「もしパンドラズ・アクターが獣殿であったのなら(下)」頒布できそうです。
そんなわけで遅れを取り戻すべく投稿いたします。
やっと核心に近づいてきました。
1940年 12月31日 ベルリン
年の瀬というのは、何度過ごしても不思議な感覚に囚われる。
暦上の区切りにすぎないとはいえ、やり残したことはないか? 何か忘れていないか? 今日の内にやっておかなくて良いのか? と、何かに追い立てられるような気持ちになる。
だからこそ、十二月三十一日はこの日までに仕事を終わらせてしまおう。終わらせて大切な人々とすごそう。そして新しい日を祝おう。そんな小さな望みを叶えたくて慌ただしく過ごす一日なのだ。
たとえ小康状態とはいえ、世界大戦の真っ只中であってもだ。
「ありがとうございました」
静かに降り積もる雪に、街の喧騒が吸い込まれる。
私は雪の降る中お客様をお見送りし、BARの扉に「貸し切り」のプレートを掛ける。本日これからの時間、ご予約をいただいたお客様のための準備時間となります。
ちなみに先程のお客様は、ローストビーフに各種揚げ物などの盛り合わせ、倉庫に保管していた貴重なワイン数本を受け取りにきた常連の方々です。店を開けないが、せっかくの年越しだからと予約を受け付けたところ、結構な数の注文をいただいたので腕によりをかけて準備いたしました。
では、頭を切り替えて本日のご予約の方々の準備に入りましょう。
本日のご予約は八名。
幹事はベアトリス様。名目は職場の忘年会。裏の目的は先日のご相談の件。半分は女性ということで、よく女子会でお集まりになられる方々でしょう。
まずは間仕切り代わりの観賞用植物を移動させた後、テーブル席を並べ直し真新しいテーブルクロスを広げる。ストーブで部屋の温度を高めにして、外からくるお客様をお迎えする準備をすすめる。
聞けば、結構食べる方もいらっしゃるとのこと。ですので料理は、すぐ出せるものも含めて仕込みを行う。なんせ店は一人で切り盛りしており、手が足りない。常連たちならば、一品料理の時間を待ってくれる。しかし、団体様となればそうもいっていられません。
なによりここはBARである。お酒を中心とする以上、接客や料理の比重を調整しなくてはなりません。一通りの下ごしらえと準備が整う頃、来客を知らせるドアの鐘が鳴る。
さあ、はじめましょう。
******
「ほら、ここですよ」
「自信満々にどこに連れて行くかと思えばここか。お前にしては上出来だ」
「げっ。チンピラにも知られてたなんて、ちょっとショックです」
「んだとこらっ。喧嘩売ってんのか」
最初に入ってこられたのは今回の幹事を務めるベアトリス様。そしてエーレンブルグ様。お二人とも軍に籍を置く方とは知っておりましたが、同じ職場だったのですね。
「いらっしゃいませベアトリス様。エーレンブルグ様。軍籍の方と伺っておりましたが、同じ職場だったのですね」
「おう。邪魔するぜバーテンダー。今日も旨い酒をたのむわ」
先程までベアトリス様にガンを飛ばしていらっしゃったエーレンブルグ様は、そんなことは無かったとばかりに片手を軽く上げられる。若干獰猛ともとれる笑みを浮かべながらお声をいただき、コートをお預かりします。
「ごめんなさいバーテンダー。八人で予約してたけど一人欠席がでちゃって、変更大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
「ああ、でも一人欠食児童いるから料理は出してもらっても大丈夫です」
「かしこまりました。進みを見ながら調整させていただきます。お席はこちらになります」
ベアトリス様から欠席のお話を伺い、頭の中で献立の変更を行う。保存の効くものは後回しにして、新鮮なものや下処理済のものを中心に再構成しながら、入店された方々を席にご案内し、お預かりしたコートをハンガーに掛けていく。
ブレンナー様にヴィッテンブルグ様、シュヴェーゲリン様。女性陣は女子会のような感じで時々ご利用いただく、慣れ親しんだ方々でしたか。
そして背は小さく、銀髪に黒皮の眼帯。病的なレベルで中性的ではありますが男性ですね。インキュバス時代のセンサーが反応しませんから……。
「ねえおじさん、なにじろじろ見てんの」
銀髪の方は直接ガンを飛ばしてくるですか。
「いらっしゃいませ。ようこそおいで下さいました」
素早く視線を外し深くお辞儀をする。ここはお酒を飲む場所。大抵の手の早い方、気の早い方はこれで収めていただけます。もちろん気配は読んでおりますので、たとえなにがあっても問題ありません。もっとも今回は、素振りだけだったご様子。まるで投げ捨てるように、コートをこちらに放り投げられました。
周りも止める雰囲気はないので、育ちの悪い一面程度と認識されているのでしょうか。
しかし、そんなことを考えているのも束の間、銀髪の方の後ろから強烈な気配が現れます。
静かに一歩一歩ゆっくりと。
けして焦るような素振りはなく、力あるものの優雅とはかくあるべしという王者の風格。私も再度お迎えのための礼をするために向き直った時、その方の顔をまじまじと見てしまう。その瞬間、過去何百年と培った経験から、素早く居住まいを正し、深く腰を押し礼をする。
「いらっしゃいませ。パンドラズ・アクター様」
そこには、背に届くまで伸びた金髪、慈愛に満ちているが同時に獣性を漂わせる黄金の瞳。精悍な顔つきに、軍人として均整の取れた立ち姿。記憶とは着用されている軍服のデザインこそ違いますが、雰囲気はそのまま、しいて言えば気配がまだ人間の枠内?
しかし、条件反射のように対応してしまいましたが、よくよく考えればこんな場所にいるはずも無い御方であることを思い出します。それらを含めて謝罪をしようとした時、黄金の御仁は先に声をかけられた。
「どうやら卿は私を知っているようだが、あいにく私には覚えがない。また名も違うようだ」
「申し訳ございません。古く、もう会うことも無い御方に似ておられましたので。とんだご無礼をいたしました」
「良い。私に似た古い知り合いというものに興味が無いわけではないが、卿は我らが護るべき臣民である。過度に改まる必要はない。私の名はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。また今日は軍人としての立場ではなく、一人の客として来たのだ」
「はい。かしこまりました」
頭を切り替える。
ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。その名はすぐに立場と紐づく。ゲシュタポの長官ですか……。そして皆様はその部下。なるほどブレンナー様を省けば荒事が得意そうですね。しかし、全員から個人差はありますが濃厚な魔力の香り。元からその香りを宿すシュヴェーゲリン様は別としたとしても、何かしらあるのでしょうか。
「ではこちらにどうぞ」
私はハイドリヒ様を上座にご案内する。そしてベアトリス様に目配せをすると、空気を読んでいただけたのでしょう素早く動かれエレオノーレ様の背を押し、ハイドリヒ様のお隣に押し込む。もともと、このために場を設定されたということですので。
上座が決まれば自然と席はきまるもの。女性陣は並んで席につき、シュヴェーゲリン様のお隣はエーレンブルグ様ですか。銀髪の方はいつのまにかハイドリヒ様のお隣ですか。
「最初の一杯はベアトリス様よりご注文いただいたイェヴァー・ピルスナーにございます。ドイツ北部、フリースラント地方の街イェヴァーで醸造されたものにございます」
定番のイェヴァー・ピルスナーをついでまわり、全員にビールが行き渡ると、ベアトリス様が席を立ち司会をはじめる。
「不肖ベアトリス。今回の幹事を拝命いたしました。まずはじめに我らがハガルの君に一言と乾杯の音頭を頂きたいと思います。ハイドリヒ卿お願いします」
促されたハイドリヒ様は、ごく自然に立ち上がると社交的な笑みを浮かべながら挨拶を綴る。
「准尉には正直驚かされたよ。私は卿らの全てを把握している。すくなくとも今もそう思っている。しかしこのような場では、また違う顔が見えるというのだ。ならばこのひとときは無礼講。故に私を楽しませよ。乾杯」
「「「乾杯」」」
みなさんが勢いよくグラスを掲げる。
しかし、その表情は若干引きつっておりますね。まあ上司がいきなり無礼講にするから俺を楽しませろと言えば、顔も引きつりましょう。それにハイドリヒ様の笑顔は、あえて表現するなら肉食獣が餌を見つけた時のような代物。本気の片鱗が伺えます。
そんな状況であってもお酒を楽しく飲めるのがBARと自負しております。微力ではございますが、対応させていただきましょう。
はじめに用意していた料理を素早くお配りします。
アイスバイン、ほぐした鳥のササミを使ったサラダ、カットフルーツの盛り合わせ、ほうれん草とベーコンのキッシュ、食べやすいサイズにカットした大麦の黒パンにオリーブオイル。
つぎに、辛味の強いもの、香りの強いもの、そしてプレーンの三種のソーセージを火に、筋切りし下味を付けた鳥のムネ肉を油に通します。店内には香ばしい香りがいっきに漂い、よりビールの味を引き立てることでしょう。そして素早く皿に盛りお出しする。
ここまでで数分。
皆様も、一気に料理が並ぶ様に驚いていただけたようです。
さて、場を和ませるのもバーテンダーの務め。まずベアトリス様を見るといつもの様に、最初の一杯は一気飲みされているようです。そこでカウンターに入りベアトリス様にお声を掛けます。
「ベアトリス様。グラスが空いているようなので、一杯お任せいただいても?」
「えっ? あっおねがいします」
「では」
バーテンダーがシェイカーを振る事は、パフォーマンスのようなもの。リズミカルな音、に振る姿。まるで魔法のように生み出される新しい味。それらを美味しいお酒の前座としてお客様に楽しんでいただくのだ。
シェイカーをカウンターの前に蓋を開けて置きます。ベアトリス様をはじめ普段から来店される方々の顔をみれば、いつも通りにシェイカーを振る姿を想像されているのだろうことは簡単に読み取れます。
ですが、今日ばかりは意表を突かせていただきましょう。
私はアスバッハ・ブランデーの瓶を振り返りもせず後ろ手で掴むと手首のスナップだけで背中越しに投げ上げる。瓶は軽く回転しながら、私の頭上を飛び越え、体の前においた左手の元に。そしてキャッチすると、そのままジャグリングの要領で再度空中に浮かすを繰り返します。
最初はアスバッハ。続いてアップル・ブランデー。スウィート・ベルモット。最後にアンゴスチュラ・ビターズ。
四本の瓶が宙を舞う頃、今度は右手で空中に浮く瓶を一本抜いては、シェイカーに注ぎ元の位置に戻します。もともとカクテル用で置いているので、逆さにすれば中身が出てくるキャップを付けているという小技を使っています。
「すごい。空中を舞う瓶がどんどん器に注がれてる」
「てかバーテンダーのやつ、後ろ見てないよな」
注ぎ終われば軽くシェイクしカクテルグラスへ。このあたりは無駄な演出を必要としません。ただただ正確に、無駄を省いて手を動かすことこそ、気が付けばカクテルが出来ているように見える秘訣です。
そこには、薄いブラウンの輝く宝石が一つ。
「どうぞ。ジャージー・ライトニングです」
「バーテンダーにこんな技あったんだ」
ベアトリス様は嬉しそうにカクテルを受け取られます。皆様の表情を確認すれば、パフォーマンスのかいあり先程までの硬い雰囲気はなくなったようです。
「バーテンダー。何時ものをロックで」
「かしこまりました。エーレンブルグ様」
そういうと。今度はラベルの無い瓶を普通に取り出し、氷をアイスピックでカット。グラスに山崎の30年モノを注ぎ、お渡しします。
「あいつにはサービスして、俺にはそのまま渡すってか」
エーレンブルグ様は、若干つまらなそうに受け取られる。私はそのお言葉に笑みを浮かべながら、定型句のように切り替えさせていただく。
「せっかくのウィスキーが泡立ってよろしければ、振り回しますが」
「じゃあ、しゃあねえか」
エーレンブルグ様は、一定以上飲むと手酌派になりますのでボトルはそのまま横におかせていただきます。
とはいえ、空気を凍らせた本人は悠然とビールを片手に、緩やかに流れるレコードに耳を傾けている。そこで、もう一手間。
取り出したのは鴨の熟成ジビエをスライスしマリネ液に一晩漬け、オーブンで熱したもの。それを軽くフライパンで焼き目を付けたもの。そして肉汁の染み出したマリネ液に赤ワインとオレンジ一個分の果汁を加えたソース。
私は一皿目をハイドリヒ様とヴィッテンブルグ様の間に置く。
「
「そうですね。鴨の焼ける香りがジビエ特有の熟成香と合わさり食欲を掻き立て、ワインのソースを程よく吸った柔らかい肉は舌を楽しませ……と、申し訳ございません!」
「良い。鴨が好みと知っていたが、なるほど確かに。普段から生真面目で必要以上は口を開かぬ卿が長舌になるとはな。せっかくだ一ついただこうか」
「はっはい! どうぞ」
どうやら上手くいったようですね。
と、私がカウンターに戻り他の方々のお酒などを準備していると
「大尉。お皿ごと渡そうとしてどうするんですか。せめてナイフをつかってください」
「あっ。ああ、そうだな」
見かねたベアトリス様はフォークを一本取りヴィッテンブルグ様にお渡しする。しかしヴィッテンブルグ様は顔を赤くしながら何を思われたのか、フォークで一切れ刺すと、そのままハイドリヒ様の口元に持っていくのだった。
まあ、恋人や家族がやるならわかりますが。ヴィッテンブルグ様は本当にテンパってしまっているのでしょう、自分の行為がどう見えているのか全く気がついていないご様子。
まわりの様子といいますと……。
ブレンナー様はニコニコしながら、何も言わずに見ておられますね。
シュヴェーゲリン様もニコニコというかニヤニヤしておりますが、背景に「まだ笑うな、まだ笑うんじゃない」という吹き出しと顔が新世界の神の顔に変わってますね。
銀髪で背の小さい方は、ああソーセージを気に入っていただけましたか。はい。ほかの種類もありますがいかがですか? どうせならいろいろ食わせろと。わかりました。少々お待ち下さい。焼く、蒸す、煮る。いろいろお出ししますね。
そしてもっとも派手なリアクションをしそうなエーレンブルグ様は、ああベアトリス様に後ろから羽交い締めにされ、口も塞がれてますね。なかなか楽しいワンシーンですので、もうちょっと楽しみたいという気持ちはわかります。あとでどうなっても関係ございませんよ。
さて、そんな状況に全く気が付く素振りを見せない、初心な乙女のヴィッテンブルグ様。それに対してハイドリヒ様はというと。
「ふむ。たしかに美味いな。この店主の腕が良いのか、それとも卿が手ずから食べさせてくれたからかな」
「えっ、あっ……申し訳ありません」
「なに。私は無礼講と言ったのだ。何の問題もありはしない。なにより私は全てを愛している。ゆえに卿の行動もまた愛おしい」
「は……はい」
幸せそうに真っ赤になりながらどんどん小さくなるヴィッテンブルグ様を他所に、正面突破し美味しそうに鴨を食べるハイドリヒ様。
それにしても本当にパンドラズ・アクター様に似てますね。なんというかCV諏訪部はご褒美という謎の単語が見えますが。
「恥ずかしげもなく、こんな事できるなら。そりゃ~女は駄菓子でしょうよ」
「ほんっとレベル高いわね。嫌味な程に」
開放されたエーレンブルグ様とシュヴェーゲリン様が、ゲラゲラ笑いながら感想を漏らされます。その点については私も同意させていただきます。
そしてやっと状況を飲み込めたヴィッテンブルグ様は、羞耻心から立ち上がろうとしますが、ブレンナー様がニコニコしながら抱きしめられてしまいます。
「はなせ! ブレンナー」
「せっかくの場なんだから、暴れちゃだめよ」
「あそこの二人をたたっ斬らねば、私は!」
「だ~め。ハイドリヒ卿も無礼講っていってらっしゃるんだから」
「しかし」
気が付けば、開幕当初の緊張感は完全に無くなったようだ。
私はバーテンダーとしての責務を果たすため、お酒と料理を携え、皆様の所を回りはじめるのでした。
はい。ヴィッテンブルグ様はサーモンのソテーをご注文ですね。飲み物は黒ビールのシュバルツですか。かしこまりました。
******
先程までの熱気とは裏腹に、宴の後というのは洗い物や掃除など泥臭い日常というものが残るもの。もう夜も遅いため、客も来ないだろうと思いつつ、ゆっくりと片付けを進めます。
帰り際、ハイドリヒ様はおっしゃったこと。
「ほんの一時ではあるが、既知感に苛まれない時間を楽しむことができた。礼を言う。もっとも真に未知であったのか、日常に既知感が埋もれただけなのかはわからぬがね」
「もし本当に既知であったのならば、また楽しむことができた。未知であったなら良い出会いであった。そう考えてはいかがでしょう」
「面白い解釈だ。私と間違えた古い知り合いとやらも気になるからな。また寄らせてもらおうか」
「またのお越しをお待ちしております」
既知感ですか。そういえば、パンドラズ・アクター様も同じようなことをおっしゃっておられましたね。ただアインズ様曰く、あれは中二病の至りだとのこと。
実際の世の中わかりません。
私のように転生による既知感を持つものもいるのですから、人生そのものを既知感に苛まれている人がいるかもしれません。
そんな事をつらつらと考えながら皿を洗っていくと、カランカランと店の扉が開く鐘の音が鳴り響きました。
私は顔を出入り口に向けるとそこには影法師のような男性が一人立っておられました。
必ずそこに存在する。視覚ではそう捉えていますが、その存在感が大きすぎる故か、まるでそこに人がいないように感じられる存在。こんな人物は、少なくともこの世界では一人しか知りません。
「いらっしゃいませ。