プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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プロフェッサー

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第01話 メイフェア校の幽霊

 

 クイーンズ・メイフェア校。

 

 アルビオン王国女王が進める教育開放政策によって設立された男女共学の寄宿学校で「多くの階級に開かれた学校」を目指しており、本国の上流階級だけでなく中産階層や世界各地の植民地からの留学生も受け入れられている。しかしそうした女王の理想とは裏腹に、王国内に色濃く残る階級制度の影響は未だ根強く残り、上流階級・門閥貴族の出身者が幅を利かせているのが現状である。

 

 何よりこの学校の最大の特徴は、女王の意向によって王族としてプリンセスが入学している点であろう。

 

 さて、このクイーンズ・メイフェア校には一つの噂がある。

 

 夜中には、幽霊が出るというものだ。

 

 別に珍しいものでは無い。いつの時代、どこの国の学校にも一つや二つ、あるいは七つぐらいはありそうな噂話だ。

 

 曰く、その幽霊は学園の地下、教師陣にも忘れ去れた一室に住んでいる。

 

 曰く、その幽霊は異様な呼吸音と共に現れる。

 

 曰く、その幽霊は紅い目を光らせてやって来る。

 

 曰く、その幽霊は触れずに物を動かしてしまう。

 

 そんな噂話に触発されて、好奇心豊かな男子生徒が何度か門限を破って事の真相を確かめようと校内を探検してはいるが、未だ幽霊に出会った者もその痕跡を確かめた者すら皆無。

 

 やはり噂話は噂話に過ぎないと、それが大多数の生徒の認識だった。

 

 ある日、蒸し暑くて寝苦しい夜。

 

 既に門限を過ぎて、見回りの教師に見つかったら厳重注意を受ける時間帯。

 

 静まり返った校内を小さな人影が二つ、おっかなびっくり歩いていた。

 

「ひ、姫様ぁ……やっぱり戻りませんか?」

 

「あら、怖いの? ベアト?」

 

 一人は輝くような金髪の、すれ違う者は男女問わず振り返るであろう美貌の少女。

 

 王位継承権第4位、プリンセス・シャーロット。

 

 容姿・才能・性格。全てに於いて秀でており、自由に出来る領地や財産などは大したものではなく、政治的な後ろ盾も無く空気姫などと揶揄されるものの、誰にでも分け隔てなく接する人柄から彼女を慕う者も多い。

 

 もう一人はプリンセスよりも一回りばかり背の低い、亜麻色の髪の少女。

 

 下級貴族出身のベアトリス。プリンセスの友人兼侍女。プリンセスが、学内で唯一懇意にしている女性でもある。

 

 本来であれば、いざという時にはその身を盾にしてでもプリンセスを守らねばならない立場のベアトリスだが、今日この日ばかりはプリンセスの後ろについて、しかもプリンセスの制服をつまんでいた。まるで親に連れられて知らない街にやって来た幼子のようである。

 

 そんなベアトリスを見て、プリンセスはくすっと笑う。

 

「怖いなら、先に戻ってる?」

 

「い、いえ、いいえ!! そんな!! 姫様をお守りするのが、私の役目ですから!!」

 

 少しだけ意地悪なその言葉を受けて一念発起した風なベアトは、ずんずんとプリンセスの前を進んでいく。

 

 しばらく進むと、行き止まりのしかも薄暗い区画にあって注意深く見ないと誰も気付かないであろう場所にある扉にぶつかった。

 

 プリンセスは躊躇った様子も無く、ドアノブに手を掛けて扉を開ける。

 

 長い間使われていないのだろう、ギギギ……と錆びた金属が軋む音を立ててドアが動いて、その先は下り階段になっていた。

 

「ひ、姫様……」

 

「さ、行くわよ」

 

 必要最低限の明かりすら無い階段を、二人は足を滑らせないよう注意しつつ下っていく。

 

 一分ほど、螺旋状になっている階段を降りていくと壁にぶつかった。

 

 行き止まり?

 

 ベアトリスはそう思ったが、暗闇に慣れてきた目が僅かな光を頼りに、眼前の物が壁ではなく扉であると理解した。

 

 プリンセスは少したどたどしい手付きでドアノブを探して、そして掴むと、そのドアを押し開けた。

 

 闇を抜けると、その先は……やはり闇だった。

 

 ここでは、もう月や星の僅かな明かりすら届いてはいなかった。猫科動物やフクロウですら見通す事の出来ない、完全な闇だ。

 

「姫様……ここは……」

 

 声はすれども姿は見えず。

 

 プリンセスはそんな自分の従者の、不安げな顔があるであろう場所へ向けて笑みを一つ。

 

 そして、闇へと向けて声を放った。

 

「教授(プロフェッサー)。居るのでしょう? 私です。姿を見せてもらえますか?」

 

 静かな夜である事も手伝って、どれほどの大きさがあるのか計り知れない室内に、プリンセスの声が山彦のように木霊していく。

 

 その木霊が、聞こえなくなるかならないかという時だった。

 

 シュコーッ……シュコーッ……

 

 音が、聞こえてきた。

 

 規則的に、繰り返し繰り返し。

 

 深呼吸の時の胸の音に似ていると、ベアトリスは感想を持った。

 

「ま、まさか……」

 

 噂話の一つにはこうあった。「幽霊は異様な呼吸音と共に現れる」と。

 

 まさか、実在したのだろうか?

 

 そう、彼女が思った瞬間だった。

 

 グォォォンン……

 

 怪物が唸り声を上げるとしたらこんな感じなのだろうか。

 

 異様に低い音が部屋中に鳴り響いて、そして闇が、光に変わった。

 

 それまでは黒一色でしかなかった部屋が、宝石箱かあるいは蛍籠のようになった。

 

 そうとしか表現出来ないような情景だった。

 

 色とりどり、大小無数の光が、壁にも床にも、部屋中に広がったのだ。

 

 しかしこんな光を、ベアトリスは見た事がなかった。

 

 彼女が知るどんな光よりも明るく、そして柔らかくて目に痛くない。そんな不思議な光だった。時間帯は夜なのに、この部屋だけが昼になったようだ。

 

 その光の中に、ずっとそこに居たのかあるいはいきなり出現したのか。二人のすぐ前に、人影が立っていた。

 

 身長は、プリンセスと同じか、少し高いぐらい。

 

 クイーンズ・メイフェア校の女子制服を着ていて、その上から白衣を羽織っている。

 

 しかし、全体的なビジュアルは異様の一言に尽きる。

 

 すらりとした足には黒タイツを履いていて、白衣の袖口から出ている手は黒手袋が嵌められている。

 

 何よりも目を引くのが、その頭部。

 

 バケツと兜の相の子のようなヘルメットを被っていて、顔にはこの呼吸音の発生源なのだろう、ガスマスクを装面している。

 

 全身の中で、露出して外気に触れている場所が少しも無かった。

 

 一目見て、不審者と断定出来た。

 

「!!」

 

 咄嗟に、ベアトリスがプリンセスを庇うべく前に出るがそんな彼女の肩に、プリンセスの手が置かれる。

 

「大丈夫よ、ベアト」

 

 プリンセスはそう言って、ガスマスクの……(着ている制服から恐らくは)女性へと向き直る。

 

「お久し振りね、プロフェッサー」

 

<ようこそいらっしゃいました、プリンセス>

 

 プロフェッサーと呼ばれたガスマスクが、返答する。マスク越しであるせいなのだろう、男とも女とも付かない、くぐもった声だ。

 

<こんな所で大したもてなしも出来ませんが、まぁ……お掛けください……>

 

 手を振って、ガスマスクはプリンセスに席を勧める。

 

 ベアトリスが周囲を見ると、この部屋にはあちこちに何に使うのか見当も付かない大小無数の機械が置かれていて、異様な音や光はこれらの機械が発しているものだと分かった。

 

 乱雑に置かれていた椅子に、腰掛ける二人。

 

<まぁ、こんなものしかありませんが……>

 

 紅茶を煎れたティーカップを二つ、ガスマスクは差し出してくる。

 

 ベアトリスは、少しだけ顔をしかめた。このガスマスクが好意でやっているのは分かるので強く咎める気にはならないが……しかし、このお茶は匂いですぐ安物と分かる物だった。こんなのをプリンセスに差し出すのは些か礼を欠くのではと思ったのだ。

 

 ガスマスクは、自分の側にもティーカップを置くと……吸気口にストローを差して、紅茶を飲み始めた。

 

「……」

 

 今まで見た事も無い紅茶の飲み方を見て、ベアトリスはあんぐりと口を開いたままになった。

 

<それで? 今日は、何のご用ですか?>

 

 空になったティーカップを置いて、ストローを抜いたガスマスクが尋ねてくる。

 

 プリンセスは一度口を付けたティーカップを置くと、ガスマスクを真っ直ぐに見据えた。

 

「単刀直入に言いますね、プロフェッサー。私は、あなたが欲しい」

 

「!?」

 

 プリンセスのその言葉を受けて、あらぬ想像を掻き立てられたのか、ベアトリスの顔が真っ赤になった。

 

 一方で……ガスマスク……プロフェッサーの表情は(当たり前だが)伺い知れない。

 

<お言葉の意味が、分かりかねますが?>

 

「駆け引きはやめましょう」

 

 プリンセスはそう言うと、持っていた鞄から数十ページぐらいだろう紙束を取り出して、机に置いた。一番上の表紙に当たるページには『ケイバーライトを応用した新型動力機関の開発と、その応用について』と記されている。

 

 プロフェッサーの、ガスマスクの強化ガラスから覗く目が鋭くなったようだった。

 

「私はあなたのこの論文を読みました。素晴らしいと……一目見て思いました。蒸気に代わる新しいエネルギー……『電気』。ケイバーライトを用いて極めて効率的にそのエネルギーを産生・抽出し、多岐に応用する……実現されれば、それは今の世界を一変させる力ね」

 

<……学者先生のお歴々には、お伽噺・夢物語と散々に酷評を受け、扱き下ろされました……凡人には、天才の発想は分からない……>

 

 やれやれと言わんばかりに、プロフェッサーは首を振った。気のせいか、ベアトリスは会話の最中も絶えず聞こえてくる呼吸音に溜息の音色が混ざって聞こえた気がした。

 

「あなたのその研究成果。私は、それが欲しいのです」

 

<プリンセス、あなたが私の論文に着目し、研究を評価していただいた事には感謝しましょう。しかし、幾つか答えていただきたい事があります>

 

「可能な範囲で、答えますよ」

 

<それは重畳……>

 

 恭しく一礼するプロフェッサー。そして、じっとプリンセスへと目線を動かす。

 

<では、プリンセス……あなたは、私の研究を得て……何をするおつもりで?>

 

「……」

 

 ぴくっと、プリンセスの眉が動いた。

 

<お答えください。世界を変える力と、評価されたその力を得て……あなたは何をするのですか?>

 

「女王に、なりたいの」

 

「!! ひ、姫様?」

 

<……ほう>

 

 感心したような吐息が、ガスマスクから漏れた。

 

<あなたの継承順位は第4位……要するに予備の予備の予備……そのあなたが、何の後ろ盾も無く……たった一人、徒手空拳で女王を目指すと?>

 

「姫様になんと無礼な!!」

 

 思わず立ち上がって叱責の声を上げる侍女を「良いのよ、ベアト」とプリンセスが制した。

 

「一人ではないわ。ここにいるベアトリスとあなたが加われば……私の派閥は2人になるわ。それに……私の株はいずれ暴騰するから、買うなら今をお勧めするわ」

 

<私には万馬券や宝くじを買う趣味は無いのですが?>

 

「賭けた者しか配当金は受け取れないわよ?」

 

<……ふむ>

 

 中々に当意即妙の答えを受けて、プロフェッサーの姿勢が少し前屈みになったようだった。興味を示している証左だ。

 

 一方でむすっとしたベアトリスは、所在なさげに室内を歩き回り始めた。

 

<では、もう一つお聞きしましょう。仮にあなたの継承順位が1位に繰り上がり、そして女王になったとして……その権力と立場を使って……あなたは何をなさるおつもりですか?>

 

「豊かな社会と、明るい未来の実現を」

 

 為政者の鑑と言えるような返答だが……しかしこのプリンセスの回答は、プロフェッサーの気に入るものではないようだった。姿勢を変えて椅子の背もたれに体を預ける。明らかに白けていた。

 

<……それでは、あなたに協力は出来ませんな>

 

「……」

 

<プリンセス、駆け引きは止めましょうと最初に仰ったのは貴女でしょう……私が聞きたいのはそんな通り一遍の用意された答えではないのですよ>

 

「私は本気よ?」

 

<……では、もう少し具体的にお答えください……あなたは、どうやって……>

 

 そう、プロフェッサーが言い掛けた瞬間だった。恐らく彼女の目の端に、看過出来ない光景が映った。

 

 部屋を歩き回っていたベアトリスが好奇心からだろう、棚の上に投げ出されていた妙な機械を手に取ったのだ。

 

 材質は金属、長さは30センチメートルぐらいの円筒状で、懐中電灯のようにも見えるが明かりを発する部位が無い。その外周部に、数個のスイッチや目盛りが付けられていた。ベアトリスの指が、そのスイッチの一つに動いて……

 

<触るな!!>

 

「えっ?」

 

 大声を上げてプロフェッサーが警告するが、一瞬遅かった。

 

 かちり。

 

 ベアトリスの親指が金属筒のスイッチに触れて……その片側の先端から、紅い光の滝が溢れ出した。

 

 鮮血のように鮮やかな光は、ベアトリスが持つ筒から一直線に放出されて1メートルほどの長さにまで伸びて、そこで止まった。目も眩むような光であるが、不思議とベアトリスは熱は感じなかった。

 

「これは……」

 

 プリンセスが目を見張って、思わず椅子から腰を浮かせた。

 

 光の剣とも形容すべきその形状。硬い岩であろうと砂糖菓子のように貫くだろう。無論、人を刺し殺す事など造作も無い。

 

「わっ、わっ……ひゃっ!?」

 

 驚いたベアトリスが思わず筒から手を放してしまって……光のラインはくるくる回りながらその軌跡に存在したテーブルを何の抵抗も無く断ち割ってしまった。切断された断面は、赤熱化していた。

 

<ちっ!!>

 

 舌打ちすると、プロフェッサーが手をかざす。

 

 すると(恐らく)彼女の全身が翠色の燐光に包まれ……そして重力に従って落ちていくばかりだった光刃とその柄は、いきなり目に見えない操り糸に引かれたように跳ね上がって、かざした掌中へと収まった。

 

「あ……」

 

 かちり。

 

 プロフェッサーがボタンを押すと、紅い光は柄の中へと収束した。

 

<……>

 

 プロフェッサーは無言のまま、つかつかとベアトリスの眼前にまで歩いてきて、今は柄だけの剣をすっと彼女の胸元に突き付けた。

 

<触るな。何にも、触るな。危ない>

 

「は、はい……すいません……」

 

 高圧的な言い方だったが、しかしベアトリスの視線が真っ二つになって床に転がっているテーブルへと動いた。

 

 もしあのテーブルが自分だったら……そう思うと、何も言い返せなかった。

 

「……」

 

 プリンセスは両断されたテーブルを見て、自分の首筋に手を当てると「ごくっ」と苦い唾を呑んだ。

 

「その、光の剣と……今の、柄を引き寄せた力……それも、あなたの研究成果の一つなんですか?」

 

 と、ベアトリス。

 

<ええ……この剣は電気エネルギーをケイバーライトを用いて収束し、プラズマの刃として固定して……さっきの柄を引き寄せたのは、ケイバーライトによる重量軽減と、電磁力の応用。精製した電気から、磁場を発生させ……それで金属を動かす事が出来る>

 

 光剣の柄を腰に付けると、<さて>と一言置いて仕切り直しとプロフェッサーはプリンセスに向き直った。

 

<これらは私の研究の、ほんの一端に過ぎません。プリンセス、あなたは女王になって、この力を使って、何を為されるのですか? どのようにして、豊かな社会と明るい未来を実現されるおつもりですか?>

 

「それは勿論、あの壁を壊して」

 

<……!!>

 

「ひ、姫様……!!」

 

 絶句するベアトリス。プロフェッサーは、やはりガスマスクで表情は伺い知れない。

 

 壁とは、ロンドンの壁の事だ。

 

 十年前の革命以来、アルビオン王国とアルビオン共和国に境界を作り、両国を隔てるもの。

 

 それを壊すなど、今は少なくとも水面上では争い無く過ごしている二つの国が再び一つに混ざり合い、巨大な混沌をもたらす大事業であり大凶行であろう。

 

<……成る程>

 

 感心したような響きが、プロフェッサーの言葉にはあった。

 

<だが、夢を語るだけなら口があれば足りる>

 

「夢ではないわ。決意……」

 

 そう言い掛けて、プリンセスは首を振った。

 

「いえ、志よ」

 

 決意は、とうに済ませたという言い回しだった。

 

「私は昔、誓ったんです。女王になって、この国を変えると」

 

<……成る程>

 

 着席したプロフェッサーが、ゆっくりと首肯する。

 

 再び、前屈みになって組んだ両手を机に置いた。

 

<では、最後の質問です。あなたは力を貸す見返りとして、私に何を与えてくれますか?>

 

 言外に、金や地位では自分は動かないぞと言っている。それを受け、プリンセスの答えは。

 

「……空、ではいかがしら?」

 

<……!!>

 

 この時、プロフェッサーが初めて大きな動揺を見せた。体を落ち着き無く揺する。ベアトリスは、今のやり取りの意味を図りかねているのだろう。当惑したように、両者を代わり番こに見やる。

 

「月が、霞まない夜……工場からの粉塵が青空と太陽を隠さない昼……私が女王になったら、あなたの研究を強力に後押しして実用化・普遍化を進め……必ずその空をもたらすと約束するわ。それで、いかがかしら?」

 

<女王になったあなたを信じろと?>

 

「いいえ」

 

<?>

 

「そうなった時の、この国を信じてほしいの」

 

<…………>

 

 沈黙が、降りた。

 

 プロフェッサーは動かない。プリンセスも、咳一つ発しない。

 

 ベアトリスは、今なら自分の心臓の音が聞こえる気がした。

 

 そうして、時が止まったような数分が過ぎて、先に動いたのはプロフェッサーであった。

 

<良いでしょう>

 

 その答えを聞いて一瞬、プリンセスとベアトリスは顔を見合わせる。そうして、喜色を浮かべたプリンセスはプロフェッサーに向き直った。

 

「では……」

 

<あなたは私との取引に勝たれました。それに私としても、この世から不要な物を消すのには、賛成です>

 

 不要な物とは即ち、ロンドンの壁だ。

 

<人間が歩くのに必要な靴を選ぶ基準は「王制の靴」だとか「共和制の靴」ではない……「良い靴」か「悪い靴」か、それだけの筈。情報を操作し、人に間違った基準を押し付けてくる物は……この世から消し去った方が良い……>

 

 プロフェッサーはそう言って立ち上がると、部屋中に置かれていた機械の幾つかを操作する。

 

 すると、ゴゴゴ……と空気を吸い込むような音を立てて機械が動き出した。

 

「な、何?」

 

<心配しなくて良い……只の、除塵装置だから……>

 

 怯えたベアトリスを安心させるように、プロフェッサーが言った。

 

 一分ほどその機械が動くと、プロフェッサーは頭部に装着したヘルメットに手を掛けた。

 

<私は生まれつき肺が悪くて、こうでもしないとこのマスクを外せないのでね……まぁ、天才にも弱みの一つはあるという事よ>

 

 冗談めかした言葉に続いてプシュっと空気が抜けるような音がして、ヘルメットが外されて色素が抜け掛かった金髪がさらりと肩に流れる。

 

 次に、マスクが外されて……長い間日に当たっていないのだろう、少しも痛んでおらずしかし病的に白い肌と、女性であろうと色を覚えるような美貌が露わになる。

 

 思わず、ベアトリスは息を呑んだ。プロフェッサーの両眼は紅く光っていて、キュイッと小さな機械音を立てて紅く光る部分が瞳孔のように大きくなったり小さくなったりした。

 

「その目は……」

 

「あぁ、昔……ケイバーライト障害でね……でもこの義眼は、メンテさえ怠らなければ、生身の目よりも調子が良いのよ」

 

 マスクを外したプロフェッサーの声は、想像よりもずっと幼くて高く、良く通る声だった。

 

 プロフェッサーはプリンセスのすぐ前まで移動すると、膝を折って傅き、忠義を示す騎士が如き姿勢を見せる。

 

「度重なる無礼を、お許しください。プリンセス・シャーロット。今日より御身が我が主人。何なりとご命令を」

 


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