「よぉーーーーそろぉーーーー!!!」
よーそろぉー……よーそろー……よーそろ……。
水平線にこだまする私の声に、傍にいた部下が身を竦ませて顔を伏せた。
「むふんっ」
腰に手を当て、息を吐く。
現在私は船の上。
左腰に差した刀に手を添えご満悦。
お仕事でもないし巡航でもないけれど、海に出たのには理由がある。
それは今朝の話。
「少将殿、科学部からお届け物です」
「ありがとーミサゴさん。何かな何かなー」
「刀のようでありますが……」
朝も早くから書類に埋もれて苦痛の呻きを噛み殺していれば、ミサゴさんが棒状の布袋に包まれた物を持って来た。
「おお! 作ってくれたんだ!」
がばっと立ち上がり、けれどそこまで。
今すぐ駆け寄って頼んでいた得物をためつすがめつ眺め回したいところだけど、今は書類仕事中。
これをやっつけてから存分に堪能するとしよう。
「という訳で、それはそこに立てかけておいて。お昼までにこれ終わらせちゃいましょー」
「はっ。え、お昼までにですか!?」
きびきびした動きで言った通り扉脇に袋を立てかけてくれたミサゴさんは、長い髪の毛を跳ねさせて顔を上げた。
うむ。お昼までです。
山ほど積まれている書類をぜーんぶやっつけるのです。
「いえ、そ、それはさすがに……」
「やってやれない事はないんです。"
「ひぃっ」
軽く机を叩いてサカズキさんの真似っこ(いやサカズキさんはそんな事言ってないけど)すれば、大袈裟に驚くミサゴさん。あー、まだ私に苦手意識抱いてるみたい。
こればっかりは自業自得なので、あんまり彼女の心に負担をかけてしまわないようゆっくりとした動作を心がけなくちゃ。
……うずうずして落ち着かない。
早く試し切りがしたいよー!!
……と、そんなこんなでお昼過ぎにはお仕事に一段落付けて、食べるものも食べず船の上。
お腹が空いて仕方ない。何か果物でも貰いに行こうっと。
さっと正義のコートを翻し、近くの部下に声をかける。
「んー、私は船内に引っ込んでるから、海賊見つけたら教えてね」
「はっ! 必ずっ!!」
敬礼し、声を張り上げて今の指示を周りに伝えたその人は、その場で望遠鏡を取り出して海を眺め出した。
ミサゴさんではない。今日は彼女はお留守番。
分けた仕事が終わらないから残るって。それはまあ、いいけれど……今まで私が出した船には彼女もずっと一緒に乗ってたって言葉に思い当たる節がなくて困った。
冷血とか失礼な二つ名つけられてた時は海賊ばっかり見てたから、補佐してくれてたミサゴさんのこと眼中になかったみたいで、一緒に船にいた記憶がない。
駄目な上司だよね、とほほだよ。これじゃあ仲良くなるのも難しい。
一度お食事に誘ってみたけど、命令されたからついて行くって感じで、食べてる間中ずーっと緊張してたみたいだったから、道のりは厳しい。
船内で食事を摂り、自室に引っ込んで本読んだり発声練習したりてきとうに踊ったり刀を眺めてにやついたりしながら時間を潰していれば、あっという間に一日経ち、二日経ち……。
海賊には出会えないまま時間が過ぎる。
一度船を見つけたらしい部下が私を呼びに来たけど、どっこいその船に乗っていたのは賞金首ではなく賞金稼ぎ。
勘違いした部下はそれはもう縮こまってぶるぶる震えていて、ありゃまあって感じだった。
私、怖がられてるの知ってるからちゃんと明るく接して冷血なイメージを
むー、なんでかなあ。
◇
「みんな緊張しっぱなしだなあ。肩の力抜いて、私語ありで仕事しても目くじら立てたりしないのに」
……やっぱりみんな、こんな子供にビビりすぎじゃない?
ナメられるよりはマシなのかなあ。
「うーみうーみ、ゆーらゆーら、お魚が~」
今日はー海がー荒れてるぞー。いつもは青色の綺麗な海は、今日は灰色。
空も少し曇っていて、一雨きそうな気配。
甲板にて歌いながら海賊船を探していれば、おおっとそれらしき影が三連星。
やたらでっかい船と小さい船が進路を変えようとしている。
「しょ、少将殿っ! 海賊旗が見えます! 海賊船ですっ!!」
「見ればわかるよー」
「ッッ!! しぃっ、失礼しましたあ!!」
「……いいよーもう」
あーもう。あーもう。
そんな怖がってちゃ体もたないぞ、まったく。
「じゃ、ちょっと行ってくるから、速度を保って進んでて」
近くの部下に指示を出し、床を蹴って空へ跳ぶ。
返事を聞く間もなく
恐縮しきった声なんか聞きたくないよ。
私は人を笑顔にさせる歌を歌うのが好きなのに、どうして周りの人は笑ってくれないのかなー。
サカズキさんみたいにむっつりした顔になって、一番大きな海賊船へと下り立つ。
にわかに騒ぎ出す乗組員達は、薄汚れたツナギを着ていて統一感があった。
「な、なんだテメェ! 今どうやってここに来た!?」
「お、おおかしっ、
……ふむ、どうやら私を知っているみたい。
私を見た海賊の反応は大きく二つにわかれる。
子供だと侮って、空を飛んできた不可思議を見て見ぬふりして襲い掛かってくるやつ。
私が会う海賊一人として逃さず殺すのを知っていて、それでも挑んでくるやつ。
こいつらは後者かなー。
集まってきた海賊どもは恐れを露わにして私を遠巻きに囲みだした。
けれど、抜剣しないのはなんでだろう。銃を向けてくる者もいない。
恐れをなしているのだろうか。だとしても私のやる事は変わらない。
「へいへいっ、何用でいっ!」
刀の柄に手をかけたところで、ドタドタと足音を響かせ、数人の男を引き連れた小さな男がやって来た。
……うん、小さい。私より小さい。チビ。
船員達とは色違いの、落ち着いた色合いのツナギを着ていて、着ているというより着られているというのが正しいように見える。
「うおっ
何やら揉み手をしながら近づいてくる頭領らしき男を前に、しゅらっと刀を抜く。
薄い光に照らされても反射しないその刀は、前々からベガパンクさんに頼んでいた海楼石製の武器。
海楼石は加工が難しいし、結構貴重なものだ。融通して貰うまでには時間がかかったけれど、こうして手に入れたからにはその威力、試してみたくなるよね。
「一刀流……」
枝振り回して覚えた技も、ついでに試すのだ。
「え!? ちょっ、おい! なんで剣抜いて――」
「"大震撼"!!」
灰白色の刀を大上段から振り下ろし、問答無用で海賊を斬る。
手の内で一回転させた得物を納刀する際に肌に響いた「チンッ」て音は、痺れるくらいに格好良い。
「ぎゃあああ!! 斬られた! ちくしょうっ!!」
「うわああ! お頭ァ! なんで!?」
やや屈んでいた体勢から戻りながら振り返れば、額を押さえて転がり回る海賊の頭領がいる。
なんでと聞かれても、お前らが海賊だからとしか答えようがない。
降伏勧告はしない。どんな海賊かも関係ない。海賊なら殺す。それだけの話。
「あっ、あっ……い、痛ぇ……あれ? でも、き、斬られてねぇ……!?」
うむ。まあ、そうなのだ。
海楼石で作られたこの刀に刃はない。棒をそれっぽい形に整えただけみたいなのだ。
それでも私の望みは叶えられてるし、格好良いのでオールオッケー。
斬れなくたって斬る方法はいくらでもある。たとえば飛ぶ斬撃とかね。
「まひゃ、待っへくえ! ちあ、違う! 海賊じゃない!!」
もう一回斬りつけようと歩み寄れば、額の打ち傷を押さえながらこちらに手を突き出した頭領が必死に弁解してきた。
うん? でも海賊旗掲げてるよね? 見間違い?
振り返ってマストの上を見れば、風にはためくジョリーロジャー。なんだ、やっぱり海賊じゃん。
しかし、目の前で振り返るっていう大きな隙を見せても攻撃してこないなんてどういうつもりだろう。
「いや違うんだ! お、俺たちは賞金稼ぎでっあ、ああれは仲間が勝手に!」
「そ、そうだ! 俺だ! 俺がやった!」
「こ、こいつが討ち取った海賊の旗を面白半分で掲げちまったみたいで……」
………………。
人垣から歩み出て来た男が頭領の隣にまで来ると膝をつき、二人揃って頭を下げる。
「海賊旗が見えたなら海軍に攻撃されるのは仕方ねぇ。だが誤解なんだ……!」
黙って話を聞いていれば、頭領は自分達がどこ出身で、なんで賞金稼ぎをやっているのかを話し始めた。
「ふんふん……なるほどー」
聞く事十数分。
どうやらこの人達は本当に賞金稼ぎみたいで、つまりは私の勘違い。
他の船もよく見れば海賊旗ではなく洗濯物やら何やらを干しているだけ。
「これは参った……海賊と間違えて攻撃しちゃうなんて、どうお詫びして良いか……」
「いやいや、命があっただけ儲けもんだ、それほど馬鹿なことをしてたんだ俺たちは」
後ろ頭を押さえつつ謝罪すれば、快く受け入れてくれた。
しかし心苦しい。何かお詫びができれば良いのだけど……。
「それならあそこの島で酒でも奢ってくださいや。それで水に流しましょう」
「あらー、そんなのでいいのですか?」
笑顔全開で頷く人達に、弱りながらもいったん軍艦に戻って部下達に事情を話す。
またまた勘違いだったとわかった報告がかりは顔面蒼白。彼はもう休ませてあげた方がよさそう。
そんな感じで指示を出し、彼らの船へ舞い戻る。
彼らの航海にしばしつきあい、近場の島に乗り付けた。
「どうです、良いところでしょう」
「ええ、そうですね。ここに住んでいるのですか?」
初めて来る島だけど、中々活気があって良いな。
人の営みが見えて、でもそれはうちとはちょっと違うから物珍しい気分。
「ええ、まあ。我々三人、仲良く賞金稼ぎをやらせてもらってます」
小さい頭領さんの後ろには、ずんぐりとしたスキンヘッドにサングラスの男の人と、茶髪にグラマーな体系の女の人がついていた。どちらも笑顔でうんうん頷いている。
……その後ろにいる背の低いおじいちゃんはなんなんだろう。相談役?
潮の香り溢れる町の酒場につけば、カウンター席に案内された。
横五席を占領して、談笑する。私は一番左端。
酒場に来たのが四人だけなのは、彼らの心遣いみたい。あんまり人数多いと逆に悪いからって。
「はい、お嬢さんにはミルクね」
「どうも」
マスターさんは不愛想そうでいて愛想の良い人。頂いたミルクを覗き込めば、ほんのり牧場の匂いがした。
それはまあ、気のせいだろうけど、風情を感じるってそういうものだと思うんだ。
さて、懐にはやや余裕があるから、いくらでも飲んでもらって結構。そう伝えると、みんな大はしゃぎ。大人ってお酒が好きだなー。サカズキさんもよく一杯やってるよね。時々肴を作らせてもらってる。サーモンのお刺身がお気に入りみたい。喜んでもらえるの嬉しいから、いっぱい作っちゃう。それでこんなには食えんって怒られて、一緒に食べる事になるのだ。それも楽しかったり……なんて。えへへ。
そんな感じで大いに油断していた私は、ミルクを舐めるようにちょびちょびと飲みつつ、考え事なんかしたりして。
周りの人が不穏な空気を発しているのに気づいた時には、もう攻撃をしかけられていた。
「っしゃオラァ!」
ふっと影が下りたかと思えば、いきなりカウンターに叩きつけられて、そのまま床までバリバリ机を割って倒れ込む。
ぶつけたグラスが割れて牛乳が顔にかかっちゃったし、擦ったほっぺやらは痛いしなんか煙たいしで最悪。
「はぁ……もうちょっとスマートに暴れてくれ」
「ハーッハッハ! 准将"冷血"討ち取ったァ!!」
上から降ってくる馬鹿笑いに、痛む体を押して身を起こし、女の子座りになってお隣さんを見上げれば、小さかったはずの船長さんが天井まで届く大男に変身していた。
「うわあ、おっきい……」
「当然よ! 俺はデカデカの実を食った巨大人間! 自分でも触れたものでもなんでもデカく……おわあっ!?」
「ちょっとちょっと、なんで生きてるのよ!?」
「タイラントの拳に押し潰されたはずだぞ!?」
「それが……む、無傷だと……!」
いや、無傷ではないよ。不意打たれたから擦り傷作っちゃったし、殴られた頭は痛いもん。
ああ、タイラント……タイラント、ね。たしか、ここら辺に出没する海賊リストにあったような。
「んー、あー。ああ、懸賞金5000万ベリーくらいの……"巨人"タイラントね」
「5000万じゃねぇ6600万だ! 巨人のタイラント・ディベア様とは俺の事よ!!」
「5000も6000も一緒だよ。もー、気分最悪」
立ち上がれば、パラパラと木屑が落ちる。制服汚れちゃった。洗うの大変なのに。
しゅるしゅると少し体を小さくしたタイラントが飛び退いて距離をとれば、それぞれの顔を改めて確認する事ができた。
……ずんぐりさん、いつの間にかでっかいナイフとフォークを十字に背負ってる。なあにそれ。
ああいや、特徴的な立ち姿は手配書見て覚えてる。
「懸賞金……5000万前後の」
「6000万だこのガキ! "食べ放題"トーイ・クッバだ覚えとけ、海軍本部准将、"冷血"ミューズ!!」
「冷血……その呼び名好きじゃないんだよなあ……それに准将じゃないし」
「准将ではない? どういう事……?」
独り言のつもりで呟けば、耳が良いのか紅一点が私の声を拾った。
茶髪で癖っ毛の彼女は……そのライダースーツ姿……ううん、見た事あるような気がするけど、さすがに覚えてない。もっぱら手配書見るのは麦わらが目当てだからねー。それ以外はあんまり。誰だろうと殺せば一緒だし。
「……私のことなど知らないって顔ね、屈辱だわ。5500万、"
「5000万越え三人揃いなんてビビっちまうだろう? だが間違えないでくれよ。俺達はそれぞれが船長だ」
名前を覚える気が無いので名乗られても困る。
それに、億以下の海賊が集まってようとビビる要素はない。
それぞれが船長ってのは……誰かが誰かの傘下ではないって意味か。同盟でも組んでんのかな。どうでもいい話だけど。
そっちのおじいちゃんはなんなんだろう。じーっと私を見てる。
「っしゃ、テメェら行くぞ!」
「ガッテン!」
「いつも通りに潰すわよ」
賞金稼ぎというのが嘘でも仲良しなのは本当なのか、三人並んだ彼ら彼女らは私を前にしてハイタッチし合った。
ふざけてるのかと思ったけれど、見る見るうちにずんぐり……トーイと、女性……ディレイも巨人みたいに大きくなって、天井を持ち上げて曇り空を覗かせるのに納得する。
触れたものもでかくする、って言ってたか。面白い能力だ。私にも触れてくんないかな、胸あたり。
「こうなっちまえばこっちのもんだ! 叩き潰してやるよ、チビ!」
三人がお店を壊してしまったから、マスターさんが凄い微妙な顔をしている。それと、店内で談笑してた人達も大慌てで外へと逃げだしていってしまった。
「よそ見してんじゃねえ! 見ろ! 巨人族のごとき拳を!!」
「はっ!」
「潰れなさい!!」
風を伴い、おっきな拳とおっきなフォークが降ってくる。
……はぁ。なんというか……情けない。
「一刀流」
こんな奴らに本気を出すまでもなく、ほんの試し切りで十分。
枝で遊んでできた技、その初めてをくれてやろう。
「"つむじ風"」
その場で一回転して刀を振り回せば、瞬時にできた竜巻みたいな風がぐんぐん空へ伸びて拳もフォークも打ち返す。
「なんだ! か、体が浮いてっ!」
「うおー!?」
「冗談でしょ!?」
風に巻き込まれ、ぶつかり合いながら空へ昇っていった三人は、仲良く海へと落っこちていった。
うーん、ずいぶん遠くに飛んだな。技のコントロールが上手くない証拠。
とはいえ初めてならば及第点だろう。……でもこれ、海賊狩りの"龍巻き"のパクりなんだよね。しかも三刀じゃなくて一刀でやるから下位互換。殺傷力もあんまりなさそう?
「あわ、あわわ……」
腰を抜かしているマスターやおじいさんを見渡して、とりあえず刀でこつんと小突いて気絶させ、引き摺って連れていくことにした。
海賊に肩入れするなら同じ悪でしょ。
船が止めてある海岸沿い。息も絶え絶えに陸に上がってへばっている三人に、えーいと嵐脚。ついでに飛び上がって三隻の船にも嵐脚乱れ撃ち。飛ぶ斬撃もくれてやろう。そおれ、一刀流"三十六
……お仕事完了。
まったく、情けない奴らだ。
「海賊旗は魂なのに……だから信じたのに、自分達のじゃないなんて嘘言うなんて……くず以下」
というかもう海賊ですらない。あーあ、せっかく刀手に入れて気分は上々だったのに、最低の気分だ。
制服は汚れるわミルク臭くなるわ、雑魚に当たっちゃうわで散々。
さっさとシャワー浴びに戻ろう。
「そちらは懸賞金600万、"芸術家"ドルビーです」
「ふーん」
「ひっ! あ……」
五人もいっぺんに連れていくことはできないので、まずはおじいちゃんとマスターを連れて行けば、片方は手配書に載っている奴らしかったので始末する。マスターさんの方はどうだろう。
……君、なんで顔伏せて震えてるかなー。仕事して、仕事。
「そっ、そちらは……て、手配書は、出ていない模様です……!!」
覚束ない手つきで手配書を捲って確認する部下は、途中取り落として慌てて拾い集めるというドジをしながらもきっちり仕事をこなした。
手配書が無くても悪い事に加担したなら連行だ。海賊じゃないのなら……殺す必要はないのかな?
でも半分海賊みたいなもんだよなあ。
どうしましょ。シャワー浴びる前に決めたい。
「ね、この人タイラント達の悪事に手を貸してたみたいだけど、海賊みたいなもんかな」
「は、はっ! そ、そう思われます!」
「そっかー」
じゃあマスターさんにも嵐脚プレゼントしちゃう。
これで悪は滅びた! シャワー浴びてこようっと。
甲板のお掃除はお願いねー。
「…………
……?
なんか今、声をかけられた気がする……けど、気のせいかな。
はあ、しかしやっぱり人を殺すと心が陰る。
きっついなあ、このお仕事。
◇
数日ぶりに本部に戻れば、ミサゴさんが頭に包帯を巻いていた。
わ、大怪我? そうでもない?
「どうしたの、それ」
「これですか? 聞きたいですか? 聞いちゃいます!?」
明らかな手当ての跡を頭とか顔とかに残す彼女は、なぜだかとても嬉しそうで、興味を引かれたので紅茶でも飲みながらお話を聞かせてもらう事にした。
「少将殿が海に出ている間、招集がかかりまして」
「招集? 私に?」
「と、いいますか。ある程度の階級のものから中将五名までへの呼びかけで、その中に少将殿も含まれていたのです」
「ふーん。なんの招集?」
そんなにたくさんの海兵を集めるなんて、何かあったのかな。
ふーふーして冷ました甘い紅茶を口に含みつつ、何があったのかに想像を巡らせてみるも、なんにも思い浮かばない。
「バスターコールです」
「ぶっふぅ!」
「うわあ汚い!」
な、なんですと!? ばす、バスターコール!?
え、今そんな時期!? あれだよね、エニエス・ロビーへの攻撃だよね! というか私招集かけられてたの!?
雑巾で机をふきふきしながらミサゴさんを見れば、神妙な顔で頷かれた。
「ええ、はい……それで、少将不在のため、自分が「代理」"少将"として招集に応じ、しかし実力不足故激戦についてゆけず……」
「ははあ。それでその包帯かー」
「はい。自分が情けないです……」
背を丸めて顔を伏せる彼女は、心底己の弱さを恥じている面持ちだった。
……でも、気のせいかな。なんか口元笑ってない?
「そして、この傷は……麦わらの一味、海賊狩りのゾロに不覚を取り……」
「ええっ! 海賊狩り!!」
そっか! そうだよね、エニエス・ロビーに行ったなら彼らに会う事になるもんね! 戦うのは彼らを相手にしてなんだから!
乱戦だから飛び火したのだろう。彼女の怪我の具合から見て、認識されて斬られたという感じではなく、衝撃波とか斬撃とかの余波にやられたような感じ。
「ふ、ふふふふ……」
……仮にも海賊にやられたというのに、笑いを零すミサゴさん。
ヤケになっているのではなさそう。それではこの笑みは……。
……まさか。
「アラバスタの一件……」
「!」
ぴくっと反応したミサゴさんは、笑みを引っ込めて恐る恐る私を見上げた。
アラバスタでの功績は海軍のものになってるんだけど、反応するって事は調べてるって事だよね。
つまりは関心があるって事で……。
「……麦わらの一味のファンなの?」
「……い、いえ、決して……そ、そそそのような、こっ、ことは……!」
机に頬杖ついて問いかければ、目を逸らして答えられた。
わかりやすい。この人ほんとわかりやすいなあ。
「別に怒りやしないよ。私だって好きだもん」
「えっ! うそ、そんなはずは!」
「ええー……なんでそんな驚くかな」
ガタっと腰を浮かせて驚愕する彼女を見上げれば、失言に気付いたのか咳払いすると、ゆっくりと座り直し、膝に両手を押し付けた。
「で、ですが、だって、少将殿は……海賊がお嫌いでしょう?」
「ん? いや……別に」
そんな事はないよー、と手をひらひらさせて言えば、彼女は愕然とした表情を見せた。
どうしてそんな顔をするのかわからず見つめれば、やがて小刻みに震え出したミサゴさんは、私の目を真っ直ぐに見つめて、「では」と問いかけてきた。
「ではなぜ、海賊を殺めるのですか……?」
「なんでって……」
「いつだって少将殿は非情でありました! 言葉もなく声もなくどのような海賊も殺め、それはこれまでも……今回だって!」
だんだん声を荒げて私を
怒りの理由が見えてこない。だって海賊を殺すのは……。
「それが少将殿の正義の在り方なのでしょうか! 「徹底的な正義」が少将殿の掲げる信念なのでしょうか!!」
「いや、なんでそうなるかな」
私は別に、海賊憎しで殺して回っているのではない。前だって、目的は別にあった。今もそう。
そんな弁明をする間もなく、彼女はどんどんヒートアップしていく。また立ち上がって、大きな声で私を糾弾する。
「何も殺すことはないじゃないですか! たしかに彼らは悪人です! でも、自分達海兵のっ……!」
感極まって涙まで零した彼女は、しかし途中で言葉を止めた。
それは言葉が見つからなくなったとかそういうのじゃなくて、私を見て、息をつめさせて、何も話せなくなったような……。
「はっ、は、はっ……」
「…………どうしたの? 続き、言ってよ」
「はー、は、はー……!」
短い呼吸と長めの呼吸が入り乱れて、ぽたぽたと汗を落とす彼女は、瞬きもせず私を見ている。
やがて緩慢に下を向くと、どさりと椅子に腰を落とした。
「い、行き過ぎた、真似を……ひっ、し、しつれ……し、しつっ」
「あーもう」
引き攣った声で謝罪する彼女に、ようやく原因がわかり、嘆息する。
私が真面目な顔して話を聞いてるのがそんなに怖かったらしい。
威圧も何もしてないのにそんな風になっちゃうなんて、よっぽど恐れられてるんだね。嬉しくない。
「私はねー、お仕事だから海賊殺してるの」
「………………ですが、こ、殺さなくたって」
控えめに私を窺い見る彼女へ、溜め息を吐きながら伝える。
その言い分はもっともだし、私もわかるけどさあ。
でも殺すよね。
「……悪人ではあります。でも……その悪事を裁く場所は、償う場所はっ、ほ、他にあるのです……」
「……インペルダウンとか?」
「はい。だからっ……だから、少将殿が手を下す事など……」
顔を手で覆い、さめざめと泣くように言う彼女に、私は困ってしまった。
続けて彼女が言うには、私ほど強いのなら殺さず捕らえるなど容易いはずなんだから、むやみに人を殺めるのはやめてほしいとかなんとか。
……そうだねぇ……そう言われるとねぇ……。
「我々海兵のするべき事は……市民の安息を守ること……! 決して人を殺める事ではないのです……!!」
そもそも私が海賊を殺すのは、サカズキさんにそうしろって言われたからだし、それが仕事だからだと思ってたからだし……でもよく考えてみれば、ミサゴさんの言う通り必ずしも殺す必要は無い訳で。
「あー」
椅子の背もたれにぐっと寄りかかって背中を反らし、天井を見上げる。
そうすると、本当に私が手を下す意味ってない。私は司法ではない。現状掲げる正義もない。
ただサカズキさんに言われるままそうしていただけ。それって、先日始末した海賊モドキ達とスタンスは同じって事で。
「それは、やだなあ」
私には夢がある。
同時に汚れなきように守る信念がある。
そこに正義という二文字を与えれば、自ずと海兵として私が掲げるべきものというのが見えてくるはず。
そんなすぐには見えてこないけど……幸い考える時間は結構あるから、しばらくは考えよう。
◇
「少将殿は、なぜそれほどまでにお強いのでしょう」
お仕事に戻り、何時間かして。
「その華奢な身体のどこにそれほどの力があるのでしょうか」
先ほどの話の続きか、それともその気まずさを払拭するためか話題を振ってきた彼女に、ペンを顎に当てて考える。おもむろに、自分の胸を指さしてみた。
「お言葉ですが、少将殿……そこには何もないです……」
「ああん!? 成長期!!!!!」
「ひいっ」
なんてふざけたやり取りをしてみて。
けれど真面目に考えてもみる。
うーん、私が強いのは強い人に鍛えられたからで、特に理由はないと思う。
「そ、そうでありますか。……はぁ、ならば自分も優れた師に巡り合えれば、強くなれるのでしょうか……」
「さあねー。ああ、しいて言うなら、私が強いの、私が私を信じ切ってるからなのかも」
「自分を、ですか?」
「うん」
頷いて、彼女を見る。ミサゴさんはあんまり意味がわかってないみたいで首を傾げていた。
「自分の理想とする自分と今の自分に齟齬がない。いつだって完璧で、いつだって最強! 過去を省みる事はなく、どんな未来だって掴み取る。今の私が最高なの」
「……よくは、わかりませんが……少将殿の強さの秘密は、見えたような気がします」
「そう?」
自分で言っといてなんだけど、自分を信じる、それだけで強くなれる訳ではないとは思う。
ただ、私は私を疑わないし、私を蔑ろにしないし、いつでも私を頼ってる。
この私なら、いつどんな時でも……「どこまでだって行ける」、「どんな夢だって叶えられる」のだ。
失敗したってめげないよ。いつか必ずやり遂げられる。
神様を仲間にするのも、大将になるのも、サボさん達に恩返しするのも、麦わらの人達に会うのも、全部全部……ね!
私の正義の在り方を見失ってしまっているのだって、一つの失敗ではあるけれど、私を見限るようなものではない。
私は道を誤ったのかもしれない。ミサゴさんが涙を流して止めるような正義の在り方は、駄目だったのかもしれない。
でもそれを正せば彼女を笑顔にできる正義になれる。私の前には未来がぶわーって広がってるんだから。
――お前は「自由」だ。
不意にサボさんの声が聞こえた。
笑顔も見えた。
自由。私は、自由だから、なんでもできるし、なんにでもなれる。
「そうだ……!」
……思いついた。私の掲げる正義。
「んしょっ、と」
「しょ、少将殿? なぜ机の上に……!?」
「へへっ。じゃじゃーん、今から私の「正義」を発表したいと思います!」
あわあわと私を止めようとして体が動いていないミサゴさんへ向けて、胸を反らしての発表会を敢行する。
「それはー……」
「そ、それは……?」
びびっと両手をピースにして天井高く掲げる。
「"自由な正義"!!」
「……じ、「自由」でありますか?」
「うん。そのまんまだけど……ね」
机の上から飛び降りて、椅子に戻って座り込む。
全身包まれるような柔らかさにほふーっと息を吐き、しばし休憩。
「あ、ミサゴさん、紅茶飲む? 休憩ついでにつごうと思うんだけど」
「あっ、そ、そのような事は、自分が!」
「いいのいいの。座ってて? これくらいは自分でやるからさ」
身を起こし、畏まる彼女に柔く手を振りながらポットのある場所まで歩いていく。
「……ん?」
その中で、なんとなく肩が軽くなっているのに気が付いた。
手を当てれば、留め具に留められた正義のコートの感触。
……いつになく、しっかり私の両肩に張り付いている気がする。
「ふふっ」
よくわかんないけど、正義の在り方が定まって、なんだかきっちりしゃっきりしちゃったかな?
鼻唄でも歌いたい気分! るんたったってスキップしちゃう。
うーん、海兵道ここに極まる。
ようし、この後のお仕事も頑張るぞー!
TIPS
・海賊同盟トリオ+α
モブ。ドルビーはロゴロゴの実のロゴ人間。
ロゴってなんだ。
・ミューズの強さの秘密
自分を信じ抜いて疑わない強さ。
覇気とは信じる事で生まれる。
また同時に、それを導く存在が高みに位置するほど強くなるのは早くなる。
要するに環境が良かったのだ。
・サブリミナルサボさん
革命軍での思い出は、ミューズにとって人生のかなりの部分を占めている。
かけられた言葉、交わした言葉はどれも宝物。
今でもコアラ師匠にこしらえられたたんこぶの痛みを思い出して涙目になる。
サボの無茶を真似して敵基地に単独侵入したのは掛け替えのない思い出。
・少将
強いと昇進も早い。
海軍は実力主義なのだ。
7歳に与える階級ではないがそうなってるんだから仕方ない。
・サカズキさんに言われたから
言われてない。
・「自由な正義」
どのような選択も自由の名の下に。
徹底的な正義は選択肢の一つに下がった。
「ゆとりある正義」にも「どっちつかずの正義」にもなる。