紅魔女中伝   作:ODA兵士長

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第5話 永遠に紅い幼き月 –– スカーレット・デビル ––

 

 ––––パチンッ

 

 

 私は時を止めた。

 少なくとも、この世界は私のものだ。

 私は辺りを見渡すが––––そこに少女の姿はない。

 

 一体どこに––––ッ!?

 

 私が後ろを振り返ると、そこには先ほどまで正面にいた少女がいた。

 その口には、鋭い牙が見える。

 私は一先(ひとま)ず距離を取る。彼女に接近戦は危険だ。

 

 ––––でも、この速さで近付かれたら私には対処できないかもしれない。

 先ほどまで、ある程度の距離があったはずなのだ。少なくとも5メートル……いや、10メートルはあったかもしれない。その距離を一瞬で進み、私の後ろに回り込んだのだ。

 まさに目にも留まらぬ速さの彼女を捉える方法は、時間を止める他ない。

 

 ––––貴女がこれで死んでくれるなら、こんな悩みは不毛だけど。

 

 私は、いつもの様にナイフを設置する。

 いくら私の能力が分かっているとしても、それだけで私の能力が破れるとは思えない。

 そして、いくら彼女が速いとしても、時間を止めてしまえば、こうして捉えることができる。

 さらに言えば、いくら強大な吸血鬼であっても、弱点には抗えないだろう。

 

 ––––これだけの数のナイフなら……ッ!

 

 

 ––––パチンッ

 

 

 時が動き出す。

 無数のナイフが少女に突き刺さる。

 やはりナイフが突き刺さる音など聞こえない。

 聞こえるのは刺さり切らなかったナイフが床に落ちる音と––––

 

 

 ––––少女の笑い声だけだ。

 

 

「フハハハハハハハハハハ!!!!」

「ッ!?」

 

 ナイフで切り裂いた箇所から段々と蝙蝠に分身していく。

 その夥しい数の蝙蝠が部屋中を飛び回る。

 少女の声が(こだま)しながら、あらゆる方向から聞こえる。

 まるで全ての蝙蝠が声を発しているかの様に。

 

「素晴らしい!私に傷を付けた人間は貴女が初めてよ!!!」

 

 

 ––––パチンッ

 

 

 私は再び時を止める。

 薄暗い部屋の中を、黒い生物が埋め尽くしている。

 どれが本物?全て本物?

 私には……分からない。

 

 

 ––––パチンッ

 

 

「この蝙蝠達は全て私。どの一体を残しても、私は再生出来るわ」

 

 まるで私の動揺を悟ったかの様に少女は言う。

 本当に彼女には全てがお"視"通しなのかもしれない。

 

「……ッ」

 

 バサバサと音を立てながら飛んでいた蝙蝠達が、先ほど彼女が座っていた椅子の(もと)へと集まる。

 そして段々と、人のような形を作り始めた。

 

「やっぱり、私が思った通り……」

「……?」

「訳がわからない、といった表情ね。まあ、当然でしょうけど」

 

 

 ––––パチンッ

 

 

 もう一度、私は時間を止める。

 

 彼女の言っていることは理解できない。

 だが、理解する必要はない。

 私はただ、この吸血鬼を殺すだけでいい。

 

 ––––私はナイフを取り出した。

 

 そして彼女の下へと歩み寄る。

 私は背後に回り、首元にナイフを突きつける。

 

 後は時を動かした後に、このナイフで喉元を抉るだけだ。

 

 

 ––––パチンッ

 

 

「……ッ!?」

 

 驚きの表情を浮かべる。

 首元に鋭利なものが突き刺さる感覚に、悪寒が走る。

 その額には、汗が滲んでいた。

 

「……い、いつの間に?」

「言っただろう?」

 

 首の皮を破り、少し血が滲んでいる。

 

「––––私には全てお見通しさ」

 

 私は右手にナイフを持っていた。

 しかしその手は既に、少女の右手によって掴まれ、牽制されている。

 そして少女の左手が、背後にいる私の首へと伸びていた。

 その手には、恐ろしく鋭利な爪が伸びている。

 その爪が私の首に軽く突き立てられ、血が滲んでいた。

 

「ッ……」

 

 私の右手に激痛が走る。

 吸血鬼の握力で、私の右手の骨は軋んでいた。

 思わず、私はナイフを握る手の力を弱めてしまった。

 そしてナイフが、音を立てて床に落ちる。

 

「……ごめんなさいね、痛かったかしら? 手加減はしたつもりなんだけど」

 

 少女は手の力を緩め、私はその隙に距離を取った。

 時を止めることも忘れ、ナイフを床に放置したまま。

 

「貴女には……何が視えているの?」

「知りたい? 教えてあげてもいいけど……どうせ分からないわよ」

「……どういうこと?」

「これは私だけのモノ。貴女でいうところの時間に相当するモノ」

「ッ……」

 

 彼女はやはり、私の能力を見抜いていた––––

 

「私にとって、"視る"コトとは呼吸と同じようなコト。意図してすることもあれど、意図せずとも出来るコトなの。貴女は貴女自身の能力––––出来て当然のコトを、他人に正確に伝えることが出来ると言うの?」

「ッ……」

「まあ、1つだけ言っておくならば……私は視るだけじゃなくて、紡ぐこともできる」

「紡ぐ……?」

「"運命を操る程度の能力"。貴女がここに来る運命も、私が紡いだのさ」

「運命……」

「運命は無限に存在する。それこそ、生けるもの全て……いや、命を持たぬモノにも運命はある。それを()りあわせて1つの運命を紡ぎ出す。それが私の能力だ」

「……」

「ほら、分からないでしょう?ハッキリ言って、私自身にもこの能力の全てが分かってないのよ。貴女に分かるはずがないわ」

「……未来予知とは、違うのかしら?」

「そうね、私は未来を予め知っているわけじゃない」

「じゃあ何故、私が時を止めて回り込むことが分かったの?」

「簡単なことよ。貴女がそうする運命を紡ぎ出しただけ」

 

 少女の言うことを信じるか、ただの戯言だと聞き流すか、私が迷うことはなかった。

 彼女には、特別な能力がある。

 ––––例えば、私のように。

 

「つまり、私は貴女の掌の上で転がされているだけ……ということなのね」

「それは違うわ」

「……?」

「私の掌の上で転がるのは、貴女じゃない。世界(うんめい)よ」

「……どっちでもいい。つまり私に、勝機がないということでしょう?」

「さぁ、どうかしら?」

「何かしら?その言い方は……?」

「言ったでしょう。私は別に、未来を予知している訳じゃないの」

 

 そう言いながら、少女は足元のナイフを拾った。

 先ほど、私が落とした物だ。

 

「さて、第2ラウンドとでも行こうか?」

「遊び感覚なのね」

「当然。人間相手には、これくらいの気持ちじゃないと、すぐに終わってつまらないじゃない」

「人間ってそんなに弱い?」

「そりゃあもう。私が像なら、お前たち人間は蟻も同然よ」

「蟻の中には、象をも殺す蟻がいるのよ?」

「………集まれば、でしょう?一匹でどうこうなるものではないわ」

「本当にそうか、試してみましょうか?大きな大きな象さん?」

「戯け、虫ケラが」

 

 少女がナイフを投げる。

 やはり先ほどと同様に、一直線に私へと向かってくる。

 時を止めながらそれを避け、私は一気に間合いを詰める。

 

「象と蟻では、体感時間が違うそうですわ」

「それは残念だな。お前は、私ほど長くは生きられない」

 

 私のナイフは空を切った。

 少女は黒い大きな羽を使って舞い上がる。

 

「そしてもう1つ、お前にとって残念なことがある。私は象のように、ノロマじゃない」

「心配しなくていいわ。どんなに速く動こうとも、そこに"速さ"が存在する時点で私よりは遅いのよ」

 

 時を止めてナイフを設置する。

 それは少女を取り囲むように配置されていた。

 ナイフの壁が彼女に迫る。

 

「ッ……」

 

 

 ––––紅符「不夜城レッド」

 

 

 少女は一瞬だけ顔を歪めた。

 その直後に紅いオーラのようなものが、彼女から放たれる。

 それは大きな十字架を描き、その経路上にあったナイフは吹き飛ばされた。

 私のナイフの壁に空いた穴から脱出することで、少女は全てのナイフを避け切った。

 

「今のは……少し危なかったわ」

 

 彼女に当たらなかったナイフ達は、先ほどまで少女がいた位置で互いにぶつかり合った。

 金属音が鳴り響く。

 あまり心地よいものではなかった。

 

「でもどうせ当たったところで、死んではくれないのでしょう?」

 

 全てのナイフが床に落ちると同時に、それらは姿を消していた。

 全て私の手元に戻ってきている。

 時を止めて回収したのだ。

 

「そうとも限らないわ。何せ、銀のナイフは苦手だもの」

 

 バサバサと音を立てながら宙に浮いている少女が言う。

 しかし私は、彼女の言葉を疑っていた。

 本当に銀のナイフは、彼女の弱点なのだろうか?

 

「さて、そろそろこちらからも仕掛けさせてもらおうか」

「そんなこと、させる訳がないでしょう?」

 

 私は時を止める。一瞬で間合いを詰め、時を解放した。

 そうして私はナイフを少女へと突き刺す。

 

 だがやはり、私のナイフは空を切った。

 

「当たらない……ッ」

「お遊びはこれくらいにしようか?」

 

 背後から、私の耳元で囁く声がした。

 振り返りながら、私はナイフを振る。

 

 またしても、私のナイフは空を切る。

 

「どうして……」

「無駄よ。何度やろうとも、絶対に当たらない」

 

 

 ––––彼女には、全てお視通し。

 

 

「私、生身の人間を見るなんて久しぶりなのよ」

「……」

「生きた血を飲むのも、ね」

「……ッ」

「やっぱり、死は怖いの?」

「………死にたいとは、思わないわ」

「ふふっ、そうみたいね。今の貴女の目……ゾクゾクする」

「……」

 

 少女が私に歩み寄る。

 

「私の得意料理は、私を恐れる人間の血」

「……それは料理なのかしら?」

「私に恐怖させるという下拵えが必要なの。当然、それは料理のうちに入るでしょ?」

「……」

 

 バサッと少女が翼を広げる音が聞こえる。

 それと同時に、彼女の姿が消えた。

 背後に何かがいる気配がする。

 首元に吐息がかかった。

 

「抵抗しないの?」

「……私は、無意味なことはしないのよ」

「あら、そう……じゃあ遠慮なく」

 

 ナイフを突きつけられたような鋭い痛みが訪れた。

 皮膚を破り裂きながら私の身体に侵入してくるそれは、肉を抉り血を掻き出していた。

 少女はその血を吸っている。

 私は苦痛に顔を歪め––––そして、笑っていた。

 

 ––––気持ちいい。

 

 それは快感だった。

 初めこそ痛みが私の思考を支配したが、次に訪れたのは底知れない恍惚(エクスタシィ)だった。

 

「ッ!」

 

 そのことに気づいた私が感じたことは、屈辱だった。

 そもそも、先ほどまで殺そうとしていた相手に、食糧(えさ)として捉えられること自体が屈辱である。

 その上さらに、私はそのことに喜びを感じてしまったのだ。

 私は我に返ると、ナイフを取り出し少女に向かってそれを振る。

 

「あら、意味のない抵抗はしないんじゃなかったかしら?」

 

 軽々と少女は、それを避けていた。

 

「ええ。これは意味のある抵抗だから」

「……?」

「思い出したのよ。私は殺人鬼だってことを」

「何が言いたいのかしら?」

「つまり私は––––」

 

 ––––パチン

 

 私は時を止めて、首元にナイフを突き立てた。

 少し力が入り、鮮血が滴る。

 

「………ッ!」

「––––殺される側には、絶対にならない」

 

 私はナイフで喉を抉った。

 それは私にとって"いつも通りの作業"だった。

 ナイフをスライドさせて、吹き出る温かい血を存分に浴びる。

 そして私は笑うのだ。

 

 いつもと違うことと言えば––––

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ––––血を吹き出しながら倒れているのが、他でもない私自身であるということだ。

 

 

 

 

 

 


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