の色が変わったのを、プロフェッサーの義眼は見逃していなかった。

 

 マスクの内側で、プロフェッサーはにやっと笑った。もっと潔癖な相手だったら面倒だったが、これぐらい俗な相手は御しやすい。

 

 手渡そうとして近付くと、男はまだプロフェッサーに対する警戒を解いていないのだろう。近寄ったのと同じだけ遠ざかった。

 

<……>

 

 ぽいっと、封筒を投げ渡す。

 

 床に落ちた封筒を、男は丸々とした体型からは信じられないくらい素早い動きで拾い上げると、封を開いて中身を確認する。想像した通り、そこには札束がぎっしりと入っていた。

 

「お、おほっ……」

 

 喜色を隠そうともせずに、男は満面の笑みを見せる。

 

<……少し、聞きたい事がある>

 

「い、良いぜ。何でも聞いてくれ」

 

 首肯を一つするプロフェッサー。

 

<最近、このモルグに運び込まれてきた死体で……若い男の物はあるか? 身長170センチ前後、体型は中肉中背……身寄りが無く、引き取り手が現れなさそうであったのなら、ベストだが……>

 

「そ、そんなものを一体何の為に……」

 

<……迷惑は、掛けないと言った>

 

 懐から、プロフェッサーは先程と同じぐらいの厚みを持った封筒を投げ渡した。

 

 男の顔から懐疑心が消えて、歓喜が取って代わった。

 

「そ、それなら……ちょうど昨日、そんな死体が運び込まれてきたが……」

 

<ほう?>

 

 プロフェッサーは穏やかな驚きの声を上げた。

 

 こうも完璧なタイミングで、都合良く事が運ぶとは。

 

 何らかの作為が働いている可能性は考えたが……しかし、様々なケースを考慮したがこの時点で王国や他国の諜報機関が自分をマークする意味は薄いし、仮にそうしていたとしても自分の意図がここまで深く読める訳がない。これは完全に偶然だろう。

 

 つまりは、追い風が吹いているのだ。

 

<いいだろう。では、その死体を夜中の内にこっそりと運び出してくれ>

 

「で、でも……」

 

<これで、やる気になったかな?>

 

 またしても封筒を取り出して、男に見せびらかすプロフェッサー。

 

「よ、よし。分かった!! 任せてくれ!! その代わりと言っちゃなんだが……」

 

<分かっている。無理を言っているのはこちら。報酬は加増する>

 

 プロフェッサーは分厚い封筒をもう一つ取り出して、二つを男に手渡した。今回はもう男の方も、プロフェッサーが自分に危害を加えたりはしないだろうと見切っていたらしい。左手でそれを受け取った。

 

<む……?>

 

「どうした?」

 

 封筒を手渡す際に、プロフェッサーの手が男の左手に触れた。

 

 ごつごつとしていて火傷や傷だらけで、掌の皮は何度も剥がれたのだろう分厚く変形している。

 

<……あなた、良い手をしている。技術屋だな>

 

「……!!」」

 

 プロフェッサーのその言葉を聞いた瞬間、恐らくは昨晩痛飲したのであろう酒がまだ抜けきっていない赤ら顔が、もっと赤くなった。

 

「それを言うんじゃねぇ!!」

 

 逆上して、右手の義手を振り回してくる。

 

 しかしプロフェッサーは無駄の無い動きで簡単に左手の関節を決めると、男の動きを封じてしまった。

 

「痛でででっ!! 痛っ!!」

 

<……落ち着いて>

 

 プロフェッサーは関節を決める力を強めた。

 

「痛い痛い痛い!!」

 

<落ち着いた? 乱暴をしない?>

 

 マスク越しの男とも女ともつかないくぐもった声と抑揚の無い口調で、プロフェッサーが尋ねる。

 

「分かった、分かったよ!! 乱暴はしない!! 誓うよ!!」

 

<……>

 

 プロフェッサーは手を放して、男を解放した。

 

 男は、痛みを振り払うように左腕を振って調子を確かめる。プロフェッサーはそんな様子には頓着せずに、話を切り出した。

 

<……技術屋がこんな所で働いているという事は……>

 

 義眼のピントが、男の右手の義手に合った。

 

<何かの事故で右手を失い……働けなくなったということか……>

 

「ぐっ……」

 

 触れられたくない話題ではあるのだろう。男の顔が歪んだ。

 

<……もし>

 

「え?」

 

<もし、もう一度技術屋として働く機会が与えられるとしたら、どうか?>

 

「そ、それはどういう……」

 

 先程、大金を目の当たりにした時とは違った輝きが男の目に宿った。

 

 右腕を失い、モルグで働いて久しいだろう彼は苔むした岩のようなものだが、しかしまだ脈は残っているらしい。プロフェッサーは男に気付かれないぐらいに小さく頷いた。

 

<……取り敢えず、男の死体をここに運び出して>

 

 指定場所が書かれたメモを、プロフェッサーは男の胸ポケットに差し入れた。

 

<そしてもし、先程の話に興味があるのなら……ここに連絡を>

 

 もう一枚のメモを、再び男のポケットに入れる。そうして、プロフェッサーはもうこの場での用は済んだので立ち去ろうとして……外に通じる階段に足を掛けた所で振り返った。

 

<そう言えば……名乗るのを、忘れていた。私は、プロフェッサー。あなたは?>

 

「あ、あぁ……俺の名は、ダニー・マクビーンだ」

 

 

 

 

 

 

 

 アルビオン王国の中でも有数の大貴族であるグランベル侯爵家。

 

 その権勢を示すが如き豪邸の一室にて、男女が向かい合っている。

 

 一人は、現在この家の当主であるグランベル侯。

 

 そしてもう一方は、

 

 シュコーッ……シュコーッ……

 

 彼の姪に当たるプロフェッサーであった。

 

「シンディ、急に訪ねてくるとは……何かあったのか?」

 

<おじさま、折り入ってお願いがあります>

 

「お願い……? 何かな?」

 

 プロフェッサーは、一枚の紙を差し出した。グランベル侯はそれを受け取って「ふむ」と一息。

 

「エイミー・アンダーソン? これは……?」

 

<現在、市内のとある病院にて入院中の、ケイバーライト障害の患者です。彼女の身柄をおじさまの手で引き受け、この屋敷にかくまっていただきたいのです>

 

「ふぅむ」

 

 グランベル侯は吸っていた葉巻を手に取って、灰皿に置くとじっとプロフェッサーを見据えた。

 

「確かに、人一人の身柄を引き受けるぐらい私にはどうという事もないが……理由を、聞かせてくれるか?」

 

 これは当然の申し出である。プロフェッサーにも異論は無かった。

 

<……この世界に変革をもたらす、その第一歩を踏み締める時が来ました>

 

「!!」

 

 抽象的な言い回しであるが、グランベル侯はその意図を察したのだろう。「それでは」と、姿勢が前のめりになる。プロフェッサーは頷いた。

 

 両目の義眼が、キュイッと独特の音を立てる。

 

<エイミー・アンダーソン……彼女には、新しい世界に一番乗りした栄誉を与えたいと思います。彼女が望もうと、望むまいとね。それはもう、私が決めました>

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも、エリックには最初から不審な点があった。

 

 彼は自らのケイバーライト研究の資料を引き渡す見返りとして、共和国への亡命と多額の報酬を要求しており、アンジェ達のスパイチーム、通称チーム白鳩は壁越えの準備が整うまで彼を保護し身柄を匿うのが任務だった。

 

 しかしいざ匿われて後は壁越えチームの準備が整うのを待つだけという段になって、妹と一緒でなければ亡命しないと言い出したのだ。

 

 共和国からの亡命話は昨日今日切り出されたものではない。

 

 そもそもアンジェがエリックから聞き出した話によると、エイミーが事故に遭ってケイバーライト障害を患う。そして手術費用はエリックの給料のざっと十年分。払える訳がないと途方に暮れていた時、知らない男が訪ねてきて亡命話を持ち掛けて来たとの事だった。

 

 偶然にしてはタイミングが良すぎる。

 

 アンジェは明言こそしなかったが、共和国側の作為があって妹の手術台を捻出する為、エリックに亡命せざるを得ない状況を整えたと考えるのが自然だ。早い話がマッチポンプ。事故ではなくて事件だったのだ。

 

 と、そうした事情はさておきエリックが亡命を決心したきっかけは妹の為だ。

 

 なのに何故、最初から二人で亡命しなかったのか?

 

 どうして後から妹の話を出してきたのか?

 

 答えは、簡単だった。

 

<……>

 

 プロフェッサーの腕の中には、一匹の鳩が抱かれている。

 

 この鳩はエリックの荷物の中に忍ばされていた伝書鳩で、数時間前にエリックが部屋の窓から飛ばしたものだ。伝書鳩ならば当然、その足には手紙を入れる金属筒が付けられていた。中に入っていた紙には、エリックに開示された範囲での王国から共和国への亡命ルートが記されていた。

 

 病院で見たエイミーの足は、バレエ足だった。相当な練習を積まなければ、ああはならない程の。

 

 そしてエリックの荷物の中には、エイミー宛ての王立バレエ団への合格通知があった。

 

 これで線が繋がった。当たり前の事だが、共和国に亡命してしまえば王立バレエ団への合格通知など紙切れと化す。

 

 結論、エリックには最初から妹を亡命させるつもりなど無かったのだ。

 

 彼は共和国側から亡命を持ち掛けられた時点で王国側、つまりノルマンディー公と接触していたのだ。

 

 そしてノルマンディー公から命令が下った。亡命するフリをして、共和国側の亡命ルートを探り出せと。

 

 エリックが妹を治す為のスポンサーに選んだのは共和国ではなく、ノルマンディー公だったのだ。

 

 これを受けて、アンジェ達にはコントロールから既に指令が下っている。

 

 ドロシー、ちせ、ベアトリスはエリックのバックにいた王国側スパイを強襲して現場指揮官であるキンブル公安部長を確保せよと。

 

 そしてアンジェには、エリックを始末せよと。

 

 プリンセスとプロフェッサーは、今回は待機との事だった。

 

<……素晴らしい>

 

 悦びが隠しきれない声を、プロフェッサーが上げた。

 

 これでエリックは研究所にも戻れないし、共和国に亡命する事も出来ない。アルビオンと名前の付く二つの国の何処にも、彼の居場所は無くなったのだ。

 

<こんなあつらえたようなタイミングで、都合の良い手駒が手に入るなんて>

 

 そう呟いて、プロフェッサーは窓から伝書鳩を放してやった。

 

 

 

 

 

 

 

「ここが終点よ」

 

 アンジェとエリックが乗った車は、ロンドン郊外の人気の無い広場に停まった。

 

 ここで自分を始末するつもりだ!!

 

 そう直感したエリックはバッグに忍ばせておいた拳銃をアンジェに向ける。

 

「弾は抜いてあるわ」

 

 ばらばらと、開いたアンジェの掌から拳銃弾がこぼれ落ちた。

 

「……!! は、はは……」

 

 疲れた笑みを浮かべて、全てを諦めたエリックは銃を下ろした。

 

「あなたはスパイに向いてない」

 

「これで僕は研究所にも戻れないし、共和国にも亡命出来ない」

 

「あなたの妹も、一生あのまま」

 

 アンジェは冷たくそう告げると、一枚の書類を取り出した。

 

「黒蜥蜴星では、殺す相手にはサインを貰う事になっているの」

 

 生命保険の書類だった。被保険者の項目は、空欄となっている。

 

 エリックは、すぐにピンと来た。

 

 ここに彼が名前を書き込めば、彼の死亡によって保険金が下りて、その金はエイミーの手術費用に充てる事が出来るだろう。

 

 これは裏切った自分への、アンジェの最後の慈悲なのだろう。

 

 車のボンネットを机代わりにして、粛々と名前を書き込むエリック。

 

 そうして書き終えた所で、後ろに回っていたアンジェへと振り返る。

 

「殺すのか? 僕を」

 

 無意味な問いと、彼自身分かっていた。ここまでの事をやらかしてしまった以上、共和国が自分を生かしておく訳が無い。

 

「いいえ」

 

 パン!!

 

 背を向けていたアンジェが、振り返りざま銃を弾いた。

 

 エリックは、びくっと身を竦ませて目を瞑る。

 

「…………?」

 

 しかし、覚悟していた痛みも熱さも、いつまで経っても襲ってはこなかった。

 

 恐る恐る目を開ける。

 

 すると、奇妙な光景が目に入ってきた。

 

 アンジェの銃から放たれたであろう弾丸は、目に見えない力によって縫い付けられたように、彼女とエリックの中程の空間に静止していたのだ。

 

「……プロフェッサー、何故邪魔を?」

 

 アンジェがわだかまった夜闇に声を掛けた。

 

 するとその闇の中に、紅い光点が二つ浮かんだ。

 

 コー、ホー……コー、ホー……

 

 ややあって闇の中から呼吸音が聞こえてきて、その闇が固まって形になったように黒いローブを纏った人影が姿を現した。最初に闇に浮かんだ光は、彼女の義眼が放つものだったのだ。

 

 電磁力を操るプロフェッサーは、金属を自在にコントロール出来る。彼女はその力を使って、発射された銃弾を止めたのだ。

 

<少し、待って欲しい……アンジェ>

 

「……」

 

 アンジェは無言で、銃は構えたままでいるが……しかし同時に、すぐに弾く気配も無い。これはひとまず話をするだけの時間は保証してくれるという意思表示だと、無言の内にプロフェッサーは理解した。

 

<ありがとう、アンジェ>

 

 プロフェッサーはそう言って、エリックに向き直った。

 

<エリック・アンダーソン。あなたと取引がしたい>

 

「と、取引だって……?」

 

<そう>

 

 さっと手を振るプロフェッサー。

 

 すると彼女が出てきた闇の中から金属製の大型ケースが滑り出してきた。

 

 ぱちんとプロフェッサーが指を鳴らす。ケースの留め金が外れて、熱せられたハマグリのように開いた。

 

「うっ!!」

 

「これは……!!」

 

 中に入っていたものは、エリックは勿論の事アンジェをして仰天させるに十分なインパクトを持つ物だった。

 

 エリックだった。

 

 ケースの中には、エリックが、正確には人形だろうかそれとも死体だろうか? 兎も角彼と瓜二つの顔をしたヒトガタが折り畳むようにして詰め込まれていたのだ。それが、地面に投げ出された。

 

「……こんなものを、どうやって?」

 

<モルグで調達した。彼と同じぐらいの背格好の、男の死体を。まぁ、今日までに条件に合った死体が手に入るかどうかは正直、賭けだったが……ツキはあった>

 

「顔は、どうやって?」

 

 体格や背格好は兎も角として、まさか顔までそっくりの死体がこうも都合良く手に入る訳はあるまい。

 

<何度でも言うが私は天才だ、アンジェ>

 

 プロフェッサーの袖口から仕込み銃のようにメスや鉗子が飛び出して、彼女の手に握られた。

 

<顔を変えるぐらいの手術は、私には容易い。流石に急だったから、完全ではないがね……>

 

 言われてアンジェが目を凝らすと、確かにケースに入っていたエリックの顔にはところどころ縫合痕が見て取れた。

 

<だが、これで十分……どうせ殺した後はテムズ川にでも沈める予定だったのだろう? ならば発見されるまでにあちこち痛むから、この程度のキズは気にならなくなるだろうさ>

 

「……そう」

 

 納得が行ったと、アンジェは肩を竦めた。

 

<付け加えるなら、わざわざ顔を変えた理由は……探偵をやっている友人から聞いた話なのだけど、顔が潰されているのに衣服や品物などその人物だと特定出来るような物を身に付けている死体……つまり、身元を明らかにしたいのか隠したいのか分からないような死体は十中八九、その人物とは別の人間の死体を入れ替えたフェイクと断定出来るらしい……当然、ノルマンディー公もその報告を聞いたら、同じ結論に至るだろうから……それを避ける為だな>

 

 そう言って<さて>と再びプロフェッサーはエリックを見た。

 

<ここまで言えば大体私が何をしようとしてるのか察しが付くだろう>

 

 さっとプロフェッサーが手を振る。するとアンジェの手から拳銃が離れて空中を動き、彼女の掌中に収まった。

 

「あ……」

 

 拳銃を奪い取ったプロフェッサーは、それを地面に転がっているエリックもどきに向けて、無造作に引き金を引く。

 

 パン!! パン!! パン!!

 

 銃声が三つ鳴って、エリックもどきの胸に風穴が三つ空いた。

 

<返す>

 

 ぽいっと、拳銃を放り出すプロフェッサー。

 

 拳銃は、アンジェのすぐ手前の空間に浮いたまま停まった。アンジェが手に取るとタイミングを合わせてプロフェッサーが電磁力を切ったのだろう、抵抗無く彼女の手に戻った。

 

<さて、エリック。これで『あなたは死んだ』>

 

 このエリックもどきが、彼の身代わりとなるのだ。

 

 アンジェが始末したとしてコントロールに報告する為に、またそれ以上、王国側がエリックやエイミーを追わない為に。

 

 とは言えこれでも依然、エリックが王国にも共和国にも居場所が無い事に変わりは無い。

 

 それがプロフェッサーには、たまらなく都合が良かった。

 

 もう『彼には選択肢が無い』のだから。

 

<そこで取引だ。私はあなたから、命以外の全てを貰い受けたい>

 

「い、命以外の全て……?」

 

<もっと分かり易く言うのなら……私はあなたの研究者としての能力を高く評価している。この先一生、私の助手として無給で働けと言っている。その代わりに、私はあなたに二つのものを与えよう>

 

 プロフェッサーの右手がウィン、と音を立てて二本指を立てた。

 

「二つ、だって……?」

 

<一つは、妹……エイミー・アンダーソンの未来。彼女の目を、晴眼者と遜色ないまでに治し……そして生活に不自由しないだけの金銭的な保障を行う事を、約束しよう>

 

 プロフェッサーの、人差し指が折られた。

 

 エリックの顔色が変わる。絶望の中に、僅かに希望が差した。ケイバーライト障害に冒されたエイミーの目が治って、輝かしい未来を取り戻す。それは彼が望んで止まなかったものであるからだ。

 

 これはプロフェッサーの望んでいた反応だった。マスクに隠された唇が、三日月型に歪んだ。

 

 この取引だが、エイミーの目の治療はエリックの答えがイエスだろうがノーであろうが、ウィもノンも無く行う事は既にプロフェッサーの中では決定事項であった。イエスならばエリックとの契約を履行する事になるし、ノーであれば勝手に手術を行うつもりだった。エイミーは「私にはもうお兄ちゃんしか居ないのに」と言っていた。つまり身寄りが無いという事。色々と、都合が良い。

 

 尤も、そんな事はエリックには話さない。彼が知る必要の無い情報であるし、問われてもいない情報をベラベラ喋る趣味はプロフェッサーには無い。

 

「……二つ目は?」

 

<……労働の、本当の悦び>

 

「……?」

 

<給料がいくら上がるとか、休日が何日増えるとか、そんな些末なものではない……自分の仕事が、世界を地球儀のように回し、時代を変えていくその実感……これだけは保証する。どんな天上の美食も美酒も絶世の美女も、麻薬を使ってさえ決して得る事が出来ない極上の快感を、あなたに与えよう>

 

 プロフェッサーの、中指が折られた。

 

 そうして彼女は腰のベルトに付けられていた『柄』を手に取ると、紅い光刃を起動した。

 

<……言うまでもない事だが、断れば殺す。さぁ、どうする? 返答や如何に?>

 


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