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「いや~、いやいやいや。よう来てくださった。儂が蒔苗東護ノ介だ」
島と島の間の浅瀬。その上に建てられた木造の屋敷。
豊かな髭を蓄え、上等な衣装に身を包んだ老人が一人、クーデリアらが通された居間で待ち構えていた。
ついにここまで来たのだ。クーデリアは湧き上がる感慨を胸に、一つ、小さく深呼吸して、
「クーデリア・藍那・バーンスタインです」
「うむ、うむ。こうやって直に会うのは初めてだな。そちらの若者とお嬢さんは?」
「………俺は、オルガ・イツカだ」
「ビスケット・グリフォンです」
「メリビット・ステープルトンと申します」
そうかそうか、と好々爺よろしく満足そうに頷いた蒔苗老は、
「待ちわびておったよ、長いことな。腹は減っとらんか? ここはよう美味い魚が捕れるでなぁ」
「い、いえ別に………」
「蒔苗さん。あんまりゆっくりできる時間は俺たちにはないんだが」
呑気な様子の蒔苗にオルガはそう釘を刺す。ギャラルホルンは今日にでもこちらに攻めてきてもおかしくないのだ。むしろ、昨日のうちに軍勢が見えなかったのが不思議なぐらいに。
だがオルガらの危機感とは裏腹に蒔苗は「ほっほっほ」と気ままに髭を弄りながら、
「ギャラルホルンなら心配無用。ヤツらはここには現われんよ」
「どうして、そう断言できるのですか?」
クーデリアの問いかけに蒔苗は悪戯っぽく片目を瞑り、
「この島はどこの管理区域に属しておるか知っておるかな?」
「それは………」
咄嗟に言葉が出ずに言い淀むクーデリアに代わって、メリビットが口を開いた。
「オセアニア連邦、ですね? いかにギャラルホルンといえど、連邦の許可がなければ勝手に入り込むことはできない………ということですか?」
「ご名答! むふふ、お前さん、美形のうえに頭も切れる。いや~結構結構。儂があと10年若ければ放っておかないんじゃがのぉ」
い、いえそんな………と頬を赤らめるメリビットを横目に、「けど」と今度はオルガが会話に割って入った。
「オセアニア連邦が俺たちをかくまう理由もないでしょう?」
「ところが大有り」
「??」
「むしろあれだ、あんたらに表彰状でも渡しくらいに感謝しておるよ」
感謝ぁ? とオルガはビスケットと思わず顔を見合わせた。蒔苗は続けて、
「上手く運んだんだよ。ドルトの改革がな。十分成功といってよかろう。合意内容が発効し、地球と同等の労働条件を彼らは手にしたようだからな。これまでの経営陣は責任を追及され、コロニー労働者からも役員を出すこととなり、彼らの環境は一変することであろう」
実ったのですね、彼らの願いが。と、クーデリアは胸の前で両手を握りしめた。少しずつでも自分たちが動くことによって世界が良くなっていくのなら………
蒔苗はそんなクーデリアに笑いかけながら、
「そして、この先どうなるかはわからんが一時的にでもドルトの生産力は落ちる。ドルトカンパニーは生産コストを抑えるためにドルトコロニーの労働者を酷使しておったようだからのう。イメージ悪化によってアフリカンユニオンの製品輸出も大きな痛手を被るであろうな。………そしてそれは、他の経済圏にとっては万々歳。その呼び水となった恩人を、ギャラルホルンに売り渡すような無粋な真似を、オセアニア連邦はせんよ」
いや~愉快痛快! と右手で膝をポンと叩いて喜びを露わにする蒔苗。
だが………それは他の経済圏がコロニーの労働者をドルトの人たちのように働かせて、アフリカンユニオンの空いた生産と利益の穴を埋めるだけではないだろうか、ふとクーデリアの脳裏にそんな疑念がよぎってしまった。どこの経済圏に属しているに関わらず、人間には、皆、人間らしい営みを送る権利があるはずなのに………
「………で、何だったかな? お前さんたちが来た理由は」
その問いかけに、クーデリアはハッと我に返った。そう、今は自分のできることを一つ一つ成し遂げていかなければならない。今日この場に辿り着いたのは、まだ長い道の第一歩に過ぎないのだ。
「それは、アーブラウとの火星ハーフメタル資源の規制解放の件で………」
「おお、そうだったそうだった! それはもう儂にとっても実現したいと常々考えておったことだ。………だが、今は無理だなぁ。悪いが………」
「あんたは失脚し、亡命中の身だからだろ?」
焦れたようにオルガが少し荒れた口調で蒔苗の言を遮る。その瞬間、「ほう……」と蒔苗の眼光が一気に鋭さを増大させて、目の当たりにしたビスケットがごくり、と息を呑んだ。
「お前さん、どこでそれを?」
「新聞にデカデカと載ってただろうが」
「………ふむ。地球発のニュースは数日遅れで、宇宙では容易に手に入る情報ではないのだが。お前さんたち、なかなか良い情報源を持っているようだな」
お見事お見事、と称える蒔苗に構わずオルガはずい、と半身進み出て、
「正直、これ以上あんたの与太話に付き合う余裕はねえんだ。とにかくさっさと支度しな。明日にはアーブラウに向け出発する」
「ほう………」
そこにクーデリアが補完するように続けた。
「失礼ですが、今のあなたは何の権限もお持ちではありません。ですが次の全体会議でアーブラウ代表として再任される勝算がある。ですがそのためにはギャラルホルンの妨害から身を護る必要がある。そのために私たちを、鉄華団を呼んだのでは?」
蒔苗は沈黙した。その瞬間、好々爺としての仮面を剥いでいくのを、クーデリアらは対峙して鋭敏に感じ取っていた。
「爺さん。荷造りで人手がいるならウチの連中を送ってよこすから………」
「ふ………甘い。甘すぎるなァお前たち」
唐突に蒔苗は声を荒げ、鋭い眼光でこちらを睨み据えた。
「なるほど。この儂の目論見の一端を見破ったのは大いに結構。だがな、お前らはギャラルホルンの妨害を掻い潜り、儂を真っ直ぐアーブラウまで連れていくという。………その言葉の意味、そして重大さをお前らはちゃーんと理解しておるのか? ギャラルホルンの戦力は? 補給はどうする? 交通は全て遮断されておるぞ。アーブラウ首都エドモントンにはギャラルホルンの大部隊が駐留しておる。それをどう撃破するというのだ、えぇ!?」
だが蒔苗の啖呵を、ハッとオルガは嗤って一蹴した。
「そうやって脅して主導権を握ろうって魂胆は、一軍のクソジジイ共と変わらねえな。まあ、賢い選択をしてくれよ。自分で蒔いた種だろうが」
それだけ言うとオルガはさっさと立ち上がり、次いで慌てて立ったビスケットと共にその場を後にした。クーデリア、メリビットもまた蒔苗に一礼してその後に続く。
一人残された蒔苗は拍子抜けしたようにふむ………と豊かな顎鬚を撫でながら、
「これは………少々予想外の事態になってしまったのぉ。一体、どこの誰に入れ知恵されたことやら」
あの少年少女たちが自分で考え付いたなどと納得するほど、蒔苗東護ノ介という男は素朴でも愚かでもなかった。
だが、すでに取るべき選択肢は絞られている。蒔苗は隣室で控えていた秘書に、直ちに荷造りを始めるように命じた。
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「小エビと季節野菜のカクテルサラダでございます。自家製ドレッシングをお付けになって、お召し上がりください」
旧ロシア極東、ウラジオストクにあるモンターク邸の食堂にて。
案内された俺たち4人が長テーブルそれぞれの席に着くと、奥から給仕が現れてまずは前菜を俺たちの前に並べて去った。どうやらフルコース料理を振る舞ってくれるらしい。まずは前菜から。
「………な、何だこれ。食いもんなのか?」
すっかり良家の子息風の出で立ちになった元ヒューマンデブリ3人組のうち、ビトーが恐る恐る指先でサラダの上に乗っかった小エビを突っつこうとする。「や、やめなよ」とペドロがすかさず止めに入って事なきを得たが、
隣での騒動をよそに、俺は、ドレッシングを染み込ませた小エビの食感とシャキシャキ新鮮なサラダに舌鼓を打った。
「お待たせしました。アフリカンユニオン・旧フランス地方産コーンを使ったポタージュでございます」
要はコーンポタージュが俺たちの前に置かれる。
俺はスプーンで奥から手前に掬って口にし、クレストやペドロも同様だったが………ビトーは大胆にも両手でポタージュの盛られた皿を持ちあげてゴッゴッ………と飲み干してしまった。
「び、ビトー………!」
「ん? な、何だよ」
「こういうのはスプーンを使わないと………」
「だ、だってめんどくせーじゃねえか」
まあ、よほどのことが無い限りはテーブルマナーなんて使う機会無いけどな。
そう時間を置かずして全員ポタージュを平らげて………次はメインディッシュだ。
「お待たせしました。蒼月様のご出身地、オセアニア連邦日本列島産牛肉を使ったフィレ肉ステーキでございます」
お待ちかねのメインディッシュは牛肉のステーキだった。
左から切り分けて、口に運ぶ。かなり高級な肉を使っているらしく、舌に乗せた瞬間すぐに肉が溶けていくのが分かった。脂の余韻も悪くない。
「むふ………うま………」
「………」
まいう。
思わず表情が綻んだ俺を、少し呆れたように隣のクレストがチラッと見ていた。
一方ビトー、ペドロは、
「な………んだよ、コレ。ほ、ホントに食い物なのかよ………?」
ブヨブヨしてるぜ、とビトーがフォークで恐る恐るステーキを突っつき「だ、ダメだって………」と慌ててペドロが窘めた。
「カケルさんがやってるみたいに、小さく切ってから食べるんだ」
「切るんだな………よし!」
よっしゃ! とハンマーチョッパーを敵モビルスーツにぶち込む要領で、ビトーは逆手に持ったナイフの刃を全力でステーキに叩きつけた。
結果。ガチャン!! という音と共に、
「ぶあっち!?」
「ぎゃっ!?」
「お、おい! 肉汁がこっちまで飛んできたぞ!」
大騒ぎする俺らを横目に、クレストは相手してられない、とせっせとステーキを切り分けて口に運び続けた。
四苦八苦の末にようやくナイフとフォークの使い方を理解したビトーは、ようやくそこで最初の一切れを口に運んだ。
「………」
「………どうだ、ビトー」
「何か変な味」
滅多に食えるもんじゃないんだから、もっとありがたれよ。
かくして、食後のデザート……ティラミスに突入し、次いでやってきた紅茶で軽く口直し。………ミレニアム島では庶民的な魚料理、生き物をそのまま使った料理に、火星や宇宙育ちの鉄華団の面々が困惑していることだろう。
「合流したらアストンたちに自慢してやろーぜ!」
「だね」
笑い合うビトーとペドロに、俺も思わず頬を綻ばせながら………砂糖とミルクを入れまくった紅茶を嗜んだ。
苦いのは苦手なんだよ。
「………カケル、入れすぎ」
「こういうのは甘いのがいいんだよ」
「そんなに入れたら、お砂糖の味しかしないと思うよ」
クレストの至極まっとうな突っ込みに構わず、俺は………確かに砂糖の甘味しかしない紅茶をもう一口味わった。奥で給仕のおじさんが、俺たちの無作法の数々に笑いを噛み殺しているのがチラッと見えてしまった。怒られないだけマシだが、後々屋敷の人間たちの間で物笑いの種になることは間違いないだろう。くそ。
と、そこで食堂の扉が開いた。現れたのはエリザヴェラ。
「お待たせ致しました。我が主モンターク様との通信が繋がりましたので。これよりお繋ぎしてもよろしいでしょうか?」
「お願いします」
そう言って俺が頷くと、エリザヴェラは壁の一部をスライドさせ……古風な城館に不釣り合いな端末をせり出させると、端末内のコマンドを素早く操作していく。
長テーブルの席に座す俺たちの前、いくつもの高そうな絵画が立てかけられていた壁が左右に開き、その奥からモニターが姿を現した。
そして、
『やあ、諸君。快適に過ごしてもらえてるかな?』
すっかり見慣れた仮面の男、モンターク。ビトーやペドロ、クレストはおそらく初対面で「誰だこのおっさん?」と早速ビトーが失礼極まりない一言を口にしてしまったが。………まだ20代なんだぞそいつは。
モンタークは仮面に覆われていない口元に笑みを浮かべていたが、この男の真意や人格の一端を知っている以上、その表情は友好的な意味を持たないと捉えて差し支えないだろう。
「おかげさまで。この場をお借りしてご厚意に感謝申し上げます」
『結構。鉄華団は全員無事、会合場所であるオセアニア連邦領内ミレニアム島に上陸できたようだ。先ほどこちらにも通信が来たよ。島が経済圏の管轄下にある以上、ギャラルホルンもそう易々と手出しできまい』
「ですが情勢は安定していないはずです。地球外縁軌道統制統合艦隊は地球に降下する独自の権限を持っています。できれば、すぐにでも仲間と合流したいのですが」
ここまでの数時間、呑気に過ごしてきたが………万一この男が俺たちをこの場に留めようとするならば、強硬手段を取ることも考えていた。ビトーたちのお陰で大体の屋敷の見取り図が頭に入っており、どこに移動手段が保管されているかも把握している。
情報チップには、俺たちのモビルスーツが保管されているはずの旧ウラジオストク宇宙港のデータもある。
果たして、モンタークは笑みを崩さずに、
『君の懸念はもっともだ。だが、君たち4人をモビルスーツと共にミレニアム島に移動させるとなると………君たちが今いるのはアーブラウ領内でミレニアム島はオセアニア連邦領内。少々手続き上の困難があってね。モビルスーツを移動させられるだけの移動手段の確保に当たっている段階だ』
そううそぶくモンタークの真意は、表情ごと仮面の奥に隠れて俺では到底窺い知ることができなかった。
やはり無理やり脱出するべきか………脳裏でその選択肢と、可能性等々を真剣に検討し始めた俺だったが、モンターク=マクギリスはそれをも見抜いたように、
『まあ落ち着きたまえ。事態は私も把握している。もし地球外縁軌道統制統合艦隊の地上部隊と交戦、となると鉄華団に不利な戦況となることは分かっている。私としてもそのような事態に陥ることは望ましくない。君たちが直ちに駆けつけられるよう、私としても尽力しよう。
―――――――――それに心配することはない。既に〝あの男〟の協力を仰いである」