それが私の力となります
その日も今日と同じように雪が降っていました。
周りには立ち並ぶ十字架。その上には時の経過を示すように降り積もる雪。多くの知人が集まり花を手向け、口々に思い出を語り、死を惜しむ。
ベルリン郊外の墓地。
今日、私の両親が埋葬された場所。
第一次世界大戦がようやく終わったが、多額の賠償金にあえぐ今生の母国ドイツ。それでも生き残った者達は手を取り合い、懸命に生きていました。
そんなベルリンで長く続く場末の小さなBAR。父親は生来明るい人柄で、人が喜ぶのを見ることが大好きな人でした。その意味ではBARの仕事も天職だったのでしょう。加えて第一次世界大戦の折りも、志願兵として従軍しながらも生きて帰って来れたのだから、運にも恵まれた人だったのかもしれません。
逆に母親は父親さえ居ればソレで良いという人でした。父親がBARを愛しているから自分も愛す。父親が戦場に向かっても帰ってくる場を守って欲しいという言葉を頼りに、明るく振舞い店を切り盛りする。良い意味で父親を愛し、悪い意味で依存していた存在でした。それでも、家族として十二分に愛してくれたことには感謝しかありません。たとえ父親の息子というカテゴリであったとしても、転生という怪しい経歴と知識を持つ私を息子として愛してくれたのですから。
しかし、父親が急死した時、全ては終わりました。
死因は心不全。夜半の仕事中に胸の痛みを訴えたので、とりあえず朝になったら医者に見て貰おうと話をしていたが、朝にはすでに冷たくなっていました。
その事実を受け止めることができなかった母親は、その夜に後を追いました。
もし自分が普通の十代半ばの人間であればどうだったか。世情もあり絶望していたのだろうか。それとも奮起して新たな人生を歩みだしたのだろうか。ただ流されるまま現実を受け入れたのだろうか。
しかし、自己の認識では数百年におよぶ思い出が、多くの出会いと別れの記憶が、死を司るオーバーロードに仕えた経験が……。
――死は万人に与えられるモノ
という認識を産んでしまったのでしょう。そのため、肉親の死に悲しみを覚えることができず、有るかわからぬ冥福を祈ることしかできませんでした。
そんな時に現れたのが、叔父と名乗る黒服に身を包んだ怪しげな男性でした。
1941年1月1日 ベルリン 冬
朝から降り出した雪は、年の瀬のベルリンを白く染め上げる。世界は一色に染まっていく中、多くの人の祝と祈り、新年がはじまる。
予約されたお客様による忘年会もつつがなく終わり、後片付けに取り掛かっていると、叔父がふらり来店された。柱時計を見ればちょうど年が明けた頃でした。
「いらっしゃいませ。叔父さん。店に来られるとはめずらしいですね」
「ああ、ついこの間来たような気がしていたのだがね」
「ほぼ一年振りですね。カウンターへどうぞ。何か出しますよ」
「そうか。時が経つのは早いものだ」
黒い長髪は濡れた鴉の羽のような艶を持ち、無駄な肉など無く、姿勢の良い長身が着こなす質の良い黒コートとスーツ。その顔は百人に聞けば八十人以上は美しいと答える造形。妖しく輝く黒い瞳は、見るもの惑わす。
それらの美点を打ち砕く、他者を嘲るような微笑と芝居がかった語り口。そんな叔父、カール・クラフトが促されるままにカウンター席に座る。
私は叔父が座るのを確認すると、耐熱グラスをカウンターに置き、手を翳します。すると虚空から温かいワインが溢れ出し、グラスを満たす。
端から見れば、水をワインに変えた聖者の奇跡に匹敵する事象であるが、叔父はそのグラスを当たり前のように受け取ると、香りと味を楽しみ、そして冷えた体を溶かすように少しずつグラスを傾ける。
「去年はたしか軍に捕まってましたっけ? 今年はどうでした」
「収監されていた過去を気にせず、今年の心配かね?」
「叔父さんは詐欺師ではないですか。たとえ収監されてもどうとでもなるでしょ」
普段お客様にはしない口調で話しながら、私はピザ生地を取り出します。
小ぶりの円形に整えたピザ生地にピザソースを塗り、サラミとカットしたオリーブオイル、そしてフレッシュトマトを多めに乗せ、オーブンに放り込みます。
「今は宣伝省に席を置いている。お前も感じているだろうがこの国は長くない。終焉の時まで過ごす仮初の役目を得たに過ぎぬな」
「それでも職は大事ですよ。日々の糧を得るために労働を対価に差し出さなければ」
「その重要と説く労働を伴わず、魔力の消費さえもほとんどない神の奇跡に等しき能力を見せながら説く重要性か。なんとも薄いものではないかな」
そう。この人は、私が転生の記憶を持つこと、加えて記憶された液体を生成する能力のことを知っています。その上でこのような、口喧嘩をしているようなやり取りですが、それこそこの人との距離感を掴む事ができないコミュ障にして、頭が常温で愉快に沸騰している叔父との数少ないコミュニケーション方法なのですからしょうがありません。
オーブンの中を見れば、ピザ生地が膨らみ、フレッシュトマトが熱でその形を変えるところでした。徐々にピザソースとサーモンの焼ける香りがオーブンから漏れ出してきます。
「そういえば、今日ハイドリヒ様とお会いました。この街でも珍しい魔力の気配をお持ちの方と思っておりましたが、叔父さんに会って思い出しましたよ。あの方から漂う魔力の香りの原典は貴方ですね」
「おお、我が友と会ったのか」
「叔父さんに友人なんて居たんですか?」
「もちろんいるぞ。お前は私を何だと思っているのだね」
詐欺師にしてボッチのニートと頭に浮かびますが口には出さず、かわりに焼きあがったばかりのピザをカットしてカウンターに置きます。
「コミュニケーションを取ることができない詐欺師。ただし優秀な魔術師でもあるといったところでしょうか」
「そのような口を利けるのはお前だけだぞ」
叔父が私の秘密を知っている様に、私もある程度ですが叔父の秘密を聞かされています。複数の名を持ち、幾多の時代に介入した魔術師。無限の時を生きるこの世界の怪物。
私の尺度で言えば、アインズ様のような魔神。
もっとも人の身で山の麓から山の大きさを推し量ろうと見上げても、雲の上は見えず真の意味でその巨大さを知ることはできないように、本当の意味で叔父の高みというのは理解することはできていませんが。
どちらにしろ叔父という存在の前に、私など木っ端に等しい存在でしょう。
しかし叔父という存在を知った上で、私という存在を考えれば、どちらが因でどちらが果か理解することができます。無駄なモノ、目的も無いものを生み出すほど神という存在は暇ではない。なぜなら神とは特定の結末を迎えるための舞台装置にすぎないのですから。
「次の飲み物はどうしますか? 都合半世紀以上未来の飲み物でもいいですし、推定異界の飲み物もだせますよ」
「次は任せようか。どのようなものもその存在は既知だが、今という時間軸においては未知である。その積み重ねの先に真の未知を見つけることができるかもしれぬからな」
先程出したのはショートサイズのピザでしたから、グラスを取出すと、ほどよく冷えたエビスプレミアム・モルツを注ぎ渡します。黄金色の液体と、白い雲のような泡の組み合わせ。比率には諸説がありますが、それでも、この色合と音が旨さを感じさせます。
「そういえばハイドリヒ様も似たようなことを言っておられましたね。たしか既知と感じなかったとか」
「獣殿にとって、今の世界線におけるこの店の因果は未知だからな。そう感じるのも当然といえよう」
まあ、そのへんの話は私にはよくわかりません。加えて、ろくな説明もされていない事から知る必要の無い情報なのでしょう。
「ハイドリヒ様は獣殿ですか。確か社交界では黄金の君などと呼ばれていたようですが」
「我が友の本質は愛と闘争。故に黄金の獣と呼ばれるようになるのだよ」
「それは、叔父さんにしては珍しく良いネーミングセンスですね」
黄金の獣。
その呼び名はパンドラズ・アクター様の通称の一つ。そして時々ですがパンドラズ・アクター様はドイツ語を喋ってらっしゃいました。
時系列を考えれば、アインズ様が過去の記録として残っていたハイドリヒ様を参考に、パンドラズ・アクター様を生み出されたのでしょうか。そう考えると、この世界線の先に荒廃した地球があり、企業支配の末に生み出されたディストピアがあるのかもしれません。
「未知であろうと既知であろうと、お客様が楽しんでいただくことが私の喜びですからね」
「お前は、お前自身の望む通りに行動すればそれで良い。その総ては女神に捧げる首飾りを生み出す儀式の一端となるのだから」
女神ですか。
何度も名の出る存在ですが、すくなくともこの時間軸に存在する人ではないのでしょう。はるか未来に生まれる存在なのか。それとも過去の人物なのか。神に見初められた時点で、不幸な存在かもしれませんね。
「本日お越しいただいたハイドリヒ様とその部下の皆様ですが、私と接触して大丈夫なのですか?」
私は暗に、叔父の計画の邪魔にならないかと質問します。どう見てもあの方々はそう遠くない未来に魔法的儀式を行うことでしょう。魔力の充実がそれを物語っておられました。しかし魔術の基本は等価交換。触媒や魔力で支払える範囲なら良いが、それを超える力を持とうとすれば、それ相応のモノを対価として支払うこととなります。
なにより、緻密な準備を必要とするのに、私のような存在がかき回してしまうことによる失敗や悪影響を気にしたからだ。
「なに、もしそれで失敗、別の道を選択することになるなら、それでもよい」
「そうですか。さて、まだお腹は空いてますか? もし空きがあるなら、そうですね良いサーモンがあるので、パスタなんてどうです? 飲みのものは……」
「
「これみよがしに一万マルクは超えるモノ」
「出せないのかね?」
叔父はまるで挑発するように問いかける。いや事実、挑発しているのでしょう。
「出せますよ」
素っ気無く私は答えると、ドイツの至宝とも呼べる貴腐ワインを惜しげもなくワイングラスに注ぎます。
本当にこの能力は経済の敵であり職人の研鑽に対する冒涜ですね。日本円にすれば一本数十万。年代によっては百万を超えるものが一瞬で産みだされるのですから。
ワインを片手に、珍しく上機嫌な叔父。その姿を横目に料理をはじめます。パスタなので、けして時間のかかるものでも、手間のかかるものでもありません。それこそパスタを茹で上げると同時に、スライスしたサーモン、ブラックオリーブ、バジルペーストとゆで汁をフライパンでまぜ、パスタと絡めれば完成です。
「サーモンとオリーブのグリーンパスタです」
叔父はワインを置くと、サーモンと一緒にパスタを一口。そしてオリーブを一口。その仕草は普段の胡散臭い演技など微塵も感じられず、優雅に動く手と唇の動きは、見るものを魅了する貴人の礼法を感じさせます。
普段からの行動と口調、そして表情が、香り立つ程の美貌を損ねていることに、叔父は気がついていない。もっともそれらを止めたら叔父と言えなくなるような気がしなくもありませんが。
「過酷な大海より舞い戻ったサーモンの凝縮された旨味と太陽の光を存分に浴びたブラックオリーブの熟成された苦味。どちらも単体で十分な味を示すが、このワインの格には足りぬな。しかし、二つを合わせ、絶妙な香料でつなぎ合わせたパスタであれば……」
「褒めていただけるのは嬉しいが、叔父さんが単純にパスタ好きなだけでしょ」
「たとえそうであっても、言葉にせねば観客には伝わらぬ。そういうものだぞ」
両親が死んだ時、私はまだ十代半ばでした。その年でこの店を継ぐには早すぎたため、この叔父はほぼ置物ではあったが、この店のオーナー兼後見人となっていました。
好きな時に姿を消し、好きな時に戻ってくる。なにも気が向かず用事も無ければ、日がな一日BARに引きこもる。
その時気が付いたことですが、この叔父はあまりに食というものに頓着しない人間でした。たとえ既知であろうと、経験し繰り返さねば身につかない。そんなことでは話に聞く女神をエスコートさえできないと、マナーにはじまり、食のイロハを叩き込みました。
その結果はさて置き、この人のおかげでこの店を残すことができ、今では私が継ぐこともできたのだ。
「そういえばまだ挨拶をしてませんでしたね」
「何をだね」
私は叔父と同じものを注いだワイングラスを持ちあげる。
「Frohes Neues Jahr」
叔父は無言であったが二つのグラスが触れる静かな音が、ちょうどレコードが止まったBARに広がるのでした。
Frohes Neues Jahr:ドイツ語のあけましておめでとう
何クラフト氏のセリフにある通り、
三つ巴どころか本編時空前の世界線でした。
あと2・3話かな