1940年 ドイツ
第一次大戦の負債に苦しみながらも持ち前の勤勉さで、ドイツは成長を続けていた。しかし時代はブロック経済が主流となり、植民地を持たない国家の多くはその成長に大きな足かせを掛けられていた。
挫折する国。百年の計のため伏せる国。そしてあらがう国。
歴史を俯瞰して見ることができれば、愚かな選択と言わざるを得ない蛮行。だが当事者達にとっては不満の発露であり、まさしく闘争という原罪を拭えぬ人類の象徴だったのかもしれない。
さて、戦火はまだ遠く、史実通りに進めば数年後には戦場となるこの地「ベルリン」。メインストリートから一本入った場所に一軒の小さなBARがある。一階は店舗、二階は住居、地下には保管庫といったさして珍しくもない作り。
しかし古びた扉を押し開ければ、そこは外界と切り離された落ち着いた空間が広がっていた。
マホガニーと思われる年季の入ったカウンターに、四人掛けのテーブルが二セット。奥には小さなピアノと大きな壁掛けの時計が一つ。目を引くのは空間を仕切る様に置かれた数多くの鑑賞樹と、窓際に所狭しと置かれたハーブのプランター。石と鉄に覆われた市街では、公園などの一部を省くとこれほど緑を身近に感じる空間は少ないだろう。
そんな店を一人のバーテンダーが切り盛りしていた。年齢は三十代。職業柄か落ち着いた物腰のため老齢の印象を受ける。そして料理の腕は一流。ここで出される酒とつまみは他のどこよりも旨いと評判だ。しかし、店が狭いことから常連は口をつぐみ、いわゆる知られざる名店として静かに存在している。
そんな店に一人、新しい客が訪れた。
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「いらっしゃいませ」
カランカランとドアに取り付けた小さな鐘が鳴る。
私は先程までいた常連達の後片付けを一端止め、顔を出入り口に向ける。そこには白い男性が立っていた。
「お一人様ですか? でしたらカウンターにどうぞ」
別に白髪……いや薄い銀髪? の男というのは珍しくはない。それに服装も含めて白一色ということもない。黒い軍服に白髪、赤い瞳、しかしその雰囲気が白を感じさせた。
白い男性は促されるままカウンターの席にドカっと座ると、若干不機嫌そうに声をあげる。
「なんでもいい。酒と腹にたまるものをよこしな」
私は軽くお客様を観察する。ある程度細身ではあるが、しっかりした体をお持ちのようだ。血色も悪くない。ということは、それなりに体を酷使する部署なのだろう。
そこで私はまずよく冷えた黒ビールをジョッキに注ぐ。もっともこれは私の能力で生み出すため、注ぐ瞬間を人に見られるのは不味い。一度厨房に入りジョッキを取出すのと同時に注いでしまう。
そしてジョッキをカウンターに置く。
「お客様。こんな時間ではございますが、肉でよろしいでしょうか? それとも別のものにしましょうか」
「肉でいいぜ」
「かしこまりました。先日良い鴨のジビエが手に入りましたので、少々お待ちください」
そう言うと厨房から鴨のジビエを持ってくる。先週末に仕留めて六日、熟成が進んだものを引っ張り出したばかりのものだ。そのモモ肉の部分を少し厚めにスライスし、オイルを引いたフライパンに落とす。片面に軽く焼き目がつく頃、店内には独特の香りが広がる。
もちろん火を通したジビエはそれだけでも十二分に美味しいツマミとなるが、その上から黒胡椒と自家製のハーブを軽く振り皿に盛る。
続いてジビエの油を吸ったオリーブオイルに、えのきをはじめとした数種のスライスしたきのこを放り込む。きのこはすぐにオイルを吸い取り、黄金色に変わる。そして十分に熱が通れば完成である。
「ジビエとキノコのソテーにございます」
白い男性は若干驚いたように料理を見ている。実際片手には三分の一程飲まれたジョッキ。時間にして数分で、まるでコースの肉料理で出てくるようなものが出てきたのだ。
男性はフォークを取り、ジビエを一切れ口に運ぶ。火を通しオリーブオイルをからめたジビエは、ひと噛みするごとに肉本来の味が口の中に広がる。そして黒胡椒は舌の上で踊りアクセントとなり、ハーブはくどくなりがちの後味を消しスッキリと喉を通っていく。
添えられたきのこのソテーも悪くない。口の中に変化を与えてくれる。
なにより最初に出されたビールも思えばえらく上等な味をしていたことに気がつく。まず冷えたビール自体が珍しい。そのへんの酒場で出されるのは大抵温いままだ。裏に河があるような立地なら、引き込み冷やすなんて裏技じみたことをしている店もあるが、冷えたビールを出そうとすると、まだまだ普及途上の冷蔵庫を持っている高級店しか無い。
「バーテンダー。えらくいい肉と酒じゃねえか」
「お褒めに預かり光栄です。しかし、お客様に喜んでいただけるよう基本に則って商いをさせていただいているだけでございます」
「はっ、じゃあ他の店が手ぇ抜いてるってことになっちまうなぁ」
お客様は、にやりと笑いながらそう言うとビールを飲み干す。そしてジビエやきのこを口に運ぶ。
私はメニューを手に取り質問をする。
「次のお飲み物はいかがですか、よろしければメニューをどうぞ」
「メニューはいらねえよ。ウィスキーのいいのをロックで。この店ならどの酒を頼んでも旨いんだろ」
「かしこまりました。ではとっておきの一品をお出しさせていただきます」
よく磨いたグラスを一つ。そして大ぶりの氷を取り出し、手早くアイスピックで球体にカット。そしてグラスに放り込むと、カウンターの背に所狭しと並べられたボトルからラベルの無いものを取り出し、黄金の液体を注ぐ。
氷はカラカラと回り、グラスの中で万華鏡のように輝く。
お客様は、受け取ったグラスをゆっくりと傾け、香りと味をゆっくりと楽しみ飲み干す。その仕草は夜に慣れた男の色気を感じさせるには十分なものであった。
なにより香りを楽しむ余裕があるのだ。
旨い料理と酒を出したとき、お客様の反応は大きく二パターンに別れるもの。一つは、ただ無心に食を楽しむ人。もう一つは……。
「お客様は良い夜を重ねてらっしゃったんですね」
私は片付けに取り掛かりながら、お客様の仕草を見てこんな風に表現をしてみた。その評価に驚いたのか、それともよほどツボに入ったのか声を上げて豪快に笑う。
「カカカッ。そんな風に言われたのは初めてだ。なに、夜ってもんにはちょいと拘りがあってな、なかなか嬉しい事を言ってくれる」
そういうとお客様はウィスキーを飲み干しグラスをカウンターに置くと、静かに立ち上がる。気が付けば開いたグラスの横に飲み代には十分な額の紙幣がおかれていた。
「足りなけりゃ言ってくれ。残りはチップだ取っときな」
私は深く一礼すると、皿やグラスを下げる。だがお客様はドアノブに手を掛けた時、ふと思いついたように振り返る。
「さっきのウィスキー。どんな銘柄なんだ?」
あれは私の能力で生み出した二〇〇〇年代の日本、山崎の二十五年ものだ。というより、この店でラベルの無いボトルの中身は、大抵そんな感じでとても名前を言えないものばかり。
そこで決まって言う言葉はこれである。
「申し訳ございません、自家製のブレンドにございます」
「そっか。じゃあ、またここに飲みに来るしかねえな」
「はい。またのお越しをお待ちしております」
「ああ、俺はエーレンブルグとでも覚えくれ。また来る」
エーレンブルグ様はそう言うと夜の町へと帰っていくのでした。
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拝啓 アインズ様
届かぬ手紙をこのように書くのは不毛かと思われるかもしれませんが、縁とはわからぬもの。2130年頃でしたでしょうか? その頃の日本にこの手紙が届くかもしれません。それこそ何らかの方法でアインズ様の手に届くかもしれません。
それは素敵なことか、残酷なことか不明ではありますが筆を取らせていただきます。
今は1940年、ドイツのベルリン。
世界の列強がブロック経済を推進する中、輸出入が大きく制限された今生の祖国であるドイツは着実に経済的疲弊。それに反発するように民衆の声は次第に過激になり、戦争の火蓋が切っておとされました。
2000年代の日本で70年近く。さらに魔導国で数百年。すでに記憶は風化していますが、たぶんこれは第二次世界大戦の幕開けなのでしょう。
とはいえ、安全のためという理由でこの地を離れる気にはなれません。
今は亡き今生の親から継いだ小さなBARがあります。気持ちの良い隣人やお客様がいます。たとえ、ここが戦火に飲まれようとも、食を楽しみたい、楽しませたいという気持ちは変わりません。
もっとも、二度の転生経験からか死に対する恐怖が無いのも理由かもしれません。
色即是空空即是色
ではありませんが、今ある生で精一杯、楽しみ楽しませたいと思います。
あと何点かお伝えしたいことがございます。
一つ目はアインズ・ウール・ゴウンにお仕えしていた当時の能力を引き継いでいることです。特に例の液体を作る能力は、2000年代のみならず、魔導国絶頂期の酒類やスープ、出汁まで再現することができました。くわえれば前と同じようにレシピなど料理関係の知識だけは消えずに残っております。
二つ目はユリとの結婚式の時、長年の貢献という名目で結婚指輪代わりに下賜されたリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが気が付いたら手元にあったことです。具体的には、子供の頃、気が付けばこの手にありました。
この二つが私が
まさしく世の中不思議なことだらけです。
それと、本日ですが懐かしい気配を感じました。
血と闇の香り。
真祖のヴァンパイアであるシャルティア様ほどではないが、常連のヴァンパイアに似た気配。本人は知ってか知らずなのかわかりませんが、すでに人外に一歩踏み込んでいるような気配でした。
この世界にも魔法や人外が存在するのでしょうか?
この液体(主に酒など)を生成する能力も、分類すれば魔法でしょうから、案外ヴァンパイアも存在するのかもしれませんね。
さて、長くなってしまいましたが、また機会がありましたら筆を取らせていただきます。
バーテンダー
かしこ