「ははっ、こんな感覚は久々だ」
「……何やってるんですか、お嬢様」
「おお、咲夜。あのウサギはどうした?」
「逃げられましたわ」
「逃げられた……? お前が?」
「そんなことより、一体これは……」
咲夜には、この状況が飲み込めなかった。
「認めないわよ! こんなのおかしいわ!」
「あらあら紫ったら、熱くなっちゃって」
少しボロついた様子の八雲紫は、冷静沈着な普段の装いからは想像も出来ない様子でお嬢様に文句を垂れている。
それを西行寺幽々子が、面白がりながら宥めていた。
「あー、嬉しい。勝負に勝って喜ぶなんていつぶりかしら?」
「あらお嬢様。八雲紫に勝ったのですか?」
「ええ、当然の結果よ」
そう言うお嬢様の目は、あまり見てはいけない類の光を放っていた。
あの光に長く当てられては、人間である私は正気でいられなくなるかもしれない。
尤も、当のお嬢様は満月の光に当てられているのだろうが。
偽物の満月とはいえ、その光は本物の月光と大差なく妖怪に力を与えている。
それが吸血鬼なら、尚の事。
「ふふふっ、今なら誰にも負ける気はしないな」
「早く解決しましょう。お嬢様が壊れる前に」
「この程度じゃ壊れないさ」
「もちろん。私がいる限り貴女は壊れませんし、壊させませんわ」
そう言って笑う私を、怪訝な表情で見つめる少女がいた。
「さすが、勘がいいな。博麗の巫女」
「……別に。様子がおかしいと思っただけよ」
「満月の所為さ」
「アンタはね。でも咲夜はちがう」
「気がついてるにしては、あんまり驚いてないみたいだが?」
「まあ確かに、なんだか別人のようではあるけれど……」
霊夢は、私の顔を覗き込んだ。
「今度ゆっくり聞かせてよね?」
「……ええ。いい肴になりますわ」
「ねえねえ! 何の話?」
「変わったと言えば、あんたもよね……妖夢」
「強くなったでしょ?」
「……まあ、少しは?」
「あーあ。咲夜が邪魔さえしなければなぁ……」
「確かに。実際、あれはかなりヤバかったでしょ、霊夢?」
「別にヤバくなんかないわよ。あんたが横槍入れなくても避けてたわ」
「じゃあもう一度試してみる?」
「またやる気? もう飽きたんだけど」
「そっちから来ないなら、こっちから––––「あーもう! いい加減にしろよ!!!」
声を荒げたのは魔理沙だった。
「今は異変だぜ!? その真犯人だって現れたんだ! 早く解決するのが先決だろ!?」
わちゃわちゃと話す私たち3人に、魔理沙は言う。
そんな魔理沙の前に、私は一歩踏み出した。
「何焦ってるのよ?」
「だっておかしいだろ!? 私たちは一体、何しにここに来てんだよ!?」
「はぁ……魔理沙。貴女が私に言ったのよ?」
「……は?」
「異変を楽しみなさいよ。その過程で解決するのであって、異変解決が絶対の目的じゃないわ。それが新しい幻想郷の"異変"……でしょう、魔理沙?」
「……ッ!」
「何を焦ってるのか知らないけど、異変なんて謂わばお祭りのようなもの。私にそう教えてくれたのは、貴女よ?」
「……ああ、そうだったな。あの頃と、今では真逆の立場か」
魔理沙は、軽く俯いた。
その声色は、先程とは打って変わって弱々しいものになっていた。
「でも、私は…………チッ」
「ちょっと、魔理沙!?」
箒に跨り飛び出す魔理沙を、アリスか慌てて追いかける。
呆気にとられる私たちを余所に、お嬢様は少し笑みを浮かべながら、若いなと呟いた。
「さてさてぇ〜〜魔理沙の言うことも尤もよ。お遊びはこのくらいにしまして、そろそろあの月をなんとかしましょうか」
「やっぱり、貴女にとってはお遊びだったのね……幽々子」
「何事も、面白い方がいいじゃない? それに、主犯の顔も割れましたし」
「まさか幽々子……貴女……」
「さあさあ! 敵は近いわよ。行きましょう?」
ポンッと手を叩き、幽々子は皆を諭す。
呆れた様子の紫だが、その真剣な眼差しの中には安堵の色が見える。
「さて、案内は任せたわよ?」
そう言って幽々子は、私に視線を移した。
「……なんで私?」
「貴女ならこの歪んだ空間でも迷わないでしょう?」「はぁ……別にいいけど、案内料は高く付きますよ」
「ふふふっ、ツケで頼むわ。八雲紫の名前でね」
「え、ゆ、幽々子!?」
「あら、それは美味しい話ですわ」
「さぁて、行きましょうか」
「ちょっと!おかしいって!ねぇ!!!」
◆◇◆
「それは本当なの? 優曇華」
「はい」
「瞬間移動とか、そういう類ではなくて?」
「おそらく、時間を操っているのだと……それを言った瞬間、奴に隙が生まれましたし」
「なるほど……確かにそれなら、この場所が割れてもおかしくはないわね。ちなみに、あの中に居た誰が?」
「銀髪の人間です」
「……人間?」
「はい、おそらく。確か仲間に"サクヤ"と呼ばれていたかと」
「––––へぇ、サクヤねぇ」
「ひっ、姫様!」
スッと襖を開けて、優曇華と永琳の会話に横槍を入れたのは、蓬莱山輝夜だった。
輝夜はニコニコと笑顔を浮かべて、優曇華の顔をジッと見つめる。
この世の何とも言い表せないその美貌から放たれる笑みは、同性の優曇華と雖も胸が騒ぐ。
もちろん、別の意味でも心臓の鼓動は早くなったが。
「す、すみません! 私が未熟なばかりに、見つかってしまって……」
「怒ってはいないわ。イナバは良く頑張ったもの」
「姫様……」
「そんなことより、そのサクヤとかいう人間が気になるわ。ねぇ、永琳?」
「……はい。人間の身にありながら、時間に干渉できるものがいるなど到底信じられません。しかし––––」
「しかし?」
「可能性があるとすれば、1つだけ。姫様も気付いておられるのでしょう?」
「ふふっ。なんだか懐かしい話だけれどね」
「あ、あの、おふたりは一体なんの話を……?」
「––––優曇華」
「は、はいッ!」
「貴女は館の警護を頼むわ。ここの場所が割れるのも、時間の問題よ」
「分かりました!」
「ぐれぐれも、無理はしないでね」
「ッ! は、はい! 師匠!」
優曇華の肩の傷に軽く手を当てながら、優しい笑みを浮かべて永琳は言った。
頬を赤くしながら満面の笑みを浮かべて、優曇華は返事をする。
そして長い廊下を駆けて行った。
「イナバは本当に、貴女が好きね」
「あの子にとって見たら、私は命の恩人になりますから」
「……永琳?」
「なんでしょう、姫様?」
「今は2人きりよ?」
「…………そうね、輝夜」
「なんだか、不思議な気分だわ」
「……?」
「まさかこんな形で、あの子に会うことになるなんて」
「……まだ、あの子だと決まったわけじゃないわ。それに、貴女は私が護るもの」
「ふふふ、残念ね」
◆◇◆
「にしても……師匠と姫様には何か分かっているのかしら?」
「何辛気臭い顔してるのさ、れーせん!」
「うわぁっ!?」
軽く俯きながら考え込む鈴仙の背中を、因幡てゐは勢いよく叩きつけた。
てゐは満面の笑みで鈴仙の顔を覗き込む。
「いきなり何するのよ! てゐ!」
「少し励ましてやろうと思ってさ」
「だからって強く叩きすぎじゃ……」
「あ、その先落とし穴」
「えッ!?」
「うそだよーん。館の中に落とし穴なんか作るわけないじゃん」
「こんな時に! ふざけないでよ!!」
「こんな時だからだよ」
てゐはまっすぐ鈴仙の顔を見つめる。
その表情は、先ほどの笑顔とは違う種類の笑顔だった。
「私達、あんまり強くはないけど……少しくらいなら助けになれるから。1人で背追い込まないで、少しは頼ってよ」
「てゐ……」
「ほら、館の警備を任されたんでしょ? 私も手伝うから、一緒に頑張ろう?」
「うん……ありがとう、てゐ!」
「お礼なんていらないよ」
優しい笑みを浮かべて、てゐは言う。
鈴仙は先ほどの歩みとは違う、自信に満ちた一歩を踏み出した。
「ひゃあっ!?!?」
その一歩が床板を踏みしめた時、床の板が突然抜け落ちた。
「その先は落とし穴だって言ったのに」
「てゐー!!!」
◆◇◆
「こうもあっさりと……」
眼前に広がる巨大な屋敷。
迷いの竹林の奥深くにそれはあった。
「さあ、入るぜ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
「なんだよアリス? ビビってるのか?」
「警戒してるだけ。なんだかあまりにも……警戒されてないから」
その屋敷には灯りがあった。
誰かがいることは確かだろうし、恐らく先ほどの連中であろうことは容易に想像がつく。
––––しかし、あまりにも簡単すぎる。
門番のようなものが居るわけでもないし、見張られてるような視線すら感じない。
あまりに無防備なその姿に、アリスは警戒を強める他なかった。
「うだうだしてても仕方ないぜ。霊夢達に先を越されるのも癪だしな」
「はぁ……何があっても知らないわよ?」
「よし、行くぜッ!」
魔理沙の後ろで箒に跨るアリスが、魔理沙の体をキュッと抱きしめる。
合図に、魔理沙は加速して門をくぐった。
––––はずだった。
「……は?」
門をくぐってすぐ、魔理沙は減速する。
そして周囲を見渡す。
「ね、ねぇ魔理沙? いつのまに、館に入ったのかしら?」
「……さあな。私が聞きたいくらいさ」
そこは長い長い廊下だった。
永遠に続くような先の見えない廊下は、側面を全て襖が閉じていた。
––––彼女らの後ろに、先ほどの門はなかった。
「……幻惑を見ているのね」
「幻惑?」
「そう。この景色は、
「……さっきのウサギに、ってことか?」
「ええ、きっとね。ここまで高度な幻術は初めてだけど……」
「ははっ、なるほどな。よかったぜ」
「よかった……?」
「つまりこの何処かに、異変の元凶は居やがるってことさ!!!」
◆◇◆
「な、なんで……」
因幡てゐは戦慄を覚えていた。
竹林にはたくさんの罠を仕掛けてある。
どれもこれも自信作だし、一癖も二癖もあるような罠だらけだ。
もちろん私は仕掛けた側だし、その躱し方は熟知しているが––––
「ど、どうして引っかからない!?」
「––––教えて欲しい?」
「ッ!?!?」
てゐは首筋に冷たい感覚を覚えた。
下は向けない。目視はできない。
しかし感覚で分かった。
––––私の首に、小さな刃物が突きつけられている。
「随分と巧妙な罠だったわ。私には無意味だけど」
「ッ……」
てゐは言葉を失う。
普段は狡猾で雄弁な彼女も、死と隣り合わせになった時には黙る他なかった。
少しでも変なことを言えば殺されるかもしれない。
そんな恐怖が、彼女の口を塞いでいる。
「貴女は、あのウサギの仲間でいいのよね? 貴女もウサギみたいだし」
「……鈴仙のこと?」
「レイセン? うーん、そんな名前だったかしら?」
「きっとあんたが思い浮かべてるのは、鈴仙・優曇華院・イナバって月の兎よ」
「月の兎? そんなのがどうしてこんなところに?」
「し、知らないよ……私はただの、いたずらが好きな地球のウサギだもん」
「へぇ……仲間じゃないの?」
「うん、そうだよ。だから離して?」
「……」
てゐからは首の刃物も見えなければ、こうして刃物を突きつけてくる女の顔さえ確認できない。
女がどんな目をしているのか、彼女には分からない。
ただ1つ言えるのは、その女に刃物を下ろす意思は感じられなかった。
「私はここまでくる間、貴女の罠を頼りに来たの」
「わ、私の罠を……?」
「ええ。貴女の罠を辿れば、きっとこの異変の主犯に会えると思ってね」
「……な、なんで?」
「そりゃあ、主犯が棲む近くになればなるほど、警備は強くなるでしょう?」
「ッ……」
「実際、罠を辿れば辿るほど、罠の密度は増してきたわ」
「……」
「私は、異変の主犯がいるところは、もう近いと思ってるの」
「……」
「だから別に、貴女に聞かなくても、私は自力で見つけるわ」
「え、永遠亭はすぐそこよ! 案内するから! こ、殺さないでッ!!!」
女は暗に、てゐの命などどうでもいいことを示したのだ。
女に利用価値のない私は、生かすも殺すも彼女の自由だ。
そして、てゐを生かすのにリスクがあったとしても、殺すことには何のリスクもない。
「……お、お願いします」
てゐは、泣きながら命乞いをした。
女は静かに口を開いた。
「いいわ。早くその"エイエンテイ"とやらに案内しなさい」