鉄と血のランペイジ   作:芽茂カキコ

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ちょっと長めです。


溶鎖

▽△▽――――――▽△▽

 

 兄貴の部屋から飛び出して、逃げて、逃げて………狭い艦内じゃどこにも逃げ場なんてないことに気付いて、昌弘はようやく、大きな船窓から宇宙空間が一望できる通路の前で、立ち止まった。

 

………何やってんだよ………!

 

 ヒューマンデブリは希望なんて持ってはいけない。

 ヒューマンデブリには家族なんていない。

 ヒューマンデブリは大事なものなんて持たない。

 ヒューマンデブリは………

 

 あの日。何もかも……家族も、人間としての自分も奪われヒューマンデブリとなったあの日からずっと、昌弘は何もかもを押し殺して生きてきた。

 自分はヒューマンデブリ。人間じゃない。

 そう自分に言い聞かせなければ、心も身体もすり減るような毎日を生き抜くことなどできなかったからだ。

 

 使い捨ての、人の形をしたゴミクズ。

 そう言われ続け、クダルに虐げられる日々。

 

 それが唐突に、終わってしまった。クダルはあっけなく死に、ブルワーズは壊滅し、昌弘らヒューマンデブリは鉄華団に全員引き取られた。

 そして、「もうお前らはヒューマンデブリじゃねえ。人間だ」と言われ、温かい食事と、新しくて清潔な服と、寝床を与えられた。

 そして、もう会えないと思っていた兄貴……昭弘が目の前にいた。

 

 嬉しい、とそう思わないといけないのに。

 温かい気持ちで胸がいっぱいにならなければならないのに。

 

 

 嬉しい、という気持ちが何なのか、分からなくなった。

 温かい、というのが何なのか、分からなくなった。

 

 

 アストンやビトーらと楽しい話やバカ話をしたことならある。でもそれは、薄暗い世界の中で一筋の明かりを灯すようなものだった。全てが冷たい世界で、お互いのなけなしの暖かさを寄せ集め合っているようなものだった。

 それとは全然違う。

 

 鉄華団の制服を着ている、昌弘と同い年ぐらいの少年たち。

 皆、笑っていた。

 バカ騒ぎして、楽しそうに笑って………

 俺たちは、笑うことすら忘れてたのに………

 

 

『………こんな俺たちをな、家族って言ってくれるヤツらがいるんだ。鉄華団を立ち上げて、一緒に闘って、仲間のために、とか言ってよ。姐さんにしごかれて………これからはお前も………』

 

 

 何だよそれ。

 温かい、とか、嬉しい、とかそんな気持ちはほとんど忘れ去っていたのに、胸の奥から這い上がってくるドス黒い感情だけは、はっきりと表に出すことができた。

 

 

―――――じゃあ、兄貴は、俺が兄貴のこと待ってる間に一人だけいい目に合ってたのかよッ!!

 

 

 俺だって兄貴のこと諦めてた。

 何もかも諦めて、それでも心の奥底では待って、待って………

 そんな、俺が苦しんでいる間に兄貴は………!!

 

 兄貴だって苦しんできた。同じようにヒューマンデブリとして、苦しい日々を送ってきたはずだ。

 分かっているはずなのに………!

 

「………ッ!!」

 

 ガン! と激しく拳を手すりに打ち付けた。

 痛いのには慣れている。クダルは毎日のように、鬱憤晴らしや何の気なしにヒューマンデブリに暴力を振るい続けてきた。

 

………寒い。

 

 心が寒い。こんな気持ち、すっかり慣れっこだったはずなのに………

 

 昌弘は通路の端でうずくまった。どうせ、どこにも逃げ場なんてない。

 カッ、カッ、と足音が近づいてきた。顔を深く沈めて、身体を丸くする。

 無視して、どっか行けよ。

 

「………昌弘」

 

 親しげに声をかけてきたのは、兄貴ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽△▽――――――▽△▽

 

 船窓が取り付けられた通路の片隅で、少年が一人、うずくまっていた。

 その髪質や背格好から、俺はすぐに、そいつが昌弘・アルトランドだと気が付いた。

 

「………昌弘。何やってんだ?」

 

 うずくまったままピクリとも動かない。

 自分の身を庇うかのように、身体を丸くして、こちらの呼びかけに頑として反応しようとしなかった。

 まるで自分の心を閉ざした自身そのもののように。

 

 昌弘・アルトランドがどのような過酷な境遇を生き、どれだけ苦しんできたか、俺にはその詳細を知る術は無い。カウンセラーでもない。心の傷をどう癒せばいいかなんて、分からなかった。

 脳内の情報チップは有力そうな情報をいくつも提示してくるが、どうにもパッとしないものばかりだ。これから厳しい局面が続くこの状況では、カウンセラーのようにじっくり時間をかけて寄り添うだけの時間は、ほとんどない。

 

 俺は………その隣にスッと腰を下ろした。

 うずくまる身体の間から、驚いたような昌弘の視線が覗く。

 

「昭弘が心配してたぞ」

「………あんたには関係ない」

 

 にべもなく言い放たれて、俺は少し苦笑した。

 

「そうだな。………昭弘は部屋に戻した。お互い、頭を冷やした方がいいかと思ってな」

 

 ピクリ、と昌弘の痩せた腕が震えた。

 俺は、すぐに立ち上がると、

 

「とりあえず兄貴は追ってこないだろうから、好きなだけのんびりしているといいさ。どこも暇そうだしな。ただ………」

 

 視線を落とすと、きょとんとした表情の昌弘と目が合った。が、すぐにうずくまって視線を逸らす。

 俺は静かに、

 

 

 

「もし行く所が無いなら、後で食堂に来てくれよ。ホットレモンでも作ってやるぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽△▽――――――▽△▽

 

『一緒に行くぞ。鉄華団は、お前たちを歓迎する。ヒューマンデブリとしてじゃねえ。鉄華団の新たな一員として。仲間として』

 

 鉄華団のリーダーである男の言葉は、まるで昔、母さんが読み聞かせてくれた物語の魔法のように、クレストの心を溶かして、それまで溜め込んできたもの………苦しみ、悲しみ、恨み……を涙と一緒に吐き出させた。

 泣いて、泣いて、苦しかったって喚いて………鉄華団はクレストたちヒューマンデブリを温かく迎え入れてくれた。

 

 だが………

 

 

―――――お前らはゴミクズ! 生きる価値も無い、ただの使い捨ての道具なんだって理解しろォッ!

 

 

 その時の痛みと共に蘇った記憶、クダルに殴られ、他の海賊たちに殴られ、何もかもを否定され続けた日々。

 心を殺して、クダルの道具として酷使されてきた日々。

 

 蘇った思い出が、再びクレストの心を凍てつかせるまで、そう時間はかからなかった。

 俺はゴミクズ。

 俺は道具。

 

 あの男の人は、最初こそ甘い言葉を言ったかもしれないけど………俺たちを騙してどこかに売るに違いない。

 ヒューマンデブリに、ゴミに、道具に優しくする奴なんているはずがないのだから。

 だからクレストは、昔のように物を盗んだ。食べ物や、武器を。生きるためなら、何だってする。人間じゃないから。卑しい、ゴミクズだから………

 

 深夜時間の食堂には、誰もいなかった。夜勤担当はブリッジか重要区画に何人か詰めているぐらいで、残りは翌日の仕事に備えて眠っている。

 ここには大量の食糧が備蓄されている。鍵はかかっておらず、深夜時間になれば訪れる者もいない。

 引き出しの一つに、たくさんの菓子があることを、ひょんなことからクレストは知った。ライドとかいう、クレストより少し年上そうな団員が、こっそり集めているのだとか。少しぐらいなら、気付かれることもないだろう。

 

 クレストは引き出しを開けて、中の………

 

「よ。精が出るねぇ」

 

 突然背後から声を掛けられ、「ひっ!」とクレストは思わず悲鳴を上げてしまった。

 振り返ると、何時間か前に見た男が、いつの間にかクレストの背後に立っていた。

 

「な、な、なんだよっ!?」

「そんなの、ライドに言えば分けてくれるのに」

「うるさいっ! おまえには関係ないっ!」

 

 気まずさを振り払うようにその場から逃げ出そうとするクレストを、「ちょい待ち」と男はその腕を掴んだ。

 細くて、弱々しいクレストでは、男の腕力に叶うはずもない。「ちくしょ……!」と観念して、クレストはプイッとそっぽ向いた。せめてもの抵抗のつもりだった。

 

 男の手が伸びた。

 殴られる………! クレストは覚悟して目を瞑ったが、いつまで経っても殴られる気配はない。

 恐る恐る目を開いてみると。

 

「甘すぎるな、コレ」

 

 男がうまそうに頬を緩ませながら、引き出しの奥から取った菓子を一つ、口に運んでいた。

 

「あ………っ!」

「食うか?」

「い、いらないっ!」

 

 男の手を振りほどいて距離を取る。

 そのまま逃げだそうかと思ったが………

 

「一緒につまもうぜ。ホットレモンも出してやるよ」

 

 

 流し台の下の引き出しを開けながら、男はそう言ってクレストにニッと笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽△▽――――――▽△▽

 

 蒼月駆留の深夜カフェ、只今開店。なんてな。

 さすがに自然のレモンは高級品で手が届かないらしく、〝イサリビ〟にストックされているのは人工甘味料を使ったレモン粉末と人工砂糖キューブを使う。

 お湯で満たした瓶の中にレモン粉末と人工砂糖キューブを入れ、かき混ぜて、1分ぐらい置いてできあがり。

 

 出来は………まあ悪くない。

 

「ほら。熱いから気を付けろよ」

 

 食堂テーブルの椅子に座ったクレストの前に、ホットレモンが入ったカップを置いた。ライドの備蓄からちょろまかしたチョコレート菓子も。

 元ヒューマンデブリの少年、クレストはしばらくぼんやりとそれを見ていたが………

 

「これ………」

「お。レモン嫌いだったか?」

「ち、違うけど………」

 

 クレストはしばらくジーっと手元のカップに視線を落とすばかりだったが、やがて恐る恐る、口元へと運んでいく。

 一口だけ含んで飲み込み、小さく息をついた。俺も、自分のカップを口に運ぶ。

 

「悪いな。貧乏所帯だからこんぐらいしか作れないけど」

「………温かい」

 

 両手でカップを持ったクレストは、しばらくその姿勢のまま動かなかった。今までは口にできるものと言えば賞味期限の切れた栄養バーや水ばかりで、温かい食べ物や飲み物になどありつけなかったのだろう。

 俺も、手元のホットレモンを口にして、しばらく何も言わなかった。チョコレート菓子を口に含んでさらにホットレモンを飲み、不思議な余韻と共にどちらも嚥下する。

 

「何で………」

 

 ん? と顔を上げると、テーブルを挟んだ向こうにいるクレストがジッとこちらを見上げていた。

 

「何で、俺なんか。俺たちはヒューマンデブリ。俺たちは………」

「オルガはこう言ったはずだぞ。お前らはもうヒューマンデブリじゃねえ、って」

「そんなの!………だって、俺たち、今までそんなこと………俺たちは、ヒューマンデブリ以外にはなれないっ………」

 

 クダルやブルック、ブルワーズのクソ海賊どもは、死んで滅んでもなお、ヒューマンデブリの少年たちの心を鎖で縛りつけているようだった

 と、ふいに軽い足音が聞こえて、止まった。

 昌弘が、通路の角から、こちらの様子を窺っていた。

 

「よっ、昌弘。すぐに作るから座ってろよ」

「い、いや俺は………」

「いいからいいから」

 

 クレストの隣を示して、俺はまた厨房に戻った。

 先ほどのやり方で、サッとホットレモンを一杯作り、なみなみ注いだカップを、おずおずと座った昌弘の前に差し出した。

 

「ホットレモンなんだけど、飲めるか?」

「………」

 

 昌弘は黙ったまま、テーブルに置かれたホットレモンに視線を落とし続けた。

 そして、

 

「………同情してる、つもりなのかよ」

「………」

「あんたには分からないよ。俺たちヒューマンデブリが今日までどう生きてきて………どう死ぬかなんて」

 

 だろうな。

 1話24分のアニメや設定資料集じゃ、昌弘たちの実際の体験、思いなんて分かる訳がない。同情したところで、思い上がりも甚だしいだろう。自分を癒し、許すことができるのは、結局の所自分だけなのだから。

 昌弘たちは、自分を許す方法も、傷つき、破綻した心や癒す方法すら知らない。

 俺は黙ったまま、半分にまで減ったクレストのカップに、ホットレモンを加えてやった。

 そして、自分のカップを持ちあげて、

 

「………このホットレモンにはな、俺がある魔法をかけた」

「「………は??」」

「お前らの中にはまだ、死んだクダルやブルックが、まだ生きている。そいつらがお前らの中で悪さをして、ヒューマンデブリとして心を鎖で縛りつけているんだ。こいつを飲めば………あら不思議。ホットレモンのレモンと熱にやられて、クダルたちは溶けて消えてしまうって訳だ」

 

 自分でもバカみたいな話だって思うが。俺はくいっと、少し冷めた自分のホットレモンを一気にあおった。

 

「ふぅ。お前らも熱いうちに飲めよ。冷めたら、魔法の効果が半減しちまうだろうが」

 

 クレスト、昌弘共に、頭のおかしい奴を見るような目で俺を見てきたが………やがて、おずおずとカップの中のホットレモンを口に含む。

 今まで沈鬱そうな表情ばかりだった昌弘が「あ……」と、少しだけ表情を緩ませた。

 

「うまいか」

「………まあ」

「そりゃ良かった。菓子も食えよ」

 

 元はライドのだが、ドルトコロニーで埋め合わせすると内心で誓いつつ、小皿にちょっと乗せて昌弘の前のテーブルへ。

 それからしばらく、誰も何も言わなかった。クレストも昌弘も、淡々とチョコレート菓子を口にするが、それだけだ。俺も、黙ったまま2杯目のホットレモンを飲み干した。

 

「まあ、もうヒューマンデブリじゃない、自由だ、なんて言われたって実感ないだろうな。じっくり、時間をかけて解決するべき問題だ」

「「………」」

 

 二人とも、何も言わなかった。応えなんてハナから期待してないが。

 

「そういえば、昭弘ってすごいガチムチだよな。ボディビルダーかよ、って。………なんであんなに自分を鍛え続けてるか、知ってるか?」

 

 昭弘のことを知らないクレストはきょとん、とした表情でこっちを見てくる。昌弘は、視線を合わさず何も言わなかった。

 俺は、カップをテーブルの上に置いて、

 

「いざって時に大切なものを守るため、だってさ。その昔、何か大切なものを守れなかったんだろうな」

「………」

「大切なものを守れなかった。その事実は今でも、昭弘を苦しめ続けている。だから自分を鍛えて、筋肉に集中して、余計なことを考えないで、自分に言い訳し続けて、ヒューマンデブリとして自分を否定し続けて、今日まで生きてきたんだろうな。甘ったれた人生しか送ってない俺なんかには、分かる訳ないさ。………いや、自分の苦しみを理解できるのは自分一人だけだ。それ以外の奴は、ただ観測することしかできない」

 

 やがて、すっかり3人とも、カップの中身も皿の上も空っぽにしてしまっていた。

 まだ飲むか? と問いかけるが、クレストも昌弘も互いに顔を見合わせるばかりですぐに答えようとしなかった。

 

「ちなみに、俺はお前らが傷ついたり、それこそ死んだりしたら………苦しいだろうな。何でか分かるか? クレスト」

「………?」

「分からないよな。物事の捉え方、苦しみ方なんて人それぞれだ。俺の苦しみもまた、お前らには理解できないんだよ」

 

 本来ならありえなかった世界の上に、俺は生きている。

 だからこそ、本来の世界が歩んだ悲惨な結末が………俺に重くのしかかっていた。

 

 昌弘はクダルから昭弘を庇って死んだ。

 クレストは………おそらくブルワーズ艦内で、シノら上陸部隊に殺されたのだろう。ヒューマンデブリ組は、今の半分も生き残らなかった。

 それが、俺が見てきた世界だ。

 

 それともう一つ、俺を悩ませている問題があった。

 戦うこと、それに殺すことに対して………抵抗感が忌避感が失われていることだ。

 最初はギャラルホルンの名前も知らないモビルスーツパイロット、モビルワーカーパイロットたち。ギャラルホルン火星支部長コーラル・コンラッドも手にかけた。アミダ・タービンを殺す手前まで、運が良かっただけとはいえ、追い込み、直近ではクダル・カダルの無残な死に方を間近にした。

 現実世界で生きていた俺なら、間違いなく発狂していただろう。だが俺は、まるで生まれた時から傭兵であったかのように、死や殺意に対する耐性が出来上がっていた。きっと、阿頼耶識システムや頭に埋め込まれた情報チップと同様に、精神にも何らかの施術が施されたのだろう。

 それが、徐々に自分本来の人格や……過去の記憶すら蝕むようで、時折恐怖を感じる。

 

だが止まるつもりはない。実際に鉄華団の面々に触れ、思いは一段と強くなっていた。

彼らを救えるのなら、別の未来を見せることができるのならば、例え俺という人格がかつての形を失ったとしても………

 

 

 悪魔( ガンダム)との契約は、すでになされているのだから。

 

 

 だからこそ俺、クーデリアの傭兵である蒼月駆留はニヤリと二人に笑いかけながら、

 

「今すぐ環境に慣れろなんて言わないさ。ただ、クレストは物を盗む前に、必要なものがあれば俺に言ってくれよ。大抵のものは揃えてやるぜ。昌弘は………兄貴共々口下手だろうけど、お互いのことを話し合えよ。これまでのこと、そしてこれからのこと………」

 

 クレストはもう、中身が無くなってわずかな温もりだけが残っているだろうカップを大事そうに両手で包み、昌弘は視線を落とし続けていた。

 この二人が………いや、元ヒューマンデブリの少年兵たちが心の鎖から解き放たれるには、長い長い時間がかかるだろう。

 俺にできることといえば、それこそ根気強く、彼らに正対することだけだ。

 彼らがヒューマンデブリとしてではなく、人間として生きられる、その日まで。

 

 と、そこでようやく俺は、先ほどの昌弘のように通路の陰からこちらを窺う人影に気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽△▽――――――▽△▽

 

「昭弘も一緒にどうだ?」

 

 コソコソと、通路の陰から食堂の様子を窺っていた昭弘だが、唐突に食堂にいた3人のうちの一人……カケルに声を掛けられびくり、と身をすくませてしまった。こっちに背を向けて座っているから気づかないかと思ったのだが………

 

「あ、いや俺は………」

「昌弘の隣で待っててくれよ。すぐ作るからさ」

 

 こちらの返答など聞かずに、カケルはさっさと厨房へと向かってしまった。

 立ち去るにも都合が悪く、このまま通路の陰にいるのも具合が悪くなり、昭弘はおずおずと食堂へ足を踏み入れ、

 

「隣、座るぞ」

「う、うん………」

 

 弟の隣に腰を下ろした。昌弘を挟んでもう一人、元ヒューマンデブリ組の少年が時折視線をこちらに向けている。

 どちらも、何も喋ろうとしなかった。あの喧嘩の後だ。気まずい雰囲気がしばらく二人の間に漂う。

 弟の苦しみを分かっていなかった。その事実は、容赦なく昭弘を打ち据えていた。ブルワーズから助け出せばまた元の………昔のような弟に戻ってくれると、勝手に信じ込んでいた。

 それが、昌弘を傷つけていたのだ。

 罪悪感や、弟と分かり合えない苦しさで、しばらく部屋に籠ったが、どうしても落ち着くことができず、最初はトレーニング室で汗を流したがそれでも余計な考えばかりが頭をよぎって、艦内をフラフラして………今に至る。

 

「お待たせ。熱いから気を付けろよ」

 

 湯気が立ち上ったそれは、一杯のホットレモン。

 菓子も添えられたが、「すまん」とまずはカップを手に取り、一口飲んだ。

 酸っぱい風味の、熱い液体が喉へと流し込まれ、瞬間的に身体が温まる。それに心も。

 

「不思議な飲み物だな」

「そりゃ、俺の魔法が込められてるからな」

「は?」

「いや、何でもない………」

 

 カケルの言ったことはよく分からないが、二口めに入った。再び、芯から温まるような感覚に、自然と表情が緩む。

 

「うまいな………」

「うん………」

 

 兄弟互いに、まだ視線を合わせることもできない。

 生き別れた間にどれだけ弟から遠く離れた場所に来てしまったかを、昭弘は容赦なく思い知らされていた。

 CGSでは、ヒューマンデブリの扱いは人間以下だった。毎日働かされ、ちょっとしたことで殴られ、一軍の暴力のはけ口にされ………その境遇から抜け出せたのはつい最近のことだ。弟のことなど、それこそゴミクズのような自分に家族が存在していたことすら忘れ去っていた。

 昌弘は、それ以上の過酷な環境に晒され、今日まで生きてきた。

 

 何を言えばいいのか………不用意な言葉を謝ればいいのか、お互い辛かったなと、傷をなめ合えばいいのか………何も言葉を発しようとしない自分の口に苛立ちつつ、再びホットレモンを飲んで気持ちを落ち着かせた。

 

「ホットレモンにはな、病気を予防したり免疫力を高めたりする他にも、精神を落ち着かせる作用があるんだ」

 

 なるほど、と隣の昌弘をこっそり見やると、部屋で喧嘩した時のようなささくれ立った表情はどこにも見えなかった。隣の少年も、どこか嬉しそうな表情すら見える。

 

「カケル……さん」

「おう。どうしたクレスト?」

「もう一杯だけ………」

「何杯でもいいぜ。でも飲みすぎるなよ」

 

 カケルはそう笑って、クレストなる少年のカップを取り上げて、

 

「昌弘もどうだ」

「ん………」

 

 差し出された昌弘のカップも取り、カケルは厨房へ戻っていった。

 やがて、昭弘のものと同様湯気が立ち上ったホットレモンが昌弘とクレストの前にそれぞれ置かれる。

 昌弘はそれを飲み、少しだけ表情を柔らかくした。

 

「昌弘」

「………?」

「うまいな………」

「うん………」

 

 

 それ以上は何も言わなかった。もう何も言わなくていいと感じた。

 そうして、3人の元ヒューマンデブリの心を温めて、ささやかな茶会はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽△▽――――――▽△▽

 

「部屋に戻って、大丈夫か?」

「うん。シーノットたちはいい奴らだし………もう盗みはしないって決めたから」

 

 深夜カフェをお開きにし、部屋に戻る昭弘と昌弘とは別れた後、俺はクレストと共に元ヒューマンデブリ組が寝起きすることになっている居住デッキの通路を歩いていた。続く部屋の一つが、クレストの部屋だ。

 あれから、盗んだ品々を一つずつ元の持ち主に返すことにした。ドクター・ノーマッドに医薬品ボトルを、厨房に食材を、貨物室に栄養バーや飲料ボトルを、武器庫に拳銃と弾を………そして三日月に火星ヤシを。

 俺が間に入って丁寧に事情を説明し、そうでなくても皆笑って許してくれた。

 

『この簡易鎮痛剤を選んだのはいい選択だったね』とはドクター・ノーマッド。

 

『食べたいものがあったら何でも言ってね!』と朝食の仕込み前のアトラ。

 

『欲しいなら少し持って行っていいぞ! ほら遠慮するな』と貨物室を管理している団員からは改めて栄養バーや飲料ボトルを持たせてくれた。

 

『よくセキュリティロックが破れたなぁ』と武器庫の団員は感心していた。

 

『欲しいならあげるよ。まだいっぱいあるし』と三日月。

 

 

 そうした団員たちとの交流の中で、クレストは少しずつ彼らを信頼できるようになっていったようだ。緊張できつく結んでいた口元には少しだけ笑みがこぼれるようになり、年相応の子供っぽく軽い足取りで、クレストは自分の部屋の前に立った。

 扉を開けると、同室の3人の少年が驚いた表情を一斉に向けてきた。

 

「く、クレスト!?」

「大丈夫だったのか………?」

「ケガしてないか? ゴメン、俺………」

「俺こそゴメン。もう、盗みはしないから」

 

 手を取り合う4人の少年たちの様子を、陰からそっと見守り、もう大丈夫であることを確認すると、俺はそっとその場を後にした。

 

 

 

………さて。

 

 

 

 

 

 

 

 

▽△▽――――――▽△▽

 

 ドルトコロニーへの航海は順調そのものだった。

 襲撃してくる海賊もおらず、ギャラルホルンの臨検もない。艦内でも、元ヒューマンデブリの少年兵たちは少しずつ鉄華団の環境に順応しつつある、と報告を受けている。実際に彼らと接しても、徐々に笑顔や子供らしさが戻り始めているようだった。

 

「オルガ、ここは俺たちで大丈夫だから少し休んだら?」

 

〝イサリビ〟艦橋。今は最小限のブリッジクルーで運用しており、艦長席のオルガと火器管制コンソールに座るビスケットしかいない。

 振り返りビスケットがオルガにそう声をかけた。ブルワーズ戦から、オルガら幹部組は戦闘や混乱、その後の後始末でほとんど休めていない状態だった。三日月のようなパイロットや年少組らは半舷ずつ交代で休ませることができているが。

 オルガは各デッキからの報告が入った端末を手に取り、特に急ぎで取りかかるべき問題が無いことを確認しながら、

 

「そうだな。交代で休むか」

「ここの所、ほとんど休めてなかったからね。ブルワーズの一件も、ほとんど片付けが済んだし」

「ビスケットが先に休んでもいいぞ。俺はまだ平気だ」

「俺は、まだこっちで取りかかりたいことがあるから………」

 

 とその時、ブリッジに一人、入ってきた。〝イサリビ〟内で鉄華団の制服を着ていない数少ない人物、休息時間中のカケルだ。

 だが、様子がおかしい。無表情で、台車に一つコンテナボックスを載せて押してきていた。テイワズから託された貨物の一つだ。

 

「どうした、カケル? そいつは………」

 

 だが次の瞬間、カケルはオルガたちが予想だにしない行動を取った。ガシュ! とロックボルトを外して、コンテナの蓋を開け放ったのだ。

 

「な………!?」

「ああっ!! か、カケルさんっ!? それは………ん?」

 

 突然の暴挙に詰め寄ろうとしたオルガ、ビスケットだったが、コンテナの〝中身〟を目の当たりにし、凍り付いたように動きを止めてしまう。

 

「おい。こいつぁ………」

「テイワズからの貨物って、工業用の物資だったはずじゃ………!」

「こいつ………どう見ても銃火器だぞ………!」

 

 コンテナの中身。

 そこには鉄華団でも運用していないような、新型のアサルトライフルが弾倉セットと共に整然と収められていた。

 

「カケル。これは………!」

「今すぐテイワズから託された貨物を確認するべきだと思います。どうも、ヤバい陰謀の片棒を担がされているようにしか見えないんですが………」

 

 そこで合点がいったのか、オルガは冷めたような目でコンテナに収まるアサルトライフルを見下ろした。

 

 

 

「そうそううまい話は転がってないってことかよ………」

 

 

 





次話以降、ドルトコロニー編に突入したいと思います。
鋭意執筆中ですが、齟齬が出ないよう気を付けて書きたいと考えてますので、次話更新につきましては10/25(水)を予定しています。



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